(
1)…(
5)からつづく
■ 読まずに批判される『板本尊偽作論』を読む

『板本尊偽作論』を読み直してみる。この書は、大石寺のみならず、創価学会からも徹底的な排撃を受けた。その定型化された批判の論調が50年経ったいまでも、この信念体系の人々から聞ける。
「読んではいけない」と封印された一書である。このような信者・会員の誘導と呪文は、まことに便利なものだ。臭いものには何でも蓋ができる。そして、信徒・会員は、この本を手にすることも、読むこともなくても、書かれていることは一から十まですべてでたらめであるという情報操作にまんまと嵌られたままになる。
そう怖がらず、気軽に読んでみることである。たしかに口汚い悪口雑言は不快感を禁じ得ない。また、間違っていることも書いてある。しかし、少しばかり参考になる点もある。先にも挙げた「伊蘭をにくまば栴檀あるべからず」ということだ。
安永は彫刻本尊の原本は
安第93大漫荼羅だとした。この点が間違いであったことは、既に拙書において、論究したとおりである。日禅授与漫荼羅こそ、その原本である。
安永は、原本の特定、また、花押の論攷は空振りはしている。
(
5)において、わたしは、もし日禅授与漫荼羅が贋作であれば、この作者は、
安第93大漫荼羅を模写した可能性があると仮説した。つまり、安永が彫刻本尊の原本と思ったものは、彫刻本尊の原本である日禅授与漫荼羅の原本であったということになる。
それでも、安永の經の字の論攷がなかなか正鵠を得たものであったことは、インターネット上で『
所謂「本門戒壇之大御本尊」の真偽について』でも記したとおりである。
■ 安永の妙海寺本尊模作論を紹介する
たぶん、多くの創価学会を含む大石寺系信徒会員は、安永の文をまったく読んでいないのではないか。読んでいなければ、肯定も批判もできない。議論も進められない。
以下、妙海寺本尊
安第93大漫荼羅の模作の記述を紹介する。
『板本尊偽作論』(正理研究会 P156〜159)から転載する。
なお、「經」の考察は拙書にも、ネット上でも紹介したので、ここには略した。(
参)
§
21 板本尊は妙海寺のマンダラの模作偽造か?
御本尊集に収録された123幅のうち、板本尊に最もよく似ているものは、弘安3年太才庚辰(5月8日(
93号)の
天下泰平国家長久八日堂祈願之大曼荼羅(沼津市妙海寺奉蔵、口絵写真参照)である。この
93号と板本尊とを比較対照してみれば、如何に両者がよく似ているかに驚かれるであろう。
マンダラを拝見して感ずることは、マンダラ全体と題目の大きさ(乃至は花押の大きさ)の比例にも亦、時代的変遷が伺われることである。そしてその題目の大きさ如何によって、そのマンダラの格調が極めて変わった感じを受けることである。
故にマンダラを一見して、マンダラは何年頃のものであるかということは、花押や経の字の変遷を基準としなくても知り得るのである。そこでマンダラ全体の大きさと題目との比例に就いて、板本尊は何時頃のものに最もよく似ているか否かを窺ってみよう。
[1]
マンダラ全体の大きさと題目との比例 弘安2年の12幅のマンダラと板本尊を比較してみると、中央のお題目が全紙の2分の1程度の筆細く書かれたもの(
59 61 69 70)とか、3分の2程度のもの(
60 62 63 65)は痩せた肉附であって、全然板本尊とは似ていない。板本尊の題目や花押、四大天王等は極めて肉附が良く、然もお題目は6分の5の極端に大きいものである。
弘安2年の中で最も大きいものと雖も、3分の2を出でない。(
64 67 68)然も是等の題目の肉附きは、板本尊より遥かに痩せているのである。弘安3年時代のものにはいると、お題目が三分の二程度のもの(
68 98)から五分の四程度のもの(
95)と次第に大きくなり、更に六分の五程度のもの(沼津妙海寺
96*)となり、遂に7分の6程度の極めて大きいお題目のもの(
96* 100 101)となって来るのである。
弘安4年になっても、お題目は7分の6程度のもの(
102 103)もあるが、弘安4年5月御図顕の岡の宮、光長寺のマンダラ(
105)の10分の9を頂点として、其後は再び3分の2程度のものになり、弘安5年にはいって、弘安3年当時の如き10分の9の大きさのお題目のもの(
117 120 121 122)が出てくるに至るが、その間には10分の7程度のもの(
118 119 123)もある。
斯様に弘安2年以後のマンダラ全体と題目の比例を見てみると、ハッキリ板本尊の如く6分の5のお題目の比例をもっているマンダラは、沼津妙海寺の
96*号以外にはないのである。其他詳しく述べることは省略するが、[2]
花押の大きさや肉附、[3]
題目・四大天王・勧請式等の大きさ肉附、[4]
不動、愛染の形態等より比較対象して、「御本尊集」収録の全部のマンダラの中で、最もよく似ているのは妙海寺奉蔵のマンダラ(
96*)である。特に題目の書体、経の字の恰好、花押、四大天王等全く酷似しているのである。
[編注]
*96とあるのは93の間違いであろう。
22 板本尊偽作のヒントを与えた裏書
板本尊は妙海寺の天下泰平祈願のマンダラ(
93号)に極めてよく似ていることは、先にも述べた通りであるが、更にその根底を追求してみると、次々と面白い事実が発見されるのである。
(1)
「天下泰平曼荼羅」をまねた「本門戒壇」の板本尊
板本尊は妙海寺奉蔵の
93号のマンダラを模作偽造したものであることは、その書体其他から考証したが、更に「本門戒壇、一閻浮提総与ノ板本尊」なるものは、何から着想したかというと
93号に原因しているのである。
それは何かというと、この妙海寺の
93号はその裏書に
「天下令平国家長久八日堂御祈祷之大曼荼羅」
とあることが、禅智院日好の「御公義御渡、妙海寺宝物書物之控」という文書の中に記載してある。
この裏書が板本尊偽作者にヒントを与えたと思われるのである。
板本尊の偽作者は、この裏書によって「本門戒壇、一閻浮提総与ノ板本尊」としたものである。
板本尊の中にも授与書がないことも亦、
93号と符節を同じくしているが、それ以上に「天下泰平国家長久……御祈祷之大曼荼羅」は、「本門戒壇ノ大御本尊」とその趣旨を一にしていることは、余りにも驚くべき両者の一致点である。
これだけならば偶然の一致とも云えようが、次の一致点を思い併せると、板本尊は断然妙海寺の天下泰平国家長久祈祷の大曼荼羅の模作偽造であることは、絶対に間違いのない事実となって来るのでる。
(2)
板本尊の「彌四郎国重」は「彌三郎国安」をマネたものである
次に板本尊の願主を「弥四郎国重」としたことも亦、妙海寺のマンダラに深い関係があるのである。それは何に拠ったものであるかというと、妙海寺に奉蔵する他の二幅のマンダラに関係しているのである。是等二幅のマンダラの表面には
六八号は「優婆塞日安授与之」 (弘安二年太戈巳卯十一月 日)
一一九号は「俗日専授与之」 (弘安太戈壬午正月 日)
という授与書がある。ところがこの裏書が問題である。それによると、
六八号は 「
山本彌三郎法号
日安授与大曼荼羅」
一一九号には「
山本彌三郎内法号
日専御授与曼荼羅」
とあることが、前記の日好の文書の中に記載されてあるのである。「山本弥三郎」というのは俗名で、法号は「日安」であるが、この人は
山本彌三郎国安
という姓名であったことが、「廿一日」の過去帳の中に記載してあることを、禅智院日好が先に挙げた文書の中に述べているのである。これを板本尊の「本門戒壇ノ願主」
弥四郎国重
と併せ考えれば、この「弥四郎国重」は、「山本弥三郎国安」から連想して「弥三郎」を「弥四郎」とし、「国安」を「国重」と偽作した名前であることは明瞭確実である。
板本尊の偽作者は、此の妙海寺のマンダラ三幅に拠って「本門戒壇」の板本尊を偽作し、その願主を「弥四郎国重」としたことは、全く明々白々寸分の疑をいれぬところとなったのである。だから熱原法難の殉難者の名前の中にも、「弥四郎国重」という者が見当たらないのも当然である。偽作者はこの妙海寺のマンダラの三幅によって、板本尊を着想し偽作するに至ったのである。
(3)
板本尊の「法華講衆」は「八日堂法華講衆」をマネたものなり
更に板本尊に「法華講衆」とあることは、妙海寺には開山日実以来、八日堂法華講衆なるものがあって、特に正月元旦から八日の朝迄、連日オコモリをして、八日の朝「天下泰平ノ曼荼羅」を初めとして、山本弥三郎国安夫妻授与の曼荼羅の御開帳をする習慣が今日も尚伝わっているのであるが、其際山本弥三郎の子孫現当主山本立太郎氏が御宝蔵の鍵持となっていて、住職と二人で鍵をあけ、立太郎氏が奉持してこれを本堂に運び御開帳するのである。
これを以てみても板本尊を妙海寺の八日堂法華講衆をマネて、「本門戒壇願主弥四郎国重法華講衆敬白」という板本尊が模作偽造せられたものであることがよく判るのである。(以上転載おわり)
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つづく ―