スーダン

2016年01月06日

ジェベル・バルカル ―スーダン北部の聖なる山―

新年あけましておめでとうございます。
東京本社の寺岡です。

2016年初めのブログは、北アフリカのスーダンのお話です。
2013年に南スーダンが建国され、世界中の注目を浴びたスーダン。
観光で訪れるスーダン北部は、治安面の問題はありません。観光客が多いわけではない
ので相変わらず観光客の受け入れ態勢はハード面・ソフト面でまだまだ課題が多い国ですが、
歴史のロマン溢れる素敵な国だと思います。
また、砂漠と青空のコントラストは、本当に美しいです。

今回は、昨年末に訪れたスーダンの中でも最も印象に残ったジェベル・バルカルをご紹介
させていただきます。

◆ジェベル・バルカル◆

スーダンには2つの世界遺産がありますが、そのうちの1つが、2003年世界文化遺産登録の
ゲベル・バルカルとナパタ地方の遺跡群です。
(ユネスコでは「ゲベル」となっていますが、現地名の音は「ジェベル」の方が近いと思うので、
ここでは今後「ジェベル」と表記します。)
ジェベル・バルカルは大きな岩山を指します。岩山は、古代より、地中海~アラビア~アフリカを
結ぶ隊商がナイル川を渡る際の場所の目印とされていただけでなく、エジプト王朝新王国時代
には、アモン神の聖地とされ、ヌビア最大の聖地として定められた場所です。

ジェベル・バルカル全景

【聖なる山 ジェベル・バルカル】


現在のエジプト南部から現在のスーダンを含む地域はかつて、「ヌビア地方」と呼ばれていました。
ヌビアはエジプトの属国となることもあれば、むしろヌビアが力を持ちエジプトの領地へ進出して
いった時期もあります。そうしたヌビア地域の歴史を代表する地こそ、このジェベル・バルカルです。

紀元前1450年頃、トトメス3世がヌビアを征服。エジプト国土の南端をジェベル・バルカルと定め、
山の麓にナパタの町を建設しました。時代が下り、エジプトがヌビアから撤退した後の紀元前657年、
クシュ王国が成立し、その都としてナパタが選ばれました。

ジェベル・バルカルと神殿跡

【ジェベル・バルカルの岩山の麓には、様々な神殿が築かれた】


岩山の麓に建設されたアモン神殿は、紀元前 650~640 年頃の建立。
アモン神を祀る神殿としては、ヌビア地域で最大の規模を誇ります。
アモン神は、もともとは現在のルクソールで大気や豊饒の神として信仰されていた、エジプトの神でした。
それが次第に太陽神のラーと同一化していき、最高神の「アモン・ラー」として影響力を持つようになり、
エジプト新王国時代には、ファラオを凌ぐ強大なものになっていきました。
そのようなアモンを祀る巨大な神殿が、ジェベル・バルカルにあるのです。
他にも、ジェベル・バルカルの麓には、いくつものエジプトと共通する神々を祀る神殿があり、ここが国の
都として行政的に重要だっただけでなく、人々の精神面にも影響する一大宗教センターだった重要性が
窺えます。

ジェベル・バルカル ハトホル神殿前

【ハトホル神殿前に残る柱】


ちなみにこの岩山、ただ眺めるだけではなく、上に登れるのです。
登り口は、北側の斜面。大きな岩がゴロゴロしていて、階段状に連なっています。所々手で岩を抑え
ながら歩いていくこと約10分、最後の方では少し息が上がります。

ジェベル・バルカル登山の様子

【ジェベル・バルカルの岩山を登る】


よいしょッと登り切ると、頂上はまっ平ら。
一気に視界が開け、360°見渡すことができます。砂漠、土漠、ナツメヤシ農園の緑、そしてナイル川…
足元はたまに窪みがあるので、景色を楽しみつつも歩く先をしっかりと見ていないといけません。
頂上では、本当に「岩山」なので、植物はまったく見当たりません。
行ったことはないですがまるで月面上?不思議な感覚に陥ります。
目指すは岩山頂上の南端。そこからは、先程見学したアモン神殿を岩山から眺められるのです。

ジェベル・バルカル 頂上台地

【ジェベル・バルカル岩山の頂上の様子】


「あんまり先まで行かないでくださいね」とガイドさんが注意しますが、ついつい岩山の先まで行って
下をのぞき込んでしまいます。岩山が崩れたら一巻の終わり…柵も何もない岩山の上からそっと
アモン神殿をのぞき込むと、いかに大きいかが分かります。

ジェベル・バルカル アモン神殿

【ジェベル・バルカルに残るアモン神殿】


2014年の12月31日、わたしはこの岩山から夕日を眺めました。
茶色の大地に沈んでいく太陽が、とても印象的でした。

ジェベル・バルカル頂上から眺める夕日

【ジェベル・バルカルから眺めた夕日】



砂漠がお好きな方、エジプト地方の歴史に興味をお持ちの方、スカッと晴れた青空が見たい方、
遺跡好きの方、まだまだ発掘途中の遺跡のロマンを追い求める方・・・
さまざまな方にお勧めできる方面です。

今後の訪問予定にスーダンを加えてみてはいかがですか?


~~~~~~~~~~~~~~~~~
今後出発する添乗員付スーダンのコース

■ナイル第3カタラクトまで訪れるスーダン・ナイル川紀行
2016年01月21日発 催行決定・残席1
2016年02月25日発 募集中
2016年03月03日発 募集中

teraoka_saiyu at 09:30|Permalink

2013年09月06日

スーダン 古代の遺跡発掘と伝わる風習

今回は遺跡現場で発掘の進むスーダンをクローズアップします。

ケルマはスーダンのセムナの南方 240km,ナイル川東岸にある遺跡で、上ヌビアにおける文化の中心地として古くから栄えましたが,中王国時代 (前 2133頃~1786頃) になってエジプトの南方における貿易上の拠点となりました。 1913~15年の G.ライスナーの発掘で,中王国時代の城塞跡や墓地が明らかにされましたが,エジプトの行政官の塚上の墓で,多数の召使たちが犠牲として埋葬されたことが明らかにされました。死者をベッドに寝かせて埋葬する当時のユニーク風習は現在でも行われているそうです。

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上:ライスナー博士(カリマにある博物館より)


クシュ王国の遺跡見学の拠点・カリマではクライマックスであるナパタ地域において、クッル遺跡を見学します。この場所は、クシュ王国時代の王墓エリアです。ピラミッドらしき形が残るのはひとつ、ピアンキ王の墓とも言われていますが違うという説も実際はあるようです。9日間のツアーで玄室内部を見学できるのは唯一この遺跡だけです。タヌタアメン王はエジプトを支配した最後のヌビア王で、紀元前656年の彼の死をもって第25王朝の終焉とみなされています。ベッドに寝かせるのが紀元前2400年頃のケルマ時代から伝わるヌビア流で、彼の墓室の壁画にもライオンのベッドに寝かせられた王のミイラが描かれていました。アメン神やイシス、ホルス、アヌビスといったエジプトの神々も葬送を見守り、太陽の船に乗って渡った死後の世界で復活を遂げています。続いて入った玄室はタヌタアメン王の母であるタハルカ王妃で内部はナイル川の氾濫による侵食を高い位置まで受けていて、死の書を綴ったヒエログリフの多くが失われていました。しかし死後の世界を描いた右手の壁では墓室で横たわっていた王妃がアメン神より生命の象徴であるアンクを口に与えられ起き上がっているのが鮮やかな彩色で描かれていました。天井にはこちらも鮮やかなブルーの星空が広がっていました。
現在このクッル遺跡では考古学局とミシガン大学の研究者による発掘が進められている区域があり、幸運にもその現場を見せていただくことができました。確かに崩れやすい小部屋は円柱で支えられ、先まで部屋が続いているように見え、現場で発掘に携わっている研究者の方々から貴重なお話を聞くともできました。

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左と右:生命の象徴アンクを与えられて蘇る死者(クッル遺跡の玄室内)

ちょうどメロエ遺跡の王宮跡でも、ドイツの大学の発掘チームが作業をしていて、実際に作業風景や発掘を進めている箇所のプランなどの説明を聞くことができました。とても貴重な話を聞け考古学者の地道な作業に頭が下がりました。夕日に合わせて再びメロエの北のピラミッド群へ。この日は薄い雲が多かったのですが2000年前の王墓に西日がかかって行くのは悠久の時を感じさせるようでした。

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左と右:炎天下の中発掘を続ける研究者たち

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左:ピラミッド群に沈む夕日(メロエ遺跡)


ケルマって?カリマって?スーダンのみどころマップで場所を確認!

西遊旅行のスーダン旅行はこちらから!
2013年11月14日発 スーダン・ナイル川紀行 間もなく催行決定!
ナイル川流域をエジプトまで縦断するコースはこちら!

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2012年10月09日

スーダンを代表する遺跡メロエ

こんにちは。大阪支社の米谷です。
今日はこれからサハラのベストシーズンを迎えるスーダンのメロエ遺跡をご紹介したいと思います。
メロエの考古遺跡群は、2011年、世界遺産(文化遺産)にも登録されています。

メロエ遺跡のピラミッド群
≪メロエ遺跡のピラミッド群≫

メロエ遺跡は紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川中流域に栄えたクシュ王国の遺跡です。スーダンの遺跡といってもすぐにイメージが沸かない方も多いかもしれませんが、エジプトの影響を強く受けています。事実、古代エジプトの第25王朝は紀元前747年 - 紀元前656年の間に現在のスーダン北部からエジプト南部ヌビア地方を中心に栄えたクシュ王国によるものなのです。

紀元前568年ごろにクシュ王国がジェベル・バルカルからメロエに遷都して以降、都として栄えた町がこのメロエ遺跡で、大きく分けてピラミッド群が残る地区とロイヤルシティと呼ばれるかつての都市遺跡が残る地区に分かれています。
ロイヤルシティ(都市遺跡跡)
≪メロエのロイヤルシティ≫

ピラミッド群は大きく北・南・西の3つに分かれています。ツアーで訪れるのは主に北のピラミッド群で、サハラの砂丘に埋もれる様に、数多くのピラミッド群が点在しています。
スーダンのピラミッドはエジプトのものよりも傾斜が急で、細長い形をしています。水平に並べられた石材を階段状に積み上げた構造で、傾斜は約70゜、高さは6メートルのものから30メートル位まで様々です。エジプトのピラミッドはスーダンのものと比べると基壇の大きさが5倍以上、傾斜角は40~50゜位とより大きく、傾斜のゆるいピラミッドなのです。

エジプトとは異なる形を持つスーダンのピラミッドギザのピラミッド

写真左:細長い形のメロエのピラミッド 写真右:より大きく傾斜の緩やかなエジプト・ギザのピラミッド


また、エジプトのピラミッドでは内部に王の墓があるのに対し、スーダンのピラミッドでは外部に神殿の様なものがくっついて造られています。

ピラミッドに付随する神殿跡
≪ピラミッドに付随する神殿≫

メロエのピラミッド 神殿内部に残るレリーフ108スーダンのピラミッドは内部がほとんど盗掘にあっています。ピラミッドの上部が崩れているものの中には、盗掘の際にダイナマイトで爆破されたものもあります。しかし、神殿の一部には今でも美しいレリーフを見ることができるものも残っています。







夕方、再びピラミッド群を訪れると夕日がピラミッド群を照らす、美しい景色が広がります。西遊旅行のツアーでは日中の見学だけでなく、夕方再びメロエのピラミッド群を訪れ、夕日に染まるメロエをご覧いただくことができます。
夕日に染まるピラミッド群
≪夕日に染まるピラミッド群≫

スーダンの魅力のひとつは観光客が非常に少ない点です。近年、観光客は増えつつありますが、近隣のエジプトなどと比べると雲泥の差。他の観光客の順番待ちなどほとんどありませんので、ゆっくりと遺跡見学をお楽しみいただけます。

気温の下がるベストシーズンを迎えるスーダン北部。観光開発が進む前に訪れる事をお勧めしたい場所のひとつです。この冬のご旅行の候補にご検討下さい。

西遊旅行で行くスーダンの旅 2012~2013
スーダン・ナイル川紀行
2012年12月27日発 催行決定 残席問合わせ
2013年1月24日発  催行間近
2013年2月 7日発  募集中
2013年2月28日発  募集中

スーダンからエジプトへ
2012年11月18日発 催行決定 残席問合わせ
2013年2月3日発   催行間近




yonetani_saiyu at 21:21|Permalink