チベット仏教

2017年03月24日

初夏のラダック・ヘミスツェチュ祭へ✨

4月末から始まる、インド北西部・ラダック地方の旅行シーズン
西遊旅行では、気軽なものからマニアックなものまで様々なラダックの旅をご用意しています。 

西遊旅行で行く!ラダックの特集ページこちら!(美しい星空の動画がみられます♫)

「長い時間は取れないけれど、ラダックに行ってみたい」という方にオススメなのが
8日間のインド最北の祈りの大地ラダックコース。こちらのコースは、

・8名様から催行・15名様限定の少人数コース

・専用車は1台につきお客様3人乗りまで
 (ゆったりと車窓の旅をお楽しみいただけます)

・ラダック・ザンスカールハンドブックをプレゼント!
 (ラダック基本情報/歴史/気候と服装/持ち物/見どころ紹介など、盛りだくさんの手作りガイドブックを無料でプレゼント致します)


という、「ラダックに行くのは初めて」「行ってみたいけど、ちょっと心配」という方にもおすすめのコースです。

こちらのコース、ゴールデンウィークから9月まで6本のツアーをご用意していますが、どれを選んだらいいのかわからない〜という方におすすめなのは
6/28出発コース
ツアー中にラダック最大の祭りヘミス・ツェチュ祭を見学致します!

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ツェチュ祭とは、ニンマ派の祖師グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)にちなんだ祭りで、ラダック以外でもチベット文化圏各地で祝われます(ツェチュ祭りについて、詳しくはこちらもご覧ください)。

ラダックでは、ヘミス僧院以外にもタクトク僧院などでツェチュ祭が開催されますが、規模の大きいヘミス僧院のツェチュ祭には、全チベット文化圏から巡礼者が訪れ、僧院の中庭が埋め尽くされます。

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祭りが一番盛り上がるのは
最終日の早朝に行なわれるトンドル(大タンカ)のご開帳。日の出前にトンドルが開帳され、その下でグル・リンポチェからの祝福が人々に与えられます。トンドルを一目見ようと訪れる人々の姿を見られるのは、このコースだけです。

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「インド最北の祈りの大地ラダック」のコースでは、4月29日発コースを除き、
オプショナルにて天空の湖「パンゴン・ツォ」を訪問できます!

Pangong Tso (5)
インド映画「きっと、うまくいく」のラストシーンに出てきたパンゴン・ツォ(湖)。絶景好きの方にはオススメの場所です!

ご興味のある方、詳しく聞いてみたい!という方は、お気軽にお問い合わせくださいませ!

西遊旅行で行く!ラダックのツアー特集はこちら
「インド最北の祈りの大地ラダック」ツアーページはこちら

お問い合わせ・ご質問・お申し込みはこちら




 


 






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2016年06月14日

白傘蓋仏母 -Sitātapatrā-

これからいよいよシーズン本番を迎える、インド北西部・ラダック地方の旅。
最近の絶景ブームで、ラダックの美しい大自然ばかりがフィーチャーされがちですが、
是非とも注目していただきたいのが、ラダックの仏教美術の素晴らしさです。

ラダックはインドの北西部に位置すると同時に、チベット仏教圏の西端に位置しています。 

チベット仏教の各寺院には、仏像や彫像が置かれ、壁には曼荼羅などの壁画が描かれています。
それらの仏教美術はなぜ存在するのでしょうか。
民衆にわかりやすく仏の教えを説くためであったり、また、修行僧が難しい教えを理解するための道しるべとなるためであったり…理由は様々です。

中国側のチベット仏教圏では、多くの仏教美術が、20世紀後半の文化大革命によって損害を受けました
現在見ることができる仏教美術は、その後修復された新しいものであることが多いのです。

一方、インド国内にあるラダック地方の仏教美術たちは、
文革の影響を受けることなく、また、最近まで訪れることが非常に難しかったこともあり、
製作された当時の美しい姿をそのまま今に伝えています。 

ラダックの中心地、レーの周辺には、多くの寺院が残っています。
寺院を訪れると、美しい仏教美術が出迎えてくれます。

へえ~~~と眺めるだけでも、もちろんかまいませんが、それらの意味をひとつひとつ紐解くと、
ラダックでの滞在をよりお楽しみいただけると思います。

おすすめの僧院をひとつご紹介いたします。
レーの街の中心地から車で10分という好アクセスで訪れることができる「シャンカール僧院」です。

たとえばプクタル僧院のように、絶壁に建てられた僧院とはことなり、この僧院、外見はかなり地味です。

Sitatapatra (5)

しかし、是非この僧院に入り、そして2階に上がってみてください!
そこで出会えるのが、この

Sitatapatra (1)

仏様です。

この仏様の名前は「白傘蓋仏母」。
「びゃくさんがいぶつも」と読みます。

「白傘蓋仏頂(びゃくさんがいぶっちょう)」と呼ばれることもあり、仏様の肉髻(にっけい:パンチパーマのような、あの、頭のイボイボです)が尊格化したものだとも言われています。

手にしているのは白いパラソル。これは、古代インドで王権の象徴とされたものです。

Sitatapatra (2)

お顔をじっくり眺めます。白傘蓋仏母は、一切衆生を救済するため、千の顔、千の腕、千の脚を持つ、「愛と慈悲の女神」だと言われます。頭の上に、千の顔が積み上がっています。

Sitatapatra (4)

腕をじっくり拝見します。本当に千本あるのか、数えてみたくなりますね…。
それぞれの手に、法具を持っています。

Sitatapatra (3)

次に足をじっくり拝見します。イボのある大きい足かと思いきや、拡大すると、小さな足の集合体であることがわかります。こちらも、千本あるのか数えてみたくなります…。その千本の足で、阿修羅を踏み潰し、私たちを守ってくださっています。

Sitatapatra (1)

もう一度、お顔をじっくり眺めます。怖いと思っていた顔は、私たちを守るための真剣な表情であるような気がしてきます。

こうやって、仏様のひとりひとり、壁画のひとつひとつをじっくりと拝見していると、小さな僧院であってもすぐに30分、1時間が経ってしまいます…。

始めは「難しそうだ」と思っていたチベット仏教美術ですが、いくつかのキーワードを押さえると、共通する部分もあり、だんだん楽しくなってきます。
そんなラダックの旅の一助になればと、ツアーご参加の皆様にお配りしている「ラダック・ザンスカールハンドブック」には簡単な「僧院拝観ガイド」をお付けしています。是非旅のお供になさってください!

西遊旅行で行く!ラダック・ザンスカールの特集はこちら

※シャンカール僧院を含め、僧院は観光地ではありませんので、鍵番の不在や宗教儀式などで中を見学できないことがあります。お時間に余裕を持ってご訪問ください。

Text by Megumi Nakatani









 

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2013年07月03日

ラダックのヘミス・ツェチュ祭 2013

ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (5)

西遊インディアの川口です。
6月18日、ラダックのレーで行われたヘミス僧院のツェチュ祭の様子のレポートです。
この日の午前中はあいにくの雨。午後には天気も持ち直し、地元の人たちに混ざってツェチュを楽しみました。

ツェチュとは・・・
チベット文化圏の寺院での祭りのことですが、本来は「(月の)十日」を意味します。
これは、紀元後八百年前後にチベット仏教をヒマラヤ一帯に流布した、ニンマ派の祖師グル・リンポチェ(パドマサンバヴァ)にちなんでいます。彼の生涯には十二の重大な出来事が起きたといわれ、各月の十日に、その月に該当する出来事の法要を行います。
また、「月の十日にツェチュ祭のあるところには必ず戻ってくる」という言葉を残したとも言われています。ツェチュ祭とは、グル・リンポチェを再び目の前に拝み、法要を行う、一年のうちでも大切な日です。

チャムとは・・・
ツェチュ祭には、必ずチャムと呼ばれる躍動的で色鮮やかな仮面舞踊があります。娯楽を目的とした舞踊ではなく、宗教教義に基づく儀式や法要を表し、踊り手の動きは一挙手一投足まで書に記されています。チャムは舞踊によって、難しい宗教の教えを一般の人々にもよりわかりやすく、親しみやすい形で伝えています。墓場の守り神・骸骨(ドゥルダ)の舞、黒帽の舞・シャナ、鬼神八部衆の舞・デゲー、忿怒尊の舞・トゥンガム、太鼓をもったギン・タン・ツォリンの舞などが挙げられます。

へミス・ツェチュ プログラム
ヘミス僧院タンカ3日間にわたって行われるツェチュ祭り。私たちは祭りのハイライトとなる2日目を見学しました。まずは現在のカギュ系ドゥク・パのへッドラマ、ドゥクチェン・リンポチェ12世の写真が運ばれてきます。
その後、僧院の壁にペマ・ギャルポの大タンカがご開帳されます。(今年のタンカは毎年見ることができるタンカ。へミス僧院には12年に一度お目見えするグル・リンポチェのタンカも存在します。次回ご開帳は2016年)



(1)13黒帽の舞
13名の僧侶によって舞われるもの。広場全体を清める意味を持ちます。口元のマスクは悪霊を吸い込まない為。彼ら黒帽の僧侶たちはシャナクと呼ばれ、ダオ(仏教における悪の象徴を表す人形)にまつわる儀式など、チャムの中でも重要な役割を果たします。
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (1)


(2)祝福の儀
16名の銅製のマスクをつけた踊り手たちの舞。
会場に来ている人たちに、祭りの開始を告げ、邪気をとりはらいます。
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (2)


(3)パドマ・サンバヴァ八変化
グル・リンポチェは8つの化身の姿を持っていたと言われています。いろいろな姿がありますが、その中でもブータンの聖地・タクツァン僧院はグル・リンポチェがグル・ツェンゲの一つ「グル・ドルジドロ」という姿で虎に乗ってやって来たという伝説が残っています。
祭りでは、お坊さん達に連れられて八変化相が次から次へと登場しますが、パドマサンバヴァは金色の傘が掲げられ人一倍大きな仮面として表現されているので、一目で判別をつけることができます。用意されたイスに座っているパドマサンバヴァの前で、八変化相が次々と舞いを披露していきます。
パドマサンババ


(4)12守護尊の舞
各僧院に描かれていたプロテクターの舞です。マハカーラ(大黒)やヤマ、パルデン・ラモなど。

(5)The four Sgoma
赤、白、黄、緑と4色の門番たち。幸福や豊かさの為に動く神のような存在です。フック(白)で邪気を捕まえ、ロープ(黄)でそれらを縛り付けます。鉄鎖(赤)で固定し、ベル(緑)で惑わせて逃げられなくするといったように持ち物それぞれに意味があります。
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (3)


(6)チティパティの舞
チティパティ(屍陀林王)と呼ばれる骸骨の仮面です。「墓場の主」という意味を持つこの仮面は、かつては苦行僧だったそうで、祭りの時に悪霊を退散させる重要な役割を担うとされています。
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (7)


(7)パドマサンバヴァの忿怒の舞

(8)ダーキニーの舞
守護尊の一つヘールカの妃であるダーキニーの舞。赤、白、黄、赤、青色の5体のチャムです。祭り会場の中央にある、邪気を吸収させたトルマを破壊していきます。
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (6)


(9)勇士の舞
ラダック ヘミスツェチュ祭2013 (8)


ヘミス僧院はラダック最大の僧院であり、17世紀の創建以来、ラダック王家の援助の下で大きな力を持ってきました。ツェチュは、このヘミス僧院が一年で最もにぎわう日。ラダックの人々の信仰を感じる貴重な機会となりました。

文・写真 Kayo KAWAGUCHI 川口佳代 @西遊インディア 

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インド最北の祈りの大地 タダック
ラダック 暮らしと伝統に触れる旅

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2013年06月06日

ラダックのブッダ・プルニマ祭

ブッダプルニマ2
西遊インディアの以頭祐志です。先日、ラダックより帰国。2013年5月下旬のブッダ・プルニマ祭をレーとアルチにて迎えることができました。

到着したレーは快晴、気温15度。ラダックの名峰ストック・カンリ(6,153m)の雄姿が迎えてくれました。
ストックカンリ

2013年5月25日はこの日はお釈迦様の誕生・涅槃・入滅を祝うブッダ・プルニマ祭がレーの町中で祝われていました。

ブッダ・プルニマ祭
仏教の伝わる各地で「ウェーサーカ祭」として祝われるもの。日本では「灌仏会」と呼ばれます。釈迦の誕生・悟り・入滅の3つがこの同じ日に起こったとされ、ラダックではチベット歴の4月の満月の日に当たります。「プルニマ」とは満月のこと。レーではラダックにおける仏教組織(ラダック・ブッディスト・アソシエーション)が主催し、ピース・マーチの行進と、ポロ・グラウンドでの見世物が行われました。ピース・マーチは市中心部にあるレー・ジョカンを出発してシャンティ・ストゥーパ、ツェモ僧院の順で回り、ポロ・グラウンドをゴールとして行われました。今年は釈迦の誕生から2557年目に当たります。

まずは市民たちが行進するピース・マーチ。シャンティ・ストゥーパから降りてくる行進の列を待ちうけました。
ブッダプルニマ1

僧侶たちの列の後には誕生日を迎えたお釈迦様がトラックに乗って移動してきます。
仏陀 ブッダプルニマ

お経を持った人々の列が通り過ぎる時、頭を下げると手に持つお経を軽く叩くように頭に乗せて行ってくれました。その後、たくさんの子供たちに混ざり行進に加わりました。
次にはレーの町の広場、ポロ・グラウンドでの見世物を見学しました。広場の真ん中に作られた壇上で、市民やお坊さんが踊りを披露しました
ブッダプルニマ

ブッダプルニマ3

ブッダプルニマ4

レーでのブッダ・プルニマ祭を楽しんだ後はアルチへ。名刹アルチ・チョスコル僧院を訪問すると、今日はたくさんの地元の人々が参拝に訪れお祈りをしていました。僧院外でもピクニックをしている人がいたり、ビンゴ大会のようなことをしている人がいたりと、日本の縁日のようなお祭り気分で賑やかでした。

いつもよりも明るい雰囲気に包まれたブッダ・プルニマ祭のラダック。これから、お祭りのシーズン、本格的な旅行シーズンを迎えます。

西遊インディア 以頭祐志(いとう・ゆうし)

西遊旅行で行くラダックの旅2013
インド最北の祈りの大地ラダック
ラダック 暮らしと伝統にふれる旅
上記のパッケージツアーの他、西遊インディアではラダックの個人旅行、デリーからレーの国内線手配など旅のパーツ手配のお手伝いもしています。



ito_saiyu at 16:32|Permalink

2012年11月20日

ダラムサラ チベット亡命政府の拠点 ダライ・ラマ14世の説法

ダラムサラ

西遊インディアのスタッフと秋のダラムサラを訪問。ちょうどダライ・ラマ14世の説法も行われおり幸運にも参加することができました。初めてのダラムサラでしたが、その西洋人中心の外国人観光客の多さ、昔ながらのバックパッカーのたまり場的なまったりとした雰囲気、それとはまったく異なる厳しい「焼身抗議するチベット族」の現実など、現在のチベット問題を目の当たりにするダラムサラ滞在でした。

ダラムサラは「雪山の州」を意味するヒマーチャル・プラデーシュ州に位置し、標高約1,800mの涼しい丘陵地帯にあるためイギリス統治時代にはイギリス人たちの軍駐屯地及び避暑地となっていました。1905年の壊滅的な大地震で多くのイギリス人が麓の谷に移らざるを得なくなり、1947年のインド独立以降、イギリス人はこの地からいなくなりました。

ダラムサラ (7)
避暑地としても有名なダラムサラ

1959年にダライ・ラマ14世がインドに亡命し、チベット亡命政府を樹立して以来チベット仏教文化の拠点となり、「リトル・ラサ」とも呼ばれている町です。
インドの初代首相ネルーはその地理的・気候的条件はもとより、閑静で静穏なこのダラムサラの地をチベット難民のために選んだと言われています。

ダラムサラ (1)
チベット寺院の建つマクロード・ガンジーの小路

ダラムサラ (5)
街角で売られるモモ。インド国内の旅行客にも人気です。

ダラムサラ (2)
チベット・グッズを売る屋台もたくさん出ています。

ダラムサラでは、チベット本土では失われつつある伝統的な文化や宗教を守り、後世に残していくための様々な努力がなされており、異国での亡命生活を今なお強いられているチベットの人々の現在を見ることができる場所です。街角で見られる、「焼身自殺」のポスターには衝撃を隠さずにはいられません。近年のチベット問題が日本で知られている以上に深刻であることがうかがわれます。

ダラムサラ (3)
街角のいたるところに張られたポスター。この抗議の果ては・・・。

ダラムサラのみどころとしては以下に紹介する他、2000年にチベットより亡命してきたカルマパ17世が住むギュトー僧院や、チベット博物館、チベット文献図書館、チベット医学暦法研究所、チベット舞台芸術研究所などもあります。

ナムギャル僧院(ツクラカン堂、カーラチャクラ堂)
ダラムサラ (8)ナムギャル僧院は、ダライ・ラマ公邸の正面に位置し、ツクラカン堂とカーラチャクラ堂からなるゲルク派の総本山です。時折、庭で僧たちが足を踏み鳴らし大げさに手をたたく身振りで教義問答する光景が見られます。
ツクラカン堂は、ラサのジョカンに相当するダラムサラでは最も重要な寺院で、マニ車が囲む堂内には、釈迦牟尼仏、観世音菩薩、パドマサンバヴァの3体の格調高い仏像が祀られています。また、ツクラカン堂の隣にある1992年建立のカーラチャクラ堂には、目の覚めるほど美しいカーラチャクラ(時輪)曼荼羅の壁画が収められています。
ダライ・ラマの住居である王宮は、ラサのポタラ宮と同じように神聖視され礼拝の対象になっており、毎朝多くの巡礼者がその周囲に作られた巡礼路を時計周りに歩いています。
巡礼路には多くのタルチョがはためき、マニ塚やマニ石なども見られます。マニ車や数珠を手にマントラやお経を唱えながら歩く巡礼者たちと一緒にコルラしてみると良いでしょう。

ノルブリンカ芸術文化研究所
ダラムサラ (10)ラサにあるダライ・ラマ法王の夏の離宮「ノルブリンカ」から名前がつけられたこの研究所では、チベット仏教の精神的・文化的遺産、伝統芸術・技術を保存し発展させるための取り組みが行われています。
チベット人が異国の地で経済的に自活することも目指しており、タンカ絵師や仏像の彫師を養成するコースや裁縫・刺繍の職業訓練の教室なども設けられています。
同じ敷地内には、チベット各地の民族を紹介する小さな人形博物館や、この施設で作成された質の高い手工芸品などを購入できるお店の他、おしゃれなゲストハウスやカフェもあります。

個人でダラムサラを目指し、ダライ・ラマ法王の法話に参加するための情報です。
まずは公式ホームページ http://www.dalailama.com/ にてダラムサラでの法話のスケジュールをチェック。その滞在に合わせて旅行を立てます。尚、この期間中のダラムサラは当然ながら混み合いますので、マクロード・ガンジ―の宿を希望の場合は早めの手配が大切です。
到着したらダライ・ラマ公邸の事務所でパスを申請。写真2枚を持参し、用紙を記入します。
その場でパスが交付され、あとは法話に合わせて出かけます。法話の前には公邸から僧院へ移動するダライ・ラマ14世を間近に見ることも可能です。法話が始まると、レンタルのラジオを使って各国言語で法話を拝聴することができます。
簡単な手続きでパスが発行されます。法話中の内部へのカメラ、携帯などの電子機器の持ち込みは禁じられていますので荷物の準備にご注意ください。また、前方の特別席を希望の場合は数日前から行われる事前登録を行わなければいけませんので、早めに手配依頼をする必要があります。

荘厳な雰囲気に包まれた僧院。ありがたく拝聴する民衆、その雰囲気にのみこまれる外国人。この臨場感は一度経験し、チベット問題を考える機会を与えてくれます。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊インディアではダラムサラを訪れるバックパッカーのためのデリーからの片道手配+ゲストハウス2泊プランを設定しています。詳しくは西遊インディアのホームページをご覧ください。








sawada_saiyu at 00:55|Permalink

2012年08月31日

アルナチャールの魅力③若き日のダライ・ラマが見た風景

今から62年前の1950年、中華人民共和国の人民解放軍がチベットを制圧したことを機に、24歳の若きダライ・ラマ14世はインドへの亡命を決意しました。

わずかなお供をつれて夏の宮殿ノルブリンカの裏口から出発し、ヤルツァンポ川を渡り、そまつな装備で6,000メートル級の峠をいくつも越えたそうです。

国境を越えた先はインドのアルナチャール・プラデーシュ州でした。
ツアーでは、タワンからさらに先、特別入域許可で訪れることができる「インドの最果て」ジミタンを訪れます。このジミタンからわずか数キロ先が、ダライ・ラマ14世が越えた国境なのです。

木と石でできた素朴な村
石と木でできた素朴なジミタン周辺の村

ポー
民家の軒にはブータンと同じ「ポー(木製の男性器)」と蹄鉄がぶら下がっている

経文の型
民家に残る経文「ルンタ」を作るための木製のはんこ

14世は国境からタワンまで、ヤクに跨り民家に宿泊しながら、4日かけて旅しました。タワンで2泊したあと、4日かけてテズプールへ。そこから列車に乗りました。
体調を崩し、命からがらインドにやってきた14世。インドに到着した際多くの人々に歓迎されたといいます。

タワン僧院
「地球上で最も神聖な場所」と言われるタワン僧院

タワン僧院の小坊主
ヒマラヤを背景に、外で勉強する僧侶たち

アルナチャール・プラデーシュ州を旅した際、当時の事を覚えているという老人と出会うことができました。14世は多くの地元の人々に囲まれて歩いておられたといいます。

ジャーナリストの謝孝浩さんが雑誌『コヨーテ』の特集でこのダライ・ラマ14世の亡命ルートを実際に旅し、レポートを書いています。雑誌は残念ながら絶版となっているのですが、機会があればご旅行の前にぜひお読みになってみてください。インド最果ての地に実際に起こった物語を知って行けば、アルナチャールの旅がより一層深いものになるはずです。

キャラウン村からラサ方向
ジミタン付近にあるキャラウン村からラサ方向を望む

↓↓↓アルナチャール・プラデーシュ州を訪れるツアーはこちら
「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」

参考図書
謝孝浩他『coyote(コヨーテ)No.5 特集・チベット、ヒマラヤへと続く道「ダライ・ラマもこの道を旅した」』スイッチパブリッシング
ダライラマ『チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝』中央公論新社
グレン・H. ムリン『14人のダライ・ラマ―その生涯と思想』春秋社

nakatani_saiyu at 12:44|Permalink

2012年08月22日

アルナチャールの魅力②聖なるタワンとモンパの人々

東ブータンを旅したことがある方は、黒いフェルトでできた不思議な帽子をかぶった「ブロクパ」の人々と出会われたことがあるのではないでしょうか。
標高約2,800m、その東ブータンと国境を接するアルナチャール・プラデーシュ州北西部の町・タワン。人口約5000人程のこの町はブータン国境からわずか数10キロしか離れておらず、ブロクパと系統を同じくする「モンパ」の人々が暮らしています。

ピクニックをするモンパの女性たち
ピクニックをするモンパの女性たち

ブータンまで30キロの看板
「ブータンまで30キロ」と書かれた看板

モンパの人々もブロクパと同じくヤクの毛でできた黒いフェルト帽をかぶり、美しい紅色の貫頭衣を着て、黄色い織りの鞄を持っています。この紅色はラックカイガラムシという虫から作られる染料で染められており、一見麻布のように見える素朴な布地は野生の絹(ロウ・シルク)でできた大変高価なものです。
また、帽子についたかつらのような房について聞くと、「雨が降ったときに雫が顔にかからないように」との答えが返ってきました。

モンパの帽子②
モンパの帽子

モンパの鞄とお弁当
織りの鞄とお弁当箱

タワンからさらに北方に行ったところに建つ「ゴルサム・チョルテン」は、東ブータンのタシ・ヤンツェに建つ「チョルテン・コラ」と共に、この地域最大のネパール型のチョルテンとして有名です。
この「ゴルサム・チョルテン」と「チョルテン・コラ」は、ネパールのカトマンズ郊外に建つ「ボダナート」を見本に作られた兄弟チョルテンだと言われています。

昔、チョルテンを建てるためにはるばるネパールまで旅立った僧は、見本にするために、大根をボダナートの形に彫って自国に持ち帰りました。
長い旅の中で大根の水分がなくなり細くなってしまったため、「ゴルサム・チョルテン」と「チョルテン・コラ」はほっそりした形をしていると言われています。

ネパールのボダナート
ネパールの「ボダナート」

東ブータンのチョルテンコラ
東ブータンの「チョルテンコラ」

ゴルサムチョルテン
アルナチャール・プラデーシュ州の「ゴルサム・チョルテン」

実際、ブータンのブロクパとアルナチャール・プラデーシュのモンパの人々は、お互いのチョルテンでお祭りが開催されると、鞄にお弁当をつめて山を越え、歩いて遊びに行っているそうです。

モンパの人々は敬虔な仏教徒。タワンには尼僧院を含むいくつもの寺院が建てられています。
中でも有名なのは「地上で最も神聖な場所にある」と言われるタワン僧院です。

タワン僧院 (2)
「地上で最も神聖な場所にある」タワン僧院

タワン僧院
現在も500人の僧侶が住むタワン僧院

タワン僧院の正式な名称は「神の馬に選ばれし天上界の最も神聖な場所」。1681年にMERALAMALODREGYALTSOによってタワンの街を見下ろすこの場所に建てられ、1997年の改修工事のあとダライ・ラマ14世によって法要が営まれました。

実は、この「インド最果ての場所」はダライ・ラマ14世と深いつながりがあります。
次回はそのつながりについてご案内したいと思います。

10/17発コースは間もなく催行決定!「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」

nakatani_saiyu at 09:54|Permalink

2012年08月17日

ダライ・ラマ14世の法要を聞いてきました!

先週、ラダックのツアーより帰って参りました、原川です。

インド最北の荒涼とした山岳地帯、ラダック。
チベット仏教の文化が根強く残り、今や「チベットよりチベットらしい」と言われる信仰の地。

そんなラダックで、誰もが知っている世界のVIP、

ダライ・ラマ14世

の法要を間近で聞いてきました!

ダライラマUP

↑ ダライ・ラマ14世。法要はチベット語で行われました

■チョグラムサル■
8月4日に出発した「インド最北の祈りの大地ラダック」のツアーは
5日に無事にラダックの中心地、レーに到着。
ちょうどこの頃、ダライ・ラマ14世も人々に法要を営むため、ラダックを訪れていました。
これはまたとない絶好のチャンス!ということで、
私たちもこの法要を拝聴すべく、次の日の朝6時にレーのホテルを出発し、
レーから約9㎞離れた「チョグラムサル」という場所へ向かいました。

「チョグラムサル」というのはラダックにあるチベット人難民キャンプ。
インド政府によって公的に認められた難民キャンプです。
実はインドには政府にも認められた主なチベット人難民キャンプが3つあります。
1つ目はチベット亡命政府がある「ダラム・サラ」、2つ目は南インドにある「バイラクッペ」
そして3つ目が今回訪れた「チョグラムサル」です。

P8060150

↑ チョグラムサルの大きな広場に集まる人々

この日はラダック中の何千という人々がダライ・ラマのお声を聞くために集まりました。
屋根のない広場で、途中雨が降っても、人々はそのお声に真剣に耳を傾けていました。

チョグラムサルのすぐ側にはダライ・ラマがラダックを訪れた時に住まう建物があり、
ラダックに来たときは必ずここに滞在し、法要を行うのだとか。
この場所は2010年にラダックを襲った洪水の被害をもっとも被った場所の一つですが、
今もなお、ラダック、そしてチベット人にとって精神の拠り所となっています。

ステージ

↑ 広場中央の舞台でダライ・ラマ14世がお話しされました

■ダライ・ラマ14世■
さて、そんな多くの人から信仰を集めるダライ・ラマ14世について少しご紹介。
ダライ・ラマ14世、本名テンジン・ギャツォ。1935年生まれの彼は現在77歳。
チベット仏教の最高指導者である彼は、観音様が姿を変えてこの世に現れた「化身」です。
ここにチベット仏教の特色を見ることができます。
一つは観音信仰が盛んなこと。
チベットではその国土と衆生は「観音様の所化」であるとされ、
観音様によってこの世界は救われると考えられています。
さらにチベット仏教では様々な如来や菩薩が私たちを救うため、何度でもこの世に生まれ変わります。
ダライ・ラマもその一つで、代々生まれ変わっては、私たちを救ってくださるのです。

ダライ・ラマ14世は1989年にノーベル平和賞を受賞したり、
昨年の東日本大震災の時に来日されたことで
日本人でも知らない人はいないといっても過言ではありません。

そのダライ・ラマ14世の弟はラダックを含めた西チベット「ガリ(西チベットの古名)」の
チベット仏教ゲルク派の長、ガリ・リンポチェとして知られています。

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↑ ラダックの風景

■ラダックの人々の名前■
ラダックを含めた西チベットでは「テンジン」という名前を多く聞きます。
今回のツアーに同行したザンスカール出身のガイドさんによると、
この名前はダライ・ラマ14世に名前をもらったことに由来します。
この地方の人々は子供が生まれると、親が名前をつけるのではなく、
ダライ・ラマや高僧に名前をもらいます。
両親が実際に会いに行けなくても、親戚や友人を介して名前を授かるそうです。
現ダライ・ラマ14世の本名は「テンジン・ギャツォ」
彼に名前をもらうと名前の前にテンジンがつき、「テンジン・○○○」という名前になります。
苗字はありません。
ちなみにガイドさんの名前はテンジン・カルダンさんでした。

西遊ツアーに同行するガイドにはたくさんのテンジンさんがいます。
なので、西遊インドチームの間では

「ガイドのテンジンさんが・・・」

と話を切り出すと、必ず、

「どのテンジンさん?」

という返答が帰ってきます(笑)



チベット仏教、そしてダライ・ラマの信仰が色濃く残る、
インド最北の祈りの大地「ラダック」
ぜひ皆様も一度訪れてみてください。

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harakawa_saiyu at 19:30|Permalink

2012年08月16日

アルナチャールの魅力①「太陽のすみか」アルナチャール・プラデーシュ

弊社のインドツアーの中でも「ここ、インドなの?」度合いがもっとも強いツアーのひとつが
「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」です。
パンフレットをご覧いただくだけでは伝えきれないこのコースの魅力を、何度かに分けてご紹介したいと思います。

インド28州の東端に位置するアルナチャール・プラデーシュ。「太陽と光のすみか」を意味するその名前が表している通り、インドで最も早く太陽が昇る州です。南はインドのアッサム州、東はミャンマー、北は中国、西はブータンと接しており、人口は約130万人(2011年)。シナ・チベット系をはじめ、30以上もの民族が暮らしています。

アルナチャールの民族(左)
アルナチャールの民族(ジロ博物館にて)

髭剃りニシ族(ジロ)
床屋で髭を剃るニシ族の男性

アルナチャール・プラデーシュがインドの州となったのは1987年とまだ20数年前のこと。現在もその国境「マクマホン・ライン」を巡って中国との話し合いが続いており、この州に入るには特別入域許可を取得しなければなりません。

しかし、この地は国境が引かれるはるか昔から営まれてきた豊かな自然、民族、文化、歴史の宝庫なのです。
次回は、アルナチャール・プラデーシュ北西に暮らすモンパの人々についてご紹介します。

モンパの帽子
敬虔な仏教徒であるモンパの女性

nakatani_saiyu at 09:02|Permalink

2011年06月23日

「ブッダ」はどこで生まれた?

皆様お久しぶりです。大阪支社の川口です。

インドといえば皆さんご存知「ヒンドゥー教の国」
いたる所に牛がいます。神様も数えきれない程たくさんいます。

しかし、私たちに馴染み深い仏教が生まれたのもここインド。
ちょうど今、映画「ブッダ」も公開中なので、タイムリーなお話ですね。

仏教の開祖 釈尊。
お釈迦様、釈迦牟尼、仏陀など様々な呼び名を聞きます。

まだまだ分かっていないことの多い釈尊ですが、もともとは王子様だというのは有名なお話。
生まれた時の名前はゴーダマ・シッダールタ。
釈迦族の王子として、今から約2500年前(諸説あります)コーリヤ族出身のマヤ夫人(シッダールタの母)がお産で実家に帰る途中に立ち寄ったルンビニ(ネパール)で生まれました。

なので、「釈迦」とは日本人の名字のようなもの。
当時は「お釈迦様」と呼ばれる人はたくさんいたのかもしれません。

シッダールタの生まれた場所は、ルンビニ園として少し整備され
今も仏教の聖地として数多くの参拝者が訪れる場所でもあります。
ルンビニ園


色んな所で釈尊の象を目にしますが、そのほとんどは釈迦族の王子だった頃の少しふくよかな姿。
そして、瞑想していたり、右手を前に出し「施無畏印」のポーズをしているものがほとんど。

しかし、ルンビニで見かける釈尊は少し違います。

そのほとんどが幼少期の姿。
そして腕を上げ、人差し指を突き出して、まさに「天上天下唯我独尊」と言わんとせんばかりの格好。

見慣れたはずの釈尊の像やイラストなのに、何かが違う・・・。
さすが釈尊生誕の地・ルンビニならではです。
これは是非現地で実感してください。

インドからは陸路で国境を越えていくのも面白いルンビニ。
スノウリでパスポートに出国スタンプを押してもらい、国境を越えてネパールへ。
こんな感じの国境です。
インド・ネパール国境


5分後には入国スタンプがポンッと押されています。

でも、ルンビニだけ行くのは何だかもったいないという方も多いはず!

そんな皆様にぴったりのコース「仏陀の道」
釈尊ゆかりの地を訪ねる定番コースです。
更に改良を加え7月下旬に発表予定。

お楽しみに!!

kawaguchi_saiyu at 22:54|Permalink

2011年05月31日

ダラムサラ ~「生きる」チベット文化が残る町

ヒマ-チャル・プラデーシュ州にある町ダラムサラをご紹介します。

-ダラムサラ概略-
1959年3月10日、ラサでチベット蜂起が始まると、争いによって大量の死者が出ることを懸念したダライラマ14世法王はラサを脱出する決心をし、3月17日の夜、ノルブリンカ宮殿を出て、険しい山々を越えてインドに向かいました。中国軍はその後チベット人87,000人を殺害してわずか2日で蜂起を鎮圧したといいます。
ダライラマ法王一行は3月31日にインドに辿りつき、4月29日に北インドの山岳部ムスーリにチベット亡命政府を樹立。またこの時ダライラマ法王を追って約8万人のチベット人が危険を冒してインドへ亡命しました。
1960年インドのネルー首相がダラムサラをチベット亡命政権の拠点として用意した事を受けて4月に移動し、5月にダラムサラに亡命政府が樹立されました。
現在は、亡命政府各省庁、大学、国会議事堂などがあり、チベット文化の中枢地となっています。


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ダラムサラはチベット本土とは違った雰囲気があり、チベットの文化や伝統を守るために様々な取り組みを行っています。インドのなかのチベット世界は、本土よりもチベットらしいかもしれません。
たくさんの僧院が建ち、それらはまだ新しいものが多いですが、信仰の場として街に溶け込んでいます。
ダラムサラの見所を以下にご紹介します。


●ナムギャル僧院
ダライ・ラマ公邸の正面にある、カーラチャクラ堂とツクラカン堂からなるゲルク派の総本山。
ナムギャル

●セチュリン僧院
1984年に建設。
セチュリン僧院外観セチュリン僧院 (3)
●チベット子供村
チベット本土に住む親達が中国語による教育を嫌い、自分の子ども達をインドへ送るケースが後をたちません。現在約2000人の子ども達が寄宿しながら教育を受けています。親元を離れても元気一杯の子ども達です。
チベット子供村 (7)

●ノルブリンカ芸術文化研究所
ラサにあるダライラマ法王の夏の離宮「ノルブリンカ」から名前がつけられました。チベット仏教の精神的、文化的遺産、伝統芸術や技術を保存し発展させるための取り組みが行われています。具体的には、タンカの製作、仏像の彫刻、裁縫、刺繍などに取り組んでいます。
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●タシ・ジョン僧院
ダラムサラから約30kmのところにあるパランプールという村にある、ドゥクパ・カーギュ派の僧院。
私たちが訪れたときは、小坊主さん達が暗記した内容を先生にチェックしてもらうため並んでいました。
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ダラムサラは他にも賑やかなマクロード・ガンジ(バザール)もあり、チベット料理のモモも食べることができます。緑に囲まれたダラムサラの町、ぜひ訪れてみてください。


ダラムサラを訪問するコースはここだけ!
花のロータンパスとダラムサラ
7/9発、7/16発は催行決定!人数限定のコースですので残席はお問い合わせください。
7/23発はまもなく催行決定です!


「花のロータンパスとダラムサラ」のコースについては過去の記事もご参考にどうぞ。
・ロータンパスでのハイキングの様子
・インド・ヒマラヤのお花見街道 Rohtang La ロータン・ラを越えて

hashimoto_saiyu at 10:49|Permalink

2011年04月13日

ラダックの一大祭り・ヘミス僧院のツェチュ祭

お久しぶりです。
西遊旅行インド班の野津です。


さて今回はラダックのお祭りについて。最も規模の大きいお祭りはヘミス僧院のツェチュ祭。2009年、2010年と続けてツアーに同行させていただきましたので、その魅力をご紹介したいと思います。

●ヘミス僧院
レーからインダス川上流へ車を走らせること約1時間。上ラダックと呼ばれるエリアにヘミス僧院は位置します。インダス川にかかる橋を渡り、山の奥へと車を走らせます。ヘミス僧院は1627年~38年にかけて創建されたドゥクパ系の総本山であり、ラダック最大のゴンパでもあります。

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(祭り会場のヘミス僧院・中庭。奥のところにタンカがご開帳)

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(各僧院から祭りを見るために訪れた僧)

●ツェチュ祭
この中庭で毎年行われるのがヘミス僧院のツェチュ祭。チベット暦5月9日~11日に行われ、2011年は7月10日、11日に行われます。地元の人だけでなく、近隣のインド人VIPや、旅行客で賑わうとても華やかなお祭りです。祭りは中庭に面するドゥカンにタンカが掲げられ、チベットホルンが響き渡り、仮面舞踊が開始されます。黒い帽子を被った衣装で僧が舞う「黒帽の舞い」、十六尊の舞いが行われ、祭りのハイライトへと進んでいきます。

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(黒帽の舞い)

ハイライトはグル・ツェンゲと呼ばれる「パドマサンバヴァの八変化」です。グル・リンポチェは8つの化身の姿を持っていたと言われています。いろいろな姿がありますが、その中でもブータンの聖地・タクツァン僧院はグル・リンポチェがグル・ツェンゲの一つ「グル・ドルジドロ」という姿で虎に乗ってやって来たという伝説が残っています。

祭りでは、お坊さん達に連れられて八変化相が次から次へと登場しますが、パドマサンバヴァは金色の傘が掲げられ人一倍大きな仮面として表現されているので、一目で判別をつけることができます。この時、中庭を囲んで座り込み熱心に見物している地元の人たちの目も、より一層真剣になっていきます。ゆったりと、しかしどっしりとした足取りで中庭を一周し、用意されたイスに座って、パドマサンバヴァの前で、八変化相が次々と舞いを披露していきます。両手を合わせて熱心に見入る子供、マニ車を回しマントラを唱える老人・・・この地に息づく人々の信仰心を見てとることができる瞬間です。

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(パドマサンバヴァの登場)

会場の周りでは食べ物を売る屋台やおもちゃを売っている露店、そしてここぞとばかりにギャンブルにいそしむ大人たちの姿。露店をひやかしながら、写真を撮りながら歩くこの時間もとても楽しいものです。

これから徐々に暖かくなり、ベストシーズンを迎えるラダック。是非、ツアーで訪れてみてください。
ラダック LADAKH ヘミス僧院のツェチュ祭見学コース

notsu_saiyu at 15:37|Permalink

2011年04月11日

砂マンダラ破壇の儀式 at カルシャ僧院 - ザンスカール

ザンスカールの中心パドゥムからも望むことができる、ザンスカール最大の僧院カルシャ。朝日を浴び、岩肌に張り付くように並ぶ白い僧房群は壮観です。

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ザンスカール最大のゴンパ、カルシャ僧院
15世紀に創建されたゲルク派の僧院で、現在も100人以上の僧侶が暮らす、ザンスカールでも最大のゴンパ。2010年8月、カルシャ僧院で砂マンダラの破壇の儀式が行なわれると聞いてかけつけました。
前日に10時頃に始まる・・・と聞き、朝から駆け足でカルシャ僧院のお堂めぐりをし、儀式が執り行われるラブラン・ラカンへ。到着すると、10時ではなく、たぶん11時頃・・・、といわれ、儀式が始まるまでラブラン・ラカンの壁画、完成した砂マンダラをみたりして過ごしました。

ラブラン・ラカンの壁画
ラブラン・ラカンは15世紀の創建当時の壁画が残されています。一部は修復の手が加えられていますが、新グゲ様式と呼ばれる貴重かつ素晴らしい仏教芸術を見ることができます。

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砂マンダラ
砂マンダラはチベット仏教の儀式のひとつで僧侶達が瞑想の中で色とりどりの砂を落として何日もかけて描くマンダラ。この年は8月6日に作り始め9日に完成、そして16日に破壇の儀式が行なわれました。

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グヒヤサマージャ・マンダラ(秘密集会曼荼羅)  砂で創り上げられた仏世界

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やがて読経とともに、用意された大地の恵である収穫物、米、ツァンパ、麦、大麦が次々と火の中に投げ込まれました。農作物への災害が訪れないことを祈願します。

儀式の合い間に
長い儀式の間、見習い小僧(タバ)はあきちゃったり、中には遊び始める子達も。ランチ・ブレイクには麺類が振舞われました。大人も子供も皆一緒にいただきます。

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破壇の儀式
そしていよいよ破壇式。僧侶がドルジェで一気に崩して、マンダラは色砂へと形を変えます。何日もかけて創り上げたマンダラが「砂」に戻る瞬間。「すべてが無常である」。

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そして、ご利益をもたらすという砂が配られ、残りは壷に収められました。僧院から隊列が出て川へ流す儀式へと向かいます。11:00から15:30まで行なわれた儀式。僧侶や小僧さんとの触れあいも含め、ほぼ一日を「カルシャ僧院」で過ごした、幸せな一日でした。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


カルシャ僧院を訪れる 西遊旅行のインドの旅2012
「ザンスカール 今なお色濃くチベット文化を残す里パドゥムへ」

ザンスカールをご紹介 西遊旅行のインド案内
「ザンスカール」

sawada_saiyu at 12:30|Permalink

2011年03月26日

砂マンダラ破壇の儀式 at ラマユル・ゴンパ - ラダック

lamayuru01ラマユル僧院

“月世界”とも呼ばれるラマユルの風景。その中に忽然と現われる荘厳なゴンパ、それがラマユル僧院。
11世紀に建てられたお堂がこの僧院の始まりとされおり、カギュ派の開祖マルパの師匠であるナローパがこの場所で瞑想したと言われています。最盛期には400人の僧侶が暮らしたといいますが、現在は150人が属し、普段は30~50人の僧侶が暮らしているとのこと。
大きさの割にはひっそりとしたたたずまいを見せる僧院ですが、今日はちょっと違う雰囲気。幸運にも砂マンダラの破壇式に遭遇しました。





2010年の8月、ラダックのレー、ピヤン、ニムー、バスゴーなど各地で突然の豪雨に伴う濁流で民家が押しつぶされ、たくさんの方がなくなる災害がありました。その数日後、回復し始めた道を、車を乗り換え、一部は歩いてザンスカールに向けて移動している途中に立ち寄ったラマユル僧院。今日は先が長いからゆっくりできない・・・と言いつつ立ち寄ったのですが、中に入ると、いつもとちょっと違う雰囲気・・・。

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今日は僧侶が多いな、と思い本殿にいたら子供達がなにやら衣装を用意し始めました。聞くところによると数日前に完成した砂マンダラの破壇式が行なわれるとのこと。

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間もなく破壇前の読経がはじまり、カタ、トルマで飾られた砂マンダラがあらわれました。

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完成していたのはチャクラ・サンバラ(勝楽尊)の砂マンダラ。僧侶達が瞑想の中で色とりどりの砂を落として何日もかけて描かれた曼荼羅。祈願の儀式の後、一気に壊してしまいます。そしてこの繊細な仏世界は一瞬にして「色砂」に戻り、集まった人々に分け与えられました。本当に、一瞬のできごと。何も用意していなかった私は、僧侶の一人が10ルピー札に砂を包んで渡してくれました。この砂はご利益がありお守りになる、と。

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壷に収められた砂。やがて僧侶たちは、楽隊とともに、祈りを捧げる人々に見守られながら川へ流しに出て行きました。
時間にして1時間ほどのできごと。何日もかけて完成した砂曼荼羅は「砂」に戻り、川へ。
“すべては無常である”という仏教の教えを目の当たりにした、荘厳な祈りの世界に魅せられた1時間でした。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


ラダック、ラマユル僧院を訪れる西遊旅行のインドの旅2012
「インド最北の祈りの大地ラダック LADAKH」
「ザンスカール ラダックのさらに奥地、今なお色濃くチベット文化を残す里パドゥムへ」

西遊旅行のインド案内
「ラダックのみどころ」


sawada_saiyu at 11:18|Permalink

2011年03月09日

冬のラダック 第一弾

皆さん初めまして。インドブログ・初登場の野津です。
宜しくお願いします。

さて先週一週間お休みを取って冬のラダックに行ってきました。
「冬のラダック?寒いんじゃないの?」と思われる方、いらっしゃるかと思いますが、行ってみて感じたのは「日本の北海道と同じくらいかな?」ということです。ただ日本みたいに24時間、電気がしっかりと供給されているわけではないので、日中部屋の中はものすごい寒いです。なので、地元の人たちも日中は日向ぼっこをしてゆっくり、のんびりと過ごしています。

今回は3/2、3/3にかけて行われたドスモチェというお祭りを見に行きました。会場はレーの町を見下ろすように建つレー王宮の広場とリキール僧院。ドスモチェとは一年の豊穣を祈願するお祭りです。3/2はレー王宮に、3/3はリキール僧院へと足を運びました。ドスモチェではトルマと呼ばれる悪霊(これは災いの象徴)を燃やすことがハイライトです。レーの王宮、リキール僧院で2日目にそれぞれ行われ、その他仮面舞踊・黒帽の舞などが披露されます。

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(レーの街を見下ろす王宮)

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(仮面舞踊)

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(チチパティ・このお祭りでは彼らはいたずらっこで、ツァンパの粉を観客に振りまいていました。真ん中にあるのがトルマ)

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(会場を埋め尽くす観客)

夏は観光シーズン真っ盛りということでお祭り会場も、外国人観光客が溢れていますが、冬は地元の人で賑わいとてものどかな雰囲気です。みんなゴンチャと呼ばれる小豆色の分厚い上着を着込んで、マニ車をまわし、数珠を持ち念仏を唱えます。澄んだ空気の中で、深く根付く信仰心を感じる一瞬でした。冬でしか体験することのできない静寂の中でのお祭りでした。

地元の人たちは、ドスモチェが行われる時期は冬が終わりを告げ、じょじょに暖かくなると実感する時期だそうです。「スピトゥク僧院のグストール祭、ドスモチェ、マトー僧院のマトー・ナグラン・・とお祭りが終わるたびにどんどん暖かくなっていく」と信じています。確かにドスモチェが終わった後は日中、日差しが注ぎ込み暖かい日々でした。

またレー市内のメインストリートは歩行者天国となり、セール品の洋服を売るお店やおもちゃ屋、ゲーム場、宝くじ場などのお店が並びます。いままではどこに姿を隠していたんだろう?と思う程の人が溢れ、大賑わい。女性たちは子供たちの洋服をここぞとばかりに買い込み、子供たちは買ってもらったおもちゃや風船を持って楽しそうに走り回り、男の人たちはタンボラという日本のビンゴゲームのようなものに興じていました。

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(真剣にタンボラに興じる人々)

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(タンボラの紙)


これは一枚10RSで紙を買い、読み上げる数字が自分の手元にあればチェックをしていき、上・真ん中・下の一列が早くそろった人が賞金を手に入れることができます。3列全てそろった人が出た後、フルハウスといって全ての数字をそろえるまでゲームは続きます。一列そろうと獲得賞金は500RS。例えば同じタイミングで2人、3人と一列そろうと賞金は分割されるとのことです。フルハウスになると1500RSの賞金を得ることができます。地元の人たちは一人が3枚買うと20RSということで、みんな3枚又は6枚と大量買いしていました。この時ばかりはお坊さんもこの遊びに真剣に興じています。

数字を読み上げるのですが、ラダッキー語・ヒンディー語・英語で数字を読み上げます。ただ単に数字を読み上げるわけではなく、おもしろおかしくコネタを仕込みながら数字を読み上げるということで、笑いが絶えない会場です。

「お坊さんもゲームすることは許されているの?」と聞くと「もちろん。女性もしていいけど、女性はあまりしないね。ほら!買い物の方が忙しいから」とガイドさんが教えてくれました。どこの世界も一緒なんだなあと思いました。

では次回は冬のラダックの食事事情や、服装などの情報をお届けします。

notsu_saiyu at 12:17|Permalink