at 17:17│オカバンゴデルタ | ボツワナ

2011年05月27日

オカバンゴ・デルタの優雅な滞在(ボツワナ)

みなさんこんにちは。大阪支社の米谷です。

ゴールデンウィーク明けから今年はボツワナのオカバンゴ・デルタへ行ってきました。
オカバンゴデルタは5月から9月にかけて乾季のベストシーズンにあたります。
しかし、1月頃に北部のアンゴラで降る雨が、オカバンゴ川に流れ込み、ゆっくりと時間をかけて4月~8月にかけてオカバンゴ地域に氾濫原を作り出します。この氾濫原は野生動物達に貴重な水場を提供しているのです。

オカバンゴデルタの大湿原
≪オカバンゴデルタの大湿原≫

オカバンゴの魅力はなんといっても野生動物の観察でしょう。
ケニア、タンザニアなどとは違って、宿泊施設が限られ、広大な土地に8部屋~10部屋しかない小さなロッジが点在しています。観光客が少ない分、動物観察をゆっくりとお楽しみいただけるのが大きな特徴です。

今回のツアーでは最初、オカバンゴ・デルタ北東部のセリンダリザーブに位置するセリンダキャンプに宿泊しました。オカバンゴでは各ロッジ間の移動は小型飛行機を利用します。道中、そらからは見渡す限り果てしなく続く大湿原が広がっていました。

セリンダ・キャンプは予想以上に素晴らしい場所でした。
周囲は大自然に囲まれ、9部屋のテント式ロッジが点在。各部屋には天蓋付きのベッド、シャワーにバスタブも完備され、電気も24時間利用できます。スタッフもホスピタリティ溢れ、ゆったりとした滞在が楽しめます。

セリンダキャンプ(客室)

セリンダキャンプDSC_3722
≪セリンダ・キャンプ≫

1日の始まりは6時頃のモーニングノック。その後、キャンプファイヤーを囲んでの朝食を召し上がっていただきます。

朝食後、いよいよサファリに出発。セリンダリザーブは32000エーカーもの広大な土地にロッジは2つのみしかありません。他の観光客がいないので、譲り合いをする必要もなく、動物を見つけたら納得いくまで観察することができます。今回もライオンの群れ、ゾウ、キリンやカバなど様々な野生動物を観察できました。

ライオン家族

ハイエナの親子アフリカゾウ
≪サファリドライブで観察した動物達:ライオンの家族、ハイエナの親子、アフリカゾウ≫

朝のサファリドライブの最後にはサバンナでのモーニングティとなんとも贅沢なサービスです。

DSC_368710時30分頃にロッジへ戻ると、11時頃からブランチを召し上がっていただきます。






その後は夕方のサファリまではゆったりとした時間をお楽しみいただきます。プールで泳いだり、読書したりと思い思いの時間をお過ごしいただきます。有料ですが、マッサージもあります。客室のテラスに簡易ベッドを準備してくれ、長旅で疲れた体を癒すのも良いでしょう。

DSC_369515時30分頃にはコーヒー、紅茶にクッキーなどのお菓子が準備され、アフタヌーンティーのサービス。そのまま、夕方のサファリに出発します。





サファリの最後には夕日を鑑賞しながら、ワインやビール、シャンパンを飲みながらのイブニング・ドリンク
を楽しみます。空が真っ赤に染まる素晴らしい景色を眺めながらの一杯はなんとも贅沢な時間でした。
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セリンダキャンプ(ダイニング)ロッジに戻り、夕食の時間となります。一日に何回食べるのかと思いますが、食事も大変美味しくて、お腹の中に入ってしまいます。食事の最後にはスタッフ達が歌や踊りで我々をもてなしてくれました。




このようにして、オカバンゴ・デルタでの優雅な一日は流れてゆきます。
大自然の中での滞在は一生の思い出になるに違いありません。他の場所では味わうことができない贅沢な時間を是非一度味わって見て下さい。












at 15:28│ジンバブエ | ヴィクトリアフォールズ

2011年05月19日

雷鳴の轟く水煙・ヴィクトリアフォールズ

大阪支社の中島です。今回は、ヴィクトリアの滝を見た時のことです。

空は晴れ渡っていて雲はないのに、突然雨が降ってきました。そして、音がする方へ近づくにつれ、その音量も増してきました。ザンベジ川から流れ落ちるヴィクトリアの滝から、「雷鳴の轟く水煙」が上がっていました。そう、それは雨ではなく、滝の水が風に流されてきていたのです。
国境を越える前に、ザンビア側からの滝の様子を眺めました。この滝P1070929を発見したリビングストンの銅像(左写真)が立っていました。彼は、屋上でビートルズが演奏をしていた建物の2軒隣の、ロンドンのサビルロウ1番地に住んでいましたが、知らないうちに忽然といなくなって、どこに行ったかと思っていたら、こんな所でこんなに大きな滝を見つけていたのです。そして、彼が生きていた時代のイギリスの女王、ヴィクトリアに敬意を表して、その滝に女王の名前を冠しました。
ジンバブエに入るための国境には、大きなトラックが長蛇の列を作っていました。その様子を眺めながら、僕もパスポートを持って入国手続きの順番を待っていました。
「1日に20台ぐらいしか通過できないんだ。俺も3日前にここへ来て、やっと今日、ジンバブエに入れるんだ。1週間近く、国境を越えるために待っている運転手もいる」
そんなに忙しい国境なのかと思えば、そこで働く審査官はパソコンでカードゲームをやっていました。……!P1070926
国境を越えて右手すぐに滝への入口があり、再びヴィクトリアの滝を飽きるまで眺めました。横一直線に滝が落ちているので、それに沿うように遊歩道が設けられています。西から東へ道なりに歩いていると、随所でいろんな名称がつけられています。デビルズ・カタラクト、メイン・フォールズ、ホースシュー・フォールズ、レインボー・カタラクト、アームチェア・フォールズ、そして、最後にデンジャー・ポイント。そんな見所の看板を見つける度に立ち止まってみますが、どんな説明があっても、ただP1070928ただその水量と迫力に圧倒されるだけでした。小さなサルが出てきました。よくもこれだけ流れ落ちて、水が枯れないものです。デンジャー・ポイントと呼ばれる辺りまで来た頃には、もう全身びしょ濡れでした。大地の裂け目に、ひたすら水が落ちていきます。まさに、「危険な地点」です。目を閉じて、両手を広げ、空を仰いで、激しく落ちてくる滝の雨を全身で受け入れてみました。

関連ツアー:西遊旅行で行く 南部アフリカの旅 2011
南部アフリカ5ヶ国周遊

at 20:40│南アフリカ | ケープタウン

2011年04月27日

虹の国・南アフリカ

大阪支社の中島です。中南米を担当してブログを書いていますが、ちょっと越境しました。南アフリカのケープタウンを訪ねた時のエピソードをお話ししてみたくて。

広い荒野をひた走って駐車場でバスを降りると、悪戯者のヒヒが乗用車のボンネットに乗っかって、どこかから拝借してきたパンを袋ごとかじっていました。そんなのを見ながら、今度はフニクラーというケーブルカーに乗ってやっとそこにたどり着きました。しかし、立つのも困難なほどの強風が、まだそこへ向かわせることを拒んできました。京風ならまだしも、狂風なのです。そんなふうにして、そこは、左にインド洋、右に大西洋の境界線。アフリカ大陸の最南西端。ずっと先には南極大陸があるだけ。この風景を言い表そうにも、単純明解で使い古された言葉しか出てきませんが、つまらない悩みなんか一瞬にして忘れさせてくれるような雄大さでした。
P10708824人の日本人少年使節は、喜望峰を通ってヨーロッパを目指しました。ペリー提督の黒船も、メリケンから喜望峰を通って浦賀へ向かいました。そして、ザビエルも。みんな、海の向こうを想像しました。みんな、世界が見たかったのです。いつの時代も。地図を広げて、その上に羅針盤を置いてみて。日本人が見たガイコク。外国人が見たニッポン。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓したのは、喜望峰が発見されて十年後のことでした。彼らが見た景色を眺めました。この岬から、彼らが乗っていた船を思い浮かべてみました。僕はコロンブスと誕生日が同じなので、勝手に運命を感じています。彼らは船からこの岬を見て何を思ったのでしょうか? インド洋の航海中、船酔いしなかったのでしょうか?

ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島の港湾で、アザラシがゆらゆら泳いでいました。ボンティボックがのろのろと、アスファルトの道路を歩いていました。墓地には、この島に隔離されていたハンセン病のたくさんの患者が眠っています。
ロベン島は、アパルトヘイト(人種隔離政策)に抵抗した人たちの強制収容所だった島で、世界遺産にも登録されています。無意味な強制労働を強いられた採石場を見た後、旧刑務所を訪ねました。そこでは、元囚人が所内を案内してくれるのです。ルウェリンさんは14年間、ここに収監されていました。両手、両足に手錠をかけられて島へ連れてこられ、強制労働と拷問の日々だったそうです。
狭い雑居房に、100人以上も押し込められていました。囚人一人に対して毛布を3枚支給されていましたが、それも蚤だらけだったそうです。汚れの落ちない石鹸。水回りは海水なので、シャワーを浴びる時、看守から受けた拷問のせいで体の傷が沁みました。寝返りを打つことも困難でした。毎日、午前4時に起こされました。政治的な話は一切禁止され、囚人たちの会話は盗聴されていました。人種、つまり肌の色によって食事の量が違い、牢獄も分けられていました。そうやって、人種間で争いが起きるように仕向けられていたそうですが、リーダー的存在の囚人がそれをいつも抑えていました。こんな所でも人種の分離は徹底していたのです。白人の看守は激しい音を響かせて、乱暴にドアを閉めていきました。
希望の光は消え、不幸の波は引きません。行き場を失った脆弱な心情を、誰が慰めてあげることができるのでしょう? 彼らの心は、闇夜の中を漂流し続け、やっと見つけた灯台の灯りのように、たどり着くべき場所を見つけました。そこで生を選び、死を選んだのです。そこには最大公約数も最少公倍数もありません。奇跡の積み重ねが人間を創りました。しかし、人間は生き方が判らず迷走しました。ただでさえ、生きることは大変なのです。その権利を奪ったり、制御することは、誰もしてはいけないことなのです。
「18年間も収監されていたマンデラさんも、たまにここにやって来てガイドをしていたんだが、彼は10分ぐらいで終わらせてしまっていたよ」
高級政治犯たちが収監されていたブロックB棟のネルソン・マンデラの独房を覗きました。こんな所に18年も……。愕然としました。
「彼は何度も脱獄を考えていた。島の周りの海には、サメもうようよしているのに。泳ぐのは到底無理なのに」
2011年4月現在、ネルソン・マンデラ氏は90歳を過ぎた今も健在で、静かに余生を過ごされています。

南アフリカ、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、ナミビアを大周遊
関連ツアー:「西遊旅行で行く 南部アフリカ5ヶ国周遊

at 11:07│チュニジア 

2011年04月25日

チュニジアの自然 ショット・エル・ジェリド

ラバース!?、皆さん!

この「ラバース!?」という挨拶、これは「元気!?」という意味なのですが、さてどこの国の挨拶でしょうか。
これは実はチュニジア特有の挨拶です。

チュニジアの公用語はアラビア語とフランス語。
「ラバース!?」と言うのは基本的にはアラビア語なのですが、チュニジアで特によく使われる挨拶、要はチュニジア方言です。

以前、エジプトにてガイドさんにラバース?と挨拶したら「日本人がチュニジア方言を話している!!」と笑われたことがあります。
相当珍しかったのでしょう。「ラバース!?」という挨拶はまずエジプトでは聞きません。
それに、エジプトから見たら、チュニジアはやはり田舎なのでしょうか。
そんなチュニジア方言を日本人が話しているので、なおさら面白かったのだと思います。
逆にチュニジアで「ラバース!?」と話しかければ相手に喜ばれること間違いありません。
お買い物をするにも有利になります。

チュニジア、と言えば今年の1月に起こった『ジャスミン革命』。
今でも広がりを見せている中近東の民主化運動の発端となった革命の地です。

そんなチュニジアですが、現在は観光地も通常通りオープンし始め、また多くの旅人を迎える状況が整いつつあります。
今まで日本からも沢山の方々がチュニジアを訪れましたが、一番の人気はやはり「シディ・ブ・ザイド」の様に思います。
青と白のコントラストの美しい町並み…。鮮やかな赤いブーゲンビリアが咲いていると、その美しさは何倍にもなります。
チュニジア、と言われてまず思い浮かぶ光景です。

画像 020
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ちなみに私のお気に入りの場所は南部に位置する『ショット・エル・ジェリド』。
チュニジアで一番大きな塩湖です。
湖と空


私は今まで3回訪問しましたが、毎回違う姿を見ることが出来ました。
一番美しかったのが一昨年の末に訪れた際に見たピンク色の湖面。
湖畔に近づいて足元をよーく見れば薄くピンク色をした塩の結晶がきらきらと輝いて見えました。
ショットエルジェリドの湖面


ふと顔を上げて遠くを見ると歩いている人々の姿が鏡の様に映り込んで見えます。
ウユニ塩湖とまではいきませんが、チュニジアの狭い国土の中にあって、多様な自然の姿に驚きます。
湖面をあるく



ただ、4年前に同じく12月の中旬に訪問した際は、雨量が少なかったのか、からっからに水は干上がり、どこが塩湖だか判らないまま、通過してしまったこともありました。

私が最後にチュニジアを訪問したのは一昨年のこと。
革命後、生まれ変わったチュニジアは是非、今行って見たい場所のひとつです。
今度はどんなショット・エル・ジェリドが見られるでしょうか。

東京本社 渡辺

関連ツアー:チュニジアの魅力を巡る旅 チュニジア周遊

at 20:10│ケニア | アフリカの野生動物

2011年04月21日

百獣の王・ライオン

こんにちは。大阪支社の米谷です。

これからアフリカのサファリで観察できる野生動物について、時々紹介をしていきたいと思います。
今日は百獣の王・ライオンの生態について、少しお話します。

ンゴロンゴロ自然保護区にて
≪ンゴロンゴロ自然保護区にて≫

ライオンはネコ科ではトラに次いで2番目に大きな動物。現在は主にアフリカのサバンナ地域やアジアに生息しています。もともとはアフリカ全土はおろか、ヨーロッパ、中近東、アジアにまで広く生息していましたが、現在はアフリカとインドのギル保護区以外は姿を消してしまったようです。
アフリカではケニア、タンザニア、ウガンダ、ボツワナ、ナミビア、南アフリカ、ジンバブエなどの国々に生息しており、サファリツアーに参加された方なら誰しもがライオンの姿を、できれば雄のライオンを見てみたいと思うはずです。

ンゴロンゴロ自然保護区のプライドオカバンゴデルタの雄ライオン

≪写真左:ンゴロンゴロ自然保護区にて・ライオンのプライド≫ 
≪写真右:オカバンゴ・デルタのライオン≫

ライオンは雌と子供、少数の雄が「プライド」と呼ばれる群れを形成することで有名です。全体で20頭位のグループを形成することもあるそうです。プライドの中では狩りはメスの仕事です。しかし、ライオンの狩りの成功率は決して高いとは言えません。ヌーやシマウマ、ガゼルなどを狙いますが、ライオンは最高時速で50~60kmでしか走ることができない上、300m位しか全速力で走ることができません。成功率は20%程度しかないのです。ヌーやシマウマはその事を良くしっているので、安全な距離を保っていれば、ライオンの存在に気づいていても逃げないのです。また、プライドの中で、母親ライオンが死んでしまった場合、その子供ライオンは他の雌ライオンが面倒をみて、育ててくれるのです。

マサイマラ ライオンの食事
≪ライオンの食事 マサイマラ国立保護区にて≫

マサイマラ ライオンの親子オカバンゴデルタにて
≪写真左:ライオンの親子 マサイマラ国立保護区にて≫
≪写真右:サファリドライブの様子 オカバンゴ・デルタにて≫

プライド以外に複数の雄で形成される放浪ライオンのグループもいます。プライドをつくることができなかった雄ライオンの集まりで、ここでは雄ライオンも狩りをしなくてはいけません。また、プライドの雄と戦い、勝利するとプライドをのっとることができます。プライドをのっとった雄ライオンは、プライドの中の幼児ライオンを殺します。これは雌が授乳をしなくなると、新しい子供を受胎できるようになるためなのです。
ライオンの寿命は10年ほどです。野生の場合、縄張り争いなどで傷つくことも多く、とても短い一生なのです。この20年間で30パーセントから50パーセントまで頭数が減っていて、この数字は回復しないだろうと言われています。

ケニアのマサイ・マラ国立保護区やタンザニアのンゴロンゴロ自然保護区、セレンゲッティ国立公園はライオンを観察できる可能性が高い場所です。ケニア・タンザニアは本当に野生動物の楽園。是非、野生のライオンの姿をその目で見に行ってみてはいかがでしょうか?

関連ツアー:西遊旅行でゆく ケニア・タンザニア 2011        
野生の王国ケニア・タンザニアサファリとキリマンジャロ大展望       
ケニア・タンザニアのWeb写真集はこちらへ
添乗員レポートはこちらへ

at 18:41│エチオピア | 少数民族

2011年04月15日

ドンガ:男達の戦い(エチオピア)

エチオピア最深部の伝統儀式ドンガをご紹介いたします。
オモ川の西に暮らす少数民族、スルマの人々が行うこの儀式は、雨季の終わりに年1回だけ行われる正真正銘の真剣勝負です。
スルマの男達にとって、ドンガは村の女性達に自分をアピールする格好の機会で、杖一本で戦う迫力の儀式です。

ドンガは、いつ、どこで行われるかは直前にならないと分かりません。テント泊をしながら情報を仕入れ、ドンガが行われる場所に行ってみるしかありません。
教えられた草原に行ってみると、子供が数人遊んでいます。1時間近く待っても、誰も来ません。「本当にドンガやるのかな?」と不安になった頃、遠くから、勇ましい掛け声や歌とともに、旗を持った戦士たちの集団が近づいてきます。皆、屈強な体をした裸の男達です。
KOJI1616

【会場に向かう戦士一団】

が、歌声とともに草の陰に行ってしまいました。戦いは村対抗なので、別の村の対戦相手が現れるのを待たなければなりません。
さらに待つこと1時間、反対方向の山の上から、別の村の集団が現れます。

そして、いよいよドンガが始まります。選手宣誓も、試合開始の合図も、何もありません。一対一になり、2メートル以上ある細い木の杖一本を振りかざして、戦い始めます。
KOJI1674

【戦士は体にペイントを施しています】


写真だけですと、音がお伝えできないのが残念です。「カーン、カーンッ」杖と杖がぶつかる音、「ビシッ、ビシッ」杖が肉を打つ鈍い音、「うぉおお」掛け声、それぞれが草原に響き渡ります。

KOJI1930

【迫真の戦いです】
戦いは10分ほど続き、勝者は旗を持ち、自分を誇張するように勇ましく群集の中に戻っていきます。そして、何本もの杖を組み合わせて造った神輿に乗り、勝利の雄たけびを上げながら担がれていきます。

KOJI1911

【雄叫びをあげる勝者】

夢中でシャッターを切るのもあっと言う間に、2時間近くが過ぎてゆきます。
この迫力に圧倒され、興奮冷めやらぬまま4WDに乗り、我々はテント場に戻ります。

次回は、ドンガ会場の裏側と、スルマの人々の暮らしをご紹介します。

この迫力に儀式を見る関連ツアーはこちら
エチオピア最深部 スルマの人々を訪ねて

at 12:50│ケニア | キリマンジャロ

2011年04月11日

マサイ族、野生動物とキリマンジャロの大展望(ケニア)

大阪支社の米谷です。
今日はアフリカ最高峰キリマンジャロの展望が素晴らしい、ケニアのアンボセリ国立公園をご紹介します。

アンボセリ国立公園は、ケニアのリフトバレー州にある国立公園でアフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)の裾野にひろがっています。また、ここは作家アーネスト・ヘミングウェイが『キリマンジャロの雪』を執筆した場所としても世界的に知られています。

アンボセリへ向かう道中
≪アンボセリ国立公園のロッジへ向かう道中に見たキリマンジャロ≫

キリマンジャロ自体はケニアではなく、タンザニア北部に聳えています。キリマンジャロに登頂するにはタンザニア側のモシという場所が登山の玄関口となっおり、5泊6日程の行程で頂上を目指し、再び下山する結構ハードな山業となります。しかし、展望という観点からいうと、ケニアのアンボセリ国立公園からも間近に迫る、迫力のキリマンジャロがご覧いただくことができます。

実はもともとアンボセリはキリマンジャロの噴火で出来た湖の大部分が干上がってできあがった場所なのです。
今では国立公園に指定され、ゾウやライオン、マサイキリン、カバなどの大型動物、ヌーやガゼルなどの草食動物まで様々な野生動物が生息しています。特にアンボセリではキリマンジャロを背景に伸び伸びと生きる野生動物を観察することができるのがポイントです。
ゾウの群れとキリマンジャロ
≪ゾウの群れとキリマンジャロ≫
ハイエナ展望台から望むキリマンジャロ
≪写真左:サファリドライブで観察したハイエナ≫
≪写真右:展望台から望むキリマンジャロの雄姿≫

公園内にはキリマンジャロの展望ポイントとされる、小高い丘もあり、そこ登るとより一層キリマンジャロの迫力が増して感じられます。周囲は緑豊かな湿原になっておりカバがいたり、草食動物が水を飲みに来たりする様子も眺められるかもしれません。

また、西遊旅行のツアーではアンボセリ滞在中、キリマンジャロの展望が素晴らしい「オルトカイ・ロッジ」に宿泊します。アフリカらしい雰囲気を楽しむことができるサファリ・ロッジですが、山向きの部屋からは部屋の中からキリマンジャロの姿を眺められる部屋もあります。部屋から眺められない場合でもすぐ外にでると目の前に雄大な景色が広がります。また、ロッジの周辺でもゾウが歩いていたりと非日常の世界をお楽しみいただけるのがこのロッジの特徴です。

オルトカイロッジオルトカイロッジ からの展望DSC_1653

≪写真左:アフリカらしい雰囲気のオルトカイ・ロッジ≫
≪写真右:オルトカイ・ロッジのテラスから望むキリマンジャロ≫

公園内には勇敢でプライドが高く、草原の貴族と呼ばれるマサイ族が暮らしています。彼らはケニア南部からタンザニア北部一帯の先住民で、ナイル系のマー語(マサイ語)を話します。マサイ「マー語を話す人」という意味で、未だ伝統的な生活を守り、サバンナに暮らしています。マサイ族の宗教は自然崇拝となり、キリマンジャロ山の頂上に座するエン=カイという神を信奉しています。アンボセリ国立公園内の村を訪れると歓迎のダンスで出迎えてくれました。背後には彼らが信仰する神様が住むキリマンジャロが聳え立っていました。
村を訪れると住居を見せてくれたり、昔ながらの火のおこし方を実演してくれたりと、彼らの生活の一部に触れることができます。

アンボセリ マサイ族の女性達
≪写真:マサイ族の女性達とキリマンジャロ≫
アンボセリ マサイ族の男性達DSC_1769
≪写真:マサイ族の男達による踊り≫

野生動物の観察とキリマンジャロの大展望、サバンナの戦士マサイ族と3つの楽しみが味わえるアンボセリは、ケニアの数ある国立公園の中でも私のお気に入りの場所となっています。これから7~9月にかけてはマサイ・マラ自然保護区でヌーやシマウマの移動の季節にあたり、一年でもとても賑わいを見せる季節を迎えます。

関連ツアー:西遊旅行でいくケニア・タンザニア こだわりのロッジに滞在、マサイマラ ヌーの大移動の季節
野生の王国ケニア・タンザニアサファリとキリマンジャロ大展望