2021年10月11日

菅田正昭『一遍上人と遊行集団と阿弥衣』を読む

しま266b過日、久方に菅田正昭先生にお会いし、季刊『しま』を恵贈いただく。

本日は266号所載の離島関係志穂講14『一遍上人と遊行集団と阿弥衣』を読んだ。
本稿は、芸能界を引退後、時宗法雲寺の住職となったファンキーモンキーベイビーズのDJケミカルから話が起きる。
菅田先生がヒップホップを聴くことには驚いたが、要は踊念仏の一遍の話題である。
一遍の遊行について。妻子と下女を伴い、参加者は身分を選ばず、ハンセン氏病の人々もいたというのは驚く。それにしても、人を身分や病気などで区別しない伝記なのに、“下女”という表記が気になった。これはもちろん当玉稿に限らず、一遍伝記全般の話。また妻子というのも、いまの時代では読み流しそうだが、親鸞と同じ。どうも念仏系は、ここいらに禁忌がなかったのか。

阿弥ぎぬとは、網のようにしか見えない粗雑な布で作られた衣で、野辺送りの棺桶に掛ける布だという。
菅田先生は「土葬の時に棺から剝ぎ取って野袈裟として身にまとう」は書かれているのでぎょっとした、野辺送りに乱入して棺から布を引っぺがし奪うような印象を覚えたからだ。実際は、埋めるときは布を取り去って捨て置かれ、あとから、それを拾って衣としたということか。あるいは粗雑な布の譬えなのか。

「初期遊行集団のメンバーは、いずれも踊り狂うようにして披露死」というのは、なんとも凄まじい。



Posted by saikakudoppo at 14:59│Comments(0)