2021年07月27日

織田仏に学ぶ21:意

護法(dharmapāla、530-561)の【成唯識論】の昔に、心・意・識に集起・思量・了別の説明がなされていた。

こうした点を的確に挙げられるかどうか、ネットで調べているだけでは到底適わず、数多ある仏教辞典でもそうはない。織田の学力、いな日本仏教に千年単位で継承されてきた仏教修学に改めて敬意を覚える。
そして、そうした伝承が今となって崩壊の危機にあることを悲しくも思う。



〇織田仏(織田佛教大辭典)から転載し、私注を付した

[術語]
事物を思量するを意といふ。
唯識論5】に「薄伽梵。處々經中2心意識三種別義1。集起名心。思量名意。了別名識。是別義ナリ。]
〔私注〕唯識論=成唯識論(護法造 玄奘譯)
倶舍論4】に「集起心。思量意。了別識。復有釋言。淨不淨界種種差別故名爲心。即此爲他作所依止故名爲意。作能依止故名爲識。故心意識三名。所詮義雖異。而體是一如ナリ。」
〔私注〕倶舍論=阿毘達磨倶舍論 (世親造 玄奘譯)。省略されている句も参考に赤字で上げた
止觀2上】に「對シテ21覺知。異ナルヲ2乎木石1。次籌量スルヲ






Posted by saikakudoppo at 08:29│Comments(0)