アルナチャール・プラデーシュ州

2014年03月31日

アグラの穴場観光地!

皆様、ご無沙汰しております。インド駐在より日本に戻った田村です。
今は、日本食美味しい東京で毎日元気に働いております。
さて今日は、先日インドに戻った際にふと立ち寄った、アグラの穴場観光地のお話をさせて頂きます。

その名も「イティマド・ウッダウラー廟」。

イティマド1


穴場と言ってもガイドブックなどにはしっかりと取り上げられている場所なので、無名という訳ではありませんが、立地的にアグラの街からですとちょっと足を向け辛い場所にあるために、タージ・マハルやアグラ城等と比べると圧倒的に観光客が少なく、それでいて見ごたえもあるので、ぜひお勧めの場所なのです。

イティマド2


この廟はムガール帝国第4代皇帝ジャハンギール帝の奥さんが、そのご両親のために建てたお墓です。タージ・マハル程の大きさはありませんが、白い大理石で建てられた廟に所狭しと施された精巧な透かし彫りの装飾は見事の一言です。
これらの透かし彫りの技法がその後、タージ・マハル建設に受け継がれて行ったと言われています。

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更には、廟内部の壁画も一見の価値ありです。中に入ると照明などはなく真っ暗なのですが、ライトで添乗や壁を照らすと、色鮮やかな壁画がこれまたびっしりと描かれていて息をのみます。しかもここはタージ・マハルの廟内と違って人が少なく「先へすすめ!」と急かす係員もいないので、その見事な壁画を飽きることなくゆっくりと鑑賞する事が出来ます。

廟を囲む芝生の庭も美しく、雰囲気の良い敷地内をのんびりと歩く事が出来ます。
目の前を流れるヤムナー川も心なしかゆっくりと流れているような気がします。

ぜひ一度、夕暮れ前ののどかな時間に訪れて頂きたい、隠れた穴場です。


tamura_saiyu at 09:22|Permalink

2012年08月31日

アルナチャールの魅力③若き日のダライ・ラマが見た風景

今から62年前の1950年、中華人民共和国の人民解放軍がチベットを制圧したことを機に、24歳の若きダライ・ラマ14世はインドへの亡命を決意しました。

わずかなお供をつれて夏の宮殿ノルブリンカの裏口から出発し、ヤルツァンポ川を渡り、そまつな装備で6,000メートル級の峠をいくつも越えたそうです。

国境を越えた先はインドのアルナチャール・プラデーシュ州でした。
ツアーでは、タワンからさらに先、特別入域許可で訪れることができる「インドの最果て」ジミタンを訪れます。このジミタンからわずか数キロ先が、ダライ・ラマ14世が越えた国境なのです。

木と石でできた素朴な村
石と木でできた素朴なジミタン周辺の村

ポー
民家の軒にはブータンと同じ「ポー(木製の男性器)」と蹄鉄がぶら下がっている

経文の型
民家に残る経文「ルンタ」を作るための木製のはんこ

14世は国境からタワンまで、ヤクに跨り民家に宿泊しながら、4日かけて旅しました。タワンで2泊したあと、4日かけてテズプールへ。そこから列車に乗りました。
体調を崩し、命からがらインドにやってきた14世。インドに到着した際多くの人々に歓迎されたといいます。

タワン僧院
「地球上で最も神聖な場所」と言われるタワン僧院

タワン僧院の小坊主
ヒマラヤを背景に、外で勉強する僧侶たち

アルナチャール・プラデーシュ州を旅した際、当時の事を覚えているという老人と出会うことができました。14世は多くの地元の人々に囲まれて歩いておられたといいます。

ジャーナリストの謝孝浩さんが雑誌『コヨーテ』の特集でこのダライ・ラマ14世の亡命ルートを実際に旅し、レポートを書いています。雑誌は残念ながら絶版となっているのですが、機会があればご旅行の前にぜひお読みになってみてください。インド最果ての地に実際に起こった物語を知って行けば、アルナチャールの旅がより一層深いものになるはずです。

キャラウン村からラサ方向
ジミタン付近にあるキャラウン村からラサ方向を望む

↓↓↓アルナチャール・プラデーシュ州を訪れるツアーはこちら
「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」

参考図書
謝孝浩他『coyote(コヨーテ)No.5 特集・チベット、ヒマラヤへと続く道「ダライ・ラマもこの道を旅した」』スイッチパブリッシング
ダライラマ『チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝』中央公論新社
グレン・H. ムリン『14人のダライ・ラマ―その生涯と思想』春秋社

nakatani_saiyu at 12:44|Permalink

2012年08月22日

アルナチャールの魅力②聖なるタワンとモンパの人々

東ブータンを旅したことがある方は、黒いフェルトでできた不思議な帽子をかぶった「ブロクパ」の人々と出会われたことがあるのではないでしょうか。
標高約2,800m、その東ブータンと国境を接するアルナチャール・プラデーシュ州北西部の町・タワン。人口約5000人程のこの町はブータン国境からわずか数10キロしか離れておらず、ブロクパと系統を同じくする「モンパ」の人々が暮らしています。

ピクニックをするモンパの女性たち
ピクニックをするモンパの女性たち

ブータンまで30キロの看板
「ブータンまで30キロ」と書かれた看板

モンパの人々もブロクパと同じくヤクの毛でできた黒いフェルト帽をかぶり、美しい紅色の貫頭衣を着て、黄色い織りの鞄を持っています。この紅色はラックカイガラムシという虫から作られる染料で染められており、一見麻布のように見える素朴な布地は野生の絹(ロウ・シルク)でできた大変高価なものです。
また、帽子についたかつらのような房について聞くと、「雨が降ったときに雫が顔にかからないように」との答えが返ってきました。

モンパの帽子②
モンパの帽子

モンパの鞄とお弁当
織りの鞄とお弁当箱

タワンからさらに北方に行ったところに建つ「ゴルサム・チョルテン」は、東ブータンのタシ・ヤンツェに建つ「チョルテン・コラ」と共に、この地域最大のネパール型のチョルテンとして有名です。
この「ゴルサム・チョルテン」と「チョルテン・コラ」は、ネパールのカトマンズ郊外に建つ「ボダナート」を見本に作られた兄弟チョルテンだと言われています。

昔、チョルテンを建てるためにはるばるネパールまで旅立った僧は、見本にするために、大根をボダナートの形に彫って自国に持ち帰りました。
長い旅の中で大根の水分がなくなり細くなってしまったため、「ゴルサム・チョルテン」と「チョルテン・コラ」はほっそりした形をしていると言われています。

ネパールのボダナート
ネパールの「ボダナート」

東ブータンのチョルテンコラ
東ブータンの「チョルテンコラ」

ゴルサムチョルテン
アルナチャール・プラデーシュ州の「ゴルサム・チョルテン」

実際、ブータンのブロクパとアルナチャール・プラデーシュのモンパの人々は、お互いのチョルテンでお祭りが開催されると、鞄にお弁当をつめて山を越え、歩いて遊びに行っているそうです。

モンパの人々は敬虔な仏教徒。タワンには尼僧院を含むいくつもの寺院が建てられています。
中でも有名なのは「地上で最も神聖な場所にある」と言われるタワン僧院です。

タワン僧院 (2)
「地上で最も神聖な場所にある」タワン僧院

タワン僧院
現在も500人の僧侶が住むタワン僧院

タワン僧院の正式な名称は「神の馬に選ばれし天上界の最も神聖な場所」。1681年にMERALAMALODREGYALTSOによってタワンの街を見下ろすこの場所に建てられ、1997年の改修工事のあとダライ・ラマ14世によって法要が営まれました。

実は、この「インド最果ての場所」はダライ・ラマ14世と深いつながりがあります。
次回はそのつながりについてご案内したいと思います。

10/17発コースは間もなく催行決定!「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」

nakatani_saiyu at 09:54|Permalink

2012年08月16日

アルナチャールの魅力①「太陽のすみか」アルナチャール・プラデーシュ

弊社のインドツアーの中でも「ここ、インドなの?」度合いがもっとも強いツアーのひとつが
「インド最果ての地 アルナチャール・プラデーシュ」です。
パンフレットをご覧いただくだけでは伝えきれないこのコースの魅力を、何度かに分けてご紹介したいと思います。

インド28州の東端に位置するアルナチャール・プラデーシュ。「太陽と光のすみか」を意味するその名前が表している通り、インドで最も早く太陽が昇る州です。南はインドのアッサム州、東はミャンマー、北は中国、西はブータンと接しており、人口は約130万人(2011年)。シナ・チベット系をはじめ、30以上もの民族が暮らしています。

アルナチャールの民族(左)
アルナチャールの民族(ジロ博物館にて)

髭剃りニシ族(ジロ)
床屋で髭を剃るニシ族の男性

アルナチャール・プラデーシュがインドの州となったのは1987年とまだ20数年前のこと。現在もその国境「マクマホン・ライン」を巡って中国との話し合いが続いており、この州に入るには特別入域許可を取得しなければなりません。

しかし、この地は国境が引かれるはるか昔から営まれてきた豊かな自然、民族、文化、歴史の宝庫なのです。
次回は、アルナチャール・プラデーシュ北西に暮らすモンパの人々についてご紹介します。

モンパの帽子
敬虔な仏教徒であるモンパの女性

nakatani_saiyu at 09:02|Permalink