チャド

2014年04月26日

チャドのボロロ族、その生活と美への執着!

ボロロ族(ウォダベ)の人々はサヘル地域に暮らすフラニ族のグループのひとつです。フラニは1000年以上にわたってアフリカ西部全体で、地域の政治、経済、歴史に影響を与えてきている遊牧民です。 ボロロ族はカメルーンとてナイジェリア北部、そしてチャドの一部住んでいます。

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年間を通じて、ボロロ族やフラニ族は群れとなって移動しつづけます。ファミリーのそれぞれのメンバーは、特定の仕事があります。男性は牛を放牧すること、病気となったものの治療、遊牧のルートを考えることです。

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女性の仕事は、牛の乳搾り、バターとチーズをつくること、服や毛布をつくること、そして毎日の食事の準備です。

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ボロロ族は美しさを強く意識します。乳児のころから美の象徴として顔に装飾として傷をつけます。子供たちは額や鼻、頬に細かい瘢痕つけて成長していくのです。【右上】

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ボロロ遊牧民はこれでもかと言わんばかりの長い角を持つ牛を連れ、その群れの世話に命を捧げているともいえるほどです。牛を所有することは、すべてのフラニの間で健康と幸福の象徴であるといい、実際に、牛の頭数、どのくらい牧畜の知識・技術があるかでグループの中での地位が決まります。またボロロ族は愛情をもって接し、その証拠に自分の牛に名前をつけています。


彼らが行う「ゲレウォールの祭り」はナショナルジオグラフィックの記事や映画、テレビのドキュメンタリーを通じてその独特の生活が多く取り上げられてきました。そのお祭りは、若い男性の中から女性たちが目の前でその年のベストを選ぶもので、どこからともなく輪をつくって始まる歌や踊りが儀式を盛り上げていきます。出演する背が高くてハンサムな男性は、伝統的な衣装を着て、長く時間をかけて施した創造力あふれるフェイスペイントで自分自身を飾ります。

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最後に下の動画で、ボロロの人たちのお祭りの臨場感をお楽しみください。




今年もやります!「9/21発 チャド民族紀行」
ボロロ(ウォダベ)遊牧民の祭典とチャド湖の旅

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2013年07月10日

チャドのボロロ遊牧民、牛のキャラバン

チャドのボロロ (4)

「ボロロ」というとニジェールとナイジェリアを移動している遊牧民グループのことを指すことが多いのですが、チャドと中央アフリカを移動するグループがいます。
彼らは夏の雨期の間チャドのンジャメナの東の草地まで北上し、乾期の始まりとともに中央アフリカ、バンギの付近の草地まで南下していきます。雨期の間、これまで離れていた家族が集まり、ここでも美しい男性を選ぶ「ゲレウォール」の祭りが催されます。

チャドのボロロ (1)
若いボロロの男性。西アフリカのボロロの人々と同様、アクセサリーやおしゃれ大好きです。

旅の途中、幸運にも移動するボロロのヒルデ氏族の人たちと一晩を一緒する機会がありました。
首都ンジャメナからドゥルバリへ。そしてここから先は「遊牧民の道」。乾燥したサヘルの草原と違い、ンジャメナから南はうっそうとした森、湿地が点在しています。彼らが連れている家畜は牛と馬とロバ。ここはラクダではなく「牛」の世界です。

チャドのボロロ (5)
草地で出会ったボロロのキャラバン 子供たちが興奮して大騒ぎ

チャドのボロロ (3)
ロバに乗った少女

チャドのボロロ
顔に瘢痕を施したボロロの少年。この瘢痕の習慣もグループによって異なり、ほとんど施さない人々もいます。

チャドのボロロ (6)
今日のキャンプ地に到着。荷物を降ろして食事の準備。驚いたことに、遊牧民のキャンプ地にはどこからかやってくる調味料や電池などを売る小さな「出店」もありました。

チャドのボロロ (7)
ボロロの人々の台所。主食はミレット、ソルガムなどの雑穀をねったもの。そこに新鮮な牛のミルクを入れて。

チャドのボロロ (8)
ボロロの人々のベッド。雨も降り虫も多いことから高床で蚊帳もついていました。

チャドのボロロ (2)
中央アフリカを目指して再び移動を開始するキャラバン

「遊牧民の道」を車で移動するのには限界があり、これ以上一緒にいることができなかったのが残念でした。黄金の草地、緑の森の間を移動するボロロのキャラバンの景色は、夢のような光景です。

文・写真:Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のチャド 
チャド民族紀行 ボロロ(ウォダベ)遊牧民の祭典とゲラ山地

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2013年03月06日

チャド最高峰エミクーシ登頂に乾杯!チャドの砂漠でシャトー・バタイエ

チャドの砂漠で乾杯 (3)

チャド最高峰・サハラ砂漠最高峰の山エミクーシを登頂して下山後の祝杯は、チャド北部の砂漠ワディ・ドゥーンでした。せっかくのお祝い、コックさんは前日の夜にゴウロのオアシスで丸々とふとった羊を買って今日のためのお肉を用意してくれました。お肉は屠ってから1日後の方が柔らかくなっておいしいのです。

チャドの砂漠で乾杯 (4)
乾燥しているためヤギが多い地域ですが、炭火焼には羊が一番

祝杯用のお酒は、この日のために持ってきたソムリエ磧本修二氏に選んでもらったワイン。この日に用意したワインは下記の2つです。

チャドの砂漠で乾杯 (1)シャトー・バイタイエ Chateau Batailley
名前自体が「戦い」を意味するシャトーのワイン。このシャトーが14世紀の100年戦争の戦場に位置したことに由来した名前。ちょうど私たちが飲んだこの場所ワディ・ドゥーンも、チャド内戦の「戦場」でした。本当に偶然だったのですが。







チャドの砂漠で乾杯 (2)カロン・セギュール Calon Segur
セギュール公のシャトーで、セギュール公は他にも立派なシャトーを持っているのに一番愛したのがこの小さなカロン・セギュール。そのため、ラベルには大きなハートマークがついています。このハートマークのラベルのおかげで、このワインは昔から多くの男性の口説きの道具に使われ、日本でもバレンタインの贈り物になったりしているとか。





ワディ・ドゥーンとコーラの戦い
祝杯をあげたワディ・ドゥーンはチャド内戦の戦場となった場所です。ワディ・ドゥーンは北部の反政府勢力を後押しする形でチャドに進行してきたリビア軍の基地が置かれた場所でした。1987年にはこのワディ・ドゥーンの基地から南下するリビア軍の戦車部隊を、北上してきたチャド政府軍のトヨタ・ピックアップ改造車部隊(テクニカル)が迎え撃ち包囲し、勝利した戦闘が行われました(コーラの戦い)。砂漠で動きの遅い戦車が機動性の高いピックアップに負けた戦いで、この時期のチャド内戦の戦いはTOYOTAのロゴが目立ったことから「トヨタ戦争」とも呼ばれています。
このトヨタ・テクニカル部隊はさらに北上し、ワディ・ドゥーンのリビア軍基地に向かう砂漠に埋めてある地雷原を自らが犠牲になって道をつくり、ワディ・ドゥーンを制圧することでチャドを大きな勝利に導いたと言われています。

チャド コーラの戦いjpg (1)
ワディ・ドゥーン付近の荒々しい景観。砂丘と岩場が交互に現れる、4WDの運転も難しい地域です。南下してコーラへ。

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砂に埋もれたリビア軍の戦車

チャド コーラの戦いjpg (3)
コーラに近づくとたくさんの戦車、砲弾が残されています。ここで激しい戦闘があり、リビア軍にたくさんの犠牲者が出ました。

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中にはまだ動きそうなほど新しく見える戦車もありました。

ガイドのアンドレア氏、とても熱くチャド軍の軍人としての強さを語ってくれました。まさに今、(2013年3月6日現在)マリ北部の砂漠でフランス軍とともにAQIMの掃討作戦に出ているチャド軍。砂漠の実戦の経験と強さからその成果が期待されています。


ミスタースタンプスワインガーデン (1)ソムリエ磧本修二氏
さて、今回のワイン、長期の4WDの揺れの後にも飲めるワインでお祝いにふさわしいものとして、ソムリエ磧本修二氏に選んでいただいたものです。磧本修二氏、ソムリエ界の草分け的存在であり、そして西遊旅行・本社山担当の堤智顯(つつみ・ともあき)の義父で、六本木のワイン&フランス料理レストラン「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」のオーナー。
帰国後、さっそくお店へ。
「古き良き六本木」な雰囲気の店内。木彫家具が暖かく、ほっとする隠れ家的なお店で、ワインはもちろんのことお料理も抜群です。



ミスタースタンプスワインガーデン (2)

ソムリエお勧めのワインと美味しいフランス料理。そして、旅の話。
チャドの砂漠での優雅なひとときに感謝して。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子











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2013年02月27日

チャド・エネディ山地に眠る原始岩壁画

こんにちは。大阪支社の米谷です。
1/21から「チャド・エネディエクスペディション19日間」のツアーに同行してきました。

今日は今回訪れたチャド北部・エネディ山地に眠る原始壁画をご紹介します。

これまでサハラの壁画を見学するツアーとして、リビアのアカクス山中、アルジェリアのタッシリ・ナジェール、エジプトのギルフ・ケビール、そしてニジェールのアイール山地など様々なコースを実施してきました。今回訪れたエネディ山地も他の国々に勝るとも劣らない芸術性の高い素晴らしい壁画の数々を見学することができました。

サハラ砂漠の各地に残る岩絵は、当時のサハラの様子をうかがい知る重要な資料でもあります。描き始められたのは今から10,000年前頃からと言われており、最初は象やキリン、ライオンなどの野生動物が描かれました。その後、時代によって描かれる主題も変わってゆき、学者や研究者にもよりますが、時代区分を大きく6つに分けて考えられています。

エネディ山地に残る壁画の多くは牛の時代、馬の時代、ラクダの時代が多く、特に馬の時代、ラクダの時代の壁画のレベルが他の国々に残る同時代の壁画よりも芸術性に優れている事に驚かされました。

最初に訪れたのはテルケイの岩山群の西側に残る壁画です。主に牛と馬の時代のもので、家畜として飼われていたウシやヤギ、また人間が馬に乗って走っている姿も綺麗に描かれていました。チャドではこの馬を走らせる姿の絵が非常に多く、トクという場所でたくさんこの様式の絵が見つかっていることからトクスタイルと呼んでいます。

テルケイ東 走る馬の壁画テルケイ東 ウシ

左)トクスタイルと呼ばれる走る馬の壁画 右)牛の時代の壁画

牛の時代の壁画からは人々が家畜を飼い始め、放牧生活を送るようになったことが分かります。
ヨーロッパから馬がサハラにも伝わると、壁画の主題も馬の絵に変わってゆきます。この時代はまだサハラを馬で旅することができたという事が分かります。

テルケイ東 ウシと女性
独特の髪型の女性達と牛の壁画。女性の髪には模様も施されています。

テルケイ東 頭飾りをつけた男性
頭の丸い人間が描かれています。頭の上には羽根の飾りが見受けられ、おそらく身分の高い人ではないかと推測されています。


続いてはアルシェイに残る岩絵です。
アルシェイ ウシとラクダ
牛、ラクダ、馬、人間など様々な絵が描かれていますが、これは違った時代の壁画が同じキャンバスに描かれているのであって、同じ時期に描かれたのではありません。馬や白いラクダに乗って走る人々の姿が非常にレベルの高い壁画として残っています。リビアやアルジェリアで見られる馬・ラクダの時代の壁画と比べるとより詳細に描かれていえます。紀元前200年頃、サハラの砂漠化が激しくなり、ラクダが登場します。馬ではサハラを旅することが困難になったのです。

アルシェイ ウシの壁画アルシェイ ウマの時代

牛は白と茶色を使い分けて描かれ、馬に乗る人は躍動感溢れています。

アルシェイ ウシアルシェイ ウシの群れ

アルシェイに残るウシの時代の壁画

次はマンダゲリの壁画です。ここは6m上に見上げた天井に多くの壁画が残っています。マンダゲリ


マンダゲリ ウシと遊牧民のテントマンダゲリ ラクダの時代
左)乳を白く描いた牛が綺麗に描かれています。その左の丸っぽい絵は彼らのキャンプを表しているそうです。
右)ラクダに乗って移動する人間

テルケイ西 ウマの群れ

続いてテルケイ東の壁画です。ここでは先ほど紹介したトクスタイルと呼ばれる馬に乗って走っている姿が数多く、大変美しい姿で残っています。

テルケイ西 大きな牛の壁画

等身大とまではいきませんが、非常に大きい牛の壁画も残っています。手前の人と比べるとその大きさが良くわかります。

今回ご紹介したのはほんの一部で、エネディ山地には無数の壁画が残っています。しかし、その多くは歩いたり、ラクダにのったりしなければたどり着けない場所がほとんどなのです。今回は四輪駆動車ですぐ近くまで行くことができる壁画を中心に見学しました。スタッフ達やお客様のご協力もあり、無事すべての観光を終えることができました。チャドという国自体まだまだ訪れる観光客は少なく、ホテルがある場所も非常に限られています。、その分今だからこそ素朴な観光化されていないチャドを見ることがきたと思います。

次回は今年の秋以降の設定を予定しています。
サハラファンの方必見の場所がまた新たに登場しました。















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2013年02月20日

チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ(3,415m)登頂

エミクーシ登頂 (3)
昨年末から長期のサハラ砂漠のツアーが続き、すっかりブログの更新に間が空いてしまいました。先日帰国した日本初のチャド最高峰エミクーシ登頂ツアーの様子をご紹介します。

チャドは長年続いた内戦の影響とその後の政情不安から日本から訪れる観光客の少ない国のひとつです。意外かもしれませんが、サハラ砂漠の最高峰の山はこのチャドにあります。チャドの北部には堆積岩の台地の上に火山活動によってできた山地、ティベスティ山地があり、標高3,000mを超える火山や溶岩原の山地が広がっています。

エミクーシはティベスティ山地の南にある火砕流原の楯状火山。山のすそは60Km x 80Kmと大きく砂漠に大きくそびえる山容は圧巻です。山頂部は巨大な、東西12Km、南北15Kmのカルデラになっており、さらにその中にナトロンを産出する小さなカルデラや溶岩ドーム、マールなどが見られる大変興味深い地形をしています。

今回の旅は29日にわたる長期の旅。首都ンジャメナだけがホテル泊で、首都を出てからの23泊はすべてテントという、旅自体がすでに「エクスペディション」なツアー。山歩きだけでなくチャド北部の自然、人々の暮らしも体験できる非常に内容の濃い旅でした。

エミクーシ登山は歩き始めて8泊9日の行程。そのほとんどが流紋岩、安山岩や玄武岩など火山岩の岩場です。溶岩のスロープを歩き、時に現れるワディ(枯れ川)で休養しながら、カルデラの縁を目指します。
歩き始めて6日目に見た巨大なカルデラの景色は実に感動的なものでした。エミクーシの山頂はこのカルデラの縁にあります。

エミクーシ登頂 (5)
エミクーシのカルデラの縁にて 登頂ガイドのアンドレア氏、西遊旅行大阪支社の楠さん
快晴の空、クレーター内の淡い緑が映えてとても美しい景色でした。

エミクーシ登頂 (6)
クレーターの中にはさらにクレーターが。ナトロンが湧いているエラ・コホールというクレーターです。高低差320m以上の岩壁を下りクレーターの中のクレーターへ。

エミクーシ登頂 (8)
ティベスティ山地にあるもうひとつのナトロンのクレーター、トゥルー・オ・ナトロン(トゥシデ山のカルデラ)より浅く小さいクレーターですが、採取できるナトロンは良質とのこと、みんなでナトロン掘りを体験しました。

登山中の荷物運びはラクダです。ティベスティ山地のラクダは小型で岩山を歩くのに適した足をしています。それでも、トゥブ族のラクダ使いは自分のラクダが大切で、けがをしないように見守り、水場ではナトロンや薬草の栄養剤を飲ましたりしていました。

エミクーシ登頂 (4)
ラクダの栄養剤を準備している様子。ラクダもそばで待っています。

エミクーシ登頂 (1)
夜、ラクダ使いたちは火を囲んで民族楽器を鳴らし、歓談。

エミクーシ登頂の当日は風のある日で、頂上に近づくにつれ風も強くなり寒さも増しました。頂上は玄武岩のカルデラの縁にのった溶結凝灰岩のシートです。
無事に初登頂を果たした瞬間、トゥブ族山ガイドのセヌーシー氏がカラシニコフ銃で祝砲を鳴らし歓喜の声に包まれました。未知の国、未知の山。首都ンジャメナを出て13日目、無事に全員で登頂です。

エミクーシ登頂 (7)
チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ3,415mを登頂

「いつか実現したい」と思っていた夢の実現、一緒に初登頂を果たした皆さまとスタッフに感謝申し上げます!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子






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2012年08月26日

古代メガ・チャド湖跡 MEGA LAC TCHAD

メガチャド湖跡
チャドの北部に広がる、古代チャド湖の話です。2012年2月、北部の中心地ファヤから首都ンジャメナに向けて移動していたときに古代チャド湖(メガ・チャド湖)の跡を走りました。

メガ・チャドと呼ばれた完新世のチャド湖は、現在の面積と深度の少なくとも 20 倍はあったといわれています。深さ160メートル、44万キロ平方メートルにも及ぶ巨大な湖でその北部の一番深い(低い)地点がジュラブ砂漠です。

ジュラブ砂漠はジュラブ凹地とも呼ばれる砂漠でファヤ南部からバハル・エル・ガゼルにかけて広がり、古代チャド湖北部の底だったとされ、ダイアトマイトや貝の殻、魚の化石などが残されていました。砂漠としてもとても若く、小さなバルクハン砂丘の集合体です。

チャド北部 ダイアトマイトファヤ周辺からジュラブ砂漠いったいで見られるダイアトマイト。ダイアトマイトは遺体が海底や湖沼の底などに沈殿してできた堆積物で、チャド北部で見られるものは古代チャド湖のものです。






ジュラブ砂漠の貝殻水があった証拠、砂漠の中の貝殻









メガチャド湖の魚の化石1かつての湖の底を歩いてみました。なまずの先祖と考えられる魚の化石が散乱していました。背骨、あごの骨と歯、ヒレなど・・・。メガ・チャド湖の存在は35万年くらい前までなので、これらの化石はそれ以前のものと推定されます。





メガチャド 魚の化石

そして今のチャド湖はどうかというと、チャド、ニジェール、カメルーン、ナイジェリアの4カ国にまたがりますが、近年の観測では1963年から1998年までの間に95%湖面が小さくなったといわれています(1960年25000キロ平方メートルあったものが、2000年に1500キロ平方メートルに縮小という報告もあり)。原因は大きな自然の変化の中にあるという説に加え、急速な灌漑・取水、湖の周辺の過度の放牧が上げられています。逆に近年にはこの縮小傾向が止まっているとの報告もあります。

ボル周辺のチャド湖2011年9月のチャド湖畔ボル周辺の様子。かつての湖面は濃い緑で覆われ、にぎわった港・税関も今は岸から遠いものとなっていました。ここにくると、「チャド湖縮小」は目の前にある現実、恐ろしささえ感じます。





ジュラブ砂漠で魚の化石とメガ・チャドから現在のチャド湖まで・・・ティベスティ山地やエネディ山地の地殻変動もですが、チャドの旅は気が遠くなるような時間のと大地の変化を体感する旅です。

文・写真 
Mariko SAWADA 澤田真理子



西遊旅行のチャドの旅
チャド湖畔に暮らす民族を訪ねる旅 
チャド民族紀行
古代メガチャド湖を走り、北部ティベスティからエネディ山地を訪れる一大エクスペディション
エネディとティベスティ山地



sawada_saiyu at 18:15|Permalink

2012年08月22日

チャド サハラ最後のワニを探して・アルシェイのゲルタへ

アルシェイのワニ (2)
サハラ砂漠最後のワニ・・・かつて「緑のサハラ」の時代に生息していたナイル・ワニがチャドのエネディ山地にひっそりと暮らしています。2011年の4月と2012年の1月、季節を変えて2度、この貴重なワニと出会うことができました!

アルシェイのワニ (3)チャドのエネディ山地へ
首都のンジャメナから車で走ることまる3日以上。エネディ山地はチャド北東部、スーダン国境付近に位置する岩山地帯です。サハラ砂漠の中央にある堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されたため、独得の景観の渓谷やワディ、ゲルタを作り出している山地です。




アルシェイのワニ (5)アルシェイのゲルタ
「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。
アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見れるとは限りません。すべては「運」。

「サハラ最後のワニ」
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしてるといいます。
1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったサニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。
限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。
トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

ではサハラ最後のワニの写真をどうぞ

アルシェイのワニ (6)
水の中から現れた、ワニ。

アルシェイのワニ (7)
もうすぐ陸に上がるのか、ワニ。

アルシェイのワニ (4)
くちを開けてひなたぼっこ、ワニ。

アルシェイのワニ (1)
しげみにひそむ、ワニ。

アルシェイのワニ (8)
そしてこれは同僚の山田さんが撮った非常に珍しいツーショット・ワニさん。

ワニを上手に観察するには、ビューポイント到着前から静かに歩き、しゃべったり、音を立てたりしないことです。「サハラ最後のワニ」が本当に最後にならにように見守っていきましょう・・・。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子、
写真提供 Yamada Koji 山田宏治

西遊旅行のチャドの旅2012-2013
エネディとティベスティ山地の旅 チャド北部のサハラ踏査行 28日間
エネディ山地のみを訪問するコース、サハラ最高峰エミ・クーシ登頂企画もあります。お問い合わせください。


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2012年03月21日

チャドのドルカス・ガゼル Dorcas Gazelle

ドルカス・ガゼル1
チャド北部の砂漠で見られる、小型の一般的なガゼル、ドルカス・ガゼル。草地、ワディ、山地、砂漠に暮らしています。メスはワディや草地で群れをつくって行動していますが、若いオスは餌を求めて単独で岩山を越えたりしているのを見ることがあります。

ドルカス・ガゼル2チャドでは長年の内戦の間、こういった野生動物が人々や兵隊さんの食料とされ犠牲になりました。北部チャドの人々、内戦でリビアからやってきた兵隊さんはイスラム教徒。イスラム教徒が食べてもいい動物(ハラールなお肉)にあたるガゼル、ダチョウはその的でした。その結果、ガゼルは残りましたがダチョウは北部チャドから姿を消してしまいました。同様にチャドの砂漠に暮らすジャッカルやハイエナは、イスラム教が食べてはいけない動物(ハラームなお肉)なんだそうで、現在もたくさん生息しています。

ドルカス・ガゼル3内戦が終わった現在のチャドでは狩猟が厳しく禁止されガゼルの生息数は増えているといわれています。実際にカライ(ウム・シャロバ)からバハル・エル・ガゼルへの砂漠横断をしたときに、ほかのサハラ圏では見られないほどの数のガゼルを見ました。
サハラ砂漠北部から野生動物が姿を消し、現在は一部の保護区、チャドの砂漠でしか見られない動物が多くなってきています。チャドの観光の発達とともに、野生動物の保護が促進されますように・・・。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


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2011年06月23日

サハラ砂漠のフェネック Fennec

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ハルマッタンの熱い風が吹くチャド。かつては川が流れていたというバハル・エル・ガゼル Bahr el Ghazalの北にある砂漠でフェネック(アラビア語でFoxの意味)のかわいい姿を見ることができました。

fennec01フェネックはサハラ砂漠で見られる犬科最少の動物。キツネ属に属し、フェネックギツネともよばれ、実際にその姿も耳の大きな小型キツネ。
体長は40Cmほどですが、耳は15Cm。その大きな耳は放熱の役割をするうえ、強力な聴力で獲物の動きを察することができるそうです。毛皮は強い日差しをさえぎって体を守り、熱い砂の上を歩けるように足の裏も毛で覆われ、毛の色は砂漠と同じ保護色。さらには熱さに対応した腎機能も備え、乾燥と灼熱のサハラで暮らすことに見事に適応した動物です。

fennec04「砂色」の毛皮をまとったフェネック、当然見つけるのは楽ではなく、砂漠の移動中に見かけたときは、いつも走って逃げる“うしろ姿”。今回は偶然にもキャンプ地のそばに巣穴があり、近くで観察することができました。






fennec02夜行性で砂に巣穴を掘ってくらします。夜間に、虫や小動物を捕食するため、朝、夕方に巣穴付近で活動する姿をみかけました。この巣穴、入り口は小さいですが細長く、奥は10mほど続いているとのこと。






日本でもペットとして飼育されているフェネック。調べていて、そのペットとして愛くるしい姿の写真や、かわいくてたまらないという飼い主の方のコメントもたくさん拝見しました。
でも、サハラの大自然の中で見る、フェネックのたくましさ、美しさも格別です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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