アクスム

2015年10月14日

失われたアークはどこにあるのか?

旧約聖書の出エジプト記で描かれる預言者モーセがシナイ山で神より授かったとされる十戒を記した石版。そのすさまじい力を抑えるため、アカシヤで造られ、金箔で内側、外側を覆われた箱に保管されたと言われています。この箱は契約の箱・アークと呼ばれました。モーセがエルサレムにたどり着く前にネボ山で亡くなった後も、ヨシュアをはじめとする人々がエルサレムへと入り、ユダヤの町を築きました。その後、長きにわたってエルサレムで保管されていたこのアーク。ソロモン王の支配のもとに造られたエルサレム神殿、その中の聖室にアークは納められたとされています。旧約聖書によると1年に1回司祭がこのアークを外に運び出したそうです。しかし紀元前900年以降、アークは突然姿を消すことになります。旧約聖書におけるアークに関する最後の記述はヒゼキヤ王の統治時代ですが、この後、アークがどうなったのかという事については触れられていません。

嘆きの壁 (18)
現在のエルサレムに残る神殿の丘と嘆きの壁

このアークが今どこにあるのか?学者の間でも正確な事は分かっておらず、様々な説が存在します。今日はエチオピア正教で信じされている節”エチオピアの古都アクスム説”をご紹介します。様々な説がありますが、下記はアクスムのガイドの説明によるものです。

紀元前10世紀頃、イエメンを支配していたシバ王国の領土はエチオピア北部にも及んでいました。このシバ王国の女王(一部ではビルキスと呼ばれる)は、当時イスラエルを支配したソロモン王との間に子供を身籠り、アクスムへ向かう道中で出産したとされています。この子供はメネリク1世と名付けられ、後にアクスム王国を支配する偉大な王となりました。メネリク1世が成人となった時、シバの女王は彼に父親はエルサレムのソロモン王であることを告げました。それを知ったメネリク1世はエルサレムへと向かい、父親であるソロモン王と対面したのです。

■シバの女王の宮殿
アクスムに残るシバの女王の宮殿跡

エチオピア説によると、アークはメネリク1世がエチオピアへ戻る際にアクスムへと運ばれたと信じられています。その過程にについても諸説あり、父親であるソロモン王が息子に託したという話や、アークを管理していた司祭が夢の中でアークはメネリク1世と共にエチオピアに行くべきであるというお告げを聞き、メネリク1世にも知ららされることなく、ひそかに運ばれたという説もあります。

とにかくエチオピア正教ではアクスムのシオンの聖マリア教会に保管されていると信じられています。現在はシオンの聖マリア教会のすぐ横にある別の建物に保管されているそうですが、5月の時点ではすぐ横に新しい建物を建設していました。完成すればこちらに移されるのだとか。

■古いシオンの聖マリア教会外観
現在のシオンの聖マリア教会外観

■契約の箱が保管される場所
本物の契約の箱(アーク)が保管されていると言われる建物

シオンの聖マリア教会はこれまで何度か再建されてきました。もともと4 世紀にイザナ王がキリスト教の教会を建設しました。最初に造られた教会はエチオピアで最初の教会であると同時に、サブサハラで最古の教会でもあったのです。

■4世紀の教会跡
4世紀に建てられた教会の跡

9 世紀にヨディトグディトによってアクスム王国が滅ぼされた際に、この教会も破壊されました。その時、保管されていたアークは事前に司祭たちによって運びだされ、違う場所で保管されたといいます。その後、再び教会が建てられましたが、16 世紀にイスラム教徒によってふたたび破壊されました。その時は教会内の貴重な品々はタナ湖にある修道院に運び込まれたそうです。現在の教会は17 世紀にファシラダス王によって建設されたものです。教会内部は女人禁制となっており、男性のみしか入場することができません。

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (1)
教会内部の壁画

■古いシオンの聖マリア教会内部の壁画 (2)
16 世紀まではキリストやマリアも白い肌で描かれていましたが、以後黒い肌で描かれるようになりました。

■天使ミカエルとラファエル
天使ミカエルとラファエルの壁画が描かれたドア。

女性もお祈りができるようにと造られたのがすぐ横にある新しい教会。こちらは男女共に入場が可能です。中には500年前に書かれた非常に古い聖書をご覧いただくことができます。1965 年、ハイレ・セラシエ皇帝の奥さんによって建設されました。

■新しいシオンの聖マリア教会 (4)
新しい教会内部に保管される500年前の聖書

エチオピアではこの契約の箱アークの事をタボットと呼びます。エチオピアの各教会にはこのタボットのレプリカが保管され、毎年1月に行われるティムカット祭の時には全てのレプリカが司祭によって祭り会場に運ばれ、掲げられます。しかし、シオンの聖マリア教会に保管されているとされるオリジナルは一切外にでることはありません。

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ティムカット祭の様子。タボットのレプリカを持って司祭が集まる。

失われた契約の箱・アークがどこにあるのか?本当の所は誰も分かりませんが、その一つの説を信じてエチオピアを訪れてみるのも面白いのではないでしょうか?

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2015年09月24日

謎の王国・アクスム(エチオピア)

アクスムの考古遺跡は全体の5%程しか発掘されておらず、そのほとんどはまだ地下に埋まったままです。アクスムは現在のイエメンに当たる南アラビアから紅海を越えてきたセム語系のサバ(シェバ)人が中心になって建国されたと考えられています。3,000 年以上の歴史を持ち、エジプト、ローマ、ペルシャ、中国、インドと並ぶ古代文明を持った町のひとつなのです。しかし、発掘調査が及んでいない部分が多いため調査が十分に行われておらず、古代アクスムについては不明な点が非常にに多く残っています。
■DSC_600
アクスムのシンボル・オベリスク

中でも町のシンボルとなっているのが巨大な石柱の並ぶ広場オベリスクフィールドです。このオベリスクがどのような理由で造られたのかはっきりとしたことは分かっていませんが、権力者の墓石であったのではないかと推測されています。

■倒れた巨大なオベリスク
■DSC6012


最大のオベリスクは高さ33m、重さ520 トンにも及びます。しかしながらこのオベリスクは既に倒れてしまっています。もともと巨大な1 枚の花崗岩を切りだして造られ、最初に切り出された一枚岩の重さは1000 トンに及んだと推測されています。倒れた理由に関しては諸説あり、

①地中に埋める部分が少なすぎて重さを支えきれなくなった。
②地震によって倒れた。
③地殻変動など地面の変化によって倒れた。
④950 年アクスムがクシ系のアガウ族の女族長ヨディトグディトによって滅ぼされた際、オベリスクも倒された。

などが挙げられます。

■壊れたお墓
大きなきな一枚岩の屋根を持つ墓はロイヤルファミリーの墓と考えられています。巨大な石の屋根は多くの石柱によって支えられていましたが、巨大なオベリスクがその上に倒れた事により壊れてしまったと考えられています。
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オベリスクの倒壊によって壊れた墓

■地下墳墓
1993 年にデービッド・フィリップスというイギリスの考古学者が発掘。ほとんどの財宝は盗まれていたが3 世紀のアクスムのコインが見つかっています。アクスム王国は独自の硬貨を持ったアフリカで最初の国で、エンドゥビス王からアルマー 王に至る治世の間(270 年から670 年まで)同時代のローマの通貨を模倣した金貨や銀貨や銅貨が鋳造されていたと言われています。
■地下に残るお墓DSC_6018


■ラムハイ王の地下墳墓 4 世紀〜5 世紀頃の王様
偽物のドアを彫り込んだ墓石。地下には棺を納めた部屋とその横には宝物を保存した部屋。棺は未完成のままであった。墓を成す巨大な石組はインカ文明を彷彿とされるような技術が使用されています。
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偽物のドアを彫り込んだ墓石

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石の大きさを測るのに利用したと考えられているものさし

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鉄を使って石と石をつないでいた高度な技術を今もみることができます。

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地下には棺を納める部屋が残っています。

■放棄された巨大な石
切り場はアクスムから5km ほど離れた所にあったとされています。そこで切り出された巨大な岩は象などを使って運ばれ、こちらで彫刻されたと考えられています。中には左の写真の様に、途中で放棄されたオベリスクも見ることができます。
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■高さ26m のオベリスク
現在立っているオベリスクとしては最大のもの。1937 年にムッソリーニに率いるイタリア軍が三分割してイタリアへ持ち去り、長い間ローマに聳えていました。このオベリスクがアクスム王国最盛期の技術の高さを証明するもののひとつであることは明白です。1947 年に国連はオベリスクがエチオピアに返還されるべきであると決議しました。しかし、イタリアは承諾せず、両国政府の長い外交交渉の末に、2005 年にようやく返還されました。ロシアの飛行機で3 回に分けて運ばれたそうです。オベリスクには窓やドアの様な模様が彫刻されており、イエメンの建築によく似ていると言われています。すぐ横には高さ24mのオベリスクがありますが、26m のオベリスクを建てる際にこちらのオベリスクが倒れない様に現在の様な補助装置をつけたのです。26m のオベリスクが2005 年に戻ってくるまでは、アクスムで最大のオベリスクでした。

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イタリアより戻ってきた最大のオベリスク

紀元前3,000年頃からと言われる長き歴史を誇るアクスム。まだまだ発掘が進んでいないことから、その地名どはエジプトやローマ、ペルシャなどには及びませんが、素晴らしい遺跡が残っています。アクスムのあるエチオピア北部のアビシニア高原は11月~3月頃までの間雨の少ない乾季のベストシーズンを迎えます。2016年11月11日発「北部エチオピア アビシニア高原周遊の旅 10日間」コースも催行決定しましたので、是非ご検討下さい。

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