西アフリカ

2016年11月02日

知られざる島国 カーボヴェエルデ ~世界遺産シダーデ・ヴェーリャ

 大阪支社 高橋です。

 ようやく秋らしい気候となり、東北地方では紅葉の風景が見られるというニュースを目にしました。私の住む関西地方では、紅葉はまだまだといった様子ですが、今シーズンはどこで紅葉を楽しもうか、現在検討中です。今日との嵐山あたりをのんびり散策しながら、紅葉を楽しむのも良いかもしれません。

 今回は、アフリカのセネガル沖約600kmの海上に浮かぶ島国カーボヴェルデについてご紹介します。
 
 大小15の火山群島で構成されている、アフリカ最西端の島国・カーボヴェルデ。
 島それぞれに特徴があり、いまだ火山活動を続けるフォゴ島、緑豊かな山岳風景の広がるサント・アンタン島、文化の中心サン・ヴィセンテ島など、島ごとに異なる風土を体感いただけます。

 アフリカ最西端の島国・カーボヴェルデを構成する島々の中に、「サンチャゴ島」があります。

 ここサンチャゴ島において、観光のメインとなるのが、サンチャゴ島の盛衰を今に伝える歴史地区として、世界遺産に登録されている「シダーデ・ヴェーリャ」です。

 シダーデ・ヴェーリャは、首都プライアから15kmのところに位置しており、都市名は「古い都市」を意味します。カーボヴェルデ・クレオール語では単に「シダディ」(Sidadi)とも呼ばれています。

 アフリカ北西岸の沖合にあり、市の中心部は「熱帯地方で最初のヨーロッパ人の入植地」であります。
 サンチャゴ島が発見されたのち、1462年にアントニオ・ダ・ノリ(António da Noli)によってこの町は「リベイラ・グランデ」(ポルトガル語で「大河」の意味)と名付けられました。
 その後、1466年にシダーデ・ヴェーリャは、ギニアビサウやシエラレオネからブラジルやカリブ海地域へ奴隷を輸出する重要な貿易港となり、その結果、シダーデ・ヴェーリャはポルトガル入植地のなかで2番目に豊かな都市になったのです。

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【大西洋とシダーデ・ヴェーリャの街並みを一望】


 1572年までに、リベイラ・グランデの街には約1500人の人々が生活するまでになりましたが、その多くは谷の上までプランテーションを広げるための奴隷たちだったと言われています。谷の上方までオレンジ、レモン、ザクロ、イチジク、ヤシの木などで生い茂っていたそうです。

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【バナナ・プランテーションが広がる渓谷の展望】


 市内を一望できる「サン・フィリペ要塞」は1590年に建造されました。
 その目的は、(ポルトガルの)植民地をイギリスやフランスの手から、また度重なる海賊の侵入・破壊からリベイラ・グランデの街を守ることにありました。
 海賊たちの度重なる侵入、破壊、略奪により、要塞内で現存するのは「貯水タンク」のみでした。
 この貯水タンクは、雨水が水路を通り、小窓から地下のタンクに貯められる構造であり、また、動物の皮で作った袋を利用し、渓谷から水を運んでいたという話もあります。
 これらの作業は、想像するだけでも大変な仕事、奴隷貿易の重要な拠点として栄えた都市であったことを考えると、それらの仕事は奴隷がおこなっていたのであろうことが想像できます。

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【現存する貯水タンク】

 要塞内には、当時は武器庫、兵舎、礼拝堂さらには監獄までが建ち並んでいたとの事ですが、破壊され地中に埋もれてしまったとの事でした。

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【サン・フェリペ要塞】


 海岸線側の方へ足を延ばすと、いくつかの大砲も残されています。
 これらの大砲は、海より侵入・攻撃してくる海賊から、イギリスやフランスから、ポルトガル人入植地を守るために設置されていたというのは安易に想像がつくかと思います。

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【「海側」に向いた大砲】


 これらの「大砲の向き」について、現地ガイドさんから興味深い話をしていただきました。

 1585年、イギリスの海賊サー・フランシス・ドレイクは25隻の船、2300人の船員たちという大海賊団を組んでサンティアゴ島に到着し、リベイラ・グランデ(現在のシダーデ・ヴェーリャ)を略奪したという歴史があります。
 ドレイクの船団はこのリベイラ・グランデに2度上陸し、攻略した後にサン・フェリペ要塞までの山路を登って到達、攻め落としたとされており、その後に要塞の大砲は海側に向けられました。

 その後、1712年にジャック・カサール(Jacques Cassard)率いるフランス軍の船団が侵入してきた際、フランス軍はプライアの港に船を隠し、陸路でシダーデ・ヴェーリャに進軍し、背後(山側)から要塞を襲撃しました。
 その後、村へと下り略奪を行ったとされ、その後に要塞の大砲が山側に向けられたということでした。

 このような興味深いシターデ・ヴェーリャのサン・フェリペ要塞の見学を終えた後、海沿いに広がる「シダーデ・ヴェーリャの街の散策」もお楽しみいただきます。
 街の見どころは、また後日お伝えいたします。

 熱帯地域に初めて建設されたヨーロッパ入植地の姿を伝えるだけでなく、奴隷貿易の重要な拠点として複数の大陸の歴史にとって重要な役割も果たしたシターデ・ヴェーリャに興味を持たれた方、また、その他の島々の異なる風土を体感されたい方は、是非西遊旅行へご一報ください。

 次回は「シダーデ・ヴェーリャの街の散策」のみどころをご紹介いたします。

 つづく・・・。

■「世界遺産シダーデ・ヴェーリャ」へ訪れるツアー
 アフリカ最西端の島国 カーボヴェルデ
 ~知られざる島国・カーボヴェルデの自然と歴史を知る旅
 ①01月21日(土) ~ 01月30日(月) 10日間 ※まもなく催行
 ②02月18日(土) ~ 02月27日(月) 10日間 ※ご集中























 
 

takahashi_saiyu at 17:00|Permalink

2015年09月02日

火山諸島カーボヴェルデ 緑の島サント・アントンを歩く

アフリカ大陸北西の沖合いにある島国、カーボヴェルデをご紹介します。

セネガルのベルデ岬の沖合い約600㎞の大西洋上に散在する大小15の島からなります。すべての島々は海底下にある熱いマグマ溜まりに起因する火山活動によって形成されてきました。時々これらのマグマ溜まりは海から上昇し、火山の噴火を引き起こし、その結果、新たな島を造りだしました。ソタベント(風下)諸島にあるフォゴ島がその中でも一番若く、10万年前に形成された最新作です。アフリカンプレートの上に位置する火山帯ですが地震は全くありません。

たくさんの見所がありますが、北部のバルラベント(風上)諸島にある、緑の島として知られるサントアンタン島をとりあげます。

二つの島はわずか15kmの海峡を挟んで向かい合っており、サン・ヴィセンテから先に浮かぶサント・アンタン島の1000m以上ある山容はさすがに群を抜いて海上に突き出ています。北西貿易風に乗って、大西洋を渡ってきた湿った雲はこの1000mの山にぶつかり西側の斜面に雨を降らすため、緑溢れる景観となりますが、東側の斜面、及びさらに東に位置するサン・ヴィセンテは乾燥した気候となるといいます。

弓状に湾曲したサン・ヴィセンテのミンデロ港ははるか昔の巨大なクレーターの跡です。

サント・アンタンの港町ポルト・ノボから山の頂上まで車で進んでいくと、直径500mのクレーターが見えてきます。その淵ではガスが発生しては風で飛ばされ晴れ間が覗くという、天候が目まぐるしく変わっていき、幻想的な世界が広がります。
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霧が晴れてくるとクレーター内に集落が形成されているのがよくわかります。牛が放牧され、サトウキビやトウモロコシの畑の世話をしている人が見えます。村の入り口まで散策すると水汲みにクレーターの途中まで集落から上がっていたロバの群れも下りてきました。
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クレーターから北側へと下り始めると、深く伸びるリベイラトーレ(タワー渓谷)と、崖に張り付くように斜面にある集落を見渡せます。この尾根上で、360度の渓谷美を見ることができ、この道を通るだけでこのサントアンタン島にきたかいがあると言いきってもよさそうな、素晴らしい景色です。
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グローグ(ラム酒)の製造元を見学。トイレもこちらで借りる。かつて牛馬に引かせていた木製の絞り機は効率の良い機械に取って代わられ、糖蜜を煮込んで蒸留するのも機械になっている。試飲もできる。5年寝かせたダークのものが700エスクード、糖蜜、また糖蜜とグローグを混ぜた少し甘みのあるお酒ポンチなども販売している。
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緑溢れるサント・アンタンの北から東側にかけて、ハイキングを楽しみました。サトウキビやキャッサバ、コーヒーといったプランテーションの中や、集落の間を抜けて行きます。プランテーション畑と、マンゴーやパンノキなどの木々が谷を埋め尽くす緑の中を、対岸の岩肌に張り付くように建つ集落を見ながらのハイキング。そこそこ歩きがいもあり良いコースでした。
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ジャネラ灯台の近くにあるミステリアスな岩には、十字架や、解読不可能な文字がたくさん彫られています。15世紀にポルトガル人が上陸した地や、彼らの進んだ道に名前や十字架を残すように、ここも1460年代のディエゴ・ゴメスの一団、もしくは1480年代のディエゴ・カオンの一団と見られていますが、その文字は現代ポルトガル語やアラビア語、ヘブライ語、ベルベル語とはまったく違い、アラム語やフェニキア語、ポルトガル古語などではないかと言われています。また一説によるとポルトガル人達よりもさらに先に到達した中国人によるものではないかとも言われているそうです。
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石段を10分弱登ると灯台までたどりつけます。現在は太陽光発電で動いているこの灯台から、島の北東部海岸線が見渡せ、サン・ヴィセンテ、またバルラベント諸島のほかの島々までも天気が良ければ見えそうです。
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渓谷の中の村で手作りのジャムを売っていた少女。カーボヴェルデにはアフリカ系とヨーロッパ系の混血であるクレオールと呼ばれるこうした人々が多く暮らします。
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西遊旅行で知られざる西アフリカの島国・カーボヴェルデへ!ツアーの詳細はこちらから。
西遊旅行 4つの島々を訪問、カーボヴェルデのツアーページへ

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2012年10月17日

アシャンティ王国の栄枯盛衰(ガーナ)

ギニア湾岸沿いの首都アクラから内陸に270km移動した先に、アシャンティ州の州都であるクマシの街はあります。人口およそ150万人で、17世紀から19世紀にかけてこの地方を支配したアシャンティ王国の古都でもあります。



アシャンティの伝統的な建築方法で建てられた神殿を見学すると、ヤシの茅葺で作る傾斜の屋根をもつ神殿の多くはイギリスとの戦いでそのほとんどが失われてしまったようですが、独特の建築のいくつかはは1950年代以降修復が行われユネスコ世界遺産に登録されています。構造は正方形の中庭を取り囲むように両端が竹のせいの壁でつなげられた4棟の建物からできており、壁の装飾は様々なレリーフからなり、うずまきや鳥、カメレオンやヘビなどそれぞれに象徴しているものがあります。天から降る雨は神からの霊力が宿るとされツボに集められ祈祷に用いられたそうです。

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《左:世界遺産に登録されたアシャンティの伝統建築の神殿》 《右:神官の占いを待つ人々》



郊外にある、ケンタ織りの工房のあるボンウィレ村へ。村の男性が機織りを行っていました。代々王族に献上されたケンテ織りは現在ヨーロッパでも人気を博しています。工房さまざまなパターンの織物を見ることが出来ます。


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《カラフルなケンテ織りを作成している男性》

クマシ市内に戻り昼食。甘くない品種のプランテンバナナと牛肉のほうれん草ソースがけを召し上がってもらいました。ここもたっぷりの量でしたがとても美味でした。


 
アシャンティの王族が現在もくらすマンヒヤ王宮を訪ねました。

【アシャンティ王国について】
アシャンティ族は17世紀末にクマシの首長にオセイトゥトゥ1世が即位し連合王国を築きました。18世紀末までにこの地方の森林地帯を支配し、海岸に奴隷と金などを送り、銃を得る交易を独占することに成功します。沿岸地方にまで進んだ王国に対してイギリスは遠征隊を送りクマシを破壊します。ヴィクトリア女王の命令によりホジソン提督は有名な「黄金のスツール(床几)」を引き渡すよう要求します。この要求に対してプレムペ1世は民衆とともに蜂起し最終戦争を仕掛けます。イギリス軍は王朝に入場しスツールを発見できなかったことに失望しそれに火を放ちました。その後イギリスは首長をセーシャルに追放しました。1931年にプレムペー1世が戻ると不思議とスツールは再び姿を現したと言います。
 

3代の王が王宮として使用していた博物館を見学しました。王の蝋人形やレトロな冷蔵庫、執務室、各国からのプレゼントなどが展示されていました。アシャンティ王家は女系の集団で、父から息子に継承するのではなく、王の母を通じてその親族関係の優位である男子が王位を継承します。この日は週2回行われる民の前に姿を現す日で、現在16代目であるオセイトゥトゥ2世を偶然王宮前広場で拝むことができました。新しい地方長官や地元のサッカークラブのコーチの就任報告が王の前で行われていたようです。

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《左:王宮前広場に現れたアシャンティ王族の末裔》 《右:王にささげる動物などを持ち寄る人々》

 
別の地方長官にも会い、一緒に写真を撮らせてもらうこともできました。その後西アフリカ最大と言われる市場を隣接する建物の上から望みました。ガーナだけでなく周辺の国々からも知り合いなどを頼って市場を訪れるそうです。現在でも人々から尊敬の念を集める首長や、にぎわう市場は当時繁栄していた王国の様子を垣間見た気がしました。

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《左:従者を従えた地方長官》 《右:にぎわう巨大な市場》


西遊旅行でゆくガーナ、トーゴ、ベナン、ナイジェリアの旅はこちら
西アフリカ湾岸4ヶ国横断
2012年12月24日発コース 催行決定 残席僅かです!

otomo_saiyu at 21:26|Permalink