2007年01月20日

所謂「本門戒壇の大御本尊」の花押について(補)

(1) … (10)からつづく

先に記したことも含めて、あとはゆっくり推敲しようと思ったが、もう少し何点か覚え書き。

彫刻で筆順を表現するのは無理

臨滅度本尊花押ボロンの位置臨滅度本尊花押ボロン部分のなぞりの解析彫刻本尊を考えるうえで、御筆大漫荼羅写真を眺めていた。殊に鮮明な臨滅度本尊(81)を凝視していた。

結果、思ったこと。日蓮は花押の部分、特に を、何度もなぞって線を太くしている。右図は、その に当たる部分の筆の輪郭を白線で表した。多い所で3回以上も、上から重ねている。ざっと手繰ったばかりで、厳正を極めたわけではない。違っている所もあるかも知れない。けれど、何度もなぞっていることに間違いがあるわけではない。
たしかに一筆で綴る花押の書き順はあるが、しかし、それにあとから書き足したら、どうやって、それを彫ることができるだろうか。答えは極めて明瞭だ。もはや、筆順は彫刻で表現はできない。もっと言えば、日蓮は漫荼羅を図示するのに、それが複製されたり、模刻されることを想定などしていなかったということだ。
門下一般で見られる板本尊は、たいがい、文字の部分を残し、周りを削り落とす技法である。墨の部分はそのまま残す遣り方だ。
一方、大石寺は、筆順を凹凸で彫り下げて表現している。この在り方を、わたしは蛮勇だと思う。

なかには、ほとんど一筆で書いたと思われる花押を有す御筆大漫荼羅もある。しかし、大幅になればなるほど、なぞり、書き足す頻度は上がっている。
ところが、弟子の段階、さらに後代になると、しっかりと一筆で書くようになる。いわば、書道としての原則が遵守ようになる。後代、そんな“書写”本尊から、ものを考えると、「日蓮大聖人ほどの人が、自ら書いた漫荼羅をあとから修正したりしない」という固定観念から出発することになる。こうして、はっきりと筆順を掘り下げた板本尊が造立されるに至ったのではないか、というのが、今回の覚え書きのコンセプトである。

大石寺には日蓮真筆大漫荼羅はなかった?

大石寺に所蔵され『御本尊集』に所載されるのは第82第111第116であると、大石寺の僧・故山口範道氏が『日蓮正宗史の基礎的研究』に書いている。*
この第82が信行寺板本尊の原本で、紫宸殿本尊と詐称されるものである。「三枚綴り」であるというだけで「不詳」(『御本尊集目録』P121)であるが、大きなものだろう。写真で見る限り、加筆された形跡はわからない。
第111第116は、共に「不詳(一枚)」(同P156/161)。大きなものではない。
この3舗を考慮して『大石寺宝蔵目録』(学林輯葉巻之廿一/遠霑講寺沙門完則鳩集)を見ると、「紫宸殿本尊」は第二之函に載るが、他の2舗は不明である。他で言えば「建治元年乙亥十一月御本尊」「病息消滅本尊 建治二丙子/号死活本尊 八月十三日」「重須本門寺本尊 弘安三辰/日増授与 十一月」などが見られるが、これは『御本尊集』所載とは別のものだろう。
現在、大石寺大講堂に奉安される通称「万年救護本尊」(第16)の模刻板本尊の入集は、日精よりさらにあとのことなのだろうから、仮に紫宸殿本尊と詐称される第82が万が一、偽筆であったとすれば、大石寺には、確たる御筆大漫荼羅がなかったことになる。実際のところ、第82漫荼羅も、通常、奉安していない。大石寺僧俗は、日蓮真筆御筆大漫荼羅を見る“ビジュアル的環境”に、今も昔もなかったのだ。
この情報操作が、功を奏している。あの彫刻本尊を間近に見ても、その真筆には決してない瑕疵を見極めることができない。彫刻本尊は、日蓮真筆御筆大漫荼羅にはない図形的な特徴を持ち合わせている。決定的な贋作の証拠である。それでも、たしかな知識がないわけだから、真贋を見極めることは不可能だ。
一般信徒が見られるのは、せいぜい江戸時代の日寛の本尊ぐらいである。深刻なのは、この諸尊・讃文等が、彫刻本尊と同じだから本物なだとまで思い込まされていることだ。大石寺の信徒は、これが相違している程度の知識はある。そこで弄される詭弁は「内証の書写」というものである。文字をそのまま、写したのではなく、日蓮の内証を写したのだという。では、なぜ、内証を写すと書かれている内容が変わってしまうのかという点では、もはや、考えることもしない。「唯授一人」「深秘じんぴ」であるという相伝の目眩ましに惑わされている。このような情報操作下にあるのが学会を含む大石寺信徒の‘信仰’である。
わたしは、この状態を騙されている・操作されていると観察する。
故に真実に目覚めてもらうために、ここに論攷を公開している。
信徒会員が憎いわけではない。大石寺の言うことを鵜呑みにして、わたしを非難する人も多々散見するが、わたしの書いてきたことを追考証してみれば、事実であることはわかる。彼らは情報操作された犠牲者なのだ。

花押への加筆は何のため?

日蓮が花押に、特に念入りに加筆したのは何のためだろうか。形を整えるためという側面はあると思う。しかし、それだけだろうか。
日蓮が花押の、特に 部をあとから何度も加筆したのは、その筆順をわからなくするためでもあったのではないか?
冒頭に挙げた臨滅度(81)などは、 の‘フ’様の画をあとから塗りつぶして‘▼’様にしているようにさえ思える。
このような加筆の意味は、形を整える以上に筆順の隠匿にも意味があるのかも知れない。もちろん、憶測の域は超えない。もし、この想像が合っているとすれば、彫ってしまえば、秘匿した筆順をあからさまにしてしまう過も侵すことになる。

後代の単純化、モデル化された既成概念から考えると、やはり、日蓮の祖像は見えない。
複雑に加筆もされた御筆漫荼羅を、一筆で書き上げられた後継者達の「書写」本尊という視覚的情報から想像して造立すると、どのようなことが起こるのか、ある面、そんな側面からも、所謂「本門戒壇の大御本尊」造立の顛末を観察すると、より事実を明確にする手だてになるのだ思う。

 〔参〕 所謂「本門戒壇の大御本尊」彫刻写真の解析(8)

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