2018年10月14日

教学メモ52-2:再度「為斯所軽言 汝等皆是仏」の読みについて

先に『妙法蓮華経 開結』を頂戴した竹岡誠治さんからお電話につき『御義口伝「為斯所軽言汝等皆是仏事」の訓読について』と題して教学メモを記した。

『勧持品』13「為斯所軽言 汝等皆是仏」の読みについてであるが、いま巷間に流布する訓読は「斯れのために軽んじられて『汝等は皆、これ仏なり』と言われんも」(岩波文庫『法華経(中)』坂本幸男)など、受難者を「お前は仏だ」と、迫害者が詰る意味になっている。肯定する人々に言わせれば、「仏野郎」「はいはい、君たちは仏だよ」と言った皮肉を込めた言い方と解釈される。

しかし、この訓読は、そもそも漢文の本則から外れている。疑義を『勧持品二十行の偈「為斯所軽言 汝等皆是仏 如此軽慢言 皆当忍受之」の訓読について』として書いたのは、まだ20世紀のことだった。

恥ずかしながら、梵本を読む能力を持ち合わせていない。以下、梵本直訳から考えてみたい。

世界的に見て、梵本法華経の代表的な翻訳は 1884年の H.Kern “SADDHARMA-PUNDARIKA” だろう。当該箇所は以下のようになっている。

CHAPTER XII.EXERTION.
“12. And those fools who will not listen to us, shall (sooner or later) become enlightened, and therefore will we forbear to the last.”

1913年、南條文雄の『新訳法華経:梵漢対照』は優美である。

我等を此に誹謗する
彼等悪人も(いつしかは)、
正等覚(みほとけ)となることあれば
我等は總て忍ぶべし

1991年、岩本裕の『法華経(中)』(正しい教えの白蓮)。

如何なる邪悪な考えの持ち主がわれらを軽蔑しましょうと、そのとき、『これらの者も仏になるんだ』と、われらは如何なる場合にも堪え忍びましょう

以上、3訳、通じて迫害を成すものを指して “become enlightened”「正等覚(みほとけ)となる」「これらの者も仏になる」という。

以下、拙稿『【論攷】勧持品二十行の偈「為斯所軽言 汝等皆是仏 如此軽慢言 皆当忍受之」の訓読について』

斯れが為に軽んじるに「汝は皆是仏なり」と言い
此の如く軽慢に「皆当に忍ぶべし」と言う

とした。やや再考すれば、

斯れが為す軽んじる所に「汝は皆是仏なり」と言い
此の如き軽慢を「皆当に忍ぶべし」と言う

とすべきかもしれない。


*岩波書店から出版された植木雅俊『梵漢和対照・現代語訳 法華経』の当該箇所の訳は、まるでお笑いの台本台詞のようで、経本として品位を欠くと共に、巷間流通する国訳を意識しすぎ、上記3訳とは逆に受難者を「仏」と詰る訳となっている。信頼し難い。

Posted by saikakudoppo at 07:19│Comments(0)