at 16:11│エチオピア | アクスム

2015年10月14日

失われたアークはどこにあるのか?

旧約聖書の出エジプト記で描かれる預言者モーセがシナイ山で神より授かったとされる十戒を記した石版。そのすさまじい力を抑えるため、アカシヤで造られ、金箔で内側、外側を覆われた箱に保管されたと言われています。この箱は契約の箱・アークと呼ばれました。モーセがエルサレムにたどり着く前にネボ山で亡くなった後も、ヨシュアをはじめとする人々がエルサレムへと入り、ユダヤの町を築きました。その後、長きにわたってエルサレムで保管されていたこのアーク。ソロモン王の支配のもとに造られたエルサレム神殿、その中の聖室にアークは納められたとされています。旧約聖書によると1年に1回司祭がこのアークを外に運び出したそうです。しかし紀元前900年以降、アークは突然姿を消すことになります。旧約聖書におけるアークに関する最後の記述はヒゼキヤ王の統治時代ですが、この後、アークがどうなったのかという事については触れられていません。

嘆きの壁 (18)
現在のエルサレムに残る神殿の丘と嘆きの壁

このアークが今どこにあるのか?学者の間でも正確な事は分かっておらず、様々な説が存在します。今日はエチオピア正教で信じされている節”エチオピアの古都アクスム説”をご紹介します。様々な説がありますが、下記はアクスムのガイドの説明によるものです。

紀元前10世紀頃、イエメンを支配していたシバ王国の領土はエチオピア北部にも及んでいました。このシバ王国の女王(一部ではビルキスと呼ばれる)は、当時イスラエルを支配したソロモン王との間に子供を身籠り、アクスムへ向かう道中で出産したとされています。この子供はメネリク1世と名付けられ、後にアクスム王国を支配する偉大な王となりました。メネリク1世が成人となった時、シバの女王は彼に父親はエルサレムのソロモン王であることを告げました。それを知ったメネリク1世はエルサレムへと向かい、父親であるソロモン王と対面したのです。

■シバの女王の宮殿
アクスムに残るシバの女王の宮殿跡

エチオピア説によると、アークはメネリク1世がエチオピアへ戻る際にアクスムへと運ばれたと信じられています。その過程にについても諸説あり、父親であるソロモン王が息子に託したという話や、アークを管理していた司祭が夢の中でアークはメネリク1世と共にエチオピアに行くべきであるというお告げを聞き、メネリク1世にも知ららされることなく、ひそかに運ばれたという説もあります。

とにかくエチオピア正教ではアクスムのシオンの聖マリア教会に保管されていると信じられています。現在はシオンの聖マリア教会のすぐ横にある別の建物に保管されているそうですが、5月の時点ではすぐ横に新しい建物を建設していました。完成すればこちらに移されるのだとか。

■古いシオンの聖マリア教会外観
現在のシオンの聖マリア教会外観

■契約の箱が保管される場所
本物の契約の箱(アーク)が保管されていると言われる建物

シオンの聖マリア教会はこれまで何度か再建されてきました。もともと4 世紀にイザナ王がキリスト教の教会を建設しました。最初に造られた教会はエチオピアで最初の教会であると同時に、サブサハラで最古の教会でもあったのです。

■4世紀の教会跡
4世紀に建てられた教会の跡

9 世紀にヨディトグディトによってアクスム王国が滅ぼされた際に、この教会も破壊されました。その時、保管されていたアークは事前に司祭たちによって運びだされ、違う場所で保管されたといいます。その後、再び教会が建てられましたが、16 世紀にイスラム教徒によってふたたび破壊されました。その時は教会内の貴重な品々はタナ湖にある修道院に運び込まれたそうです。現在の教会は17 世紀にファシラダス王によって建設されたものです。教会内部は女人禁制となっており、男性のみしか入場することができません。

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (1)
教会内部の壁画

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (2)
16 世紀まではキリストやマリアも白い肌で描かれていましたが、以後黒い肌で描かれるようになりました。

■天使ミカエルとラファエル
天使ミカエルとラファエルの壁画が描かれたドア。

女性もお祈りができるようにと造られたのがすぐ横にある新しい教会。こちらは男女共に入場が可能です。中には500年前に書かれた非常に古い聖書をご覧いただくことができます。1965 年、ハイレ・セラシエ皇帝の奥さんによって建設されました。

■新しいシオンの聖マリア教会 (4)
新しい教会内部に保管される500年前の聖書

エチオピアではこの契約の箱アークの事をタボットと呼びます。エチオピアの各教会にはこのタボットのレプリカが保管され、毎年1月に行われるティムカット祭の時には全てのレプリカが司祭によって祭り会場に運ばれ、掲げられます。しかし、シオンの聖マリア教会に保管されているとされるオリジナルは一切外にでることはありません。

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ティムカット祭の様子。タボットのレプリカを持って司祭が集まる。

失われた契約の箱・アークがどこにあるのか?本当の所は誰も分かりませんが、その一つの説を信じてエチオピアを訪れてみるのも面白いのではないでしょうか?

2016年 西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅 詳細は↓
ナイルの源・エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
北部エチオピア歴史紀行 8日間






at 09:00│エチオピア | アクスム

2015年09月24日

謎の王国・アクスム(エチオピア)

アクスムの考古遺跡は全体の5%程しか発掘されておらず、そのほとんどはまだ地下に埋まったままです。アクスムは現在のイエメンに当たる南アラビアから紅海を越えてきたセム語系のサバ(シェバ)人が中心になって建国されたと考えられています。3,000 年以上の歴史を持ち、エジプト、ローマ、ペルシャ、中国、インドと並ぶ古代文明を持った町のひとつなのです。しかし、発掘調査が及んでいない部分が多いため調査が十分に行われておらず、古代アクスムについては不明な点が非常にに多く残っています。
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アクスムのシンボル・オベリスク

中でも町のシンボルとなっているのが巨大な石柱の並ぶ広場オベリスクフィールドです。このオベリスクがどのような理由で造られたのかはっきりとしたことは分かっていませんが、権力者の墓石であったのではないかと推測されています。

■倒れた巨大なオベリスク
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最大のオベリスクは高さ33m、重さ520 トンにも及びます。しかしながらこのオベリスクは既に倒れてしまっています。もともと巨大な1 枚の花崗岩を切りだして造られ、最初に切り出された一枚岩の重さは1000 トンに及んだと推測されています。倒れた理由に関しては諸説あり、

①地中に埋める部分が少なすぎて重さを支えきれなくなった。
②地震によって倒れた。
③地殻変動など地面の変化によって倒れた。
④950 年アクスムがクシ系のアガウ族の女族長ヨディトグディトによって滅ぼされた際、オベリスクも倒された。

などが挙げられます。

■壊れたお墓
大きなきな一枚岩の屋根を持つ墓はロイヤルファミリーの墓と考えられています。巨大な石の屋根は多くの石柱によって支えられていましたが、巨大なオベリスクがその上に倒れた事により壊れてしまったと考えられています。
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オベリスクの倒壊によって壊れた墓

■地下墳墓
1993 年にデービッド・フィリップスというイギリスの考古学者が発掘。ほとんどの財宝は盗まれていたが3 世紀のアクスムのコインが見つかっています。アクスム王国は独自の硬貨を持ったアフリカで最初の国で、エンドゥビス王からアルマー 王に至る治世の間(270 年から670 年まで)同時代のローマの通貨を模倣した金貨や銀貨や銅貨が鋳造されていたと言われています。
■地下に残るお墓DSC_6018


■ラムハイ王の地下墳墓 4 世紀〜5 世紀頃の王様
偽物のドアを彫り込んだ墓石。地下には棺を納めた部屋とその横には宝物を保存した部屋。棺は未完成のままであった。墓を成す巨大な石組はインカ文明を彷彿とされるような技術が使用されています。
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偽物のドアを彫り込んだ墓石

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石の大きさを測るのに利用したと考えられているものさし

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鉄を使って石と石をつないでいた高度な技術を今もみることができます。

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地下には棺を納める部屋が残っています。

■放棄された巨大な石
切り場はアクスムから5km ほど離れた所にあったとされています。そこで切り出された巨大な岩は象などを使って運ばれ、こちらで彫刻されたと考えられています。中には左の写真の様に、途中で放棄されたオベリスクも見ることができます。
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■高さ26m のオベリスク
現在立っているオベリスクとしては最大のもの。1937 年にムッソリーニに率いるイタリア軍が三分割してイタリアへ持ち去り、長い間ローマに聳えていました。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の高さを証明するもののひとつであることは明白です。1947 年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議しました。しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005 年にようやく返還されました。ロシアの飛行機で3 回に分けて運ばれたそうです。オベリスクには窓やドアの様な模様が彫刻されており、イエメンの建築によく似ていると言われています。すぐ横には高さ24mのオベリスクがありますが、26m のオベリスクを建てる際にこちらのオベリスクが倒れない様に現在の様な補助装置をつけたのです。26m のオベリスクが2005 年に戻ってくるまでは、アクスムで最大のオベリスクでした。

■DSC_6010
イタリアより戻ってきた最大のオベリスク

紀元前3,000年頃からと言われる長き歴史を誇るアクスム。まだまだ発掘が進んでいないことから、その地名どはエジプトやローマ、ペルシャなどには及びませんが、素晴らしい遺跡が残っています。アクスムのあるエチオピア北部のアビシニア高原は11月~3月頃までの間雨の少ない乾季のベストシーズンを迎えます。2016年11月11日発「北部エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間」コースも催行決定しましたので、是非ご検討下さい。

2016年 西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅 詳細は↓

ナイルの源・エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
北部エチオピア歴史紀行 8日間







at 23:39│ナミビア | ナミブ砂漠

2015年09月14日

ナミブ砂漠:フェアリーサークル(妖精の輪)とは?

こんにちは、大阪支社の植田です。
今回はアフリカ南西部に位置するナミビアの太平洋側に広がるナミブ砂漠に見られる自然界のミステリー、「フェアリーサークル(妖精の輪)」に関してお話しさせていただきます。
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世界中で報告が相次ぐ「ミステリーサークル」ならぬ「フェアリーサクル」。
ミステリーサークルは人為的にできたものだという意見も多いですが、フェアリーサークルもまた、数々の研究者が調査を行っても現象が解明されていない、謎の現象であります。P1260522_fujita


ナミブ砂漠には太西洋で発生した海霧が特に早朝、風に乗って内陸部に流れ込みます。
また、ナミブ砂漠を東西に横切るクイセブ川という枯れ川があります。
上流部では流水が見られることが多いですが、下流へ流れていくにつれ、ナミブ砂漠の乾燥地域に入り、流水が見られなくなります。
ただし、中流・下流域では地下水として流れている為、このクイセブ川の地下水と僅かな朝霧によってナミブ砂漠では植物が自生しているのです。

そして植物が自生している地域で見られる現象が「フェアリーサークル」です。
膝下程の高さの草が生い茂る場所に、なぜか草が全く生えない部分が等間隔で円形状にあちらこちらに見られます。
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このフェアリーサークルの謎に関しては諸説あります。

その一…『シロアリ説』
こちらは幾つかある説の中で、最も有力だと言えます。
フェアリーサークルの調査において、多くのフェアリーサークルでシロアリが発見されているようです。
シロアリが植物の根を食べてしまう為、水を吸い上げる植物がないことから地下に雨水が貯まります。
根を食べられなかった植物がその雨水を吸い上げて成長するため、フェアリーサークルができる。

その二…『気候説』
ナミブ砂漠は極度の乾燥地帯です。
この乾燥気候により植物が水資源を奪いあう為、フェアリーサークルが発生する。

その三…『ガス説/有毒植物説』
地中から発生するガスが原因でフェアリーサークルができる。
若しくは、この一帯に自生する有毒植物があり、その毒性により発生する。

その四…『ダチョウお座り説』
ナミブ砂漠にも生息するダチョウ。彼らが休息の為に座ることでフェアリーサークルが発生する。
※ただしフェアリーサークルは直径1mを超えるような大きな円の為、この説はあまり期待できないですね。

その五…『UFO説…』
これは現地のガイドさんが冗談で話してくれましたが、ミステリーサークルと同じように、もしかすると
こちらもUFOと関係があるのでは、、、ということでした。

世界遺産にも登録され、見た目も美しいナミブ砂漠の魅力は、その特異な地域に発生するこういった
特別な事象や、面白い動植物にもあります!194_ueda

ぜひ一度、魅力たっぷりのナミブ砂漠へ足を踏み入れてください!

ナミブ砂漠を訪れるコースはこちら。↓
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GANA11/index.html

at 09:19│西アフリカ | カーボヴェルデ

2015年09月02日

火山諸島カーボヴェルデ 緑の島サント・アントンを歩く

アフリカ大陸北西の沖合いにある島国、カーボヴェルデをご紹介します。

セネガルのベルデ岬の沖合い約600㎞の大西洋上に散在する大小15の島からなります。すべての島々は海底下にある熱いマグマ溜まりに起因する火山活動によって形成されてきました。時々これらのマグマ溜まりは海から上昇し、火山の噴火を引き起こし、その結果、新たな島を造りだしました。ソタベント(風下)諸島にあるフォゴ島がその中でも一番若く、10万年前に形成された最新作です。アフリカンプレートの上に位置する火山帯ですが地震は全くありません。

たくさんの見所がありますが、北部のバルラベント(風上)諸島にある、緑の島として知られるサントアンタン島をとりあげます。

二つの島はわずか15kmの海峡を挟んで向かい合っており、サン・ヴィセンテから先に浮かぶサント・アンタン島の1000m以上ある山容はさすがに群を抜いて海上に突き出ています。北西貿易風に乗って、大西洋を渡ってきた湿った雲はこの1000mの山にぶつかり西側の斜面に雨を降らすため、緑溢れる景観となりますが、東側の斜面、及びさらに東に位置するサン・ヴィセンテは乾燥した気候となるといいます。

弓状に湾曲したサン・ヴィセンテのミンデロ港ははるか昔の巨大なクレーターの跡です。

サント・アンタンの港町ポルト・ノボから山の頂上まで車で進んでいくと、直径500mのクレーターが見えてきます。その淵ではガスが発生しては風で飛ばされ晴れ間が覗くという、天候が目まぐるしく変わっていき、幻想的な世界が広がります。
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霧が晴れてくるとクレーター内に集落が形成されているのがよくわかります。牛が放牧され、サトウキビやトウモロコシの畑の世話をしている人が見えます。村の入り口まで散策すると水汲みにクレーターの途中まで集落から上がっていたロバの群れも下りてきました。
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クレーターから北側へと下り始めると、深く伸びるリベイラトーレ(タワー渓谷)と、崖に張り付くように斜面にある集落を見渡せます。この尾根上で、360度の渓谷美を見ることができ、この道を通るだけでこのサントアンタン島にきたかいがあると言いきってもよさそうな、素晴らしい景色です。
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グローグ(ラム酒)の製造元を見学。トイレもこちらで借りる。かつて牛馬に引かせていた木製の絞り機は効率の良い機械に取って代わられ、糖蜜を煮込んで蒸留するのも機械になっている。試飲もできる。5年寝かせたダークのものが700エスクード、糖蜜、また糖蜜とグローグを混ぜた少し甘みのあるお酒ポンチなども販売している。
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緑溢れるサント・アンタンの北から東側にかけて、ハイキングを楽しみました。サトウキビやキャッサバ、コーヒーといったプランテーションの中や、集落の間を抜けて行きます。プランテーション畑と、マンゴーやパンノキなどの木々が谷を埋め尽くす緑の中を、対岸の岩肌に張り付くように建つ集落を見ながらのハイキング。そこそこ歩きがいもあり良いコースでした。
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ジャネラ灯台の近くにあるミステリアスな岩には、十字架や、解読不可能な文字がたくさん彫られています。15世紀にポルトガル人が上陸した地や、彼らの進んだ道に名前や十字架を残すように、ここも1460年代のディエゴ・ゴメスの一団、もしくは1480年代のディエゴ・カオンの一団と見られていますが、その文字は現代ポルトガル語やアラビア語、ヘブライ語、ベルベル語とはまったく違い、アラム語やフェニキア語、ポルトガル古語などではないかと言われています。また一説によるとポルトガル人達よりもさらに先に到達した中国人によるものではないかとも言われているそうです。
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石段を10分弱登ると灯台までたどりつけます。現在は太陽光発電で動いているこの灯台から、島の北東部海岸線が見渡せ、サン・ヴィセンテ、またバルラベント諸島のほかの島々までも天気が良ければ見えそうです。
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渓谷の中の村で手作りのジャムを売っていた少女。カーボヴェルデにはアフリカ系とヨーロッパ系の混血であるクレオールと呼ばれるこうした人々が多く暮らします。
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西遊旅行で知られざる西アフリカの島国・カーボヴェルデへ!ツアーの詳細はこちらから。
西遊旅行 4つの島々を訪問、カーボヴェルデのツアーページへ

at 20:36│エチオピア 

2015年08月14日

旧都ゴンダールのファジル・ゲビ王宮

今日はエチオピア帝国の旧都ゴンダールのファジル・ゲビ王宮をご紹介します。
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1636 年にゴンダール朝を開いたファシラダス帝(在位1632~1667 年)以後、キリスト教を信仰した歴代皇帝が建てた石造りの王宮跡が点在するファジル・ゲビ王宮。ユネスコの世界遺産にも登録され、ゴンダールのハイライトとなっています。
ファシラダス帝の父であるスセニョス1 世がカトリックに改宗した際、国内諸勢力の反乱をひき起こしました。その後、1630 年に皇帝に即位したファシラダスはエチオピア正教への復帰と帝権の強化をめざして新たな都の造営事業を開始したのです。王宮ファシル・ゲビの建設はポルトガルやインドから工匠の参加を得て1632 年に始まり、半世紀後のイャス帝の頃には、エチオピア人の工匠が独自に造営工事ができるまでになったといいます。このようして生まれたゴンダールは、ヨーロッパの王宮都市とは大きく様相を異にし、その軍営がそのまま居住区に発展するかたちをとりました。低地にはイスラム教徒の居住区、町外の谷間にはユダヤ人居住区といった具合に全体として分散した街並みを形成してゆきます。

ファシラダス王の王宮。高さ32m、3 階建て。ドームの塔は見張り塔で最上階に王の礼拝の部屋があります。
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ファシラダス王の王宮内部 シンプルな造り。手前がレセプションルーム、奥がダイニングルーム。その他王の着替えの部屋や見張り部屋が残っています。
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ファシラダス王の王宮内部 一カ所だけオリジナルの天井が残っています。
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イヤス王の宮殿 。イヤス王は1682年~1706年の王 1941年のイギリス軍の爆破で破壊され、後々修復されたものです。
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イヤス王の浴場 王が皮膚病にかかったために造られました。サウナの他、薬の部屋、水浴びの部屋、更衣室などがありました。
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イヤス王の浴場の更衣室。服をかけるためのフックや、着替えをいれる棚の様なスペースも残っている
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ライオンの檻。かつては王宮内にライオンが飼育されていたと言われています。
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バカファ王の宮殿。左は馬の厩舎、右側のホールでは晩餐会が行われた場所です。
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手前が ヨハネス1世の宮殿、奥はヨハネス1世の図書館です。
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かつてエチオピアの都として栄えたゴンダール。その栄華のいったんを垣間見ることができる。そんな場所がファジルゲビ王宮です。

西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅
北部エチオピア歴史紀行 8日間
ナイルの源 エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
エチオピア正教の祭典 ティムカット祭

写真・文 西遊旅行 米谷健吾

at 09:21│ダナキル砂漠 | エチオピア

2015年08月03日

「ダナキル砂漠への旅」の魅力 ~その①「ダナキル砂漠」 

 大阪支社 高橋です。
 猛暑日が続く中、思わず「涼み」を求めてしまう日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 そんな中、今回紹介させていただくのは、さらなる猛暑の地である「ダナキル砂漠の旅」です。

 ダナキル砂漠への旅は、2008年の視察から始まり、これまで56本のツアーを催行しており、その実績と経験を生かし、西遊旅行が自信を持ってお届けするコースです。

 昨年、ツアーグランプリ実行委員会(委員長:日本旅行業協会)が主催する「ツアーグランプリ2014」にて、弊社の企画・実施するツアー「アフリカ大地溝帯 ダナキル砂漠への旅」が、審査員特別賞を受賞いたしました。

 今シーズンも、この6月に「エチオピアの旅」のパンフレットにてダナキル砂漠への旅を発表させていただきました。これまでにたくさんのお客様からのお問い合わせやお申し込みをいただいており、おかげさまですでに催行決定となったコースもございます。

 また、このブログを執筆中、CNNのホームページに以下のニュースが掲載されていました。

欧州観光貿易評議会(ECTT)が毎年発表している「世界最高の観光地」に、今年は東アフリカのエチオピアが選ばれた。
 同国はスペインやイタリア、タイなどのように有名な観光地では ないが、豊かな自然と壮大な景観、文化遺産に恵まれている。
 エチオピア文化観光省によると、同国を昨年訪れた観光客は10 年前から10%増えて60万人余り。
 国立公園や3000年前にさかのぼる遺跡、国連教育科学文化機 関(ユネスコ)に登録された9カ所の世界遺産と、見どころは尽きない。

http://www.cnn.co.jp/travel/35067388.html

 CNNも注目の「東アフリカ・エチオピア」の中から、西遊旅行が自信をもってお届けする「ダナキル砂漠の旅」。その魅力を少しずつ紹介していきたいと思います。

 本日は「ダナキル砂漠」についてです。

 砂漠と言えば、アフリカの3分の1を占める「サハラ砂漠」、世界一美しい砂漠と称される「ナミブ砂漠(ナミビア)」など、砂の世界が一面に広がる景観を想像される方が多いかと思います。
 多いどころか、ほぼ大半の方がそうだと思います。

 「ダナキル砂漠(Danakil Desert)」とは、エリトリアとの国境に近いエチオピア北部に位置し、別名「アファール低地」とも呼ばれます。
 このあたりは「アフリカ大地溝帯」に位置し、夏は気温が50度以上、冬でも40度を越える世界で最も暑い場所のひとつとされています。
 アフリカ大地溝帯は今から約1000万~500万年前に形成が始まったと考えられています。マントルの上昇流が地殻にぶつかり、東西に流れることで大地が引き裂かれ、真ん中に巨大な谷、その両側に山が形成されたのです。ダナキル砂漠はその谷にあたる場所に位置し、標高は海抜下になっています。
 地質学的にも重要な地域で、アフリカ大地溝帯がアデン湾と紅海に分かれる場所のため非常に活動が活発であり、多数の火山や断層の他、地面の拡大が起こっているため、数百万年後には海水が流入して海となり、東西に拡大していくだろうと考えられています。
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 現在でも火山活動が非常に活発な地熱地帯であり、「エルタ・アレ火山」に代表される活火山も数多く存在します。
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<マグマを湛えるエルタ・アレ火山(南の火口) やはり「夜の訪問」がおススメ!>

 その他には、玄武岩質のマグマが地中に侵入したことによって形成されたと考えられ、地中から熱された硫黄などの鉱物が噴き出す「ダロール地区」。
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<極彩色のダロール火山 どこを歩いても絶景が広がります>

 どこまでも広がる塩の湖「アサレ湖」やアフデラの町に位置する「アフデラ塩湖」では、塩の採掘所もあり、イスラム教徒とキリスト教徒(ティグレ族)の共同作業による「塩のキャラバン(ラクダのキャラバン)」がご覧いただけます。
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<アサレ湖の「塩の採掘所」から、塩のキャラバンが続く>

 また、アサレ湖周辺では、隆起によってできた塩の奇岩群など、大地溝帯が造り出した奇跡の景観をお楽しみいただけます。
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<アフリカ大地溝帯が造り出した「塩の奇岩群」>

 太古の地殻変動を物語る火山地帯に位置する「ダナキル砂漠」は、たくさんの魅力が詰まった場所となっています。それぞれの魅力については、追ってご紹介していきたいと思います。
 そんな魅力の詰まった「ダナキル砂漠の旅」、西遊旅行では3コースを発表しております。
 また、9月には「ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 旅行説明会」の開催を予定しております。ご質問の多いエルタ・アレ火山の登山やキャンプ、持ち物や気候・服装、現地情勢まで、スライドを交えて詳しくご案内いたします。
ダナキル砂漠への旅にご興味のある方は、お気軽に弊社へお問い合わせください。

次回は「エルタ・アレ火山」について、ご紹介します。 

つづく

<アフリカ大地溝帯 ダナキル砂漠への旅>
■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 10日間
■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 13日間
■アフリカ大地溝帯最深部 アファール・トライアングルを行く 15日間

■ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山 旅行説明会
【東京会場】
会場:ICI石井スポーツ ici club 6F アースプラザ(神田・神保町)
日時:2015年9月5日(土) 14:00~16:00

【大阪会場】
会場:西遊旅行 大阪支社
日時:2015年9月6日(日) 14:00~16:00

at 09:30│エチオピア | 教会

2015年07月21日

デブラ・ブラハン・セラシエ教会(エチオピア)

今日はエチオピア北部、ゴンダールの町に残るデブレ・ブラハン・セラシエ教会をご紹介します。

ゴンダールはかつてエチオピア帝国の都が置かれた旧都。この教会は1674 年、イヤス王によって建設されました。長方形の形は旧約聖書に登場するノアの方舟を表していると言われています。教会を囲む壁には12 のドームがあり、これはイエス・キリストの12 使徒を表し、メインゲートはライオンを象っているとされます。教会の入り口は男性、女性によって分かれており、内部は旧約、新約聖書の物語を描いた壁画、天井は天使の壁画で埋め尽くされています。

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教会外観  長方形の造りはノアの方舟を表している

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教会を囲む壁には12 使徒を表す12 のドーム。

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ライオンが座っている姿を模した門

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屋根の上にはダチョウの卵をあしらったゴンダール式の十字架

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天井には天使を描いた壁画。この教会で最も有名な壁画。木の上に直接描かれている。

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教会内部の見学できるのは1 部屋のみと小さいが、壁画は素晴らしい。正面には十字架に張り付けられたイエスと、その上には三位一体(Trinity)を表す壁画。

■三位一体とは:キリスト教において「父」と「子(キリスト)」と「聖霊(聖神)」が「一体(唯一の神)」であるとする教え。「三位一体」は、正教会・東方諸教会・カトリック教会・聖公会・プロテスタントにおいてはキリスト教における中心的な教えの1 つであり、正統教義のひとつ。

■マリアとヨセフエジプトへの逃避
北側の壁には聖母マリアの生涯を表す壁画。上段2 段はマリアとヨセフのエジプトへの逃避を表す。また、下段はキリスト教の戦士が異教徒と戦う姿を現す。キリスト教徒は正面から見た顔(両目)、異教徒は横顔(目がひとつ)で描かれる。

■イエスのエルサレム入場と最後の晩餐
南側にはイエス・キリストの生涯が描かれる。左上はイエスのエルサレム入場、右下は最後の晩餐。

■イエスの磔から蘇り
最後の晩餐の後、12 使徒のひとりユダに裏切られたイエスはヘロデ王につかまり、十字架にかけられ、再び地上に蘇る(レザリクション)までのお話が描かれている。

この様に、小さいながらに内部一面が壁画で埋め尽くされた、デブレ・ブラハン・セラシエ教会。ヨーロッパの教会とは異なるエチオピア独特のタッチで描かれています。その昔、字が読めない人々に聖書の教えを説くためにこの様に絵で表現したそうです。エチオピアを代表する歴史遺産に違いありません。

北部エチオピアは10月頃から乾季のシーズンに入ります。特に10月、11月は雨季の間に降った雨で山々が緑に茂り、大変美しい季節。是非、ベストシーズンのエチオピアへ足をお運びください。

写真・文 西遊旅行 米谷健吾

西遊旅行で行く 北部エチオピアの旅
北部エチオピア歴史紀行 8日間
ナイルの源 エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間
エチオピア正教の祭典 ティムカット祭