at 09:19│西アフリカ | カーボヴェルデ

2015年09月02日

火山諸島カーボヴェルデ 緑の島サント・アントンを歩く

アフリカ大陸北西の沖合いにある島国、カーボヴェルデをご紹介します。

セネガルのベルデ岬の沖合い約600㎞の大西洋上に散在する大小15の島からなります。すべての島々は海底下にある熱いマグマ溜まりに起因する火山活動によって形成されてきました。時々これらのマグマ溜まりは海から上昇し、火山の噴火を引き起こし、その結果、新たな島を造りだしました。ソタベント(風下)諸島にあるフォゴ島がその中でも一番若く、10万年前に形成された最新作です。アフリカンプレートの上に位置する火山帯ですが地震は全くありません。

たくさんの見所がありますが、北部のバルラベント(風上)諸島にある、緑の島として知られるサントアンタン島をとりあげます。

二つの島はわずか15kmの海峡を挟んで向かい合っており、サン・ヴィセンテから先に浮かぶサント・アンタン島の1000m以上ある山容はさすがに群を抜いて海上に突き出ています。北西貿易風に乗って、大西洋を渡ってきた湿った雲はこの1000mの山にぶつかり西側の斜面に雨を降らすため、緑溢れる景観となりますが、東側の斜面、及びさらに東に位置するサン・ヴィセンテは乾燥した気候となるといいます。

弓状に湾曲したサン・ヴィセンテのミンデロ港ははるか昔の巨大なクレーターの跡です。

サント・アンタンの港町ポルト・ノボから山の頂上まで車で進んでいくと、直径500mのクレーターが見えてきます。その淵ではガスが発生しては風で飛ばされ晴れ間が覗くという、天候が目まぐるしく変わっていき、幻想的な世界が広がります。
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霧が晴れてくるとクレーター内に集落が形成されているのがよくわかります。牛が放牧され、サトウキビやトウモロコシの畑の世話をしている人が見えます。村の入り口まで散策すると水汲みにクレーターの途中まで集落から上がっていたロバの群れも下りてきました。
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クレーターから北側へと下り始めると、深く伸びるリベイラトーレ(タワー渓谷)と、崖に張り付くように斜面にある集落を見渡せます。この尾根上で、360度の渓谷美を見ることができ、この道を通るだけでこのサントアンタン島にきたかいがあると言いきってもよさそうな、素晴らしい景色です。
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グローグ(ラム酒)の製造元を見学。トイレもこちらで借りる。かつて牛馬に引かせていた木製の絞り機は効率の良い機械に取って代わられ、糖蜜を煮込んで蒸留するのも機械になっている。試飲もできる。5年寝かせたダークのものが700エスクード、糖蜜、また糖蜜とグローグを混ぜた少し甘みのあるお酒ポンチなども販売している。
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緑溢れるサント・アンタンの北から東側にかけて、ハイキングを楽しみました。サトウキビやキャッサバ、コーヒーといったプランテーションの中や、集落の間を抜けて行きます。プランテーション畑と、マンゴーやパンノキなどの木々が谷を埋め尽くす緑の中を、対岸の岩肌に張り付くように建つ集落を見ながらのハイキング。そこそこ歩きがいもあり良いコースでした。
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ジャネラ灯台の近くにあるミステリアスな岩には、十字架や、解読不可能な文字がたくさん彫られています。15世紀にポルトガル人が上陸した地や、彼らの進んだ道に名前や十字架を残すように、ここも1460年代のディエゴ・ゴメスの一団、もしくは1480年代のディエゴ・カオンの一団と見られていますが、その文字は現代ポルトガル語やアラビア語、ヘブライ語、ベルベル語とはまったく違い、アラム語やフェニキア語、ポルトガル古語などではないかと言われています。また一説によるとポルトガル人達よりもさらに先に到達した中国人によるものではないかとも言われているそうです。
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石段を10分弱登ると灯台までたどりつけます。現在は太陽光発電で動いているこの灯台から、島の北東部海岸線が見渡せ、サン・ヴィセンテ、またバルラベント諸島のほかの島々までも天気が良ければ見えそうです。
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渓谷の中の村で手作りのジャムを売っていた少女。カーボヴェルデにはアフリカ系とヨーロッパ系の混血であるクレオールと呼ばれるこうした人々が多く暮らします。
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西遊旅行で知られざる西アフリカの島国・カーボヴェルデへ!ツアーの詳細はこちらから。
西遊旅行 4つの島々を訪問、カーボヴェルデのツアーページへ

at 20:36│エチオピア 

2015年08月14日

旧都ゴンダールのファジル・ゲビ王宮

今日はエチオピア帝国の旧都ゴンダールのファジル・ゲビ王宮をご紹介します。
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1636 年にゴンダール朝を開いたファシラダス帝(在位1632~1667 年)以後、キリスト教を信仰した歴代皇帝が建てた石造りの王宮跡が点在するファジル・ゲビ王宮。ユネスコの世界遺産にも登録され、ゴンダールのハイライトとなっています。
ファシラダス帝の父であるスセニョス1 世がカトリックに改宗した際、国内諸勢力の反乱をひき起こしました。その後、1630 年に皇帝に即位したファシラダスはエチオピア正教への復帰と帝権の強化をめざして新たな都の造営事業を開始したのです。王宮ファシル・ゲビの建設はポルトガルやインドから工匠の参加を得て1632 年に始まり、半世紀後のイャス帝の頃には、エチオピア人の工匠が独自に造営工事ができるまでになったといいます。このようして生まれたゴンダールは、ヨーロッパの王宮都市とは大きく様相を異にし、その軍営がそのまま居住区に発展するかたちをとりました。低地にはイスラム教徒の居住区、町外の谷間にはユダヤ人居住区といった具合に全体として分散した街並みを形成してゆきます。

ファシラダス王の王宮。高さ32m、3 階建て。ドームの塔は見張り塔で最上階に王の礼拝の部屋があります。
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ファシラダス王の王宮内部 シンプルな造り。手前がレセプションルーム、奥がダイニングルーム。その他王の着替えの部屋や見張り部屋が残っています。
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ファシラダス王の王宮内部 一カ所だけオリジナルの天井が残っています。
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イヤス王の宮殿 。イヤス王は1682年~1706年の王 1941年のイギリス軍の爆破で破壊され、後々修復されたものです。
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イヤス王の浴場 王が皮膚病にかかったために造られました。サウナの他、薬の部屋、水浴びの部屋、更衣室などがありました。
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イヤス王の浴場の更衣室。服をかけるためのフックや、着替えをいれる棚の様なスペースも残っている
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ライオンの檻。かつては王宮内にライオンが飼育されていたと言われています。
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バカファ王の宮殿。左は馬の厩舎、右側のホールでは晩餐会が行われた場所です。
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手前が ヨハネス1世の宮殿、奥はヨハネス1世の図書館です。
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かつてエチオピアの都として栄えたゴンダール。その栄華のいったんを垣間見ることができる。そんな場所がファジルゲビ王宮です。

西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅
北部エチオピア歴史紀行 8日間
ナイルの源 エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
エチオピア正教の祭典 ティムカット祭

写真・文 西遊旅行 米谷健吾

at 09:21│ダナキル砂漠 | エチオピア

2015年08月03日

「ダナキル砂漠への旅」の魅力 ~その①「ダナキル砂漠」 

 大阪支社 高橋です。
 猛暑日が続く中、思わず「涼み」を求めてしまう日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 そんな中、今回紹介させていただくのは、さらなる猛暑の地である「ダナキル砂漠の旅」です。

 ダナキル砂漠への旅は、2008年の視察から始まり、これまで56本のツアーを催行しており、その実績と経験を生かし、西遊旅行が自信を持ってお届けするコースです。

 昨年、ツアーグランプリ実行委員会(委員長:日本旅行業協会)が主催する「ツアーグランプリ2014」にて、弊社の企画・実施するツアー「アフリカ大地溝帯 ダナキル砂漠への旅」が、審査員特別賞を受賞いたしました。

 今シーズンも、この6月に「エチオピアの旅」のパンフレットにてダナキル砂漠への旅を発表させていただきました。これまでにたくさんのお客様からのお問い合わせやお申し込みをいただいており、おかげさまですでに催行決定となったコースもございます。

 また、このブログを執筆中、CNNのホームページに以下のニュースが掲載されていました。

欧州観光貿易評議会(ECTT)が毎年発表している「世界最高の観光地」に、今年は東アフリカのエチオピアが選ばれた。
 同国はスペインやイタリア、タイなどのように有名な観光地では ないが、豊かな自然と壮大な景観、文化遺産に恵まれている。
 エチオピア文化観光省によると、同国を昨年訪れた観光客は10 年前から10%増えて60万人余り。
 国立公園や3000年前にさかのぼる遺跡、国連教育科学文化機 関(ユネスコ)に登録された9カ所の世界遺産と、見どころは尽きない。

http://www.cnn.co.jp/travel/35067388.html

 CNNも注目の「東アフリカ・エチオピア」の中から、西遊旅行が自信をもってお届けする「ダナキル砂漠の旅」。その魅力を少しずつ紹介していきたいと思います。

 本日は「ダナキル砂漠」についてです。

 砂漠と言えば、アフリカの3分の1を占める「サハラ砂漠」、世界一美しい砂漠と称される「ナミブ砂漠(ナミビア)」など、砂の世界が一面に広がる景観を想像される方が多いかと思います。
 多いどころか、ほぼ大半の方がそうだと思います。

 「ダナキル砂漠(Danakil Desert)」とは、エリトリアとの国境に近いエチオピア北部に位置し、別名「アファール低地」とも呼ばれます。
 このあたりは「アフリカ大地溝帯」に位置し、夏は気温が50度以上、冬でも40度を越える世界で最も暑い場所のひとつとされています。
 アフリカ大地溝帯は今から約1000万~500万年前に形成が始まったと考えられています。マントルの上昇流が地殻にぶつかり、東西に流れることで大地が引き裂かれ、真ん中に巨大な谷、その両側に山が形成されたのです。ダナキル砂漠はその谷にあたる場所に位置し、標高は海抜下になっています。
 地質学的にも重要な地域で、アフリカ大地溝帯がアデン湾と紅海に分かれる場所のため非常に活動が活発であり、多数の火山や断層の他、地面の拡大が起こっているため、数百万年後には海水が流入して海となり、東西に拡大していくだろうと考えられています。
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 現在でも火山活動が非常に活発な地熱地帯であり、「エルタ・アレ火山」に代表される活火山も数多く存在します。
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<マグマを湛えるエルタ・アレ火山(南の火口) やはり「夜の訪問」がおススメ!>

 その他には、玄武岩質のマグマが地中に侵入したことによって形成されたと考えられ、地中から熱された硫黄などの鉱物が噴き出す「ダロール地区」。
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<極彩色のダロール火山 どこを歩いても絶景が広がります>

 どこまでも広がる塩の湖「アサレ湖」やアフデラの町に位置する「アフデラ塩湖」では、塩の採掘所もあり、イスラム教徒とキリスト教徒(ティグレ族)の共同作業による「塩のキャラバン(ラクダのキャラバン)」がご覧いただけます。
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<アサレ湖の「塩の採掘所」から、塩のキャラバンが続く>

 また、アサレ湖周辺では、隆起によってできた塩の奇岩群など、大地溝帯が造り出した奇跡の景観をお楽しみいただけます。
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<アフリカ大地溝帯が造り出した「塩の奇岩群」>

 太古の地殻変動を物語る火山地帯に位置する「ダナキル砂漠」は、たくさんの魅力が詰まった場所となっています。それぞれの魅力については、追ってご紹介していきたいと思います。
 そんな魅力の詰まった「ダナキル砂漠の旅」、西遊旅行では3コースを発表しております。
 また、9月には「ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 旅行説明会」の開催を予定しております。ご質問の多いエルタ・アレ火山の登山やキャンプ、持ち物や気候・服装、現地情勢まで、スライドを交えて詳しくご案内いたします。
ダナキル砂漠への旅にご興味のある方は、お気軽に弊社へお問い合わせください。

次回は「エルタ・アレ火山」について、ご紹介します。 

つづく

<アフリカ大地溝帯 ダナキル砂漠への旅>
■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 10日間
■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 13日間
■アフリカ大地溝帯最深部 アファール・トライアングルを行く 15日間

■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 旅行説明会
【東京会場】
会場:ICI石井スポーツ ici club 6F アースプラザ(神田・神保町)
日時:2015年9月5日(土) 14:00~16:00

【大阪会場】
会場:西遊旅行 大阪支社
日時:2015年9月6日(日) 14:00~16:00

at 09:30│エチオピア | 教会

2015年07月21日

デブラ・ブラハン・セラシエ教会(エチオピア)

今日はエチオピア北部、ゴンダールの町に残るデブレ・ブラハン・セラシエ教会をご紹介します。

ゴンダールはかつてエチオピア帝国の都が置かれた旧都。この教会は1674 年、イヤス王によって建設されました。長方形の形は旧約聖書に登場するノアの方舟を表していると言われています。教会を囲む壁には12 のドームがあり、これはイエス・キリストの12 使徒を表し、メインゲートはライオンを象っているとされます。教会の入り口は男性、女性によって分かれており、内部は旧約、新約聖書の物語を描いた壁画、天井は天使の壁画で埋め尽くされています。

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教会外観  長方形の造りはノアの方舟を表している

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教会を囲む壁には12 使徒を表す12 のドーム。

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ライオンが座っている姿を模した門

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屋根の上にはダチョウの卵をあしらったゴンダール式の十字架

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天井には天使を描いた壁画。この教会で最も有名な壁画。木の上に直接描かれている。

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教会内部の見学できるのは1 部屋のみと小さいが、壁画は素晴らしい。正面には十字架に張り付けられたイエスと、その上には三位一体(Trinity)を表す壁画。

■三位一体とは:キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。「三位一体」は、正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントにおいてはキリスト教における中心的な教えの1 つであり、正統教義のひとつ。

■マリアとヨセフエジプトへの逃避
北側の壁には聖母マリアの生涯を表す壁画。上段2 段はマリアとヨセフのエジプトへの逃避を表す。また、下段はキリスト教の戦士が異教徒と戦う姿を現す。キリスト教徒は正面から見た顔(両目)、異教徒は横顔(目がひとつ)で描かれる。

■イエスのエルサレム入場と最後の晩餐
南側にはイエス・キリストの生涯が描かれる。左上はイエスのエルサレム入場、右下は最後の晩餐。

■イエスの磔から蘇り
最後の晩餐の後、12 使徒のひとりユダに裏切られたイエスはヘロデ王につかまり、十字架にかけられ、再び地上に蘇る(レザリクション)までのお話が描かれている。

この様に、小さいながらに内部一面が壁画で埋め尽くされた、デブレ・ブラハン・セラシエ教会。ヨーロッパの教会とは異なるエチオピア独特のタッチで描かれています。その昔、字が読めない人々に聖書の教えを説くためにこの様に絵で表現したそうです。エチオピアを代表する歴史遺産に違いありません。

北部エチオピアは10月頃から乾季のシーズンに入ります。特に10月、11月は雨季の間に降った雨で山々が緑に茂り、大変美しい季節。是非、ベストシーズンのエチオピアへ足をお運びください。

写真・文 西遊旅行 米谷健吾

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at 09:30│マウンテンゴリラ | ルワンダ

2015年07月11日

ウガンダ カンパラからアフリカ大地溝帯の湖群を抜けゴリラの棲む森へ

ウガンダはアフリカの真珠と詠われるほど緑あふれる景色が広がる国です。観光資源としては世界でも希少な野生のマウンテンゴリラに会いに行くトレッキングが有名ですが、今回はゴリラの生息するブウィンディ国立公園までの道中で見る景観を、お話とあわせてご紹介します。

エンテベ空港到着した後、首都カンパラへ。
カンパラでは遠くからひときわ高いミナレットが目立つモスクへ。キリスト教徒が多いウガンダですが、このモスクは2008年にリビアのカダフィ大佐の援助で建設されました。礼拝堂にはいると、案内の方が素敵な声で礼拝前の呼びかけであるアザーンを聞かせてくれました。ミナレットにも登ることができました。330段の螺旋階段を最上段まで登ると、発展を続けるカンパラ市内が一望できます。

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【写真上:カダフィモスク外観 下:ミナレットの内部の螺旋階段】

ナカセロ丘…政府系の建物、高級ホテルがたち、周りはダウンタウンです。
ムラゴ丘…大きな病院があります。
マケレレ丘…アフリカで最初の大学があり、この大学あ1912年にイギリスのケンブリッジ大学により建てられました。
ナミレンベ丘…プロテスタントの宗教センターがあります。
ルバガ丘…こちらにはカトリックの宗教センターがあります。
ルビリ丘…ブガンダ王宮があり、現在でも継承者は国民の尊敬を集めています。
ムイエンガ丘…昔からビジネス地区でした。

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【写真上:ミナレット頂上からカンパラの町を展望】

7つの丘から発展したカンパラの町も現在丘の数は21を数えるといいます。

角の長いアンコーレ牛は地方で放牧されているのをよく見ますが、かつてアンコーレ王国が北の部族と戦った時に戦利品として奪ってきて、それから普及したと言い伝えられています。また当時の王国は戦いで男性が少なく王室にも女性しかいなかったので、当時の王妃はルワンダから結婚相手としてひとりの王子を受け入れました。結婚し、子どもをもうけた後王妃を殺害したその王は霊を慰めるために神殿を建てました。そこから新たな信仰が始まり現在でもエチオピアや、遠くカリブ海の地域でその信仰が残っているそうです。

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【写真上:アンコーレ牛の群れ】

ウガンダの国鳥であるカンムリヅルは国の西部に多く、畑につがいでいるところをよく見かけます。北アフリカにもいますがそれは亜種です。つがいは生涯相手を変えず、一方が死んでも新しいペアは探さないという習性をもっています。

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ブニョニ湖はカバレ付近から30キロ程伸びる細長い湖です。タンガニーカ湖の次にアフリカで深いと考えられていますが、まだ調査結果は出ていないようです。最深部は900mともいわれ、ウガンダのお札5000シリング札に描かれています。ブニョニは"小鳥がたくさんいる場所"の意味です。湖には29の島があり、いくつかの伝説が残っています。そのいくつかをあげると。。。

・未婚のうちに妊娠してしまった女性を処罰のために送り、自ら泳いで戻るしかなかったAkampene( 英語でPunishment island”処刑”)という島。当時泳げる女性は少なかったようです。
・Bucuranuka ( 英語でUpside Down "ひっくり返る")という島では、あるときソルガム(雑穀でシコクビエ)のビールを一杯お願いした老婆をひどい言葉で追い返した島民達がいて、老婆が島から離れた途端に島ごとひっくり返り全員しんでしまったという。

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【写真上2枚:多くの伝説が残るブニョニ湖】

ヴィルンガ山系の山並みが眼前に入ってきます(下の写真)。手前の三角形をした大きい山はムハバラ山4,127m、背後にあるのがガヒンガ山3,474m、さらにその背後、雲の中に隠れているのがサビーニョ山3,634m。またさらに奥にはビソケ山3,711mや、ヴィルンガ山系の最高峰カリシンビ山4,507mがあります。世界に800頭程のマウンテンゴリラは、東アフリカ大地溝帯の西淵を成すアルバータイン地溝帯(タンガニーカ湖からアルバート湖まで)のこのヴィルンガ山系にしか生息していません。ムハバラ山は日帰りで往復トレッキングする事ができ、最近コンゴ側からウガンダ側に行動範囲が定着したこの山のゴリラにトレッキング中に遭遇することもあるそうです。このムハバラ山頂まで登ると小さなクレーター湖を見ることができます。ビソケ山とカリシンビ山の間の3,000mの高地には、マウンテンゴリラの世界的な研究機関としてダイアンフォッシーが創設したカリソケ研究所があります。

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バナナのプランテーションにも訪れました。このプランテーションでは4種類のバナナを栽培しており、果物用、プランテン(甘くなく調理用)、ビール用のバナナ(幹が真っ黒い)、モンキーバナナで。それぞれ幹の色や触ったときの感触が微妙に違うようです。バナナはまだ青い状態で収穫し、1週間ほど経つと熟し、食べごろとなります。早く熟させるには温かい台所などに置いておくと2、3日で食べごろとすることができるようです。一度収穫した木は切り倒して畑の肥やしとするか、新しい苗木だけ移植するようです。

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ウガンダとルワンダに両方訪れるコースはこちらから!
西遊旅行で行くウガンダ・ルワンダ9日間 ツアー詳細

at 09:30│アルジェリア 

2015年07月03日

アルジェリア世界遺産・ムザブの谷

今回は、アルジェリアのオアシス集落「ムザブの谷」についてご紹介させていただきます。

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ムザブの最初の住人は新石器時代まで遡り、この地方には洞穴で暮らす人々が住んでいました。
この最初の住人たちのことはあまり判っていないそうです。ウマイヤ朝の勢力争いに敗れたアラブ人が
北アフリカ一帯をイスラム化して以来、何度もアラブの民族の交替と、その度に覇権争いが起こりました。コ-ランを厳格に解釈した独自の教義に忠実で、イスラム教の清教徒ともいわれるベルベル人の一派のムザブ族は、ムスタム朝の末裔のためにイスラム教の少数派であるイバード派を信仰していたことで9世紀以降に迫害され、長い流浪の末、11世紀初め、ワルグラを経てサハラ砂漠の北部の涸れ谷に安住の地を見出しました。地中海世界から遠く隔たれ、隔絶された世界に閉じこもった人々は、そのままおよそ1000年の間、孤絶したまま、他の民族とも接触をほとんど絶って、隠れて暮らしてきました。
そんな中で岩だらけの不毛の地に井戸を掘り、豪雨の時の鉄砲水から町を守るために城壁を築いて、
高度な地下灌漑システムを開発し、最後の一滴の水まで利用するためにオアシスにパルメリー
(ナツメヤシ畑)を造って水の管理を共同で行いながら生活してきました。ムザブ族が、この地に定住
できたのは、砂漠の下に流れている水脈を見つけ、井戸を掘る技術に優れていたからといわれています。18世紀以降には、ムザブは、ナツメヤシ、塩、象牙、武器、奴隷などを取引していたサハラ交易の
キャラバンの寄留地として重要な土地になりました。歴史上、ムザブには25の町が現れては消えて
いったそうです。そして、現在、ガルダイア、エル・アーティフ、ブー・ヌーラ、メリカ、ベニ・イスゲン、
ベリアン、ゲラーラの7つの町があり、そのうちベリアンとゲラーラを除く5つの町が、1982年に世界文化
遺産に登録されました。

今でもその伝統的な戒律の中で生活する人々。
観光客が入場する入り口には、「人物に対する撮影の禁止」や、「女性は肌を露出させない」などの
注意書きが掲げられています。

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ムザブの谷の旧市街の家屋は、ナツメヤシの木を骨組みとして使い、泥を塗り固めた壁で造られています。そして、土壁にナツメヤシの枝ででこぼこを作り、それによってできた小さな無数の窪みが陰になって屋内の暑さを和らげる仕組みになっているそうです。
細い路地が迷路のように入り組んだ町の構造は、外敵から身を守るというより、隣人に自分の行動を
知られないようにするという邪視(…嫉妬などで悪意の視線を向けられることで不幸になるという民間信仰)を防ぐ目的があるそうです。

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水がすっかり枯れて道路と化した川の中を車が走っているムザブ川は、たまに降る大雨で大洪水を
引き起こし、川沿いの新市街は甚大な被害を受けるそうです。実際、数年前にも大きな大洪水があり、
1メートル50センチ以上も浸水したそうです。旧市街の人々は昔からそんな被害を知っていたので、
大洪水が起きても影響を受けない高さまで、丘の頂上から町を築いていったそうです。
町の周りには、ナツメヤシの木が生い茂っています。

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首都アルジェから600キロ南へ向かった先に、突如現れるオアシス・ムザブの谷。
私達の世界とはかけ離れた、独自の生活を守って暮らすムザブ族の姿がそこにはあります。
彼らの住む、美しい街並みと文化を肌で感じに行ってみませんか。

■関連ツアー
・「アルジェリア探訪

at 13:30│エチオピア | ダナキル砂漠

2015年06月23日

【エルタ・アレ火山】非現実的な絶景を求めて

皆さんこんにちは。東京本社の荒井です。
先日、2015年から2016年にかけてのツアーを発表しましたダナキル砂漠の魅力をお伝えしたいと思います。

本コースでは、ダロール火山、塩のキャラバン等、魅力的な訪問地が多数ありますが
その中でも一番の見どころは何と言ってもエルタ・アレ火山です。

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まずはエルタ・アレ火山をご存知でない方のために簡単に…

【エルタ・アレ火山:Erta Ale】
現地に住む遊牧民族アファール族の言葉で「煙の山」という意味のエチオピア北部にある粘性が非常に低い玄武岩質のマグマが特徴的な火山。山麓の直径は30㎞。幅は50㎞。標高は613m。頂上のカルデラの面積は1㎢。カルデラの中には、2つのクレーターがあり、北の火口は現在活動をしておらず、1968年と1973年に溶岩をたたえていた。南の火口は横幅60m、縦100mあり、北の火口より小さい。現在でも活動を続けている。

過去125年の間に7回の噴火。1873年、1903年、1904年、1906年、1940年、1960年、1967年、1967年以後も噴火を続けている。エルタ・アレ火山の溶岩湖は少なくとも90年は続いていると言われ、記録されている休火山の中で最も長い。熱の発散は大きいが、溶岩流出は少ない。研究者によるとマグマの密度は高さが噴火を抑制しているとの事。この研究者は岩脈や貫入岩床の携帯の近くにマグマが蓄積されていると提言している。

火口は「マグマたまり」と直接つながっていて、どんどん湧き上がってきているという。大きな変化2004~2005年の間に起こり、南の火口から噴き出した溶岩がクレーターの縁の高さを高くした。エルタ・アレ火山の近くでは地震が何度も確認されており、近い将来に噴火が起こるかもしれないと考えられている。

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エルタ・アレ火山に向かうにはまず、麓のベースキャンプに一泊する必要があり
翌朝、3時30分頃から登頂を開始します。(お日様が登りきってしまうと気温が上昇しすぎる為)
 

ここではローカルガイドさんの先導のもと、ヘッドライトを首からぶら下げ歩き始めます。
「夜間登山」という事でエルタアレのルートを熟知しているガイドさんなので安心です。

足場が悪い所もありますが、こまめに休憩をとりつつ頂上を目指します。

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途中で荷物を運ぶラクダともすれ違います。
毎日このルートを往復してると思うと頭が下がります。

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登頂直前には朝日を見る事も出来ます。
登山中に見る朝日は格別ですね!

登頂後、朝食をお召し上がり頂き、いよいよ「エルタ・アレ火山の火口」へと向かいます。

弊社ツアーでは、エルタ・アレ火山の火口見学を合計3回設けております。

①登頂後の朝食後(10時頃~)

②昼食後(15時頃~)

③夕食後(19時頃~)


後程記載させて頂きますが、エルタ・アレ火山は
見学する時間帯によって全く別の顔を見せてくれます。

朝の見学は、今なお活動を続ける南の火口の見学です。
冷え固まった溶岩の広がるクレーター内を歩きながら、徐々に熱気を感じられる火口付近に近づきます。
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朝の見学のため「明るくてもマグマは見えるの?」と心配や不安を抱る方もいますが心配ご無用です。
お日にちにより火山の動きに多少の変化はありますが躍動感のある姿をご覧頂けるかと思います。


昼食後、日中の暑さのピークを過ぎた15時頃から「午後の見学」がスタートします。
午後は北の火口へ向かうために「火口縁ハイキング」をお楽しみ頂きます。IMG_7807
 

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北の火口は南の火口とは違い、噴火活動はしていませんが真ん中に大きな煙突が出来ています。
この煙突は年々大きくなっているそうです。果たして今年はどこまで大きくなっているのでしょうか!?
是非、皆様の目で確認してきてください!

北の火口を見学して頂いた後は、再度南の火口の見学です。IMG_7845

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火口の周りには朝の見学時にはなかったリングらしきものが!
ガイドさんの話によると、外気が低くなるほど火山活動が活発になるそうです。

夕食後はいよいよ夜間の火口見学です。
火口に到着すると、耳を塞ぎたくなる程の轟音が鳴り響きます。
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夜の火口は想像以上で、言葉を失う程です。
ここ見た光景は、一生忘れられない思い出になる事でしょう。

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