サハラ砂漠

2016年09月22日

サハラの大国・チャド

アフリカ中央部に位置する国チャド。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接し、国土の大半をサハラ砂漠が占めています。砂漠といえば砂丘をイメージする人が多いかもしれませんが、チャドの砂漠には大砂丘は少ない反面、土漠や山岳砂漠、礫砂漠などサハラの様々な姿をお楽しみいただけるという、サハラリピーターにはたまらない景色が広がります。

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エネディ山地北部に広がるバルクハン砂丘

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ハバイケの奇岩群

チャド北東部に広がるエネディ山地。チャドで最もみどころが残る場所といってよいでしょう。アルジェリアのタッシリ・ナジェールやアルホッガー、リビアのアカクスに匹敵する巨大な岩山が広がっています。これらの岩山は「タッシリ」と呼ばれ、風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことを意味します。このエネディ山地もサハラ砂漠の中央に位置する堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されエネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを作り出しています。

エネディ山地を最も有名にしている風景はアルシェイのゲルタでしょう。「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」という意味があります。このゲルタに水を飲ませるためにたくさんのラクダが集まる風景は圧巻。ビューポイントまで片道1時間30分程、瓦礫や砂地の道を歩くと、素晴らしい風景に出会う事ができます。
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アルシェイのゲルタ

そしてこのゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。 1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、「サハラに生き残ったワニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました。 限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。 トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。
アルシェイのワニ (4)
アルシェイのゲルタに生きるデザートクロコダイル

一般にサハラの壁画は古いものほど美しく、時代が新しいものは稚拙なものが多いように言われますが、チャドにおいては新しい時代のもの、馬の時代、ラクダの時代の壁画が美しく生き生きと表現されています。色素の材料はオークル(黄土)、岩石、卵、乳を使い、それをアカシアの樹液を用いて保護しています。

マンダゲリ
マンダゲリの壁画 ここは6m上に見上げた天井に多くの壁画が残っています。

テルケイ東 頭飾りをつけた男性
テルケイに残る岩絵 頭飾りをつけた男性

テルケイ東 走る馬の壁画
テルケイ 走る馬の壁画

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ビシャガラの岩絵

11月~2月にかけて、サハラのベストシーズンがスタート。チャドへのツアーも間もなく催行できるコースが2コースあります。是非、この機会に知られざるサハラの国チャドを訪れてみてください。

ツアーの詳細はこちらをクリック↓
チャド エネディ山地エクスペディション 18日間
01月15日(日) ~ 02月01日(水) 18日間 798,000円 催行間近

エネディとティベスティ山地 26日間
02月08日(水) ~ 03月05日(日) 26日間 1,150,000円 催行間近




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2015年04月21日

モロッコに広がる大砂丘 メルズーガ

今回は、モロッコのツアーで訪れるメルズーガについてご紹介します。

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「メルズーガ」はモロッコとアルジェリアの国境付近のアフリカ北部にまたがる、
サハラ砂漠に面する街です。
メルズーガ近郊の町、エルフードで四輪駆動車に乗り換え、砂漠の中を進みます。
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周りの景色が大砂丘に変わると、砂漠の中に建つオーベルジュが見えてきます。
最高のロケーションで、砂漠の快適な滞在をお楽しみいただけます。
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夜は、ベルベル人の民族音楽を鑑賞します。迫力のある楽器の演奏と、アフリカ料理の
おもてなしです。
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早朝、日が昇る前にオーベルジュをラクダに乗って出発します。サハラ砂漠に登る
朝日をご堪能いただきます。
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朝日見学の後はオーベルジュに戻って朝食。砂漠を目の前にしながら、贅沢な朝食の時間を
過ごします。
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メルズーガからエルフードに戻る道中では、ベルベル人の暮らすテント訪問も。
ミントティーをご馳走になり、生活の様子を見させてもらいます。
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広大なサハラ砂漠の入り口で、大砂丘を気軽にお楽しみいただけるのは、
モロッコの旅の魅力の一つではないでしょうか。
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砂丘を目の前に望むオーベルジュに泊まり、サハラ砂漠を楽しむ。
テント泊までする自信はないけれど、雄大なサハラを見てみたい。そんな方には
メルズーガはうってつけの場所だと思います。


■関連ツアー
・「青の迷宮都市シャウエンからサハラへ モロッコ周遊の旅
・「北アフリカ最高峰ツブカル山登頂と サハラ砂漠を望むオーベルジュに泊まる

■個人旅行でもご検討下さい
・「サハラの大砂丘メルズーガ、世界遺産アイトベンハドゥも訪問  青の迷宮都市シャウエンと 
 モロッコ周遊9日間

・「3つの世界遺産を訪問 安心のガイド付き  カスバ街道とサハラも訪れる モロッコ周遊9日間

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2014年12月05日

MOPTI - マリのモプティ  ニジェール川交易の町と港

マリ モプティ ニジェール川 (6)

マリのニジェール川とバニ川の合流地点にある町、モプティ。
かつて「ジェンネ」と「トンブクトゥ」の2つの都市をつなぐ重要な港としてフランス植民地時代に発展した町で、現在ではマリ第2の都市となりました。

ニジェールの川の交易港であり、物資の集積地。そこにはさまざまな民族も集まります。魚製品を扱う漁民ボゾ族、家畜やその乳で生きるフラニ遊牧民、モプティ周辺で稲作を営み米を売るソンガイ族、サハラ砂漠のタウデニの岩塩を運んでくるモール人・・・ モプティはニジェール川流域に暮らす人々の暮らしを凝縮して見ることができます。

マリ モプティ ニジェール川 (3)
活気にあふれる港

マリ モプティ ニジェール川 (10)
夕方の漁民ボゾ族のキャンプを訪問。船で魚を追って移動する暮らしで、ちょうどモプティ郊外の岸辺に到着してキャンプを設営したところでした。

マリ モプティ ニジェール川 (12)
船には暮らしに必要なものが全て乗っています。オープンキッチンでの夕食の準備が進んでいました。

マリ モプティ ニジェール川 (13)
漁民といえど、家畜も船に乗せて飼っています。鶏もはしりまわっていました。

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ボゾ族の家族団らんのひととき。発電機をまわして電気もテレビもつきました。

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そのボゾ族のキャンプから程遠くないところにはフラニ遊牧民たちのキャンプが。

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夕刻の乳搾り

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燃料となる牛の糞。これらの乳や燃料は自分達が使うだけでなく、そばに暮らすボゾ族のキャンプやソンガイ族の村人に売ったり物々交換します。

マリ モプティ ニジェール川 (8)
モプティの港にトンブクトゥから運ばれてきた「タウデニの塩」を探しに行きました。

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モール人の商人から1キロほどのブロックを1,000セーファーフランで購入。塩にはいろいろなクオリティーがありますが、最高級クオリティーのものを購入。

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タウデニの塩はサハラ砂漠で産出される塩の中でも最もおいしいとされる高級品。タウデニはトンブクトゥの北750kmにある塩鉱で、塩は手堀で採掘され「塩のキャラバン」でトンブクトゥへ運ばれます。

マリ タウデニ 塩のキャラバン
2007年にタウデニを訪れたときに撮影した「塩のキャラバン」の写真です。現在は治安の悪化により訪問はできません、残念です。「塩のキャラバン」はタウデニ~トンブクトゥー間の750Kmをおよそ20日間かけて運びます。

モプティの港、オールドタウン、川沿いに暮らす人々、そしてジェンネ。
モプティはマリの魅力を凝縮した場所です。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

***マリへの旅行については随時発表・実施しておりますので西遊旅行アフリカ担当までお問い合わせください。







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2014年08月15日

新たなモロッコのサハラ・エルグシェガガ

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エルグシェガガの大砂丘地帯

モロッコのサハラといえばこれまでメルズーガ砂丘を訪れるツアーがほとんどでした。弊社の「モロッコ周遊」でもこのメルズーガ砂丘を訪れます。メルズーガ砂丘はエルフードの町から車で1時間ほどで訪れることができるアクセスの良さが売りです。交通の便が良い分、訪れる人も多く、いつでも多くの観光客で賑わっています。

観光客の少ない静かな砂漠を楽しみたい方にお勧めなのが、モロッコ南部、アルジェリアとの国境近くに広がるエルグ・シェガガです。エルグ・シェガガへの旅はメルズーガよりも少しハードで、サハラへの入り口の町となるフォームザグウィードから道なき砂漠の道を約5時間程の移動となります。

フォームザグウィードからオフロードへ入ると、奇岩やテーブルマウンテンの連なる、景色が広がります。
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椰子の木と岩山の景色

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正面にテーブルマウンテンが出現

その後、25年位前まで湖があったとされるレイク・イリキ跡を通過。今ではまったく昔の湖の面影はありませんが、当時は湿地帯が広がり、多くの渡り鳥がやってきたそうです。
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レイク・イリキ跡を走る

道中、砂漠に暮らすベルベル遊牧民との出会いも楽しみのひとつです。
ただ、写真嫌いな人が多く、カメラを向けるとそっぽをむいてしまうことも多々ありました。
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ベルベル遊牧民の女性

その後、遊牧民の民家を訪れ、ミントティーをいただきました。子供たちはどこでもとても元気一杯。お母さんは子供の面倒をみるのがとても大変そうです。
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いよいよエルグ・シェガガへと到着です。徐々に雄大な砂丘の景色が近づいてきました。
砂丘の上へあがると、その向こうには砂の海が広がっていました。どこまでも続く砂の世界。また、エルグ・シェガガはメルズーガとは違って観光客がとても少ないのが魅力です。砂と風が作り出す美しい景色を静かにお楽しみいただくことができます。
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美しい風紋が残る。

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夕方になるにつれて、砂の色が徐々に赤くなり、美しさをましていきます。

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砂丘の上で、沈みゆく夕日を眺める

このエルグ・シェガガには砂漠のど真ん中というロケーションにありながら、快適な滞在を楽しむことができるテント式ロッジがあるのです。そのひとつキャラバン・ドゥ・スッドキャンプをご紹介しましょう。
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砂丘の麓にたたずむように建てられたテントは電気、水道、トイレ、シャワーまで完備。各テント内はとても広く、ベッドはキングサイズ。砂漠の中とは思えない様な素敵なキャンプです。砂丘に囲まれたロケーションでの食事や、夜は満天の星空が広がるサハラでの天体観測、砂漠での滞在を快適に楽しむことができる贅沢なキャンプです。

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テントの外観

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テント式ロッジの客室の一例。内部はとても広く、とても豪華。

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キングサイズのベッドでゆっくりとお休みいただけます。

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夕食後はキャンプファイヤーを囲みながらベルベル音楽を楽しみ、夜は更けてゆきます。

こんなサハラでの贅沢はキャンプ キャラバン・ドゥ・スッドに泊まるツアーはこちら!
アトラスを越えて モロッコ最奥のサハラ エルグ・シェガガへの旅
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<新企画>アマラケシュからオート・アトラス、アンチ・アトラスを越えてモロッコ最奥のサハラを目指す。
快適なテント式ロッジに宿泊し、サハラの絶景を楽しむ、モロッコ再訪の方にもおすすめな新企画。

出発日2014年 11/6 、11/13  2015年 2/12 、3/12

日数10日間 料金358,000~368,000円 【15名様限定】
注目11/06発 サフラン収穫の季節
注目11/13発 【間もなく催行】サフラン収穫の季節・サハラ満天の星空
注目02/12発 アーモンドの花咲く季節・サハラ満天の星空
注目03/12発 サハラ満天の星空


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2013年03月06日

チャド最高峰エミクーシ登頂に乾杯!チャドの砂漠でシャトー・バタイエ

チャドの砂漠で乾杯 (3)

チャド最高峰・サハラ砂漠最高峰の山エミクーシを登頂して下山後の祝杯は、チャド北部の砂漠ワディ・ドゥーンでした。せっかくのお祝い、コックさんは前日の夜にゴウロのオアシスで丸々とふとった羊を買って今日のためのお肉を用意してくれました。お肉は屠ってから1日後の方が柔らかくなっておいしいのです。

チャドの砂漠で乾杯 (4)
乾燥しているためヤギが多い地域ですが、炭火焼には羊が一番

祝杯用のお酒は、この日のために持ってきたソムリエ磧本修二氏に選んでもらったワイン。この日に用意したワインは下記の2つです。

チャドの砂漠で乾杯 (1)シャトー・バイタイエ Chateau Batailley
名前自体が「戦い」を意味するシャトーのワイン。このシャトーが14世紀の100年戦争の戦場に位置したことに由来した名前。ちょうど私たちが飲んだこの場所ワディ・ドゥーンも、チャド内戦の「戦場」でした。本当に偶然だったのですが。







チャドの砂漠で乾杯 (2)カロン・セギュール Calon Segur
セギュール公のシャトーで、セギュール公は他にも立派なシャトーを持っているのに一番愛したのがこの小さなカロン・セギュール。そのため、ラベルには大きなハートマークがついています。このハートマークのラベルのおかげで、このワインは昔から多くの男性の口説きの道具に使われ、日本でもバレンタインの贈り物になったりしているとか。





ワディ・ドゥーンとコーラの戦い
祝杯をあげたワディ・ドゥーンはチャド内戦の戦場となった場所です。ワディ・ドゥーンは北部の反政府勢力を後押しする形でチャドに進行してきたリビア軍の基地が置かれた場所でした。1987年にはこのワディ・ドゥーンの基地から南下するリビア軍の戦車部隊を、北上してきたチャド政府軍のトヨタ・ピックアップ改造車部隊(テクニカル)が迎え撃ち包囲し、勝利した戦闘が行われました(コーラの戦い)。砂漠で動きの遅い戦車が機動性の高いピックアップに負けた戦いで、この時期のチャド内戦の戦いはTOYOTAのロゴが目立ったことから「トヨタ戦争」とも呼ばれています。
このトヨタ・テクニカル部隊はさらに北上し、ワディ・ドゥーンのリビア軍基地に向かう砂漠に埋めてある地雷原を自らが犠牲になって道をつくり、ワディ・ドゥーンを制圧することでチャドを大きな勝利に導いたと言われています。

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ワディ・ドゥーン付近の荒々しい景観。砂丘と岩場が交互に現れる、4WDの運転も難しい地域です。南下してコーラへ。

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砂に埋もれたリビア軍の戦車

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コーラに近づくとたくさんの戦車、砲弾が残されています。ここで激しい戦闘があり、リビア軍にたくさんの犠牲者が出ました。

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中にはまだ動きそうなほど新しく見える戦車もありました。

ガイドのアンドレア氏、とても熱くチャド軍の軍人としての強さを語ってくれました。まさに今、(2013年3月6日現在)マリ北部の砂漠でフランス軍とともにAQIMの掃討作戦に出ているチャド軍。砂漠の実戦の経験と強さからその成果が期待されています。


ミスタースタンプスワインガーデン (1)ソムリエ磧本修二氏
さて、今回のワイン、長期の4WDの揺れの後にも飲めるワインでお祝いにふさわしいものとして、ソムリエ磧本修二氏に選んでいただいたものです。磧本修二氏、ソムリエ界の草分け的存在であり、そして西遊旅行・本社山担当の堤智顯(つつみ・ともあき)の義父で、六本木のワイン&フランス料理レストラン「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」のオーナー。
帰国後、さっそくお店へ。
「古き良き六本木」な雰囲気の店内。木彫家具が暖かく、ほっとする隠れ家的なお店で、ワインはもちろんのことお料理も抜群です。



ミスタースタンプスワインガーデン (2)

ソムリエお勧めのワインと美味しいフランス料理。そして、旅の話。
チャドの砂漠での優雅なひとときに感謝して。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子











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2013年02月20日

チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ(3,415m)登頂

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昨年末から長期のサハラ砂漠のツアーが続き、すっかりブログの更新に間が空いてしまいました。先日帰国した日本初のチャド最高峰エミクーシ登頂ツアーの様子をご紹介します。

チャドは長年続いた内戦の影響とその後の政情不安から日本から訪れる観光客の少ない国のひとつです。意外かもしれませんが、サハラ砂漠の最高峰の山はこのチャドにあります。チャドの北部には堆積岩の台地の上に火山活動によってできた山地、ティベスティ山地があり、標高3,000mを超える火山や溶岩原の山地が広がっています。

エミクーシはティベスティ山地の南にある火砕流原の楯状火山。山のすそは60Km x 80Kmと大きく砂漠に大きくそびえる山容は圧巻です。山頂部は巨大な、東西12Km、南北15Kmのカルデラになっており、さらにその中にナトロンを産出する小さなカルデラや溶岩ドーム、マールなどが見られる大変興味深い地形をしています。

今回の旅は29日にわたる長期の旅。首都ンジャメナだけがホテル泊で、首都を出てからの23泊はすべてテントという、旅自体がすでに「エクスペディション」なツアー。山歩きだけでなくチャド北部の自然、人々の暮らしも体験できる非常に内容の濃い旅でした。

エミクーシ登山は歩き始めて8泊9日の行程。そのほとんどが流紋岩、安山岩や玄武岩など火山岩の岩場です。溶岩のスロープを歩き、時に現れるワディ(枯れ川)で休養しながら、カルデラの縁を目指します。
歩き始めて6日目に見た巨大なカルデラの景色は実に感動的なものでした。エミクーシの山頂はこのカルデラの縁にあります。

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エミクーシのカルデラの縁にて 登頂ガイドのアンドレア氏、西遊旅行大阪支社の楠さん
快晴の空、クレーター内の淡い緑が映えてとても美しい景色でした。

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クレーターの中にはさらにクレーターが。ナトロンが湧いているエラ・コホールというクレーターです。高低差320m以上の岩壁を下りクレーターの中のクレーターへ。

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ティベスティ山地にあるもうひとつのナトロンのクレーター、トゥルー・オ・ナトロン(トゥシデ山のカルデラ)より浅く小さいクレーターですが、採取できるナトロンは良質とのこと、みんなでナトロン掘りを体験しました。

登山中の荷物運びはラクダです。ティベスティ山地のラクダは小型で岩山を歩くのに適した足をしています。それでも、トゥブ族のラクダ使いは自分のラクダが大切で、けがをしないように見守り、水場ではナトロンや薬草の栄養剤を飲ましたりしていました。

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ラクダの栄養剤を準備している様子。ラクダもそばで待っています。

エミクーシ登頂 (1)
夜、ラクダ使いたちは火を囲んで民族楽器を鳴らし、歓談。

エミクーシ登頂の当日は風のある日で、頂上に近づくにつれ風も強くなり寒さも増しました。頂上は玄武岩のカルデラの縁にのった溶結凝灰岩のシートです。
無事に初登頂を果たした瞬間、トゥブ族山ガイドのセヌーシー氏がカラシニコフ銃で祝砲を鳴らし歓喜の声に包まれました。未知の国、未知の山。首都ンジャメナを出て13日目、無事に全員で登頂です。

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チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ3,415mを登頂

「いつか実現したい」と思っていた夢の実現、一緒に初登頂を果たした皆さまとスタッフに感謝申し上げます!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子






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2012年10月09日

スーダンを代表する遺跡メロエ

こんにちは。大阪支社の米谷です。
今日はこれからサハラのベストシーズンを迎えるスーダンのメロエ遺跡をご紹介したいと思います。
メロエの考古遺跡群は、2011年、世界遺産(文化遺産)にも登録されています。

メロエ遺跡のピラミッド群
≪メロエ遺跡のピラミッド群≫

メロエ遺跡は紀元前6世紀から紀元後4世紀にかけてナイル川中流域に栄えたクシュ王国の遺跡です。スーダンの遺跡といってもすぐにイメージが沸かない方も多いかもしれませんが、エジプトの影響を強く受けています。事実、古代エジプトの第25王朝は紀元前747年 - 紀元前656年の間に現在のスーダン北部からエジプト南部ヌビア地方を中心に栄えたクシュ王国によるものなのです。

紀元前568年ごろにクシュ王国がジェベル・バルカルからメロエに遷都して以降、都として栄えた町がこのメロエ遺跡で、大きく分けてピラミッド群が残る地区とロイヤルシティと呼ばれるかつての都市遺跡が残る地区に分かれています。
ロイヤルシティ(都市遺跡跡)
≪メロエのロイヤルシティ≫

ピラミッド群は大きく北・南・西の3つに分かれています。ツアーで訪れるのは主に北のピラミッド群で、サハラの砂丘に埋もれる様に、数多くのピラミッド群が点在しています。
スーダンのピラミッドはエジプトのものよりも傾斜が急で、細長い形をしています。水平に並べられた石材を階段状に積み上げた構造で、傾斜は約70゜、高さは6メートルのものから30メートル位まで様々です。エジプトのピラミッドはスーダンのものと比べると基壇の大きさが5倍以上、傾斜角は40~50゜位とより大きく、傾斜のゆるいピラミッドなのです。

エジプトとは異なる形を持つスーダンのピラミッドギザのピラミッド

写真左:細長い形のメロエのピラミッド 写真右:より大きく傾斜の緩やかなエジプト・ギザのピラミッド


また、エジプトのピラミッドでは内部に王の墓があるのに対し、スーダンのピラミッドでは外部に神殿の様なものがくっついて造られています。

ピラミッドに付随する神殿跡
≪ピラミッドに付随する神殿≫

メロエのピラミッド 神殿内部に残るレリーフ108スーダンのピラミッドは内部がほとんど盗掘にあっています。ピラミッドの上部が崩れているものの中には、盗掘の際にダイナマイトで爆破されたものもあります。しかし、神殿の一部には今でも美しいレリーフを見ることができるものも残っています。







夕方、再びピラミッド群を訪れると夕日がピラミッド群を照らす、美しい景色が広がります。西遊旅行のツアーでは日中の見学だけでなく、夕方再びメロエのピラミッド群を訪れ、夕日に染まるメロエをご覧いただくことができます。
夕日に染まるピラミッド群
≪夕日に染まるピラミッド群≫

スーダンの魅力のひとつは観光客が非常に少ない点です。近年、観光客は増えつつありますが、近隣のエジプトなどと比べると雲泥の差。他の観光客の順番待ちなどほとんどありませんので、ゆっくりと遺跡見学をお楽しみいただけます。

気温の下がるベストシーズンを迎えるスーダン北部。観光開発が進む前に訪れる事をお勧めしたい場所のひとつです。この冬のご旅行の候補にご検討下さい。

西遊旅行で行くスーダンの旅 2012~2013
スーダン・ナイル川紀行
2012年12月27日発 催行決定 残席問合わせ
2013年1月24日発  催行間近
2013年2月 7日発  募集中
2013年2月28日発  募集中

スーダンからエジプトへ
2012年11月18日発 催行決定 残席問合わせ
2013年2月3日発   催行間近




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2012年09月07日

ニジェール テネレ砂漠・アラカウの大砂丘

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テネレ砂漠の中でも最も美しい砂丘地帯がアラカウ (Arakao)。ニジェールがフランスから独立した1960年以降、アイール山地とテネレ砂漠境界付近の探索が行われました。1972年に航空写真をとり、東側の開いた馬蹄形の岩山に囲まれた砂丘地帯だとわかりました。この丸い、馬蹄形の岩山は死火山のカルデラで、その陥没部分に北東から吹く風で砂丘が押し込まれ、高さ200m、長さ15キロ以上にわたる砂山を作り上げています。

アラカウは首都のニアメからアガデスまで約1000キロを走り、そこからテネレ砂漠に入りまる2日砂漠を走ったらたどりつける砂丘。さらに砂丘のどの地点に行くかはドライバーの砂丘越えの腕にもかかってくる、砂漠を知り尽くしたスタッフとだけ行けるサハラの絶景ポイントです。

では美しいアラカウの写真をどうぞ・・・
テネレ砂漠arakao (1)
砂丘越えの様子。スタックすると助け合わなくてはならず、必ず複数台で行動です。

テネレ砂漠arakao (2)
朝の光に輝く砂丘。中央部から北を眺めた景色です。

テネレ砂漠arakao (5)
中央部の砂丘から西を眺めた景色。奥の岩山の手前の砂丘は、砂が岩山にあたって吹き返されてできた「砂の山」です。

そしてキャンプ。この景色の中での一夜がとても楽しみなのは、お客様だけでなく、スタッフも同じことです。
テネレ砂漠arakao (3)
夕日を眺めに砂丘に登っていたお客様がテントに戻り、夕食の準備。

テネレ砂漠arakao (4)
たき火を囲むひととき、そして満天の星・砂漠の夜がやってきます。

朝に夕に美しく、月夜に輝く砂丘のシルエットもなかなかのものです。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行で行く、ニジェール・テネレ砂漠の旅
「アイール山地とテネレ砂漠」2012-2013年冬 11月17日出発コース 催行決定 


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2012年08月26日

古代メガ・チャド湖跡 MEGA LAC TCHAD

メガチャド湖跡
チャドの北部に広がる、古代チャド湖の話です。2012年2月、北部の中心地ファヤから首都ンジャメナに向けて移動していたときに古代チャド湖(メガ・チャド湖)の跡を走りました。

メガ・チャドと呼ばれた完新世のチャド湖は、現在の面積と深度の少なくとも 20 倍はあったといわれています。深さ160メートル、44万キロ平方メートルにも及ぶ巨大な湖でその北部の一番深い(低い)地点がジュラブ砂漠です。

ジュラブ砂漠はジュラブ凹地とも呼ばれる砂漠でファヤ南部からバハル・エル・ガゼルにかけて広がり、古代チャド湖北部の底だったとされ、ダイアトマイトや貝の殻、魚の化石などが残されていました。砂漠としてもとても若く、小さなバルクハン砂丘の集合体です。

チャド北部 ダイアトマイトファヤ周辺からジュラブ砂漠いったいで見られるダイアトマイト。ダイアトマイトは遺体が海底や湖沼の底などに沈殿してできた堆積物で、チャド北部で見られるものは古代チャド湖のものです。






ジュラブ砂漠の貝殻水があった証拠、砂漠の中の貝殻









メガチャド湖の魚の化石1かつての湖の底を歩いてみました。なまずの先祖と考えられる魚の化石が散乱していました。背骨、あごの骨と歯、ヒレなど・・・。メガ・チャド湖の存在は35万年くらい前までなので、これらの化石はそれ以前のものと推定されます。





メガチャド 魚の化石

そして今のチャド湖はどうかというと、チャド、ニジェール、カメルーン、ナイジェリアの4カ国にまたがりますが、近年の観測では1963年から1998年までの間に95%湖面が小さくなったといわれています(1960年25000キロ平方メートルあったものが、2000年に1500キロ平方メートルに縮小という報告もあり)。原因は大きな自然の変化の中にあるという説に加え、急速な灌漑・取水、湖の周辺の過度の放牧が上げられています。逆に近年にはこの縮小傾向が止まっているとの報告もあります。

ボル周辺のチャド湖2011年9月のチャド湖畔ボル周辺の様子。かつての湖面は濃い緑で覆われ、にぎわった港・税関も今は岸から遠いものとなっていました。ここにくると、「チャド湖縮小」は目の前にある現実、恐ろしささえ感じます。





ジュラブ砂漠で魚の化石とメガ・チャドから現在のチャド湖まで・・・ティベスティ山地やエネディ山地の地殻変動もですが、チャドの旅は気が遠くなるような時間のと大地の変化を体感する旅です。

文・写真 
Mariko SAWADA 澤田真理子



西遊旅行のチャドの旅
チャド湖畔に暮らす民族を訪ねる旅 
チャド民族紀行
古代メガチャド湖を走り、北部ティベスティからエネディ山地を訪れる一大エクスペディション
エネディとティベスティ山地



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2012年03月26日

チュニジア2012 観光列車レザー・ルージュが再開!

皆様こんにちは。大阪支社の米谷です。

今日はやっと観光客が増え始め、活気をとりもどしつつあるチュニジアについての情報です。
2011年1月のジャスミン革命によって政変が起こり、昨年は11月頃までほとんどツアーも催行することがありませんでした。しかし、秋から徐々に観光客が戻り始め、春を迎えようやくチュニジアも昔の賑わいを取り戻しつつあるようです。

そんななか、昨年は運航が不定期でしたタメルザ渓谷の観光列車「レザー・ルージュ」がようやく週3回の定期運行を再開しました。現状では火・金・日の運行で以前と同じように美しい渓谷の中を走り、景色を楽しむことができます。

DSCN0850
<赤いとかげという意味をもつレザー・ルージュ>

この観光列車はオスマントルコ時代の高官の列車を改造したもので、フランス語で「赤いとかげ」という意味があります。赤い車体がくねくねと渓谷の中を走る姿からこの様に命名されたといいます。
リン鉱石の採掘で有名なタメルザ地方では1904年に、鉱物を運ぶための線路が敷かれました。レザー・ルージュもこの線路を利用し、風光明媚な渓谷の中を1時間程かけてメトラウィ駅からセルジャ駅まで走ります。途中、列車は2度景色の良い所でストップするので、列車より降りて写真を撮ることもできます。

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<道中、車輌から降りて写真ストップ>

列車内は各車輌ことに内装がことなり、うろうろと車内を見て回るのも面白いです。

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<レザールージュの内装>

春のベストシーズンともいえる5月17日発コースも催行決定しており、残席もあと少しとなっております。
西遊旅行のツアーではもちろんレザールージュの運航日に合わせてツアーを設定しております。
是非、生まれ変わった国・チュニジアへ足をお運びください。




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2012年03月21日

チャドのドルカス・ガゼル Dorcas Gazelle

ドルカス・ガゼル1
チャド北部の砂漠で見られる、小型の一般的なガゼル、ドルカス・ガゼル。草地、ワディ、山地、砂漠に暮らしています。メスはワディや草地で群れをつくって行動していますが、若いオスは餌を求めて単独で岩山を越えたりしているのを見ることがあります。

ドルカス・ガゼル2チャドでは長年の内戦の間、こういった野生動物が人々や兵隊さんの食料とされ犠牲になりました。北部チャドの人々、内戦でリビアからやってきた兵隊さんはイスラム教徒。イスラム教徒が食べてもいい動物(ハラールなお肉)にあたるガゼル、ダチョウはその的でした。その結果、ガゼルは残りましたがダチョウは北部チャドから姿を消してしまいました。同様にチャドの砂漠に暮らすジャッカルやハイエナは、イスラム教が食べてはいけない動物(ハラームなお肉)なんだそうで、現在もたくさん生息しています。

ドルカス・ガゼル3内戦が終わった現在のチャドでは狩猟が厳しく禁止されガゼルの生息数は増えているといわれています。実際にカライ(ウム・シャロバ)からバハル・エル・ガゼルへの砂漠横断をしたときに、ほかのサハラ圏では見られないほどの数のガゼルを見ました。
サハラ砂漠北部から野生動物が姿を消し、現在は一部の保護区、チャドの砂漠でしか見られない動物が多くなってきています。チャドの観光の発達とともに、野生動物の保護が促進されますように・・・。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


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2012年01月24日

ニジェールの大砂丘地帯 アラカウ

みなさんこんにちは。大阪支社の米谷です。
昨年末から年始にかけて「ニジェール・アイール山地とテネレ砂漠 塩のキャラバンルートをゆく」のコースに添乗員として同行してきました。

今回は2012年の元旦をアラカウという大変美しい大砂丘地帯で迎えることができました。
ニジェールという国はまだまだ日本人にとっては馴染みが薄い国ですが、国土の大半を砂漠に覆われ、美しい砂漠を存分に堪能できる素晴らしい所です。
サハラ砂漠といえばこれまでアルジェリアのタッシリ・ナジェールやリビアのアカクス山中などへのツアーにご参加された方も多いかと思いますが、ニジェールのサハラはその中でも随一の美しさを誇ります。

アラカウの砂丘地帯
アラカウの砂丘地帯を望む

ご紹介するアラカウという場所はニジェールの中でも最も素晴らしい大砂丘をお楽しみいただけるツアーのハイライトともなる場所です。このアラカウという砂丘地帯はニジェール北部のアイール山地に位置し、周囲を馬蹄形の岩山に囲まれています。その中に砂が吹き溜まり、巨大な砂丘地帯を形成しています。

四輪駆動車で馬蹄形の岩山に囲まれた中に入っていくと、巨大な砂丘が目の前に姿を現します。まずはこの大砂丘を眺めながらのピクニックランチとなりました。人間と比べると砂丘の大きさが分かっていただけると思います。

アラカウの砂丘地帯2
雄大なアラカウの大砂丘


大砂丘の中へ昼食後、いよいよ大砂丘の中へ移動。何度か写真ストップをとりながら、キャンプ地を目指します。
アラカウのキャンプ地は大砂丘に囲まれた絶景ポイント。途中、車がスタックすることも多々ありますが、それもうなずける程の砂丘地帯です。



今回は比較的早くにキャンプ地に到着することができたので、日没までゆっくりと砂丘の美しい景色を堪能することができました。元気な方は砂丘登りにもチャレンジ。
キャンプ地に到着砂丘登りにチャレンジ


上に登ると景色は一層素晴らしく、これぞ自然の芸術作品と思える景色が広がっていました。砂丘は朝と夕方、光と影によってその美しさを増しますが、うねる様に続く砂丘の稜線がとても滑らかで、人間の手では作り出すことができない自然の力に感動させられました。
自然の芸術作品

雄大なアラカウの大砂丘



キャンプファイヤー夕食の後は大晦日ということもあり、現地スタッフ達とキャンプファイヤーを囲んで歌ったり、踊ったり。楽しい時間を過ごし、2011年の最後を締めくくることができました。





翌朝、2012年の元旦です。日の出前、空がうっすらと赤みを帯び、日が昇るにつれて、砂丘の色がどんどん赤く染まってゆきました。夕方とはまた一味違う砂丘の美しさに感動。素晴らしい2012年を迎えることができたと思います。
朝焼けのアラカウ2朝焼けのアラカウ


アラカウを後にすると次はアドラール・シリエットの砂丘地帯を目指しました。
また、アラカウとは違った美しい砂丘が広がる地域ですが、次回の投稿でご紹介したいと思います。

今年も9月末頃からニジェールへのツアーを予定しております。
砂漠好きの方にとっては是非、一度は訪れていただきたい場所。それがニジェールのアラカウです。

大阪支社・米谷健吾



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2011年10月26日

ニジェールの塩田ティギダンテッスム Teguidda N’tessoumt

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt01
インガルの北、塩の平原にあるのがTeguidda N’tessounmt。名前そのものが「塩の源」を意味します。まるで「月面世界」のような景色の塩田が造られています。
この地域の水は塩を含み、土壌も塩を含むことからたくさんの家畜をつれた遊牧民が集まる地域です。
雨期明けの9月終わり、乾期の塩作りのための作業の準備が進められていました。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt03塩田で働く人々
大きいプールは「塩水の井戸」で、泥と混ぜて塩分濃度の高い水を作り、この水を小さなプールへ移動させ泥を沈殿させ、表面の塩の結晶を採取します。
大きなプールで働くのは男性の仕事、小さなプールで働くのは女性の仕事、と分業されています。



ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt04男性の仕事
塩分を多く含んだ泥を塩水の井戸からの水とかき混ぜる男性。小さな塩田の穴に運ぶまでは男性の仕事です。







ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt02女性の仕事
雨期の間に壊れた塩田の穴を修復する作業をする女性。中の水を抜いて、壊れてしまった穴を補強します。同時にごみなどの不純物も取ります。そして塩田の表面が蒸発してできる「塩の結晶」を採取します。





ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt06
塩田から摂れた塩 右の白い塩は、きれいな表面の塩の結晶で人が食べるための塩。右の泥混じりの塩は家畜の栄養源として売られる「家畜用の塩」です。昔から、人々は家畜のための塩を求め、ここで塩の板を作り、「塩のキャラバンルート」で出荷していました。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt07
ティギダンテッスムの塩作り 家畜用として出荷されるものです。左のおわん型の塩は遊牧民がかばんに入れて運ぶためのもの、右側の棒状のものは箱につめてトラックで出荷するためのものです。

昔はこのティギダンテッスムからも「塩のキャラバン」が営まれていましたが、アガデス-アルジェリア(タマンラセット)の幹線道路にも近いことから、早くから車が入るようになり、今ではすべてトラック輸送に変わってしまいました。村の人々も「最期のキャラバンを見たのは20年以上前か」と。
そして、この収入の低い、厳しい塩田の仕事をいやがる男の若者はアルジェリアへと出稼ぎへ行き、ここで働くのは老人と女性だけになってしまっています。

ニジェールに現存する塩田はこのティギダンテッスム、ファシ、ビルマ、セグディエンヌの4箇所。「塩のキャラバン」が衰退する中、多くの遊牧民と家畜を支える伝統の「塩作り」と「塩の道」が続きますように。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt05
ティギダンテッスムの塩田とその周辺の「塩の平原」で草をはむ家畜、雨期明けのひとときの光景

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


ニジェール「塩の道」に関するコラム
「ニジェールの塩のキャラバン Azalai アザライ 2011」




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2011年08月20日

再開!チュニジアへの旅

こんにちは。
今日は1月に政変の起こったチュニジアについてです。

2010年から2011年にかけてチュニジアで起こった民主化運動は、一人の青年の焼身自殺事件に端を発し、反政府デモが国内全土に拡大、最終的にベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊するという大事件に発展しました。この革命はチュニジアを代表する花であるジャスミンにちなんでジャスミン革命と呼ばれる様になりました。

1月の革命から7ヶ月の歳月が経ち、チュニジアの情勢は落ち着きを取り戻しはじめ、観光客も徐々に戻りつつあります。これから過ごしやすい秋のベストシーズン、その次はサハラ砂漠がシーズンを迎える冬、そして花咲く春を迎えます。チュニジアの見所をいくつか紹介したいと思います。

真っ青な地中海とのコントラスとが美しいシディ・ブサイド。シディ・ブ・サイドの住宅は、アラブ建築、アンダルシア建築の融合で、漆喰の白壁にチュニジアンブルーの青い扉が特徴です。カルタゴとチュニス湾を見下ろす断崖の上にあり、聖人アブー・サイードにちなんでシディ・ブ・サイドと名づけられました。

シディブサイド  シディブサイド2
≪写真上:シディ・ブ・サイドの町並み≫

チュニジアで最も保存状態の良いローマ遺跡・ドゥッガ。春には野花が咲き、彩りも加えてくれます。、紀元前2世紀、ヌミディア王マシニッサがここを支配。その後、紀元前2世紀後半からはローマ帝国の一部と成りました。かつてローマの穀倉と呼ばれた地域で、周囲は緑豊かな麦畑に囲まれています。1997年、ユネスコの世界遺産に登録されました。

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≪写真左:ドゥッガ遺跡の円形劇場、写真右:キャピトール神殿≫

赤い砂漠と称される「クサールギレン」。どこまでも続く砂丘の中で、沈みゆく夕日と美しい朝日を見学します。ここでは憧れのベルベル風テントキャンプ「パンシー・キャンプ」に宿泊します。テントの中には電気はもちろん、ベッド、シャワー、トレイ、冷房も完備されています。

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≪写真左:パンシーキャンプの外観、写真右:夕方、ラクダに乗って砂丘へ≫

政変以降、観光客の足が遠のいているチュニジアに少しでも多くのお客様に足を運んでいただける様に11月、12月出発コースを超特価・198,000円で設定させていただきました。既に両コース共に催行決定となっております。是非、チュニジアという国をこの機会に訪れ、ご自身の目で見て、感じて見て下さい。

関連ツアー:西遊旅行で行く チュニジア 2011~2012
憧れのパンシーキャンプに泊まる チュニジア周遊
WEB写真集はこちら
添乗員レポートはこちら


















yonetani_saiyu at 09:07|Permalink

2011年08月07日

探検家が目指した黄金郷・トンブクトゥ(マリ)

こんにちは。
今日は前回に続いてマリのトンブクトゥをご紹介したいと思います。

トンブクトゥはもともとトゥアレグ族の宿営地として始まったと言われています。1240年から栄えたマリ帝国の時代、サハラ交易が東に移り、トンブクトゥは北からのラクダの輸送、南から舟で運ばれてくる商品のそれぞれの終着点となり、交易上のとても重要な町となってゆきました。ジェンネと同様に塩と金の交易によってマリ帝国は大きな繁栄を見ることとなったのです。

トンブクトゥへの道中に出会った塩を運ぶラクダDSC_8827
≪トンブクトゥへの道中であった塩を運ぶ人々≫

15世紀から16世紀末までマリ帝国に替わってソンガイ帝国が栄えると、トンブクトゥの町はさらに繁栄を極め、交易都市としてだけでなく、宗教都市としても有名になっていったのです。他のイスラム都市から宗教的指導者が招かれ、多くの神学校やモスクが建設されました。

トンブクトゥ ジンガリベリモスク
≪ジンガリベリ・モスク≫

現在、その栄華を今につたえるモスクが残っています。ジンガリベリ・モスクとサンコーレ・モスクです。
ジンガリベリ・モスクは14世紀初めに造られたトンブクトゥに残る最古のモスクです。昔は観光客でも中に入ることができましたが、現在はイスラム教徒のみとなっています。

トンブクトゥ サンコーレ・モスク
≪サンコーレ・モスク≫

サンコーレ・モスクはかつてイスラム教の大学の機能を持ち、16世紀までイスラム世界でアラビア語を学ぶ最大規模の大学として有名な場所でした。25,000人以上の生徒が学んでいたと言われています。

そんなトンブクトゥの栄華は当時ヨーロッパ各地まで伝わってゆきました。「トンブクトゥの富める王は金でできた杯を数多く持ち、その重量は1300ポンドにもなる、多くの医者や裁判官、司祭、学者がおり、王の財力によって手厚く養われている」というような噂が伝わり、多くの探検家の憧れの場所となってゆくのです。


Tンブクトゥ 探検家ルネ・カイエの家1588年から1853年にかけて少なくとも43人の探検家がトンブクトゥをめざし、4人のみが無事辿りつき、そして3人だけが無事に母国まで帰国したのです。当時、ヨーロッパ人がそのままトンブクトゥに入ることは非常に難しく、見つかると殺害されてしまう可能性が高いため、フランス人探検家ルネ・カイエは出発前に1年間イスラム教とアラビア語を学び、イスラム教徒になりすましてトンブクトゥに入りました。しかし、ルネ・カイエがトンブクトゥに到着した時、既に全盛期を過ぎた町は荒廃が始まり、黄金郷と呼ばれたかつての繁栄はなかったといいます。ルネ・カイエはトンブクトゥに辿りつき、なお無事に帰国した初めての探険家でした。彼がフランスへ戻った後発表した、トンブクトゥについての報告は誰にも信じてもらえず、偽りであると告発されたといいます。≪写真左:探検家ルネ・カイエの家≫

トンブクトゥに辿りついた探険家が滞在した家々は今でも保存されています。現在は個人の家となっているため、内部は残念ながら見学できませんが、当時彼らが描いた夢の冒険に思いを馳せるのも良いでしょう。

サハラ砂漠の南縁・サヘルに位置するトンブクトゥですが砂漠の波が押し寄せつつあり、当時の栄華は姿を消してしまいました。しかし、かつてヨーロッパまでその名を轟かし、探検家達に夢を与えた町は、これからも訪れる観光客にかつての黄金郷として夢を与えつづけてゆくことでしょう。

大阪支社・米谷健吾

西遊旅行で行くマリの旅 2011~2012
関連ツアー:原色の西アフリカ マリ
企画者の声はこちら











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2011年08月01日

サハラ交易の中継都市・ジェンネ(マリ)

こんにちは。大阪支社の米谷です。

本日は今年も秋から冬にかけてベストシーズンを迎えるマリの見所のひとつ「ジェンネ」をご紹介したいと思います。

ジェンネという名前はどこかで聞いたことがある方も多いことでしょう。かつて同じくマリ北部のトンブクトゥと共にサハラ交易によって一大栄華を築いた町で、現在はユネスコの世界遺産に登録されています。

ジェンネの月曜市と大モスク
≪ジェンネの月曜市と大モスク≫

ジェンネは13世紀まではボゾ族という漁師達の小さな集落でした。
14世紀~16世紀になりマリを含む西アフリカ地域はマリ帝国、ソンガイ帝国という強大な国が支配するようになりました。この時代、サハラ交易ルートは発達しマリ北部のタウデニやタガサなどの塩の採掘所から運ばれてくる塩と南部から運ばれる金がジェンネで交換される様になったのです。この時代、ジェンネの人口は10,000人を越えていたと言われています。

塩は人間にとって、特に海のないサハラ砂漠に暮らす人々にとっては命に関わる重要なものでした。ラクダのキャラバンによって運ばれてくる塩は当時金と同等の価値があったとも言われます。反対に南側で取れる金は現在のコートジボワールやガーナなどの鉱山から運びこまれてきたそうです。

サハラ交易の衰退後、ジェンネの町は荒廃し、現在ではボゾ族の漁師達が暮らす素朴な町に戻ってしまいました。当時の様子を彷彿とさせるマーケットは一週間に一度、月曜日だけ賑わいを見せます。カラフルな衣装を身に纏った人々が集い、様々な国からやってくる観光客もマーケットに合わせて月曜日にジェンネを訪れるケースがほとんどです。現在、マーケットで売られているものは野菜や魚、お肉、スパイスなどの食料品から生活雑貨などの日用品まで様々。活気溢れるマーケットを歩いているとアフリカのパワーに圧倒されてしまいそうになります。

大モスクと月曜市

月曜市4月曜市3

≪ジェンネの月曜市≫

マーケットの後ろに聳えるのがジェンネのシンボルともなっている大モスクです。このモスクは1907年に建設された新しいモスクで、もともと1280年に建てられていた古いモスクを模して造られました。現在でもこの大モスクは昔と変わらずジェンネの富と文化の高さの象徴となっているのです。壁から飛び出している木材は建築の一部というだけでなく年に一回の下塗りの修復作業の際にはハシゴを支える役目もするのです。この修復作業は毎年4000人ものボランティアの村人達によって行なわれるのです。

大モスク
≪ジェンネのジンボル・大モスク≫

今年も先日、「原色の西アフリカ・マリ」のツアーを掲載した「サハラとアフリカ大地溝帯」特集パンフレットを発表いたしました。マリを訪れるベストシーズンは一年で最も気温が下がる12月~2月です。それでも日中は30~35度位にまで気温があがり、しっかりと日除け対策が必要です。逆に朝は気温が15度前後まで下がり、上着が必要なくらいです。

マリへのツアーはこれまで比較的高額なツアーが多かったですが、西遊旅行では現地手配会社との協力関係のお陰で398,000円という夢の30万円台でご提供しています(年末年始出発は除きます)。まだ、興味があるのに行くことができていないという皆様、絶好の機会ですよ。

西遊旅行で行くマリの旅 2011~2012
関連ツアー:原色の西アフリカ マリ
企画者の声はこちら






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2011年06月23日

サハラ砂漠のフェネック Fennec

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ハルマッタンの熱い風が吹くチャド。かつては川が流れていたというバハル・エル・ガゼル Bahr el Ghazalの北にある砂漠でフェネック(アラビア語でFoxの意味)のかわいい姿を見ることができました。

fennec01フェネックはサハラ砂漠で見られる犬科最少の動物。キツネ属に属し、フェネックギツネともよばれ、実際にその姿も耳の大きな小型キツネ。
体長は40Cmほどですが、耳は15Cm。その大きな耳は放熱の役割をするうえ、強力な聴力で獲物の動きを察することができるそうです。毛皮は強い日差しをさえぎって体を守り、熱い砂の上を歩けるように足の裏も毛で覆われ、毛の色は砂漠と同じ保護色。さらには熱さに対応した腎機能も備え、乾燥と灼熱のサハラで暮らすことに見事に適応した動物です。

fennec04「砂色」の毛皮をまとったフェネック、当然見つけるのは楽ではなく、砂漠の移動中に見かけたときは、いつも走って逃げる“うしろ姿”。今回は偶然にもキャンプ地のそばに巣穴があり、近くで観察することができました。






fennec02夜行性で砂に巣穴を掘ってくらします。夜間に、虫や小動物を捕食するため、朝、夕方に巣穴付近で活動する姿をみかけました。この巣穴、入り口は小さいですが細長く、奥は10mほど続いているとのこと。






日本でもペットとして飼育されているフェネック。調べていて、そのペットとして愛くるしい姿の写真や、かわいくてたまらないという飼い主の方のコメントもたくさん拝見しました。
でも、サハラの大自然の中で見る、フェネックのたくましさ、美しさも格別です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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2011年02月14日

ニジェールの塩のキャラバン Azalai アザライ 2011

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サハラ砂漠でトゥアレグによって営まれる塩のキャラバンを「アザライ」といいます。20世紀初頭には2つのアザライが存在しました。
①トンブクトゥ~タウデニ(マリ)
②アガデス~ファシ~ビルマ(カワル山地)
この2つは現在も残る唯一のサハラのキャラバンであり、雨期があけ気温が下がる11月~1月に最も多く組まれますが、トラックの輸送が発達してきたため、ニジェールでのキャラバンは衰退にあります。

2011年1月、ニジェールのファシ付近で、幸運にも”塩のキャラバン”に出会うことができました。


caravan06ファシのオアシス手前でキャラバンの足跡発見! 
車でキャラバンの足跡を追跡、幅から大きなキャラバンであることを推測 







caravan01荷済みをしている出発直前のキャラバンと遭遇。150Kg~200Kgほどの荷物を積むとのこと。ビルマやファシで作られているヤシの木の幹でかたどった塩Kanutuを積んでいます。






caravan05塩とラクダの食料の干草をつんで出発する。後ろのラクダは前のラクダの干草を食べないように口にロープが巻かれています。また、キャラバンには修行中の子供ラクダの姿も。






caravan02今回であったキャラバンは、ナイジェリア国境マラディの近くのマダワから出発したキャラバン。
マダワ→アガデス→トラヤ→テネレの木→ファシ→ビルマ→ファシ→テネレの木→トラヤ→アガデス→マダワと歩いている、ファシを出発して1日目のところでした。「何日間のキャラバンですか」と聞くと、「家を出てから今日で50日目」と。


マラディの近くのマダワで黒人トゥアレグによるキャラバンでした。「昨日は朝9時半にファシを出て夜中まで歩いてここにきた」と。ファシからちょうど50Km地点でした。400匹のラクダを連れた隊で、今年2回目になる11歳の見習いの子供も参加していると、35年キャラバンをしているリーダーが説明をしてくれました。

キャラバンに出会えた、という幸せ。この伝統が受け継がれていきますように。

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文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


テネレ砂漠の塩のキャラバンと出会うチャンスのある西遊旅行のニジェールの旅
「ニジェール・アイール山地とテネレ砂漠塩のキャラバンルートを行く」

sawada_saiyu at 20:29|Permalink

2011年02月08日

かつてはキリンの楽園、ニジェール

2010年末から2011年2月初めまで日本とニジェールを2往復。さらに首都ニアメからアイール山地とテネレ砂漠の入り口アガデスまで1000キロ。苦労の果て、目の前に広がるテネレ砂漠の美しさは格別です。
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さて、ニジェールで気になるのが「キリン」。アイール山地にはたくさんの岩刻画が残されていますがニジェールの岩刻画の特徴はなんといっても「キリン」の多さ。実にさまざまな手法で表現され、中にはダボスの岩刻画のように最大・最高傑作とさえいわれるものもあります。




niger_giraffeニジェール・アイール山地の岩刻画は諸説がありますが、紀元前6000年以降の作品が多いといわれています。このモデルとなったキリンは、ジラフ・カメロパルダリス・ペラルタと呼ばれる、ほかのアフリカに暮らすキリンとは異なるもの。かつてはニジェール全土に棲息していましたが1900年代に激減し、1995年には65匹にまで減ってしまいました。その後の保護努力で2009年には200匹まで回復しています。このキリンは首都ニアメから60㎞のクレ付近でみかけることがあります。

ホンモノのキリンと出会うチャンスはなかなかなくても、素敵な岩のキリンたちがいます。アイール山地のアナコムのキリンの岩刻画は、アーチストによるキリンの模様のさまざまな表現が見られます。

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niger_anakom02niger_anakom01









beer niger01そして旅の夜は「キリンビール」。BEER NIGERと呼ばれるニジェールのビール。日本のお客様には「キリンビール」と親しまれています。

砂漠とキリンに乾杯

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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