2011年03月23日

彰往考来師頂戴資料(20)薗田香融著『古代仏教における山林修行とその意義』

- (19) からつづく -

― 特に自然智宗をめぐって ―

この叢書のテーマが虚空蔵信仰であり、よって、薗田師が取り扱う“山林修行”とはそのラインからの考証になっている。

副題でいう自然智宗については、先の『安房国清澄寺宗派考』で高木豊師も取り上げていた。当論攷のほうがよりしっかりとした説明になっている。

知っておくべき点は求聞持法は自然智宗によって継承されたということだった。また、こうした修業の場は、国家運営の寺院とは別に山寺で修されていたものであること。しかし、山寺はけっして官寺と別個に成り立っているのではなく、官寺にあるものも月半分は山寺にあるという具合に密接な関係にあったこと。

自然智とは、学知に対する“生知”であること。ならば、本来、生まれ持った知恵の発露に相違なく、虚空蔵信仰、求聞持法という如法修行の“取り返される”ものであること。つまり、その脈絡は即身成仏にあること。

やや横道だが、浄土念仏は、此土即身成仏を否定する立場にある。このことと、日蓮の浄土批判は何らかの関係あると思えた。
§


○以下、少々抜き書き

1自然智宗(P144)

山寺…古代仏教の本すじは、朝廷や貴族のいとなむ官寺・氏寺を中心として発展してが、これらとは別個に、幽邃な深山に、僧尼が自身の「精進練行」のためにいとなんだ山林寺院と、そこを根拠とする山林仏教の流れが存在した…浄行者(P143)
・神叡…芳野僧都(P144)
・最澄の文献…『顕戒論』巻中「開示唐一隅知天下上座明拠」…「何況比蘇自然智」・『法華秀句』上末…「比蘇及義淵、自然智宗…」(P145)
・護命…月之上半入深山…(P146)
・神叡-尊心-護命(同)
・自然智宗の起源…奈良町初期以来…教学の上でも、あるいは僧綱政治の上でも、奈良仏教を代表する最有力の学派(P147)
・最澄『内証仏法血脈譜』所引の「吉備真備纂」の道[王*(叡-又)]…三論集に造詣が深かった…(P147)
・最澄撰『大唐新羅諸宗義匠依憑天台義集』…「比蘇」(P148)
・最澄は入唐以前に、すでに天台の宗義を知っていた。それは道[王*(叡-又)]や、法進(鑑真の随僧)のもたらした教籍によって啓発されていたからであった。
・「生知」(生まれながらの知)を尚び、「学知」(学習の知)
・われわれは二つの新しい事実をつけ加えることができる。一つは、道[王*(叡-又)]が、やはり自然智宗の一員と考えられたことであり、もう一つは、「自然智」の解釈の上に、最澄が「生まれながらの知」といい換えていることである。
・比蘇山における山林修行は、後天的な学習によって獲得せらるる「学知」と対照せられるような、「生知」すなわち「生まれながらの知」を獲得することを目標としたのであろう。(P149)
・「自然智宗」は、三論とか法相とかの特定の宗派・学派に関連するものではない。(P149)

2 求聞持法(P150)

・『元亨釈書』…比蘇山寺…神叡…「世言。得虚空蔵菩薩霊感」…養老3年
・1.虚空蔵菩薩法…大虚空蔵菩薩護念誦法…福徳・智慧・音声…唐・不空
 2.五大虚空像法…五大虚空蔵速疾大神験秘密式経…増益・息災・所望…唐・金剛智
 3.虚空蔵求聞持法…虚空蔵菩薩能満所願最勝心陀羅尼求聞持法…求聞持…唐・善無畏
・比蘇山…自然智宗…「虚空蔵求聞持法」によって「聞持」の智慧を得ることを目標とした山林修行の一派
・『五十巻鈔』(P152)
・「自然智宗」の行者たちが行った修法は、真言密教の最も典型的な一修法だった
・勝虞
・唯識(有宗)や三論(空宗)の学習を努める学僧たちが、記憶力の増進を希って密教的修法に熱中している間にしらずしらず空有の観念論を超える高次の到達していたのかもしれない。思想は非思想的なものを媒介としてのみ、前進することができる(P155)

3求聞持法の伝来と発展

・空海がいう「一沙門」(P156)
・入唐した道慈が「求聞持法」を請来し、これを善議→勤操と大安寺三論学派に伝授したことはかなり信用してよいのではないかと考えている。その理由は、道慈が帰朝したのは養老2年のことであるが、それははるばる中印度から長安に到達した善無畏三蔵が、「虚空蔵求聞持法」1巻を訳出した翌年に当るからである。帰朝まぎわの道慈が、この新訳出の1巻を携えて帰ったことは、大いにありうべきこと…『玄宗朝翻経三蔵善無畏贈鴻臚卿行状』…『宋高僧伝』(P157)
・『覚善鈔』には求聞持法の「法験事」として、護命と共に道昌の事績をあげている。(P158)
・道詮…『僧綱補任』巻一裏書(P159)

4官寺と山房

・如法修行(P160)
・「浄行」はすなわち「如法修行」(P161)
・「一たび耳目を経れば、文儀倶に解し、之を記して永く遺忘せず」(続日本紀、養老3年11月乙卯条)
・暗誦を学解の埒外に置こうとする考え方自体がすでに現代的な思惟(P162)
・「求聞持法」の修法は、記憶力の増進という即身成仏の補助手段(
・浄土経は即身成仏を否定し、彼土入証・往生成仏
・山林修行の役割について…山林仏教が、古代人の現世意識と直接対決する。かしこの谷こなたの山に、「別所」がいとなまれ、僧尼は「聖」となり、民衆は直接、山林行者に結縁しようとした。浄土教はこうした場面から醸成された。民衆は、聖たちの聖性の分譲ということでは満足しなくなった。成仏の可能性の否定とうことから中世仏教は出発するのである。(P163)


民衆宗教史叢書24巻
虚空蔵信仰
編者 佐野賢治
雄山閣出版
平成3年4月5日
143頁所載
ISBN4-639-00211-4


- (21) につづく -

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