地中海沿岸

2015年12月14日

3月「アルジェリア探訪」追加設定発表!

アフリカ大陸最大で、世界でも第10位の面積を持つ広大な国アルジェリア。
地中海の花のシーズンに合わせて3月出発の「アルジェリア探訪」ですが、多くのお客様からお申込みをいただき、さらに追加設定を発表させていただくことが決まりましたのでご案内いたします。

■3月17日(木)出発
 「アルジェリア探訪 追加設定」 ※エミレーツ航空利用

15名様限定コースとなっておりますので、この機会に是非、お早めにお申し込みください。

今回はツアーでも訪れるジェミラ遺跡についてご紹介させていただきます。
DSCF7145

古代ローマ人は北アフリカを征服した後、先住民だったベルベル人の反乱に悩まされ、山地のベルベル人を抑えるため、第12代皇帝、ネルヴァの治世、2つの川に挟まれた標高850メートルの地にジェミラは建設されました。当初はベルベル人の侵入を阻止するために築かれたローマ軍の兵士たちの居住地でしたが、次第に市場町として大きく栄え、ローマ植民都市に昇格しました。そして、2~3世紀のセウェルス朝時代に最盛期を迎えました。4~5世紀には退役兵や定住者が増えたため、町は南に拡張されました。最大1万5000人が暮らしていたといわれています。当時は、ラテン語で「丘の麓」という意味のクイクルと呼ばれていました。広大な穀倉地帯で、穀物やオリーブなどの農作物によって町は支えられ、交通の要所だったために町は栄えました。
しかし、5世紀にティパサ同様、ヴァンダル人によって町が破壊された後、一時はビザンチン帝国時代に復興されましたが長くは続かず、6世紀末には廃墟と化してしまいました。
ジェミラはアラビア語で「美しい」という意味だそうですが、古代ローマ帝国滅亡後の7世紀にやって来たアラブ人たちが、肥沃で緑豊かなこの地を見て名づけたといわれています。
DSCF7141

1839年にフランスの考古学者が発掘するまでの間、交通の不便さも手伝って、盗掘や破壊などに遭わず、古代ローマ時代の遺跡が良好な保存状態で現存していることから、1982年に世界文化遺産に登録されました。
そして、現在では、アルジェリアでもっとも美しい遺跡とされ、ここを訪れる観光客を魅了しています。しかし、1957年に発掘作業が中断されて以来、現在もまだ40パーセントほどが地中に埋もれたままの状態だそうです。
DSCF7142

一番奥にある区域が最初に築かれたジェミラで、その手前が2~3世紀に拡張、見学をスタートする地点が4~5世紀の最後に拡張された区域にあたります。
DSCF7139

最初の町がクイクルと呼ばれるように、後々拡張される新市街は上へ上へと築かれたため、眼下に旧市街を望むことになります。山の地形に合わせてローマ建築が持ち込まれた点もジェミラの特色です。

1つの国で地中海からサハラまで、その広大な面積と土地、民俗を感じられる国はそう多くはありません。是非この機会に足をお運びください。

nakata_saiyu at 11:19|Permalink

2014年03月20日

世界遺産「ティパサ遺跡」と地中海(アルジェリア)

こんにちは。大阪支社の中田です。

今回は、「アルジェリア探訪」で訪れるティパサ遺跡をご紹介させていただきます。

アルジェリアの世界遺産にも登録されているティパサ遺跡は、首都アルジェ郊外の地中海岸沿いに残る
フェニキアとローマ時代の遺跡です。

古代ローマ都市は、南北にカルド通り、東西にデクマヌス通りを敷き、その交差点にローマ神話の最高神
ジュピターを祀る神殿を置きます。そして、その前にフォーラムを造って、フォーラムの周りに議会などの重要な施設を置きます。さらに民衆に欠かせない浴場や劇場、円形闘技場などを配置するのが町作りの特徴でした。

ここ、ティパサ遺跡も基本的な構造は他のローマ遺跡と同様ですが、特筆すべき点は真っ青な地中海とのコントラストの美しさです。

DSCF7118


ティパサは海を見下ろす3つの小さな丘の上に建てられました。家々のほとんどは中央の丘に建てられましたが、その痕跡は残っていません。カルタゴの時代にはすでに海上交通の港として栄えていました。

紀元前146年に終わった、ローマ帝国とカルタゴとの間の地中海の覇権を争ったポエニ戦争で
カルタゴが滅亡した後、地中海世界にあった北アフリカを徐々に属州に組み入れ、ティパサもまた
古代ローマ帝国の植民都市として新たに整備されることになりました。
ユバ2世の治世、マウレタニア・カエサリエンシスの港町として発展を遂げ、第4代皇帝、クラウディウスの
時代には古代ローマの軍事拠点とされた後、市になりました。
全盛期には1万人ほどの人口だったそうです。

この都市の衰退は、他のローマ都市と同じく、5世紀、ゲルマン人の一派だったヴァンダル人の破壊活動によるものでした。
そして、6世紀にはビザンチン、7世紀にはアラブ人がやって来ました。
アラブ人が到着した時には、町は荒廃していたのでティパサ(「荒廃した町」という意味)と呼びましたが、
その様子が気に入らなかったのか、アラブ人たちはこの町には定住しませんでした。

以後、人々の記憶からも消え去り、1856年になってフランスの考古学者によりやっと発掘されました。
しかし、アルジェリアが独立した1962年以降、遺跡の大部分はまだ発掘が行われていないそうです。


この時期は可愛らしい野花が遺跡に彩りを加えていました。

DSCF7104

◆遺跡と春の野花

DSCF7103

◆地中海へと続く列柱通り

DSCF7105

◆富豪の家に施されていたモザイク

弊社の「アルジェリア探訪」11日間コースは、ここ地中海沿岸から、サハラのオアシス都市まで足を延ばす、広大なアルジェリアを十分にお楽しみいただくコースとなっております。この機会に是非、訪れてみて下さい。

関連ツアー
アルジェリア探訪

nakata_saiyu at 21:33|Permalink

2012年11月11日

白と青の町シディ・ブ・サイド(チュニジア)

こんにちは。東京本社の廣野です。
白い壁に真っ青な扉や窓がとても綺麗なこの町は、チュニジアのシディ・ブ・サイドという町です。
チュニジアの国際空港からバスで約30分。西遊旅行の「チュニジア周遊」のコースで、まず初めに皆さんをお連れする町でもあります。

シディブサイド  シディブサイド2



画像 009地中海に面したこの町は、古代ローマ時代にはその帝国領地でした。
時が経って11世紀ごろには、イスラーム王朝のムラービト朝が、この町のある高台を
防衛のための見張り場にしていました。
現在のシディ・ブ・サイドは、裕福な人々が邸宅をかまえる住宅地となっています。

町を歩いてみると、鮮やかな青い扉に、黒い鋲で模様が描かれているのを目にします。これらは単なる装飾というわけではなく、お守りの意味も込められているのです。


画像 006地中海沿岸一帯には、「邪視信仰」というものが、宗教の垣根を越えて、古代ギリシア・ローマ時代から見受けられます。妬みや羨望などの感情をもって人や動物を見ることで、見られた人や動物にわざわいや不幸がもたらされてしまうという信仰です。例えば、羨望の感情とともに見つめられた可愛い子どもが急に病気になったり、誰かが持っている高価なものが壊れてしまうことが、邪視のせいだとされています。
しかしこのような邪悪な視線というものは、先天的に誰もが持つものであり、罰せられる対象となるような悪いものだとは考えられていません。


この邪視に対するお守りとして、キーホルダーやアクセサリーを身につける人も多くいます。
トルコのお土産なんかで、青い目玉のキーホルダーをよく目にしませんか?あれも邪視信仰に対するものです。
邪悪な視線を発する両目へ対抗するものとして、三日月や星、トウガラシなどのとがったものがモチーフとして使われます。「目には目を」ということで、目玉をモチーフにしたものや、またとがった尾をもつ魚のモチーフなんかもあります。

そして、この青い扉にも、邪視に対抗するモチーフが黒い鋲で描かれているのです。
家の中にわざわいがもたらされることのないように、扉にお守りのモチーフを施してあるのです。
扉によってデザインは様々。どんなものが描かれているのかを観察しながら歩いてみると、このシディ・ブ・サイドの観光がより楽しくなるのではと思います。

カフェでは、シディ・ブ・サイド名物の松の実ティーをご賞味ください。
暑いときには、レモンジュースもおすすめです。

この年末12月25日発の「チュニジア周遊」のコースは、おかげさまで催行決定
しております。
残席もまだございますので、興味をお持ちの方はお早目にこちらへ
お申込みお待ちしております。

RIMG2298


hirono_saiyu at 10:00|Permalink