at 09:12│西サハラ | モーリタニア

2015年12月09日

西サハラ、そしてモーリタニアへ

西サハラのライユーンを目指します。アガディールからの距離は630Km。

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しばらく走っていくとこの地独特のアルガンツリーがたくさん生えていました。この木の実は若返り効果があるとされ高価な女性用の化粧品や食物油などにも利用されています。面白いことに太古の昔に陸続きだったメキシコにも同じ種類の木があるそうですが実はならないそうです。
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絵本「星の王子様」で有名なサンテグジュペリはタルファヤの飛行場で勤めていました。絵本の中で描かれた世界はこの町のジュビー岬で過ごしていた時の記憶から生まれました。
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アンチアトラス山脈を越えて標高を下げていくとまた景色は変わり緑の少ない平原が広がっていました。

サギアエルハムラ川越えるとライユーン市内です。
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ライユーンは内陸にありますが港としての機能は車で15分ほど離れた海岸の工業地区にあり、西サハラ最大のリン工場やその付近に風力発電もあります。モロッコの電力のほとんどはアトラス山脈中にある水力発電によって得られています。西サハラまではアガディールから電線が引かれています。

砂丘地帯からすぐに礫砂漠へと入り、南のダクラを目指します。ライユーンから510Kmの距離です。
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ダクラは1884年にスペイン人が西アフリカではじめて恒久寄港地として建設した町です。人口18000人の町は湾での漁業やウインドサーフィンなどが盛んに行われています。市場へ行くと鮮魚やオリーブ、デーツなどが並んでいました。ここで漁獲されたタコは日本向けに輸出されます。
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北緯23度27分は北回帰線。ボロボロのTropic cancerの看板も発見しました。
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西サハラから緩衝地帯を抜けてモーリタニアのヌアディブへ。途中、モーリタニア北部最大都市ズエラットから鉄鉱石を運ぶ、世界一長い3000mの列車も運よく見ることができました。
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大西洋に突き出した半島先端のブラン岬まで行くと、2003年に座礁したままの錆びついた船や古びた灯台、さらに荒い波間を泳ぐチチュウカイモンクアザラシやきれいな夕日も見ることができました。
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2015年11月12日

エチオピアのエルサレム・ラリベラ

エチオピアの中でも有数の観光地として知られるラリベラ。12世紀後半から13世紀初頭にエチオピアを支配したザグウェ朝の治世では、まだロハという名前でした。ザグエ朝のゲブレ・メスケル・ラリベラ王が生まれた時、彼の周囲に蜂が群がったといい、彼の家族やロハの住民は名君誕生の吉兆と捉え、「蜂に選ばれた者」を意味する「ラリベラ」の名を与えたといわれています。ラルとは蜂、ベラとは食べるという意味があるそうで、「ラリベラ」という街の名は、この王にちなんで付けられたものなのです。このラリベラ王は敬虔なキリスト教徒でした。多くの人々がエルサレムへの巡礼を望むものの、旅路は険しく道中に命を落とす人も少なくありませんでした。そこで王はこの地に第二のエルサレムを建設する計画を立て、多くの岩窟教会が建設されました。また、エルサレムにある地名と同じ名前が付けられている場所が多く見られるのはそのためです。
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岩窟教会群が残るラリベラ

第一教会群
6つの教会を中心とします。聖救世主教会(Bet Medhane Alem)、聖マリア教会(Bet Maryam)、Bet Maskel(聖十字架教会)、聖処女教会(BetDanaghel)、聖ミカエル教会(Bet Mikael)、聖ゴルゴダ教会(Bet Golgtha)。ザグウェ王朝は建築様式などアクスム王国の影響を強く受けている。岩窟教会は巨大な岩山を彫り込んで造られました。これはエルサレムのゴルゴダの丘やベツレヘムも岩の多い場所らしく、同じようにここが選ばれたといわれています。資料によるとこの岩窟教会の完成には23年がかかったとされていますが、建築家の見解ではこれだけのものを23年で作り上げるには44,000人もの人材が必要と考えられるが、当時の人口はそこまで多くはなく、地元の人々の中では天使の手助けによって完成したと信じられています。

聖救世主教会 Bet Medhane Alem
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聖救世主教会外観
アクスムにあるシオンの聖マリア教会を模して作ったされる世界最大級の岩窟教会。ラリベラの岩窟教会の中でも最古のものと考えられています。十字型の窓が多く配置されています。この教会では重さ17kgの金の十字架が柱の中から見つかり、今でも至宝とされています。以前に一度盗まれ、デンマークに持ち去られましたが、交渉の末この教会に戻され、現在は非常に厳しく保管されています。
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教会内部の様子

聖マリア教会 Bet Maryam
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聖マリア教会外観
ラリベラの岩窟教会の中で最初に造られた教会と考えられ、聖母マリアに捧げて造られました。この教会は内部の装飾が非常に美しく、巡礼者が絶えない教会です。東側の壁には3つの窓が2列につながっているのが見えます。上の3つの窓は三位一体、その下に縦に並ぶ2つの窓のうち上側の十字の窓はイエスの降臨、下の半アーチの窓は聖母マリアの妊娠を表しています。小さな十字の形をした窓はイエスの磔と2人罪深き人を表しています。この窓はその上に小さな空いた窓があり、これは、罪深き人が自らの罪を改め、イエスの助けを得て天国へ行くことが許されたという意味があるそうです。
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内部は天井や壁の上部には美しいフレスコ画が残っています。また、柱や柱頭、アーチには美しい壁画が描かれ、2つの頭をもつ鷲が黒と白の2匹の牛と戦う姿が描かれています。

ゴルゴタ教会 Bet Golgtha と聖ミカエル教会 Bet Mikael
この2つの教会は内部でつながっています。聖ミカエル教会は別名デブレシナ教会とも呼ばれます。
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ラリベラの教会の中で唯一十字型の柱を持つ教会。入り口は聖ミカエル教会につながっており、中で聖ゴルゴタ教会につながっています。また、聖ゴルゴタ教会には12使徒のレリーフが描かれ、これはエチオピア正教の初期美術の代表的な例です。12使徒のレリーフのうち、4つは観光客も見ることができますが、残りのはカーテンの向こうにあり、観ることができません。ここにはラリベラ王の墓もあると言われています。

聖ギオルギス教会 Bete Giyorgis
教会はトゥファと呼ばれる石灰岩を彫り込みつくられ、周囲を完全に切り落とした独立した岩窟教会です。ラリベラの11の教会群の中で最もよく知られる教会で、世界の8つの不思議のひとつとされています。十字形をしたこの教会の大きさは12mx12mで、外見は3階建ての様に見えますが、内部には1つしか部屋がありません。伝説によると、この教会はラリベラ王が夢の中で、聖ギオルギスと神の両方によってここに教会を建設するようにというお告げをきいたことによります。
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聖ギオルギス教会外観

おまけ:Ben Abebaレストラン 
スコットランド人の女性とエチオピア人の男性が造った高台にある変わった建物のレストラン。Benはスコットランドの言葉で山とか丘という意味。スコットランドの最高峰はベン・ネビスという山。Abebaはラリベラの近くにある山の名前らしく、この建物もこの山の形に模してつくったそう。アディスアベバの建築家が設計を担当し、現在は宿泊施設もつくっており、近々ホテルとしてもオープンする予定だそうです。
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2016年 西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅 詳細は↓

ナイルの源・エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
北部エチオピア歴史紀行 8日間




at 09:30│エジプト 

2015年10月20日

エジプト古代文明への旅

「エジプト美術は1万年を経ても変わっていないだろう。」と言ったのはギリシアの哲学者プラトン。その言葉通り、今でも各地の遺跡には色彩豊かなレリーフが数多く残っています。
今回は、「エジプト古代文明への旅」で訪れるデンデラとアビドスについてご紹介します。

■デンデラ
デンデラは、古代エジプト史の始めから礼拝堂もしくは祠堂のための領域でした。第6王朝のファラオ、ペピ1世がこの領域を築き、そして第18王朝には神殿の存在した証拠がみられ、紀元前1450年頃には再建されていたと考えられます。
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・ハトホル神殿
クレオパトラのレリーフ:神殿の南壁面にはクレオパトラとその息子カエサリオンのレリーフが残っています。カエサリオンは神々に香炉を捧げる姿で描かれており、ここに刻まれたカルトゥーシュがヒエログリフ解読に貢献した話は良く知られています。
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デンデラの電球:神殿の地下室には電球とフィラメントを思わせるレリーフがあり、一時は“デンデラの電球”と世の中を騒がせた事もありました。実際には電球ではなく、朝の空を表す楕円形の中に朝日を表す蛇が描かれているという説が有力です。
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天井には天の運行を現すレリーフが色彩豊かに残っています。
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■アビドス
古代エジプトのエジプト神話に登場するオシリス神復活の地。エジプト古王国時代にはすでに聖地でした。現在、アビドスには、エジプト新王国最盛期のファラオ、セティ1世、ラムセス2世の遺跡が残ります。
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・セティ一世葬祭殿
76人の歴代ファラオの名が刻まれた「歴代王のカルトゥーシュ」。圧巻の大きさと精密さです。
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なかなか訪れることのない2つの遺跡も、もちろん訪問する「エジプト古代文明への旅」のツアー。
昨年大好評をいただき、今年もベストシーズンの11月から2月にかけて発表しました。
この機会に是非、ご検討下さい!

■関連ツアー
・「エジプト古代文明への旅

■その他のエジプトツアー
・「エジプト周遊 ナイル流域の古代文明と西方砂漠
・「エジプト西方砂漠からアレキサンドリアへ

at 16:11│エチオピア | アクスム

2015年10月14日

失われたアークはどこにあるのか?

旧約聖書の出エジプト記で描かれる預言者モーセがシナイ山で神より授かったとされる十戒を記した石版。そのすさまじい力を抑えるため、アカシヤで造られ、金箔で内側、外側を覆われた箱に保管されたと言われています。この箱は契約の箱・アークと呼ばれました。モーセがエルサレムにたどり着く前にネボ山で亡くなった後も、ヨシュアをはじめとする人々がエルサレムへと入り、ユダヤの町を築きました。その後、長きにわたってエルサレムで保管されていたこのアーク。ソロモン王の支配のもとに造られたエルサレム神殿、その中の聖室にアークは納められたとされています。旧約聖書によると1年に1回司祭がこのアークを外に運び出したそうです。しかし紀元前900年以降、アークは突然姿を消すことになります。旧約聖書におけるアークに関する最後の記述はヒゼキヤ王の統治時代ですが、この後、アークがどうなったのかという事については触れられていません。

嘆きの壁 (18)
現在のエルサレムに残る神殿の丘と嘆きの壁

このアークが今どこにあるのか?学者の間でも正確な事は分かっておらず、様々な説が存在します。今日はエチオピア正教で信じされている節”エチオピアの古都アクスム説”をご紹介します。様々な説がありますが、下記はアクスムのガイドの説明によるものです。

紀元前10世紀頃、イエメンを支配していたシバ王国の領土はエチオピア北部にも及んでいました。このシバ王国の女王(一部ではビルキスと呼ばれる)は、当時イスラエルを支配したソロモン王との間に子供を身籠り、アクスムへ向かう道中で出産したとされています。この子供はメネリク1世と名付けられ、後にアクスム王国を支配する偉大な王となりました。メネリク1世が成人となった時、シバの女王は彼に父親はエルサレムのソロモン王であることを告げました。それを知ったメネリク1世はエルサレムへと向かい、父親であるソロモン王と対面したのです。

■シバの女王の宮殿
アクスムに残るシバの女王の宮殿跡

エチオピア説によると、アークはメネリク1世がエチオピアへ戻る際にアクスムへと運ばれたと信じられています。その過程にについても諸説あり、父親であるソロモン王が息子に託したという話や、アークを管理していた司祭が夢の中でアークはメネリク1世と共にエチオピアに行くべきであるというお告げを聞き、メネリク1世にも知ららされることなく、ひそかに運ばれたという説もあります。

とにかくエチオピア正教ではアクスムのシオンの聖マリア教会に保管されていると信じられています。現在はシオンの聖マリア教会のすぐ横にある別の建物に保管されているそうですが、5月の時点ではすぐ横に新しい建物を建設していました。完成すればこちらに移されるのだとか。

■古いシオンの聖マリア教会外観
現在のシオンの聖マリア教会外観

■契約の箱が保管される場所
本物の契約の箱(アーク)が保管されていると言われる建物

シオンの聖マリア教会はこれまで何度か再建されてきました。もともと4 世紀にイザナ王がキリスト教の教会を建設しました。最初に造られた教会はエチオピアで最初の教会であると同時に、サブサハラで最古の教会でもあったのです。

■4世紀の教会跡
4世紀に建てられた教会の跡

9 世紀にヨディトグディトによってアクスム王国が滅ぼされた際に、この教会も破壊されました。その時、保管されていたアークは事前に司祭たちによって運びだされ、違う場所で保管されたといいます。その後、再び教会が建てられましたが、16 世紀にイスラム教徒によってふたたび破壊されました。その時は教会内の貴重な品々はタナ湖にある修道院に運び込まれたそうです。現在の教会は17 世紀にファシラダス王によって建設されたものです。教会内部は女人禁制となっており、男性のみしか入場することができません。

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (1)
教会内部の壁画

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (2)
16 世紀まではキリストやマリアも白い肌で描かれていましたが、以後黒い肌で描かれるようになりました。

■天使ミカエルとラファエル
天使ミカエルとラファエルの壁画が描かれたドア。

女性もお祈りができるようにと造られたのがすぐ横にある新しい教会。こちらは男女共に入場が可能です。中には500年前に書かれた非常に古い聖書をご覧いただくことができます。1965 年、ハイレ・セラシエ皇帝の奥さんによって建設されました。

■新しいシオンの聖マリア教会 (4)
新しい教会内部に保管される500年前の聖書

エチオピアではこの契約の箱アークの事をタボットと呼びます。エチオピアの各教会にはこのタボットのレプリカが保管され、毎年1月に行われるティムカット祭の時には全てのレプリカが司祭によって祭り会場に運ばれ、掲げられます。しかし、シオンの聖マリア教会に保管されているとされるオリジナルは一切外にでることはありません。

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ティムカット祭の様子。タボットのレプリカを持って司祭が集まる。

失われた契約の箱・アークがどこにあるのか?本当の所は誰も分かりませんが、その一つの説を信じてエチオピアを訪れてみるのも面白いのではないでしょうか?

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ナイルの源・エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
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at 09:00│エチオピア | アクスム

2015年09月24日

謎の王国・アクスム(エチオピア)

アクスムの考古遺跡は全体の5%程しか発掘されておらず、そのほとんどはまだ地下に埋まったままです。アクスムは現在のイエメンに当たる南アラビアから紅海を越えてきたセム語系のサバ(シェバ)人が中心になって建国されたと考えられています。3,000 年以上の歴史を持ち、エジプト、ローマ、ペルシャ、中国、インドと並ぶ古代文明を持った町のひとつなのです。しかし、発掘調査が及んでいない部分が多いため調査が十分に行われておらず、古代アクスムについては不明な点が非常にに多く残っています。
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アクスムのシンボル・オベリスク

中でも町のシンボルとなっているのが巨大な石柱の並ぶ広場オベリスクフィールドです。このオベリスクがどのような理由で造られたのかはっきりとしたことは分かっていませんが、権力者の墓石であったのではないかと推測されています。

■倒れた巨大なオベリスク
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最大のオベリスクは高さ33m、重さ520 トンにも及びます。しかしながらこのオベリスクは既に倒れてしまっています。もともと巨大な1 枚の花崗岩を切りだして造られ、最初に切り出された一枚岩の重さは1000 トンに及んだと推測されています。倒れた理由に関しては諸説あり、

①地中に埋める部分が少なすぎて重さを支えきれなくなった。
②地震によって倒れた。
③地殻変動など地面の変化によって倒れた。
④950 年アクスムがクシ系のアガウ族の女族長ヨディトグディトによって滅ぼされた際、オベリスクも倒された。

などが挙げられます。

■壊れたお墓
大きなきな一枚岩の屋根を持つ墓はロイヤルファミリーの墓と考えられています。巨大な石の屋根は多くの石柱によって支えられていましたが、巨大なオベリスクがその上に倒れた事により壊れてしまったと考えられています。
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オベリスクの倒壊によって壊れた墓

■地下墳墓
1993 年にデービッド・フィリップスというイギリスの考古学者が発掘。ほとんどの財宝は盗まれていたが3 世紀のアクスムのコインが見つかっています。アクスム王国は独自の硬貨を持ったアフリカで最初の国で、エンドゥビス王からアルマー 王に至る治世の間(270 年から670 年まで)同時代のローマの通貨を模倣した金貨や銀貨や銅貨が鋳造されていたと言われています。
■地下に残るお墓DSC_6018


■ラムハイ王の地下墳墓 4 世紀〜5 世紀頃の王様
偽物のドアを彫り込んだ墓石。地下には棺を納めた部屋とその横には宝物を保存した部屋。棺は未完成のままであった。墓を成す巨大な石組はインカ文明を彷彿とされるような技術が使用されています。
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偽物のドアを彫り込んだ墓石

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石の大きさを測るのに利用したと考えられているものさし

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鉄を使って石と石をつないでいた高度な技術を今もみることができます。

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地下には棺を納める部屋が残っています。

■放棄された巨大な石
切り場はアクスムから5km ほど離れた所にあったとされています。そこで切り出された巨大な岩は象などを使って運ばれ、こちらで彫刻されたと考えられています。中には左の写真の様に、途中で放棄されたオベリスクも見ることができます。
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■高さ26m のオベリスク
現在立っているオベリスクとしては最大のもの。1937 年にムッソリーニに率いるイタリア軍が三分割してイタリアへ持ち去り、長い間ローマに聳えていました。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の高さを証明するもののひとつであることは明白です。1947 年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議しました。しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005 年にようやく返還されました。ロシアの飛行機で3 回に分けて運ばれたそうです。オベリスクには窓やドアの様な模様が彫刻されており、イエメンの建築によく似ていると言われています。すぐ横には高さ24mのオベリスクがありますが、26m のオベリスクを建てる際にこちらのオベリスクが倒れない様に現在の様な補助装置をつけたのです。26m のオベリスクが2005 年に戻ってくるまでは、アクスムで最大のオベリスクでした。

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イタリアより戻ってきた最大のオベリスク

紀元前3,000年頃からと言われる長き歴史を誇るアクスム。まだまだ発掘が進んでいないことから、その地名どはエジプトやローマ、ペルシャなどには及びませんが、素晴らしい遺跡が残っています。アクスムのあるエチオピア北部のアビシニア高原は11月~3月頃までの間雨の少ない乾季のベストシーズンを迎えます。2016年11月11日発「北部エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間」コースも催行決定しましたので、是非ご検討下さい。

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at 23:39│ナミビア | ナミブ砂漠

2015年09月14日

ナミブ砂漠:フェアリーサークル(妖精の輪)とは?

こんにちは、大阪支社の植田です。
今回はアフリカ南西部に位置するナミビアの太平洋側に広がるナミブ砂漠に見られる自然界のミステリー、「フェアリーサークル(妖精の輪)」に関してお話しさせていただきます。
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世界中で報告が相次ぐ「ミステリーサークル」ならぬ「フェアリーサクル」。
ミステリーサークルは人為的にできたものだという意見も多いですが、フェアリーサークルもまた、数々の研究者が調査を行っても現象が解明されていない、謎の現象であります。P1260522_fujita


ナミブ砂漠には太西洋で発生した海霧が特に早朝、風に乗って内陸部に流れ込みます。
また、ナミブ砂漠を東西に横切るクイセブ川という枯れ川があります。
上流部では流水が見られることが多いですが、下流へ流れていくにつれ、ナミブ砂漠の乾燥地域に入り、流水が見られなくなります。
ただし、中流・下流域では地下水として流れている為、このクイセブ川の地下水と僅かな朝霧によってナミブ砂漠では植物が自生しているのです。

そして植物が自生している地域で見られる現象が「フェアリーサークル」です。
膝下程の高さの草が生い茂る場所に、なぜか草が全く生えない部分が等間隔で円形状にあちらこちらに見られます。
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このフェアリーサークルの謎に関しては諸説あります。

その一…『シロアリ説』
こちらは幾つかある説の中で、最も有力だと言えます。
フェアリーサークルの調査において、多くのフェアリーサークルでシロアリが発見されているようです。
シロアリが植物の根を食べてしまう為、水を吸い上げる植物がないことから地下に雨水が貯まります。
根を食べられなかった植物がその雨水を吸い上げて成長するため、フェアリーサークルができる。

その二…『気候説』
ナミブ砂漠は極度の乾燥地帯です。
この乾燥気候により植物が水資源を奪いあう為、フェアリーサークルが発生する。

その三…『ガス説/有毒植物説』
地中から発生するガスが原因でフェアリーサークルができる。
若しくは、この一帯に自生する有毒植物があり、その毒性により発生する。

その四…『ダチョウお座り説』
ナミブ砂漠にも生息するダチョウ。彼らが休息の為に座ることでフェアリーサークルが発生する。
※ただしフェアリーサークルは直径1mを超えるような大きな円の為、この説はあまり期待できないですね。

その五…『UFO説…』
これは現地のガイドさんが冗談で話してくれましたが、ミステリーサークルと同じように、もしかすると
こちらもUFOと関係があるのでは、、、ということでした。

世界遺産にも登録され、見た目も美しいナミブ砂漠の魅力は、その特異な地域に発生するこういった
特別な事象や、面白い動植物にもあります!194_ueda

ぜひ一度、魅力たっぷりのナミブ砂漠へ足を踏み入れてください!

ナミブ砂漠を訪れるコースはこちら。↓
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GANA11/index.html

at 09:19│西アフリカ | カーボヴェルデ

2015年09月02日

火山諸島カーボヴェルデ 緑の島サント・アントンを歩く

アフリカ大陸北西の沖合いにある島国、カーボヴェルデをご紹介します。

セネガルのベルデ岬の沖合い約600㎞の大西洋上に散在する大小15の島からなります。すべての島々は海底下にある熱いマグマ溜まりに起因する火山活動によって形成されてきました。時々これらのマグマ溜まりは海から上昇し、火山の噴火を引き起こし、その結果、新たな島を造りだしました。ソタベント(風下)諸島にあるフォゴ島がその中でも一番若く、10万年前に形成された最新作です。アフリカンプレートの上に位置する火山帯ですが地震は全くありません。

たくさんの見所がありますが、北部のバルラベント(風上)諸島にある、緑の島として知られるサントアンタン島をとりあげます。

二つの島はわずか15kmの海峡を挟んで向かい合っており、サン・ヴィセンテから先に浮かぶサント・アンタン島の1000m以上ある山容はさすがに群を抜いて海上に突き出ています。北西貿易風に乗って、大西洋を渡ってきた湿った雲はこの1000mの山にぶつかり西側の斜面に雨を降らすため、緑溢れる景観となりますが、東側の斜面、及びさらに東に位置するサン・ヴィセンテは乾燥した気候となるといいます。

弓状に湾曲したサン・ヴィセンテのミンデロ港ははるか昔の巨大なクレーターの跡です。

サント・アンタンの港町ポルト・ノボから山の頂上まで車で進んでいくと、直径500mのクレーターが見えてきます。その淵ではガスが発生しては風で飛ばされ晴れ間が覗くという、天候が目まぐるしく変わっていき、幻想的な世界が広がります。
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霧が晴れてくるとクレーター内に集落が形成されているのがよくわかります。牛が放牧され、サトウキビやトウモロコシの畑の世話をしている人が見えます。村の入り口まで散策すると水汲みにクレーターの途中まで集落から上がっていたロバの群れも下りてきました。
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クレーターから北側へと下り始めると、深く伸びるリベイラトーレ(タワー渓谷)と、崖に張り付くように斜面にある集落を見渡せます。この尾根上で、360度の渓谷美を見ることができ、この道を通るだけでこのサントアンタン島にきたかいがあると言いきってもよさそうな、素晴らしい景色です。
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グローグ(ラム酒)の製造元を見学。トイレもこちらで借りる。かつて牛馬に引かせていた木製の絞り機は効率の良い機械に取って代わられ、糖蜜を煮込んで蒸留するのも機械になっている。試飲もできる。5年寝かせたダークのものが700エスクード、糖蜜、また糖蜜とグローグを混ぜた少し甘みのあるお酒ポンチなども販売している。
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緑溢れるサント・アンタンの北から東側にかけて、ハイキングを楽しみました。サトウキビやキャッサバ、コーヒーといったプランテーションの中や、集落の間を抜けて行きます。プランテーション畑と、マンゴーやパンノキなどの木々が谷を埋め尽くす緑の中を、対岸の岩肌に張り付くように建つ集落を見ながらのハイキング。そこそこ歩きがいもあり良いコースでした。
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ジャネラ灯台の近くにあるミステリアスな岩には、十字架や、解読不可能な文字がたくさん彫られています。15世紀にポルトガル人が上陸した地や、彼らの進んだ道に名前や十字架を残すように、ここも1460年代のディエゴ・ゴメスの一団、もしくは1480年代のディエゴ・カオンの一団と見られていますが、その文字は現代ポルトガル語やアラビア語、ヘブライ語、ベルベル語とはまったく違い、アラム語やフェニキア語、ポルトガル古語などではないかと言われています。また一説によるとポルトガル人達よりもさらに先に到達した中国人によるものではないかとも言われているそうです。
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石段を10分弱登ると灯台までたどりつけます。現在は太陽光発電で動いているこの灯台から、島の北東部海岸線が見渡せ、サン・ヴィセンテ、またバルラベント諸島のほかの島々までも天気が良ければ見えそうです。
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渓谷の中の村で手作りのジャムを売っていた少女。カーボヴェルデにはアフリカ系とヨーロッパ系の混血であるクレオールと呼ばれるこうした人々が多く暮らします。
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西遊旅行で知られざる西アフリカの島国・カーボヴェルデへ!ツアーの詳細はこちらから。
西遊旅行 4つの島々を訪問、カーボヴェルデのツアーページへ