斎京四郎ブログ

斎京四郎のブログです

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皆様、おはようございます。

 昨日(5月26日土)は、支援者の皆さんへのご挨拶を中心に市内を回りました。すでに「選挙師匠」と呼んでもいいベテランのMさんをはじめ、旧知の先輩、Iさんにお世話になりました。本当に準備時間がない選挙なのですが、皆さんのおかげで前進しています。感謝!

 さて、今日の一枚は近所の写真。道路の舗装が傷んでいますね。しかしポイントは竹ぼうきで道路を清掃している方。何をしているのでしょう?

 答えは「道路の石を掃いている」です。写真左は私有地。砂利が敷かれてますが、道幅が狭いためすれ違う車が砂利を踏むため、舗装道路に石がまき散らされてしまうのです。毎日、ボランティアで石をどけているそうです。感謝!大小の差はあれ、こうした問題は日常生活エリアにたくさん存在しているはずです。ほとんどの問題は誰かが意図的にやっているわけではなく、いろいろな偶然が重なって問題が起きているのだと思います。

 政治公約などというと大きなビジョンやテーマを掲げるものですが(私もそうですけれど)、住民が実際に政治の役割を認識できるのはこうした問題を解決する調整なのだということが、活動を始めて最も勉強したことかもしれません。地方政治家の役割はいろいろあるとは思いますが、まずこうした課題に地道に取り組む姿勢を大事にしていきたいと強く実感しました。「最強」の地域コーディネーターを目指す「斎京」としては「初心」をこういうところに置きたいものです。

 これも地域を歩いて住民の皆さんと話をしないとわからないことです。ところで砂利問題の犯人の一人は私の車でもあります。気づきませんでしたね。やはり「歩くこと」は大切です。とりあえず今日の朝は罪滅ぼしに竹ぼうきを持ちました。(今日のオマケは散歩中のワンちゃん!)
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皆様、おはようございます。

 昨日(5月25日金)は、拡声器なしの辻立ち(今は活動に拡声器が使えない期間なのです!)に始まり、支援者の皆様へのご挨拶という一日でした。お付き合いいただいたA社の皆さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
 さて、今日の一枚は直江津駅。高田駅と違ってすべて新しくなっています。以前の北ドイツ風三角屋根の駅舎も趣がありましたが、思い切りよく建て替えたのは直江津らしいかもしれません(笑)。

 上越妙高駅がオープンして直江津駅の役割が低下したのは事実かもしれませんが、まだまだ可能性があると思っています。直江津からほくほく線の快速を利用して上越新幹線にアクセスすれば時間的にはほとんど変わらず首都圏にアクセスできます。首都圏への実用的な高速鉄道網を2つ持っている地方都市は他にあるのでしょうか?この2つを上手にリンクすれば企業活動や新しくできる水族館をはじめ観光にもメリットが生まれるはずです。
 
 しかし、駅前に人がいませんね(笑)。馬鹿かとお思いかもしれませんが、私は直江津駅前をミニ鉄道公園にすれば面白いと前から思っています。市内某所にひっそりと置かれているSLを持ち込む。知る人ぞ知る「名店」の駅前そば屋さんを古い客車で営業する。新水族館「うみがたり」近くまでミニSLを走らせるなど夢(妄想?)は果てしなく広がります。水族館はファミリーが多いはずですから、子どもが面白がる仕掛けが大切だと思います。

 夢の原点?は糸魚川駅。大糸線の車両を上手に使って憩いの場を作っていますが、高校生が動かない客車に乗って、電車待ちをしたり勉強している姿をみると「これは使えるアイディアだ」と思ったのがきっかけです。(糸魚川駅は歴史的な赤レンガ倉庫をデザインに活かしたり、なかなかのアイディア駅舎です)

 駅が船の形をしている直江津駅は、鉄道、港湾の将来的な結びつきを示唆していると思っています。
これも私の政治的なテーマなので昨日のネタにつづく「良き師匠パートⅡ」ですね。
(今日のオマケは散歩中のワンちゃん!可愛い)
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皆様、おはようございます。
 昨日(5月24日木)は、ちょっと変化のある一日。実は本日、県知事選が告示され選挙戦に突入、告示前の県議会議員補選は政治活動に制限が加わりました。というわけでちょっと拍子抜けの一日?でもやることはたくさんあり充実した一日でした。花角英世知事候補にもお会いし、一段と気合も入りました。とても柔和なお人柄で安心感の持てる素晴らしい方でした。
 さて、今日の一枚は高田駅。夜景なので今一つの写真ですが、ユニークなデザインが光ります。なんとなく和洋折衷様式、明治時代、文明開化の駅舎のようです。(スケールは違いますがなんとなく東京駅に雰囲気が似ていなくもない?)実に高田らしい城下町の雰囲気を感じさせる外観で私はとてもセンスがいいなと思っています。高田は歴史文化の香りが随所に感じられる街ですが、駅舎自体は、私が高校時代に利用した駅舎を整備して使っています。そう、この外観は実はアーケードなのです。つまり雁木ですね。そういえば高田の駅は昔は雁木につながっておらず、冬の雪の日は雁木から駅舎にいくのに「気合」が必要でした。あの色気のない駅舎がこんな風になるなんて!さすが日本一の長さを誇る「雁木の街」です。
 善光寺門前を想わせる旧長野駅の改築はずいぶん論争があったようですが、昔の駅のイメージを残すかどうかは意見の分かれるところです。高田の駅は全く新しいものですが、実に高田らしい雰囲気で「街の顔」にふさわしい!新しいものにその街の雰囲気を醸し出させるのは、うまくやらないとグロテスクなものになったりするものですが、「高田の品格」が感じられるアーケードに仕上がったのは、高田の街がもつ「伝統」の力だと思います。
 使えるもの(旧駅舎)は利用しコストを下げながら、街の歴史を感じさせる高田の駅の景観は、これからの公共施設の在り方を示唆しているのかも知れません。「上越の魅力を掘り起こす」がテーマの私の良き「師匠」です。
(今日のオマケは黒柴ちゃん。イクラという可愛い名前がついています。喜ぶとぬいぐるみをくわえるそうです!)
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皆様、おはようございます。

 昨日(5月23日水)は、企業様の朝礼でのご挨拶、以後は怒涛のあいさつ回り、夜は会合での意見交換など充実した日程をこなしました。付き合ってくれるドライバーの方は地域事情に詳しく一緒に話しているだけでよい勉強になります。感謝です。
 さて、今日の一枚は「芳澤謙吉」。上越市(旧諏訪村)出身の戦前の外交官で、「五・一五事件」の時の犬養毅内閣外務大臣であったことが良く知られています。昔、自伝を読みましたが、確か事件の当日はゴルフにいっていて危うく難を逃れたとの記載があったように記憶しています。戦後は台湾との民間交流にも尽力され、またお孫さんが緒方貞子さん(国連難民高等弁務官、JICA理事長などを歴任)であることも知られています。
 現在、国際理解教育やグローバル教育推進が盛んに話題になっています。小学校での英語教育も導入されることが決まっています。いろいろと議論はあるようですが、そうした教育を推進するならば、「故郷教育」はますます重要になると思っています。前職時代、海外からの留学生を学校に受け入れたことが何度かあります。経済的にどんな貧しい国から来た子どもであっても自分の故郷や国について、しっかりと自慢?していました。今の日本の子どもたちが自分の故郷をどれだけ誇りをもって語れるでしょうか?今までお会いした国際的に活躍されている方は、皆さん、自分の国や故郷について魅力的に語られる方が多いと感じています。郷土愛を育むことは、排他的な感覚を持つことにはならないと思います。むしろ逆なことを彼ら彼女らは証明しています。
 最近は「〇〇教育」というのが増えてきて、学校現場は若干、辟易しておりますが故郷教育は実は学校ではできません。地域連携の中でしかできないと思っています。ペーパーや教師=子どもの関係だけでは身につかない日常の中にあるものだからです。こうした地域連携教育の推進は私の最重要テーマです。
 戦前の困難な外交を担い国益を守ろうとした芳澤謙吉。今も遠く世界を見つめる芳澤翁の像の足元はしっかり上越の大地を踏みしめています。(今日のオマケは眠そうな芝ちゃん)

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皆様、おはようございます。

 昨日(5月22日火)は、辻立ちにはじまり、原稿書き、怒涛のあいさつ回りの1日。いつも夜にあいさつ回りをガイドいただく方は、スーパーマンで、70歳を超えておられるのに私より勢いがあり、回るたびに元気になっていきます。政治活動は人を元気にする「何か」があるようです。
 さて、昼間は三和区にお邪魔したのですが、興味深い石碑を発見。「新潟県立直江津高等学校三和分校跡」と記されています。この分校は昭和53年3月に閉校となっています。しかし、現在は「本校」であった直江津高等学校も閉校となり、新たに直江津中等教育学校に生まれ変わりました。私の母校、直江津中学校の同級生は約300人いました。100人前後は直江津高校へ行っていたような気がしますが、現在、直江津の名がつく高校はありません。中等教育学校は立派なものですが、地元の子がいく高校がないのはさみしいですね。また、直江津は交通の便がよく上越地域内ではどこから通うのも便利。この地に高校がなくなってしまったのは何故なのでしょう?
 大阪に「大阪市立咲くやこの花高校」という公立高校があります(ネーミングがおもろすぎ!さすが大阪)。演劇科や調理科があるかと思えば、大学進学バリバリのコースもある実にユニークな高校です。視察に行った時のことですが、ものすごく立派な調理室があり、「さすが調理のコースがあるだけの高校だ」と思ったら、教頭先生が「あぁ、そこは普通科のための調理室ですよ。調理コースの調理室はこっちですわ」といって案内された調理室は腰を抜かすほどの設備で唖然とした記憶があります。「咲くやこの花高校」は近隣の学校をいくつか統廃合して生まれた学校ですが、ここまで生まれ変わればなくなった学校も納得?(ちなみに、このブログの趣旨とは直接、関係ないですが、上越には調理師免許がとれる学科、コース、あるいは専門学校がありません。地元で調理師免許がとれる仕組みを作るのは私の公約です)。
 少子化の影響で学校の統廃合は避けられない現実ですが、知恵を絞れば「母校の想い出」を残しながら「未来への期待」へ変えることができると思っています。地域の声をしっかり聴いて、この問題に対応することが地方政治家に求められていると思います。母校への想いを静かに伝える三和分校の石碑はこの問題に何を語りかけているのでしょうか。(今日のオマケはハンサムワンちゃん。凛々しい!)
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