TERAOKA

2016年08月25日

おもしろモアイを見つけよう inイースター島

こんにちは、東京本社の寺岡です。
2015年11月、イースター島へのツアーに添乗させていただきました。
そこで出会った面白いモアイたちをご紹介したいと思います。

モアイon table


<そもそも、モアイとは>
「モアイ像」は、チリ領イースター島にある人面を模した石造彫刻を指します。
その目的は、儀式的目的で作られたという説が濃厚ですが、諸説あります。
モアイの形・様相は、時代によって変化しました。
初期の頃はより人間に近い形で、ずんぐりむっくり、丸い頭、平たい顔、丸い鼻でしたが、やがて
「理想の形」として、高い鼻、細面で彫が深い顔立ち…の形で作られるようになりました。
また、後期のモアイの頭の上には「プカオ」という物体が乗っています。
プカオは当時の人々の髷を表すとされ、モアイに欠かせないアイテムでした。
また、イースター島の人々がかつて信仰していた「鳥人(*)」が爪を切らないことに所以して、
モアイ指先も細長く彫られています。

鳥人

*鳥人
鳥は自由に空を飛び回れる存在であることから、ラパヌイ(イースター島の現地名)の人々は古く
から、鳥は神の力を宿す重要なシンボルと考えていた。
そこから、最も偉大な島の創造神マケ・マケの化身として、“鳥人タンガタ・マヌ”が創造された。
タンガタ・マヌは、頭は鳥、体は人間という様相で、強いマナ(霊力)を持つ者として崇拝された。

<おもしろモアイに会いに行こう>
その1.ずんぐりモアイ
初期のモアイは、より人間味のある形をしていました。
こちらはアナ・ケナ海岸海岸にある、「アフ・アトゥレ・フキ」。初期のモアイです。
背が小さくて、どっしりとしていて、鼻もそんなに高くありません。なんだか、愛着がわきます。
冒険家トール・ヘイエルダールが、モアイの建立方法を検証するために島内で最初に復元したものです。
画像加工はしていませんよ!

ずんぐりモアイ


その2.目玉入りモアイ
現在、モアイ像といえば渋谷駅にもあるように、「目」はありません。
ですが、本当はその当時、モアイには「目」が入っていたそうです。
それを復元したモアイ像も、イースター島には立っています。
目玉入りモアイ

上の写真は、島内の文化・政治的な様々な行事が催されていたというタハイ儀式村にあるものでで、
アフ・コテリクのモアイ。1970年代にパリの雑誌社が「モアイの目」を入れた状態で復元したものです。

モアイの目

実際の「モアイの目」も発掘されています。これはオリジナルのモアイの目。イースター島博物館に
あります。白目部分は白珊瑚、黒目部分は赤色凝灰岩でできています。

その3.名前がヘンなモアイ「モアイ・ピロピロ」
これは、私のツボに入ったお気に入りモアイです。
その名も「モアイ・ピロピロ」。
イースター島のなかでもずば抜けて容姿端麗なモアイですが、「埃っぽい」という意味だとか・・・
名前がヘンなモアイ

このモアイは、時代が進んでからのものです。
初期は人間味のある形でしたが、こちらは「理想の形」を追求したモアイ。
高い鼻、細面で彫が深い顔立ちが特徴的です。

その4.うつぶせモアイ
うつぶせモアイ

実はイースター島に多いのは、この「うつぶせ状態」のモアイです。
本来はうつぶせ状態もモアイばかりでしたが、修復・復元のなかで、立てなおされたものが殆どなのです。
これはイースター島で1600年末頃から勃発した「モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)」が関係しています。
~モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)とは~
1600年代、イースター島は文化的絶頂期を迎え、人口が大幅に増加。当時の最大の人口は約1万~
2万人と言われている。文化が成熟した一方で、モアイ建設のために森林破壊が進み、島の資源は
乏しくなってしまった(別の説では、ナンキンネズミが大量発生して森林破壊が進んだというものも)。
そのため島に存在した12の部族は戦争を始め、各部族を守るモアイのマナ(霊力)をそぐためにモアイの
倒し合いをはじめとする戦争となる。これがモアイ倒し戦争である。
争いは1600年代末頃から1700年代初めに始まり、約150年間続いた。

その5.再利用モアイ(こんな所に!)
まずはこちらの写真をじっくりとご覧ください。モアイの顔がどこにあるか、認識できますか?
顔の再利用モアイ

・・・いかがでしょうか?赤丸でマークをつけましたが、そう、横になったモアイ顔が見えますか?
こちらのモアイと台座が立つのは、伝説の王ホトゥ・マトゥアが上陸したと伝えられるアナ・ケナ海岸。
砂浜の中のアフに立つ7体のモアイの名は、アフ・ナウナウと言います。
なんと、アフ・ナウナウの台座には、昔のモアイの顔が石の一つとして使われているのです!
石材も立派な資源。再利用の心は、イースター島の人々も昔から持っていたのですね。

その6.チャーミングなお尻をもつモアイ
この可愛らしいお尻、そして「足」のあるモアイをご紹介しないわけにはいきません。
おしりがチャーミングなモアイ

イースター島で唯一「足」のあるモアイが発見されています。モアイ像の原料となる凝灰岩が切り出された
ラノ・ララクという場所で、トールヘイエルダールが発見しました。
モアイ・トゥク・トゥリは、正座するモアイ。体格もずんぐりした頭と体で、初期モアイの特徴を示しています。
島内最古のモアイと言われています。
足があるのでお尻があるわけですが、なんともチャーミングな後姿だと思いませんか??


イースター島には約1000体のモアイが現存すると言われています。
もちろん修復したものが多い訳ですが、一つ一つ、大変個性的な顔・形をしています。
今回ご紹介したのはほんの一部です。
おもしろいモアイに出会いに、ちょっと遠いですがイースター島まで旅してみませんか?

■関連ツアー
ゆったりガラパゴス諸島滞在とイースター島 11日間
11月 6日発 催行決定
1月22日発 募集中
3月 5日発 募集中

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2016年07月31日

おもしろ国境越え 「アルゼンチン」から「パラグアイ」

東京本社の寺岡です。

西遊旅行では1カ国のみじっくり訪問するコースが多いので、国境越えを経験するコースは
あまり多くはありません。
そんな中、私が経験した陸路国境越えの中でもちょっと変わったものについて、ご紹介したい
と思います。

今回は、アルゼンチンパラグアイの国境越えについてです。

ポサーダス 国境越えトレイン


国境の町、「ポサーダス」と「エンカルナシオン」
アルゼンチン側の国境の町は「ポサーダス」。
三国戦争(1864年~1870年、パラグアイと、アルゼンチン・ブラジル・ウルグアイの三国同盟
軍との間で行なわれた戦争)の際には、ブラジル軍が軍事基地を置いていた町です。
首都のブエノスアイレスからは、北に約1300㎞。飛行機だと1時間半弱で到着します。

パラグアイ側の国境の町は「エンカルナシオン」。
パラグアイにおける3番目に大きな都市です。
エンカルナシオンが所属するイタプア県は、20世紀の戦前~戦後にドイツ、イタリア、ロシア、
ポーランド、そして日本等からの移民が多く流入してきました。エンカルナシオンはそうした
移民たちが生産する農産物の集積地としての役割も担っています。
また、よくバックパッカーの方は、アルゼンチンからブラジルへ移動する際に、ここの町で
ブラジル査証を申請するそうです。比較的手続きが容易なので、人気なのだとか。
かつて川沿いにはバラック小屋が並んでいましたが、近年のウォーターフロント開発により
一掃され、現在はこぎれいな公園や、ビーチに沿っての歩行者道路が続いています。

エンカルナシオン 川沿いの公園

【エンカルナシオン パラナ川沿いの歩行者道路】


■この国境越えの、面白い点
2つの国は、パラナ川によって隔てられています。
パラナ川は北側から、ブラジル・パラグアイ・アルゼンチンと流れ、ラプラタ川へと繋がります。
陸路国境越えをする際は、このパラナ川に架かる、サン・ロケ・ゴンサーレス・デ・サンタクルス橋
(1990年築)を走る、国境専用列車を利用します。

国境越えは、手続きの面では難しいことは何もありません。
ただ、色々と興味深いのです。・・・というのも、

【その1】
アルゼンチンの出国&パラグアイへの入国を、アルゼンチン側のポサーダスですべて完了させてしまう事。
つまり、出入国審査官が同じ場所に2人いるわけです。
パスポートを渡すと、アルゼンチン人がまずは出国スタンプを押し、隣にいるパラグアイ人に手渡し、
それからパラグアイ人が入国スタンプを押す・・・という流れになります。
【その2】
列車による国境越えなのに、列車に乗っている時間はわずか5分という事実!
橋の上には、列車用の線路と道路が並行して走っています。
これなら、わざわざ列車を作る必要があるのか!!?と考えてしまいます。

■HOW TO 国境越え(アルゼンチン・ポサーダス~パラグアイ・エンカルナシオン)
それでは、陸路国境越えの流れをご紹介します。

1、ポサーダスの町中から少し離れた国境手続きの建物へ。スーツケースは各自で運びます。

ポサーダス 国境の看板

【ポサーダスの国境手続き所にて】

2、出入国審査所にて、
  まずはアルゼンチン人係員にパスポートとアルゼンチンの出国カードを提出。
  アルゼンチンの出国スタンプをもらったら、お隣のパラグアイ人に自動的に手渡しされます。
  その後、パラグアイの入国スタンプをもらい、パスポートの返却を受けます。
  (ここの写真は残念ながら撮れず)

3、隣の部屋でセキュリティーチェックを受けます。スーツケースや手荷物をX線機械にかけます。

4、建物を出る手前にて、列車のチケットをもらいます。
列車は30分に1本あるので、列車が来るのを待ちます。

パラナ川の奥にはパラグアイが見える

【パラナ川を挟んで対岸には、パラグアイの町エンカルナシオンが見える】

5、列車が来たら乗り込みます。車両は2両編成という、とても短いもの。乗車時間も5分です。

国境専用列車の内部の様子

【列車内の様子。普通の列車と変わりません】


パラグアイへと続く橋

【橋の上を渡っている場面】


6、パラグアイ側に到着したら、スーツケースを持って下車。
  特にチェックも何もないので、そのまま構内を出て行きます。

・・・・・ポサーダス側の行列は時間がかかりましたが、それ以外は本当にあっという間の国境越えでした。

面白い国境越えがありましたら、またご紹介したいと思います。




■パラグアイ関連ツアー・ブログ
【ブログ】ウルグアイ・パラグアイ 世界遺産
http://blog.livedoor.jp/saiyutravel-latinamerica/archives/51328376.html
【ツアー】ウルグアイとパラグアイ 9日間
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLUY11/index.html

■「国境」関連ツアー・ブログ
【ブログ】国境越え~ペルーからボリビアへ~
http://blog.livedoor.jp/saiyutravel-latinamerica/archives/51325892.html
【ツアー】中米7ヶ国 パン・アメリカン・ハイウェイ縦断の旅
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLPA12/index.html
【ツアー】西アフリカ4ヶ国 象牙海岸とブードゥー教の世界
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/138/GAGH11/index.html(更新中)
【ツアー】クンジュラブ峠越え パミール大横断11日間
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GPPK11/index.html
【ツアー】ペルシャから東トルコ縦断 知られざるアジャリア自治共和国へ
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEIR21/index.html
【ツアー】タジキスタンとテルメズの遺産
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEUZ12/index.html
【ツアー】民族の十字路 大コーカサス紀行
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEAZ13/index.html





















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2016年06月03日

ウルグアイ・ビーフを求めて

東京本社の寺岡です。
昨年10月に「ウルグアイとパラグアイ」のコースに添乗して後、日本で「ウルグアイ」関連
ワードを聞くと嬉しくてたまりません。
先日、あの長者番組「世界ふしぎ発見」でも初めての取材という事で、ウルグアイが取り
上げられていました。「世界一貧しい大統領」「ウルグアイ・ビーフ」「豊かな自然とカピバラ」
等のテーマでまとまっていました。

それに感化されまして、私からも少しウルグアイ・ビーフ関連でご紹介させていただきます!


ウルグアイの国土は、日本の面積の約半分。その大半が平地で、牧草地となっています。
ウルグアイに訪れる観光客の多くは、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスからフェリーで
1時間弱でやってきて、ポルトガル式の街並みが可愛らしい世界遺産コロニア・デル・サク
ラメントを散策して帰るようです。

アルゼンチン~ウルグアイをつなぐフェリー

【ブエノスアイレス~ウルグアイ(コロニア・デル・サクラメント)を繋ぐフェリー】


首都モンテビデオはコロニアの街から東へ180㎞、車で約2時間半の移動が必要です。
道中、見えるのはひたすら平らな大地。山らしきものは見当たりません。
畑もありますが、多くは牧草地で牛をメインとする酪農を営んでいます。
ウルグアイの道を少し走れば「ガウチョ(カウボーイ)の国」をすぐに感じることができます。

そして、モンテビデオの街に到着したら、ぜひ
『メルカド・デ・プエルト(Mercado de Puerto)』へ足をお運びください!
ココこそが、ウルグアイ・ビーフに出逢える場所です。

メルカド・デ・プエルト 内部

【メルカド・デ・プエルト内部の様子。駅構内のような雰囲気】


Cabana Veronica

【大きな建物の中に、沢山のお店が屋台・オープンテラス形式でひしめき合う】


『メルカド・デ・プエルト』は、直訳すれば港の市場。旧市街の港寄りにある屋根付きの巨大な
建物で、もともとこの区画は1868年、いわゆる野菜や肉を売る「市場」として、イギリスの
リバプールから鉄筋枠組みが運ばれ建設されました。
20世紀に入り一旦市場は閉鎖されましたが、後にアサード(炭火焼肉)を提供するパリ―ジャ
街として生き返りました。
「金網」という意味のParrillaは、転じて「炭火焼肉屋」を表します。

各お店では、レア・ミディアム・ウェルダン等の焼き方を注文できるのは勿論、
部位ごとでも販売されていました。
手のひら以上の大きさで分厚い「肉の塊」が、アツアツの状態で運ばれてきます。
味は勿論、美味しい!この一言に尽きます。

メルカドで食べたアサード

【メルカドで食べたアサード。とても分厚く、食べ応えあり!!】


ちなみに、このメインに入る前には、チョリソとチーズの前菜が出されました。

メルカドで食べたチーズとチョリソ

【こちらが前菜。これに、ちょっとしたお酒も振る舞われました】


お肉を食べた後にもお肉・・・さすが、ウルグアイのお肉の消費量は格段です。
日本人の平均的な牛肉消費量は、年間約6kg。
一方で、ウルグアイ人の方は70g・・・つまり、日本人の10倍以上は食べています。

また、こちらは別日にコロニアの街で食べた夕食メニュー。
「チビート・プラッター」と言う、ウルグアイ庶民の味。これは2人前ですが、i-Phoneと
比べてみて、サイズが伝わりますでしょうか?

チビート・プラッター

【ウルグアイ庶民の味「チビート・プラッター」】


一番下にはステーキ、その上に大量のフライドポテト、そしてハムエッグが乗っています。
ちょっとジャンク・フードのようなカテゴリーに入りますが、ステーキはさすがウルグアイ。
自然の牧草を食べて育った、良質なお肉。紛れもない「牛」の味たっぷりでした。
添乗業務中のためアルコールは控えましたが、これにウルグアイ産ワインも合わせたら
最高だな…と、ついつい想像してしまいました。


ウルグアイはヨーロッパ系の人口が約90%と高く、本当にヨーロッパに来たような感覚に
陥ります。
食事内容のレベルも高く全体的にヨーロッパ並み、牛関連では牛乳、チーズも美味しいです。
おいしいお肉を求めて、南米の小国ウルグアイへ行ってみませんか?

■ウルグアイ関連ツアー・ブログ
【ブログ】ウルグアイ・パラグアイ 世界遺産
http://blog.livedoor.jp/saiyutravel-latinamerica/archives/51328376.html
【ツアー】ウルグアイとパラグアイ 9日間
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLUY11/index.html


■お客様のお集まり状況
出発日~帰国日ツアー名催行状況(日々更新)価格
備考
9/22(木)~9/30(金)ウルグアイとパラグアイ638,000円
2万円値下げ!
10/6(木)~10/14(金)ウルグアイとパラグアイ638,000円
2万円値下げ!
11/3(木)~11/11(金)ウルグアイとパラグアイ638,000円
2万円値下げ!




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2016年03月11日

パラグアイ関連イベント開催中~衣・食・音楽・名所~

皆さんこんにちは、東京本社の寺岡です。

先日、パラグアイの日本人移民についてのブログをアップしましたが、
メルコスール観光局より、JICAでのパラグアイ関連イベントのお知らせ
が来ましたので、ご紹介させていただきます!

JICA地球広場では、毎月いろいろな国の紹介イベントが企画されています。
今年は日本人移民がパラグアイへわたって80周年。
それを記念して、3月いっぱい、パラグアイの文化を紹介するイベントが開催
されているそうです。

私もJICA地球広場のイベントに参加したことがありますが、誰でもとても気軽に
参加できる雰囲気です。ぜひ、足を運んでみてはいかがでしょうか?

↓↓↓詳細はコチラ↓↓↓ 
http://www.jica.go.jp/hiroba/about/experience/exhibition/ku57pq000007z57v-att/201603_paraguay.pdf
主催:JICA地球広場
住所:東京都新宿 区市谷本村町10-5 JICA 市ヶ谷ビル内


■パラグアイに関する展示
http://www.jica.go.jp/hiroba/about/experience/exhibition/hall/2015/160320_01.html
パラグアイの自然や伝統衣装、日本人移住地の写真などが展示中。
会場:JICA地球広場


■パラグアイ料理を味わう パラグアイ家庭料理をたべてみよう
http://www.jica.go.jp/hiroba/cafe/index.html
4月1日まで、パラグアイ家庭料理「ミネラッサ」(パラグアイ風カツレツ)がメインの
「大使館セット」のランチ販売(650円)があるそうです。
会場:JICA J's Cafe (料理)

■パラグアイの音楽に触れる
 「ニャンドゥティレースの実演とパラグアイハープの調べ 」

http://www.jica.go.jp/hiroba/event/2016/160317_01.html
先住民族の言葉で「蜘蛛の巣」を意味する伝統刺繍。
自然の花や太陽をモチーフにした美しい糸の芸術です。
パラグアイのハープ「アルパ」の演奏と共に、文化に触れられます。

日時:2016年3月17日(木曜日)19時~20時30分
定員:100名(要予約・無料)
会場:JICA 国際会議場

ニャンドゥティ アスンシオンのマーケットにて
   【アスンシオンのマーケットにて、色とりどりの美しいニャンドゥティに出逢いました】




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パラグアイの情報が、徐々に日本に広まることを願っています。
実際に、「パラグアイをこの目で見てみたい!」という方は、
ぜひツアーもご検討下さい!

◆関連ツアー
ウルグアイとパラグアイ 9日間 
2016年04月28日~05月06日  
2016年09月22日~09月30日
2016年10月06日~10月14日
2016年11月03日~11月11日






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2016年03月07日

パラグアイの日本人移住地

こんにちは。東京本社の寺岡です。

南米大陸の中でも日本人観光客が少ない「パラグアイ」。
その認知度も、あまり高くないのが現状だと思います。

ですが、パラグアイには5,800人の日本からの移住者や日系人が生活しており(外務省HPより)、
実は世界でも日本人が多い国の10本の指に入ります。
そして現地の人々は今も日本を身近に感じて下さっていて、日本文化を継承しています。
2011年の東日本大震災が起こった時も、パラグアイの日本人会から応援の言葉を始め、
支援物資なども贈られてきました。

昨年10月にパラグアイへのツアーに同行してきました。
まずは、そもそもの日本人の海外移住の歴史と、パラグアイへの移民の始まりについて、
ご紹介させていただきます。

パラグアイ 赤土の大地

【青い空と赤土の大地が広がるパラグアイ】


■日本人の海外移住の始まり■ 
明治期より始まった日本人の海外移住。生活に困窮した主に農民が、出稼ぎの目的で渡航
していった。最初の移住は1868年ハワイへの移住と言われる。しかし黄禍論により排日移民
法が定められ対アメリカの移民が禁止されると、奴隷解放後で労働力不足に困っていた南米
のゴム園・コーヒー農場などの大規模プランテーションに集団移住が始まった。

■パラグアイ移住への背景■ 
日本からの移民は増加したが、出稼ぎ目的である日本人移民と、奴隷の代替を求める現地
の雇用主との間では、目的の違いから紛争が絶えなかった。そのため、過大な重圧を受けた
移民たちの脱走が相次ぐ。ブラジルでは排日の機運が高まり、これを察した日本の外務省・
拓務省はブラジル以外の国への移住の可能性を調査し始める。こうしてパラグアイへの移住
の可能性が拓け、現地側の歓迎の声もあった。
 しかし日本政府側の関心の低さから、すぐには実現しなかった。その後、1934年には排日機運
の高まりを受けてブラジル政府が日本人移民の数を大幅に制限し、急速にパラグアイへの海外
移住の準備が始まった。
 その後、1932年から1935年のチャコ戦争後武力革命によりすぐには移住は実施されなかった
が、最終的には1936年4月30日ついに、日本人移民100家族を試験的に受け入れる法的許可が
下りた。


・・・こうして進んだパラグアイへの移民。
現在パラグアイ国内には、日本人移住地や日系社会などが合計9つあり、パラグアイ社会に
融合しつつも独自の色を出し、特に農業面でパラグアイの経済を支えています。

なかでも「ピラポ移住地」は、農業面で活躍する日本人移住地の一つです。
2015年10月、ピラポ移住地を訪問しました。
急な訪問だったにもかかわらず、農協の皆さんは温かく迎えてくださり、すてきな交流ができました。

ピラポ記念碑

【2010年、ピラポ入植から50周年を記念する記念碑が建設された】


 ピラポ移住地の人口は約350人。移住地の総面積は約8万4000ヘクタールと、佐渡島弱ほどの
面積を持ちます。1960年8月2日に入植が開始され、1965年の第28次まで入植が続きました。
 
ピラポ エントランス

【ピラポ移住地へのゲート。この先に巨大なサイロ、ガソリンスタンド、家々がある】


 入植当時、この地は先住民族の集落もまばらだったため、ほぼ原始林の状態でした。そのため
人々は山を切り拓いて家や畑をつくりました。その後農業を中心として発展・発達し、農作物の価格
低迷、大豆の価格急騰と下落、小麦栽培への転換などを経て、穀物サイロやコンバイン、トラクター
などの大規模な設備投資を行い、現在もサイロの設備拡張を続けるなど、活発な農業生産を進めて
います。

ピラポ看板

【農協の入り口にあった看板】


ピラポ農協

【ピラポ農協内部の様子】


ピラポ農協にお邪魔させていただきましたが、まるで内部は日本国内の市役所のようでした。

働く人々は日系2世の方がほとんどですが、皆さんとてもきれいな日本語を話していました。
掲示物も日本らしく、壁に架かっていたホワイトボードの予定表は、もちろん日本語。
カウンターには日本の雑誌や、「出納」「融資」「販売」の木製の札が・・・
逆に日本国内でこれを使っているのも珍しいのでは?と思ってしまいました。

ツアー中は、農業協同組合の会長から少しお話を伺うことができました。
ちょうど婦人会の方々もいらっしゃり、手作りのビーズキーホルダーもいただいてしまいました。

旅行先で、実際に生活する日系人の方々とお話しする体験は無いと思います。
実際にお会いして、お話を伺えたこと、本当に貴重な体験でした。

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絶景コースが多い南米旅行のなかで、パラグアイは異色の魅力を持つ国です。
私達「日本人」として、ぜひ訪れておきたい場所だなと思いました。

ご興味のある方は、ぜひパラグアイの日本人移民を調べてみてください。
また、ぜひ直接、パラグアイの日本人移民の皆さんに会いに行きませんか?

◆参考URL
パラグアイ日本人会連合会 http://www.rengoukai.org.py/
日本パラグアイ協会 http://paraguay.or.jp/index.html
メルコスール観光局  http://www.mercosur.jp/

◆関連ツアー
ウルグアイとパラグアイ 9日間 
2016年04月28日~05月06日  まもなく催行決定!
2016年09月22日~09月30日
2016年10月06日~10月14日
2016年11月03日~11月11日

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2016年01月01日

ウルグアイ・パラグアイ 世界遺産

東京本社の寺岡です。
2015年は南米方面への添乗が多く、私にとって南米づくしの年でした。

10月には「ウルグアイとパラグアイ」のツアーに同行しましたが、
日本の旅行会社でこの2か国を訪問するツアーは、そう多くはありません。
今回はウルグアイ・パラグアイの世界遺産をそれぞれご紹介させていただきます。


■可愛らしいポルトガルの街並み~コロニア・デル・サクラメント~
ウルグアイの首都モンテビデオからバスで3時間弱。
アルゼンチンとの国境をなすラ・プラタ川のほとりにあるのは、ウルグアイ唯一の世界遺産
コロニア・デル・サクラメント」の街です。
ポルトガル洋式を色濃く残す町並みで、アズレージョ(青タイル)で示される番地や、黄色っぽい街燈、
石畳など、小規模ですが可愛らしい場所です。

ですが実は、このような景観が生まれたのは、大航海時代に南米大陸に進出したスペインとポルトガル
の熾烈な領土争いがあった事実に由来しているのです。

ため息小路

【「ため息小路」。”ため息が出るほど美しい”のが由来。スペインとポルトガルの様式が混在する】


アズレージョの標識

【アズレージョ(青タイル)の標識が、ポルトガルを思い出させる】



~~~~~~~~~コロニア・デル・サクラメントの歴史~~~~~~~~~~
      
      ラ・プラタ河を挟んでコロニアの対岸のブエノスアイレスはスペイン領だったため、
     コロニアは領土争いのために約100年間翻弄される歴史をたどることとなった。
      スペイン・ポルトガル間に結ばれる条約の度に、わずか12ヘクタールのコロニアの
     町は所属国が頻繁に入れ替わった。領土争いは1777年、スペイン領になったことで
     一旦落ち着く。しかしその後も現在のウルグアイ地域全体がポルトガル領ブラジルに
     併合される時期(1821~1827年)もあり、1828年のウルグアイ独立直前まで所属国の
     入れ替わりが激しかった。そのため、コロニアの町の家々はポストガル様式・スペイン
     様式が混在している。
      両国の建築様式の混在の珍しさから、1995年、コロニア・デル・サクラメントは世界
     遺産に登録された。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


コロニアの昼食レストラン

【コロニア・デル・サクラメントのレストランにて】

街の中は建物の外観だけでなく、内部もよくご覧ください。
レストランも中の雰囲気がとても素敵です。かつての邸宅をうまく利用した内装です。

灯台

【コロニアの街を一望できる灯台。手前には、崩れかけた修道院跡が残る】


天気のいい日には、ラ・プラタ川の向こう側に、小さくアルゼンチン・ブエノスアイレスの街並みが見える
そうです。
街の中には小さな博物館がいくつもあり、展示物もそうですが、かつての内装が大切に保存されている
ため、内装や構造を見るのも面白いと思います。



■パラグアイの世界遺産「トリニダー遺跡」~イエズス会活躍の足跡~
世界遺産の正式名称は
「ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群」・・・です。
パラグアイ~アルゼンチン~ブラジルのこの地域には、スペイン王室から派遣されたイエズス会の
拠点となる伝道所が、1600年代の初めより建設されました。
なかでも保存状態の良いものが世界遺産に登録されており、パラグアイ南部のトリニダー遺跡はその一つ。
イエズス会の指導下における、当時の先住民の人びとの生活が偲ばれます。

トリニダー遺跡 大聖堂

【25年の歳月をかけて建設された大聖堂。すべて砂岩でできている。】



~~~~~~~~~~~~~~~~~トリニダー遺跡~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 正式名称は「パラナの聖三位一体」。
1706年に建設された、イエズス会伝道所の一つ。17世紀~18世紀にかけて、イエズス会は南米
大陸の各地に、先住民のキリスト教化のための小規模集落を次々と建設した。
 ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの国境であるパラナ川流域では、イエズス会が1609年より
先住民の宣教のための村々を約150年間にわたり建設・運営した。その数は30に及ぶ。
一つの伝道所では2000人から、多い所では7000人の人口を抱えていた。どこも計画的な集落設計
がされており、その土地で一番の高台に大聖堂が建てられ、その前に広場、裏には墓地、横には
神学校と工房、そして広場を囲むように先住民たちの家々…などが造られた。
 人々は伝道所にてキリスト教の教えを知るだけでなく、建築技術や農業の技法などをイエズス会の
人間から教わり、規則正しい生活を送っていた。

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トリニダー遺跡大聖堂 天使の彫刻

【大聖堂の天井付近に彫られた、楽器を吹く天使たち】


トリニダー遺跡 ミニ博物館内

【大聖堂内部の装飾は、当時にしては珍しく華美。色を付けた彫刻も。】


トリニダー遺跡 先住民の家

【先住民が家族で住んでいたと言われる区画。単身女性用/男性用の部屋もそれぞれ造られた】


トリニダー遺跡 鐘楼

【規則正しい生活を送るために必須の鐘楼。また、奴隷狩り集団対策で、見張り塔としても機能した。】



あまり観光客も多くないので、トリニダーの遺跡に佇み、当時の人々の様子を想像するのもよいかも
しれません。


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ウルグアイ、パラグアイの2か国は、「飾らない日常」を見せてくれる国だと思いました。
世界遺産の他にも、訪れるべきところはたくさんあります。
次はパラグアイの日本人移住地について、ご紹介したいと思います。お楽しみに!


◆関連ツアー◆ 
ウルグアイとパラグアイ 9日間 
2016年04月28日~05月06日
2016年09月22日~09月30日
2016年10月06日~10月14日
2016年11月03日~11月11日





  







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2015年12月02日

ウユニの町を散策しよう

東京本社の寺岡です。
今年もご好評いただいております「雨季のウユニ塩湖」のコース。

雨季のウユニ塩湖を訪ねて   9日間
雨季のウユニ塩湖を訪ねて 10日間
トゥヌパ山麓滞在とウユニ塩湖11日間

水の張った塩湖がメインとなるこれらのコースですが、私はこの行程の中で立ち寄る
ウユニの町も、なかなか好きです。
ウユニ塩湖を訪問される方は、必ず立ち寄るウユニの町。
今回は、あまり登場しないこの町についてご紹介したいと思います。

※添乗員付ツアーでは町にどれくらい滞在できるかは国内線のスケジュールにより
  異なります。ご参考までにご覧ください。


<ウユニ Uyuni>
人口は約2万8000人。標高約3650m。
ウユニの街の近代の歴史は1889年に始まり、近郊都市から採掘される
銀や錫を鉄道で輸送する際の中継地として発達しました。
現在の最大の産業は観光業となっています。


ウユニ空港

【ウユニの空港】

2012年にアマゾナス航空によるラパス~ウユニの就航が始まって早3年。
小さな空港で、出発・到着の時は、空港ターミナルの建物と飛行機の間は徒歩で移動します。


ウユニの町のシンボル時計塔

【ウユニの町のシンボル・時計塔】

町の中心部にある時計塔。この奥にはウユニの列車駅、手前には広場があります。
広場の角には観光インフォメーションセンターがありますが、OPEN/CLOSEの時間はかなり
自由です。インフォメーションセンター内には地図や、ボリビア各地を紹介する葉書のような
ものがあります。


ウユニのマーケット

【ウユニの町のマーケット】

地元の人々の台所。野菜・花・肉類など、様々なものが分類されて並べられています。
2階にはちょっとしたお茶を飲むスペースも。



ウユニのマーケット2

【ウユニの町のマーケット内にて】

アンデス原産のジャガイモは、様々な種類があります。




マーケット前のサンドイッチ屋さん

【サンドイッチ屋さん】

マーケット前に屋台を設けていたサンドイッチ屋さん。
お店のお母さんは、大きなバンズにチキンをぎゅうぎゅう詰めてくれます。
朝早くから働くマーケットの売り場の人びとも、朝ごはんとしてぱくついていました。


ウユニの駅

【ウユニの駅】

中央の広場から少し離れた所にあります。写真は鉄道駅の入り口付近。
毎日運転があるわけではありませんが、ここから鉄道でオルロに繋がっています。

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ウユニの町とコルチャニの村(塩のホテルがある場所)は、車で45分ほど。
空港に到着したらいち早く塩湖に行きたい!と皆様そわそわされますが、
ぜひウユニの町も覗いて、散策をお楽しみください。

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関連コース
雨季のウユニ塩湖を訪ねて   9日間
雨季のウユニ塩湖を訪ねて 10日間
トゥヌパ山麓滞在とウユニ塩湖11日間

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2015年09月01日

国境越え~ペルーからボリビアへ~

2015年6月の「ペルー・ボリビア アンデス縦断の旅」に同行させていただきました、
東京本社の寺岡です。
本日は、印象的だった国境越えについてお話ししたいと思います。


国境越えというと、何か堅苦しいイメージをお持ちの方が多いかもしれません。
また、陸路国境越えというと、長い緩衝地帯をずっと歩くイメージもあります。
しかし、ペルーとボリビアの一国境であるデサグアデーロは、そんな想像をガラッと
変える、大変面白く興味深い場所でした。


国境越えの日、前日に宿泊していたプーノの街を出発し、途中、チチカカ湖のお写真
ストップを取りながら湖に沿ってバスを走らせました。
プマタという町の近くの小高い丘に停車し、インカ帝国発祥の地と言われる「太陽の島」も
遠目にぼんやりと見えました。ここまで来れば、デサグアデーロの国境はあと少しです。

チチカカ湖

【チチカカ湖】
チチカカ湖の水面は太陽に照らされてキラキラと輝き、所々に黒い物体が浮かんでいます。
「黒い物体」はマスの養殖をしている様子でした。
チチカカ湖のマスの生産は、ペルー国内において重要な産業です。

デサグアデーロの国境は、様々な品物が行き交う商業的な国境です。
私たちのグループが国境越えをした日はちょうど市場が立つ日で、大量の人々でごった
がえしていました。
ペルーとボリビアだとボリビアの方が物価が安いので、ペルー人はわざわざ国境を越えて
ボリビアにお買い物をしに来ます。
ボリビア人は逆に、人が集まりお店が出る市の日に、ペルー側に来てプラスチック製品などを
買いに来るそうです。

デサグアデーロ国境前(ペルー側)

【国境まで歩く】
市の日は人が多いため、出国手続きの建物近くまでバスで行けない。
そのためしばらく歩かなければいけないが、これが色々なお店・人とすれ違い面白い。
右側にある青い容器は、大量のオリーブ漬。


ペルー側の出国審査の建物に入り、必要書類を手にもって列に並び、順番が着たら書類を
見せ、スタンプを押され、手続き完了。サクサク進みました。
建物を出るとすぐ、チチカカ湖に注ぐ川に架かる橋があります。
これが、ペルーとボリビアの国境です。
大量の品物を積んでこちらに向かって来る荷車をよけながら、また、荷物をたくさん持った」大きな
体の女性とぶつからないようにしながら、橋の上を歩きます。
人々が着ている服が色とりどりなので、国境は大変カラフルな場所になっていました。

デサグアデーロ国境_橋の上

【ペルーとボリビアの国の境目】
橋の上には“welcome to Bolivia”の看板が。私は何度も人にぶつかりそうになりました。

デサグアデーロ国境_ボリビア側

【ボリビア側で見かけた両替商の女性たち】
「両替所がある」というガイドの案内で歩くと、そこにあったのはいわゆる”BANK”の建物ではなく、
青空両替商の女性。伝統的な衣装を着ているが、これは彼らの普段着。

ボリビア側の入国手続きの建物では長い行列ができていました。
とくに市の立つ日は人が多いので時間がかかってしまいましたが、一旦手続きが始まると
あっという間です。
手続きを終え、ボリビア側で私達を待っているバスまで歩きました。

デサグアデーロ国境_荷物を積んだバス

【荷物を積んだバス】
中には人、外には大量の荷物が。



埃だらけで、たくさんの人にぶつかりそうになる国境でしたが、そこは現地の人々の
「生きている空間」が広がっている貴重な場所でした。
陸路国境越えも、なかなか楽しいものです。とくにここ、ペルー~ボリビアの国境付近に
行かれる方は、ぜひお楽しみに!


■□■関連ツアー/ツアーレポート■□■
ペルー・ボリビアアンデス縦断の旅 14日間 
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLPE16/index.html


イグアスの大瀑布とペルー・アンデス周遊 
http://www.saiyu.co.jp/newspaper/tc_report/america/080614GLPE14/index.html







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2015年08月15日

ペルーのお食事

東京本社の寺岡です。
マチュピチュ、ナスカの地上絵、クスコの街並み、チチカカ湖…
ペルーは「一生に一度は訪れたい国」ですが、観光内容に匹敵するくらい感動するのが、
ペルーのお食事です。久しぶりにペルーの添乗に行き、実感しました。
日本人にも親しみのある食材を使い、口に合う味付けがなされており、サービスの質も高い。
今回はペルー訪問の際の食のお楽しみを、写真を使ってご紹介したいと思います。

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■魚介類を使った料理
ペルーは南米大陸の西側に位置し、太平洋沿いに面した国です。
また、ボリビアとの国境となっているチチカカ湖ではマスなどの魚の養殖も行われ、南米でも
屈指の漁業国です。

新鮮な魚介類を使った料理の代表は「セビーチェ」
小さく切った生の魚に、玉ねぎやトマトなどを入れ、レモン汁をたっぷり絞ってマリネしたお料理です。
寿司のように酸味がきいた風味が、日本人の口によく合います。


白身魚のセビーチェ

<ピスコの町近くで食べた「魚のセビーチェ」>
白身魚のマリネに、お洒落にイモ類が添えられています。



セルフ・セビーチェ

<セビーチェのコーナー。自分で好きな食材を選べます>

      このウルバンバのレストランではサーモン、イカ、タコ、アワビ?など種類が豊富で、
      海藻類もあるよと勧められました。


その他にも、さすがお隣が太平洋の町、リマやピスコでも魚介類を楽しめます。


ホタテのチーズ焼き

<ランチ前菜にホタテのチーズ焼き@リマ新市街の西側、Costa Verde>

       メインにはメカジキのグリル。食前にはピスコサワーが出てきました。
       青色の太平洋が見える素敵なロケーション。


高度を上げてクスコ方面に行くと、お魚としてはマスがよく出てきます。
標高3800mに位置するチチカカ湖では、マスの養殖がおこなわれているのです。
実は、チチカカ湖にはもともと20種類以上の魚類がいましたが、養殖のために放したマスが
他の魚を荒らしてしまい、現在では5種類ほどの魚類(ナマズ、マスなど)しかいなくなってしまった
そうです。
そんな罪深いマスではありますが、今やペルー人の胃袋を支える重要な食料となっています。

マスの塩焼き

<マスの塩焼き@クスコのレストラン>

          アンデス原産のイモ類、そら豆を添えて。やさしい味でした。

■アンデス原産の味覚を楽しむ
1.ジャガイモ
 どの料理にも付け合わせとして必ず出てくるのが、ジャガイモです。ジャガイモの原産地はここ南米。
 この地域の先住民族は、標高によって作る農作物を変えていました。ジャガイモは寒冷な気候の中、
 荒野でも育つ強い植物なので、標高2900m以上の土地でも多く栽培されていました。

2、トウモロコシ
 標高2900m以下で栽培されるトウモロコシ。ジャガイモと並び、昔から人々の重要な食料でした。
 現在でも、ふかした巨大なトウモロコシを道端でお昼ご飯に食べている女性がいたり、トウモロコシの
 粉をねって団子状にし、皮で包んでふかした「タマーレス」が路上で売られていたり、乾燥トウモロコシを
 油と塩で炒った「カンチータ」のパックをつまむ人が多くいたり、トウモロコシから作る「チチャ」というお酒
 など、トウモロコシは今も、人々の食生活に欠かせないものです。

 
カンチータ(トウモロコシの塩炒り)

          ↑日本のお客様にも大人気だった「カンチータ」
           乾燥トウモロコシを油と塩で炒めたおつまみ。最近は油で炒めることが多いそう。

チチャ作り民家にて

          ↑チチャ(中身が黄色いップ)は、農村地帯で今も一般的に造られ飲まれているお酒。
          チチャ作りをしている家は、軒先に赤いボンボンを付けた棒をかかげる。


■デザートの楽しみ 
ペルーではデザートも美味しいです。国土の60%は熱帯地域のため、日本では手に入りにくい
トロピカル・フルーツも豊富にあります。
また、チョコレート、クレープ、パイなど、お皿にお洒落に盛り付けされてくるものも。

プリン@リマのホテル

           ↑リマのホテルにていただいたプリン。盛り付け方がお洒落。

プーノの市場

           ↑市場に行くと、フルーツがたくさん。写真はプーノの市場にて。
            マンゴー、パパイヤ、バナナ、グァバなどの南国フルーツの他にも、日本人に
            馴染みある「みかん」も。
            日本人がペルーに多く移民してきた時代、福田さんという静岡出身の方が故郷の
            味という事で持ってきたみかんの枝により、ペルーにみかんが持ち込まれたそう。

フルーツサラダ@クスコのレストラン

           ↑「フルーツ・サラダ」という名前で登場した一品。
            ボウルには溢れんばかりのフルーツが。メロン、オレンジ、パッションフルーツ、
            ドラゴンフルーツ、マンゴー…日本で食べたらかなりの高額になるでしょう。


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ペルーは遺跡だけでなく、美食の旅としても楽しめる方面です。
旅の楽しみの半分は「食」にあり!!?ぜひ、ご検討下さい。

≪関連ツアー≫
ペルー・ボリビアアンデス縦断の旅 14日間
 http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLPE16/index.html
ペルー・アンデス紀行 10日間         
 http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GLPE12/index.html

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