奴隷貿易

2012年10月17日

アシャンティ王国の栄枯盛衰(ガーナ)

ギニア湾岸沿いの首都アクラから内陸に270km移動した先に、アシャンティ州の州都であるクマシの街はあります。人口およそ150万人で、17世紀から19世紀にかけてこの地方を支配したアシャンティ王国の古都でもあります。



アシャンティの伝統的な建築方法で建てられた神殿を見学すると、ヤシの茅葺で作る傾斜の屋根をもつ神殿の多くはイギリスとの戦いでそのほとんどが失われてしまったようですが、独特の建築のいくつかはは1950年代以降修復が行われユネスコ世界遺産に登録されています。構造は正方形の中庭を取り囲むように両端が竹のせいの壁でつなげられた4棟の建物からできており、壁の装飾は様々なレリーフからなり、うずまきや鳥、カメレオンやヘビなどそれぞれに象徴しているものがあります。天から降る雨は神からの霊力が宿るとされツボに集められ祈祷に用いられたそうです。

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《左:世界遺産に登録されたアシャンティの伝統建築の神殿》 《右:神官の占いを待つ人々》



郊外にある、ケンタ織りの工房のあるボンウィレ村へ。村の男性が機織りを行っていました。代々王族に献上されたケンテ織りは現在ヨーロッパでも人気を博しています。工房さまざまなパターンの織物を見ることが出来ます。


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《カラフルなケンテ織りを作成している男性》

クマシ市内に戻り昼食。甘くない品種のプランテンバナナと牛肉のほうれん草ソースがけを召し上がってもらいました。ここもたっぷりの量でしたがとても美味でした。


 
アシャンティの王族が現在もくらすマンヒヤ王宮を訪ねました。

【アシャンティ王国について】
アシャンティ族は17世紀末にクマシの首長にオセイトゥトゥ1世が即位し連合王国を築きました。18世紀末までにこの地方の森林地帯を支配し、海岸に奴隷と金などを送り、銃を得る交易を独占することに成功します。沿岸地方にまで進んだ王国に対してイギリスは遠征隊を送りクマシを破壊します。ヴィクトリア女王の命令によりホジソン提督は有名な「黄金のスツール(床几)」を引き渡すよう要求します。この要求に対してプレムペ1世は民衆とともに蜂起し最終戦争を仕掛けます。イギリス軍は王朝に入場しスツールを発見できなかったことに失望しそれに火を放ちました。その後イギリスは首長をセーシャルに追放しました。1931年にプレムペー1世が戻ると不思議とスツールは再び姿を現したと言います。
 

3代の王が王宮として使用していた博物館を見学しました。王の蝋人形やレトロな冷蔵庫、執務室、各国からのプレゼントなどが展示されていました。アシャンティ王家は女系の集団で、父から息子に継承するのではなく、王の母を通じてその親族関係の優位である男子が王位を継承します。この日は週2回行われる民の前に姿を現す日で、現在16代目であるオセイトゥトゥ2世を偶然王宮前広場で拝むことができました。新しい地方長官や地元のサッカークラブのコーチの就任報告が王の前で行われていたようです。

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《左:王宮前広場に現れたアシャンティ王族の末裔》 《右:王にささげる動物などを持ち寄る人々》

 
別の地方長官にも会い、一緒に写真を撮らせてもらうこともできました。その後西アフリカ最大と言われる市場を隣接する建物の上から望みました。ガーナだけでなく周辺の国々からも知り合いなどを頼って市場を訪れるそうです。現在でも人々から尊敬の念を集める首長や、にぎわう市場は当時繁栄していた王国の様子を垣間見た気がしました。

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《左:従者を従えた地方長官》 《右:にぎわう巨大な市場》


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