Mariko SAWADA 

2014年12月05日

MOPTI - マリのモプティ  ニジェール川交易の町と港

マリ モプティ ニジェール川 (6)

マリのニジェール川とバニ川の合流地点にある町、モプティ。
かつて「ジェンネ」と「トンブクトゥ」の2つの都市をつなぐ重要な港としてフランス植民地時代に発展した町で、現在ではマリ第2の都市となりました。

ニジェールの川の交易港であり、物資の集積地。そこにはさまざまな民族も集まります。魚製品を扱う漁民ボゾ族、家畜やその乳で生きるフラニ遊牧民、モプティ周辺で稲作を営み米を売るソンガイ族、サハラ砂漠のタウデニの岩塩を運んでくるモール人・・・ モプティはニジェール川流域に暮らす人々の暮らしを凝縮して見ることができます。

マリ モプティ ニジェール川 (3)
活気にあふれる港

マリ モプティ ニジェール川 (10)
夕方の漁民ボゾ族のキャンプを訪問。船で魚を追って移動する暮らしで、ちょうどモプティ郊外の岸辺に到着してキャンプを設営したところでした。

マリ モプティ ニジェール川 (12)
船には暮らしに必要なものが全て乗っています。オープンキッチンでの夕食の準備が進んでいました。

マリ モプティ ニジェール川 (13)
漁民といえど、家畜も船に乗せて飼っています。鶏もはしりまわっていました。

マリ モプティ ニジェール川 (11)
ボゾ族の家族団らんのひととき。発電機をまわして電気もテレビもつきました。

マリ モプティ ニジェール川 (1)
そのボゾ族のキャンプから程遠くないところにはフラニ遊牧民たちのキャンプが。

マリ モプティ ニジェール川 (5)
夕刻の乳搾り

マリ モプティ ニジェール川 (4)
燃料となる牛の糞。これらの乳や燃料は自分達が使うだけでなく、そばに暮らすボゾ族のキャンプやソンガイ族の村人に売ったり物々交換します。

マリ モプティ ニジェール川 (8)
モプティの港にトンブクトゥから運ばれてきた「タウデニの塩」を探しに行きました。

マリ モプティ ニジェール川 (7)
モール人の商人から1キロほどのブロックを1,000セーファーフランで購入。塩にはいろいろなクオリティーがありますが、最高級クオリティーのものを購入。

マリ モプティ ニジェール川 (9)
タウデニの塩はサハラ砂漠で産出される塩の中でも最もおいしいとされる高級品。タウデニはトンブクトゥの北750kmにある塩鉱で、塩は手堀で採掘され「塩のキャラバン」でトンブクトゥへ運ばれます。

マリ タウデニ 塩のキャラバン
2007年にタウデニを訪れたときに撮影した「塩のキャラバン」の写真です。現在は治安の悪化により訪問はできません、残念です。「塩のキャラバン」はタウデニ~トンブクトゥー間の750Kmをおよそ20日間かけて運びます。

モプティの港、オールドタウン、川沿いに暮らす人々、そしてジェンネ。
モプティはマリの魅力を凝縮した場所です。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

***マリへの旅行については随時発表・実施しておりますので西遊旅行アフリカ担当までお問い合わせください。







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2014年11月20日

マリのドゴン族 バンディアガラの断崖の玉ねぎ

マリ ドゴン族 玉ねぎ (3)

今年の2月に訪れたマリ、ドゴン郷の様子です。
近年、北部の治安悪化を受け観光客が激減したマリ。かつては部屋の確保も難しかったドゴン郷の中心サンガのホテルもガラガラで「今シーズンにホテル宿泊客は60人ほど・・・」と。支配人と不定期に勤務するコックと門番の3人だけでホテルを守っていました。
観光業は衰退したドゴン郷でしたが、農業は発達し玉ねぎの収穫のシーズンを迎え活気にあふれていました。

ドゴン族とは・・・
マリのニジェール川流域、バンディアガラの断崖に暮らす民族で、その神話体系や伝統・仮面舞踊で知られています。地元ガイドの説明によると、16世紀、マリ帝国の都のあったマディンゴに暮らしていたドゴン族はイスラム化を強要されたためにこのバンディアガラの断崖に逃げ込んできたといいます。この移動は、小さなグループにわかれて行われ、そのグループがひとつの村=ひとつの家族となりました。そのため、名前を聞いたらどの村の出身かがわかり、現在人口40万人、250の村、250の家族がいるといいます。(違う数字の諸説あり)
6~10月の雨季にはミレット(トウジンビエ)、トウモロコシ、イネ、フォニオ(イネ科の穀物)、玉ねぎを栽培し、11~5月の乾期には人口の池にためた雨水を使い農業を営んでいます。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (6)
ドゴン族の仮面舞踊 カナガの仮面

さて、2月のドゴン郷は玉ねぎの収穫の季節。収穫した玉ねぎを砕いて丸めて「玉ねぎボール」を作り、出荷します。このドゴンの玉ねぎボールはスープなどの味付けに使われとっても美味しいのです。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (11)
玉ねぎの収穫。この季節でも緑豊かな畑がたくさんあり、褐色の大地を開拓したドゴンの人々の努力が実っていました。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (1)
バンディアガラの断崖から低地の展望が広がる岩のテラスで村人が総出で玉ねぎボールつくりをしていました。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (2)
玉ねぎを砕く

マリ ドゴン族 玉ねぎ (12)
家族総出で玉ねぎボールづくり

マリ ドゴン族 玉ねぎ (13)
子供も玉ねぎボールを丸めます。

その後に訪れた市場で売られているドゴン族の玉ねぎボールを発見。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (16)
ニジェール川沿いのソマドゥックの市場。

マリ ドゴン族 玉ねぎ (14)
各地の産物が集められる中にドゴンの玉ねぎボールも。

玉ねぎボールで味付けした食事も体験!

マリ ドゴン族 玉ねぎ (9)
サンガのホテルでの食事。上品な盛り付けですが、ドゴンの穀物フォニオと玉ねぎボールで味付けしたお肉ソース。ちなみにこの日のスープはドゴン産のかぼちゃスープでした。

Photo & Text by Mariko SAWADA  澤田真理子

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2014年10月22日

ボロロ遊牧民とゲレウォール in ニジェール 2014 (3)

ニジェール ゲレウォール (1)

2014年9月末に訪れたニジェール、ボロロ遊牧民の暮らしと「ゲレウォール」の様子をご紹介します。

ボロロ遊牧民の集まる平原で、サヘル遊牧民の美男子コンテストとも言われる「ゲレウォール」の集いが始まりました。朝はヤーケ、そして夕方にゲレウォール。深夜まで、歌い踊る声が響きます。

ゲレウォールの様子です。
ゲレウォールはパフォーマンスをするボロロの男性の中から、少女が「最も美しい男」を選ぶ祭りです。参加する男性はその美の基準にかなう様、数日前から腹をへこませるために食事をぬいたり、お守りをつけ願をかけ、長時間かけてメイクします。

夕方、ゲレウォールが始まりました。赤い顔料を顔にぬり、準備をする男性達。

ニジェール ゲレウォール (2)
髪の毛にもお守りのグリグリ Gris-Gris

ニジェール ゲレウォール (3)
腕の飾りをつけてもらいます。

ニジェール ゲレウォール (4)
顔の赤の顔料のパレットはゲレウォールで足首につける音を鳴らす楽器。

ニジェール ゲレウォール (5)
念入りに顔料を塗ります。

ニジェール ゲレウォール (6)
ゲレウォールは上半身裸。スレンダーボディがボロロの美。腹の出たボロロは禁止です。

ニジェール ゲレウォール (7)
いよいよゲレウォールのパフォーマンスが始まりました。

ニジェール ゲレウォール (8)
ボロロの美を精一杯パフォーマンス、白い目と白い歯。

ニジェール ゲレウォール (9)
胸にはたくさんのお守り グリグリGris-Grisが。

ニジェール ゲレウォール (10)
ゲレウォールを見守る女の子たち。

ニジェール ゲレウォール (11)
脚かざりを鳴らし、フォーマンスが派手になってきます。前にでてきてアピールする若者も。
若者達のパフォーマンスが最高潮に達した頃には、初め大勢いた参加者から選ばれた15人ほどになっていました。

ニジェール ゲレウォール (12)
そしていよいよ「美男子」を選ぶ少女二人が若者達の前へ。この少女もこの日、突然選ばれるのでとても緊張しています。

ニジェール ゲレウォール (13)
少女達が現われるとゲレウォールを取り巻く観衆が沸き、見たさに詰め寄ってきます。少女の一人が震えていました。観衆が大騒ぎする中、少女が一人の男性を指差し「最も美しい男」を選びました。そしてその瞬間、祭りは突然終了します。

「選ばれた男性」は私たち日本人が予想した人と同じでした。もしかして美的センスは似ているのでしょうか・・・。

で、この選んだ少女と選ばれた男性はどうなるのか。
結婚するのではなく、ひとときを楽しむことができるんだそうです。あとはこの二人次第なのだと。

日没と同時にゲレウォールは終わりましたが、歌や踊りは夜中1時ごろまで続きました。
そして翌朝、朝8時にはボロロ牛や家畜を連れて放牧へと出かけていきます。
お祭りの日も、遊牧民の生活のサイクルはすべて放牧する動物の時間とともにあります。


Text & Photo by Mariko SAWADA 澤田真理子
ニジェール ゲレウォール (14)

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2014年10月15日

ボロロ遊牧民とゲレウォール in ニジェール 2014 (2)

‎ニジェール ヤ-ケ (1)

2014年9月末に訪れたニジェール、ボロロ遊牧民の暮らしと最も美しい男性を女性が選ぶ祭り、「ゲレウォール」の様子をご紹介します。
ボロロ遊牧民の集まるキャンプで、ゲレウォールの集いが始まりました。朝はヤーケ、そして夕方にゲレウォール。深夜まで、歌い踊る声が響きます。

ヤーケの様子です。

‎ニジェール ヤ-ケ (2)
顔に塗る黄色の顔料。自然の岩から採取します。

‎ニジェール ヤ-ケ (3)
髪の毛にもグリグリ(Gris-grisお守り)をつけます。一番の美男子でありますように・・・

‎ニジェール ヤ-ケ (4)
ベースとなる赤の顔料を顔に塗ります。

‎ニジェール ヤ-ケ (5)
目が大きく白目を強調することが「美」。アイラインをしっかりひきます。

‎ニジェール ヤ-ケ (6)
ヤーケの「黄色の顔料」をつけます。その様子を観察する小さな男の子。来るべき日のための勉強です。

‎ニジェール ヤ-ケ (7)
ヤーケの衣装をつけます。ボロロの刺繍は女性たちの手仕事。

‎ニジェール ヤ-ケ (8)
飾りをつけて仕上げに入ります。

‎ニジェール ヤ-ケ (9)
皮の腰巻を着用。ちなみにボロロ男性の美の基準は「スレンダー」であること。ちなみに腹の出たボロロはダメです・・・。

‎ニジェール ヤ-ケ (10)
ボロロ遊牧民のシンボルともいえる帽子をかぶります。

‎ニジェール ヤ-ケ (11)
これで完成。

‎ニジェール ヤ-ケ (12)
ヤーケのパフォーマンスが始まりました。

‎ニジェール ヤ-ケ (13)
背が高く、細く、白目・白い歯、そして豊かな表情がポイント、美男子の証です。

‎ニジェール ヤ-ケ (14)

そばでは、草陰から少女たちがヤーケを見物していました。いつかは美男子を選ぶ、「来るべき日」のために。


Text & Photo by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2014年10月08日

ボロロ遊牧民とゲレウォール in ニジェール 2014 (1)

ニジェール ボロロ遊牧民 (1)

2014年9月末に訪れたニジェール、ボロロ遊牧民の暮らしと「ゲレウォール」の様子をご紹介します。

今年は「雨季」の到来が遅く、旱魃に至らないかと心配されましたがその後の雨は順調で遊牧民たちもいつもより少し遅いながらも「塩の平原」へ家畜を連れて北上していました。
運よく移動中の大きなボロロ遊牧民のグループに遭遇。聞いたところ、今日みんな集合してきて明日には2週間に及ぶゲレウォールが始まるとのこと。私たちがその場所へ到着すると、ちょうどボロロの首長も到着したばかりで、さっそくごあいさつへ。私たちツーリストの滞在のお願いすると快く受け入れてくれました。

ボロロ遊牧民のキャンプの様子です。

ニジェール ボロロ遊牧民 (2)
移動途中のボロロ遊牧民

ニジェール ボロロ遊牧民 (3)
ロバの背に乗る女の子

ニジェール ボロロ遊牧民 (4)
ボロロ遊牧民たちがどんどん到着し、二週間ほどをすごす「住まい」を作り上げていきます。

ニジェール ボロロ遊牧民 (5)
完成したベッド。ゲレウォールのお祭りのときはベッドも家財道具も飾りをつけて最大限のおしゃれをします。

ニジェール ボロロ遊牧民 (9)
夕方、「ボロロ牛」が放牧から帰ってきました。

ニジェール ボロロ遊牧民 (6)

乳絞り。ボロロ遊牧民にとって「牛」はただの家畜ではなく、自然と自分達の間にいる特別な存在。彼らが持つ「ボロロ牛、Bororo Zebu」は彼らにとって他の牛とは違います。名前をつけて呼び、牛も自分の飼い主に強い愛着を示すことで知られています。また、ボロロ牛に関するいくつかのタブーがあり、「子牛のロープを踏んだりしてはいけない」、「ミルクを取るカラバッシュ(ひょうたん)の桶は他の用途に使ってはいけない」など暮らしの中にはこういった決まりごとがたくさんあるようです。

ニジェール ボロロ遊牧民 (7)

ミレットをついて夕食の準備も始まりました。遊牧民の食事は意外と遅く、長時間かけて準備・調理し、食べるのは夜9時、10時以降。シンプルな食事で、ミレットにミルクを混ぜたものを食べます。

ニジェール ボロロ遊牧民 (8)

日没前、ラクダに乗ってボロロの若者たちが到着しました。トゥアレグ族と近い場所に住み、またその文化を受け入れ模倣する彼ら、一瞬トゥアレグ族かと思うこともあります。明日から始まるゲレウォールに参加する若者たちでしょうか。

Text & Photo by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2013年07月10日

チャドのボロロ遊牧民、牛のキャラバン

チャドのボロロ (4)

「ボロロ」というとニジェールとナイジェリアを移動している遊牧民グループのことを指すことが多いのですが、チャドと中央アフリカを移動するグループがいます。
彼らは夏の雨期の間チャドのンジャメナの東の草地まで北上し、乾期の始まりとともに中央アフリカ、バンギの付近の草地まで南下していきます。雨期の間、これまで離れていた家族が集まり、ここでも美しい男性を選ぶ「ゲレウォール」の祭りが催されます。

チャドのボロロ (1)
若いボロロの男性。西アフリカのボロロの人々と同様、アクセサリーやおしゃれ大好きです。

旅の途中、幸運にも移動するボロロのヒルデ氏族の人たちと一晩を一緒する機会がありました。
首都ンジャメナからドゥルバリへ。そしてここから先は「遊牧民の道」。乾燥したサヘルの草原と違い、ンジャメナから南はうっそうとした森、湿地が点在しています。彼らが連れている家畜は牛と馬とロバ。ここはラクダではなく「牛」の世界です。

チャドのボロロ (5)
草地で出会ったボロロのキャラバン 子供たちが興奮して大騒ぎ

チャドのボロロ (3)
ロバに乗った少女

チャドのボロロ
顔に瘢痕を施したボロロの少年。この瘢痕の習慣もグループによって異なり、ほとんど施さない人々もいます。

チャドのボロロ (6)
今日のキャンプ地に到着。荷物を降ろして食事の準備。驚いたことに、遊牧民のキャンプ地にはどこからかやってくる調味料や電池などを売る小さな「出店」もありました。

チャドのボロロ (7)
ボロロの人々の台所。主食はミレット、ソルガムなどの雑穀をねったもの。そこに新鮮な牛のミルクを入れて。

チャドのボロロ (8)
ボロロの人々のベッド。雨も降り虫も多いことから高床で蚊帳もついていました。

チャドのボロロ (2)
中央アフリカを目指して再び移動を開始するキャラバン

「遊牧民の道」を車で移動するのには限界があり、これ以上一緒にいることができなかったのが残念でした。黄金の草地、緑の森の間を移動するボロロのキャラバンの景色は、夢のような光景です。

文・写真:Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のチャド 
チャド民族紀行 ボロロ(ウォダベ)遊牧民の祭典とゲラ山地

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2013年03月06日

チャド最高峰エミクーシ登頂に乾杯!チャドの砂漠でシャトー・バタイエ

チャドの砂漠で乾杯 (3)

チャド最高峰・サハラ砂漠最高峰の山エミクーシを登頂して下山後の祝杯は、チャド北部の砂漠ワディ・ドゥーンでした。せっかくのお祝い、コックさんは前日の夜にゴウロのオアシスで丸々とふとった羊を買って今日のためのお肉を用意してくれました。お肉は屠ってから1日後の方が柔らかくなっておいしいのです。

チャドの砂漠で乾杯 (4)
乾燥しているためヤギが多い地域ですが、炭火焼には羊が一番

祝杯用のお酒は、この日のために持ってきたソムリエ磧本修二氏に選んでもらったワイン。この日に用意したワインは下記の2つです。

チャドの砂漠で乾杯 (1)シャトー・バイタイエ Chateau Batailley
名前自体が「戦い」を意味するシャトーのワイン。このシャトーが14世紀の100年戦争の戦場に位置したことに由来した名前。ちょうど私たちが飲んだこの場所ワディ・ドゥーンも、チャド内戦の「戦場」でした。本当に偶然だったのですが。







チャドの砂漠で乾杯 (2)カロン・セギュール Calon Segur
セギュール公のシャトーで、セギュール公は他にも立派なシャトーを持っているのに一番愛したのがこの小さなカロン・セギュール。そのため、ラベルには大きなハートマークがついています。このハートマークのラベルのおかげで、このワインは昔から多くの男性の口説きの道具に使われ、日本でもバレンタインの贈り物になったりしているとか。





ワディ・ドゥーンとコーラの戦い
祝杯をあげたワディ・ドゥーンはチャド内戦の戦場となった場所です。ワディ・ドゥーンは北部の反政府勢力を後押しする形でチャドに進行してきたリビア軍の基地が置かれた場所でした。1987年にはこのワディ・ドゥーンの基地から南下するリビア軍の戦車部隊を、北上してきたチャド政府軍のトヨタ・ピックアップ改造車部隊(テクニカル)が迎え撃ち包囲し、勝利した戦闘が行われました(コーラの戦い)。砂漠で動きの遅い戦車が機動性の高いピックアップに負けた戦いで、この時期のチャド内戦の戦いはTOYOTAのロゴが目立ったことから「トヨタ戦争」とも呼ばれています。
このトヨタ・テクニカル部隊はさらに北上し、ワディ・ドゥーンのリビア軍基地に向かう砂漠に埋めてある地雷原を自らが犠牲になって道をつくり、ワディ・ドゥーンを制圧することでチャドを大きな勝利に導いたと言われています。

チャド コーラの戦いjpg (1)
ワディ・ドゥーン付近の荒々しい景観。砂丘と岩場が交互に現れる、4WDの運転も難しい地域です。南下してコーラへ。

チャド コーラの戦いjpg (2)
砂に埋もれたリビア軍の戦車

チャド コーラの戦いjpg (3)
コーラに近づくとたくさんの戦車、砲弾が残されています。ここで激しい戦闘があり、リビア軍にたくさんの犠牲者が出ました。

チャド コーラの戦いjpg (4)
中にはまだ動きそうなほど新しく見える戦車もありました。

ガイドのアンドレア氏、とても熱くチャド軍の軍人としての強さを語ってくれました。まさに今、(2013年3月6日現在)マリ北部の砂漠でフランス軍とともにAQIMの掃討作戦に出ているチャド軍。砂漠の実戦の経験と強さからその成果が期待されています。


ミスタースタンプスワインガーデン (1)ソムリエ磧本修二氏
さて、今回のワイン、長期の4WDの揺れの後にも飲めるワインでお祝いにふさわしいものとして、ソムリエ磧本修二氏に選んでいただいたものです。磧本修二氏、ソムリエ界の草分け的存在であり、そして西遊旅行・本社山担当の堤智顯(つつみ・ともあき)の義父で、六本木のワイン&フランス料理レストラン「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」のオーナー。
帰国後、さっそくお店へ。
「古き良き六本木」な雰囲気の店内。木彫家具が暖かく、ほっとする隠れ家的なお店で、ワインはもちろんのことお料理も抜群です。



ミスタースタンプスワインガーデン (2)

ソムリエお勧めのワインと美味しいフランス料理。そして、旅の話。
チャドの砂漠での優雅なひとときに感謝して。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子











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2013年02月20日

チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ(3,415m)登頂

エミクーシ登頂 (3)
昨年末から長期のサハラ砂漠のツアーが続き、すっかりブログの更新に間が空いてしまいました。先日帰国した日本初のチャド最高峰エミクーシ登頂ツアーの様子をご紹介します。

チャドは長年続いた内戦の影響とその後の政情不安から日本から訪れる観光客の少ない国のひとつです。意外かもしれませんが、サハラ砂漠の最高峰の山はこのチャドにあります。チャドの北部には堆積岩の台地の上に火山活動によってできた山地、ティベスティ山地があり、標高3,000mを超える火山や溶岩原の山地が広がっています。

エミクーシはティベスティ山地の南にある火砕流原の楯状火山。山のすそは60Km x 80Kmと大きく砂漠に大きくそびえる山容は圧巻です。山頂部は巨大な、東西12Km、南北15Kmのカルデラになっており、さらにその中にナトロンを産出する小さなカルデラや溶岩ドーム、マールなどが見られる大変興味深い地形をしています。

今回の旅は29日にわたる長期の旅。首都ンジャメナだけがホテル泊で、首都を出てからの23泊はすべてテントという、旅自体がすでに「エクスペディション」なツアー。山歩きだけでなくチャド北部の自然、人々の暮らしも体験できる非常に内容の濃い旅でした。

エミクーシ登山は歩き始めて8泊9日の行程。そのほとんどが流紋岩、安山岩や玄武岩など火山岩の岩場です。溶岩のスロープを歩き、時に現れるワディ(枯れ川)で休養しながら、カルデラの縁を目指します。
歩き始めて6日目に見た巨大なカルデラの景色は実に感動的なものでした。エミクーシの山頂はこのカルデラの縁にあります。

エミクーシ登頂 (5)
エミクーシのカルデラの縁にて 登頂ガイドのアンドレア氏、西遊旅行大阪支社の楠さん
快晴の空、クレーター内の淡い緑が映えてとても美しい景色でした。

エミクーシ登頂 (6)
クレーターの中にはさらにクレーターが。ナトロンが湧いているエラ・コホールというクレーターです。高低差320m以上の岩壁を下りクレーターの中のクレーターへ。

エミクーシ登頂 (8)
ティベスティ山地にあるもうひとつのナトロンのクレーター、トゥルー・オ・ナトロン(トゥシデ山のカルデラ)より浅く小さいクレーターですが、採取できるナトロンは良質とのこと、みんなでナトロン掘りを体験しました。

登山中の荷物運びはラクダです。ティベスティ山地のラクダは小型で岩山を歩くのに適した足をしています。それでも、トゥブ族のラクダ使いは自分のラクダが大切で、けがをしないように見守り、水場ではナトロンや薬草の栄養剤を飲ましたりしていました。

エミクーシ登頂 (4)
ラクダの栄養剤を準備している様子。ラクダもそばで待っています。

エミクーシ登頂 (1)
夜、ラクダ使いたちは火を囲んで民族楽器を鳴らし、歓談。

エミクーシ登頂の当日は風のある日で、頂上に近づくにつれ風も強くなり寒さも増しました。頂上は玄武岩のカルデラの縁にのった溶結凝灰岩のシートです。
無事に初登頂を果たした瞬間、トゥブ族山ガイドのセヌーシー氏がカラシニコフ銃で祝砲を鳴らし歓喜の声に包まれました。未知の国、未知の山。首都ンジャメナを出て13日目、無事に全員で登頂です。

エミクーシ登頂 (7)
チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ3,415mを登頂

「いつか実現したい」と思っていた夢の実現、一緒に初登頂を果たした皆さまとスタッフに感謝申し上げます!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子






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2012年10月03日

アフリカWEBガイド エチオピア、ニジェール、チャドをアップしました!

西遊旅行アフリカ・チームからのおしらせです。
11月からベストシーズンを迎える、エチオピアのダナキル砂漠やニジェールのテネレ砂漠、チャドのエネディ山地・ティベスティ山地をカバーした「アフリカWEB旅行ガイド」をアップしました。

WEB旅行ガイド エチオピア
一般的なガイドブックには紹介されていない南部エチオピアの民族やダナキル砂漠を紹介。エルタ・アレ火山の火口の様子は動画です!長年にわたって手掛けてきた西遊旅行のエチオピア案内です。
「ダナキル砂漠・塩のキャラバンとエルタ・アレ火山」 大好評!全出発日催行決定
「アフリカ大地溝帯最深部 アファール・トライアングルを行く」 大好評!全出発日催行決定
「ナイルの源・エチオピア アビシニア高原周遊の旅」12/24発, 1/12発 両出発日とも間もなく催行決定
エチオピアの旅


WEB旅行ガイド ニジェール
日本初のニジェール旅ガイド。2007年から2012年までの写真と現地情報に基づいて構成したガイドです。あくまでもツアー参加のお客様向けのものですがみどころの多いニジェールのテネレ砂漠とアイール山地の景色をお楽しみください。
11月11日発「アイール山地とテネレ砂漠 塩のキャラバンルートを行く」 催行決定
ニジェールの旅


WEB旅行ガイド チャド
日本初、いや世界初ともいえる内戦後のチャド旅ガイド。2011年、2012年の最新のチャド北部の様子をご覧ください。
1月21日発「チャド最高峰 ティベスティ山地エミ・クーシ登頂」 催行決定
2月14日発「エネディティベスティ山地」 催行決定
チャドの旅

上記のアフリカWEBガイドは、内容がツアーご参加の方が前提になっており、個人旅行のノウハウなどは掲載していませんが(実際に個人旅行が難しい地域なのです)、少しでもご旅行先選びの参考になればと思っております。

西遊旅行 アフリカチーム
Saiyu Travel Team AFRICA

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2012年09月07日

ニジェール テネレ砂漠・アラカウの大砂丘

テネレ砂漠arakao (6)
テネレ砂漠の中でも最も美しい砂丘地帯がアラカウ (Arakao)。ニジェールがフランスから独立した1960年以降、アイール山地とテネレ砂漠境界付近の探索が行われました。1972年に航空写真をとり、東側の開いた馬蹄形の岩山に囲まれた砂丘地帯だとわかりました。この丸い、馬蹄形の岩山は死火山のカルデラで、その陥没部分に北東から吹く風で砂丘が押し込まれ、高さ200m、長さ15キロ以上にわたる砂山を作り上げています。

アラカウは首都のニアメからアガデスまで約1000キロを走り、そこからテネレ砂漠に入りまる2日砂漠を走ったらたどりつける砂丘。さらに砂丘のどの地点に行くかはドライバーの砂丘越えの腕にもかかってくる、砂漠を知り尽くしたスタッフとだけ行けるサハラの絶景ポイントです。

では美しいアラカウの写真をどうぞ・・・
テネレ砂漠arakao (1)
砂丘越えの様子。スタックすると助け合わなくてはならず、必ず複数台で行動です。

テネレ砂漠arakao (2)
朝の光に輝く砂丘。中央部から北を眺めた景色です。

テネレ砂漠arakao (5)
中央部の砂丘から西を眺めた景色。奥の岩山の手前の砂丘は、砂が岩山にあたって吹き返されてできた「砂の山」です。

そしてキャンプ。この景色の中での一夜がとても楽しみなのは、お客様だけでなく、スタッフも同じことです。
テネレ砂漠arakao (3)
夕日を眺めに砂丘に登っていたお客様がテントに戻り、夕食の準備。

テネレ砂漠arakao (4)
たき火を囲むひととき、そして満天の星・砂漠の夜がやってきます。

朝に夕に美しく、月夜に輝く砂丘のシルエットもなかなかのものです。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行で行く、ニジェール・テネレ砂漠の旅
「アイール山地とテネレ砂漠」2012-2013年冬 11月17日出発コース 催行決定 


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2012年08月26日

古代メガ・チャド湖跡 MEGA LAC TCHAD

メガチャド湖跡
チャドの北部に広がる、古代チャド湖の話です。2012年2月、北部の中心地ファヤから首都ンジャメナに向けて移動していたときに古代チャド湖(メガ・チャド湖)の跡を走りました。

メガ・チャドと呼ばれた完新世のチャド湖は、現在の面積と深度の少なくとも 20 倍はあったといわれています。深さ160メートル、44万キロ平方メートルにも及ぶ巨大な湖でその北部の一番深い(低い)地点がジュラブ砂漠です。

ジュラブ砂漠はジュラブ凹地とも呼ばれる砂漠でファヤ南部からバハル・エル・ガゼルにかけて広がり、古代チャド湖北部の底だったとされ、ダイアトマイトや貝の殻、魚の化石などが残されていました。砂漠としてもとても若く、小さなバルクハン砂丘の集合体です。

チャド北部 ダイアトマイトファヤ周辺からジュラブ砂漠いったいで見られるダイアトマイト。ダイアトマイトは遺体が海底や湖沼の底などに沈殿してできた堆積物で、チャド北部で見られるものは古代チャド湖のものです。






ジュラブ砂漠の貝殻水があった証拠、砂漠の中の貝殻









メガチャド湖の魚の化石1かつての湖の底を歩いてみました。なまずの先祖と考えられる魚の化石が散乱していました。背骨、あごの骨と歯、ヒレなど・・・。メガ・チャド湖の存在は35万年くらい前までなので、これらの化石はそれ以前のものと推定されます。





メガチャド 魚の化石

そして今のチャド湖はどうかというと、チャド、ニジェール、カメルーン、ナイジェリアの4カ国にまたがりますが、近年の観測では1963年から1998年までの間に95%湖面が小さくなったといわれています(1960年25000キロ平方メートルあったものが、2000年に1500キロ平方メートルに縮小という報告もあり)。原因は大きな自然の変化の中にあるという説に加え、急速な灌漑・取水、湖の周辺の過度の放牧が上げられています。逆に近年にはこの縮小傾向が止まっているとの報告もあります。

ボル周辺のチャド湖2011年9月のチャド湖畔ボル周辺の様子。かつての湖面は濃い緑で覆われ、にぎわった港・税関も今は岸から遠いものとなっていました。ここにくると、「チャド湖縮小」は目の前にある現実、恐ろしささえ感じます。





ジュラブ砂漠で魚の化石とメガ・チャドから現在のチャド湖まで・・・ティベスティ山地やエネディ山地の地殻変動もですが、チャドの旅は気が遠くなるような時間のと大地の変化を体感する旅です。

文・写真 
Mariko SAWADA 澤田真理子



西遊旅行のチャドの旅
チャド湖畔に暮らす民族を訪ねる旅 
チャド民族紀行
古代メガチャド湖を走り、北部ティベスティからエネディ山地を訪れる一大エクスペディション
エネディとティベスティ山地



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2012年08月22日

チャド サハラ最後のワニを探して・アルシェイのゲルタへ

アルシェイのワニ (2)
サハラ砂漠最後のワニ・・・かつて「緑のサハラ」の時代に生息していたナイル・ワニがチャドのエネディ山地にひっそりと暮らしています。2011年の4月と2012年の1月、季節を変えて2度、この貴重なワニと出会うことができました!

アルシェイのワニ (3)チャドのエネディ山地へ
首都のンジャメナから車で走ることまる3日以上。エネディ山地はチャド北東部、スーダン国境付近に位置する岩山地帯です。サハラ砂漠の中央にある堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されたため、独得の景観の渓谷やワディ、ゲルタを作り出している山地です。




アルシェイのワニ (5)アルシェイのゲルタ
「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。
アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見れるとは限りません。すべては「運」。

「サハラ最後のワニ」
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしてるといいます。
1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったサニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。
限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。
トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

ではサハラ最後のワニの写真をどうぞ

アルシェイのワニ (6)
水の中から現れた、ワニ。

アルシェイのワニ (7)
もうすぐ陸に上がるのか、ワニ。

アルシェイのワニ (4)
くちを開けてひなたぼっこ、ワニ。

アルシェイのワニ (1)
しげみにひそむ、ワニ。

アルシェイのワニ (8)
そしてこれは同僚の山田さんが撮った非常に珍しいツーショット・ワニさん。

ワニを上手に観察するには、ビューポイント到着前から静かに歩き、しゃべったり、音を立てたりしないことです。「サハラ最後のワニ」が本当に最後にならにように見守っていきましょう・・・。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子、
写真提供 Yamada Koji 山田宏治

西遊旅行のチャドの旅2012-2013
エネディとティベスティ山地の旅 チャド北部のサハラ踏査行 28日間
エネディ山地のみを訪問するコース、サハラ最高峰エミ・クーシ登頂企画もあります。お問い合わせください。


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2012年05月21日

ニジェールの旅 ゲレウォール ボロロ遊牧民の祭り

ゲレウォール01
9月下旬のニジェールの美男子コンテスト、ゲレウォールのコースを発表しました。

9月半ばの西アフリカ。雨期の明けるこの季節はサハラ砂漠やサヘルに暮らす遊牧民の祭りの季節です。ニジェールでは「塩の平原」に家畜を連れた人々が集まり、牧草の北限となる塩の大地に遊牧民の家族、そして氏族が集まり、結婚や子供の誕生を祝う祭りを執り行います。その中でも特筆すべきなのが、ウォダベ遊牧民、通称ボロロ族による「ゲレウォール」。男性がメイクをして美を競い、それを女性が選ぶというもので、まさに「砂漠の美男子コンテスト」。

ニジェールのボロロ遊牧民の祭りはさまざまな行事で構成されています。ゲレウォールとは祭りのハイライト、女性がもっとも美しい男性を選ぶもので、そのほかにもボロロの男の美を見せる踊りヤーケ、女性達の歌と踊りのバーゴ、夜に行なわれる集い・歌・踊りのドーサなどいくつもの行事があります。ボロロの男性は、背が高くスリムな体が美しいとされ、この祭りに向けて痩せたり、また祭りでは背が高く見えるように背伸びをして踊ったりします。白目や白い歯も美の象徴とされメイクでもパフォーマンスでも強調されます。

ゲレウォール02
男性の美しさを魅せる「ヤーケ」のパフォーマンス。白目や白い歯が強調されます。

ゲレウォール03
赤い顔料を塗った男性達によるゲレウォール。この中から一人の男性が選ばれます。

ゲレウォール04
女の子が「美男子」を選ぶ瞬間。きれいなだけでなく「背が高い」というのもポイントが高いようです。

ツアーでは自然発生する遊牧民の祭りを訪問しています。プログラムや何が見れるのか・・・などは流動的ですが、時代の大きな変化の中で、いまだアフリカ・サヘルに強く残される伝統風習に直に触れることは、非常に貴重な体験となるはずです。

文・写真Mariko SAWADA



西遊旅行のアフリカ 2012年ニジェールの旅 GUEREWOL ゲレウォールを訪れるツアー
Gurewol111ニジェール ボロロ遊牧民の祭典とトゥアレグの都アガデスへ






Tenere Arakaoニジェール大紀行 遊牧民の祭典ゲレウォールと最も美しいサハラ、アイール山地とテネレ砂漠






西遊旅行のゲレウォール、ニジェールに関する記事
ゲレウォール GUREWOL
サハラ砂漠・サヘルの遊牧民 ウォダベ WODAABE

ブログAfrican Dream のニジェールの中にも記事がありますので是非ごらんになってください。


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2012年03月21日

チャドのドルカス・ガゼル Dorcas Gazelle

ドルカス・ガゼル1
チャド北部の砂漠で見られる、小型の一般的なガゼル、ドルカス・ガゼル。草地、ワディ、山地、砂漠に暮らしています。メスはワディや草地で群れをつくって行動していますが、若いオスは餌を求めて単独で岩山を越えたりしているのを見ることがあります。

ドルカス・ガゼル2チャドでは長年の内戦の間、こういった野生動物が人々や兵隊さんの食料とされ犠牲になりました。北部チャドの人々、内戦でリビアからやってきた兵隊さんはイスラム教徒。イスラム教徒が食べてもいい動物(ハラールなお肉)にあたるガゼル、ダチョウはその的でした。その結果、ガゼルは残りましたがダチョウは北部チャドから姿を消してしまいました。同様にチャドの砂漠に暮らすジャッカルやハイエナは、イスラム教が食べてはいけない動物(ハラームなお肉)なんだそうで、現在もたくさん生息しています。

ドルカス・ガゼル3内戦が終わった現在のチャドでは狩猟が厳しく禁止されガゼルの生息数は増えているといわれています。実際にカライ(ウム・シャロバ)からバハル・エル・ガゼルへの砂漠横断をしたときに、ほかのサハラ圏では見られないほどの数のガゼルを見ました。
サハラ砂漠北部から野生動物が姿を消し、現在は一部の保護区、チャドの砂漠でしか見られない動物が多くなってきています。チャドの観光の発達とともに、野生動物の保護が促進されますように・・・。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


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2011年12月24日

モロッコ料理 迷宮の町フェズで食す

タジン01

迷宮の町と呼ばれるフェズ・エル・バリは1981年にユネスコの世界文化遺産としてされたモロッコの古都。その歴史は9世紀に遡り、民家を含めモスク、マドラサ(神学校)などの古い建物が今もそのまま残り、人々の営みが1,000年以上にわたって続けられてきた町です。

フェズのカフェ01フェズのカフェ&レストラン
フェズには観光客を目当てにしたカフェ、レストランがいっぱい。メディナの入り口には昔ながらのお菓子屋さんやパン屋さんに並んで、おしゃれなカフェ、レストランが軒を連ねています。





フェズのメディナ01
メディナの入り口に並ぶナツメヤシと油をふんだんに使ったお菓子屋、オリーブたっぷりのサラダにメルゲーズと呼ばれる辛い羊肉、牛肉のソーセージを売る店。オーダーしてその場で食べることも、持ち帰りもOK。
フェズの食堂
庶民的な豆の煮込み。モロッコの煮込み料理は辛味が少なく、クミン、パプリカ、サフランなどマイルドな香辛料を使っています。煮込みと一緒にいただくのはホブズという円形で厚みのあるモロッコのパン。食堂では必ず置いている一品です。

タジン02なんといってもタジン鍋。 モロッコのタジンはジャガイモや玉ねぎなどたくさんの野菜とソースと肉を低温で蒸し煮にしたものです。お店によっては干し葡萄やオリ-ブが入っているものもあります。マトンなどの肉が入ってる伝統的なものから、観光客向けに野菜だけのもの、シーフード入りのものまであります。




食事どきのフェズのメディナの入り口は、カフェの客引きで賑わいます。まずは席に座って、注文。たっぷりのホブスとタジン、そして仕上げにミントティーをいただいて旧市街散策へ出かけましょう!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のモロッコの旅
郷愁のカスバ街道とサハラ モロッコ周遊の旅

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2011年12月05日

クロワ・デ・アガデス Croix d’Agadez

croixd'agadez01
クロワ・デ・アガデス – アガデス十字と呼ばれるトゥアレグ族の銀細工ジュエリー。ニジェール、特にアガデスを訪れると土産物屋として見かけるアクセサリーです。

クロワ・デ・アガデスの「クロワ」=「十字」という呼び名は後に西洋人が、キリスト教の「十字架」のモティーフに似ていることからつけた名前。実際には十字ではなく、トゥアレグの部族やエリアを象徴するものであり、アガデスやティミアなど各地域を表すモデルが存在しています。

croixd'agadez03アガデスの鍛冶屋工房にあった「トゥアレグ十字」の表。トゥアレグの有力な部族・地域を表し21種類あります。有名なのは、アガデス、ティミア、イフェロアン、インガルのものでペンダントやピアスなどのアクセサリーにアレンジされています。





その起源については諸説あり、かつてのエジプトのファラオの紋章を取り入れた説、イスラム化する以前にキリスト教に触れたトゥアレグ族が「十字架」のモティーフを取り入れたという説など様々。私が最もお気に入りはアガデスで聞いた「恋」にまつわる説。
 “ある少女に恋したアガデスのスルタンの息子。その恋を告白するのにどうすればいいか、スルタンお抱えの鍛冶屋に相談しました。トゥアレグの社会において、家事を支える食器や、戦いの武器、そして装飾品の銀細工を作り出す鍛冶屋は大切な存在。鍛冶屋はスルタンの息子の相談を受け、考えました。そこでできあがったのがこの「クロワ・デ・アガデス」。トゥアレグの書き言葉タマシェク語で「愛」を意味する言葉「タルハ」を表すと ○+・。これをタテに書いて並べるとこのアガデス十字のデザインになるのです。果たして鍛冶屋は銀細工で美しくこの「タルハ」を「クロワ・デ・アガデス」の形に仕上げ、スルタンの息子はこの銀細工による「愛の告白」で恋人を手に入れました”、という話です。事実ではないにしても、なんとも夢のある話です。

 トゥアレグの銀細工はカースト(階級)の存在するトゥアレグ社会でにおいて鍛冶屋階級が担当して作っています。まず、ろうでクロワ・デ・アガデスの形を作り、それに粘土をつけてかたどりします。その粘土を火にかけて焼き、ろうがとけたところに銀貨などを溶かした銀を流し込み、冷まし、型をわってでてきた銀を整形・磨いて作ります。現在もアガデスやティミア、イフェロアンには銀細工の鍛冶屋工房があります。中には成功してフランスの有名アクセサリー店に出品している工房も。それでも2007年以降の観光客の減少で、鍛冶屋産の収入も少なくなってしまい、観光客を探して売りに歩いている職人達もたくさんいます。

croixd'agadez04アガデス Sidi Mohamed Koumama
鍛冶屋工房では手作業で銀細工が作られています。ツアー中でもデザインの希望を伝えてオーダーすると砂漠から帰ってくるまでに作ってくれたりします。






アガデスのお店では銀製のクロワ・デ・アガデスのペンダントが大きさにより15~30ユーロ、トァアレグの伝統的な意匠を取り入れた「作品」になると100ユーロを越えるものもあります。
もともとはそのトゥアレグ十字を見るだけでその人がどこの地域の出身者がわかり、父から息子へと引き継がれたもの。今ではおしゃれなアクセサリーとして外国人に人気のアイテムになっています。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のニジェールの旅
ニジェール・アイール山地とテネレ砂漠塩のキャラバンルートを行く

sawada_saiyu at 17:40|Permalink

2011年11月08日

アガデスのグランド・モスク Grande Mosquée de AGADEZ

アガデス グランドモスク agadez02
ニジェール北部の中心地アガデス。11世紀頃からトゥアレグ族の町として発達し、サハラ交易の要衝として、サハラ横断「塩のキャラバン」の終着地として栄えました。現在はアルリットを中心とするウラン鉱山の交易の中継地でもあり、アイール山地ティミアからの野菜や果物が並び、冬には観光客も訪れるちょっとした「町」の様相です。

ニジェール北部を訪れる観光客は、主にテネレ砂漠やアイール山地を訪れるため、あまりアガデスで時間を過ごすことはありませんが、アガデスのグランド・モスクは是非訪れてみてください。

アガデス グランドモスク agadez grande mosque01スーダン・サヘル様式、27mの高さのミナレットを持つアガデスのグランドモスク
この「スーダン・サヘル様式」というのは現在のスーダンではなく、かつてこのサハラとその南縁部のサヘル地域を指した呼び名で、マリやモーリタニアなどでも同様の様式のモスクが見られます。ミナレットの上のほうには椰子の木の棒を突き出して作られ、これは単なるデザインではなく、年に一度、モスクの修復の際の足場に使われるものです。このミナレットの突起物以外、なんの外部も内部も装飾は無く、とてもシンプルなものです。









アガデス グランドモスク agadez grande mosque02金曜日の集団礼拝
礼拝の時は外国人はモスク内部には入れませんが、その祈りの景色は圧巻です。アガデスでは金曜日の昼、町中の男性が集まり、モスクの周辺の道路を礼拝所に変えます。アザーンに続き、礼拝が始まるとモスクとその周辺一帯が神聖な祈り場へと変わります。わずか15分ほどの集団礼拝ですが、アガデスの人々の祈りが一体化する瞬間です。集まる人々の衣装も、「アフリカ・サハラのモスクの祈り」を感じさせます。










グランド・モスクのミナレット
礼拝の時以外の日中、観光客はモスクの中に入って見学することができます。中には礼拝所、アガデスのスルタン専用の礼拝所、そしてミナレットへの階段があります。ミナレットは中が狭いことから一度に登れるのは4人まで。通路も暗いのので注意が必要です。蒸し暑い通路をくるくると登っていくと、地上27mのミナレットの頂上へ出ます。2~3人のスペースしかないミナレットの頂上からは土と泥でできたアガデスの町並みが広がっています。
アガデス グランドモスク agadez05

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


ニジェール、アガデスを訪れる西遊旅行のニジェールの旅
「ニジェール・アイール山地とテネレ砂漠塩のキャラバンルートを行く」

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2011年10月26日

ニジェールの塩田ティギダンテッスム Teguidda N’tessoumt

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt01
インガルの北、塩の平原にあるのがTeguidda N’tessounmt。名前そのものが「塩の源」を意味します。まるで「月面世界」のような景色の塩田が造られています。
この地域の水は塩を含み、土壌も塩を含むことからたくさんの家畜をつれた遊牧民が集まる地域です。
雨期明けの9月終わり、乾期の塩作りのための作業の準備が進められていました。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt03塩田で働く人々
大きいプールは「塩水の井戸」で、泥と混ぜて塩分濃度の高い水を作り、この水を小さなプールへ移動させ泥を沈殿させ、表面の塩の結晶を採取します。
大きなプールで働くのは男性の仕事、小さなプールで働くのは女性の仕事、と分業されています。



ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt04男性の仕事
塩分を多く含んだ泥を塩水の井戸からの水とかき混ぜる男性。小さな塩田の穴に運ぶまでは男性の仕事です。







ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt02女性の仕事
雨期の間に壊れた塩田の穴を修復する作業をする女性。中の水を抜いて、壊れてしまった穴を補強します。同時にごみなどの不純物も取ります。そして塩田の表面が蒸発してできる「塩の結晶」を採取します。





ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt06
塩田から摂れた塩 右の白い塩は、きれいな表面の塩の結晶で人が食べるための塩。右の泥混じりの塩は家畜の栄養源として売られる「家畜用の塩」です。昔から、人々は家畜のための塩を求め、ここで塩の板を作り、「塩のキャラバンルート」で出荷していました。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt07
ティギダンテッスムの塩作り 家畜用として出荷されるものです。左のおわん型の塩は遊牧民がかばんに入れて運ぶためのもの、右側の棒状のものは箱につめてトラックで出荷するためのものです。

昔はこのティギダンテッスムからも「塩のキャラバン」が営まれていましたが、アガデス-アルジェリア(タマンラセット)の幹線道路にも近いことから、早くから車が入るようになり、今ではすべてトラック輸送に変わってしまいました。村の人々も「最期のキャラバンを見たのは20年以上前か」と。
そして、この収入の低い、厳しい塩田の仕事をいやがる男の若者はアルジェリアへと出稼ぎへ行き、ここで働くのは老人と女性だけになってしまっています。

ニジェールに現存する塩田はこのティギダンテッスム、ファシ、ビルマ、セグディエンヌの4箇所。「塩のキャラバン」が衰退する中、多くの遊牧民と家畜を支える伝統の「塩作り」と「塩の道」が続きますように。

ニジェール 塩田 teguidda N'tessoumt05
ティギダンテッスムの塩田とその周辺の「塩の平原」で草をはむ家畜、雨期明けのひとときの光景

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


ニジェール「塩の道」に関するコラム
「ニジェールの塩のキャラバン Azalai アザライ 2011」




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2011年10月17日

2011年のゲレウォール、ニジェールの美男子コンテスト

ニジェール ゲレウォール gurewol-2011a
2011年9月末のニジェールのゲレウォールの旅から帰国。今回訪問したのはアバラクの北35キロの砂漠が会場の遊牧民ボロロの祭典でした。今年は旱魃が心配されることから遊牧民ボロロの人々は政治集会も兼ねて集まり、数日間は例年に無い大規模な集いも。雨の少なかった夏は、家畜の命、遊牧民の移動先を左右します。各氏族の代表が集まり、この冬の乾期を乗り切れるのか、弱った家畜に与える薬や食料の確保を話し合っていました。

お祭りの会場ではあちこちで集い、歌と踊りが繰り広げられ朝から晩まで歓声が途切れることはありません。「ボロロは疲れを知らない民族」と、トゥアレグ族やジェルマ族のスタッフがいいます。確かに、長距離を歩いて移動し続ける力、そして唄い踊り続ける体力はすごいものです。しかも日中の40度を越える炎天下で。

ニジェール ゲレウォールgurewol-2011b
夕方、ゲレウォールが始まりました。赤い顔料を顔にぬり、準備をする男性達。スリムなボディが「美男子の条件」であり、参加者の中には3日間食事をせずウエストを細くして準備をしていた若者もいました。「腹の出たボロロ」の参加は許されるものではないようです。

ニジェール ゲレウォールgurewol-2011c美男子を選ぶ少女。今日は15歳の少女3人が美男子を選ぶことになりました。男性がパフォーマンスをする場所から離れたところで少女が選ばれ、衣装を変えます。頭飾り、そして胸には白い布を巻いて。
若者達のパフォーマンスが最高潮に達した頃、同じ氏族の男性達から候補者の男性が選ばれ、ターバンでできたちょんまげのようなものがつけられます。このターバンのちょんまげをつけてもらった男性の中から「美男子」が選ばれます。 
-そしていよいよ少女達が若者達の前へ。







ニジェール ゲレウォール gurewol-2011d
少女達が現われるとゲレウォールを取り巻く観衆が沸き、見たさに詰め寄ってきます。少女の一人が震えていました。観衆が大騒ぎする中、少女が「最も美しい男」を選び、祭りは突然終了します。選ばれたのはとても背が高い細身の男性。ボロロの美の条件を満たした男性です。

この日、ゲレウォールに続き、男性達の歌と踊りのドーサが行われ、夜中中、歌い声、手をたたく音が途絶えることはありませんでした。
ボロロの祭典、この出会いと楽しみの後にはまた長い移動と放牧の旅が待っています。ゲレウォールの会場を後にすると、アガデスまでの道中で、既に南下を開始したボロロ遊牧民たちに出会いました。「草の少ない今年の乾期は厳しくなりそう」、と。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

ニジェールのゲレウォールについての紹介
ゲレウォール GUREWOL
サヘルの遊牧民 ウォダベ(ボロロ)  


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2011年06月23日

サハラ砂漠のフェネック Fennec

fennec03

ハルマッタンの熱い風が吹くチャド。かつては川が流れていたというバハル・エル・ガゼル Bahr el Ghazalの北にある砂漠でフェネック(アラビア語でFoxの意味)のかわいい姿を見ることができました。

fennec01フェネックはサハラ砂漠で見られる犬科最少の動物。キツネ属に属し、フェネックギツネともよばれ、実際にその姿も耳の大きな小型キツネ。
体長は40Cmほどですが、耳は15Cm。その大きな耳は放熱の役割をするうえ、強力な聴力で獲物の動きを察することができるそうです。毛皮は強い日差しをさえぎって体を守り、熱い砂の上を歩けるように足の裏も毛で覆われ、毛の色は砂漠と同じ保護色。さらには熱さに対応した腎機能も備え、乾燥と灼熱のサハラで暮らすことに見事に適応した動物です。

fennec04「砂色」の毛皮をまとったフェネック、当然見つけるのは楽ではなく、砂漠の移動中に見かけたときは、いつも走って逃げる“うしろ姿”。今回は偶然にもキャンプ地のそばに巣穴があり、近くで観察することができました。






fennec02夜行性で砂に巣穴を掘ってくらします。夜間に、虫や小動物を捕食するため、朝、夕方に巣穴付近で活動する姿をみかけました。この巣穴、入り口は小さいですが細長く、奥は10mほど続いているとのこと。






日本でもペットとして飼育されているフェネック。調べていて、そのペットとして愛くるしい姿の写真や、かわいくてたまらないという飼い主の方のコメントもたくさん拝見しました。
でも、サハラの大自然の中で見る、フェネックのたくましさ、美しさも格別です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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