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1) からつづく -

平成13年に
奈良国立博物館で開催された「仏舎利と宝珠」展概説。インド・中国・朝鮮・日本に伝播しながら形成された仏舎利と宝珠信仰の概説はたいへんに参考になった。
取り分け(
1)で記した
三室戸寺所蔵の摩尼宝珠曼荼羅が紹介HPのものとはまったく異なっていることを、図録から知ることができたことは有り難かった。
不動愛染感見記のそれぞれの図は、この曼荼羅の、独学徒師が三光図とご教示下さったの部分とデザインコンセプトが一致している。細部の表現については違いはあが、描かれているパーツは同一である。
感見記の末文は「日蓮授新佛」となっているから、日蓮が誰がしかに授けたものなのだろう。“新佛”が「灌頂を受けた者を指すらしい」とは、すでになくなったHPの名作「虚構山幻想寺」で知ったのは、随分と前のことである。
所蔵の摩尼宝珠曼荼羅から、想像を逞しくすると、不動愛染感見記は2枚ではなく、3枚セットではないのか、そして失われた1枚には虚空蔵菩薩と宝珠にかかる記述があったのではないか…、あくまで想像に過ぎないが、心躍るところである。ここまで、前回に記したこと。その続きを記したい。いったん、虚空蔵菩薩から離れる。


不動愛染感見記。大木道惠師は、この図に金烏と玉兎描かれていると類推する。『三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集』が原型ということか。
ところが虚構山幻想寺の作者は、愛染感見記につき、「黒い鳥は古来日神の使いとされてきたカラス。これが日輪中の赤いカラスならば天皇(王権)の象徴ということになる。三本足ではないことに注目」と書く。
感見記は墨筆であるから色はわからない。しかし、
三室戸寺所蔵の摩尼宝珠曼荼羅は彩色である。その烏を見れば黒で描かれている。飛翔しており、足は描かれていない。兎は野に跳ねる素朴な姿である。
三室戸寺所蔵の摩尼宝珠曼荼羅と感見記の図が一致するのは、なにかこの信仰文化圏では常套の図柄であったことを示すではないか。
感見記の図は日蓮が描いたかどうか、どうも判然としない。しかしながら、日蓮オリジナルではないことは確かである。烏といえば日輪・兎といえば月輪というお定まりに基づくのも感見記の文脈からして確かだろう。
れん師は、西山本門寺に本尊左右に日月(日蓮図作?)が奉安形式があることを紹介されたたしかにあったという。ただし、それは祖師開山に遡源するものではなく、錦の御旗の転用だろうという。なるほどと思った。
明治以前の仏教を考えるとき、神仏分離以前の、神仏習合という視点に戻ることは必須である。さらに日蓮を考えるとき、加えて顕密という、暗黙に日蓮門下がスポイルしがちな真言の影響をタブーとせず、観察しなければならない。
前置きが長くなったが、彰往考来師が下さった「『仏舎利と宝珠』概説」という短文から、多くの知識を得ることができた。仏舎利と宝珠が、やがて習合し同一視される経緯の説明は見事だった。
以下、獲た情報と併せた試論。
『仏舎利と宝珠』概説に「平安時代半ばより真言密教では舎利をあらゆる願いをかなえる不可思議な玉である如意宝珠や、末法時代の衆生を救済するとされた一字金輪仏と同一視する教義が盛んとなった」(P179)とある。わたしが愚考してきた日蓮花押・摩尼宝珠・一字金輪と関連する。
日蓮墨筆を読む(
366)で取り上げた『大日経疏』、すなわち『
大毘盧遮那成佛神變加持經義釋卷第五』沙門一行述記、入漫荼羅具縁真言品第二之三の文(X23n0438_p0354a09501))の、日蓮の要文の書き出しは興味深い。
日蓮は「漫荼羅」という表記を用いた。この成句は『
大毘盧遮那成佛神變加持經』にある。要文は断簡だが、その前部には「轉字輪漫荼羅」という記述がある。轉字輪を一字金輪を解することができるかどうかは慎重であるべきだがしかし、わたしが思い至った
日蓮前期花押が摩尼宝珠の表象であること、さらに
後期花押が摩尼に重ねた一字金輪の表象であることと、この『
大日経疏要文』断簡は無関係ではあるまい。
山中喜八師が『御本尊集』第49に「當御本尊以降、御花押の變貌を拜する。尚、現存眞蹟御書にあつては、弘安元年6月25日の『
日女品々供養』より、其の御變化を窺ふことができる」(P74)という。
なぜ、弘安元年に一字金輪に花押を変えなければならないのか。
わたしはこの理由を『
諸人御返事』に求める。このころ、俄に公場対決が叶う風気が漲る。この喜びを記すのが、この書である。公場対決の勝利は日蓮は確信していた。「我が弟子等の出家は主上上皇の師」となると喜びが伝わる文面である。こうした確信の基、その後、熟考数か月を経、漫荼羅を天皇授戒に用いる様式に再構成したのではないか。
三秘法門における戒壇は、まさに国主授戒の場である。一字金輪・不動愛染の尊蔵奉安とはまさに国王授戒の形式そのものである。
先に『
日蓮漫荼羅における梵字:一字金輪花押と愛染不動の意味』でも挙げたが、以下再掲する。

「後醍醐天皇の政権で圧倒的な権勢を誇った西大寺流の文観にも,神秘的国家神話を密教儀礼によって裏付けた重要な著作があった.延元三年〔一三三八〕三月二十一日弘真(文観の別名)の本奥書がある『秘密源底秘決』は,阿部泰郎氏によれば,「国家の本尊たるべき一仏二明王の三尊合行法についての口決」だが,その中心に如意輪観音が据えられているのは,如意輪と天照太神/荼枳尼天との習合に基づいていると考えることができる.『秘密源底秘決』は,石山寺蔵『謀書目録』に,文観が三宝院の聖教の随一として伝え,禁裏に授けて信仰他に異なり叡感深かったと述べる三尊合行法がこれに当るだろうという.以下,阿部氏の記述を引用しよう.
この法の本尊は五輪塔に象られ,二顆の宝珠すなわち舎利を納め変じて如意輪となって中央に在り,左に不動(忿怒尊=胎蔵),右に愛染(敬愛尊=金剛)の二明王を配する(これは観心寺本堂の三尊構成に等しい).〔中略〕
先ず,宝珠の正体を両部合体の如意宝珠蓮華密印とし(如法尊勝法と如法愛染法に重なる)不動と愛染が宝珠をもつ意義を説く.次に,この三尊をもって迷悟の体と釈し,不動愛染が三毒の煩悩と現じてそのまま仏果瑜伽の功徳また煩悩即菩提の一宗の肝心の理を表すものと説く.次に,宝珠尊形を釈し,これを如意輪と示し,その最極の習いとして,これが一字(仏)頂(金)輪王たる帝すなわち日輪同体の内侍所神鏡たる天照太神の所変と解き,その上で帝王の即位には舎利(金輪)の真言をもって即位の真言とする,と言う一箇の王権観の体系を描くのである.」
…宝珠の正体を両部合体の如意宝珠蓮華密印…不動と愛染が宝珠…宝珠尊形…如意輪…一字(仏)頂(金)輪王…天照太神の所変…舎利(金輪)の真言をもって即位の真言…、漫荼羅本尊を持って国王受戒に臨むとき、摩尼宝珠と一字金輪は愛染不動は必須なのだ。だからこそ、弘安元年、公場対決を経、国主授戒に臨むとき、花押は摩尼宝珠に重ね一字金輪を懐く必要があったのではないか。
愛染における日形は、単なる幡などではない。天に輝く大日天玉、受戒は日を何懐く日蓮、そして、天皇は、不動愛染が懐く摩尼宝珠・一字金輪を授戒されるとき日神・天照大神の所変となる。
すべて、摩尼宝珠・一字金輪を花押に懐き、左右に不動愛染を懐く、日蓮漫荼羅一幅に籠められた戒壇受戒の密義ではないか。
法華経に日月燈明如来。日蓮の名は「如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇」から、これを得たという。そして、不動愛染感見記における不動愛染図は日月を示すことも偶然ではないと、わたしは思う。
以上のテーマを考えるとき、西大寺、勧修寺派がクローズアップする。この点については、後日改めて考えて見たい。
§
○以下、『仏舎利と宝珠』展概説からの抜き書き
舎利信仰の革命―後七日御修法
…後七日御修法は御斎会とともに国家行事として、鎮護国家、玉体安穏、五穀豊穣を祈願して行われる…真言宗では舎利を宝珠と見なす説があるため、平安時代後期より修法の本尊が如意宝珠、あるいは宝珠と関連の深い
宝生如来と官がえっれる用になるが、これらの説は舎利を本尊とする教義を発展させた。(P178)
…特に醍醐寺周辺の真言寺院(小野流という)は舎利法や宝珠法に熱心…出身者に
重源(1121~1206)や叡尊(1201~90)
…小野流の舎利信仰には大きく二つの流れ
…舎利と宝珠を同じ…醍醐寺を中心
…別のものとする…
勧修寺…(P180)
如意輪宝珠法
如意輪観音を本尊に立てて行う宝珠法…
醍醐寺の祖師勝覚(1057~1129)が如意輪観音に見立てられた五輪塔と、不動明王、愛染明王の三尊をまつって行ったのが始まり…叡尊もそれにならい、西大寺において文応元年(1260)『如意輪宝輪華法』と称する法会を始め…如意輪、不動・愛染をまつる…(P182)
一字金輪の種子がボロンになった舎利
勧修寺の僧侶…舎利法は一字金輪佛と結びついた特殊な内容…よりどころとしたのは『大陀羅尼末法中一字心呪経』…舎利は一字金輪仏の種子ボロンに姿を変え人々を救済する(P184)
不動愛染感見記以外の図は、『仏舎利と宝珠』から転載
〔参〕
阿呆陀羅經師ご教示:阿部泰郎著『文観著作聖教の再発見-三尊合行法のテクスト布置とその位相』
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3) へつづく -
Posted by saikakudoppo at 12:12│
Comments(4)
早速ありがとうございます。但、年頭に置きたいのは「日蓮主義、天皇本尊、八紘一宇、世界最終戦争」というイデオロギーは近代化プロセスにおける神佛習合説に基づく「中世王権神話」の根本的否定の産物であったという事実です。
明治維新で即位儀礼すら抜本的大転換を施されておりますし。
そういえば鎌倉期は天皇登極に際しての「即位潅頂」のプロトコルが固定された時期でもありますね。「文観−芥枳尼天−後醍醐天皇−即位潅頂」というラインを引くと、日蓮も巻き込まれざるを得なかった「中世王権神話」の諸相が垣間見えて来る気がします。
尚、一方では「如意宝珠=融通尊=宝生如来」という説も称えられたようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E6%AC%A1%E5%AF%BA