2020年09月07日

教学メモ79:定遺「羅乞叉鋡」は「羅乞叉𤚥」の間違い

宮田幸一先生が、FBに『『開目抄』の「法華経の肝心真言」について(1)』と題して『開目抄』を引用されていた。
その中に「羅乞叉〓」とされていた箇所があった。
〓とされたのはJIS外文字で通常、表記が不可であるからだろう。
いまは、ネット上では表記できる文字が増えた。
そこで文字を表記し、日蓮宗『昭和定本日蓮遺文集』(以下、定遺とする)を参考に「羅乞叉鋡」かとお尋ねすると「羅乞叉𤚥」とのことだった。

今回の話は、ここからである。

あらきしゃまん図の右が定遺、左が電子聖典である。
わたしが参考にした定遺には「羅乞叉鋡」となっている。
ところが『日蓮宗電子聖典』では「羅乞叉𤚥」と違っている。
(牟偏は牛偏に見えなくもない)

SATで『開目抄』を覧ると「羅乞叉𤚥」となっている。
定遺にはルビが振られてあり「あら叉鋡しゃまん」となっている。
しかし、“鋡”の読みは「かん」で、“𤚥”は「まん」である。
よって「羅乞叉𤚥」が適宜であると考えられる。

手許にある日蓮正宗版を覧ると「羅乞叉𤚥」、創価学会版でも同様だった。

定遺ばかりが間違っているのかと思いきや『平成新集日蓮聖人遺文集』は「羅乞叉鋡」となっている。本書は真蹟遺文のみ集めた編集であり、真蹟主義者によく使用されているものだ。

『開目抄』は明治大火で焼失した曽存書であるから真蹟は参考にはできなかったろう。
これはあくまで憶測であるが、定遺を単に写してしまったのではないか。

「羅乞叉𤚥」という一語彙を追って、以上のようなことを、あれこれ思案した。  
Posted by saikakudoppo at 18:22Comments(0)教学メモ

2020年08月22日

宮田幸一先生のご厚情とご教示『佐渡国法華講衆御返事』の「はうほう」の解読について

『佐渡国法華講衆御返事』部分


先に伝日興『法華講衆御返事』の “謗法” の文字についてとし、『日興上人略伝』(大日蓮出版)に載る影本の一部翻刻を試みた。
縦63mm × 横20mm 程の小さな画像を拡大してみたものなので細部、読み取れない。

同書に載る翻刻文で「はうぼう謗法」となっている部分が見る限りでは「くしほし」としか読めなかった。
変体仮名を敢えて漢字で書けば「久之保之」という具合である。
しかし “久” と見える文字が「」であり、「」と見える文字が「」であれば「者宇保宇はうほう」となるから「謗法」に違いない。

そんなことを前回、覚書をしたところ、ご高覧下さったうえ、
宮田幸一先生が、斯界では著名な古文書学者の知人にお尋ねくださり、ご教示を下さった。
もとより私信なのでメッセージの転載は避ける。
概略すれば、『日興上人全集』(興風談所)565頁に、鮮明な影本が掲載されており、細部が良くわからず “” と見えた文字は “” であるとのことであった。
他の文字との類似から “” と思えたのも “” であるから「ほうほう謗法」であることで間違いない。
ようやくと腑に落ちた。

宮田幸一先生のご厚情とご教示に深く感謝し、御礼を申し上げる者である。
低頭  
Posted by saikakudoppo at 18:25Comments(0)覚書

2020年08月19日

伝日興『法華講衆御返事』の “謗法” の文字について

法華講衆御返事 部分ある方から、第二祖日興上人御生誕七百七十年記念『日興上人略伝』(大日蓮出版)を頂戴した。内容は措て置くが、『佐渡国法華講衆御返事』(北山本門寺蔵)の影本が載っていた。

このなかで

しやう人の
のちも、すゑでし弟子どもが、これはしやう
人のぢきの御でし弟子もうすやからおほ
これが大ほうぼう謗法にて候也 (P56)

の部分の終わり「ほうぼう謗法」と翻刻される部分が、どうも腑に落ちない

変体仮名を現代仮名に直して表記すれば、以下の如く。

しやう人の
御のちもゑのてし⬜︎かこれハしやう
人のちきの御てしと申すやからおほく
これか大くしほしにて候也

ほうぼう謗法」とされる部分は「他の文字から考えると「くしほし」としか読めない。
“く” は “” で次は “う” とすれば「はうほう」となるか。“謗” の読みは「はう」で “法” は「ほう」なのか。

しかし、「しやう人」の “う” と「ほうぼう謗法」とする “う” が同型と思えず、「てし弟子」の “し” に似る。

本書の翻刻は他書とも共通だから、疑義を挟むのは蛮勇に属するけれど、どうも腑に落ちない。
いちおう恥を忍んで備忘録に。
諸賢のご教示を希う。

  
Posted by saikakudoppo at 09:07Comments(1)覚書

2020年08月15日

角なし “鬼” の鬼子母神伝説のウソ

鬼3日蓮宗に「鬼子母神の“鬼”の字は角を書かないのは、鬼子母神が釈迦に帰依して鬼ではなくなり、角が取れたからだ」といった伝承がある。

“角” というのは鬼の字画の一番上に付く “ノ” 画のことであるが、つまり図のような字になる。
いったい、いつから言われたのか、どうもよくわからない。しかし、この伝承はウソである。
というのは古文書を覧れば、鬼の字には角はないからだ。つまり、鬼の旧字体には、そもそも角はないのだ。
図は春日本法華経の古印字の鬼である。角はない。

小池和夫『異体字の世界』の「異体字伝説」の項に、以下のようにある。
「東京・台東区に、「いり谷鬼子母やきしもじん」という寺があります。「恐れ入りやの鬼子母神」という古い洒落があり、毎年夏には「朝顔市」が開かれる名所です。寺名は「真源寺」。
 鬼子母神はインド仏教に登場し、お釈迦様によって改心してよい神様になったといわれています。門に掲げられた「入谷鬼子母神」の鬼の字…案内板の解説では「子育の善神になった由来からツノのない鬼の字を使っている」…東京では、豊島区にも「雑司ヶ谷鬼子母神」があり、こちらも「ツノのない鬼」を使います。
 唐の石経にある鬼の字にもツノがありません。実は古い字に書かれた鬼の字には、どれもツノがないのです」

鬼子母神を祀る日蓮宗寺院の僧侶は「鬼の字に角がないのはお釈迦様に帰依して善い神様になったから、鬼の象徴である角を書かない」などと名調子で講話する人も多い。複数の寺院、多くの日蓮宗僧侶から、そんな話を聞いた。
わたしはそのたびに「いや、古い鬼の字は角はないのだ」と内心で笑っているのだが、面倒なので聞き流している。

これをお読みになった日蓮宗の僧侶。さて、改めるか。はたまた、「そんなことはない!」と坊主頭に角を生やすようにお怒りになるか。想像すると愉快な気分にならなくもない。

  
Posted by saikakudoppo at 00:56Comments(0)紹介

2020年08月09日

教学メモ78:日蓮の捨閉閣抛の整理は適切か

shaheikakuhoTwitter
「浄土宗の人に言われたが「法然聖人は捨閉閣拋なんていっていませんから」」
というわたしの経験を書いたところ

宮田幸一先生が
「web版新纂浄土宗大辞典の「捨閉閣抛 」の項目に、出典と反論があります。」
とご教示くださった。

すると a.j.k さんがすぐに該当のページをご提示くださった。

「しゃへいかくほう/捨閉閣拋
日蓮が『立正安国論』において『選択集』を批判する際に用いた語。『選択集』では、極楽浄土へ往生することを欣ねがう末世の凡夫に対して専修念仏を説くのに、第二章に「雑行を捨てる」(聖典三・一〇四/昭法全三一三)、第一二章に「定散門を閉じる」(同三・一七五/同三四三)、第一六章に「聖道門を閣さしおき…諸々の雑行を拋なげうつ」(同三・一八五/同三四七)とする。これに対して日蓮は『立正安国論』において捨閉閣拋の四字を挙げて「(釈迦)一代の教えを破し、十方の衆生を迷わすものであり、また災難の起因である」(『昭和定本日蓮聖人遺文』一・二一六〜二〇/正蔵八四・二〇四下〜六中)と批判する。日蓮がこの四字を象徴的に用いて『選択集』批判を展開するのに対して、真迢しんちょう『破邪顕正記』においては「選択集の捨閉閣拋の言は、観経の文に一向専念無量寿仏といえる、一向の語と同じ」(仏全九七・二三六下)として、極楽への往生行を成就するための語であると反論する。」

せっかくの機会なので『選択本願念仏集』(以下、選択集と略す)と『立正安国論』(以下、安国論と略す)の捨・閉・閣・抛、それぞれの、両書の用例を比較検討し、としてみた。

日蓮門下は気付いていない人も多いかもしれないが『選択集』に「捨閉閣抛」といった四字熟語はない。

大雑把な検索なので、追検証を行うが、いまはざっと記す。
『選択集』で“捨”とするのは35箇所、“閉”は1箇所のみ、“閣”は2箇所、“抛”1箇所というばらつきである。
重要な点、文中、「選択者即是取捨義也」と言う如く、主眼は“捨”である。

ところが日蓮『安国論』では、法然『選択集』の主張は、捨閉閣抛の如き論調である。「捨閉閣抛」という熟語は3箇所に見られる。
また、“捨”につき6箇所、“閉”1箇所。“閣”については4箇所、“抛”7箇所の記述がある。

特に問題と思うのは“抛”で『選択集』では“抛”は「諸雑」と1箇所しかないにも拘らず、『安国論』では、雑行、付属、一代五時之妙典、諸経、衆経、仏を抛つと拡大して記述していることである。

法然は『選択集』で、“捨”に重点を置いているのにも拘らず、日蓮は「捨閉閣抛」という標語を立てる。そのために、恰も捨閉閣抛に基づいて『選択集』が書かれている如き印象を誘導している。
これではたしかに、『選択集』に馴染んだ人からすれば、「捨閉閣抛なんて説かれていない」、そう思うのも無理がない。

『選択集』の素描が、『安国論』で恣意的であるために、却って批判の効力が弱まってしまっていないか。

以上、Twitterの記述の補足としたい。  
Posted by saikakudoppo at 16:20Comments(0)教学メモ

2020年08月05日

【資料】菅野慈雲『御本尊模刻の大謗法』

資料を整理していると『大日蓮』平成5年11月号に掲載の菅野慈雲『御本尊模刻の大謗法』というテキストデータがあった。
さて、何から転載したのか、記憶は曖昧だが、内容は実に史実に則しているので、資料として、転載することとした。


御本尊模刻の大謗法
菅野慈雲
大日蓮 平成5年11月号77頁

日蓮正宗法華講連合会東京第二地方部・総決起大会を、東京都内の支部は大願寺において、三多摩地区の支部は大宣寺において開催されることになり、ここに8カ寺の指導教師、各支部の講員、直属信徒の皆様方が、大会開催寺院の大宣寺に結集いたされ、かくも盛大に、そして熱気あふれる中、決起大会が催されましたことを心よりお祝い申し上げます。
本日、東京第二地方部の総決起大会が開催された機会に、皆様方既に種々の報道で御存知のことと思いますが御本尊模刻の件について少々お話いたしたいと存じます。

なぜならば、当時の時局にあって、私白身、模刻された御本尊を大宣寺から本山内事部までお運び申し上げるに直接関係し、これについて多くの方々よリいろいろ質問を受けますので、私が関わった部分を明らかにしておきたいのであります。
昭和53年1月初め、日達上人よりお電話があり、

「今、赤澤朝陽の社長が年始の挨拶にきて、学会からの依頼で多数の御本尊を板本尊に直したと聞いた。何体彫刻したのか、赤澤に行って調べて来るように」

と言われまして、調査したのが初めであります。
浅草の赤澤佛具店本店に出向き、社長に面会して尋ねたところ、「全部で8体です」とのことでした。
それは、

一、学会本部安置昭和26年5月19日大法弘通慈折広宣流布大願成就
二、関西本部安置昭和30年12月13日
三、ヨーロッパ本部安置昭和39年12月13日
四、創価学会文化会館安置昭和42年6月15日
五、学会本部会長室安置昭和42年5月1日
六、アメリカ本部安置昭和43年6月29日
七、賞本門事戒壇正本堂建立昭和49年1月2日
八、池田大作授与の御守本尊昭和26年5月3日

以上8体の御本尊で、それらを板本尊に彫刻したことが判明しました。
板本尊として彫刻するに当たり、各紙幅の御本尊様を写真に撮り拡大して板に彫刻したこと、特に池田大作氏授与の御守御本尊は、長さ30センチメートルほどに拡大して彫刻した等の説明を受け、私は大変驚き、また、事の重大さを身を以て感じて、早速、寺に戻って日達上人に電話にて御報告申し上げました。日達上人は、お電話口で、

「とんでもないことだ。誠に無礼なことである」

と申され、特に御守御本尊を彫刻したことに対してお怒りの御言葉があったことを記億しております。

この御本尊模刻事件の記録文書を見ますと、昭和49年9月2日の宗門と学会との連絡会議の席上、池田大作氏より「学会本部安置の紙幅の御本尊様が、年月を経て傷みかひどいので板本尊にしていただきたい」旨の願いがあり、日達上人は「いいでしよう」との御回答をされたと書いてあります。

このいきさつについて、私が日達上人に直接お聞きいたしましたところ、

「板本尊にしてほしいという願いはあったが、その後、御本尊下附願いが正式に出てこないので、どうしたのかと思っていたら、既に板本尊に直したていということを後から聞かされた」

と申されておりました。

つまり、昭和50年1月1日、学会本部に模刻された板本尊を安置し、池田大作氏が導師をして入仏式を行っていたのです。

この尋常でない行動に、幹部や職員は不信と疑問を持ちはじめました。これらの疑問を晴らすため、昭和50年10月23日、当時総監でありました法道院・早瀬日慈御尊能化を学会本部にお迎えし、模刻本尊の入仏法要を修したのですが、しかし、この不信と疑問は深まっていくばかり.でした。なぜならば、他の7体の模刻本尊も既に各地に安置されていたからです。このことが一般会員の知るところとなり、当時の教義逸脱路線とあいって大きな問題へと発展しつつあったのです。

学会では、この状況を打破し会員の目をくらますために、再三にわたり日達上人にくだんの模刻本尊の入仏開眼法要の大導師を願い出ましたが、断固としてお受けになりませんでした。

そこで学会は、昭和52年11月7日に創価学会創立47周年記念法要を執行することにして、日達上人の御出ましをお願いしたのです。

再三の願い出もあり、日達上人はやむなく御承諾遊ばされて、記念法要の大導師、また模刻本尊の開眼をなされたのです。これによって学会本部安置の模刻本尊につきましては、日達上人が御認可された板本尊となりましたので、そのまま本部に安置されることになったのです。他の七体につきましては御認可も御開眼もされていないので、結果的に総本山に納めることになりました。

昭和53年9月2日の連絡会議の記録の中に、学会が模刻した数体の板本尊の処置について御指南を求めたのに対し、日達上人は池田会長に、

「そんなもの は人目にさらすな。金庫の中にでもしまっとけ」

と叱責されたと記されています。が、翌三日付の聖教新聞には、

「本部として謹刻させていただいた数体の御本尊について、日達上人よりすべて学会本部の宝物としてお納め下されば結構です』との御指南があった」(趣意)

と、事実を変えて掲載しました。

数日後、突然、北條理事長から私のところに電話があり、

「謹刻した御本尊について、学会の宝物としてしまっておくように御指南があったが、学会としても置く場所もないので、どうしたら良いものか」

という話がありました。私は即座に

「総本山にお納めするのが一番良いのではありませんか」

と申したところ、北條理事長は、

「自分たちで本山にお運びすることは、事情が事情だけに、それはちょっとできかねるので大宣寺へお運びしますから、よろしくお願いします」

とのことでした。

また、

「謹刻した御本尊は、ヨーロッパやアメリカから返送させますので、日本に着き次第お運びします」

ということで電話を切り、すぐにこのことを日達上人に御報告申し上げましたところ、上人は少しためらっておられましたが、

学会でそうしたいと言うなら、そのようにしなさい」

との御返事を下されました。

9月27日午前に、再度北條理事長から電話があり、

「先日お話した御本尊が全部揃いましたのでお届けします。人目につくとまずいので夜中の一時頃着くようになりますが、くれぐれもよろしくお願いします」

とのことでした。

この日は、一日中おちつかない気持ちで待っていますと、夜の12時近くに中西治雄総務から、

「これから本部を出ますのでよろしく」

との連路を受け、私と当時執事をしておりました毛利博道房の2人で、駐車場に出て待機しました。
しばらくすると1台のワゴン車が着き、中西総務と山崎顧問弁護士が付き添ってきましたので、車から大宣寺の応接間に運び、7体の板本尊と、記名された書類を引き合わせて間違いのないことを確認して中西さんと山崎さんには帰ってもらいました。

早速、お預かりした模刻本尊を大宣寺のワゴン車に積み替えて、御本尊のお伴をして本山に向かい、午前6時30分ごろ着山しました。ちょうど大坊の朝の勤行が終わった頃であったと思います。日達上人が内事部に御出仕になり、主任理事の光久諦顕師立ち会いのもと、これまでの経過報告をして模刻本尊七体をお届けして帰ってまいりました。

この日は、午後から日達上人の御命によりアメリカとブラジルの寺院の状況を調査するため出発することになっておりましたので、大宣寺に着くや、すぐに空港に向かい、出国しました。私が海外に行っている最中、10月3日付で宗務院より「全国寺院教会住職主管教師僧侶各位」に対し院達が出されました。

「このたび、創価学会に於ては、これまでに彫刻申上げた板御本尊については、すべて総本山へ納め奉ることとなり、去る9月28日、七体の板御本尊が、総本山へ奉納せられ総本山に於ては29日奉安殿へお納めいたしました。但し、学会本部安置の日昇上人板御本尊については、御法主上人猊下御承認のもとにそのまま本部に安置せられることになりました。

依って、今後は創価学会の板御本尊のことに関しては、一切論議を禁止する旨、御法主上人猊下より御命令がありましたので、充分御了知下さるよう願います。(中略)右、通達いたします」

との通達により、模刻本尊に関する問題は一応落着したのです。

しかし、学会内部への波紋は広がる一方でしたので、11月7日、創価学会創立48周年記念登山代表幹部会の名のもとに池田大作氏はじめ代表幹部2千名と、全国の教師を大講堂に結集して公に御本尊模刻の大罪を認め、深くお詫びをしたのです。いわゆる「お詫び登山」です。

最近、学会では

 「池田先生は聞違っていなかった」
 「御本尊模刻事件は事実無根であり、日達上人が犯した罪を池田先生がかばって
  いるのだ」

等と会員に口コミで流しており、更に

「模刻といってもたった8体じゃない」

と、とんでもないことを言う婦人部がいると聞き、私が知り得る事実と真相を述べ、その誤りを指摘する次第です。

さて、昭和54年5月3日、第40回本部幹部会が創価大学の講堂において開催されました。五十二年路線の最終的決着の場となったこの幹部会で、日達上人は学会との協調路線を提唱されたのです。この幹部会の後、日達上人は大宣寺にお立ち寄りになり、その折、上人の御部屋にまいりましたら、

「池田さんはプライドが高いからなあ、これからの宗門は大変だぞ」

と一言申されました。そして、色紙に、

「七ツ鐘鳴り終りてや五月晴れ」

と一句お書きになり、池田氏に届けるように仰せつかり、お渡ししたのです。「これからの宗門は大変だぞ」と申された御言葉を、当時は凡夫の浅はかさの故か、あまり気にとめておりませんでしたが、今思うに、今回の問題を予言せられていたような気がいたします。

池田大作氏にとって、法華講総講頭の辞任、会長の辞任は引責辞任とはいえ、権力と支配力とめんを重んじる人でありますので堪え難い屈辱と挫折感でいっぱいであったろうと思います。ましてや池田門下生といわれる青年幹部はなおさらのことであったでしよう。この執念を、日達上人より金口嫡々の血脈相承をお受け遊ばされた御法主日顕上人猊下の御代になっても持ち続けていたのです。

表面上は宗門外護の姿を装い、内面では宗門攻撃の機会を虎視こし眈々たんたんと狙っていたのです。

11・16の池田氏のスピーチによって露見した法主軽視、宗門批判等の今回の問題に対し、御法主上人は誤った考えを糺そうと善導・教導を尽くされましたが通ぜず、断腸の思いで破門通告をされたのです。この大英断の御処置を僧俗共に拝し、御法主上人に信伏随従の信心を以て御報恩の誠を尽くさなければならないと思います。

学会では、御本尊直結、御書直結、あるいは僧侶不要と盛んに言っていますが、大聖人様は

「僧の恩をいはば仏宝法宝は必ず僧によりて住す、譬えば薪なければ火無く大地無ければ草木生ずベからず、仏法有りといへども僧有りてならひ伝へずんば(中略)伝はるべからず」(四恩抄全集938頁)

と仰せです。この御文の僧とは、本宗の三宝の中の僧宝です。僧宝は宗祖大聖人より血脈付法の日興上人です。「習伝へずんば」とは相伝・師伝のことです。即ち、仏法は僧によって受け継がれ、僧によって伝えられていくことをお示しになっておられます。従って日興上人より日目上人へと代々血脈相承いたされ、67世日顕上人に大聖人様の御意が受け継がれているのです。血脈付法の御法主上人の御指南に従って信心修行御奉公申し上げるのが、本宗僧俗の道であります。

御法主上人の御指南に

「法主が陣頭に立って徹底的に創価学会の全体を折伏して、改めて大折伏戦を日蓮正宗から展開すればよい」

と声を大にして仰せであります。

今こそ、この大号令に対して、大会のスローガン「下種三宝に信順し、総本山を厳護しよう」「邪教池田創価学会の大謗法を粉砕しよう」のもとに一大結集し、本日の大会を機に不惜身命・死身弘法の精神を以て奮起し、更なる前進をしようではありませんか。今して、御法主日顕上人猊下に御報恩申し上げ、大聖人様から賞賛される法華講衆に成長してまいりましょう。

最後に、多摩地区8支部のますますの発展と参集各位の御健康を御祈念申し上げ、一言御挨拶といたします。

※「大白法」第360 平成4年4月1日付)より転載
※大日蓮 平成5年11月号77頁より転載
(※掲載者註:便読の為に改行編集しました)

  
Posted by saikakudoppo at 06:55Comments(0)覚書

2020年08月03日

身延文庫『本尊論資料』を読む(20)-5『本尊行者用心口決』漫荼羅諸尊 南無二字の事

※既に、この項、畢った心算でいたが、残していた。

よりつづく ―

本尊論資料第1編
身延相伝部

南無二字 P148

「口伝云 南無の二字は始め首題より迦葉舎利弗等至る于 之を置く可し 以外には之を置く可ず 是即ち六凡四聖の階級を顕すなるべし
「凡そ今今に内証外用の二の相承 之れ有り 外相のは天台伝教を祖師と為し師資相承を立て給へり 仍て師資の義 顕して 南無の字を置く也 等
文中の“日”は、編集の“曰”の誤写であると思う。

終わりに
「明徳(1496)年九月九日 九月九日 日任本を以て之を書写し畢ぬ 日意華押
 願わくば書写の功徳を以て親眷属自他 皆仏道を成ん」
とある。日意の至心を覚ゆ。

裏書は今は略す。





  
Posted by saikakudoppo at 05:48Comments(0)鑑賞読書

2020年07月30日

教学メモ77:日蓮は漫荼羅を「マダラ」と読んでいたか

宮田幸一先生がFacebookに『注法華経』にある「マタラ」が「漫荼羅」であると書かれていた。

注法華経』はネットでも閲覧できる。

同経云<大日経云>。見此マタラ<見此漫荼羅>。無量倶低劫。所作衆罪業。消滅尽無余。[文]
大教王経云。若入マタラ<若入漫荼羅>。永不聞三悪趣名。

<>内は編注だが、ここにも日蓮が「マタラ」と書いたのは「漫荼羅」であることが補足されている。

さて、漫荼羅ならば、読みは“まんだら”となるはずが、なぜ違うのか。
これが今回のテーマである。

『五輪九字秘釈』の蓮長の書写、30表3行も、大正蔵経所蔵本も、「 梵みりミリ 梵タ 梵ま字 梵ダダ 梵字ラ 」とある。

那須政隆『五輪九字秘釈の研究』を見ると 梵みりミリ 梵タ 梵字‘あ’ 梵みりミリ 梵タ 曼荼羅(梵ま字 梵Dhaダ 梵ラ2 )とある。
そのあとに付されるmaṇḍala としているのはどうも腑に落ちない。だが『興教大師全集』では「梵ミ字 梵タ 梵マン字マン 梵ダダ 梵字ラ」となっている。漢字で書けば(阿)弥陀㬅荼羅である。
いずれにせよ、蓮長が写した本は 梵ま字 梵ダダ 梵字ラ だった。

『注法華経』の該当箇所でいう「経」、つまり 『大毘盧遮那成佛神變加持經』を書き写すに際し、原文では「漫荼羅」とある所を「マタラ」とした。『五輪九字秘釈』では 梵ま字 梵ダダ 梵字ラ だから、読みはマダラなのだろう。

以上から類推するに、日蓮は蓮長の時から、㬅荼羅(漫荼羅)を「マダラ」と読んでいたと、わたしは思う。  
Posted by saikakudoppo at 19:13Comments(0)教学メモ

2020年07月15日

【告知】2020.7.19(日)20時〜 ZOOM楽座 創価の原風景:折伏大行進の時代 〜あなたの知らない昔の創価学会〜



わたしが見た半世紀前の創価学会の原風景
少し語り残りおきたい

〇以下、池谷さんの Facebook から転載

ZOOM楽座

創価の原風景:折伏大行進の時代
〜あなたの知らない昔の創価学会〜
日時:7月19日(日)20〜22時
19時半から開場、打ち合わせと雑談
https://note.com/raxza/n/ne79329197c4c

語り合いの趣旨

創価学会の草創の頃は、「貧乏人と病人の集まり」と呼ばれ蔑まされ、社会と軋轢があり、カルトのように思われていた。しかし、そこにはものすごい活気と熱があったろう。
その草創の中核に、第二代会長の戸田城聖がいる。創価の教えと布教の源流は、戸田城聖にあり、と思う。ほとんどゼロの信徒から75万世帯まで達成する。そんな当時の創価学会の草創期、折伏大行進の時代を語る。

戸田城聖の思想、魅力、布教と組織づくり、実業家の腕前について、語り合う。
また、戸田城聖のあとを受け継いだ三代会長の池田大作は、800万世帯(公称1200万人)まで会員を拡大していった。そして、いまや公明党は政権与党(得票数は600〜800万票)である。
※前座で池谷が、戸田城聖(創価学会第二代会長)について、概要を語る。戸田城聖の書いた「生命論」と「創価学会の歴史と確信」をもとに、創価の初期の歴史的な背景の説明。
そのあと、独歩さんに「あなたが知らない昔の創価学会」として、幼少期から青年期に見た半世紀前の日蓮正宗創価学会を語る。

※宗教の草創期はエネルギーの密度が高い。熱くて激しい。やがて信徒が拡大していくと、世間と協調していく。いわばカルトがカルチャーになっていく。
ブッダもイエスもマホメットも、鎌倉仏教の祖師たちも、はじめはみんなカルトのようなものであった。 やがて民衆に広まり、国教になったり、カルチャーになったりしていく。

参加の仕方

どなたでも参加可能 無料
ZOOMアクセス先 ワンクリック
https://us02web.zoom.us/j/5409124232

参加ご自由、顔出しもご自由、聞くだけでもオッケー。やりとりは音声のみレコード。書籍などに発行する際、発言を活用することもある(氏名は公表しない)。

ゲスト 犀角独歩さいかくどっぽ

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2020年07月12日

菅田正昭『コロナ禍の中で古代舶来感染を思う』を読む



『しま』262の菅田正昭師の連載、離党関係志落穂稿 その10『コロナ禍の中で古代舶来感染を思う』を読んだ。

「古代舶来感染」は菅田師の造語。
舶来は、古い時代の海外から輸入された物品といった意味だが、舶来の舶が舟偏であるのは、古来、輸入は船舶によった。ここに力点を置いて文章は紡がれているのが本稿のツボだった。

菅田師は伝染病をも古代から船員によって日本に運び込まれたことから「古代舶来感染」というのだ。

『續日本紀』に見る感染症を概観し、「崇神天皇が「神の勢」と畏」んだ故事を伝える。

思い返せば、日本に初めてコロナがやって来たのはダイヤモンド・プリンセスという船だった。
古代船舶感染は、現代の船舶感染でもあった。
  
Posted by saikakudoppo at 18:23Comments(0)