at 16:01│TrackBack(0)ベネゼエラ | ギアナ高地

2011年04月22日

¡Vamos a ロライマ山!

大阪支社の中島です。
ギアナ高地の観光シーズンが今年ももうすぐ始まります。地球最後の秘境に行ってみたいと思っている方に、2回に分けてその魅力をお話しします。前編はロライマ山から。
ギアナ高地最大の観光ポイントであるエンジェル・フォールは、このロライマ山から流れ落ちていると思っている方がいらっしゃいますが、広大なギアナ高地なのでそれも仕方ありません。実はまったく正反対の場所にあります。

ギアナ高地は遠いです。成田を発って、アメリカのヒューストン、ベネズエラの首都カラカスを経由し、ギアナ高地の空の玄関口のひとつ、プエルト・オルダスまで33時間。そこからギアナ高地の入口にあたる所までさらにまだ350㎞、車で移動します。
その時はまもなく雨季が終わろうとしていた頃でしたが、時折り、大粒の雨がフロントガラスを叩きつけられ、やがて陽が沈み、稲光が夜空を照らしていました。ギアナ高地という場所を不気味にさせている光景でした。
標高1400メートル級のグラン・サバナという大平原が広がるギアナ高地は、その一部をカナイマ国立公園として、1994年、世界自然遺産に登録されました。

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朝もやのテプイ群
グラン・サバナはもともと人類未踏のジャングルだった場所でした。しかし、100年前の大火事で平原になったそうです。もしその大火事がなかったら、未だに人々が立ち入ることが困難だった場所でしょう。ベネズエラ南東部を中心に5ヶ国に跨っています。総面積は120万k㎡で、そのうちカナイマ国立公園は3万k㎡、四国の約1.6倍もの広さに相当します。植物の種類はギアナ高地全体で4000種を超え、その75パーセントが固有種です。ガラパゴス諸島の種子植物の固有種が53パーセントですから、ここがいかに隔絶された土地かが解ります。
そして、ギアナ高地観光での悩みの種は雨もそうですが、蚊の存在です。特にプリプリという蚊の仲間の存在は厄介以外の何ものでもありません。何かの病気に発展することはないのですが、知らないうちに刺され、それは1ヶ所どころではなく無数に、いつまでも痒みが治まりません。これから行く方は、是非、頭からすっぽり被れる園芸用のネットを持っていって下さい。見かけなんか気にするより、少しでも刺されない方がどれだけましなことか……。思い出しただけで、痒くなってきます。

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左:クケナン山 右:ロライマ山
さて、ギアナ高地の東側を縦貫する10号線を走っていると、テプイ(卓状台地/テーブルマウンテン)が見えてきます。テプイの谷と呼ばれる展望台があり、そこでは左手の奥からトラーメン TRAMEN(標高2700m)、イル ILU(標高2620m)、カラウリン KARAURIN(標高2600m)、「切り株」という意味のワダカピアポ WADAKAPIAPO(標高2000m)、イワルカリマ IWARKARIMA(ユルアニ山/標高2700m)、マタウィ MATAWI(クケナン山/標高2650m)の各テプイを望むことができます。天気にもよりますけど。これらのテプイの向こうは隣国ガイアナです。カナイマ国立公園最高峰のロライマ山は、隣のクケナン山の背後に隠れて、ここからは見えません。それにしても、こうしてたくさんのテプイを見ていると、17億年という気の遠くなるような時の歩みが築いた光景に、ただただ感服するばかりです。

DSC_0093ヘリコプターでロライマ山の山上へも行きました。北緯約5度、西経約60度に位置するロライマ山は、ベネズエラ、ガイアナ、ブラジルの3つの国境を跨ぎ、最高地点の標高は2810メートル、頂上台地の面積は45k㎡、長さ14.5キロ、幅5キロ。東京ドーム962個分の広さに相当します。
標高2723メートルの3国国境地点に降り立ちました(左写真)。パイロットは言います。「どこかの違う星のようだろ?」。何とも形容しがたい景色が広がっていました。こんな場所でも力強く生きる植物。とりあえず、ブラジルとガイアナを何度も出入国しました。
ロライマ山の初登頂は、1884年12月18日、イギリスの植物学者であったイム・トゥルンとハリー・パーキンスによります。イム・トゥルンはイギリスに帰国後、その時に撮影した写真を用いて講演会を開きました。その聴講者だった、名探偵シャーロック・ホームズの産みの親、アーサー・コナン・ドイルは、そのロライマ山の風景に感激し、自身の小説「失われた世界」(THE LOST WORLD)の舞台にしたという逸話があります。
そして、先住民のペモン族の伝説によれば、ロライマ山はかつて雲をも貫いてそびえる巨大な木で、その枝にはたわわに果物が実っていたそうです。それが欲しくて彼らが木を切り倒すと、幹から大量の水が溢れ出し、一瞬のうちに大洪水となりました。その結果、木は北方の辺境にある森に向かって倒れ、果物もろとも失われてしまいました。その切り株が、現在のロライマ山だというのです。テーブル・マウンテンは切り株のように見えなくもないですね。スケールの大きな想像力です。

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ロライマ山の山上
山上では、恐竜時代からの生き残りとされる原始的なカエル、オレオフリネラを探し回りました。水かきがなく、飛べないこのカエルは、ロライマ山と隣のクケナン山にしか生息していません。結局、残念ながら、見ることはできませんでした。
スティーブン・スピルバーグ監督の映画「ジュラシック・パーク」(1993年)はギアナ高地で撮影されました。確かにこんな場所なら、今も恐竜がいるかも知れません。(つづく)


関連ツアー:「秘境ギアナ高地を行く

at 20:29│TrackBack(0)ペルー | プレ・インカ

2011年04月18日

【北部ペルー遺跡特集】カラル遺跡

奥井@東京本社です。

この4月に発表する北部ペルーの遺跡についてシリーズでご紹介していきます。今日は、カラル遺跡とラス・シクラス遺跡です。

カラル遺跡(La Ciudad Sagrada de Caral)

DSCF9560カラル遺跡はペルーの首都リマの北方約200kmのスーぺ谷に位置する遺跡で、カラル-スーぺ文明の遺跡として知られており、その歴史を5000年前までさかのぼることができることから、現在発見されている南北アメリカ大陸の遺跡の中で、最も古い遺跡のひとつと考えられています。

カラルは、南北アメリカ大陸で最も古い都市遺跡で、この地に人が住み始めたのはおおよそ紀元前2600~2000年頃で、当時は約60ヘクタール以上の範囲におおよそ3,000人の人口がいたと考えられています。

カラル遺跡は、ナスカの地上絵を発見したアメリカ人考古学者ポール・コソックによって1948年に発見されました。しかし、当時アンデス地域で発見されていたような目新しい発見も無く、近年まで注目されることもありませんでした。

2001年にペルー人考古学者ルース・シャーディーの研究によって、ペルーの砂漠に、複雑な寺院群と円形劇場、一般住居などとともに約5,000年もその歴史をさかのぼることが出来るピラミッドが存在することがわかりました。この都市遺構は150エーカーに渡り、広場や住居跡なども発見されています。カラルはエジプトのピラミッドが建設された時代と同時期に栄えた文明ということが判ったのです。

カラル遺跡はその歴史的価値から2009年ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

関連ツアー:『北部ペルー プレ・インカの遺跡をたずねて


at 20:40│TrackBack(0)パナマ | パナマ運河

2011年04月08日

パナマ運河体験

こんにちは。大阪支社の中島です。今回はパナマ運河のエピソードです。

スエズ運河を造ったレセップスは、パナマ運河もスエズ運河と同じ工法で造ろうとしました。しかし、その地形のためやマラリアなどで失敗してしまいました。丘陵になっているため、運河の建設権を得たアメリカは3ヶ所に閘門(こうもん)を設置して階段状に運河を造り、1914年に完成しました。以来、アメリカが運河を永久租借していましたが、1977年に結ばれた条約により、1999年、パナマに返還されました。
パナマ運河の全長は93キロ。カリブ海側の入口は、クリストバルという港。キリストを運ぶ人(クリストバル)がいる港に、貨物船が週に3000個もコンテナを運んできます。それを運ぶための巨大なキリン(クレーンのこと)が、たくさん埠頭に並んでいます。
カリブ海側の港のターミナルには、先住民の人たちがやって来て自分たちが作った民芸品を売っていました。パナマは今も、先住民族(インディヘナ)の数は多く、こうして街へ民芸品を売りにきて、生計を立てているのです。その出立ちはタトゥーと腰巻だけなので、老いも若きも女性はあられもない姿をしていました。先住民は、歴史の重みを負担に感じていないのでしょうか? 昔から受け継いできた伝統を絶やせない。でも、利便性も求めたい。アイデンティティが失われて、裸族が服を着た時、転換期を迎えるのでしょうか?太平洋側の大都会パナマシティ側には、ほとんど先住民の人々の姿がみられなかったのも、その現われなのかもしれません。
船はクリストバル港を出港すると1時間半後、まずはガトゥン閘門に進入します。扉にさしかかる手前で、イルカが泳ぎ回っていました。イルカも、このまま閘門を越えていけば面白いのに。

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船はエンジンを止め、電気機関車(ミツビシ・ロコモティブ)に牽引されて(上右写真)、1時間半かけてガトゥン湖へ上がりました。閘門を泳いで渡った人もいたそうです。よくワニに食べられなかったものです。パナマ運河鉄道を駆け抜ける貨物列車が、船を追い越していきました。
茶色い水の湖に浮かぶバロ・コロラド島やいくつもの島の間を、風に流されるように船は滑っていきます。そして、約13キロのゲイラード水路の左右には、港町や造船所が見えます。ススキのようなパナマ運河草が広がり、銀色の草原が眩しいです。運河最高地点というゴールドヒルを過ぎて、サンテミリオン橋をくぐります。
P1130402そして、15時20分、ペトロミゲル閘門で一段階下がり、ミラフローレス湖を抜けて、17時、ミラフローレス閘門で二段階下がりました。閘門の従業員が船に向かって、「オラ! コモ・エスタ?(元気かい?)」、「ハポン?」、「アリガトウ、マタアシタ」と声を掛けてきました。サルサの音楽が聴こえてきます。作業はもう手馴れたものです。展望台には、たくさんの観光客が手を振っていました(左写真)。車を停めて、閘門を通る船をフェンス越しに見つめる人たちもいます。閘門の水槽に、大きなくちばしの水鳥が浮かんでいました。そして、次の瞬間、船体を突き始めたのです。悪い冗談やろ? 穴が開くからやめなさい。そして、500トンの重さの扉が開き、太平洋の水がプールに注ぎ込まれました。
パン・アメリカン・ハイウエイが北米大陸と南米大陸を結ぶラス・アメリカス橋をくぐり抜けて、船はパナマ湾から太平洋に出ました。

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ラス・アメリカス橋をくぐる                       パナマシティの高層ビル群

関連ツアー:「中米7ヶ国 パン・アメリカン・ハイウェイ縦断の旅

at 09:45│TrackBack(0)メキシコ | フード&ドリンク

2011年04月06日

メキシコの名物料理

大阪支社の中島です。
メキシコにもたくさんの名物料理があります。こんなトピックは、すでに多くの添乗員さんが書いていて溢れていることでしょうけど、それを言ってしまえば、このブログに書くことがなくなってしまいますので、僕もちょっとだけ紹介しておきます。メキシコの、いや、中南米の良さをお伝えしたいので。

メキシコの伝統料理は、フランス料理と並んで、世界無形文化遺産に登録されていることをご存知でしょうか?
例えば、こんな名物料理がメキシコにはあります。水でふやかしたトウモロコシを練り込んだ生地を薄く円形状に延ばして焼いたトルティーヤ。トルティーヤはメキシコに限らず、中南米の多くの地域で好んで食べられます。主食なので。そのトルティーヤに具を包んだものが、メキシコ人のソウルフードとして超有名なタコス。パリッと焼いたものもあります。
モレ・ネグロとモレ・エストファードそれから、簡単に言えば“豚皮せんべい”のチチャロン。ウチワサボテンの若い葉を使ったエンサラーダ・デ・ノパリートスというサラダ。
モレ・ネグロ(左写真の右側)は、黒トウガラシやカカオ、焦がしたトルティーヤを使っているため、真黒な色をしていて、苦味があります。その反面、モレ・エストファード(左写真の右左側)は、アーモンドの甘さがほどよく口に広がります。モレはごはんに混ぜて、カレーのようにして食べます。
コチートチアパス州では、ホウレン草に似たチピリンを使ったスープやオーブンで焼いた豚肉を特製ソースで煮込んだ料理のコチート(右写真)が美味しいです。牛肉とピーマン、タマネギを炒めた料理のプンタ・ア・ラ・メヒカーナ。鶏肉とピーマン、タマネギを炒めた料理のファフィータ・デ・ポジョ。フカ(サメ)肉にトマト風味のソースをかけた料理のパン・デ・カソン


コチニータ・ピビル代表的なユカタン料理の一つのコチニータ・ピビル(左写真)は、唐辛子、アチョテというベニノキの実をペースト状にした調味料、酢で豚肉を煮込み、バナナの葉に包んで石蒸しにする料理で、マヤ系先住民の間では結婚式などの特別料理としても食べられています。
デザートには、フラン(プリン)やしっとりしたケーキのパステル、グアバ羊羹にチーズを載せたアテ。そして、黒砂糖とシナモンで煮込むコーヒーのカフェ・デ・オージャ。などなど、などなど。どれか食べてみたいもの、ありますか?

メキシコを始め、中南米の料理は日本人の舌にも比較的良く合います。「郷に入っては郷に従え」とか、「異文化体験」とかはちゃんと解っているし、中南米旅行もしてみたいけど、それでも食事が口に合うか心配と思っているそこの方、概ね大丈夫ですよ。高級志向の舌をお持ちでなければ……。僕はグルメな方ではないのですが、ベトナムやカンボジア料理のように、中南米の素朴な味もすごく美味しいと思います。それでも心配でしたら、醤油か味ポンでも鞄に忍ばせて、さぁ、中南米の旅へ!

関連ツアー:
メソアメリカ4ヶ国周遊 マヤ世界を巡る旅
メキシコ世界遺産紀行

at 14:50│TrackBack(0)

2011年04月04日

ONE LOVE

大阪支社の中島です。今日は、レゲエのお話。
ボブ・マーリーの部屋にあるONE LOVEの看板18世紀の奴隷貿易で、カリブ海に浮かぶジャマイカへも、アフリカからたくさんの奴隷が連れてこられました。今、ジャマイカに暮らすほとんどの住民は、アフリカ人奴隷の末裔です。
シバの女王の子孫にあたるハイレ・セラシエは、1930年、エチオピアの皇帝に即位しました。そして、エチオピアと隣国エリトリアの30年に及ぶ長い戦争の元凶を作ってしまいました。やがて、クーデターで皇帝の座を追われ、1975年、彼の死と共に帝政は崩壊しました。
しかし、遠い祖国のあるアフリカの地で、黒人が国民の頂点に立っていたことは、ジャマイカの黒人社会にも希望を与えました。
ジャマイカでは、この皇帝を救世主として讃え、戴冠前のハイレ・セラシエ皇帝の名前だったラス・タファリに由来して、1930年、ハイレ・セラシエの即位と同時に「ラスタファリ運動」と呼ばれる狂信的な社会宗教運動が起こりました。そのスピリッツが後にレゲエ音楽を生み、ボブ・マーリー(1945年-1981年)を生んだのです。
そして、世界一速く走る男もこの国で暮らしています。


生まれ故郷ナインマイルズにあるボブ・マーリーの霊廟
生まれ故郷ナインマイルズにあるボブ・マーリーの霊廟

ボブ・マーリーの生まれ故郷ナインマイルズにあるハイレ・セラシエの壁画
ボブ・マーリーの生まれ故郷ナインマイルズにあるハイレ・セラシエの壁画


関連ツアー:「カリブ三カ国周遊

at 10:58│TrackBack(0)ブラジル | アルゼンチン

2011年03月30日

悪魔ののど笛

悪魔ののど笛大阪支社の中島です。今回はイグアスの滝について。

イグアスの滝を見たのは、もう5年以上も前になります。あの迫力は、今でもまだ忘れられません。ナイアガラの滝よりも、ヴィクトリアの滝よりも、エンジェルフォールよりも印象的でした。

アルゼンチン側でバスを降りたと同時に、滝の轟音が聞こえてきました。辺りは一面の密林の中に、それは流れ落ちています。悪魔の喉笛はまだ遠くです。遊歩道をひたすら歩きました。穏やかな川のせせらぎが、一瞬にして表情を変貌させるのです。川に笹舟を流しても、その先で大惨事に遭うのです。滝に打たれる修行僧も、頭が割れるでしょう。水のカーテンなんていう、ロマンチックな表現も似合いません。流れ着いた川の水はそこから真逆さまに落ちて、また流れ出ていきます。あまりにもの強い勢いに吸い込まれそうで、圧倒されます。声も掻き消されます。最大限にマイナスイオンを浴びることができます。

ブラジル側からも見るために、国境を越えました。その瞬間に1時間の時差も発生します。滝の水が風に乗って、水飛沫でびしょびしょになりましたが、暑かったので気持ちよかったです。濡れてもすぐに乾きます。滝に虹が架かっています。アルゼンチンからブラジルへ向かって水が落ちていきます。長い助走を経て、心の準備も整わないうちに水が落ちていきます。滝壺は落ちてきた水で煙っていました。大地を震わせています。わざわざここまで来た価値があったというものでした。言葉なんかいりません。「どうだった?」と聞かれたら、「凄かった」としか答えられません。でも、これで十分伝わる気もしました。

イグアスの滝をまだ見たことがない、そこの方。イグアスの滝へ行ってみませんか? ついでに、マチュピチュ遺跡とモアイ像も見に。そして、感想を聞かせて下さい。きっと、「凄かった」と言ってしまうでしょう。

イグアスの滝マチュピチュタハイ儀式村のモアイ



参考ツアー:5/19発 イグアスの大瀑布とイースター・ペルー周遊の旅 催行間近(3/30現在)

at 00:00│TrackBack(0)ペルー | ツアー関連情報

まもなく催行!5/19発イグアスの大瀑布とイースターペルー周遊の旅


発表後、他社にはないお得感満載のツアーとしてご好評をいただいている
イグアスの大瀑布とイースターペルー周遊の旅』ですが、5/19発のコースがまもなく催行予定です。

お申込はお早めに。