2016年09月25日

宗教問題読者の集い◎報告会「親鸞会をどう取材したか」を聴く

先に読後感を書いた『宗教問題』15号所載の快挙、高森顕徹取材の顛末を報告する「本誌(宗教問題)は親鸞会をどう取材したか」に参加。
小川寛大氏・古川琢也氏の報告を聴いた。
2時間足らずの会合であったが、お二人の弁舌は冴え、たいへんに勉強になった。

『宗教問題』編集部は、親鸞会を、重視してきたわけではないが、映画制作、会員の選挙出馬、伝統寺院の帰属と立て続けに“動き”があったことから、取材を申し込んだところ、図らずも高森顕徹のインタビューを取れたという。

親鸞会は、わたしにとってはよく知る団体である。ところが公称会員数は30万人、実数は1万人程度とのことで、顕正会など議論ある団体に比すべくもなく小さい。統一協会とも比較にならない。まして、創価学会、立正佼成会などからすれば、ないに等しい規模と言える。もちろん人数の多寡と被害は比例しないが、ここ数年、親鸞会の取り上げられ方に偏向したプロパガンダがあったと思えた。こうした背景には、自己顕示欲の強い特定個人はつきものなのだろう。同誌の親鸞会特集に対する、同会内外の悲喜交々とした反応に滑稽さを覚えた。

報告会からは離れるが『宗教問題』15号には、佐高信氏、鈴木邦男氏、富岡幸一郎氏が載る。
また、長野善光寺貫主のセクハラ問題、PL教団の野球部廃部顛末、オウム残党組織の施設入手、世界救世教教義などに迫る。宗教問題を知る秀逸な一書である。  
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2016年09月23日

『授決円多羅義集唐決(上)』(原文対訳・異体字版)初稿出来

円多羅義集 ゲラ見本s2012年に『授決円多羅義集唐決(上)』を半年かかって翻刻した。その後、『日蓮聖人真蹟集成』を読み進めることに躍起となっていたのだが、ここのところに来て、北川前肇師偏・原文対訳『立正安国論』を拝読し、大いに感激するところがあった。

感化を受けて、先に『観心本尊抄』を異体字をもって翻刻した。まだ、不完全だが、今後、完成を期そうと思う。

引き続き、2年前に、翻刻をした『本迹体一抄』異体字版・当用常用漢字両版も見直した。
さらに引き続き、原文対訳『授決円多羅義集唐決(上)』を異体字をもって、全文翻刻し直し、ようやくと初稿が出来上がった。同集日蓮(是聖房)本は最古の写本であると共に、対象録にも載らず初の翻刻であるはずてある。刊行が待ち遠しい。

  
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2016年09月21日

『宗教問題』14:坊主派遣ビジネスの可否を問う

宗教問題14先に『宗教問題』15号の読後感を書いたが、1号戻り、14号「追跡“僧侶派遣ビジネス”の特集号。
わたし個人の感覚として派遣“ビジネス”でやってくる手合いを、ご丁寧に“僧侶”と呼ぶ気はない。“坊主”ももったいないが、ほかに書きようがないから、仮にこう書いた。
葬儀と言えば、お坊さんに読経。そこには本来、寺という重要な拠点があった。
葬儀は僧侶に頼むものではない。宗教法人である寺に頼んできたのだ。
その寺の存在が喪失し、営利企業が取って代わる。これはもはや宗教ではないし、宗教行為でもない。喪主の自己満足を満たす代替を提供するビジネスである。

宗教法人が行うことでないのに、宗教行為と見なせるかどうか。
ビジネス化するのは勝手だし、ニーズがあればビジネスとして成り立つのだろう。
合法性があるのなら、ケチの付けようはない。

「インターネットは葬儀を含むすべて透明化する」「葬儀の定価をつくった」といったタイトルが踊る。やるのは勝手だが、ビジネスならば、まず税金はどうなっているのか。
布施であれば、非課税だが、営利企業であれば、当然、課税の対象となるのだろうか。
要は非課税の布施を代価として課税対象にする歴史の転換と、わたしは見る。

しかし、こんなところで日銭稼ぐ手合いが宗教者に懐く尊敬心は毛筋ほどもない。
一方、こうまでして坊主を呼んで、読経をしなければならないと思うのは、もはや強迫観念に近いのではないか。いっそのこと、葬儀不要、家族葬のほうがすっきりしている。

「僧侶派遣」と聞いて、実は、たぶん、普通の人は思い付かないことを考えていた。四半世紀以前の“日蓮正宗創価学会”のことである。

創価学会員の大半は、寺といえば大石寺にしか行かなかった。しかし、葬儀となると、地域組織を挙げて手伝いをし、“僧侶”の手配までしてくれた。地域に割り振られた大石寺末寺の坊さんがやって来て、葬儀をする。役職がない平会員であれば、学生のまだ見習い小僧…蔑称ではなく、非教師の意味…がやってきて、済ませていた。あのインスタントなやり方は派遣ビジネスの走りと映じる。
しかし、それでも当時の創価学会員には僧侶に対して敬意を払うメンタリティがあった。寺に対する敬意でもあり、ひいては大石寺という大本に対する敬意から生じたものだった。

やがて、創価学会は破門、彼らに言わせれば独立だそうだが、在家会員が葬儀を行うようになる。僧侶への尊敬は消えた。必要性も消えた。当然、寺は不要となり、一切は会員の執行となった。

坊主派遣ビジネスも、いまは袈裟衣が必須アイテムなのだろうが、やがて、装束に拘らないスーツで執行する形も登場するのではないか。

寺の経営が行き詰まり、派遣ビジネスに登録して出稼ぎに行く、窮余の足掻きと言うことなのだろうが、やがて、寺のみならず、葬儀執行という役も、ビジネスマンに取って代わられる近未来が見える。

泡沫のサービス料(出張費・読経料)に目が眩み、やがて御役後免になっていく有様は、“学会僧”と呼ばれる創価学会に付いた元僧侶の顛末がそのモデルである。


“坊主”について、苦言を記したが、宗教法人寺院を護る僧侶の尊厳を傷つける意図はない。
また、『宗教問題』誌の秀でた特集の価値を損ねるものでもない。
一読し、再考するに値することは言うまでもない。
  
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2016年09月18日

9月度:独歩の会を開催

はじめに『種々御振舞御書』真偽を講義いただく。
精緻な内容であった。
殊に過去700年間に現れた龍口法難紹介の諸資料を網羅し、それら信憑性を問う。
山川智應、浅井要麟の、先行研究における疑義論批判の検証。
『御伝土代』の龍口法難記述の信頼性の割り出し。
『種々御振舞御書』は、新旧2書が存在した可能性を指摘し、記述内容について、後加文はあるものの、『御伝土代』龍口法難記述の原本となった真蹟があったと結論された。

菅田正昭先生からは天皇と神社と同格・上下の関係について説明をいただけた。

わたしからは、小川寛大師『宗教問題15号記載の親鸞会・高森顕徹インタビューの紹介。併せて『SAPIO』'16年9月に載る『公明党vs創価学会婦人部』の記事を紹介し、実際の“現場”を知るご参加の現役創価学会会員から感想を訊いた。

原文対訳『観心本尊抄』頒布。
続いて『本迹体一抄』7丁から9丁。
「熟益の導師は広修行・略修行も本化とは異なる…本因本果と修行…略時修行は方便・安楽・寿量・普門、略修行は方便・法師・寿量・普門」「当家には略行、方便・寿量・神力品」という点を中心に話す。

閉会後、菅田先生から日蓮有縁の史跡の案内をいただく。

二次会では菊水護国顧問と日蓮門下における天皇観に就き活発な議論を交わす。
また「嫌がらせ訴訟」などの法的対処につき、具体策を訊いた。

ご参加の各位には、感謝申し上げるものである。  
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2016年09月15日

『宗教問題』15:快挙! 小川寛大師の親鸞会・高森顕徹インタビュー

宗教問題15お世話になっている小川寛大師からお電話を頂戴。「高森顕徹さんの取材をしたんです」
ここ20年、所謂、宗教問題の現場にいる自分にとって、度肝を抜かれる切り出しだった。
「『宗教問題』を送りますから、読んでください」ということで貴誌を頂戴。早速、拝読した。

わたし個人としては、少なからず、親鸞会の被害を訴える脱会者、また家族とも多く接してきた経験がある。
だから、高森氏に取材を申し込むという発想自体がなかった。

常々思ってきたことであるが、小川師の、宗教問題を扱う手法と論調は“新しい”。

「特集 親鸞会とは何か
 ルポ・親鸞会本部探訪記
 ― その教団の立脚点は伝統教団の“怠慢”にあった」

このキャプションを読み、思わず、「言い切ったな!」と独り言が口をついて出た。
「全国から集まる会員」「熱心な聴聞の風景」「真宗を乱す本願寺」「ネット情報は誹謗中傷」という文中の小見出しは、小川師の言葉ではなく、高森氏側の主張をとりまとめたものであろう。

内容をいくつか拾ってみよう。

「そもそも親鸞聖人は生前、葬儀などまったくされていません」(P18)
「親鸞会学徒が亡くなった際は、本会として葬儀を行う…単なる儀礼ではありません…法話を必ずします…伝統教団の葬儀と違う」(P19)

こう読むと、浄土真宗では葬儀法話はないように思えるが、さて、どうであろう。
また、法話をしないのは経力に一切を任せる故と言った説明も聞いたことがあった。

「安倍政権というのは右翼的で恐ろしい」(P21)
「政治家の靖国神社参拝…反対」(同)

この点は賛同。

「(親鸞会側の発言)ネット上に「浄土真宗親鸞会被害家族の会」というサイトがあるのですが、この会の住所とされるところに手紙を送ったら、宛先不明で帰ってきました。この会の弁護士という人に連絡を取り、「どんな会なんですか」と聞いても何の返事もない。実体が極めて不明確」(P21)

なんだか、聞き覚えのある名前であり、弁護士とは誰なのか知らないが、誌上に、こう言及された以上、反論するべきであろう。いま、検索してみたところ、HPは真っ白で何も表示されなかった。

小川師の総括。
「すべての取材の中で通底して感じたのは、“葬式仏教と堕した伝統仏教教団”への痛烈な指弾であった。事実、A氏が親鸞会に入った直接の理由は、「祖父が亡くなったとき葬儀に来た僧侶が、一言の法話もせず帰っていった」ことへの疑問だったという。また筆者の応接をしてくれた女性職員は「実家は寺なんですがお葬式ばっかり。本当の宗教って何?と疑問を感じて親鸞会に」と話した。親鸞会の性格どうこうはさておき、これらは間違いなく、現在の伝統仏教界に根深く存在する“問題点”である。
 そう考えれば親鸞会とは、決して“突然変異的に現れたカルト”などではなく、いろいろな意味において“伝統教団が生み出した存在”であるのだ。親鸞会をどう評価しようと、そこだけは押さえなければなるまいと思った
」(P71)

いちおう、ことわれば、小川師は親鸞会礼讃者でもなければ、単なる伝統教団批判者でもない。
それにしても、高森顕徹氏に直接インタビューしたことは快挙と言うほかない。

本号には、脱会者執筆の記事も載る。読むこととしたい。  
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2016年09月13日

稲田海素対照『祖書録内』所載『観心本尊抄』を読む

祖書録内過日、原文対訳『観心本尊抄』異体字を増補し、再版したところ、先輩から稲田海素師が対照された『祖書録内』の『観心本尊鈔』頭註の一読を薦められた。
学恩を仰ぎ、他事を措て置き早速拝読することとした。

『録内』刊本は、字は旧字体統一表記。行取が原文通りになっていないため、対校に苦慮する。

対校すると、以下、『対照録』の脚註にはなかった。

5裏16行
「逾 真蹟は喩と作す。今は称本に従う」(P323)
 動喩塵劫→動逾塵劫
6表9行
「見小身の見を現と作す」
 見小身大身→現小身大身
同12行
「談を疑と作す」(P324)
 以本門疑之→以本門談之
9裏5行
「聚 真蹟は珠と作す。今は称本に従う」(P330)
 無上宝珠不求自得→無上宝聚不求自得10表18行
「時 真蹟は師と作す」(P331)
 本師娑婆上→本時娑婆上
10裏3行
「四は五と作す。今は称本に従う」(P331)
 在世五十余年→在世四十余年
11表13行
「為 真蹟は於と作す」(P323)
 於縁→為縁
12表7行
「等妙の下に為脱の二字無し」(P324)
 令登等妙→令登等妙為脱
14表3行
「威仏の間に真蹟は徳浄王の三字無し」(P338)
 宝威仏弟子→宝威徳浄王弟子
15裏2行
「黙は哩と作す」(P340)
 哩止→黙止
(『対照録』では哩に[口*黒]と傍書。黙の異体字。字の象からすれば、腑に落ちる)
16表13行
「由 真蹟は因と作す…称本に従う」(P341)
 因謗堕悪必因得益→因謗堕悪必由得益
16裏2行
「足は(録内は)束と作す。今は称本に従う」(P341)
約足→約束
17裏6行
「成 真蹟は文と作す。今は称本に従う」(P342)
 文王→成王  
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2016年09月04日

訃報 柳澤宏道上人 円寂

有志の方から、柳澤宏道上人の訃報の一報を拝受。

ご生前、師からは数々のご厚情を賜ったことを深く感謝申し上げ、ご冥福をお祈り申し上げるものである。

合掌  
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2016年09月02日

教学メモ46:原文対訳『観心本尊抄』異体字2版をアップ

本尊抄 1表1


ここ2週間、8月の後半期、北川前肇師の原文対訳『立正安国論』を常に傍らに置いた。

先に『観心本尊抄』の原文対訳略異体字夲を刊行し、廃版にしたことを書いたのは8月27日だった。40字程の異体字を用い、原文と対照し、行取・改行どおりに活字化した。
その直後に出会った北川師の研究に目を皿にした。

この『立正安国論』では、当用・常用漢字換算491字の異体字『一覧』
『観心本尊抄』で対校すると、そのうち、217字が使用されていた。(数取りには異論があるかもしれないが)しかし、北川本に載らない字も活用されている。併せて235字を用い、『観心本尊抄』翻刻を改版した。
しかし、まだ不足がある。随時、改訂していく所存である。

本書は、原文も載せているが、ネットでは、翻刻文のみ、PDF化し、アップした。

原文対訳『観心本尊抄』異体字2版
  
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2016年08月28日

教学メモ45:北川前肇編 原文対訳『立正安国論』の異体字から思うこと

北川前肇師の原文対訳『立正安国論』に挙がる異体字は、当用・常用漢字 491 字に、 609の異体字となっている。この数の差は、当用常用漢字1文字に複数の異体字があることによる。

いわば、近現代の当用・常用漢字制度によって、消え去られた漢字文化である。
表記統一は、編集の基本で、異体字を使うことは、現代では原則、NGである。
たとえば「無間」「无間」が同一文書内にあれば、前者に統一され、“无”は現代表記から死んでいった。こうした例は枚挙に暇がない。

その他、例えば「侵略」は「侵掠」であるが、熟語が当用・常用漢字の借字によって書き換えられてきた例も枚挙に暇がない。
「侵掠」の、“侵”は「他の領土に入り込む。他の主権を害す」意味で、“掠”は「他人の物をうばい取る。かすめとる」の意味だから、使用されている2文字を見れば、意味が理解できる。
しかし、「侵略」では、“略”が「おおかた。およそ。だいたい」の意味だから、「おおかた、他を領土・主権を害す」といった、元の意味から逸脱した意味しか採れない錯乱に陥っている。

かつて、印刷は、1文字1文字“鉛”を拾い、版を組んだから、文字数が少ないほうが効率的だったのだろう。また概して画数の多い異体字、また“旧字”は淘汰せざるを得なかった事情も窺える。
しかし、こうした、いわば漢字使用の新文化圏にいると700年前の、日蓮聖人の文字の使用は何も見えてこない。
北川師の原文対訳を見ると、複数の異体字が使用されている、『立正安国論』の本来の姿が浮かび上がる。

わたしが興味が惹かれたのは、3文字以上の異体字の使用。
以下のとおり。(()内が異体字数)

国(3)所(4)数(3)賤(4)多(3)對(3)擇(3)爾(3)鼻(4)微(3)復(6)来(3)慮(3)或(3)惑(3)

国については、囗に民と書く字が、殊に日蓮本仏圏教団では取り沙汰される。
(民は丶が付され、民とは、これまた別字である)
しかし、“賤”が4字で多い。これはもちろん、異体字の使い分けに限る話であるが、対象して、日蓮聖人異体字使用における一面が見える思いがする

それにしても“復”(また)が6字も使用されているのは、何故か。
いまは答を持ち合わせないが、興味深い。

また、日蓮聖人の文字は、『立正安国論』といえども、楷書体で統一されていない。崩されているところが多い。それにも拘わらず、491 字から 609 字を読み分けている原文対訳には、言語を絶する。敬意を生ぜずにはおれない。

『あとがき』によれば、校閲に近藤信義師があり、また鈴木大道師、川上大隆氏の協力があった。
さらに思いを馳せれば、それ以前に、種々、偉業を遂げた漢和辞典の編纂、門下・鈴木一成師などの研究、もっと遡れば、御真蹟をいまに伝えた700年に及ぶ厳護所蔵によって成就された。

こうした経緯を想像すれば、感慨無量、ただ低頭合掌するばかりである。  
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2016年08月27日

原文対訳『観心本尊抄』を勉強会資料として刊行したが…

本尊抄 原文対訳先に『観心本尊抄』の原文対訳異体字略本をアップした。これに、『日蓮聖人真蹟集成』2巻所載の『本尊抄』の原文を上下対照してレイアウトした原文対訳『観心本尊抄』を勉強会用の資料として刊行(非売品)

先の勉強会で披露した。
しかし、ご参加の諸兄から紹介されたのが北川前肇編『原文対訳 立正安国論』だった。さっそく、取り寄せて拝読し、永年、読み切れなかった日蓮聖人の異体字475字に就き、謎が氷解する感激を熾した。

こうなると、わずか40字足らずを異体字として表記した当本はまったく見劣りするものと痛感した。
なにもこうした自虐的なことを書くこともないが、ブログとは、公開の日記であるから、後の備忘と録しておこうと思った次第。

8月18日北川師の玉稿を拝読して以来、何度も読み直し、挙げられる異体字につき、自分なりに学習を進めている。

いま、この日記の本題である拙書の、原文対訳『観心本尊抄』は、学習の糧として作り直そうと思っている。発刊早々の廃刊となるが致し方のないことである。  
Posted by saikakudoppo at 15:09Comments(1)TrackBack(0)