2016年07月28日

日蓮墨筆を読む(625)双紙要文17 一念三千名目の出所を明らめる


17裏|17表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻165頁から転載


冊子1冊43丁
28.0cm×22.0cm
文永6年
千葉県法華経寺蔵(重要文化財)

〔17表〕
无一念三千名目書不入並未云一念
三千具足攵乎 而止観諸心
観攵諸心観攵句不入玄攵
観心乎 其上對止観云 故至止観
正明観法 汝如云可云故至玄
攵止観其上彑云終窮究
竟極説 玄義攵句 御年五

〔17裏〕
十七大随開皇十四年四月二十日
所説豈可入乃是終窮究
竟極説内乎 其上止観一引
己心中章安 所行法門良有以也 由
言 章安大師所説玄義攵句序 无
己心中言知 料攵也 其上
最後料云 請尋讀者心无異縁

=[艹/寺]
=[一/(日+ト)]
=[言+(ム-丶)/一/儿]
=異体字
=[艹/間]

16の終わり、「…未だ一念三千とは云はず。天台所説の章疏の中…」の続き。
いよいよ、出所が明らかにされると思いきや、「一念三千名目は無し。書に入れず。未だ一念三千と云わず」と、『観心本尊抄』の冒頭の如く、なかなか結論に至らない。
だが、17表4行「故に止観に至りて正しく観法を明かす」と出所が明らかにされる。すなわち「終窮究竟極説」という。
そして、「汝が云う如く玄文止観は終窮究竟の極説と云う可けんや」と問を立て、玄文不入を明確にする。
玄文の序に「説己心中所行法門」の言なし。最後料簡して、「請い尋ね読まむに、心異縁無し」という。

文の運びといい、論説といい、胸躍る。

  
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2016年07月27日

日蓮墨筆を読む(625)双紙要文16


16裏|16表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻164頁から転載


冊子1冊43丁
28.0cm×22.0cm
文永6年
千葉県法華経寺蔵(重要文化財)

〔16表〕
千二千豈非一念三千名目乎
答曰 如自答申玄攵非云
无一千二千云无三千名目具
彑妙樂籤疏
問曰 決以五料攵玄義
攵句無一念三千名目少无共
謂欤 玄義攵句

〔16裏〕
題目不嫌之知成有攵句玄義
如何 答曰 書攵一念三千文料
了次對止観天台所説一期舉
章疏論一念三千名目有无時
覺意三昧観心食法及誦經
法小止観諸止観攵云並未
云一念三千具足天所説章疏中

=[大/十]
=[扌*(於-方)]
=[艹/寺]
=[米*尺]
=[艹/間]
=[一/(日+ト)]
=[方*ム]
=[艹/(第-竹)]
=[言+(ム-丶)/一/儿]

玄文に一念三千の名目有無の問答。
「一念三千の文を料簡し了り、次に止觀に對して天台所説の一期の章疏を舉げて一念三千の名目の有無を論ずる時、覺意三昧・觀心食法及び誦經法・小止觀等の諸の止觀の文に未だ一念三千とは云はず。
 天台所説の章疏の中…」と結論を前に当丁が終わる。結論は次丁か。

  
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2016年07月25日

教学メモ42-2:日蓮「勧請」の用例から門下の意味拡張の変移について(2)

一乗在家師が、先の“勧請”に関する管見に対して、コメントを下さった。

「「勧請」の現代的用例の源泉を遡ると、文永5年日興の「実相寺衆徒愁状」に『上一人より下万民に至りて崇敬帰依の間、上人いよいよ力を得るに依って、八所権現を勧請し奉りて鎮守となし、一切経論を書写し奉りて経蔵を立つ。』とあり、富士門流においては、日興の愛弟子の一人日順の「摧邪立正抄」に『汝等、弥陀を勧請し、応に観音を礼すべきか、いかん。』などと踏襲されていったものと思われます。」

文永5年、つまり、日蓮聖人在世に既にこうした用例があることは、日蓮聖人も同様の思弁があった可能性がある。
「八所権現を勧請」とは、分社(分神)をここでは“勧請”といっていると窺える。
では『摧邪立正抄』の用例は、どうであろうか。
阿弥陀仏の勧請は、具体的にどのようなことか、明らかではないが、仏像安置を窺わせる。  続きを読む
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教学メモ42:日蓮「勧請」の用例から門下の意味拡張の変移について

ここのところ、川崎弘志師の漫荼羅本尊論攷を読んできたが、玉稿中、頻出する“勧請”という用句につき、やや思うところを雑記しておきたい。

わたしは40年間、大石寺圏にあったが、“勧請”に係る用例は、ほとんど出会わなかった。
しかし、川崎師は、たとえば「諸尊勧請」(『熱原三烈士に授与された御本尊に関する一考察』という。漫荼羅本尊に諸尊を書くことを“勧請”という用法である。たぶん、日蓮門下一般の用例を踏襲したものと思われる。

日蓮聖人の御書を調べてみると“勧請”の用例は『守護国家論』の「涅槃経説華厳経時云既成道已梵天勧請唯願如来当為衆生広開甘露門」のみである。『大般涅槃經』に載る華厳時の梵天の勧請を示す箇所の引用である。
ここで言う“勧請”の意味は『摩訶止觀』に「勸請者名爲祈求」というように、梵天が釈迦牟尼仏に、衆生に甘露の門を開いてくれるように求めたことをいう。これが、つまり、日蓮聖人の用例である。紙面に書くこととは、かなり隔たりがある。

けれども、御書の中でも『授職潅頂口伝鈔』『大黒送状』『大黒天神供養相承事』『此経難持十三箇秘訣』といった、如何にも日蓮聖人以後の成立と思しき書には、諸尊の名を口に唱えることを“勧請”としている。

『授職潅頂口伝鈔』「結要付属無作戒体即身成仏授職潅頂次第作法  奉勧請五百塵点劫霊山浄土之釈迦牟尼如来 奉勧請五百由句宝浄世界之多宝如来 奉勧請五百塵点本地地涌之上行菩薩已上執受戒師 奉勧請本化迹化等諸大菩薩 奉勧請身子目連等諸賢聖衆 奉勧請日月五星諸天善神 奉勧請日本国中諸大明神 巳上本体勧請 奉勧請十方分身諸釈迦牟尼仏 奉勧請十方常住一切三宝衆僧 奉勧請自界他方無辺法界衆生利益仏神薩[土*垂]衆僧 奉勧請内海外海龍神王等 奉勧請閻魔法皇五道冥官神祇冥道等已上総勧請」

『大黒送状』「如別注毎年供養勧請勢志免給江少毛懈怠志給事那賀礼」
(引用の昭和定本は、たぶん、原文が変体仮名で書かれたいたであろうところを漢字で書かれてある。理解できない人がいるかも知れないので訓読しておく。
「別に注す如く毎年供養勧請せしめ給へ少も懈怠し給事なかれ」)
『大黒天神供養相承事』「大黒天神供養相承事」
『此経難持十三箇秘訣』「一諸仏勧請若暫○亦然三句文也。二諸天勧請。三諸神勧請」
『読誦法華用心鈔』「在在未説皆為勧請」

ところで、こうした勧請文を読誦する所は、漫荼羅、もしくは仏像類が置かれている。では、その奉安を“勧請”とするのだろうか。
原則的にはしない。しないからこそ、文を読誦し“勧請”するのだろう。

例外は、大石寺圏である。漫荼羅本尊自体を直ちに(諸尊を孕む)仏とする。ひいては器物信仰に発展する要因はここにあったと思う。
漫荼羅に諸尊を書くことを“勧請”というのも、こうした器物崇拝に近接しないだろうか。

日蓮は漫荼羅を書くことを“書”もしくは“図”といった。
では、個別の諸尊名となると“勧請”という意識はあったのか。
わたしは、なかったと思う。

根拠の一つは、上述したとおり、梵天勧請以上の用例がないこと。もう一つは『観心本尊抄』である。

十法界の一々に、さらに十法界在りとする天台釈を挙げ、「己心」の、とことわる。題名の文字どおり、己心の十法界を“観”るという。
仏像については“出現”という。

こうした文脈を見る限り、日蓮聖人には“諸尊勧請”を、書す、もしくは図すという意識はなかった。己心に在るを観るのならば、勧請は不要である。
漫荼羅本尊に諸尊が記されるのは、勧請でもなければ、勧請をするためでもない。

よって、漫荼羅本尊に諸尊を記すことを“勧請”というのは、日蓮聖人の意図とは関係のない滅後の、門下の思想展開であったと思えるのである。

もっとも川崎師は、門下の通例に従って、書す・もしくは図すことを“勧請”と記されたのに過ぎないと拝察している。

- 2 につづく -  
Posted by saikakudoppo at 12:10Comments(3)TrackBack(0)教学メモ

2016年07月23日

川崎弘志『熱原三烈士に授与された御本尊に関する一考察』を読む

81日興本尊先に拝読した『宗祖御本尊と初期日興上人御本尊の比較研究』が2001年10月27日であったが、当論攷は「2012年11月26日」とある。ほぼ11年後ということになる。

前書から「宗祖御本尊150幅…ほとんど同型の御本尊がない」(P3)と抜き書きしたのだが、“ほとんど”以外につき、本書では記述がある。

第八四番本尊第八五番本尊と富久成寺蔵御本尊の三幅が諸尊の配座が全く同じである」(P6)

この点については、重ねて考えを改めさせていただけた。

さて、この「第八五番本尊と富久成寺蔵御本尊の二幅が熱原三烈士に授与された御本尊である可能性がある。第八七番本尊も可能性があるが上記二幅よりは低い。いずれにせよ仮説の域をでない」と結論する。

前後するが、冒頭に論攷の前提を記し、始めている。

「「弟子分帳」の「在家人弟子分」の箇所に熱原三烈士に関する記載がある。これにより熱原三烈士に日蓮聖人の漫荼羅御本尊が授与されたと判断できる。高木豊も「神四郎ら三名はかの<熱原法難>における殉難者であり、日興はそのことをかれらの名のもとに記しているのであって、本尊授与のあったことは確実であろう」

しかし、この前提は合っているのだろうか。
大石寺日寛は『撰時抄愚記』に以下のように記す。

「日興上人、彼の菩提を弔う中に御本尊書写し給う、その端書きに云く「駿河国富士下方熱原郷の住人、神四郎、法華宗と号して平左衛門尉が為に頸を刎ねらるる三人の内なり。平左衛門入道、法華宗の頸を切るの後十四年を経て、謀叛を企つる間、誅せられ、其の子孫、跡形も無く滅亡し畢んぬ。徳治三年戊申卯月八日、日興在判」云云」

『富士年表』を捲ると、「徳治3」は改元で「延慶1」の項に「4.8 日興本尊を書写し熱原神四郎を追善」とある。

これは富要8巻『日興上人御筆の漫荼羅の分』脇書の

「徳治三年卯月八日、駿河の国富士の下方熱原の住人神四郎、法華衆と号し平の左衛門の為に頸を切らるゝ三人の内なり、左衛門入道法華衆の頸を切るの後、十四年を経て謀叛を謀り誅せられ畢ぬ、其子孫跡形無く滅亡し畢ぬ」

を指す。北山本門寺蔵の日興上人本尊である。

『日興上人御本尊集』に81として載る。
「脇書にはその感慨を述べられている。『弟子分本尊目録』(全集127頁)にも同じ主旨の記述がある」(P136)

「駿河國富士下方熱原郷住人神四郎郷法華講衆為平左衛門尉被切頸三人内也、左衛門入道切法華講衆頸之後経十四年企謀叛間被誅畢、其子孫無跡形滅亡畢」(P137)

以上、日興上人の熱原法華講衆三人に係る事跡である。

川崎師が論攷するように、果たしてそれ以前、日蓮聖人はこの三人のために本尊を図示されていたか否か。どうであろうか。

(写真は、日興上人御誕生七百五十年記念出版『日興上人御本尊集』(興風談所)P137から転載)  続きを読む
Posted by saikakudoppo at 08:43Comments(1)TrackBack(0)彰往考来師

2016年07月22日

日蓮墨筆を読む(625)双紙要文15


15裏|15表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻163-164頁から転載


冊子1冊43丁
28.0cm×22.0cm
文永6年
千葉県法華経寺蔵(重要文化財)

〔15表〕
今私勘之 妙樂大師如料簡者
天台智者大師 法三十年自广訶
止観外玄義文句章疏一念
三千名目无之御年五十七始
渓州玉泉寺對章安大師説之
料簡也
玄義天台妙名不可思

〔13裏〕
議法謂十界十如権實之法
妙樂此攵云畧舉界如具
摂三千 攵句天台観十二入
一入具十法界一界又十界十界各
十如是即是一千一入既一千十二入即
是万二千法門也既一千一
玄義二三云千如是 既云一

=[方*ム]
=[艹/寺]
=[扌*(於-方)]
=異体字
=異体字
=[米*尺]
=[様-木]

今回から、試験的に異体字の表記を変えてみた。翻刻文中は、青字で表記し、後ろにまとめた。
従来と、どちらのほうが見易いか。悩む。
なお“=異体字”としているのは、字画が落着しない文字とJIS外表記が困難な文字である。

さて、本丁中、「天台」が一様に肩に小さく書かれているのは、何故か。
この点は、どうも理由が分からない。
しかしながら、いよいよ一念三千出所の核心に迫る。ともかく、読み進めよう。

  
Posted by saikakudoppo at 08:37Comments(0)TrackBack(0)日蓮墨筆を読む

2016年07月21日

教学メモ41:犀角独歩翻刻『観心本尊抄』第2版、異体字挿入版

本尊抄翻刻文先に『観心本尊抄』翻刻をアップしたが、異体字を活用し、第2版を作成した。

今回は『本尊抄』を拝読し、御筆の特徴から38字の異体字を活用し、全文を組み直した。
筆文字原本と、より対校がしやすくなったと自負している。

しかし、瑕疵、不備が残ると懼れる。
諸賢のご批正を仰げれば、幸甚である。

『如来滅後五五百歳観心本尊抄』 犀角独歩翻刻2版(異体字活用版)  
Posted by saikakudoppo at 13:14Comments(0)TrackBack(0)教学メモ

2016年07月19日

川崎弘志『宗祖御本尊と初期日興上人御本尊の比較研究』を読む

宗祖御本尊と初期日興上人御本尊の比較冒頭に「まとめ 2001年10月27日」とあるから、15年前の論攷であることが知られる。

“宗祖”とは日蓮聖人のことであり、“初期日興上人御本尊”とするのは「後期では独自の御本尊配座を確立」(P1)したから、それ以前の比較研究である。
昨日、読んだ論文と同様、統計学に基づく独自偏差値によって、日興上人本尊の書写原本を特定している。たいへんに参考になった。
内容については、わたしの読書私見ではなく、ぜひ本文を読んでいただくとして、ここでは拝読して、いくつか思ったことを書き留める。

・「宗祖御本尊150幅…ほとんど同型の御本尊がない」(P3)

『日蓮聖人真蹟集成』所載の漫荼羅図は、永年眺めてきたが、改めて、この件を読み、定型なきことに了解した。

・「日興上人はお習字の手本のように基本となる御本尊を見ながら書写されたものではない」(P4)

日蓮聖人の筆を“図示”、弟子以下は“書写”とするのが、通例である。
しかし、“書写”と言うことにやや疑問が生じた。これは本論攷に係る疑問ではなく、言い慣らされている門下の、書写と言う“用法”に関する疑義である。

多分、日興上人に限らず、原本手本を見ず、書くことは修養の深い僧侶ほどそうなのだろうと思える。しかし、手本を見ず、書くことを、“書写”と言えるかどうか。そもそも書写とは、手本を見ながら写すからこそ“書写”といえるのではないか。
たとえば、写経という行があるが、手本とするお経を見ず、覚えている経文を書くのであれば、写経とは言わないのと同様である。

大石寺の歴代住職の本尊が戒壇本尊と違うのは内証を書写しているからだそうだ。そうなると戒壇本尊も内証から見ると歴代住職が書いた諸尊座配となる。なんとも本末転倒の説明である。

当論攷に拠れば、勧請尊が中央首題を挟み、左右入れ替わる例が散見できるが、手本を見ずに記憶のみで書けば、そうしたことは起きえる。
この点は、尊名の上の“大”、また、下の“等”も、記憶違いで相違が出ることはないか。

また、本来“日蓮花押”とある首題下に自署花押を記したり、たとえば西山本門寺型のように、日蓮左右に日興・日代するのはもはや、日蓮の形式とは相違していると言えないか。

私見ながら、漫荼羅の座配は、示そうとする法華会座によって異なるだろうし、用途目的によっても異なる。よって、手本通りの書写本尊とは、まさに手本原本の、文字どおり写しであって、意味が異なる。

たしかに日蓮漫荼羅という形式の影響を受けて、門下が同じように漫荼羅を書いたことは事実であるが、影響はさらに、用途・目的によって如何なる諸尊を選定するか、四大天玉の有無を決めるかといった点にも及んでいる。

日蓮聖人の漫荼羅図示創案を発展させ、門下も葬儀に関わるようになると閻魔法皇・五道冥官が勧請されるようにもなった。これを敷衍、発展と見るか、逸脱と見るか、それは信仰圏の相違であるが、自分の信仰観から他を批判するのはナンセンスと思う。

本来、勧請とは、諸尊の御名を呼び、法座に列なっていただくよう勧め請うことである。では一体、どなたに列座していただくか、それを具体的に書いてあるのが漫荼羅である。漫荼羅に諸尊を書くことが勧請なのではなく、漫荼羅に書かれた諸尊を、読み上げ列座を願うことが勧請であろう。

大石寺とその影響下の創価学会では、漫荼羅本尊を拝むのに、中央首題の“妙”字ばかりを凝視することを正しい在り方とする。書かれていることが既に勧請であるというステップから、さらに諸尊を相対化し、生命“オチ”へとステップしている。
ならば、もはや漫荼羅は不要と思えるが、彫刻板ばかりを絶対視して、自宗漫荼羅ばかりを絶対視する。
七百年前を生きた日蓮聖人も、日興上人も、書いた諸尊を生命の表現とは思っていなかったはずである。

・「正安二年の御本尊盗難事件はその前後で形式の大きな変動がないことから事件そのものが変化点になっておらず日興上人の御本尊書写には影響がないことも分かった」(P4)
・「(安54)…授与者が削損…堀日亨上人…「…富士に反感を持つためにか、わざと興師の添え書きを抹殺…」…日興上人の添書である可能性が高い」(P4)
・「(安92)…松本日敏著『冨士日興門下教団分裂史』…自分の本山の重宝を自分の意思で持ち出せる地位の高い貫主級の人から、八品門流の祖日流聖人に渡されたものであると思う」(P5)

正安2年盗難事件の実否は如何なるものなのか。保田に関わる識者から、盗難を真っ向から否定されたことがあった。
もし盗難がなかったとすれば、正安2年前後で変化がないのは当然のこととなる。

また、あったとすれば、盗んだ本尊から日興上人の添書は削り取って証拠隠滅を謀るだろうし、日敏師が言うように貫主級から贈呈でなくても、他に流出もするだろう。

さて、正安2年盗難事件は実否は如何。
こうした論攷は川崎師の得意とするところである。期待したい。  
Posted by saikakudoppo at 15:00Comments(1)TrackBack(0)鑑賞読書

2016年07月18日

彰往考来『富木常忍に授与された御本尊について』を読む

富木常忍に授与された御本尊について久方に彰往考来師の御論攷を読んだ。
冒頭に「本論文は平成12 年10 月28 日に立正大学において開催された第53 回日蓮宗教学研究発表大会での筆者発表内容を加筆修正した」とあり、同論文の日付は「2006.5.28」となっている。

「門下によって書写された本尊は日蓮から授与された本尊が大きく影響していることは間違いない」というスタンスから、富木常忍本尊が、いったい、いつの日蓮聖人本尊を原本にしたか、師独自の偏差値算出から、特定に迫る。たしかに日蓮門下では“書写”というぐらいであるから、原本があるというのは正しいのだろう。論攷は精緻であった。

敢えて脱線する。

大石寺のように、「奉書写之」の“之”は戒壇本尊であると言いながら、違っていながら、「内証を写す」などといった説明をするところもあるので、“書写”といった用句の持つ意味の幅は広い。

また、本尊論攷について、特に大石寺に関連した人々は、漫荼羅図の掲載や、図に筆を入れる編集を毛嫌いする傾向にある。もっといえば、漫荼羅論攷事態をタブー視して顧みない。
興風談所など、大石寺の、日蓮聖人作と謀る奉安堂の戒壇本尊、日興上人作と謀る六壷の大石寺持仏堂本尊が、わたしの指摘を待つまでもなく、豊潤な古文書読みの知識と見識眼から知っているだろうに、明後日の方向を向いてとぼけている。また、創価学会も創価大学、東洋哲学研究所を擁しながら、同じ体たらくである。

そうした中にあって、漫荼羅研究に勤しむ彰往考来には頭が下がる。しかし、上述の悪しき因習に拒まれ、漫荼羅研究玉稿掲載の場所を得ていないようにお見受けする。これは誠に勿体ないことである。

それはともかく、書写原本の特定に係る論攷は、他にもある。
引き続き、拝読してみようと思う。  
Posted by saikakudoppo at 17:49Comments(1)TrackBack(0)彰往考来師

2016年07月17日

教学メモ40:本尊抄「現小身大身」について(2)

- 38 からつづく -

前回は『観心本尊抄』の「涅槃經或見丈六 或現小身大身 或見盧舍那 或見身同虚空」につき、やや触れた。その後、独歩の会参加者のお一人が、関連する資料をご送付くださり、実に参考になった。

その資料の一つ、茂田井教亨『本尊抄講讃』中巻に、該当の文書につき「『玄義』では『像法決疑経』を大師はお引きになっている」(P391)とあった。

早速、同経を当たると確かであった。
『玄義』『本尊抄』と比較すると以下のとおりだった。

経:或見如來丈六之身或見小身或見大身或見報身坐蓮華藏世界
玄:或見__丈六身_或見小身__大身或見報身坐蓮華藏世界
観:或見__丈六__或現小身__大身或見盧舎那

では『本尊抄』はとなると、文字として正確に一致するのは「或見丈六」までだ。
日蓮聖人は、文を引用される時、「○○云」と必ず、ことわるがそうはなさっていない。つまり、咀嚼されて、その意を自身のお言葉で綴られたのだろうと思った。
茂田井師は「御真蹟には「現」とありますが、『玄義』の方は「見」です。見るというのはこちら側です。現れるといえば釈尊の側に立っての言葉になります」(P391)という。
ここに『玄義』を敷衍し、発展させる日蓮聖人の意思を感じた。  続きを読む
Posted by saikakudoppo at 16:19Comments(0)TrackBack(0)教学メモ