チリ

2016年11月12日

アタカマ高地 アンデス最奥で感じた日本の景色

こんにちは大阪支社の前川です。

9月に南米、チリからボリビアにかけて広がるアンデス最奥のアタカマ高地を訪ねました。
アタカマ高地は太平洋プレートとナスカプレートと南米大陸のぶつかり合いで隆起でできたアンデス山脈に位置をしています。
海洋プレートの沈み込み帯の上側に乗った大陸プレートが、海洋プレートからの圧力を受けて隆起してできた、この構造は日本列島ととてもよく似ています。
そのため日本にも似た風景も見られました。
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【上空から見たアンデス山脈】

旅で最初に訪れるサンペドロ・デ・アタカマは、チリ北部、標高2,436mの高地に位置する町です。
まず一番最初に目に入るのが、まるで富士山のような「リカンカブール山」です。
別名「アタカマ富士」という名前がピッタリの山です。
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リカンカブール山以外にも、その姿が富士山にそっくりな山があちらこちらにありました。
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【ミスカンティ湖とミスカンティ山 富士山に良く似ています】

現在でもたくさんの火山の活動が活発なアンデスでは温泉もあります。

タティオ間欠泉は、標高4500mにある世界最高所の間欠泉です。大小80もの間欠泉が砂漠の大地から水蒸気を噴き上げる様は実に壮観で、早朝、朝日が昇る前がもっとも間欠泉の活動が活発で、日中も同じように活動をしていますが水蒸気が見えにくくなるので観光には早朝の時間が適しています。IMG_2341
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【早朝はマイナスの気温になるので露天風呂の入浴には覚悟がいります!】IMG_2348
【間欠泉を見ながらの朝食】

ソル・デ・マニャーナは、地下活動を想像するには十分な位、勢いのある泥の間欠泉でした。
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ポルケス湖畔になる天然露天風呂。足湯を楽しみました。IMG_2432
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アタカマ高地はアンデス山脈と海岸の山地によって湿った空気が遮断されているため、年間の降雨量はとても少ない地域であり、乾燥した場所です。
また、標高が高く澄み切った空気が天体観測に適しており、ヨーロッパ南天天文台をはじめとする世界の天体観測施設が設けられています。夜には満天の星空、天の川を眺めることができます!
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アタカマ高地では天の川にリャマの姿がみえるといいます。日本とは逆に見える南半球の満天の星空は息をのむ美しさでした。



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2016年10月25日

パタゴニアの魅力 ~アウストラル街道 CARRETERA AUSTRAL~

 大阪支社 高橋です。

 早いもので、もう11月になりました。
 先日、富山県と長野県の県境を走る「立山・黒部アルペンルート」の紅葉のニュースを見ました。西遊旅行へ入社する前、国内添乗の仕事をしていた際、また個人的にも剱岳の登山や下の廊下のトレッキングなどにも訪れた思い出の場所。 特に黒部ダムの紅葉がとてもきれいでした。
 
 紅葉前線も徐々に南下しているようです。大阪に住んでいますが、今から紅葉が楽しみです。

 本日は、前回に引き続き「中部パタゴニアの魅力」についてご紹介させていただきます。
 これまで、順を追ってご紹介していきました中部パタゴニアの魅力ですが、それら見どころを1つの道が結んでいるのです。その道こそ、今回ご紹介する「アウストラル街道 CARRETERA AUSTRAL」です。

※本文へ入る前に、これまでの「中部パタゴニアの魅力」をご覧いただいていない方は、是非こちらのブログもご覧ください。

 ■「パタゴニアの魅力 ~マーブル・カテドラル CATEDRAL DE MARMOL ~」
 ■「パタゴニアの魅力 ~ヘネラル・カレーラ湖 Lago General Carrera ~」

 チリ・パタゴニアは、東に南米を縦断するアンデス山脈、西の太平洋岸にフィヨルド地形が続いています。
 このフィヨルド地形の間を、一本の街道が走っています。
 北はプエルト・モンから、南はアイセン州の最南部ビジャ・オイギンスまでの1,240㎞にわたり続く街道は「パタゴニアで最も美しい原始の姿を残した街道」とも言われています。

 そんなアウストラル街道ですが、実は歴史はさほど古くはないのです。
 1936年、プエルト・アイセンとコイヤイケ間を結ぶ道として造られたのが、アウストラル街道の始まりとされています。
 1960年代に入ると、隣国アルゼンチンからの侵略を防ぐため、太平洋岸の南部地域に道を造ることが国の最重要課題とされました。
 政治と軍の力で街道が大幅に拡張され、1983年にチャイテンからコイヤイケが開通。さらにその5年後に北のチャイテンからプエルト・モンと、南のコイヤイケからコクラネの間が開通しました。
 1999年にコクラネからビジャ・オイギンスへの道に至っては、現在も街道の拡張工事が一部行われています。

 アウストラル街道を南に向けて走行を重ね、峠を越えるごとに周囲の風景が変わっていきます。
 アラスカの風景を思わせるような樹林帯の風景ヨーロッパに聳える山々を思わせるような山岳風景街道に沿って流れる川の風景、そして遠くにはチリとアルゼンチンの国境に跨るヘネラル・カレーラ湖の風景が見えてきます。

 様々な風景で私たちを楽しませてくれる街道が「アウストラル街道」なのです。

<ここが西遊旅行のパタゴニア・ツアーのポイント!!>
 西遊旅行のツアーでは、雄大な山岳風景が広がるコイアイケから、チリ最大級の大きさを誇るヘネラル・カレーラ湖までの特に絶景ポイントの多い約200㎞を走行し、美しい街道の風景をお楽しみいただきます。
 また一部のツアーでは、アウストラル街道を走行した後、紺碧のヘネラル・カレーラ湖の南岸を走り、チリからアルゼンチンへ。そして、パタゴニアを代表する名勝が広がる南部パタゴニアへ。完全走破だからこそ出会える絶景の数々をお楽しみいただけます。


 これまでご紹介した「中部パタゴニアの魅力」はいかがでしたでしょうか?
 パタゴニアへ一度訪れた方も多いかと思いますが、この中部パタゴニアの魅力にふれられた方というのは少ないかと思います。
 是非、この魅力にふれてみたいという方、是非西遊旅行へご一報ください。

 なんと、私は11月9日出発「蒼き氷河と風の大地 パタゴニア完全走破」に同行し、これら中部パタゴニアの風景を、お客様とともに堪能させていただきます。
 帰国後、最新の風景を、「中部パタゴニアの今」としてご紹介できる日を心待ちにしております。

 まだまだ間に合います、中部パタゴニアへの旅。
 下記が西遊旅行で発表させていただいている「中部パタゴニアへのツアー」となっております。

 皆様からのご連絡お待ちしております。

 次回は、国境を越え、いよいよアルゼンチンの魅力を紹介していきたいと思います。

 続く・・・

<知られざる中部パタゴニアに訪れる新企画>
■マーブル・カテドラルと蒼き氷河のパタゴニア 
 ※中部パタゴニアの見どころと、パタゴニアを代表する二大国立公園を巡る11日間!!
 ※11日間というコンパクトな日程ながら、中部・南部の見どころはしっかり見学!!
  12月23日(金) ~ 01月02日(月) 11日間 878,000円   
  すでに催行決定!!残席わずかです。

 ※先行予告!! 4月中旬に追加設定を計画中です!

■蒼き氷河と風の大地 パタゴニア完全走破
 ※神秘の大理石洞窟マーブル・カテドラルから世界の最果てウシュアイアまで完全網羅した19日間
 ※完全走破だからこそ出会える絶景の数々が、みなさんをお待ちです!!
  03月15日(水) ~ 04月02日(日) 19日間 1,190,000円
  <崩落の頻度アップ!迫力のペリト・モレノ氷河>
   お問い合わせお待ちしております。



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2016年08月25日

おもしろモアイを見つけよう inイースター島

こんにちは、東京本社の寺岡です。
2015年11月、イースター島へのツアーに添乗させていただきました。
そこで出会った面白いモアイたちをご紹介したいと思います。

モアイon table


<そもそも、モアイとは>
「モアイ像」は、チリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻を指します。
その目的は、儀式的目的で作られたという説が濃厚ですが、諸説あります。
モアイの形・様相は、時代によって変化しました。
初期の頃はより人間に近い形で、ずんぐりむっくり、丸い頭、平たい顔、丸い鼻でしたが、やがて
「理想の形」として、高い鼻、細面で彫が深い顔立ち…の形で作られるようになりました。
また、後期のモアイの頭の上には「プカオ」という物体が乗っています。
プカオは当時の人々の髷を表すとされ、モアイに欠かせないアイテムでした。
また、イースター島の人々がかつて信仰していた「鳥人(*)」が爪を切らないことに所以して、
モアイ指先も細長く彫られています。

鳥人

*鳥人
鳥は自由に空を飛び回れる存在であることから、ラパヌイ(イースター島の現地名)の人々は古く
から、鳥は神の力を宿す重要なシンボルと考えていた。
そこから、最も偉大な島の創造神マケ・マケの化身として、“鳥人タンガタ・マヌ”が創造された。
タンガタ・マヌは、頭は鳥、体は人間という様相で、強いマナ(霊力)を持つ者として崇拝された。

<おもしろモアイに会いに行こう>
その1.ずんぐりモアイ
初期のモアイは、より人間味のある形をしていました。
こちらはアナ・ケナ海岸海岸にある、「アフ・アトゥレ・フキ」。初期のモアイです。
背が小さくて、どっしりとしていて、鼻もそんなに高くありません。なんだか、愛着がわきます。
冒険家トール・ヘイエルダールが、モアイの建立方法を検証するために島内で最初に復元したものです。
画像加工はしていませんよ!

ずんぐりモアイ


その2.目玉入りモアイ
現在、モアイ像といえば渋谷駅にもあるように、「目」はありません。
ですが、本当はその当時、モアイには「目」が入っていたそうです。
それを復元したモアイ像も、イースター島には立っています。
目玉入りモアイ

上の写真は、島内の文化・政治的な様々な行事が催されていたというタハイ儀式村にあるものでで、
アフ・コテリクのモアイ。1970年代にパリの雑誌社が「モアイの目」を入れた状態で復元したものです。

モアイの目

実際の「モアイの目」も発掘されています。これはオリジナルのモアイの目。イースター島博物館に
あります。白目部分は白珊瑚、黒目部分は赤色凝灰岩でできています。

その3.名前がヘンなモアイ「モアイ・ピロピロ」
これは、私のツボに入ったお気に入りモアイです。
その名も「モアイ・ピロピロ」。
イースター島のなかでもずば抜けて容姿端麗なモアイですが、「埃っぽい」という意味だとか・・・
名前がヘンなモアイ

このモアイは、時代が進んでからのものです。
初期は人間味のある形でしたが、こちらは「理想の形」を追求したモアイ。
高い鼻、細面で彫が深い顔立ちが特徴的です。

その4.うつぶせモアイ
うつぶせモアイ

実はイースター島に多いのは、この「うつぶせ状態」のモアイです。
本来はうつぶせ状態もモアイばかりでしたが、修復・復元のなかで、立てなおされたものが殆どなのです。
これはイースター島で1600年末頃から勃発した「モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)」が関係しています。
~モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)とは~
1600年代、イースター島は文化的絶頂期を迎え、人口が大幅に増加。当時の最大の人口は約1万~
2万人と言われている。文化が成熟した一方で、モアイ建設のために森林破壊が進み、島の資源は
乏しくなってしまった(別の説では、ナンキンネズミが大量発生して森林破壊が進んだというものも)。
そのため島に存在した12の部族は戦争を始め、各部族を守るモアイのマナ(霊力)をそぐためにモアイの
倒し合いをはじめとする戦争となる。これがモアイ倒し戦争である。
争いは1600年代末頃から1700年代初めに始まり、約150年間続いた。

その5.再利用モアイ(こんな所に!)
まずはこちらの写真をじっくりとご覧ください。モアイの顔がどこにあるか、認識できますか?
顔の再利用モアイ

・・・いかがでしょうか?赤丸でマークをつけましたが、そう、横になったモアイ顔が見えますか?
こちらのモアイと台座が立つのは、伝説の王ホトゥ・マトゥアが上陸したと伝えられるアナ・ケナ海岸。
砂浜の中のアフに立つ7体のモアイの名は、アフ・ナウナウと言います。
なんと、アフ・ナウナウの台座には、昔のモアイの顔が石の一つとして使われているのです!
石材も立派な資源。再利用の心は、イースター島の人々も昔から持っていたのですね。

その6.チャーミングなお尻をもつモアイ
この可愛らしいお尻、そして「足」のあるモアイをご紹介しないわけにはいきません。
おしりがチャーミングなモアイ

イースター島で唯一「足」のあるモアイが発見されています。モアイ像の原料となる凝灰岩が切り出された
ラノ・ララクという場所で、トールヘイエルダールが発見しました。
モアイ・トゥク・トゥリは、正座するモアイ。体格もずんぐりした頭と体で、初期モアイの特徴を示しています。
島内最古のモアイと言われています。
足があるのでお尻があるわけですが、なんともチャーミングな後姿だと思いませんか??


イースター島には約1000体のモアイが現存すると言われています。
もちろん修復したものが多い訳ですが、一つ一つ、大変個性的な顔・形をしています。
今回ご紹介したのはほんの一部です。
おもしろいモアイに出会いに、ちょっと遠いですがイースター島まで旅してみませんか?

■関連ツアー
ゆったりガラパゴス諸島滞在とイースター島 11日間
11月 6日発 催行決定
1月22日発 募集中
3月 5日発 募集中

teraoka_saiyu at 11:49|Permalinkmixiチェック

2016年08月02日

パタゴニアの魅力 ~ヘネラル・カレーラ湖

大阪支社 高橋です。

 梅雨も明け、夏の風物詩である花火大会やお祭りが日本各地で行われておりますが、皆様のお住まいの地域の「夏の風物詩」と言えば、どのような催し物が行われているのでしょうか。

 私の住んでいる大阪では「日本三大祭の一つ水都大阪の天神祭」が行われました。

 大阪天満宮が創祀された翌々年の天暦5年(951)に鉾流神事が始まりました。
 鉾流神事とは、社頭の浜から大川に神鉾を流し、漂着した場所にその年の御旅所を設ける神事で、御旅所とは御神霊がご休憩される場所のことです。
 この御旅所の準備ができると御神霊は陸路で川岸まで出御、乗船して大川を下り御旅所へ向かうルートを辿りました。この航行が船渡御で、天神祭の起源とされています。
 船渡御で船がすれ違う時など、祭り中、あちこちで行われる「大阪締め(おおさかじめ)」。
 大阪締めとは、大阪を中心に行われている手締め(日本古来の風習の一つで、物事が無事に終わったことを祝い関係者が掛け声とともに打つ手拍子)で「手打ち」ともいいます。
 「打ちましょ」でチョンチョンと2回手を打ち、「もひとつせ〜」でチョンチョン、 最後に「祝うて三度」でチョチョンがチョンと打って締める。関西では、お祭りの時以外の証券取引所や経済会合でもこの大阪締めが用いられ、浪速の商人には欠くことのできない習慣です。

 諸説がありますが、大阪締めの発祥は生国魂神社の例祭で用いられていた囃太鼓に合せた手締めの簡略バージョンが天神祭を通じて現在の大阪締めになったといわれています。
<天神祭総合情報サイトHPより>


 少々、余談が長くなってしまいましたが、本題に。

 6月、各方面の別冊パンフレットを発表させていただきました。皆様、すでにご覧いただいたかと思いますが、ご興味あるコースはございましたでしょうか。

 私は「パタゴニア」のツアーを担当させていただいております。
 今シーズンは既存のコースに加え、新たに「中部パタゴニア」へも訪れる2コースの新企画を発表させていただきました。
 おかげ様で、パタゴニアへのお問い合わせが日に日に増えてきており、すでに催行をきめさせていただいたコースもいくつかございます。

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 パンフレットをまだ手に取られていない方、またパタゴニアへご興味ある方は、すぐにでも弊社へお問い合わせを・・・と言いたいところですが、まずはこのブログの続きをゆっくりご覧ください。

 昨年から、主に「南部パタゴニア」と言われる地域のみどころをブログにてご紹介させていただきました。
 
 南米でも1、2を争う大自然の美しさを誇るパタゴニアの魅力、中部地方へ目を向けると、まだまだたくさんの魅力あふれる名勝地が残されております。

 その1つが石灰質の山々が生み出した紺碧の湖「ヘネラル・カレーラ湖」です。

 まずは、その美しい湖面の色合いをご覧ください!!

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【真っ青な水を湛えるヘネラル・カレーラ湖】

 「ヘネラル・カレーラ湖」(アルゼンチン名:ブエノス・アイレス湖)は、チリとアルゼンチンに跨るチリ最大の湖であり、アルゼンチンで4番目の大きさを誇る湖でもあります。

 周囲は石灰質の山々に囲まれており、そこから湖に流れ込む水も石灰分を含み、湖底に沈殿することで乳白色を帯びます。

 石灰分は水中の不純物を吸着する性質があり、そのため水は透明に澄みわたり、その湖の水が空の青を映し、乳白色から鮮やかなエメラルドグリーンに輝き始めます。

<西遊旅行のここがポイント!!>
 この美しき紺碧の湖「ヘネラル・カレーラ湖」では、ただ湖の展望を楽しむだけではございません。


 風光明媚な「アウストラル街道」を走行しながらの車窓風景より、ヘネラル・カレーラ湖の風景をお楽しみいただきます。

 「蒼き氷河と風の大地 パタゴニア完全走破」のコースでは、ヘネラル・カレーラ湖の南岸も走行し、チリからアルゼンチンへ陸路で抜け、各所の名勝地を巡りながら、南部の2大国立公園を目指します。

 各ツアーでは、ヘネラル・カレーラ湖畔で連泊を設定しており、連泊の中日には「神秘の大理石洞窟 マーブル・カテドラルのボートクルーズ」へご案内いたします。

 「蒼き氷河と風の大地 パタゴニア完全走破」では、ヘネラル・カレーラ湖に流入するレオネス川の上流に位置する「レオネス湖」にも立ち寄り、訪れる観光客が少ない「レオネス氷河」へもご案内いたします。

【購入写真】56719878_l (7)

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【ボートクルーズで巡る「マーブル・カテドラル」】

※まだまだ見どころの多い中部パタゴニア、「アウストラル街道」や「マーブル・カテドラル」のご紹介ブログは、追々発表させていただきます。

 今シーズンから「ヘネラル・カレーラ湖」へ訪れる企画として、2コース発表させていただきました。
 このブログをご覧いただき、「紺碧の湖へ訪れたい!!」と心躍られた方、ツアーへご興味ある方は、是非西遊旅行へご一報ください。
 
 パタゴニアの大自然のすばらしさを知っていただくため、今シーズンも「パタゴニアの魅力」のブログを定期的に発表させていただきます。お楽しみに!! 
 
 次回は「神秘の大理石洞窟 マーブル・カテドラル」について、ご紹介させていただきます。

 つづく・・・

<知られざる中部パタゴニアに訪れる新企画>
■マーブル・カテドラルと蒼き氷河のパタゴニア
※中部パタゴニアの見どころと、パタゴニアを代表する二大国立公園を巡る11日間
※コンパクトな日程ながら、中部・南部の見どころはしっかり見学!!

■蒼き氷河と風の大地 パタゴニア完全走破
※神秘の大理石洞窟マーブル・カテドラルから世界の最果てウシュアイアまで完全網羅した19日間
※完全走破だからこそ出会える絶景の数々が、みなさんをお待ちです!!

<西遊旅行で行く パタゴニアのツアー>
■蒼き氷河の国 パタゴニア
※南米大陸最南端・パタゴニアの大自然が創り上げた絶景を堪能

■ゆったりパタゴニア大縦断
※"世界の果て"ウシュアイアから名峰フィッツロイ聳えるチャルテンまで人数限定ゆとりの旅

■パタゴニア大縦断<年末年始特別企画>
※17日間コースの良いところを13日間に凝縮した、年末年始限定の特別企画。

■パタゴニアの蒼き氷河と天空の鏡ウユニ塩湖
※ベストシーズン限定!この時季だけに現れる2つの南米の奇跡を訪ねる

■究極のパタゴニアトレッキング Wサーキット完全踏破とフィッツロイ山群大展望
※2大山群を訪れ、5つの名峰を展望するパタゴニアトレッキングの決定版


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2016年07月06日

チリのアタカマ高地からボリビアへ。乾季に駆け抜ける絶景の大地!

南米の絶景は数あれど、チリのアタカマにかなう所なし。8年前に添乗したときの鮮烈な印象は今でも残っています。その素晴らしさを当時の写真とともにご紹介します。

初日、アタカマ高地の観光は中心であるサンペドロ・デ・アタカマからスタート。朝9時、バスを南に走らせます。放牧されているリャマや、アタカマの富士山こと「リンカン・カブール山(5,916m)」も見られました。

ミスカンティ (10)
▲ミスカンティ湖▲
サンペドロ・デ・アタカマから2時間。最初に到着したのは標高4,350mのミスカンティ湖でした。ミスカンティ山(5,622m)の麓にたたずむ広さ15k㎡、深さ34m(最深部)のエメラルドグリーン色のきれいな湖でした。そして、ミスカンティ湖のとなりには、ミニケス山(5,910m)の麓にたたずむミニケス湖がありました。ミニケス湖の大きさはミスカンティ湖の1/10。小さな湖ですが、Tagua Cornudoという水鳥の保護地区に指定されています。

ミスカンティ (8)
▲パハ・ブラバ(Paja Brava)▲
黄土色のピンピンとした草で、アルティプラーノに生える草です。屋根葺材などに利用し、ビクーニャのえさにもなります。

タティオ間欠泉 (10)
▲タティオ間欠泉▲
現地2日目。世界最高所(4,200m)の間欠泉、タティオ間欠泉へ。日の出を見るため、また気温の低いほうが、間欠泉の噴煙が高く、きれいに見えるとのことで、朝早い出発になりました。間欠泉は世界中の旅行者が集まるところ。朝早いにも関わらず、たくさんの旅行者が訪れていました。

ビクーニャ4
▲ビクーニャ▲
道中、ビクーニャの群れも見ることができました。ビクーニャは、この地方独特の動物。リャマよりも小型で、ほとんどが野生。その毛は貴重で、ほとんどがイタリアに輸出されているとのこと。昔は乱獲されていましたが、今は頭数も減ったため、国際協定により保護されており、ビクーニャを狩猟することは禁止されています。特別の許可を持った限られた人々がビクーニャを捕まえることができるのです。捕まえても毛を刈った後は、再びアルティプラーノ(高地平原)に放されます。

タティオ間欠泉 (26)
▲温泉にて▲
「高山病なんのその!」といった欧米人は、水着を着て、温泉につかっていました。ここは、高度4,200m。いやはや、すごい!彼らも高山病になることはあるのでしょうか?

月の谷 (15)月の谷 (29)
▲月の谷▲
コヨーテの谷と呼ばれるその場所では格別なる景観が・・・。辺りの山は夕日に染まり、真赤に燃え上がるようでした。とても幻想的でした。

P9219583 ボリビア側イミグレ(4,300m)
▲ボリビア側国境事務所▲
サンペドロ・デ・アタカマの市内にある、チリ入国管理所にて出国手続き。そして、車で1時間、ボリビアの国境へと向かいました。ボリビア国境は標高4,800m。ここも風が強く、とても寒かったです。

国境~ヴィジャマール
▲ベルデ湖▲
国境から車で走ること10分、目の前にまさにエメラルドグリーンの湖が・・・。そう、ここはベルデ湖です。ベルデ=緑というように、まさにその名のとおり、クリームソーダのような緑色。その標高は4,350m。表面積は16k㎡。マグネシウムや硫酸、鉛などが水に溶けていて、湖の水は猛毒だそうです。通常は乳白色ですが、風が強い日は、湖水が攪拌されて緑色に変化するとのことです。

国境~ヴィジャマール
▲ダリの砂漠▲
「ダリの砂漠」といわれる場所で写真ストップをしました。ここの景観は、マドリッドのレイナ・ソフィア美術館に所蔵されているサルバドール・ダリの“Las Damas de Dali”という絵画の景観とそっくりだといいます。ダリは、当時、ここを訪れたという事実はないそうです。
たまたま、かつてこの地を訪れた西洋人旅行者が、この風景を見て「そっくり!」と指摘したそうです。なんとも不思議ですね・・・。

国境~ヴィジャマール
▲ソル・デ・マニャーナ▲
ソル・デ・マニャーナは別名「ゲイセル」とも呼ばれます。ゲイセルとはスペイン語で「間欠泉」の意。ここの標高は4,876m、もう日本よりも高い場所にいるんだという感覚がなくなってきます。ここは間欠泉というよりは地獄谷。硫黄のにおいがプンプン。でも、美肌にいいとされる天然泥パックは、持ち帰る方もいるんです。ここの泥が湧き上がった直後の温度は600℃。蒸気は、鉱山労働者の肺の治療に効くといわれます。

コロラダ湖 (5)
▲コロラダ湖のフラミンゴ▲
そして、フラミンゴのコロニー・コロラダ湖に到着。コロラダ湖は標高4,278m。表面積は60k㎡。水深は、たったの30cmほど。湖水のピンク色はプランクトンや微生物によって作られています。フラミンゴのピンク色も、このプランクトンの色素が影響しているそうです。ここには、世界に6種類いるフラミンゴのうち、3種類(ジェームスフラミンゴ、アンデスフラミンゴ、チリフラミンゴ)が生息しているそうです。たくさんのフラミンゴを見ることができました。

そして塩の大平原、ウユニへ塩湖へ。
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ケメス~塩のホテル (27)
▲乾季には見渡す限り真っ白な光景が360度広がります▲

ケメス~塩のホテル (17)
▲塩湖中央にあるインカワシ島▲
ケチュア族の言葉で「インカの家」という意味。群生するサボテンが印象的です。乾季には必ず訪れ、上陸することができます。

雨季の”天空の鏡”も素晴らしいですが、どこまでも続く雪原を彷彿させる景色は言葉にならない美しさです!

西遊旅行で行くアタカマ高地のツアーはこちらから!

otomo_saiyu at 20:25|Permalinkmixiチェック

2015年11月18日

パタゴニアを体感するクルーズ ~②グレイ湖クルーズ

 大阪支社 高橋です

 秋の紅葉もが見頃を迎え、いよいよ本格的な秋が到来です。今シーズンは幸いにも紅葉の見頃の時期に日本にいますので、今年こそは紅葉を堪能したいと思います。京都でも行こうかな~と計画中です。

 本日は、前回に引き続き「パタゴニアを体感するクルーズ」をご紹介、今回はチリ・パタゴニアのパイネ国立公園内の「グレイ湖クルーズ」をご紹介させていただきます。

 グレイ湖とは、チリ・パタゴニアのパイネ国立公園を代表するグレイ氷河が流れ込む湖です。このグレイ氷河の融解水が作り出した湖は、グレイ川へと流れ、パイネ国立公園の南に流れるセラーノ川に合流します。その後、ウルティマ・エスペランサ湾を経て、太平洋に注ぐのです。

※ここがポイント!!
 前回ご紹介した「セラーノ川クルーズ」にて遡ってきたセラーノ川。このグレイ湖クルーズでは、その源流域でのクルーズを堪能していただけます。
 2つのクルーズを合わせますと、まさに「チリ・パタゴニアの源流域」を訪ねるクルーズとなるのです!!


 グレイ湖畔より、まずは湖面上で待つクルーズ船へと移動するためのボートに乗り込みます。湖畔の桟橋でこのボートを見たお客様は必ず「エッ、このボートでクルーズするの!?」と驚かれますが、窓付き、屋根付きのクルーズ船が待っていますので、ご安心ください。
 クルーズ船に乗り込み、いよいよグレイ湖クルーズがスタートします。
 グレイ氷河へと徐々に接近しますが、グレイ氷河が目の前に迫るまでの区間では、湖上に浮かぶ美しいグレーシャー・ブルーの氷河の残骸やパイネ山群の岩峰の景観をお楽しみいただけます。

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【美しいグレーシャー・ブルーが見られる氷河の残骸】


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【パイネ山群の岩峰も迫力満点】


 クルーズ船が氷河の目の前まで接近すると、パタゴニアの大自然が作り出した「氷河の美しさ」を心ゆくまでご堪能いただけます。
(注意:係員の指示が出るまでデッキに出れませんので、ご注意ください)

【船上からグレイ氷河を堪能】
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 氷河の作り出す自然の芸術は、湖面へと流れ落ちる迫力ある景観だけではございません。各所で迫力という面以外の芸術的な景観がご覧いただけます。

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【融解水と湖水が作り出した洞窟/その奥を覗くとより一層グレーシャー・ブルーの美しさを感じれます】


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【氷河の崩落直後、その部分は透き通るようなブルーが際立ちます】


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【尖塔のような氷河!よく見ると、先頭にはドーナツ状の穴も開いています。これも自然の造形美の1つ】


 岩峰の岩肌に乗り上げる氷河の景観がご覧いただけるのも「氷河クルーズ」だけの特典です!!

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 約2時間のクルーズでスタート地点の桟橋へと戻ります。
 ラッキーだと、湖面に広がる虹がグレイ湖いっぱいに広がる景観をご覧いただけるかもしれません。

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 「グレイ氷河」は、高さ50m 長さ27km 厚み800mを誇る大氷河です。
 「パイネ国立公園を代表する大氷河・グレイ氷河」の迫力を感じていただくには、やはりこの「グレイ湖クルーズ」に乗船いただかなければいけません。 
 私自身、このクルーズ中では「氷河の崩落」を撮影したことはありませんが、目撃は何度もしたことがあります。氷河の崩落の見学=ペリト・モレノ氷河(アルゼンチン)というイメージが強いようですがこのグレイ氷河でも崩落の目撃チャンスがございますので、目が離せないクルーズとなります。 
 
 パタゴニアのご紹介をしていると、本当にパタゴニアに行きたくなります。
 次回は「世界の最果ての街で楽しむビーグル水道クルーズ」をご紹介します。
 
 つづく・・・

<グレイ氷河クルーズをお楽しみいただけるツアーのご紹介>
~南米大陸最南端・パタゴニアの大自然が創り上げた絶景を堪能~
蒼き氷河の国パタゴニア12日間

~世界の最果て・ウシュアイアから名峰フィッツ・ロイ聳えるチャルテンまで~
ゆったりパタゴニア大縦断17日間

~南米でも人気の観光地である蒼き氷河のパタゴニアと天空の鏡・ウユニ塩湖を一度に訪問~
パタゴニアの蒼き氷河と天空の鏡ウユニ塩湖15日間

今シーズンは是非「蒼き氷河パタゴニア」へ訪れましょう!!

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2015年10月26日

パタゴニアを体感するクルーズ ~①セラーノ川クルーズ

大阪支社 高橋です。

 添乗業務から帰国し、「秋の味覚」を楽しみながら「日本の秋」を感じる日々が続いております。先日は、新そばをいただきました。
 各所では紅葉が見頃の時期も近づいてきており、味覚の次は「視覚」で秋を楽しめる時期が始まります。皆様はどちらで紅葉をお楽しみになる予定でしょうか。

 南米大陸でも人気の観光地の1つである「蒼き氷河の国パタゴニア」。
 パタゴニアは、南米の夏にあたる12月~3月がベストシーズンを迎えるため、いよいよパタゴニアのシーズンが近づいてきました。

 これまで「蒼き氷河の国パタゴニアの魅力」として、様々ご紹介してきましたが、
本日からは西遊旅行のツアーならではの「パタゴニアを体感する3つのクルーズ」を、順にご紹介していきたいと思います。

 本日はパタゴニアの大自然を体感できる3つのクルーズにおいて、最大の目玉である「セラーノ川ボートクルーズ」をご紹介します。
 プエルト・ナタレスの「ウルティマ・エスペランサ湾」から、ユネスコの保護区域に指定されている自然豊かな「パイネ国立公園」を目指す、壮大な風景を楽しむことができるクルーズです。

 この壮大なクルーズは「チリ南部の都市プエルト・ナタレス」からスタートします。

 プエルト・ナタレスは、パイネ国立公園の玄関口となる街であり、その街の西側にウルティマ・エスペラサ湾(セニョレット水道)が広がり、ウルティマ・エスペランサ湾の乗船所より、まずは「クルーズ船」に乗り込み、クルーズが始まります。

 徐々にパイネ国立公園を目指して北上していると、船上からはマルマセーダ氷河、セラーノ氷河などの迫りくる氷河の景観や、周囲の岩峰など、さっそくすばらしい景観を堪能していただく事ができます。そうです、このクルーズは、船内でゆっくりしている暇はないのです。(もちろん良い意味ですよ)

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【数々の氷河が垂れ下がる岩峰の景観】


 クルーズ船で周囲の景観を楽しみながら、徐々に岩峰の麓の船着き場へと近づいていきます。
 そこに待っているのが「セラーノ氷河」です。

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【目の前にセラーノ氷河が迫る】


 岩峰の谷あいに流れる「セラーノ氷河の見学」が、このクルーズの魅力の1つです。

 パタゴニアにある数々の有名な氷河。それらは車、もしくはハイキングなどで訪れ、見学することができますが、このセラーノ氷河に関しては、パタゴニアで最も有名なペリト・モレノ氷河(アルゼンチン)に比べれば、規模は小さいものですありますが、このセラーノ川クルーズに乗船しなければ見学できない氷河であります。
 しかも船上から見るだけでなく、セラーノ氷河の目の前まで遊歩道ができており、簡単に見学が楽しめます。

 ※ここが、セラーノ川クルーズ1つ目のポイントです!
  他の観光客が見る事のできない氷河まで堪能できるのです!!


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【間近でセラーノ氷河を体感】


 その時々の氷河の状況にもよりますが、ラッキーだとガイドさんが「氷河の残骸」を目の前まで運んできてくれ、パタゴニアの氷河を直接触れていただく事もできるかもしれません。

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 さらには、シーズンによってはパタゴニアを代表する花「トパトパ(別名LADY'S SLIPPER)」と呼ばれるキンチャクソウの仲間もご覧いただけます。

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 セラーノ氷河の迫力を堪能した後、ここでクルーズ船から強化ゴムボート「ゾディアック」に乗り換えます。窓なし・屋根なしのボートのため、ここでは現地にて貸出される専用の防寒着を着込み、いよいよパイネ国立公園を目指します。

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【さあ、ゾディアックに乗り込みでパイネ国立公園を目指します】


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【ゾディアックに乗り込んだ直後にはバルマセーダ峰が展望】


 ゾディアックでのクルーズでは、バルマセーダ峰の景観、さらには迫力ある「バルマセーダ氷河」の景観が目の前に広がりはじめます。

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【バルマセーダ氷河の景観が目の前に迫る】


 セラーノ川を北上する中、川の流れが激しくなるポイントがあります。そこでは安全のための中州に上陸をし、少し歩いていただくこととなります。
 このハイキング姿は、まるで「宇宙防衛軍の訓練」のように見えるため、いつも笑いが起きてしまいます。 

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【宇宙防衛軍の訓練風景?】


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 この中洲の訓練?をクリアすると、お待ちかねの「パイネ国立公園」は、もうすぐそこ。ボート上からは、パイネ国立公園内に聳える岩峰の数々が展望ができます。

※ここが、セラーノ川クルーズ2つ目のポイントです!
 同じパイネ国立公園の景観も、このセラーノ川のボート上から眺める事ができるのは、このボートクルーズだけの楽しみであるのです!!


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【セラーノ川上より眺めるパイネ山群の景観】


 ゴムボート・ゾディアックから、様々な景観を楽しんだ後、チリ・パタゴニアの目玉である「パイネ国立公園」に到着します。

 このパイネ国立公園では、各所でのハイキングを楽しんでいただいたり、後日ご紹介する「グレイ氷河クルーズ」を楽しんでいただいたりと、皆様にパタゴニアの大自然を堪能していただくため、様々なプランを準備しております。
 各ツアーともパイネ国立公園内のホテルでご宿泊いただけますので、日中の景観以外にも、朝夕、さらには夜空の鑑賞まで、時間の経過とともに変化していくパイネ山群の景観をお楽しみいただけます。

IMG_0607

【パイネ国立公園に宿泊する事でご覧いただける景観です】


 バスや車という移動手段でパイネ国立公園に入るルートも、もちろん素晴らしい景観を楽しんでいただけます。
 西遊旅行ならではのプラン、他の観光客とは少し違ったかたちでパタゴニアの大自然を堪能してみたいというお客様へは、是非おススメのプランです。
 
 私も、この文章を書きながら「あ~、今年もパタゴニアに行きたいな~」と、ふと思ってしまいました。

 ・・・つづく

■「セラーノ川クルーズ」を楽しめる西遊旅行パタゴニアの旅
 蒼き氷河の国 パタゴニア
 ゆったりパタゴニア大縦断

※是非、今シーズンはパタゴニアの地へ訪れてみてください。




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2015年06月20日

モアイの島 イースター島 その②

東京本社の田村です。
前回に引き続き、イースター島の見所をご案内いたします。

<南海岸に点在するアフ>
どのアフも「モアイ引き倒し戦争(フリ・モアイ)」によってモアイが引き倒されたままになっているアフです。

アカハンガ

◆アフ・アカハンガ
このアフも大きく、10体位のモアイが立っていたのではないかと言われていて、周囲には3000人程の部族が住んでいたとされ、ハレ・バカ(ボートハウス)の跡も見つかっています。ここのアフは昔のモアイの顔やプカオ(まげ:赤い石)を石組みの材料として再利用しているのが良く分かります。

ハンガテエ

◆アフ・ハンガ・テエ
ここも8体のモアイが倒れていることから、比較的大きな集落があったと見られています。と同時に、ここのアフの下からは人骨も発掘されています。ここで倒れている8体の中でも、黄色い岩で出来ているモアイはラノ・ララクの火口の内側で切り出されたモアイという事が分かります。火口の内側で切り出されたモアイは黄色っぽく、外側で切り出されたモアイは黒っぽいのです。

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<テ・ピト・クラ>
車で島の中央を突っ切るように東へ進むと行き着く場所が「光のヘソ」という意味を持つ「テ・ピト・クラ」。
ここのアフには高さ12m、約90トンの大きなモアイが倒れており、その名も「モアイ・パロ」。実はこのモアイ、1830年代に西洋人によって実際にアフの上に建っている姿を確認された最後のモアイ像で、その後に引き倒されてしまったのです。大きさも実際にアフの上に建てられたモアイの中では最大とされています。

ヘソ

また、このアフのすぐ脇にはまん丸な球形をした不思議な石があり、その石を人々は「地球のヘソ」と呼んでいます。この石はそれ自体から磁気を発しており、不思議なパワーを持っているとされています。いわゆる「パワースポット」です。そのため、昔の人達(特に偉い人達)はこの石の周りで重要な話し合いや、儀式をしていたのではないかとされています。その石に額を押し付けて考え事をしたとも言われています。

<アナ・ケナ海岸>
テ・ピト・クラから程近い場所にあるのがアナ・ケナ海岸です。

この海岸には島唯一の海水浴場「アナ・ケナ・ビーチ」がある一方で、島伝説の初代王様「ホトゥ・マトゥア王」がポリネシアのヒバからイースター島に辿り着いた際、ここに上陸したとされる歴史的な場所でもあります。砂浜のすぐ後ろには「アフ・ナウナウ」と「アフ・アトゥレ・フキ」のアフが控えています。
アナケナビーチ


◆アフ・ナウナウ
7体のモアイが立つアフで、そのうち4体が「プカオ」をかぶっています。どれも後期のモアイと推測されるのですが、元々ここのモアイは砂浜の砂の中に埋もれていたため、保存状態がとても良く、顔のつくりや、耳などがしっかりと残されていて、お尻に履いているふんどしまでもがくっきりと描かれているのが分かります。更にはアフの石組みに古いモアイの顔が再利用されていたり、アフの石にトカゲ人間の姿(恐らく神の化身)が描かれている様子もご覧頂けます。

ナウナウ


~モアイの目玉~
モアイはアフに立てられて完成ではなく、目を入れる事によって初めて完成とされました。人々は「目に霊力(マナ)が宿る」と信じており、モアイも目が入って初めてその力を得ると信じられていたのです。そのため、モアイ倒し戦争の時には、倒すモアイの目を真っ先に破壊したと考えられています。倒されたモアイは残るものの、目だけは破壊されつくしてしまったために、モアイの目玉はとても貴重なモノとなってしまいました。その貴重な「目の玉」が現在タハイ儀式村近くの「イースター博物館」に一つだけ残っており、それは1978年にこのアフ・ナウナウで発見されました。

◆アフ・アトゥレ・フキ
ここに立つ一体だけのモアイは、かなり初期のモアイとされ、この地に初めて上陸した伝説の王「ホトゥ・マトゥア王」その人を表わしているのではないかとされています。ホトゥ・マトゥア王は400年頃にポリネシアの「ヒバ」という国から家族と共にイースター島に辿り着き、この島に住み着いたと言われています。ラパ・ヌイの人達は、皆この王様の子孫という事なのです。さらには上陸時に、乗っていたボートをひっくり返してそれを家とし、その下で暮らした事から、島にはハレ・バカ(ボートハウス)の風習が広まったとも言われています。
このモアイは、モアイ戦争で全てのモアイが引き倒された後、1956年に初めて再び立てられた記念すべきモアイでもあります。
アトゥレフキ


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<アフ・アキビ>
ここの7体のモアイは唯一海を向いて立てられていることで有名でして、ガイドブックでも良く取り上げられている場所です。

アキビ

では、なぜこのモアイ達が海を向いているのか?…実はこの7体のモアイはホトゥ・マトゥア王の使いとして、移住先を見つけるべく王に先駆けて海に出た勇敢な7人の従者とされています。彼らがまずこのイースター島を発見し、本国の王に報告、最終的に王が乗り込んで来たという流れです。後に、この勇敢な7人の従者達を讃えるために建てられたのがこのアフ・アキビであり、7体のモアイでした。そのため、このモアイだけは遥か海の向こう、故国ヒバの方角を向いているのです。
あくまでも伝説上のお話ですが、それでもこの7体のモアイが向く方角は、ヒバがあったであろうポリネシアの島々の方角を確かに向いているそうです。

<プナ・パウ>
アフ・アキビ近くの小山「プナ・パウ」にはモアイの頭に乗る「プカオ(まげ)」となる赤い岩の切り出し現場が残されています。プカオとなる赤い岩はこのプナ・パウ周辺でしか産出しないため、モアイ本体はラノ・ララクで、プカオはここで別々に切り出され、それぞれにアフに運ばれたのです。とても手間のかかる作業だった事が容易に想像できます。
プナパウ (2)


<アフ・ビナプ>
空港のすぐ裏手にある「アフ・ビナプ」は、他のアフと違わず、モアイはすでに倒されているのですがこの場所は、アフそのものが見所なのです。ここのアフの石組みは島のアフの中でも最も緻密で美しく、それが故にかの「コンチキ号」の旅で有名な考古学者「ヘイエルダール氏」はこの石組みを見て「南米起源説(ポリネシア人は南米が起源だという説)」を確信したと言われています。
なぜなら、この石組みはかのインカ文明を彷彿とさせるものだったからです。確かにその組み方はとても緻密で、ある種の芸術性を感じさせるものでした。
ビナプ



更にもう一つここのアフでしか見れないものが「女性のモアイ」です。
かなり形は崩れてしまっていますが、アフの傍に立つ赤い岩は腕の部分を見ると確かにモアイです。赤い岩で出来た女性のモアイはとても貴重で、主にこのアフ・ビナプと博物館でしか見ることが出来ません。
女性のモアイとはっきり確認されているものは10体に満たないそうで、数が少ない原因として、恐らくモアイを造り始めた初期にしか女性のモアイは製作されなかったのではないかと推測されています。女性のモアイは「プカオ(まげ)」と同じ「赤い岩」で造られています。
女性モアイ


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ここまでは、モアイを中心とした見所をご紹介してきましたが、イースター島にはモアイ以外にも様々な見所があります。

ラノ・カウ火口湖


<ラノ・カウ>
この大きな火山の火口には雄大なカルデラ湖が口を開けています。湖面に「トトラ(葦の一種)」が浮島のように生えている風景は、独特のモノです。湖面は直径約1.5km、火口の淵から湖面までは約200メートルほどの高さがあります。このカルデラ湖は、海に囲まれ河川がないイースター島の貴重な水源となっています。火口の外側は常に風が強い一方で、火口内の斜面は風がさえぎられ穏やかなめ、また、湖の水を火口の外側まで引いてくる労力を省く事が出来るという理由もあり、その昔はこの火口内側の急斜面には菜園が造られていたそうです。驚きですね。

<オロンゴ儀式村>
このオロンゴ儀式村は毎年9月に行われる「鳥人儀礼」が実際に行われていた場所で、儀式の為に建てられた岩屋が多数復元され、儀礼の際に岩に彫られた「タンガタ・マヌ(鳥人)」も多数残されています。
オロンゴ岬に立つと眼下の沖合には三つの小島が見えます。手前から順に「モトゥ・カオカオ、モトゥ・イティ、モトゥ・ヌイ」で、儀式の舞台になったのは一番奥の「モトゥ・ヌイ」です。一方、岬周辺の斜面に立つ数々の住居跡は、儀式中勇者が卵を持ち帰るのを応援し待つための期間限定の家でした。
オロンゴ岬②


《イースター島の鳥人儀礼》
モアイ崇拝が行なわれていた当初のイースター島は緑豊かな島でしたが、人口が増え、巨大なモアイを次々に建てていくうちに、緑が失われ、食料が不足するようになってしまいました。深刻な食糧不足の中で、食料や土地を巡って部族間の争いが起こり、それは次第に「モアイ引き倒し戦争=フリ・モアイ」へと発展していったと考えられます。18世紀に激化したモアイ倒し戦争の結果、めぼしいモアイが全て倒され、モアイ崇拝は廃れることになり、代わりに古い神であるマケマケの信仰とタンガタ・マヌ(鳥人)の儀式が行なわれるようになりました。
下の写真ではタンガタ・マヌ(鳥人)が岩に彫られています。
鳥人像


島の創造神マケマケがアジサシに導かれてこの島に辿り着いたという神話を元に、オロンゴ岬の絶壁の下の小島からその年初めてのアジサシの卵を持ち帰った者を「鳥人(タンガタ・マヌ)」としその年の島の支配者としたのです。それが「オロンゴの鳥人儀式」と呼ばれるもので、絶えない紛争の中でこの鳥人儀礼は各部族の権力争いをより平和的に解決するための手段として利用されるようになりました。この儀式も、西洋人の入植により19世紀には島は急速にキリスト教化され、その結果この鳥人儀礼もまた影響力を失い廃れていったと考えられます。
オロンゴ岬


<アナ・カイ・タンガタ>
直訳すると「人間を食べる洞窟」という意味のこの洞窟は、火山噴火で出来た溶岩トンネルが海に向かって口をあけている場所で、イースター島にはこのような洞窟がたくさんありました。
それらの洞窟の中では、かつての島民が生活をした跡やら、倉庫や菜園などの跡、何かの儀式に使われた跡などが残されている洞窟がいくつかあります。この「アナ・カイ・タンガタ」もその一つで「食人洞窟」と呼ばれていますが、実際に食人が行われていたかは定かではありません。ただ、西洋人の残した文献によると「鳥人儀礼」などの際に食人をしていたという記述も残されているため、少なくとも「食人」の習慣はあったのではないかと考えられています。
アナカイタンガダ

一方、ここの洞窟の天井には無数の「鳥の絵」が残されているため、オロンゴの鳥人儀礼に関係する場所と考える事も出来、卵を目指して小島に渡った男達への食糧補給基地だったのでは、という見解も存在します。洞窟の天井に描かれた鳥の絵は、とても生き生きと描かれていますが、表面が薄い層の岩となっており、いつ剥がれ落ちてもおかしくない状態です。

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イースター夕日


イースター島の見所はいかがでしたでしょうか??
まだまだたくさんの見所がありますが、今回はこの辺にしたいと思います。
あとは、ご自身で実際に訪れて、この島の良さを発見して下さい!!

イースター島を訪れる旅は、こちらです。
イースター島とガラパゴス諸島
 09月20日(日) ~ 10月01日(木) 12日間 998,000円 <まもなく催行決定(6/3時点)>
 11月08日(日) ~ 11月19日(木) 12日間 998,000円 <まもなく催行決定(6/3時点)>

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2015年06月03日

モアイの島 イースター島 その①

東京本社の田村です。
今回は、南海の孤島、南太平洋のポリネシアに浮かぶイースター島の見所をご案内いたします。

太平洋に浮かぶチリ領のこの火山島はもともと現地語では「ラパ・ヌイ」と呼ばれていましたが、1722年の「復活祭(イースター)」の日にオランダ人によって発見されたため、この名前が付けられました。

観光の拠点は、島唯一の街「ハンガ・ロア」。イースター島の人口約4000人のほとんどが住んでいる割には、こじんまりとしてノンビリした街です。

ハンガ・ロア


イースター島と言えばいえば真っ先に思い浮かべるのが、そう、もちろん「モアイ像」。建造途中で放置されたものも含めると島全体に約900体程あります。
モアイ像がなぜ造られるようになったかという点に関しては、イースター島に住む人たちのルーツが大きく関わっているとされます。イースター島の住民の祖先は、優れた航海術も持っており、はるか昔に遠くアジアの方からポリネシアを越えてやってきたという説があり、モアイ像も同じルーツを辿るとされます。その説では、モアイ像の原型はポリネシア文化圏に見られる先祖を祀る「祭壇=アフ」にあり、最初は祭壇だけであったものが、次第に人の形をなすようになったというのです。
モアイは作られた時期によってその特徴が異なり、初期のモアイは小型でより人間の顔に近い形をしています。その後、時代を経るに従って次第に大型化し、顔の形も細長く抽象的な造りになっていき、後期のモアイには「髪型=髷(マゲ)」を表現する「プカオ(赤い岩)」が乗せられている点も特徴です。

イースター島内にはモアイ像が建つポイントが数多くあります。
そのいくつかをご案内させて頂きます。

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<タハイ儀式村>
ハンガ・ロアの街外れにあるタハイ儀式村。ここには三つのアフ(祭壇)があり、それぞれにモアイが立てられていますが、ここの三つのアフは初期・中期・後期のものが並んでおり、それぞれに特徴のあるモアイが立っているので、それぞれの特徴を比べる事が出来る貴重な場所です。

タハイ儀式村


◆アフ・コテリク(後期)
目がはめ込まれ、立派なプカオを頭にのせており、かつての全盛期(後期)の姿を最も良く表わしているモアイが立ちます。

コテリク


◆アフ・タハイ(中期)
この周辺「タハイ儀式村」の地名の元となったアフで、ここのモアイは中期のものとされています。

◆アフ・バイウリ(初期)
このアフからは700年代の燃えた木片が出土しており、イースター島で発見された最も古い出土品とされています。初期のアフと考えられており、そこに立つモアイも全体的に小ぶりで人間的な顔つきをしているのです。

また、タハイ儀式村には、アフの周囲に形成されていた部族の集落の様子が残されています。

【ハレ・バカ】
「ハレ=住居、バカ=カヌー」を意味する。別名ボートハウス。住居というよりは、首長の寝室だったり、何かの儀式で使う空間だったと推測されています。

【ハレ・モア】
ニワトリ小屋。もともと島には動物がおらず、ポリネシアから持ち込まれたニワトリは貴重な食料だったそうです。

このタハイ儀式村は夕日スポットとしても有名で、大海原に沈む夕日をバックに立つモアイ像の風景をご覧いただくことが出来ます。

タハイ夕日


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<ラノ・ララク>
島の東に位置する「ラノ・ララク」はラノ・ララクはイースター島のほとんどのモアイが切り出されたまさにモアイ製造工場とも言える場所で、イースター島観光のハイライトの一つでもあります。
この凝灰岩で出来た死火山の山腹には、切り出し途中のモアイや、切り出されてどこかに運び出される途中で放置されたモアイなど、何と合計で397体のモアイが野ざらしで残されており、整備された遊歩道を行くと、あちらこちらにモアイが放置されています。

ラノララク②


顔の形がシャープで良いため名前が付けられている「モアイ・ピロピロ」。
立っている姿の構図が良く、ガイドブックに引っ張りだこの有名な2体のモアイ。
その他にも20mを越えるイースター島最大の切り出し中のモアイなどもありました。ただ、この最大のモアイは大き過ぎるため、アフに乗せる本来の目的ではなく、切り出さずに磨崖仏のようにする予定だったと推測されています。
ラノララク


モアイ達を良く見るとその一体一体に顔の特徴がちゃんと違っていて、ちゃんとモデルとなった人(部族の首長など)に似せて造っていたことが良く分かります。
数あるモアイの中でも、このラノ・ララクで一番印象的なモアイは、やはり正座するモアイ「モアイ・トゥクトゥリ」ではないでしょうか。トゥクトゥリとはラパ・ヌイ語で「ひざまづく」という意味だそうで、このモアイは足があり姿勢正しく正座しています。さらにはあごひげを生やし、手をお行儀良くひざに置いて、何とも人間的なモアイです。あまり大きくないサイズや、この人間的な表現から、このモアイはかなり初期の頃のモノと推測されています。
ちなみに地元ラパ・ヌイの人達は、今でもお祭りの時などには正座をするそうなので、このモアイは文化的に整合性が取れており、とても興味深いです。

ラノララク④


それにしても、柔らかいとはいえこうした岩で出来たモアイを石の道具(黒曜石)で切り出したというのですから、気が遠くなる話です。高さ4mの小ぶりのモアイを切り出すのに、男30人がかりで一年半かかったという記録も残っているようなので、15m近くのモアイなどはどれくらいの時間と人間を必要としたのか想像も付きません。

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<アフ・トンガリキ>
イースター島観光のもう一つのハイライトがこのアフ・トンガリキです。

トンガリキ①


ここには立派なモアイが15体も悠然と立っており、これらのモアイが日本のクレーン車と日本の援助によって復元されたのは有名な話です。
元々、長さ100m・幅6mもあるこのアフ・トンガリキはイースター島はもちろんの事、同じような文化を持つポリネシアの中でも最大級規模のアフでして、イースター島の中心部族の集落が周囲に広がっていたと推測されています。

そんなアフも1960年のチリ地震による津波で大ダメージを受け、野ざらしにされたままになっていましたが、日本のテレビ番組で当時の知事「セルヒオ・ラプさん」(何とこの方、考古学者でもあります)のメッセージが流れたのをきっかけに、四国のクレーン会社「タダノ」がクレーンの提供と援助に乗り出し、その後日本の各方面を巻き込んでの「モアイ立ち上げプロジェクト」となりました。1992年にクレーン車が上陸し、約3年後の1995年までに15体全てのモアイを立ててプロジェクトは終了しました。

一体だけモアイ


またここで忘れてはならないのが、このアフの入り口に一体だけ立つモアイ。
このモアイは1982年に開催された「イースター島巨石像展」で来日した事のあるモアイでして、元はラノ・ララクにあり、考古学者ヘイエルダール氏のモアイ運搬実験(どのようにモアイを移動させたかを検証する実験)によってここまで運ばれたという、とても波乱万丈な人生を送っているモアイなのです。

このアフ・トンガリキは15体のモアイ越に朝日を見ることが出来る、日の出スポットとしても有名です。

トンガリキ②


まだまだイースター島の見所はたくさんありますので、続きはまた次の機会にご案内いたします。


イースター島を訪れる旅は、こちらです。
イースター島とガラパゴス諸島
 09月20日(日) ~ 10月01日(木) 12日間 998,000円 <まもなく催行決定(6/3時点)>
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2015年05月15日

絶景!アタカマ高地!…と動物たち

東京本社の廣野です。
これから乾季のベストシーズンを迎える南米の絶景地と言えばどこでしょうか。

チリ北部に位置するアタカマ高地です!
この地域は、世界で最も乾燥した地域と言われるアタカマ砂漠があるところ。
アンデス山脈やその他の山地によって湿気が遮断されているためです。
アタカマ砂漠には、40年間一滴の雨も降らなかった場所があるというほど、
非常に乾燥した場所です。

空気中に水分や塵が少ないこともあり、空気がとても澄んでいます。
空の色は抜けるように蒼く、乾季は特に、満天の星空が広がります。
いくつかの絶景ポイントと、荒涼とした景色の中で心を和ませてくれる愛らしい動物を
いくつか紹介させていただきます。

私が添乗で同行させていただき、個人的にお気に入りなのはここ、ミスカンティ湖。

ミスカンティ湖


白い雪の模様が残る山と、湖と蒼い空。ため息が出る美しさです。

こちらはアタカマ塩湖。
アタカマ塩湖


ウユニ塩湖が有名ですが、実はアタカマにも大規模な塩湖があります。
ただしウユニ塩湖とは景色は全く異なります。
アタカマは雨がほとんど降らないのでほとんど水は張りません。
かわりに塩分が固まって地面からもりあがっており、ぼこぼこしています。
そんな景色が一面に広がります。
約100km×80kmの広さがあり、ウユニ塩湖に次いで世界で2番目に大きな塩湖です。

そしてタティオ間欠泉。
タティオ間欠泉


イエローストーンやアイスランドなども間欠泉で有名ですが、このタティオ間欠泉も
世界第3位の規模を誇っています。
7~10月頃の乾季の時期は、夜と朝日が昇る頃との気温差がより大きくなるため、
より激しい活動が見られます。

こちらの月の谷も美しい絶景地。
月の谷


月の谷


長い年月をかけて堆積した砂や石が、これまた長い年月をかけて風雨により浸食され、
様々な様相で残っています。
夕日の時間帯にここにいると、赤く染まっていく岩を眺めることができます。
白っぽく見える部分は、岩の中に含まれる塩の成分です。
これは、ここがかつては海の底にあったことの印です。

この世のものとは思えない景色、また月面のようにも見える景色にちなんで「月の谷」と
名前がついています。
非常に乾燥し、自然的条件の厳しい月の谷は、火星探索機の実験場となることもあるそうです。
月の谷


そしてここから動物たちの紹介です。
フラミンゴ

フラミンゴは塩湖や干潟などの特殊環境でも生きていくことのできる鳥です。
赤色がきれいです。
運がよければこんな大群を見られることも。
フラミンゴ


ちなみに月の谷はチリの国立フラメンコ保護区の一部になっています。

これはビスカチャという動物です。
ビスカチャ


うさぎのように見えますが、齧歯目(ゲッシモク)でねずみの仲間です。
日向ぼっこのために姿を現したようです。

そしてビクーニャ。
ビクーニャ

アンデスと言えばリャマやアルパカが有名ですが、このビクーニャも同じラクダ科の仲間です。
少し小柄で、毛はアルパカよりも上質です。近づくと逃げてしまうので、なかなか近くで写真を撮るのは
難しいですが。

こんなキツネとも目があいました。
キツネ


寒暖の差が激しく、乾燥し、標高も高い地域ですが色々な動物が生息しています。

西遊旅行のツアー「アタカマ高地からウユニ塩湖へ アンデス最奥を巡る旅」では、
その他にこんな場所も訪れます。

チリから陸路でボリビアへ入ってから訪れるベルデ湖
ベルデ湖


こちらもボリビア側の絶景地。
ボリビア



絶景好きにはたまらないアンデスの奥地を四輪駆動車で巡る冒険ツアー。
まだお申込み間に合います!
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2014年10月06日

トールヘイエルダール生誕100周年

東京本社 奥井です。

トール・ヘイエルダール今から100年前の今日、10月6日にノルウェー南部のラルビクに一人の男の子が誕生しました。彼の名は、トール・ヘイエルダール(右写真:著作権消滅済)。のちに、民俗学者として世界的に有名になりました。彼は、幼いころから動物に強い興味を持ち、オスロ大学では動物学と地理学を学びました。その在学中に、ポリネシア文化に興味を持ち始め、ポリネシアに関する資料を集め始めたそうです。ある日、彼は南米のペルーにある石の像とポリネシアにある石の像がよく似ていることに気が付きます。実際、イースター島にはインカの遺跡の石組みに大変よく似たアフ・ビナプという遺跡が存在します(下)。
アフ・ビナプの石組み
彼は、論文でポリネシア文化の南米起源説を唱えるのですが、当時の技術ではフンボルト海流を越えれるわけはないだろうと、否定されてしまいます。そこで、彼は当時の技術でも南米からポリネシアに到達できることを証明するため、1947年漂流実験を決行します。
南米のバルサ材などを使いインカ当時の船を模したコンティキ号を建造して、ペルーからイースター島への航海に挑戦。この航海を記した『コンチキ号漂流記』は、小学生のころに読んだかたも多いのではないでしょうか。彼は結局出航から102日後にイースター島よりはるか西方のトゥアモトゥ諸島に到達したのです。

いまでは、遺伝子分析の結果を根拠にトール・ヘイエルダールの説は否定的な見解が殆どです。しかし、インカと同様の石組みがあることから、南米とイースター島をはじめとする南太平洋の島々との間に古代の人々の行き来があったことまでを否定するものではないようです。
古代ポリネシアの人々は大海原を越えて、我々が考えるよりもはるか遠くに行っていたことを証明した点で、ヘイエルダールの偉業は今も多くの人に称えられているのです。
アナケナ


インカにそっくりの石組みの残るアフ・ビナプも訪問!
イースター島とガラパゴス諸島

okui_saiyu at 09:56|PermalinkTrackBack(0)mixiチェック

2013年03月25日

パタゴニア ~山火事からの復活への思い

大阪支社 高橋です。
春の訪れの足音がすぐそばまで聞こえてきており、これから花咲くシーズンが到来します。
楽しみなシーズンがやってきます。
皆様のお住まいの周辺でも、桜やこぶしの花のつぼみが膨らんできているのではないでしょうか。
私もパタゴニア添乗にて、蒼き氷河と共に、可憐な花々を堪能してきたばかりです。

ここで、パタゴニアで起きました2011年の年末に起きました山火事に関する経過報告をさせていただきます。

少し前の話となりますが、2012年を迎える直前の事でした。
「世界の最果て パタゴニア縦断(観光)」への添乗を言われ、心躍った事を覚えています。
それと同時に、2011年末に起きた「パイネ国立公園の大規模な山火事」のニュースを聞き、驚いた事も同時に覚えています。
ツアーで訪れるハイライトの1つ「パイネ国立公園」はどうなっているのか?果たして大丈夫なのか?心躍る気持ちと同時に、不安が心を過ぎる思いでした。
いざ、山火事の現場・パイネ国立公園に訪れた2012年2月16日。サルト・グランデ(グランデ滝)~クエルノス・デル・パイネ峰展望地へのハイキングへ出発した直後、景観の広がるエリア一面が「野焼き」の跡のようで、緑というものが全くない景観でした。青空と岩峰の景観の美しさには感動しましたが、その反面、あたりの緑の無さ、木々の変わり果てた姿に衝撃が走りました。
その時の写真がこちらです。
2012年2月①

 「木々に葉っぱが無くなり、岩峰がより良く見やすくなりました」と案内はしたものの、緑が無くなり、木々は焼け焦げ、樹皮が無くなり、煤にまみれた木々を見て「復活はあるのだろうか…」とも感じました。
私が海外添乗を志したきっかけの1つに「パタゴニアへ添乗で行きたい」という思いがあったため、余計にそう感じたのかもしれません。1日でも早い緑の復活を願い、パイネ国立公園をあとにしたのが、2012年2月17日でした。

それから1年が過ぎ、2013年2月3日。再び「パタゴニア周遊トレッキング」でパタゴニアへ訪れる事になりました。
緑の復活はどの程度まで進行しているのか?期待と不安が入り混じる中、パイネ国立公園へと向かいました。
今回、私が添乗させていただいたコースでは、昨年と同じトレイルを歩く事はありませんでした。トレッキングのコースでは、昨年立ち入る事の出来なかったパイネ・グランデ小屋周辺(ペオエ湖の対岸)でしたが、今年は通常通りトレッキングのスタート地点として立ち入る事が出来ました。ペオエ湖を船で渡り、昨シーズンの山火事の現場へと足を踏み入れましたが…本当に驚きました。
しっかりと緑が地を覆い、所々には小さい花々も咲いていました。風が強すぎて可憐な花を撮影が出来ませんでしたが(さすが風の大地パタゴニアです)、緑を確認出来たどころか、まさか可憐な花々まで確認出来た事には、花々の鑑賞が大好きな私にとっては、本当に嬉しい思いでした。
2013年2月②

木々に関しては、ここ1年で降った雨で洗い流されたのでしょうか、木肌の煤は指で確認する事は出来ませんでした。さすがに樹皮が剥げ落ちてしまっているので、木々の復活は無理でしょうが、昨年と変わらずにしっかりと立っている姿を見る事ができて、花々を見た時と同様、本当に嬉しい思いが込み上げてきました。

帰国後、私が昨年添乗をさせていただいた「世界の最果て パタゴニア縦断」のコースの写真があると聞き、昨年の山火事からの復活具合を知りたく、すぐに写真を確認させていただきました。
同じ「クエルノス・デル・パイネ展望ハイキング」の景観を比較した写真が、次の2枚です

こちらが2012年2月に訪れた際の写真です。
2012年③


こちらが、1年経った2013年2月の同じトレイルの写真です。
2013年2月④


思わず、社内で声を挙げて喜んでしまった程の回復具合でした。
「自然の力の偉大さ」を感じる事の出来る2枚の写真ではないでしょうか。

「風の大地パタゴニア」と謳われるパタゴニア。強風が常に吹き荒れる大地の中、たった1年でここまで緑が復活していた事は、本当に喜ばしい事です。私も仕事で訪れる機会が多いパタゴニア。この先もパタゴニアの緑の回復具合を見守っていきたいと思っております。
たった1年でここまで回復したパタゴニア。来年はどこまで回復しているか本当に楽しみです。私自身が花々を見ながらのハイキングが大好きなので、同じく花々を見ながらのハイキングが好きな方、またこのブログを見ていただきパタゴニアの回復状況が少しでも気になられた方、是非ご一緒に訪れましょう!!
「可憐な花咲くパタゴニア」へ。

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「女性のスリッパ」と称されるゴマノハグサ科「カルケオラリア・ラグナエブランカエ」

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2013年02月18日

モアイに呼ばれて⑩(最終回)

気がつけば足かけ1年半、10回に渡ってお話ししてきたイースター島のトピックも、これで終わりです。最後の話題は食事について。
イースター島の名物料理は、クラントという蒸し焼き料理です。しかし、これはイースター島に限らず、南太平洋諸国で広く食べられています。
クラントは、ブロックで周りを囲み、その底に3時間ほど熱した火山岩を置き、バナナの葉を敷いて、魚や鶏肉、豚肉、サツマイモ、タロ芋などの食材を並べ、またバナナの葉で幾層にも重ね、最後に土を被せて、7時間かけて蒸し上げる料理です。クラントができあがると、それをマケマケ神に捧げる儀式が厳かに行われます。
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                        【写真】クラントのでき上がり

島のレストランでは、島の歴史を現した伝統ダンス(モアイの製造からアフに置き、目を付けるまでの工程や鳥人儀礼祭など)やホトゥ・マトゥア王を讃える歌、もっともポピュラーな踊りのサウサウなどのショーも見ることができます。島の文化に触れることができる唯一の機会です。
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                          【写真】伝統ダンスショー

イースター島は「絶海の孤島」とも呼ばれます。南米大陸から3700キロ、タヒチから4600キロ、一番近い島からでも1900キロ。米国ロスアンゼルス、チリのサンティアゴを経由し、成田を発ってからそこに着いたのは36時間後でした……。とんでもなく遠い場所ですが、一生に一度は訪ねていただきたい場所の1つです。                                              (大阪支社/中島)

nakajima_saiyu at 17:30|PermalinkTrackBack(0)mixiチェック

2013年02月03日

モアイに呼ばれて⑨

イースター島博物館は、モアイ観光の最初には予習として、最後なら復習として是非行っておきたい所です。
ハンガロア村の西へ約5キロ。正式名称は、セバスチャン・エングレット神父人類学博物館。セバスチャン・エングレット神父とは、1935年にイースター島にやって来たキリスト教宣教師の名前です。この博物館は1973年に開館し、もっともメインとする展示物は、MUSEO_1“モアイの目”(※右写真)。1978年、アフ・ナウナウの再建中に発見されました。1992年にはアフ・トンガリキからも小さな目が発見されています。パネルでは、イースター島の成り立ち、イースター島はニュージーランドとハワイを結ぶポリネシア・トライアングルの東端にあること、モアイの作り方とその運び方など。その他の展示物として、ペルーへ送るための奴隷狩りのせいで、もう誰も読めなくなってしまいましたが、1行読むと、逆さまにして次の行を読むという文字盤のコハウ・ロンゴロンゴ(複製)や女性のモアイ像などを見学しました。
MUSEO_3
                      【写真】コハウ・ロンゴロンゴの複製
MUSEO_2
                         【写真】女性のモアイ像

博物館近くのタハイ儀式村でイースター島観光はおしまいです。
1960~70年代にかけて復元された村の跡地であDSC_0213るタハイ儀式村には、アフ・コテリクという、島で唯一、目のあるモアイ(復元)があります(※左写真)。ラノ・ララクで切り出されたモアイは、各村のアフまで運ばれ、アフの上に立たされてから、最後に目がはめられて、初めてモアイにマナと呼ばれる霊力が宿ったとされています。目のある方が愛嬌を感じて良いかも知れません。アフ・コテリクから少し離れて1体だけでたたずむアフ・タハイ、顔が半分壊れてしまって痛々しいモアイも並ぶアフ・バイウリ、その傍らで完全に首と胴体が離れてしまったモアイが寝かせられ、住居や儀式を行った場所なども復元されていました。
                                                    (大阪支社/中島)

nakajima_saiyu at 15:00|PermalinkTrackBack(0)mixiチェック

2013年01月23日

モアイに呼ばれて⑧

あまり注目されにくいけど、それでいて重要なスポットもご案内しておきましょう。
テ・ピト・クラにもまた、フリ・モアイで倒されたモアイ像が1体、PC280029無残にたたずんでいます(※右写真)。アフに立たされたモアイの中では最大のもので、その大きさは10メートル。18世紀、キャプテン・クックがこの島を訪れた時は、このモアイはまだ立っていたそうです。ここではこの倒れたモアイが目的ではなく、その西側に置かれた、丸い大きな石。その名がテ・ピト・クラ(光のヘソ)です。どういう目的でこの石が置かれているのかはまだ謎のままだそうですが、この石には強い磁場があり、事実、方位磁針もこの石の上ではクルクル回っていました。

空港の滑走路を沿うように、HOTU MATUAホトゥ・マトゥア通りを東へ走り、海岸線まで出ると、チリ本土のサンティアゴの外港、バルパライソ(サンティアゴから120キロ)からタンカーで運ばれてくるガソリンの貯油所の前を通って、ホテルから車で約5キロの、アフ・ビナプから見学しました。この遺跡が大変興味深いのは、アフの石組みがインカ帝国時代のカミソリの刃一枚通さないという特徴に似ていることと、顔はないものの、プカオ(帽子もしくは髷)と同じ岩質で造られた女性のモアイ像が残されていることです。インカ文明との関連性は、依然、立証されていないようですが、確かに酷似していました。
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                 【写真】女性のモアイ像。顔立ちが気になります。

DSC_0168ラノ・カウ山を下って5キロほど車で走り、POLICARPO TOROポリカルポ・トロ通りの途上にある海岸に、アナ・カイ・タンガタと呼ばれる洞窟があります(※左写真)。アナは「洞窟」、カイは「食べる」、タンガタは「人間」を意味するように、かつてこの洞窟では食人の儀式が行われていたという伝説があります。しかし、実際には、人骨は見つかっておらず、最近ではオロンゴ岬での鳥人儀礼祭に参加する選手たちが、競技の前にこの洞窟で体を赤く塗ったという説が有力のようです。

島の内陸の方へ8キロほど走り、復活祭の時に、山頂の3つの十字架を目指して島民が登るという山を右手に見ながら、次はプナ・パウ。ここはプカオの製造所だった所です。大きなプカオが転がっており、丘の上まで歩いていくと、切り出し中の様子も窺えました。赤色凝灰岩が採掘できる場所はここしかなかったため、遠い所では、アフ・トンガリキやテ・ピト・クラまで10キロ以上の距離を、何十トンもの重さのプカオを何人もの人々が運んでいきました。プカオはどうやってモアイの頭の上に載せられたのかは未だに謎のままですが、1500年代になってからモアイの頭にプカオが載せられるようになったそうです。
                                                    (大阪支社/中島)

nakajima_saiyu at 19:30|PermalinkTrackBack(0)mixiチェック

2012年12月25日

モアイに呼ばれて⑦

イースター島の歴史をひも解いていくと、悲劇の物語が他にもたくさんありました。
パイナップル畑を左手に見ながら、アフ・アキヴィから1キロDSC_0190ほどの距離に、アナ・テ・パフと呼ばれる洞窟(※右写真)があります。島内には約200ヶ所あると言われている天然の洞窟の中で、この洞窟は最大を誇るそうです。洞窟の全長3500メートルはマタベリ国際空港の滑走路よりも長く、それと比較してみると最大と言われてもうなずけます。しかし、人が入れるのは3分の1程度のようです。
洞窟の入口では、馬がなけなし(?)の草を食み、バナナやアボガド、ブドウ、イモ類が育っていました。これはかつて島民が植えたもので、この洞窟で生活が営まれていたと推察されています。では何故、こんなに小さな島なのに人々は地下で暮らさないといけなかったのでしょうか? その物語は、19世紀までさかのぼります。欧米からの訪問者が島民を奴隷として拉致をするという取り返しのつかない過ちを犯したのです。それから逃れるためでした。
特に最大の悲劇は、1862年、ペルーからの奴隷商人たちの来航でした。当時の島の人口の半分にあたる1000人以上を拉致していったのです。重労働を強制され、翌年、生き残った人々は島に戻されましたが、その途上、天然痘や結核で大半が亡くなりました。島にたどり着けたのはたったの15人で、しかも彼らが持ち込むことになった伝染病は瞬く間に島内に広がり、1864年、ヨーロッパの宣教師がこの島へやって来た時の人口は、わずか600人だったそうです。
ちなみに、この宣教師が島で初めてキリスト教を布教し、現在では島民のほとんどがカトリックを信仰しています。また、現在の島民は、フランス人の奴隷狩りによってタヒチに連れ去られ、戻ってきた人々の子孫であり、現行のラパ・ヌイ語はタヒチ語の影響を強く受けているそうです。

<お知らせ>
まもなく2012年が終わります。来年こそはイースター島へ行ってみたいと思っている皆さん! 2013年1月22日発と2月26日発の「イースター島とガラパゴス諸島」はお陰様ですでに催行が決定しており、残席も僅かです。この機会に是非、私の大好きなイースター島を訪ねてみて下さい!
                                                    (大阪支社/中島)

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2012年10月23日

モアイに呼ばれて⑥

島の南東部、ハンガロア村から車で20分ほど走った所の海岸沿いにあるアフ・ハンガ・テエ(旧名、アフ・ヴァイフ)は、1700年頃に始まったモアイ倒し戦争(フリ・モアイ)の激戦地だった場所です。今ではこんなに平和で、のんびりした島でも、過去には他の国々でもあったような血塗られた時代がありました。
モアイ造りを強要されていた人々は支配者たちへの溜まりに溜まった不満を爆発させ、深刻な抗争が果てしなく続きました。そして、モアイ文化は終わりを遂げたのです。
アフ・ハンガ・テエには、8体のモアイがうつ伏せに倒されています。かつて、すべてのモアイ像にはサンゴ質の石灰岩で作られた目がありました。その目には、マナと呼ばれる不思議な霊力が宿るとされ、その霊力を封じるためにうつ伏せに倒されたそうです。それから数百年経った現在まで、無残な姿で倒れたままです。
さらに10キロほど東へ車を走らせた所にある、アフ・アカハンガ。ここもまたモアイ倒し戦争の激戦地だった場所でした。そして、この島を最初に統治した伝説の王、ホトゥ・マトゥアの墓がある重要な場所でもありました。

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                                                    (大阪支社/中島)

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2012年08月07日

モアイに呼ばれて⑤

島の北東部に位置するアナケナ海岸にも、7体(そのうち2体は損壊)のモアイが並ぶアフ・ナウナウと、ホトゥ・マトゥア王を模したと言われるアフ・アトゥレ・フキがあります。
伝説ではここが、ラパ・ヌイ初代の王、ホトゥ・マトゥアが白いカヌーに乗ってやって来た場所とされています。白い砂、タヒチからわざわざ持ってこられたココヤシの林、波と戯れたり、心地良い波の音を聴きながら、日がな一日、のんびりと過ごすこともできます。島の人たちもよく泳ぎに来る人気のスポットです。この島では、時間に追われることなどナンセンスなのです。
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                       アナケナ海岸に広がる白い砂浜

アフ・ナウナウ(※下写真)は砂に埋もれていたため、その保存状態も大変良く、綺麗に残っています。背部の入れ墨やふんどしも明瞭に確認することができます。
アナケナ_1

アナケナ_2
                    よく見ると、ふんどしが刻まれています

アフ・アトゥレ・フキ(※右写真)は、ラノ・ララクから運ばれてアナケナ_3きたモアイをアフに立てるための実験を行ったモアイで、実際、モアイを立てるのに10数人がかりで3週間近くも要したそうです。1体立てるのにこれだけの労力を必要とされたモアイ。300年前、島の至る所でたくさんのモアイが勇ましく立っていた姿の光と影。
次回は、イースター島の影についてお話しします。

                                                    (大阪支社/中島)

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2012年07月04日

アタカマ高地で絶景を!② 標高4,200mの温泉と燃えるような夕景

日本の蒸し暑い夏を抜け出したいのでしたら、季節は逆の南米へ!
チリのアタカマ高地は涼しさ通り越してマイナス10℃まで下がります。


あったかそうな体毛で覆われた、ビクーニャの群れも見ることができました。ビクーニャは、この地方独特の動物。リャマよりも小型で、ほとんどが野生。その毛皮は貴重で、ほとんどがイタリアに輸出されているとのこと。昔は乱獲されていましたが、今は頭数も減ってしまったため、国の政策で保護されているといいます。


ヴィジャマール~ケメス



早朝に見学に訪れたタティオ間欠泉は高度4,200m。「高山病なんのその!」といった欧米人は、水着を着て、温泉につかっていました。彼らは高山病になることがないのでしょうか?

タティオ間欠泉


サンペドロアタカマの郊外には、コヨーテの谷と呼ばれるスポットがあります。そこでは格別なる景観が・・・。辺りの山は夕日に染まり、真赤に燃え上がるようでした。とてもロマンチックです。

月の谷 (15)月の谷 (19)




チリのアタカマ高地からボリビアとの国境を越えさらに憧れのウユニ塩湖へ!ツアーの詳細はこちら!

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2012年06月20日

モアイに呼ばれて④

そもそもモアイは何故作られたのでしょうか? 近年の調査で、アフと呼ばれる祭壇からたくさんの人骨が発見されました。このため、「モアイは墓碑であった」という説が有力になりつつあるようです。
古代、イースター島でも部族社会が形成されていました。最初の頃はアフだけを造っていたのですが、やがて部族AKIVI_2間の権力をより顕著に示すために、人間型の像が造られるようになりました。それがモアイです。そしてそれは競うようにして巨大化され、より多くのモアイ像が造られるようになりました。モアイ像は先祖をかたどっているといわれ、村の守護神として崇められました。
島のほぼ中央部でたたずむアフ・アキヴィもまた、大変重要なモアイ群です。モアイ像は元来、村に向かって立てられているものですが、ここのモアイ像は、島で唯一、海に向かって立てられています。そして、島民は漁を生業としていたために海の近くに多くの村があったため、モアイ像も同時に海岸沿いに海を背にして立っていましたが、アフ・アキヴィのモアイ像は4キロも内陸にあることも特徴的です。初期に製造されたモアイなので、プカオと呼ばれる帽子(もしくは髷)は載せていません。
この7体は、伝説の初代の王、ホトゥ・マトゥアの使者、あるいは王子とも言われ、ホトゥ・マトゥア王がやって来たとされる、ポリネシアのマルケサス諸島のヒバ島に向かって立っているそうです。

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                         アフ・アキヴィの7体のモアイ像

モアイは遺跡でしょうか? 遺跡っぽく見えないのは僕だけでしょうか?
                                                     (大阪支社/中島)

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