2016年11月19日

小川寛大『創価学会「急変革」の謎』を読む

週刊ポスト20161115


過日、電話でお話をした週刊『ポスト』記者・小川寛大氏の同誌'16.11.15号掲載「教団を『仏』」「池田大作を『先生』に 『創価学会「急変革」の謎』を読んだ。

タイトルに内容が凝縮されている。さすが。
記事は、概ね島田裕巳先生のコメントの紹介。もはや、ひろさちやに代わる宗教問題のコメンテーターとなった感がある。

小川氏は、今回の“急変革”を、来夏都議選への票堅めと推測している。
安倍と原田(創価学会会長)の、にこやかなツーショット写真が眼に痛い。

先に吃驚仰天と書いた「創価学会仏」なる珍説はしかし、来夏までの半期動向では済まされない。仏教2500年の教学史を転覆させる異常事態だ。

最近の若い創価学会活動家は、池田を「大ちゃん」と呼んで憚らないと聞いた。
カリスマ性失墜の挽回に躍起になった「先生」呼称の規約化なのだろうか。

創価学会仏に先生。もはや、仏教教団というより、駄洒落かコントのようではないか。
しかも、その団体が日本の国政を揺るがす票田である。

かつて池田大作は『政治と宗教』で衆賢政治を訴えたが、衆愚政治にしか思えない創価学会仏と冥合する国政には寒気を覚える。

池田は「日蓮大聖人の教えを拝するならば、御書には『法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所貴し』と述べられている。これを政治に約していえば『法』とは基本原理であり、思想であり、哲学である。この基本となる『法』が妙なれば、それを実践する政治家も貴く、政治家が貴ければ、その国土、社会も尊い、すなわち繁栄するのである」と書いた。

ひねれば「法妙なるが故に先生貴し・先生貴きが故に組織貴し創価仏」といったところか。
だいたい貴いならぬ、尊いの国民だろう。

吃驚仰天の次、唖然と書こう。  
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2016年11月09日

宗教と社会を考える会HP開設

先に会報を創刊した宗教と社会を考える会は会報を開設。NETSHOPも併設し、広く情報を伝播する体制が整った。
法的問題については顧問弁護士が対応するが、とかくネットにありがちなシンパ・アンチの下劣なバトルとは距離を置き、冷静な論及に心掛ける。

また、各教団、宗派を揺るがす禁忌(タブー)開示にも躊躇いはない。しかし、低俗な感情的な批判に陥ることなく、厳正な事実究明を基軸として、宗教と社会を考える。
所属立場を問わず、会員を募集している。
当然のことながら会員名簿は非公開。如何なることがあっても、会員のプライバシーは公開しない。

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会報 『宗教と社会とその周辺』創刊号
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2016年11月05日

吃驚仰天「創価学会仏」とは

20161105聖教新聞1面以下、本日11月5日付『聖教新聞』1面から。吃驚仰天。

「今回の改正では、前文に、世界広宣流布を実現しゆく「仏意仏勅」の正統な教団は創価学会しかないことから、未来の経典に「創価学会仏」と記されるとの第2代会長・戸田城聖先生のご指導を加えた。
「創価学会仏」の意義について、戸田先生は次のようにご指導された。
“大聖人直結した広宣流布を遂行の和合僧団である創価学会は、それ自体、仏そのものであり、未来の経典には『創価学会仏』の名が記されるであろう”
それを踏まえ、第3代会長の池田大作先生は、今夏の全国最高協議会に「御本仏の広大なる慈悲を体し、荒れ狂う娑婆世界で大法を弘通しているのは、学会しかない。戸田先生が『創価学会仏』と言い切られたゆえんである」とのメッセージを贈り、創価学会それ自体が「仏の存在」であることを示した。」

しかし、この文章、整合性が採れていない。

創価学会は「仏意仏勅」、つまり、仏の意にそった・仏の勅命を受けた団体であるというのは、仏は創価学会と別だからこそ成り立つ論法である。仏意仏勅で、自分が仏では自画自賛ではないか。

“和合僧団”といっても僧団(日蓮正宗)から独立した在家集団であるし、だいたい、仏とは集団を指すなら、和合もあったものではない。和合するのが仏だといっても辻褄が合わない、仏そのものというのだから。

それにしても「未来の経典に「創価学会仏」と記される」、この件を読んでただちに意味がわかる一般人はいない。会員もわかるのだろうか。

要するに、経典とは、過去における仏の行状を記した物語であるから、現代が過去になる遙か未来、創価学会仏と経典として書かれるという意味なのだろう。
未来に書かれるのではなく、いま自分たちがいっているだけではないか。

まさか、創価学会仏は、自民公明与党という王法と合致する「王仏冥合」だという伏線ではあるまいかと勘繰ってしまう。

創価学会は、創価大学、東洋哲学研究所を通じ、世界のアカデミズムに通用する仏教に「脱構築」するのかと思いきや、こんな逆行を演じるとは、まさに「吃驚仰天」というほかない。

  
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2016年11月03日

岡田行弘『九分十二分教としての法華経』を読む

夜中に目が覚めると、LINEに、阿呆陀羅經さんから“お薦めの”文献が届いた。
冒頭を読めば、当論文は、当初「法華経は大乗教典か―仏説としての法華経―」と題されていたという。
発表の場となった第58回日蓮宗教学研究大会特別部会のテーマは「脱構築」であり、筆者はその言葉に啓発されたと書かれている。

「仏教の教義・教理の展開は「脱構築」の連続…大乗教典の制作活動はそれまでの伝統的な仏教の「脱構築」運動である」(P1)という。

「仏説とは、九分教あるいはそれに三支分を加えた十二分教という形式・内容をそなえたものである…九分十二分教という形式を採る事が、仏説として認められる条件となった」(P8)
「法華経は仏説の形式としての十二分教の構成要素を十分に承知していて、その各支分のなかで、個々の意味内容を斟酌して、法華経の構成・展開のために必要なものを、選択して配置した」(P22)
「法華経の製作者は、あくまで仏説としての仏教の本質・革新を明かそうとしたのであり、自らを伝統的な仏教を否定する意味で「大乗」を規定することはなかった」(P23)

岡田師の結論は、日蓮教学とされる“大小相対”以降の相対教義を否定している。もちろん、師はそんな狭量な意図を持って発表を行ったわけではないだろう。

全文中、最も印象に残ったのは“仏説として”という表現だ。
仏が説いたいう事実ではなく、記述表現形式が調えば仏説として扱われるという意味である。
信仰心の篤い仏教徒、取り分け、日蓮が考えていた仏説とは明らかに違う。

岡田師の所説から学ぶことばかりで、一抹も批判するつもりはない。
ただ、わたしの視点は、門下に向く。
師がいう「脱構築」された“仏説”で、死者供養を行い、生者を占い、祈祷といった寺院運営は整合性を取り得るのかにある。
もちろん、この点では、わたしはまったくの観察者だから、今後の日蓮門下の“脱構築”の行方を観察するばかりである。

岡田師が日蓮門下という池に投じた一石が、水面に波紋も残さず、没してしまわないことを期待するばかりである。  続きを読む
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『授決圓多羅義集唐決解説』再読

- (2) からつづく -

ここ数日、昭和11年に金沢文庫が発刊した『授決圓多羅義集唐決』景本とその解説を再読した。
直ちに覚書を記したのが、先の(1)(2) である。

反射的にいくつかの疑問もメモしたが、それらはかつて彰往考来師が、紹介してくださった資料に尽くされている疑問ばかりである。参1参2参3

☆(1)で金沢文庫に所蔵される建長6年の日梵字‘うん’(吽)書写が建長3年是聖房本を写したものであることは寺尾英智師が『日蓮書写の覚鑁「五輪九字明秘密釈」について』であますことなく解明されている。
しかし、わたしの興味はその日梵字‘うん’の筆が見たいことにある。殊に異体字まで写しているか、略字はどうかといった点に、興味がある。
また、(2) で法華経寺蔵の『五輪九字秘釈』に乱丁(錯簡)あるかどうかという疑問についても、寺尾師は解明されている。「ある」という。

☆稲田海祖師が(2) で稲田海素師が「今愚見を以て此圓多羅義集と彼の建長3年の御写本の九字秘釈並に建長六年不動愛染二ヶ相承の御自筆を比較するに筆跡大に相い似たり、此に由て此集を御真蹟なると決断する」(P14)と鑑定されたことについて、「最も日蓮筆字の特徴が共通するのは梵字である」と書いたが、ここで考慮に入れるべき書が、もう一つある。『秘書要文』である。

以上、自問自答のようになったが、もう少し整理。

日蓮の密教系譜『円多羅義集』は、道善の命を受けて、得度前年に是聖房は写した。
『五輪九字秘釈』を、京都五条で写した時、既に日蓮の名を以ていたのではないか。そして、既に密教相承を受けていた。
日蓮の密教弟子の日梵字‘うん’が同釈を写したことは、相承と関連するかどうか。
梵字‘うん’写した建長6年、『感見記』の「日蓮授新仏」とは日梵字‘うん’を指すのか。
日蓮書写本は表紙に 梵字‘うん’梵バン(吽鑁)常忍の名があるから、その手沢本となるか。要は日蓮が常忍に授けた。
一方、日梵字‘うん’本は寂澄の手沢本。
(『円多羅義集』の通海は未詳)

日蓮の密教系譜さて、日蓮の密教相承は建長6年以降、杳としているが断絶したのだろうか。
しかし、日蓮が晩年記す漫荼羅は、明らかに密教相承に基づいている。
梵字‘うん’ 梵カン 梵ま字梵ニ2梵バン
また、僅かであるが金胎大日を記した漫荼羅もあった。
この形式の漫荼羅は日蓮門下顕教勢力によって焚書されたのではないか。
日蓮門下史、教学史から消沈していった日蓮の密教弟子門下があったのではないか。
その一部が密教相伝としてなり、やがて蓮蜜と称される形に変容したのではないか。

日蓮の実像は、密教の側面をスポイルしては、決してみることはできない。  
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2016年11月02日

『授決圓多羅義集唐決解説』再読

- (1) からつづく -

日蓮上人御自筆 圓多羅義集について 稲田海素

「今愚見を以て此圓多羅義集と彼の建長3年の御写本の九字秘釈並に建長六年不動愛染二ヶ相承の御自筆を比較するに筆跡大に相い似たり、此に由て此集を御真蹟なると決断する」(P14)

明解である。
金沢文庫も「斯学の権威」と認める稲田海素師の鑑識は動かない。
3書を疑う声も聞こえるが、「螢火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし」とは、斯様なことを言う。傾聴の価値もない。

なお、以上の文字鑑定については、漢字をもって判断されることが一般であるが、3書通じて、最も日蓮筆字の特徴が共通するのは梵字であると、わたしは思う。
この点について、追ってまたブログで書こうと思っている。

「さて此圓多羅義集の吾祖の真蹟がいかにして金沢称名寺へ伝わりたるやと云えば、現今金沢文庫に存在せる理性院血脈と寂澄等の清澄寺往復結果であろうと思う」(P17)

ここに理性院血脈を挙げられる理由はつまびらかではないけれど、要は密教相承者としての日蓮から継承せる日吽、寂澄は清澄にあって称名寺と密接な関係を有していたということなのだろう。
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2016年11月01日

『授決圓多羅義集唐決解説』再読

文字比較『授決圓多羅義集唐決解説』を読んだのは、4年半ほど前(
前回の独歩の会で川師が講演のなかで理性院血脉を取り上げていたが、関連していくつか確認したいと思った。読み直すと、忘れていたことも多々あった。

日蓮上人真筆 授決円多羅義集唐決発行の趣旨に就て

金沢文庫同好会の名で書かれるいわば「はじめに」
「最近又々天台宗の著書の調査が始まった結果、その中から日蓮上人が房州の清澄寺で書写したという「授決円多羅義集唐決」という仏書が発見された。日蓮上人の真筆と言うことは、その奥書によっても明白の事であるが、斯道の権威たる稲田海素師が間違のないものと折紙を付けて居られる」(P2)

ここでいう“最近”とは、本書が昭和10年8月の発刊であり、その前年を指す。
今さらながら驚くが、“たった”71年前のことである。  続きを読む
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2016年10月26日

冠賢一『近世日蓮宗出版史研究』4-5章を読む

わたしには厳しい先輩がおり、時折、資料を提示して「読め」という。
もし、この“指導”がなければ、わたしの愚考は、さらに愚であった。
もし、こうした先輩、もしくは指導教師を高校時代に得ることができたら、もっと的確に、真面目に学業に励めたかも知れない。
そんなことを思いながら、題名の書の一部を読んだ。

古印字における刊本化の歴史が、まことに理路整然とに記述されている。
日蓮門下出版史、座右の一書たる面目躍如たるものがある。  続きを読む
Posted by saikakudoppo at 18:56Comments(0)TrackBack(0)鑑賞読書

2016年10月25日

冠賢一『新発見の本国寺(元和版)録内御書について』を読む

題名に“新発見”とあるが、論文は立正大学『大学院紀要』第5号、1989年の所載。
既に四半世紀が経っているが、日蓮門下700年の歴史から考えれば、最近の出来事と言える。

以下、新発見の内容を足場に、わたしの興味。
まことに雑駁な数取りであるが、日蓮文書(『御書』)が、古印字で発刊されるまでには、日蓮寂から100年から150年が経過している。では、その前は、どうであったのか。
経本がそうであったように、六老や有力檀那で手書き書写本を融通し合い読まれていたのではないか。
では、その後の100年間は、まったく読まれなかったのか。
そうは考えづらい。しかし、刷本が発刊されれば、活字文は、手書き書写本を駆逐していく。
しかし、刷本の数は限られている。それでも、今度は、刷本が手書きで写され、読まれ、伝承されていった。
大まか、以上のような『御書』学習の経過があったと推察される。

過日、百部刷『観心本尊抄』の影本を読んだ。
印字数を少なくするためだろう、いまの当用漢字・常用漢字のように、文字が限られている。日蓮真筆に見られる異体字は、すっかりと編集されてしまっている。
また、多少は写し違いもあり、原文の誤字・脱字・転倒などは訂されている。異体字を同義不要というのも合理的で否定しないが、しかし、わたしは、日蓮がどのような字を使われたかに興味を懐き続け来た。だから、この点では落胆した。

新たに涌いた興味は、刊本に臨む編集は、如何になされたのかという点。
先に「教学メモ44:本尊抄「本師の娑婆」は「本時の娑婆」か」で疑問を呈した『観心本尊抄』の「本師娑婆」は録内刊本では「本時娑婆」と訂正されている。
すると、その刊本を写せば、「本時娑婆」となるが、問題にしたいのは、その前である。誰が「本時」と訂したか。決めたのは、たしかに編集者に違いないが、それ以前、「本時」と訂した手書きはなかったのか。

文字比較『御書』の書写テキストがあったとき、刊本の前か・後かで持つ意義が違う。
前であれば、刊本編集の資料となり得るし、後であれば、刊本を写した可能性大であるからだ。

図は3種の異なるテキストを並べたものである。
Aは真筆、Bは刊本、Cは手書き書写本からの抜粋である。
Aは真筆であるから、いちばん古いことは動かない。
ではBCはどうか。
,痢伴筺匹錬腺辰崩し字を楷書化した文字、Bは現代も通用する字体。
△裡腺辰蕨_屐■造蓮華。
のACは菩薩が略字、Bが正規の記述。
い裡腺辰詫勝■造餘。
イ裡腺辰肋、Bが属。

Cは手書き書写で特に現段階でその証憑性が確立されているものではない。それでも、この5例で見る限り、古い順に並べればA→C→Bと仮定できる、とわたしは思う。
いまのところ、手書き書写本と真筆の照合中である。
だから、すべてを比較し終わった段階で、仮定を自ら覆す可能性はある。

ここのところ、何本か、中世出版の資料を読んできたのだが、大きな不満がある。それは、どれも字を当用漢字・常用漢字に置き換えて、論考を行っていることである。
より正確さを期すためには、書かれたまま、つまり異体字は異体字のまま、略字は略字のままとして、テキストは比較するべきではないか。

コンピュータ業界では、文字のJIS水準は日進月歩である。
中世の古印字はもちろんのこと、近代の活版で限られた文字使用から生じた当用漢字・常用漢字はもはや古い基準である。

古文書研究は、異体字と略字を視野に入れた新たな時代に入らなければならないと思う。  
Posted by saikakudoppo at 11:34Comments(0)TrackBack(0)鑑賞読書

2016年10月24日

松本賀都子「真言宗立川流研究ノート」を読む

先に菅田正昭先生とのお茶談義で、頂戴した玉稿『日蓮と真言立川流』につき、関連資料を読んできた。ご紹介いただいた、わたしにすればまったく埒外の石井恭二『性愛の知恵』副題「大楽金剛不空真実三麼耶経 仏教と密教をめぐって」、昨日は笠間良彦『性の宗教』副題「真言立川流とは何か」を捲った。(教学メモ48で引用した『立川流大等陰陽根本』はこの本からの孫引きである)

「日蓮が遺文の「四条金吾殿御返事」の中に、まさしく男女交合のとき南無妙法蓮華経ととなうることを煩悩即菩提 生死即涅槃」と云うなり。というのと同じく交合の極致の無我を重要し」(P73)とある。

著者は達者で、『御書』本文では「交会」とあるところを、立川流の用句「交合(ミトウナ)」にさりげなく、置き換えている。引用としては禁じ手であるが、骨子は浮き彫りになっている。

大石寺の法華講に席を置いたのはわずか5年であったが、熱烈な信者が、まさに男女交会の唱題を実践して愛娘を儲けたと誇らしげに体験談を述べたことを鮮烈に記憶している。こんなことは単なる譬喩で真に受けることではないと思っていた。高じれば、限りなく性愛密教に近づいてしまう。

笠間良彦は「妙適(surata)は本来は男女の交合の快楽」(P15)と説明している。
ひねれば妙(法)に適して交合とすれば『四条金吾殿御返事』になるではないか。

小首を傾げながらネット上で見つけたのが、松本賀都子「真言宗立川流研究ノート」、「邪流と唱えた人々」の筆頭に日蓮が挙がる。この日記の本題としたい。

「最澄(767-822)の法勲を絶賛した日蓮が、空海(774-835)を邪見邪義として排撃し真言亡国論を唱えたことは知られている。その日蓮が『星名五郎太郎殿御返事』の中で「…彼真言等の流れ偏に現在を以って旨とす。所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望をいのる。…是一切衆生の悪知識也、近カ付クべからず畏ル可シ畏ル可シ」と、立川流という言葉こそ出てきていないが、日蓮の時代にはすでにこの流派が巷に広く流布されていたことが窺える」(P3)

引用『御書』は何度なく読んできたが、真言宗を邪義とする理由が立川流の「男女の愛法」云々を指すとはピンと来ていなかった。

『四条金吾殿御返事』『星名五郎太郎殿御返事』ともに真蹟は遺っていないが、前書はどうも短絡的に「交会」の件が出、後書は理路整然としている。半世紀、日蓮と関わってきた経験から実像は後書と見える、とはいえ実は逆、共に偽書、あるいは真筆の可能性もあるが。

前書は、日蓮が立川流の影響を受けているごとく、後書は真っ向から批判している。
こうした相矛盾する要素が同居することはしばしばあるが、どうであったか。

南無妙法蓮華経を清廉潔白なものととらえてきたわたしにとって、菅田先生から紹介された密教の、殊に石井恭二書く『蓮華胎蔵界儀軌解釈』における蓮華の解釈、笠間良彦書く「密教から性を除外視する事自体が自然の法則からも、仏教哲理からも無理があり不自然なのである」(P13)という説明から、上掲2つの『御書』と照らすと、日蓮の真言亡国論は密教の有する性愛含有の、仏教から排除でありながら、一方換骨奪胎し法華経での再構築と見えなくもない。

菅田先生がインドのスラングからすれば「ナモ・サダルマ・プンダリーカ(南無妙法蓮華)」はいかがわしい呪文という視点から事始まり、無意識にスポイルしてきた密教の側面を考えた。結果、松本賀都子論考が着地点を教えてくれたと落着しようか。  
Posted by saikakudoppo at 07:50Comments(0)TrackBack(0)鑑賞読書