南アフリカ

2014年03月12日

奇跡の花園 ナマクワランドとケープタウンの休日(南アフリカ)

こんにちは。大阪支社の米谷です。

南アフリカ共和国の北ケープ州にはナマクワランドと呼ばれる一帯があります。半砂漠地帯に位置し、普段は荒涼とした景色が広がる地域ですが、毎年8月の中旬から9月の上旬のわずかな期間だけ、”奇跡の花園”とも謳われる広大な花畑が姿を現します。

不毛な半砂漠地帯に毎年春先になると恵みの雨が降り、地表に落ちた花の種子が芽吹くためにおこる自然現象で、見渡す限り一帯が色とりどりの花々で埋め尽くされる、絶景へと姿を変えるのです。これはまさに「自然の作り出した奇跡の景観」と言えると思います。
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ナマクワランドの花畑

ナマクワランド地域ではおよそナマクワランド・デイジーをはじめとする4,000種にも上る砂漠の植物が確認されています。8月下旬になるとケープタウンからクランウィリアムやシトラスデルあたりでも道中が様々な野花で彩られ、毎日がフラワーウォッチングというツアーになります。

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ナマクワランドに咲く、色とりどりの花々

ナマクワ地方へ近づくにつれて、花畑の規模も大きくなってゆきます。バスをとめ、花畑へと足を踏み入れ、思う存分にお花と戯れていただきます。誰しもが一生に一度は見てみたいと思う景色だと思います。
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瀬川さん1


中心地であるスプリングボックという町に滞在し、ナマクワ国立公園やグーギャップ自然保護区などを訪れ、1日写真の様なお花畑でのフラワーウォッチングをお楽しみいただきます。

その後、ナマクワランド滞在の後はケープタウンに戻り2連泊。ケープ半島の豊かな自然をお楽しみいただきます。

■ボールダーズビーチ
バスを降りて少し歩いてビーチにでると、木製の遊歩道があります。そこからビーチに生息するたくさんのケープペンギンを観察することができます。ケープペンギンはフンボルトペンギンと同じ仲間に属し、胸のラインが一本で細く、同時に顔の白い部分が多いという特徴があります。とても愛らしい姿が印象的です。
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ケープペンギン

■ドイカー島へのクルーズ
港から遊覧ボートにのって南アフリカオットセイのコロニーがある、ドイカー島を船上から見学。
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クルーズ船から見るオットセイのコロニー

■そしてケープ半島へ。この辺り一帯は自然保護区となっており、道中もダチョウやシマウマ、バブーン(ヒヒ)などの野生動物を観察できるチャンスもあります。
米谷個人旅行
ダチョウ

■喜望峰(Cape of Good Hope)
よくアフリカ最南端と間違われますが、最南端ではありません。
1488年 、 ポルトガル人バルトロメウ・ディアスがここに到達したものの、周辺があまりにも荒れる海域であったため、Cabo Tormentoso(「嵐の岬」)と命名しました。しかし、この航路の発見は香辛料貿易のルート短縮につながったため、後にポルトガル王ジョアン2世が「希望の岬」(Cabo da Boa Esperança)と改めたのです。本来であれば「希望峰」となるはずですが、一般的に「喜望峰」と「喜」という字で記載するようになったのは誤植によるものと考えられているそうです。
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ケープポイントから見た喜望峰

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喜望峰の看板

ケープタンの見所でもうひとつかかせないものが「テーブルマウンテン」です。
テーブルマウンテン(米谷個人旅行)
テーブルマウンテン

町のシンボルともなっており、ロープウェイで台地の上へとあがることができます。上まであがると、ケープタウンの町並が一望できる絶景ポイント。遊歩道があり、ゆっくりと散策をお楽しみいただけます。
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台地の上からの絶景

また、この辺りにはケープハイラックスというモルモットに似た小動物も生息しており、かわいらしい姿を良くみかけます。
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ケープハイラックス

ナマクワランドの花畑、ケープ半島に生息する野生動物や豊かな自然を楽しむ自然紀行。
今年もツアーは順調にお集まりいただいております。
一年に一度の奇跡の景観を、是非皆様の目で確かめてみて下さい。

2014年 西遊旅行で行く ナマクワランドツアー
詳細はこちらをクリック ナマクワランドとケープタウンの休日




yonetani_saiyu at 15:05|Permalink

2011年07月10日

南アフリカの国技・ラグビー

こんにちは。大阪支社の米谷です。
今日は南アフリカ共和国の国技についてのお話です。

南アフリカはイギリスの支配を受けたこともあり、イギリスの影響が強く残っています。
昨年6月サッカーのワールドカップが行なわれた事は記憶に新しい所ですが、南アフリカではサッカーは一番人気のスポーツという訳ではありません。ラグビー、クリケットが非常に人気が高く、中でもラグビーは国技として世界でもトップクラスを争う実力です。国の代表チームは国を代表する動物から名前をとって「スプリングボックス」という愛称で親しまれています。代表チームのジャージにもスプリングボックのシンボルマークが貼り付けられています。

スプリングボックス


しかし、一方で歴史的に続いていた人種隔離政策・アパルトヘイトの影響で「白人のスポーツ」とされていたラグビーは白人以外の国民にとっては嫌悪の対象でもありました。国の代表チームに有色人種の選手が選ばれることは無く、政治的な歪みをある種象徴するものでもありました。当時、そういった人種政策に反対する選手が、白人以外の人々にラグビーを教えたために国の代表から永久追放されるといった事件も発生したそうです。

アパルトヘイトに対する世論の反発も厳しく、1985年から始まったラグビーワールドカップにも第1回と2回の出場が禁止、その他の主な国との国際試合からも締め出され、国際舞台から一時姿を消すこととなりました。

1991年、当時のデクラーク大統領がアパルトヘイトの撤廃を打ち出し、1994年には27年間の投獄生活を耐え抜いたネルソン・マンデラ氏が大統領に就任し、長く続いた暗い歴史に終わりが告げられました。これによりラグビー界でも1993年に国際舞台に復帰を果たしたのです。

1995年には第3回ワールドカップが南アフリカで開催され、見事に初参加で初優勝を飾ったのです。この当時の模様が2009年にアメリカで映画化されました。マット・デイモン、モーガン・フリーマン主演の「インビクタス(Invictus)」という映画です。今年は9月にラグビーのワールドカップがニュージーランドで開催されます。最近は日本では人気がなくなりつつあるラグビーですが、南アフリカでは熱狂的なファンも多い、国技として人気のスポーツなのです。

大阪支社・米谷健吾









yonetani_saiyu at 23:34|Permalink

2011年04月27日

虹の国・南アフリカ

大阪支社の中島です。中南米を担当してブログを書いていますが、ちょっと越境しました。南アフリカのケープタウンを訪ねた時のエピソードをお話ししてみたくて。

広い荒野をひた走って駐車場でバスを降りると、悪戯者のヒヒが乗用車のボンネットに乗っかって、どこかから拝借してきたパンを袋ごとかじっていました。そんなのを見ながら、今度はフニクラーというケーブルカーに乗ってやっとそこにたどり着きました。しかし、立つのも困難なほどの強風が、まだそこへ向かわせることを拒んできました。京風ならまだしも、狂風なのです。そんなふうにして、そこは、左にインド洋、右に大西洋の境界線。アフリカ大陸の最南西端。ずっと先には南極大陸があるだけ。この風景を言い表そうにも、単純明解で使い古された言葉しか出てきませんが、つまらない悩みなんか一瞬にして忘れさせてくれるような雄大さでした。
P10708824人の日本人少年使節は、喜望峰を通ってヨーロッパを目指しました。ペリー提督の黒船も、メリケンから喜望峰を通って浦賀へ向かいました。そして、ザビエルも。みんな、海の向こうを想像しました。みんな、世界が見たかったのです。いつの時代も。地図を広げて、その上に羅針盤を置いてみて。日本人が見たガイコク。外国人が見たニッポン。ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を開拓したのは、喜望峰が発見されて十年後のことでした。彼らが見た景色を眺めました。この岬から、彼らが乗っていた船を思い浮かべてみました。僕はコロンブスと誕生日が同じなので、勝手に運命を感じています。彼らは船からこの岬を見て何を思ったのでしょうか? インド洋の航海中、船酔いしなかったのでしょうか?

ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島の港湾で、アザラシがゆらゆら泳いでいました。ボンティボックがのろのろと、アスファルトの道路を歩いていました。墓地には、この島に隔離されていたハンセン病のたくさんの患者が眠っています。
ロベン島は、アパルトヘイト(人種隔離政策)に抵抗した人たちの強制収容所だった島で、世界遺産にも登録されています。無意味な強制労働を強いられた採石場を見た後、旧刑務所を訪ねました。そこでは、元囚人が所内を案内してくれるのです。ルウェリンさんは14年間、ここに収監されていました。両手、両足に手錠をかけられて島へ連れてこられ、強制労働と拷問の日々だったそうです。
狭い雑居房に、100人以上も押し込められていました。囚人一人に対して毛布を3枚支給されていましたが、それも蚤だらけだったそうです。汚れの落ちない石鹸。水回りは海水なので、シャワーを浴びる時、看守から受けた拷問のせいで体の傷が沁みました。寝返りを打つことも困難でした。毎日、午前4時に起こされました。政治的な話は一切禁止され、囚人たちの会話は盗聴されていました。人種、つまり肌の色によって食事の量が違い、牢獄も分けられていました。そうやって、人種間で争いが起きるように仕向けられていたそうですが、リーダー的存在の囚人がそれをいつも抑えていました。こんな所でも人種の分離は徹底していたのです。白人の看守は激しい音を響かせて、乱暴にドアを閉めていきました。
希望の光は消え、不幸の波は引きません。行き場を失った脆弱な心情を、誰が慰めてあげることができるのでしょう? 彼らの心は、闇夜の中を漂流し続け、やっと見つけた灯台の灯りのように、たどり着くべき場所を見つけました。そこで生を選び、死を選んだのです。そこには最大公約数も最少公倍数もありません。奇跡の積み重ねが人間を創りました。しかし、人間は生き方が判らず迷走しました。ただでさえ、生きることは大変なのです。その権利を奪ったり、制御することは、誰もしてはいけないことなのです。
「18年間も収監されていたマンデラさんも、たまにここにやって来てガイドをしていたんだが、彼は10分ぐらいで終わらせてしまっていたよ」
高級政治犯たちが収監されていたブロックB棟のネルソン・マンデラの独房を覗きました。こんな所に18年も……。愕然としました。
「彼は何度も脱獄を考えていた。島の周りの海には、サメもうようよしているのに。泳ぐのは到底無理なのに」
2011年4月現在、ネルソン・マンデラ氏は90歳を過ぎた今も健在で、静かに余生を過ごされています。

南アフリカ、ジンバブエ、ザンビア、ボツワナ、ナミビアを大周遊
関連ツアー:「西遊旅行で行く 南部アフリカ5ヶ国周遊

staff_saiyu at 20:40|Permalink