アルジェリア

2016年04月22日

アルジェリア食事

今回はアルジェリアの食事事情についてお話ししたいと思います。

北部ではフランスパンやクロワッサン、パスタ、フレンチ・フライ等、フランス文化の影響が見られる食事が多くなりますが、地中海沿岸では、魚のスープやグリル等の魚料理もご賞味いただけます!

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そして、中部から南部ではクスクスや、羊肉・ラクダ肉等のスープ、カバブ、ナツメヤシのデザート等、いわゆるサハラ地域の食事となっていきます。
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特に朝食に関しては、フランス統治時代の影響を大きく受けた、コンチネンタル式の朝ごはんがまだまだ主流です。
朝起きて朝食の会場へ向かうと、パンにコーヒーのみ…
なんて日も。
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糖尿病が理由で亡くなる人が多いと言われるのも納得いくほど、現地の方に愛されているのがミントティーです。
アルジェリアでは、主にサハラ地域で飲まれています。
最近ですと、茶葉は中国から輸入しているようですが、茶葉の渋味、ミントの苦味、砂糖の甘みが絶妙にマッチして美味しい(好みは分かれますが)です。
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また、本家コカコーラよりも現地で人気があるのは、セレクトという、アルジェリア産のコーラ。
コーラと呼ばれていますが、バナナっぽい風味がします。
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また、道中のガソリンスタンドなんかで見かけるジンジャードリンク。イスラム教徒が90パーセント近く占めるアルジェリアですが、彼らの聖典コーランにも記載されているドリンクです。
デトックス効果、お腹の調子を整えたりと、健康にも良いようです。ジンジャーは喉が熱くなる程効いています。
どこかで見かけることがあれば、是非一度飲んでみて下さい。
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後半は、飲み物のご紹介になりましたが、遺跡観光の合間に、現地のお食事も是非お楽しみいただければと思います!

アルジェリアを訪れるコースはこちら↓
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GADZ11/index.html


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2015年12月14日

3月「アルジェリア探訪」追加設定発表!

アフリカ大陸最大で、世界でも第10位の面積を持つ広大な国アルジェリア。
地中海の花のシーズンに合わせて3月出発の「アルジェリア探訪」ですが、多くのお客様からお申込みをいただき、さらに追加設定を発表させていただくことが決まりましたのでご案内いたします。

■3月17日(木)出発
 「アルジェリア探訪 追加設定」 ※エミレーツ航空利用

15名様限定コースとなっておりますので、この機会に是非、お早めにお申し込みください。

今回はツアーでも訪れるジェミラ遺跡についてご紹介させていただきます。
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古代ローマ人は北アフリカを征服した後、先住民だったベルベル人の反乱に悩まされ、山地のベルベル人を抑えるため、第12代皇帝、ネルヴァの治世、2つの川に挟まれた標高850メートルの地にジェミラは建設されました。当初はベルベル人の侵入を阻止するために築かれたローマ軍の兵士たちの居住地でしたが、次第に市場町として大きく栄え、ローマ植民都市に昇格しました。そして、2~3世紀のセウェルス朝時代に最盛期を迎えました。4~5世紀には退役兵や定住者が増えたため、町は南に拡張されました。最大1万5000人が暮らしていたといわれています。当時は、ラテン語で「丘の麓」という意味のクイクルと呼ばれていました。広大な穀倉地帯で、穀物やオリーブなどの農作物によって町は支えられ、交通の要所だったために町は栄えました。
しかし、5世紀にティパサ同様、ヴァンダル人によって町が破壊された後、一時はビザンチン帝国時代に復興されましたが長くは続かず、6世紀末には廃墟と化してしまいました。
ジェミラはアラビア語で「美しい」という意味だそうですが、古代ローマ帝国滅亡後の7世紀にやって来たアラブ人たちが、肥沃で緑豊かなこの地を見て名づけたといわれています。
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1839年にフランスの考古学者が発掘するまでの間、交通の不便さも手伝って、盗掘や破壊などに遭わず、古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年に世界文化遺産に登録されました。
そして、現在では、アルジェリアでもっとも美しい遺跡とされ、ここを訪れる観光客を魅了しています。しかし、1957年に発掘作業が中断されて以来、現在もまだ40パーセントほどが地中に埋もれたままの状態だそうです。
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一番奥にある区域が最初に築かれたジェミラで、その手前が2~3世紀に拡張、見学をスタートする地点が4~5世紀の最後に拡張された区域にあたります。
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最初の町がクイクルと呼ばれるように、後々拡張される新市街は上へ上へと築かれたため、眼下に旧市街を望むことになります。山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点もジェミラの特色です。

1つの国で地中海からサハラまで、その広大な面積と土地、民俗を感じられる国はそう多くはありません。是非この機会に足をお運びください。

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2015年07月03日

アルジェリア世界遺産・ムザブの谷

今回は、アルジェリアのオアシス集落「ムザブの谷」についてご紹介させていただきます。

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ムザブの最初の住人は新石器時代まで遡り、この地方には洞穴で暮らす人々が住んでいました。
この最初の住人たちのことはあまり判っていないそうです。ウマイヤ朝の勢力争いに敗れたアラブ人が
北アフリカ一帯をイスラム化して以来、何度もアラブの民族の交替と、その度に覇権争いが起こりました。コ-ランを厳格に解釈した独自の教義に忠実で、イスラム教の清教徒ともいわれるベルベル人の一派のムザブ族は、ムスタム朝の末裔のためにイスラム教の少数派であるイバード派を信仰していたことで9世紀以降に迫害され、長い流浪の末、11世紀初め、ワルグラを経てサハラ砂漠の北部の涸れ谷に安住の地を見出しました。地中海世界から遠く隔たれ、隔絶された世界に閉じこもった人々は、そのままおよそ1000年の間、孤絶したまま、他の民族とも接触をほとんど絶って、隠れて暮らしてきました。
そんな中で岩だらけの不毛の地に井戸を掘り、豪雨の時の鉄砲水から町を守るために城壁を築いて、
高度な地下灌漑システムを開発し、最後の一滴の水まで利用するためにオアシスにパルメリー
(ナツメヤシ畑)を造って水の管理を共同で行いながら生活してきました。ムザブ族が、この地に定住
できたのは、砂漠の下に流れている水脈を見つけ、井戸を掘る技術に優れていたからといわれています。18世紀以降には、ムザブは、ナツメヤシ、塩、象牙、武器、奴隷などを取引していたサハラ交易の
キャラバンの寄留地として重要な土地になりました。歴史上、ムザブには25の町が現れては消えて
いったそうです。そして、現在、ガルダイア、エル・アーティフ、ブー・ヌーラ、メリカ、ベニ・イスゲン、
ベリアン、ゲラーラの7つの町があり、そのうちベリアンとゲラーラを除く5つの町が、1982年に世界文化
遺産に登録されました。

今でもその伝統的な戒律の中で生活する人々。
観光客が入場する入り口には、「人物に対する撮影の禁止」や、「女性は肌を露出させない」などの
注意書きが掲げられています。

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ムザブの谷の旧市街の家屋は、ナツメヤシの木を骨組みとして使い、泥を塗り固めた壁で造られています。そして、土壁にナツメヤシの枝ででこぼこを作り、それによってできた小さな無数の窪みが陰になって屋内の暑さを和らげる仕組みになっているそうです。
細い路地が迷路のように入り組んだ町の構造は、外敵から身を守るというより、隣人に自分の行動を
知られないようにするという邪視(…嫉妬などで悪意の視線を向けられることで不幸になるという民間信仰)を防ぐ目的があるそうです。

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水がすっかり枯れて道路と化した川の中を車が走っているムザブ川は、たまに降る大雨で大洪水を
引き起こし、川沿いの新市街は甚大な被害を受けるそうです。実際、数年前にも大きな大洪水があり、
1メートル50センチ以上も浸水したそうです。旧市街の人々は昔からそんな被害を知っていたので、
大洪水が起きても影響を受けない高さまで、丘の頂上から町を築いていったそうです。
町の周りには、ナツメヤシの木が生い茂っています。

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首都アルジェから600キロ南へ向かった先に、突如現れるオアシス・ムザブの谷。
私達の世界とはかけ離れた、独自の生活を守って暮らすムザブ族の姿がそこにはあります。
彼らの住む、美しい街並みと文化を肌で感じに行ってみませんか。

■関連ツアー
・「アルジェリア探訪

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2014年12月22日

アルジェリア ローマ遺跡訪問 「ベテラン達の園 ティムガッド」

 「アルジェリア探訪」のツアーで訪問する、数あるローマ遺跡の中から今日は、その保存状態の良さから「アフリカのポンペイ」とも呼ばれるティムガッドの遺跡をご紹介します。

 ツアーで宿泊するアルジェリア東部最大の都市・コンスタンティーヌから走ること半日、丁度お昼時にティムガッドに到着します。
 ツアーではいつも、ティムガッドを案内してくれるガイドさんのミサウさんのお宅にお邪魔し、手作りのお昼ご飯をいただきます。
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 【ミサウさん宅でいただいた手作りハンバーグ】
 
 昼食後、いよいよ遺跡へと向かいます。
 ティムガッドは、紀元一世紀にトラヤヌス帝によって建設が始まり、もともとは15000人程の人々が住む植民都市として建設されたのですが、人口が増え続けどんどんと拡張されていった歴史があります。
 
 なぜ人口が増えていったのか?理由は、ティムガッドはローマ軍のベテラン(退役軍人)が退役後に暮す目的で造られたからでした。
 ローマの軍人には、25年の兵役を務めるとローマ市民権が与えられ、厳しい軍隊生活から離れた快適な老後を過ごす権利がありました。そのため、軍事力の強化とともに、退役したベテランも増え、受け入れる街が必要になったのです。
 このティムガッドには、西アジア出身のパルティア人のベテラン達が多く住んだと言われています。パルティア人は、紀元前3世紀にパルティア王国を興しトルクメニスタンからイラン、メソポタミアまで支配した国でした。パルティアン・ショットという戦法を得意とした騎馬民族で、ローマ帝国と対立し8回も戦争をした民族です。パルティアはササン朝ペルシャによって滅ぼされるのですが、生き残った屈強なパルティアの兵士達は、その後の歴史の流れの中でローマ軍で戦うことを選んだのです。
 
 さて現在の遺跡の入口を入ると、拡張された、年代の新しいティムガッドの街から見学が始まります。ここにはキリスト教のバジリカが残り、洗礼槽も残っています。ローマ帝国は紀元311年のミラノ勅令によってキリスト教を受け入れました。ティムガッドが造られ始めてから約100年後のことです。100年も経つと人口は膨れ上がり、新しい居住区が拡張されていったのです。そしてそこに、100年前には受け入れられていなかったキリスト教の建物が建造されたのでした。

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【キリスト教会跡に残る洗礼槽】

 

 遺跡の中心部へとさらに向います。かつてのティムガッドを東西に貫いた道・ディクマヌスの西端に残るのが、巨大なトラヤヌスの凱旋門です。大通りを走った馬車の車輪の轍もはっきりと残っています。


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                 【ティムガッドの残る巨大なトラヤヌスの凱旋門】 

 遺跡をさらに北側に歩くと、かつての市場に入ります。豊穣なティムガッド近郊で採れた作物やワインが並べられていたであろう店の跡が残っています。興味深いのが、何を商っているか分かりやすくするためか、店構えの上部には売っている物が彫刻されて飾られていました。

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【左上:様々な食品が売られていた市場】
【右:お酒の神バッカス像が彫られたワイン屋】
【左下:野菜屋さん?】
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 市場を越えると、ミネルバ、ユノー、ユピテルの3人のギリシャ神を祀った巨大なカピトリーノ神殿に入ります。この辺りは、キリスト教が入る以前の神々が祀らていますので、ティムガッドでも初期の頃に造られた地区であることがわかります。
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              【コリント式の巨大な列柱があったカピトリーノ神殿】

 さらに進むと、どこのローマ都市にもあったローマ浴場が、ここにも残っています。
カピダリウム、フルギタリウム、サニタリウムなどの部屋があるのは他のローマ浴場と同じです。
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       【ローマ浴場跡】                     【浴場の床のモザイクも残っています】

 そして、3500人を収容できた円形劇場からティムガッドの全景を眺めると、かつては巨大な都市であったことが一目瞭然でわかります。
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                   【円形劇場から望むティムガッドの全景】

 人々が集まった広場、フォーラムまで来ると、2000年以上前から残る珍しいものを見ることができます。それは地面に書かれた落書きです。ラテン語で書かれたその意味は、「狩りをし、風呂に入り、ゲームをし、そして笑う。これが人生だ」。

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   【フォーラムに残るラテン語の落書き】              【おしゃれだった公共トイレ】


 現役時代は過酷な軍隊に属して各地を転戦した兵士達の、楽しい老後の生活が凝縮されている言葉だと思います。

 北アフリカに残る数あるローマ遺跡の中でも、その大きさ、保存状態の良さでは三本の指に入ると思われるティムガッド。オーレス山地の麓で、皆様の訪問をお待ちしてます。

関連ツアー
アルジェリア探訪


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2014年03月20日

世界遺産「ティパサ遺跡」と地中海(アルジェリア)

こんにちは。大阪支社の中田です。

今回は、「アルジェリア探訪」で訪れるティパサ遺跡をご紹介させていただきます。

アルジェリアの世界遺産にも登録されているティパサ遺跡は、首都アルジェ郊外の地中海岸沿いに残る
フェニキアとローマ時代の遺跡です。

古代ローマ都市は、南北にカルド通り、東西にデクマヌス通りを敷き、その交差点にローマ神話の最高神
ジュピターを祀る神殿を置きます。そして、その前にフォーラムを造って、フォーラムの周りに議会などの重要な施設を置きます。さらに民衆に欠かせない浴場や劇場、円形闘技場などを配置するのが町作りの特徴でした。

ここ、ティパサ遺跡も基本的な構造は他のローマ遺跡と同様ですが、特筆すべき点は真っ青な地中海とのコントラストの美しさです。

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ティパサは海を見下ろす3つの小さな丘の上に建てられました。家々のほとんどは中央の丘に建てられましたが、その痕跡は残っていません。カルタゴの時代にはすでに海上交通の港として栄えていました。

紀元前146年に終わった、ローマ帝国とカルタゴとの間の地中海の覇権を争ったポエニ戦争で
カルタゴが滅亡した後、地中海世界にあった北アフリカを徐々に属州に組み入れ、ティパサもまた
古代ローマ帝国の植民都市として新たに整備されることになりました。
ユバ2世の治世、マウレタニア・カエサリエンシスの港町として発展を遂げ、第4代皇帝、クラウディウスの
時代には古代ローマの軍事拠点とされた後、市になりました。
全盛期には1万人ほどの人口だったそうです。

この都市の衰退は、他のローマ都市と同じく、5世紀、ゲルマン人の一派だったヴァンダル人の破壊活動によるものでした。
そして、6世紀にはビザンチン、7世紀にはアラブ人がやって来ました。
アラブ人が到着した時には、町は荒廃していたのでティパサ(「荒廃した町」という意味)と呼びましたが、
その様子が気に入らなかったのか、アラブ人たちはこの町には定住しませんでした。

以後、人々の記憶からも消え去り、1856年になってフランスの考古学者によりやっと発掘されました。
しかし、アルジェリアが独立した1962年以降、遺跡の大部分はまだ発掘が行われていないそうです。


この時期は可愛らしい野花が遺跡に彩りを加えていました。

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◆遺跡と春の野花

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◆地中海へと続く列柱通り

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◆富豪の家に施されていたモザイク

弊社の「アルジェリア探訪」11日間コースは、ここ地中海沿岸から、サハラのオアシス都市まで足を延ばす、広大なアルジェリアを十分にお楽しみいただくコースとなっております。この機会に是非、訪れてみて下さい。

関連ツアー
アルジェリア探訪

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2012年07月08日

アルジェリアの隠れた名所ベニ・ハマッド

こんにちわ。アルジェリア大好き、営業の大友です。6月は11日間のツアーへ添乗いたしました。

すでに照りつける太陽がじりじりと肌を焦がす、アルジェリアはすでに真夏のもようです。

昨年8月に南スーダンが分離独立し、それまでスーダンに次いでアフリカ2位の面積だったアルジェリアも現在大陸最大の広さを誇ります。

その広い国土では北の古代ローマ遺跡などの名所旧跡から南のサハラ砂漠などの景観など、北アフリカでも見どころが満載で個人的に大のおすすめです。
その中でも今回は隠れた世界遺産、ベニ・ハマッドの要塞都市にスポットを当てます。

ベニ・ハマッドはアルジェから南東190Kmの高原にあります。1007年、エジプトのファティマ朝から逃れたベルベルの王ブロギンヌがハマッド朝を興し、その要塞都市として建設されました。その後北アフリカを東西に結ぶ内陸の交通の要衝として発展しました。

その当時の宮殿跡で現在姿を残しているのは2つの宮殿とモスク跡のミナレットです。周りを自然の障壁とした山々に囲まれ、現存する水の宮殿にはロイヤルファミリーが小舟を浮かべて遊ぶことのできる、タイル張りの大きなプールを備えていました。また、モスクは当時のベルベル世界で2番目の大きさだったと言われています。今も残る高さ25メートルのレンガ造りのミナレットは、その方形のユニークなデザインが特徴で現在モロッコやチュニジアなど北アフリカの各地のミナレットに影響を与えたと言われています。ハンマド王朝の栄華を誇っていたベニ・ハマッドですが、ファティマ朝から送られた軍勢によって攻め入られ、およそ100年で放棄されてしまいました。

このミナレットは誰でも上ることができ、そのてっぺんから周囲の山がちな地形や当時のモスクの遺構など見渡すことができます。皆さんもアルジェリア高原を渡る風に吹かれて、今は亡き王朝の栄華に思いを寄せてみませんか?

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アルジェリアのほかの世界遺産もとにかくおすすめ!ご興味のある方はこちらをクリック!
10月のツアーが催行決定、9月も確実!どちらも暑さの和らいだいい季節です!

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2011年10月24日

歩かずに訪れるタッシリ・ナジェール国立公園(アルジェリア)

こんにちは。大阪支社の米谷です。
今日はアルジェリア南部に広がるタッシリ・ナジェール国立公園をご紹介します。

アルジェリア南部、リビアとの国境に近い砂漠地帯に聳えるテーブルマウンテンこそがタッシリ・ナジェール山脈です。この山脈の中には今から10,000年前頃から人が住み、その痕跡が壁画や刻画として現在に伝えられています。この壁画や刻画は当時の環境や人々の生活の様子を知る上で非常に重要な資料となっており、かつてはこのあたりに川が流れ、緑豊かな草原が広がり、ライオンやキリン、ゾウなど数多くの野生動物が生息していたことが分かっています。

タッシリナジェール山脈の中には有名な“セファールの白い巨人”“泳ぐ人”などの壁画が残っていますが、これらを見るためには徒歩で卓上台地に登り、5泊6日程のトレッキングをする必要があります。しかし、トレッキングをせずとも様々な壁画や刻画を楽しめる場所が山脈の麓に広がるワディ(枯れ谷)一帯に広がっているのです。今日は「歩かずに訪れるタッシリ・ナジェール」の魅力をお伝えしたいと思います。

タッシリナジェール国立公園の観光の拠点となるのがジャネットの町。青い民と呼ばれるトゥアレグ族が暮らすアルジェリア南東部の中心地です。ここから四輪駆動車に分乗し、国立公園内へと向かいます。走ること1時間もすると左手にタッシリ・ナジェール山脈が異様なまでの迫力でその姿を現し、訪れる人々の気分を高揚させてくれます。

タッシリナジェール山脈
<タッシリ・ナジェール山脈>

公園内の奥地に進むに連れて舗装道路はなくなり、かつては巨大な川であった枯れ谷を走ります。砂漠化により谷底は砂に埋もれ、いたるところに砂丘が形成されています。大昔の侵食によって形成された月世界の様な奇観、雄大な砂丘、その昔、人々が残した原始壁画と様々な魅力がこの国立公園にはつまっているのです。それではタッシリ・ナジェール公園に残る壁画や刻画を紹介してゆきます。

ゾウの刻画                    埋まるキリンの刻画
ゾウの刻画キリンの刻画


座るキリン                     ライオン狩りの壁画
座るキリンの壁画ライオン狩り
最も古い部類のものは刻画が中心で10,000年前頃から8000年前頃に描かれたといわれます。一般的に“古拙時代”と呼ばれています。その後、人々が単独やグループで狩りをするようになると狩猟の様子が描かれる様になりこの時代は“狩猟民の時代”と呼ばれています。

牛の壁画
牛の壁画時が経つと人々は家畜を持ち、放牧を始めるようになりました。紀元前4,000年頃のことです。当時の壁画には家畜として飼われていた牛の群れが数多く描かれ“牛の時代”と呼ばれています。





ガラマンテス人と馬
馬の壁画今から3,000年前頃、サハラ一帯はまだ今ほど乾燥が進んでおらず馬で移動ができたと言われ“馬の時代”と呼ばれています。





その後、ラクダの時代へと入ります。砂漠化した大きな原因は放牧による草が激減したこと、季節風が移動し降雨量が著しく減ったことが原因とされています。その結果、馬では移動が困難になり、ラクダが登場します。紀元前200年頃からと推定されており、“ラクダの時代”と呼ばれています。



フルベ族のアーチの儀式
アーチの儀式

当時この地域に暮らしていた民族を推測するにあたり重要な意味をもつ壁画。現在、西アフリカを中心に暮らすフルベ族(別称:フラニ、プラ)にはアーチをくぐる習慣が残されていることからフルベ族の祖先がこのあたりに住んでいたと推測されています。

最奥の大砂丘ティン・メルズーガ
ティンメルズーガの砂丘

ティンメルズーガ

リビアとの国境に近い一帯にはティン・メルズーガと呼ばれる雄大な砂丘地帯が広がっています。夕方、キャンプに到着すると、日没前に砂丘登りを楽しむことができます。日が傾く時間帯は砂丘の明暗がくっきりとし、砂は赤く染まる、一日で一番美しいマジックアワーなのです。砂丘の上からは月世界を思わせる様な絶景が広がっています。夕日が沈むにつれ、色を変える砂丘や奇岩。大自然の中でのある意味なんとも贅沢なひと時と言えるでしょう。

夏場は非常に暑いこの地域。訪れるベストシーズンは11月から2月の秋から冬にかけてで、これからいよいよベストシーズンに突入してゆきます。今年の冬のご旅行の候補にひとつお加えいただけたら幸いです。

歩かずにタッシリ・ナジェール国立公園を訪れるツアーはこちら
・アルホッガー・アセクレム高原とタッシリ・ナジェール
・アルジェリア世界遺産紀行


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