チャド

2016年09月22日

サハラの大国・チャド

アフリカ中央部に位置する国チャド。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接し、国土の大半をサハラ砂漠が占めています。砂漠といえば砂丘をイメージする人が多いかもしれませんが、チャドの砂漠には大砂丘は少ない反面、土漠や山岳砂漠、礫砂漠などサハラの様々な姿をお楽しみいただけるという、サハラリピーターにはたまらない景色が広がります。

DSC_0016_kusunoki
エネディ山地北部に広がるバルクハン砂丘

DSC_0395
ハバイケの奇岩群

チャド北東部に広がるエネディ山地。チャドで最もみどころが残る場所といってよいでしょう。アルジェリアのタッシリ・ナジェールやアルホッガー、リビアのアカクスに匹敵する巨大な岩山が広がっています。これらの岩山は「タッシリ」と呼ばれ、風と雨により浸食された堆積岩(砂岩)の台地のことを意味します。このエネディ山地もサハラ砂漠の中央に位置する堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されエネディ独得の渓谷、ワディ、ゲルタを作り出しています。

エネディ山地を最も有名にしている風景はアルシェイのゲルタでしょう。「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」という意味があります。このゲルタに水を飲ませるためにたくさんのラクダが集まる風景は圧巻。ビューポイントまで片道1時間30分程、瓦礫や砂地の道を歩くと、素晴らしい風景に出会う事ができます。
DSC_0472
アルシェイのゲルタ

そしてこのゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。 1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、「サハラに生き残ったワニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました。 限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。 トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。
アルシェイのワニ (4)
アルシェイのゲルタに生きるデザートクロコダイル

一般にサハラの壁画は古いものほど美しく、時代が新しいものは稚拙なものが多いように言われますが、チャドにおいては新しい時代のもの、馬の時代、ラクダの時代の壁画が美しく生き生きと表現されています。色素の材料はオークル(黄土)、岩石、卵、乳を使い、それをアカシアの樹液を用いて保護しています。

マンダゲリ
マンダゲリの壁画 ここは6m上に見上げた天井に多くの壁画が残っています。

テルケイ東 頭飾りをつけた男性
テルケイに残る岩絵 頭飾りをつけた男性

テルケイ東 走る馬の壁画
テルケイ 走る馬の壁画

DSC_0253_kusunoki
ビシャガラの岩絵

11月~2月にかけて、サハラのベストシーズンがスタート。チャドへのツアーも間もなく催行できるコースが2コースあります。是非、この機会に知られざるサハラの国チャドを訪れてみてください。

ツアーの詳細はこちらをクリック↓
チャド エネディ山地エクスペディション 18日間
01月15日(日) ~ 02月01日(水) 18日間 798,000円 催行間近

エネディとティベスティ山地 26日間
02月08日(水) ~ 03月05日(日) 26日間 1,150,000円 催行間近




yonetani_saiyu at 10:28|Permalink

2013年07月10日

チャドのボロロ遊牧民、牛のキャラバン

チャドのボロロ (4)

「ボロロ」というとニジェールとナイジェリアを移動している遊牧民グループのことを指すことが多いのですが、チャドと中央アフリカを移動するグループがいます。
彼らは夏の雨期の間チャドのンジャメナの東の草地まで北上し、乾期の始まりとともに中央アフリカ、バンギの付近の草地まで南下していきます。雨期の間、これまで離れていた家族が集まり、ここでも美しい男性を選ぶ「ゲレウォール」の祭りが催されます。

チャドのボロロ (1)
若いボロロの男性。西アフリカのボロロの人々と同様、アクセサリーやおしゃれ大好きです。

旅の途中、幸運にも移動するボロロのヒルデ氏族の人たちと一晩を一緒する機会がありました。
首都ンジャメナからドゥルバリへ。そしてここから先は「遊牧民の道」。乾燥したサヘルの草原と違い、ンジャメナから南はうっそうとした森、湿地が点在しています。彼らが連れている家畜は牛と馬とロバ。ここはラクダではなく「牛」の世界です。

チャドのボロロ (5)
草地で出会ったボロロのキャラバン 子供たちが興奮して大騒ぎ

チャドのボロロ (3)
ロバに乗った少女

チャドのボロロ
顔に瘢痕を施したボロロの少年。この瘢痕の習慣もグループによって異なり、ほとんど施さない人々もいます。

チャドのボロロ (6)
今日のキャンプ地に到着。荷物を降ろして食事の準備。驚いたことに、遊牧民のキャンプ地にはどこからかやってくる調味料や電池などを売る小さな「出店」もありました。

チャドのボロロ (7)
ボロロの人々の台所。主食はミレット、ソルガムなどの雑穀をねったもの。そこに新鮮な牛のミルクを入れて。

チャドのボロロ (8)
ボロロの人々のベッド。雨も降り虫も多いことから高床で蚊帳もついていました。

チャドのボロロ (2)
中央アフリカを目指して再び移動を開始するキャラバン

「遊牧民の道」を車で移動するのには限界があり、これ以上一緒にいることができなかったのが残念でした。黄金の草地、緑の森の間を移動するボロロのキャラバンの景色は、夢のような光景です。

文・写真:Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のチャド 
チャド民族紀行 ボロロ(ウォダベ)遊牧民の祭典とゲラ山地

sawada_saiyu at 16:51|Permalink

2013年03月06日

チャド最高峰エミクーシ登頂に乾杯!チャドの砂漠でシャトー・バタイエ

チャドの砂漠で乾杯 (3)

チャド最高峰・サハラ砂漠最高峰の山エミクーシを登頂して下山後の祝杯は、チャド北部の砂漠ワディ・ドゥーンでした。せっかくのお祝い、コックさんは前日の夜にゴウロのオアシスで丸々とふとった羊を買って今日のためのお肉を用意してくれました。お肉は屠ってから1日後の方が柔らかくなっておいしいのです。

チャドの砂漠で乾杯 (4)
乾燥しているためヤギが多い地域ですが、炭火焼には羊が一番

祝杯用のお酒は、この日のために持ってきたソムリエ磧本修二氏に選んでもらったワイン。この日に用意したワインは下記の2つです。

チャドの砂漠で乾杯 (1)シャトー・バイタイエ Chateau Batailley
名前自体が「戦い」を意味するシャトーのワイン。このシャトーが14世紀の100年戦争の戦場に位置したことに由来した名前。ちょうど私たちが飲んだこの場所ワディ・ドゥーンも、チャド内戦の「戦場」でした。本当に偶然だったのですが。







チャドの砂漠で乾杯 (2)カロン・セギュール Calon Segur
セギュール公のシャトーで、セギュール公は他にも立派なシャトーを持っているのに一番愛したのがこの小さなカロン・セギュール。そのため、ラベルには大きなハートマークがついています。このハートマークのラベルのおかげで、このワインは昔から多くの男性の口説きの道具に使われ、日本でもバレンタインの贈り物になったりしているとか。





ワディ・ドゥーンとコーラの戦い
祝杯をあげたワディ・ドゥーンはチャド内戦の戦場となった場所です。ワディ・ドゥーンは北部の反政府勢力を後押しする形でチャドに進行してきたリビア軍の基地が置かれた場所でした。1987年にはこのワディ・ドゥーンの基地から南下するリビア軍の戦車部隊を、北上してきたチャド政府軍のトヨタ・ピックアップ改造車部隊(テクニカル)が迎え撃ち包囲し、勝利した戦闘が行われました(コーラの戦い)。砂漠で動きの遅い戦車が機動性の高いピックアップに負けた戦いで、この時期のチャド内戦の戦いはTOYOTAのロゴが目立ったことから「トヨタ戦争」とも呼ばれています。
このトヨタ・テクニカル部隊はさらに北上し、ワディ・ドゥーンのリビア軍基地に向かう砂漠に埋めてある地雷原を自らが犠牲になって道をつくり、ワディ・ドゥーンを制圧することでチャドを大きな勝利に導いたと言われています。

チャド コーラの戦いjpg (1)
ワディ・ドゥーン付近の荒々しい景観。砂丘と岩場が交互に現れる、4WDの運転も難しい地域です。南下してコーラへ。

チャド コーラの戦いjpg (2)
砂に埋もれたリビア軍の戦車

チャド コーラの戦いjpg (3)
コーラに近づくとたくさんの戦車、砲弾が残されています。ここで激しい戦闘があり、リビア軍にたくさんの犠牲者が出ました。

チャド コーラの戦いjpg (4)
中にはまだ動きそうなほど新しく見える戦車もありました。

ガイドのアンドレア氏、とても熱くチャド軍の軍人としての強さを語ってくれました。まさに今、(2013年3月6日現在)マリ北部の砂漠でフランス軍とともにAQIMの掃討作戦に出ているチャド軍。砂漠の実戦の経験と強さからその成果が期待されています。


ミスタースタンプスワインガーデン (1)ソムリエ磧本修二氏
さて、今回のワイン、長期の4WDの揺れの後にも飲めるワインでお祝いにふさわしいものとして、ソムリエ磧本修二氏に選んでいただいたものです。磧本修二氏、ソムリエ界の草分け的存在であり、そして西遊旅行・本社山担当の堤智顯(つつみ・ともあき)の義父で、六本木のワイン&フランス料理レストラン「ミスター・スタンプス・ワインガーデン」のオーナー。
帰国後、さっそくお店へ。
「古き良き六本木」な雰囲気の店内。木彫家具が暖かく、ほっとする隠れ家的なお店で、ワインはもちろんのことお料理も抜群です。



ミスタースタンプスワインガーデン (2)

ソムリエお勧めのワインと美味しいフランス料理。そして、旅の話。
チャドの砂漠での優雅なひとときに感謝して。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子











sawada_saiyu at 21:09|Permalink

2013年02月20日

チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ(3,415m)登頂

エミクーシ登頂 (3)
昨年末から長期のサハラ砂漠のツアーが続き、すっかりブログの更新に間が空いてしまいました。先日帰国した日本初のチャド最高峰エミクーシ登頂ツアーの様子をご紹介します。

チャドは長年続いた内戦の影響とその後の政情不安から日本から訪れる観光客の少ない国のひとつです。意外かもしれませんが、サハラ砂漠の最高峰の山はこのチャドにあります。チャドの北部には堆積岩の台地の上に火山活動によってできた山地、ティベスティ山地があり、標高3,000mを超える火山や溶岩原の山地が広がっています。

エミクーシはティベスティ山地の南にある火砕流原の楯状火山。山のすそは60Km x 80Kmと大きく砂漠に大きくそびえる山容は圧巻です。山頂部は巨大な、東西12Km、南北15Kmのカルデラになっており、さらにその中にナトロンを産出する小さなカルデラや溶岩ドーム、マールなどが見られる大変興味深い地形をしています。

今回の旅は29日にわたる長期の旅。首都ンジャメナだけがホテル泊で、首都を出てからの23泊はすべてテントという、旅自体がすでに「エクスペディション」なツアー。山歩きだけでなくチャド北部の自然、人々の暮らしも体験できる非常に内容の濃い旅でした。

エミクーシ登山は歩き始めて8泊9日の行程。そのほとんどが流紋岩、安山岩や玄武岩など火山岩の岩場です。溶岩のスロープを歩き、時に現れるワディ(枯れ川)で休養しながら、カルデラの縁を目指します。
歩き始めて6日目に見た巨大なカルデラの景色は実に感動的なものでした。エミクーシの山頂はこのカルデラの縁にあります。

エミクーシ登頂 (5)
エミクーシのカルデラの縁にて 登頂ガイドのアンドレア氏、西遊旅行大阪支社の楠さん
快晴の空、クレーター内の淡い緑が映えてとても美しい景色でした。

エミクーシ登頂 (6)
クレーターの中にはさらにクレーターが。ナトロンが湧いているエラ・コホールというクレーターです。高低差320m以上の岩壁を下りクレーターの中のクレーターへ。

エミクーシ登頂 (8)
ティベスティ山地にあるもうひとつのナトロンのクレーター、トゥルー・オ・ナトロン(トゥシデ山のカルデラ)より浅く小さいクレーターですが、採取できるナトロンは良質とのこと、みんなでナトロン掘りを体験しました。

登山中の荷物運びはラクダです。ティベスティ山地のラクダは小型で岩山を歩くのに適した足をしています。それでも、トゥブ族のラクダ使いは自分のラクダが大切で、けがをしないように見守り、水場ではナトロンや薬草の栄養剤を飲ましたりしていました。

エミクーシ登頂 (4)
ラクダの栄養剤を準備している様子。ラクダもそばで待っています。

エミクーシ登頂 (1)
夜、ラクダ使いたちは火を囲んで民族楽器を鳴らし、歓談。

エミクーシ登頂の当日は風のある日で、頂上に近づくにつれ風も強くなり寒さも増しました。頂上は玄武岩のカルデラの縁にのった溶結凝灰岩のシートです。
無事に初登頂を果たした瞬間、トゥブ族山ガイドのセヌーシー氏がカラシニコフ銃で祝砲を鳴らし歓喜の声に包まれました。未知の国、未知の山。首都ンジャメナを出て13日目、無事に全員で登頂です。

エミクーシ登頂 (7)
チャド最高峰にしてサハラ砂漠最高峰エミクーシ3,415mを登頂

「いつか実現したい」と思っていた夢の実現、一緒に初登頂を果たした皆さまとスタッフに感謝申し上げます!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子






sawada_saiyu at 11:34|Permalink

2012年12月07日

カメルーンに残る王国とそのユニークな習慣

アフリカの大西洋岸に面したカメルーンは北から南まで変化に富み、自然や景観、人々の暮らしも異なります。
各地では熱帯アフリカに特有の王政というのが村単位で残っている地域が多く、今度の旅行でもいくつかそんな興味深い村を訪れました。

ウジラ村は北部の山間にある集落です。岩がちな山をガタガタ揺られながらすすむとその村はあります。ウジラ村には900年前からつづくポドコ族の15代目の王モゾコがいます。王は2万人のポドコ族の頂点にたち、彼の命令は絶対ということです。御年99歳の王には52人の奥さんとの間に76人の娘さんに112人の息子さんをもうけていて、お孫さんの数になるととんでもない数になるようです。宮殿の中にはポドコ族の聖なる石や先代の王のお墓、王を象徴するお祭で使う壺、奥様の部屋の一部を見せていただきました。食事は2回、26人の奥さんが交代でファミリーの食事を作る事や、跡取りは1番目の奥さんとの間にできた次男に継がせるなどユニークな習慣があることを伺いました。


DSCF4811
DSCF4814

ポドコ族の王                           52人の王妃のひとり   

DSCF4819








ポドコ族の女性たち



南部にもさらに支配範囲の広い王国が現在もあります。バフット王宮は16世紀初頭から現在まで11代の歴史があります。39人いる奥様の一人ロウさんが案内してくれました。子どもは175人いて敷地内の建物にお母さんと住んでいます。お手伝いはいないようで、洗濯などの家事も自分たちで行います。赤ちゃんや青年に至るまでたくさんの王子王女が生活していました。ドイツに植民地化されるまでは人身供儀が王の葬儀の際などに行われていました。浮気をしてしまった男女は広場で磔にされ身体の部分を徐々に落とされ殺されるという残酷な刑も行われていたようです。また祭事の際はトーキングドラムで村へ伝えられ、さらに先の区画までそのドラムの音は復唱するような形で伝わりました。毎年12月のお祭りでは王室含めバフットの人々が踊り、歌に興じるとのことです。かつての迎賓館を利用した博物館にようやく入ると現在に至るまでの王朝の遺産が展示されていました。象牙の足おきやヒョウの毛皮のカーペット、パイソンの皮を飾った王、そのお母さんの部屋、ドイツから奴隷と引き換えに送られたマグカップなどの品々、戦士などをモチーフにした彫像、100以上前の王宮の風景写真、夥しい釘を打ち込まれた願いごとを叶える人形など興味深いものばかりでした。木琴のリズミカルな調子に合わせて踊り回る、動物の仮面を用いた舞踊を見学して、バフットをあとにしました。

DSCF4990
DSCF4991

バフット王宮で先祖の霊を祀る「魂の家」           王が即位するごとに建てる木彫り

DSCF4981











バフットの人による仮面舞踏


ツアーの最後ではフンバンヘ。カメルーンはその半数の人がキリスト教徒ですが、西部州の中でもヌン川を越えるとまた民族・文化が変わり、その8割がイスラム教を信仰するバムン族の土地となります。フンバンに到着して早速バムン族の14世紀後半から19代続いている王宮の、一部を開放した博物館を見学しました。19代目の王に至るまで歴代の王の素晴らしい遺品を集めた展示でとても充実していました。その幾つかあげると、

・2m60cmあった11代目の王の特大の服や杖
・敵のあごを無数につけたカラバッシュ製のヤシ酒のツボ
・東西の敵と対峙していた時に考案された双頭の蛇の盾
・かつて生息していたカバやゾウ、ヒョウのミイラや毛皮

中でも偉業が知られているのが17代目のンジョエア王で、生涯に681人の妃を娶り、シムン文字という現在でもバムンの学校で教育に使われている独自の文字を考案しました。製粉機も開発したりするなどその多才ぶりを発揮しましたが、最後はフランスとの戦いに敗れ1933年にヤウンデで処刑されました。徒歩で王宮前広場で開かれていた市を見学しました。ンジョエア王の銅像もおかれ、今でも人々の生活と共にあるようです。

DSCF4992
DSCF4994

      現在19代目の王が生活するバムン族の王宮と伝説的な17代目のンジョエア王


2/15出発は残席わずかです。コース詳細はこちら!

otomo_saiyu at 10:00|Permalink

2012年08月26日

古代メガ・チャド湖跡 MEGA LAC TCHAD

メガチャド湖跡
チャドの北部に広がる、古代チャド湖の話です。2012年2月、北部の中心地ファヤから首都ンジャメナに向けて移動していたときに古代チャド湖(メガ・チャド湖)の跡を走りました。

メガ・チャドと呼ばれた完新世のチャド湖は、現在の面積と深度の少なくとも 20 倍はあったといわれています。深さ160メートル、44万キロ平方メートルにも及ぶ巨大な湖でその北部の一番深い(低い)地点がジュラブ砂漠です。

ジュラブ砂漠はジュラブ凹地とも呼ばれる砂漠でファヤ南部からバハル・エル・ガゼルにかけて広がり、古代チャド湖北部の底だったとされ、ダイアトマイトや貝の殻、魚の化石などが残されていました。砂漠としてもとても若く、小さなバルクハン砂丘の集合体です。

チャド北部 ダイアトマイトファヤ周辺からジュラブ砂漠いったいで見られるダイアトマイト。ダイアトマイトは遺体が海底や湖沼の底などに沈殿してできた堆積物で、チャド北部で見られるものは古代チャド湖のものです。






ジュラブ砂漠の貝殻水があった証拠、砂漠の中の貝殻









メガチャド湖の魚の化石1かつての湖の底を歩いてみました。なまずの先祖と考えられる魚の化石が散乱していました。背骨、あごの骨と歯、ヒレなど・・・。メガ・チャド湖の存在は35万年くらい前までなので、これらの化石はそれ以前のものと推定されます。





メガチャド 魚の化石

そして今のチャド湖はどうかというと、チャド、ニジェール、カメルーン、ナイジェリアの4カ国にまたがりますが、近年の観測では1963年から1998年までの間に95%湖面が小さくなったといわれています(1960年25000キロ平方メートルあったものが、2000年に1500キロ平方メートルに縮小という報告もあり)。原因は大きな自然の変化の中にあるという説に加え、急速な灌漑・取水、湖の周辺の過度の放牧が上げられています。逆に近年にはこの縮小傾向が止まっているとの報告もあります。

ボル周辺のチャド湖2011年9月のチャド湖畔ボル周辺の様子。かつての湖面は濃い緑で覆われ、にぎわった港・税関も今は岸から遠いものとなっていました。ここにくると、「チャド湖縮小」は目の前にある現実、恐ろしささえ感じます。





ジュラブ砂漠で魚の化石とメガ・チャドから現在のチャド湖まで・・・ティベスティ山地やエネディ山地の地殻変動もですが、チャドの旅は気が遠くなるような時間のと大地の変化を体感する旅です。

文・写真 
Mariko SAWADA 澤田真理子



西遊旅行のチャドの旅
チャド湖畔に暮らす民族を訪ねる旅 
チャド民族紀行
古代メガチャド湖を走り、北部ティベスティからエネディ山地を訪れる一大エクスペディション
エネディとティベスティ山地



sawada_saiyu at 18:15|Permalink

2012年08月22日

チャド サハラ最後のワニを探して・アルシェイのゲルタへ

アルシェイのワニ (2)
サハラ砂漠最後のワニ・・・かつて「緑のサハラ」の時代に生息していたナイル・ワニがチャドのエネディ山地にひっそりと暮らしています。2011年の4月と2012年の1月、季節を変えて2度、この貴重なワニと出会うことができました!

アルシェイのワニ (3)チャドのエネディ山地へ
首都のンジャメナから車で走ることまる3日以上。エネディ山地はチャド北東部、スーダン国境付近に位置する岩山地帯です。サハラ砂漠の中央にある堆積岩(砂岩)の岩山で、全ての面を砂漠の砂により侵食されたため、独得の景観の渓谷やワディ、ゲルタを作り出している山地です。




アルシェイのワニ (5)アルシェイのゲルタ
「ゲルタ」とはアラビア語で「砂漠にある水のたまっているところ」。アルシェイのゲルタのみどころはいくつかありますが、ハイライトはたくさんラクダがゲルタに集まっている様子と、「サハラ最後のワニ」、デザート・クロコダイルです。
アルシェイのゲルタのビューポイントまで歩けば、その2つを一度に楽しむことができます。もちろん、ラクダの数はその日によって違いますし、ワニは必ずしも見れるとは限りません。すべては「運」。

「サハラ最後のワニ」
エネディ山地のゲルタには「サハラ最後のワニ」と呼ばれるワニが暮らしています。アルシェイのゲルタに暮らすワニは7匹。調査を開始したとき9匹いたワニは、1匹は夏の増水のときにゲルタから流れ出て死んでしまい、もう1匹は行方不明になり現在7匹が暮らしてるといいます。
1万年前まで続いた「緑のサハラの時代」にナイル・クロコダイルが西アフリカ全域に広がりました。その後の気候の変化で徐々に姿を消し、モーリタニアのタガント・ヒルのものが1996年に絶滅した後、「サハラに生き残ったサニ」としてはチャドのエネディ山地だけになりました(モーリタニアの“サヘル”にも残っていますが、“サハラ”としてはエネディが最後です)。
限られた食べ物、遺伝の問題などから体が矮小化し、ナイル・ワニは本来5mほどまで成長するのに対し、サハラのものは1.5~2mしかありません。
トゥブ族の人々はワニを神聖視し、ゲルタからこのワニがいなくなると水が枯れると信じ、大切にしています。ワニが人やラクダを襲うことも、人がワニを襲うこともないそうです。

ではサハラ最後のワニの写真をどうぞ

アルシェイのワニ (6)
水の中から現れた、ワニ。

アルシェイのワニ (7)
もうすぐ陸に上がるのか、ワニ。

アルシェイのワニ (4)
くちを開けてひなたぼっこ、ワニ。

アルシェイのワニ (1)
しげみにひそむ、ワニ。

アルシェイのワニ (8)
そしてこれは同僚の山田さんが撮った非常に珍しいツーショット・ワニさん。

ワニを上手に観察するには、ビューポイント到着前から静かに歩き、しゃべったり、音を立てたりしないことです。「サハラ最後のワニ」が本当に最後にならにように見守っていきましょう・・・。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子、
写真提供 Yamada Koji 山田宏治

西遊旅行のチャドの旅2012-2013
エネディとティベスティ山地の旅 チャド北部のサハラ踏査行 28日間
エネディ山地のみを訪問するコース、サハラ最高峰エミ・クーシ登頂企画もあります。お問い合わせください。


sawada_saiyu at 19:05|Permalink

2012年03月21日

チャドのドルカス・ガゼル Dorcas Gazelle

ドルカス・ガゼル1
チャド北部の砂漠で見られる、小型の一般的なガゼル、ドルカス・ガゼル。草地、ワディ、山地、砂漠に暮らしています。メスはワディや草地で群れをつくって行動していますが、若いオスは餌を求めて単独で岩山を越えたりしているのを見ることがあります。

ドルカス・ガゼル2チャドでは長年の内戦の間、こういった野生動物が人々や兵隊さんの食料とされ犠牲になりました。北部チャドの人々、内戦でリビアからやってきた兵隊さんはイスラム教徒。イスラム教徒が食べてもいい動物(ハラールなお肉)にあたるガゼル、ダチョウはその的でした。その結果、ガゼルは残りましたがダチョウは北部チャドから姿を消してしまいました。同様にチャドの砂漠に暮らすジャッカルやハイエナは、イスラム教が食べてはいけない動物(ハラームなお肉)なんだそうで、現在もたくさん生息しています。

ドルカス・ガゼル3内戦が終わった現在のチャドでは狩猟が厳しく禁止されガゼルの生息数は増えているといわれています。実際にカライ(ウム・シャロバ)からバハル・エル・ガゼルへの砂漠横断をしたときに、ほかのサハラ圏では見られないほどの数のガゼルを見ました。
サハラ砂漠北部から野生動物が姿を消し、現在は一部の保護区、チャドの砂漠でしか見られない動物が多くなってきています。チャドの観光の発達とともに、野生動物の保護が促進されますように・・・。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


sawada_saiyu at 19:43|Permalink

2011年06月23日

サハラ砂漠のフェネック Fennec

fennec03

ハルマッタンの熱い風が吹くチャド。かつては川が流れていたというバハル・エル・ガゼル Bahr el Ghazalの北にある砂漠でフェネック(アラビア語でFoxの意味)のかわいい姿を見ることができました。

fennec01フェネックはサハラ砂漠で見られる犬科最少の動物。キツネ属に属し、フェネックギツネともよばれ、実際にその姿も耳の大きな小型キツネ。
体長は40Cmほどですが、耳は15Cm。その大きな耳は放熱の役割をするうえ、強力な聴力で獲物の動きを察することができるそうです。毛皮は強い日差しをさえぎって体を守り、熱い砂の上を歩けるように足の裏も毛で覆われ、毛の色は砂漠と同じ保護色。さらには熱さに対応した腎機能も備え、乾燥と灼熱のサハラで暮らすことに見事に適応した動物です。

fennec04「砂色」の毛皮をまとったフェネック、当然見つけるのは楽ではなく、砂漠の移動中に見かけたときは、いつも走って逃げる“うしろ姿”。今回は偶然にもキャンプ地のそばに巣穴があり、近くで観察することができました。






fennec02夜行性で砂に巣穴を掘ってくらします。夜間に、虫や小動物を捕食するため、朝、夕方に巣穴付近で活動する姿をみかけました。この巣穴、入り口は小さいですが細長く、奥は10mほど続いているとのこと。






日本でもペットとして飼育されているフェネック。調べていて、そのペットとして愛くるしい姿の写真や、かわいくてたまらないという飼い主の方のコメントもたくさん拝見しました。
でも、サハラの大自然の中で見る、フェネックのたくましさ、美しさも格別です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


sawada_saiyu at 09:00|Permalink