2016年05月28日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)20


24裏|24表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻151-152頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔24表〕
疏讀法華金光明二部漢音及訓經論之中 問大義
十條通五以上者乃聽得度縱如一々業中無及第者
闕置其分當年勿度者省寮僧綱相對案記待有
其人後年重度遂不得令彼此相奪廢絶其業若有
習義殊高勿限漢音受戒之後皆令先必讀誦二部
戒本諳案一卷羯磨四分律鈔更試十二條本業十
條戒律二條通七以上者依次差
講師雖-通本業不習戒律者不聽任用者省直承
知依 宣行之自今以後永爲恒例符到奉行
 參議正四位下行左大辨菅野朝臣眞道
 左少史賀茂縣主立長

〔24裏〕
 延暦廿五年正月二十六日
新宗天台法華宗年分學生名帳一首
天台法華宗年分得度學生名帳
 自大同二年至于弘仁十一年合一十四箇年
 合貳拾捌口。
僧光戒 僧光仁 僧光智 僧光法
 已上四人 大同二年三年四年五年 合四箇年
 天台法華宗 遮那經業得度者
僧光忠 僧光定 僧光善 僧光秀
 已上四人 大同二年三年四年五年 合四箇年
 天台法華宗摩訶止觀業得度者
僧徳善 遮那經業 僧仁風 止觀業
已上二人[方*ム]仁二年 々分得度者

24裏2行「新宗天台法華宗」と。“新宗”の2字が煌めく。
終わりから3行「摩訶止観業」の“業”、23紙にもあったが“学業”の意。学業ごとに得度というのが本来の在り方だったのか。
終わりから2行「遮那經業」は『大毘盧遮那成仏神変加持経』、つまり、『大日経』、密教の学業。

名帳の記載から顕教と密教の得度は別々である。1人が顕密を兼ねる形ではない。では、伝教段階で、兼学はあったのだろうか。当縁起を読む限り、最澄は訳語(通訳)義真を伴って法華を承けるのみで、遮那を承けた記事は見当たらない。顕教のみであるからこそ、空海に密教を尋ねたと言えるかどうか。興味が惹かれる。

  
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2016年05月27日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)19


23裏|23表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻151頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔23表〕
少僧都傳燈大法師位勝虞
少僧都傳燈大法師位常騰
律師傳燈大法師位如寶
律師傳燈大法師位修哲
大唐留學傳燈大法師位永忠
定諸宗年分度者自宗業官符一首
太政官符治部省
應分定年料度者數并學業事
華嚴業二人 並令讀五教指歸綱目

天台業二人 一人令讀大毘盧遮那經
      一人令讀摩訶止觀
〔23裏〕
律業二人  並令讀梵網經若瑜伽聲聞戒

三論業三人 二人令讀三論
      一人令讀成實論
法相業三人 二人令讀唯識論
      一人令讀倶舍論
右被右大臣宣稱奉 勅攘災殖福佛教尤勝
誘善利生無如斯道但夫諸佛所以出現於世欲令一
切衆生悟一如之理然衆生之機或利或鈍故如來之
説有頓有漸件等經論所趣不同開門雖異遂期
菩提猶大醫隨病與藥設方萬殊共在濟命今欲興
隆佛法利樂群生[ノ/几]諸業廢一不可宜十二律呂
定度者之數分業勤催共令競學仍須各依本業

ここで目を引くのは華厳業、天台業といった用句だった。
華厳宗であるとか、華厳行といった用句は散見するが“業”とはなにか。
それは、つまり「應分定年料度者數并學業事」にいう“学業”のことなのだろう。

案外、わたしは天台顕教・真言密教といった分別があり、後に天台に真言密教が混入したという考えが日蓮にあると思ってきた。
しかし、天台業の1人に大毘盧遮那經を、もう1人に摩訶止觀を読ますという確固たるこの真蹟文を日蓮は書写していていた。となれば、伝教のみならず、中国天台も顕密兼学であることは知っていたことになる。
慈覚段階で密教を混じたわけではない。一つ、自分の中の固定観念が瓦解する思いがあった。

*いつもご教示を賜っている tenjin95 さまから、コメントを頂戴し批正を頂いた。
 日蓮筆の書写を判読しながら読み進めていたために、入唐録から帰国後の得度の記述を共に中国でのことと勘違いしてしまった。
 深く学恩に感謝し、訂正。


〔凡〕【拾字】
23裏終わりから2行8字〔凡〕

  
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2016年05月26日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)18


22裏|22表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻150頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔22表〕
呂定年分度者之數法六波羅密分授業諸宗之
員則兩曜之明宗別度二人花嚴宗二人天台法花宗
二人律宗二人三論宗三人加小乘成實宗法相宗三人
加小乘倶舍宗然則 陛下法施之徳獨秀於古今群生法
財之用永足於塵劫不々之至謹奉表以聞輕犯
威嚴伏深戰越 謹言
 延暦廿五年正月三日 沙門[宀/取]澄上表 加年分度者定十二人僧統表一首
傳燈大法師勝虞[艹/寺]言今月四日中納言從三位藤
原朝臣内麻呂奉 勅賜示國昌寺[宀/取]澄上云誠願
十二律呂定年分度者之數法六波羅密分授業諸

〔22裏〕
宗之員則兩曜之明宗別度二人者仰惟無上世尊是
大醫王隨類設教拔苦与樂八万法藏有權有
實始雖似殊終皆一揆衆生之病既異所与之
藥不同欲濟有情廢一不可悉皆勸勵乃拯群迷
今垂疇咨欲鳴法鼓佛日將沒フルヒテクワチウ
法綱殆ヲトサク以復續加以始自當年盡未來
際歳々所度無量無表功徳之聚惣集ヘム[耳+(口/王)]躬釋門老
少誰不抃躍无任隨喜歡荷之至謹奉表以聞法
師勝虞等誠惶誠懼 謹言
  延暦廿五年正月五日

22表5行11字「區」は、JIS外表示記号で書くと煩瑣となるので下の拾字に挙げた。
7行4字「戰越」は手許の辞典に載らないが、僭越と同義だろうか。
終わりから2行6字前後「中納言從三位藤原朝臣内麻呂奉 勅賜示國昌寺」は、“…奉 勅…”で分かつが、本によっては“麻呂。奉勅…”と句読点を打つ。どちらにせよ、「奉シテ」と活字本では同様に点ずるのだが、どうであろうか。
返り点に従って読めば「藤原朝臣内麻呂、勅を奉して國昌寺最澄の上表を賜ひ示すに」となるが、日蓮の分かちを素直に読めば「藤原朝臣内麻呂は奉ず、勅を國昌寺最澄の上表を賜ひ示すに」となる。さて、どちらだろうか。
22裏2行8字「拔苦与樂」の用句が見られる。

〔區〕【拾字】
22表5行11字〔區〕
〔聖〕22裏7行16字〔聖〕
(先の21裏3行9字にも見られた)

  
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2016年05月25日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)17


21裏|21表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻149-150頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔21表〕
鎭國道場大徳内供奉沙門順曉圖樣契印法於
  峰山頂道場付
越府 大唐國開元朝大三[(蔵-臣)@貝]婆羅門國王子法號善無畏從佛
國大那蘭陀寺傳大法輪至大唐國轉付屬傳法弟子僧
義林是國師大阿闍梨一百三歳在新羅國傳法轉
大法輪又付大唐弟子僧順曉是鎭國道場大徳阿闍梨
又付日本弟子僧[宀/取]澄轉大法輪最澄是第四付屬
傳授令佛法永々不絶阿闍梨××沙門順曉録付[宀/取]
    大唐貞元廿一年四月十
延暦廿四年歳次九月七日有 勅於清瀧峯高雄
道場起都會大壇命[宀/取]澄阿闍梨傳授大安寺
僧廣圓預灌頂者惣有八人是皆第五付屬也 今被

〔21裏〕
右大臣宣[イ+(稱-禾)]奉勅受法僧等宜令所司各與公驗弥
勤精進興隆佛法擁護國家樂群生者省依
宣旨連天竺大唐及  [耳+(口/王)]朝傳授
次第奉行如右
  延暦廿四年九月十六日
卿四品葛原親王
   從四位下行大輔和氣朝臣入鹿麻呂
   少輔從五位下藤原朝臣友人
請加新法花宗表一首
沙門[宀/取]澄言[宀/取]澄聞一目之羅不能得鳥一兩之宗何足
普汲徒有諸宗名總絶傳業人誠願準十二

21表2行下から2字「善無畏」の名に、何故かドキリとする。
次行「大那蘭陀寺」、先にはしばしば、天台山国清寺に胸ときめいたが、同じ感慨。
海を越え、大陸を行く遣唐使の旅程に、実際には当地を訪れない日蓮が書く文でしか知らない寺院を最澄が歩いている。そんな風景に想像を逞しくする。

22裏終わりから3行「請加新法花宗」、新たに法華宗に加へしことを請ふ、まさにここに日本天台、法華宗が成る。
次行「沙門最澄言 最澄聞 一目之羅不能得鳥 一兩之宗 何足普汲」、沙門最澄言す。 最澄聞く。 一目之羅は鳥を得ること能わず。 一兩之宗は何ぞ普く汲むに足らん。ここに“一目之羅不能得鳥”は『淮南子』の格言「一目之羅不可以得鳥」の活用であろう。

  
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2016年05月24日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)16


20裏|20表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻149頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔20表〕
 僧義真 年廿五 / 臘一
右僧就東大寺傳燈法師位慈賢習漢語又就興福
寺傳燈住位僧慈蘊學法相被年分試及第得度
更登比叡之峰鑽仰天台之教有  詔特賜[宀/取]澄闍
梨爲求法譯語於台州國清寺屈大徳受聲聞
具足戒又於道邃和尚所受大乘菩薩戒又於越
龍興寺共澄闍梨遇順曉和尚人灌頂壇受三
部悉地法今被右大臣宣稱奉  勅入唐受法
僧二人宜令所司各與公驗弥勤精進興隆佛法擁
護國家利樂群生者   宣旨奉行 如右

〔20裏〕
 延暦廿四年九月十六日
卿四品葛原親王
   從四位下行大輔和氣朝臣入鹿麻呂
   少輔從五位下藤原朝臣友人
傳三部三昧耶公驗一首
  治部省
眦盧遮那如來三十七尊曼荼羅所
  上品悉地 阿鑁藍吽欠
  中品悉地 阿尾羅吽欠
  下品悉地 阿羅波遮那
灌頂傳授三部三昧耶阿闍梨泰嶽 ■ 靈巖寺

20表7行5字「共澄闍梨」は、つまり 共最澄阿闍梨 の略でで、最澄阿闍梨と共に、だろう。
20裏7行末「曼荼羅」の用例が見られる。智擇寮庫廚蓮∪称颪砲靴538年から597年、湛然は711年から 782年と伝わるが、所謂『法華六大部』に“曼荼羅”の用例は「曼荼羅華」以外は見られない。
当丁に見られる識字「延暦二十年」は西暦にして805年。百年足らずで、毘盧遮那如来三十七尊は曼荼羅と表現され、安置されるに至ったと見るべきか。ともかくも、最澄、義真らは、こうした曼荼羅を天台宗の本拠、大陸で見聞していた。興味深い。

〔為〕【拾字】
20表5行2字〔為〕
〔又〕20表6行4字〔又〕
他に例のある書き方かどうか、備忘に録す。
〔宜〕20表終わりから2行3字〔宜〕
日蓮筆ではよく散見する冠違いの異体字。
〔延〕20裏1行1字〔延〕
辶の中が“正”の異体字となっている。


」  
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2016年05月23日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)15


19裏|19表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻148頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔19表〕
 微塵莫許得到彼岸成就法身和尚翰示
大唐台州給僧義真公驗一首
日本國求法僧[宀/取]
  求法譯語僧義真
右義真深蒙 郎中慈造於大唐台州唐興縣天
台山國清寺受具足戒已畢 謹請公驗印信謹牒
 大唐貞元廿一年三月一日日本國求法僧[宀/取]澄牒
任爲公驗三月一日台州刺史陸淳給印
大唐明州僧義真公驗并遣大唐使公驗一首
日本國求法僧[宀/取]
    天台受具足戒僧義真

〔19裏〕
牒僧義真去年十二月七日於大唐台州唐興縣天台山
國清寺受具足戒已畢 謹連合州公驗 請
 當州公驗印信謹牒 牒件状如前謹牒
   貞元廿一年四月五日求法僧[宀/取]]澄牒
 任タルヘウキヨ四月八日明州刺史鄭審則給
  日本國入唐使
持節大使從四位上行政官右大辨兼越前守藤原朝臣
葛野麻呂准判官兼譯語正六位上行備前掾笠臣田作
録事正六位上行式部少録兼伊勢大目六等山田造大庭
録事正六位上行太政官左少使常陸少目上毛野公穎人
賜向唐求法譯語僧義真公驗一首 治部省

19裏5行2字から、ルビが付されているが細かくて見えない。對照録に補った。
7行末、「朝臣」が“朝”の偏と旁の間に“臣”を挟む様になっているのが目を引く。
また、對照録で、終わりから3行・下から6字「勲」と書写のままとなっているが、伝全と対校すると“道”である。
その行末「山田」の傍らに「大庭」と書かれているが、伝全によれば「山田大庭」で、“大庭”を脱して写し、あとから補ったのだろうか。

いままでも、何度も出て来て、いまさら書くことでもないが、“最澄”の最は、宀冠に取である。
活字本やデータのみで読んでいると“最澄”と規定されるが、筆字の古文書を読むといつも引き戻される気分となる。

(133) 下山御消息-最澄の正式表記
(442)断簡98・97-“最”の字について一考を付す

  
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2016年05月21日

日蓮墨筆を読む(624)顕戒論縁起巻上(書写)14


18裏|18表
『日蓮聖人真蹟集成』6巻147-148頁から転載


冊子1冊25丁
30.3cm×22.0cm
文永5年
千葉県法華経寺蔵

〔18表〕
大徳律師爲教授 道濬赴。
奉請當州普莊嚴寺
大徳律師爲尊證  仲康赴
奉請當州長樂寺
大徳律師爲尊證 功言端赴
奉請當州國清寺
大徳律師爲尊證 清瀾赴
奉請當州光明寺
大徳律師爲尊證 昭赴
奉請[務/女]州興政寺

〔18裏〕
大徳律師爲尊證 亘赴
奉請[務/女]州大明寺大徳律師爲尊證 少言赴
右比丘義真稽首和南 大徳僧足下 但義真
宿因多幸得遇勝縁棄妄真精祈戒品庶使无上
佛種藉此敷榮塵勞稠林因茲殄滅今蒙悲濟秉
授尸羅納法在心福河流注已登清禁慶賀无任伏
乞示名永爲戒驗謹牒
貞元廿年十二月七日 比丘義真牒
生長扶桑歸宗大夏靈山求法傳付戒香當須堅
志護持紹隆三寶將度大海必惜浮嚢羅刹來求

昨年11月22日(624)已来の再開となった。
その間、真蹟集成を開かずにきたが、改めて、日蓮の筆に触れると、亡き両親の遺筆に触れたような感慨がよぎる。

末の「扶桑に生長して、大夏に帰宗す。霊山に法を求めて、戒香に伝付す」という一節は、胸に迫るものがあった。

  
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2016年04月13日

“与同罪”を恐れること

わたしは永らく“与同罪”を仏教用語であると思っていた。
特に近日、“与同罪”を強く意識してきた。“不可同座”もしかりである。

改めて調べてみると“与同罪”という言葉は経釈には見られない。
以下、ネットで拾った説明である。

よどうざい【与同罪】
「唐律および日本律に見える法律用語。名例律にその定義が規定される。〈反坐〉〈坐之〉〈罪之〉〈与同罪〉の4者は,当該犯罪に対し直接刑を定めず,他の特定の罪名を引用して,それと同等の刑を科すときに用いられる。ただし,その場合,準拠とされる本罪の主刑を当該犯罪の刑とし,本罪に付加される除免,倍贓(ばいぞう)等は,当該犯罪には準用されない。また主刑が死刑となる場合も絞にとどめ,斬を科さない。」(世界大百科事典 第2版の解説)

法律用語であるという。
日蓮の真蹟残存文献には見られず、写本では『主君耳入此法門免与同罪事』に見られるばかりである。ところが日蓮門下、取り分け、日蓮本仏圏、つまり、大石寺と、その影響の受ける創価学会、顕正会では、強く主張されてきた。それはたぶん、二祖日興の言説とされる『日興遺誡置文』の「謗法と同座すべからず、与同罪を恐るべき事」、また9代・日有の言説であるとされる『化儀抄』の「与同罪遁れ難き故」といった伝承から導き出されてきた強迫観念であったのだろう。それを仏教、殊に日蓮門下の矜持であると思ってきたのは過誤であった。

しかし、それでも、わたしのなかでは“与同罪”という自責の念は、主要な行動規範であり続ける。もし、虚偽を騙り、詐欺、ペテンをなす者があれば、そうした悪人と同座し続けることは、同調、幇助であり、同罪であるという責めを逃れられないと思うからだ。
人生の節目となる決断を、繰り返すのは、そうした理由からである。  
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2016年04月03日

西谷名目を再読了

昨年の暮れから読み直していた『西谷名目』を3箇月かかって、ようやく畢えた。

読むたびに発見はあるものの、今回懐いた印象は仏教は、やはり、三蔵経が磐石なる基礎であって、それ以後は加増潤沢自画自賛のきらいがあるといったところか。
わたしがいちばん、うんざりする“あと出しジャンケン”で、いくら自分が勝れている、上だと言っても、「あとからなら、何でもいえる」という不快感が尾を引く。

天台の五時教判は、法華と涅槃を足して2で割る仕業だが、こうして、涅槃経の常在説が担保されて、さて、これこそが最高の仏教と提示されるように思えた。あまり好ましい態度とはいえない。

『西谷名目』の訓読が出ているかどうか知らないが、読むのであれば漢文がよい。
漢文が苦手なら、まず、下巻から読み出すと、(日蓮法華圏の人は特に)平易な漢文だから、理解をしやすいだろう。それでも読みづらいところはある。わたしは今回は、近代デジタルライブラリー所収『西谷名目』を出力し、参考にしながら読んだ。おかげで、このデータの数多い瑕疵に躓くこともなく読み進められた。

漢訳経釈は、ともかく、漢文で読む習慣をつけること。さすればやがて、苦労せずに読めるようになるものだ。
その習得は、英語よりはるかに容易である。お勧めしたい。

西谷名目 下巻末 構造図

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Posted by saikakudoppo at 12:53Comments(0)TrackBack(0)鑑賞読書

2016年03月30日

西谷名目下巻(本)を読了、末に入る

蔵教は、かなり精緻な説明を加えているのに、通別円はあっさりという印象。
というか、やはり仏教は三蔵教によって成り立っているのだ。

通別円から、十地、五十二位、六即を述べる。
十地に十波羅密(檀・戒・忍・精進・禅・般若・方便・願・力・智)が配当されるのは、まあ是として、六即に六輪といい、鉄・銅・銀・金・瑠璃・水精・摩尼を挙げるが、これでは七輪ではないか。悩む。
横道だが、金より瑠璃(ガラス)、水晶が上で、摩尼輪を最上とする辺り、摩尼はともかく、宝の価値観が現代と違う。

以下、大雑把ながら、分析図CLICKで拡大

西谷名目下巻(本)構造図

最後の丁、下巻(末)の冒頭は八教五時。日蓮門下では五時八教の次第であるが、並びが違うが、何故だろう。
日蓮の意識と関連しているのかも知れない。南無妙法蓮華経、法華経最勝を宣揚するのであれば、やはり五時が優先なのだろうか。
さて、終わりは見えた。読み進めよう。
  
Posted by saikakudoppo at 06:22Comments(0)TrackBack(0)鑑賞読書