at 06:30│ナンガパルバット | パキスタンの山

2015年11月12日

バブサル峠を越えて、カラコルム・ハイウェイのタリチへ ~ラカポシ、ハラモシュ、ナンガパルバットの展望~

◎DSC_0731Left Rakaposhi, Right Haramosh from Babsal Pass

10月のある晴れた日、ナランを出発しておよそ2時間で バブサル峠(4,170m) へ到着。この頂上からインダス川方面を望むと高峰群が見えます。
カラコルム山脈の支脈、ラカポシ-ハラモシュ山脈。その主峰であるラカポシ(左、7,788m)とハラモシュ(右7,409m)。です。
何度か通った道ですが、こんなに晴れたのは初めてでした。

DSC_0733Rakaposhi from Babusal Pass

バブサル峠から見るラカポシ7,788m

DSC_0734Haramosh from Babsal Pass

バブサル峠から見るハラモシュ7,409m

DSC_0735 High Peaks from Babssal Pass

美しい高峰群が連なります

バブサル峠を下り、家畜を連れた人々が行きかう村の間を走ること1時間半ほどでカラコルム・ハイウェイに合流です。ここからはカラコルム・ハイウェイを北上。
タリチ付近からナンガパルバットの展望、そしてカラコルム・ハイウェイの正面にラカポシとハラモシュの山容を望みます。

DSC_0748Rakaposhi & Haramosh from Tarichi KKH

左がラカポシ7,788m、右がハラモシュ7,409m

DSC_0740 Rakaposhi from tarichi

タリチのチェックポスト付近から見るラカポシの山容

DSC_0754Nanga Parbat from Tarichi

タリチはナンガパルバット南面のすばらしいビューポイント。
標高1400mほどのカラコルム・ハイウェイ上から 世界第9位峰、8,126mの山塊を望みます。
この近さ、この高低差はすごいことです。

DSC_0758Nanga Parbat with Imdus from Tarichi

インダス川とナンガパルバット。
このインダス川をさかいに、ナンガパルバット側はインド大陸プレート、反対側はユーラシア大陸プレート、カラコルム山脈とヒンドゥークシュ山脈が控えます。

この大陸プレートがぶつかるところを貫通しているのがKKHカラコ ルム・ハイウェイ。
中国による大規模な道路整備が進み、タリチ付近からクンジェラーブ峠まで素晴らしいハイウェイとなりましたが、早くも 土砂くずれで何箇所かが崩壊していました。
この地盤では、道路整備もいたちごっこです。

この日はタリチからインダス川を渡りアストール、ラマを目指しました。

Photo & Text : Mariko SAWADA 澤田真理子


at 07:30│デオサイ高原 

2015年11月06日

デオサイ高原の夜

Deosai at Night (4)

デオサイ高原の夜、満点の星空に天の川。

ヒマラヤヒグマの観察のため、寒さを覚悟してデオサイ高原に2泊。平均標高が4,100mの高原、その中のバラパニ3,870mにキャンプ。日が照ると日中は長袖シャツにジャンパーを羽織る程度の服装で過ごせますが、ひとたび日が暮れると急激に寒くなります。

Deosai at Night (2)

日没後のキャンプ。火を扱うキッチン・テントが一番暖かい場所です。

Deosai at Night (6)

Saiyahのシェフ、サジャッドさんがデオサイ高原まで来て日本食を用意してくれました。もともとイスラマバードの高級日本食レストランで働いていたサジャッドさん、Saiyahのレストランをまかせられるようになってからは、どんどん外にも出るようになり、パキスタン国内客の野外でのケータリング・サービス、そして車で移動するアドベンチャーコースにも同行して調理をするようになりました。今年は8月にボロギル峠で、9月と10月にはデオサイ高原でクッキング。

Deosai at Night (7)

デオサイ高原での最初の夜は、味噌汁、そして鉄板焼き。ありがたいものです。

Deosai at Night (3)

バラパニの川と星空。

Deosai at Night (1)

スタッフの一人が懐中電灯で空を照らしていました。スタッフみんなで焚き木を楽しみ、あたたまってから就寝。

翌朝のテント内はマイナス10度。7時前、朝日が当たるまでテント内で待ちました。


Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子




at 08:00│ナンガパルバット | デオサイ高原

2015年11月01日

デオサイ高原から見るナンガパルバット(8,126m)

Nanga Parbat (2)

デオサイ高原から見るナンガパルバット。
平均標高4,100mのデオサイ高原からは、天気の良い日には北面の山容を望むことが出来ます。
でもどこから見えるのか。
ヒマラヤヒグマの観察に訪れた10月の上旬、素晴らしい天候に恵まれ、デオサイ高原からのナンガパルバットを望むことができました。

Nanga Parbat (1)

アストール渓谷のチリンからデオサイ高原へと標高をあげ、デオサイ高原国立公園にはいった地点からのナンガパルバット。

Nanga Parbat (3)

ショーサル湖畔から望むナンガパルバット。

DSC_102Nanga Parbat from deosai9

ショーサル湖から北上した付近から望むナンガパルバット。

Nanga Parbat (4)

そしてバリラへの道の途中から望む、見事なナンガパルバット。

カラコルム・ハイウェイのタリチ付近や、スカルドゥ・ロード、フェアリーメドゥ、ヘルリヒッコファーBC、ラマ湖などナンガパルバットを望む地点はいくつかありますが、晴れた日のデオサイ高原からの展望もなかなかのものです。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子


at 08:00│ラホール | パキスタン・ツアーレポート

2015年10月28日

一番人気、ワガの国境フラッグ・セレモニー - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (7)

ワガ国境 (4)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

インドとの国境までわずか1時間という距離にあるラホール。この道はムガール帝国時代の「王の道」、そして「アジア・ハイウェイー」、「国道一号線」としてインドのアグラへとつながっています。
ラホール側の国境はワガという小さな町で、インド側はアターリー。

この国境では毎日、インド、パキスタン双方の国の軍人によるフラッグ・セレモニーが行われています。私たちも観覧席に座って見学。「あっちに座れ、立つな、おとなしくしろ」となかなか小うるさい警備兵たちです。両国を仕切る門が開いて、軍人たちが少し滑稽にすら見えるくらい高々と足をあげて、大声でどれだけ長く号令をかけられるか合戦をして、観客も「ジベジベ(永遠に)・パキスタン!」、「パーキスタン・ジンダバー(万歳)!」と歓声をあげていました。※「JEEVE JEEVE PAKISTAN」という歌があります。YOU TUBE など動画サイトにも上がっていますので、よかったら見てください。

ワガ国境 (3)

インドとの国境に立つ警備兵

ワガ国境 (5)

軍人たちが出てきてパフォーマンスの始まりです。

ワガ国境 (7)

2メートル近い背の高い軍人が選ばれています。以前、話す機会があったのでなぜあなたが選ばれたのかと聞いたところ「背が高かったから」という回答が帰ってきたことがありました。その大男かが足を高くあげて足を鳴らして威嚇します。

ワガ国境 (8)

正面から見るとこんな感じ。ちなみにYOU TUBEには足を上げすぎてひっくり返っている様子などの動画もあがっているようです。

インド側は、インド独立の父ガンジーの肖像画を、パキスタン側はパキスタン建国の父ジンナーの肖像画を大きく掲げていました。このフラッグ・セレモニーが行われている限りは、印パの関係はまだ安心できると思っていいと思います。

ワガ国境 (1)

フラッグ・セレモニーを見守るインド側、インド独立の父、ガンジーさん。

ワガ国境 (2)

そしてパキスタン側、建国の父、ジンナーさん。

ワガ国境 (10)

両国の国旗が降ろされ、たたまれ、軍人たちに守られるように建物へと運ばれていき、セレモニーは終了です。

夜は、「アナルカリバザール」というフードストリートへ。このストリートは400年前、ムガール帝国4代皇帝ジャハンギールによって造られたという歴史あるストリート。南アジア最古のバザールと言われています。

ワガ国境 (11)

パキスタンの場合、「食はラホールにあり」と言われるように、ラホールはグルメで有名です。カラヒ鍋で作られた「マトン・カラヒ(カレー)」の他に、マトンの脳みそを使った「ブレインマサラ」やヤギの睾丸をスパイスで炒めた「タカタック」を召し上がっていただきました。「タカタック」とは店の前で客寄せのために鉄板をコテで「タカタカ、タカタカ」叩く音から名前が付けられました。

そして、明日はパキスタンの首都イスラマバードへ。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

西遊旅行のパキスタンの旅「シンド・パンジャーブ紀行」はこちら!


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2015年10月27日

ムガール帝国の古都ラホール満喫 - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (6)

ラホール  バドシャヒモスク (1)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

カラチは商業都市、イスラマバードは首都・政治の中心都市、そしてラホールは大学などがたくさんある学研都市で、人口は約1000万人と意外に大きな町です。2015年1月現在パキスタン首相のムハンマド・ナワーズ・シャリフさんの出身もラホールです。

そしてこの町はムガール帝国の栄華を見ることができる町。インドのアグラにも決して負けないほどの文化遺産が残されています。

朝、まずバドシャヒモスクへ、パキスタンで最も美しいモスクです。

ラホール  バドシャヒモスク (2)

オールド・デリーにあるジュマ・マスジッドやアグラの建築物などと同様、ムガール美術の決定版ともいえる建築物です。

バドシャヒモスク
 ラホールの象徴といえる、世界最大規模を誇るモスク。「バードシャーヒー」というのは「皇帝の」という意味で、このモスクを建設したムガール朝第6代皇帝アウラングゼーブを指します。中央の広場は一辺が160mあり、一度に10万人の人が礼拝できるほどの大きさです。そして四隅に立つミナレット
(尖塔)の高さは約50mもあります。礼拝堂は赤砂岩と大理石で造られていますが、この赤砂岩は「ピンク・シティ」と呼ばれるインドのジャイプールから運ばれたもの。このことからも、当時広い領土を支配したムガール帝国の繁栄が伺えます。


そしてそばにあるラホール城。通常、「セット」で訪問します。

ラホール城
 ラホール最古の建築物と言われるラホール城は、歴史的に何度も手が加えられ、現在の壮大なラホール城に仕上がりました。最も初期の築城は11世紀。当時は泥製でした。17世紀、ムガール帝国第3代皇帝アクバルがラホールを都とした際、この泥の城を基盤とし、泥を撤去しながら新たな城の建築を開始。その後、歴代皇帝が建築が重ね、拡張し、今の姿になりました。内部には王族の宮殿、謁見所、女王の宮殿シーシュ・マハル(鏡の間)等、どれもすばらしい装飾に、当時のムガール帝国の栄華を偲ぶことができます。シャリマール庭園とともに世界遺産に登録されました。


ラホール (8)

バドシャヒモスクの対面にあるラホール城

ラホールフォート (1)

アクバルの時に建築がはじまり、第4代皇帝ジャハーンギールの時に完成した「ジャハーンギール庭園」

ラホールフォート (2)

シャー・ジャハーンによって作られたディワニアーム(謁見所)

ラホールフォート (3)

城内で最も美しいとされる「シーシュ・マハル(鏡の間)」。その名の通り、ガラスの破片をアラベスク模様に壁に埋め込んであり、明かり一つで全体を照らせます。第5代皇帝シャー・ジャハーン、第6代皇帝アウラングゼーブの2代に渡って作られました

ラホールには「ムガール帝国」の象徴とも言える、ペルシャの影響が強いムガール庭園も残されています。それが世界遺産にも指定されているシャリマール庭園。

シャリマール庭園
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンにより王族の保養地として造られた庭園。左右対称の水路はペルシア様式で、運河により運ばれた水を利用した噴水やテラスがあり、当時の技術の高さに驚かされます。全体の構造は3段階になっていて、それぞれの階に王座や、王の家族座る席があります。1981年に世界遺産に登録されました。


ラホール (4)

シャリマール庭園の美しい噴水は、以前は100ルピーほど支払うと、噴水を少し上げてくれましたが、今はデング熱を媒介する蚊が発生するのを防ぐため噴水は禁止になってしまいました。


そして、もうひとつのみどころが「ラホール博物館」。パキスタンで収蔵量No.1の博物館です。目玉は何と言ってもガンダーラ美術の「断食する仏陀」(旧北西辺境州のマルダン近く「シクリ」から出土と言われています)。「ガンダーラ」に関する収蔵品は「ペシャワール博物館」が一番ですが、残念ながら今はツアーでは訪問できないため、この「ラホール博物館」のガンダーラ美術に関する展示は見逃せません。

ラホール博物館 ガンダーラ (2)

ゴータマシッダールタの出城の様子 愛馬カンタカに乗っていますこのような彫刻は片岩に彫られ、当時僧院にその地方の有力者が寄進した「奉献ストゥーパ(仏塔)」の表面に装飾としてつけられていたレリーフの一部です。釈尊が釈尊として誕生する前(前世)のお話「本生譚」や釈尊の一生などがモチーフになっています。

ラホール博物館 ガンダーラ (3)大変有名な仏陀像、「断食仏陀」。もう一体はペシャワール博物館にあります。
断食するゴータマシッダールタ(悟りを開く前) この後、牧女・難陀婆羅(一般的にはスジャータと呼ばれています)から乳粥を施されます。



















ラホール博物館 ガンダーラ (1)ガンダーラ美術の特徴のすべてを押さえたような弥勒菩薩、隆々とした上半身、右側に体重をかけた立ち方、ウェービーヘヤー、切れ長の目、ドレープをたっぷりと取った衣など。




















ガンダーラ
紀元前6世紀から紀元後11世紀まで、アフガニスタン・バーミヤンあたりからパキスタン中部・タキシラあたりまでを範囲として栄えた王国。1~5世紀頃、クシャーン朝で仏教が信奉されました。
この地域には、紀元前320年頃にアレキサンダー大王が訪れており、ヘレニズム(ギリシア)の影響が色濃く残っていました。仏教では、当初偶像の崇拝はされていませんでしたが、紀元前50年から紀元後75年頃にこの地でヘレニズム様式の像が作られ始まました。従って、中高の顔、アーモンド型の目、前に出た顎、波打つ髪型、厚い胸板などヨーロッパ人の身体的特徴が見られます。また、西洋の古典芸術の勃興期から用いられた「コントラポスト」という体重の大部分を片側にかけて立つ人を描く視覚芸術も用いられています(ミケランジェロのダビデ像と同じ)。その他、執金剛神がギリシア神話のヘラクレスのように彫られていたりもします。


でも、本日のヒットはこちら。

ラホール (11)

ラホールの入口すぐのところにある木製の橋げたにいたフクロウ、Barn Owl。
お面をつけているように見えることから和名は「メンフクロウ」です。

みどころたっぷりのラホール。そしてお待ちかね、一番人気の「ワガ国境・フラッグセレモニー」へ。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月26日

「ハラッパは本当に原っぱです」 - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (5)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

ムルタンから北は、冬には濃い霧が出ることで有名なので、余裕をもって早めの7時出発にしました。約3時間走ってハラッパへ到着。世界遺産のモヘンジョダロに比べて、「ハラッパは何も残っていない。まさに文字通り、ハラッパは原っぱです」というのが、現地日本語ガイドさんの定番のダジャレです。今回のガイド、サリームさんが同じダジャレを言わなくてホッとしました。しかしながら、ハラッパには派手な遺稿はなく修復もろくにされていませんが、十分に見応えのある遺跡です。

ハラッパ
ラヴィ川南岸に位置するインダス文明の都市遺跡。1920年にインド考古局のD.R.サハニ氏により発見されました。ハラッパの南西に栄えたモヘンジョダロと同様に、城塞区と市街地から成り、最盛期には2万人の人々が暮らしていたと考えられています。発掘当初はモヘンジョダロと同時代のものと言われていましたが、最近の研究ではそれぞれの場所で発掘された土器の違いや、穀物倉の違いから、ハラッパの方が後期のものだという説もあります。しかし、インダス文明として発見されたのはハラッパの方が先。そのため「ハラッパ文化」や「ハラッパ土器」と呼ばれることもあります。現在も遺跡の発掘作業は続いていますが、全体的な遺跡の復元は難しいといわれています。なぜなら既にこのあたりは様々な理由で遺跡の破壊が進んでいるからです。ラヴィ川の氾濫の影響や、そして英国領時代にここがまだ貴重な遺跡と知らずに、遺跡のレンガがラホール・カラチ間の鉄道建設使われました。なんと、インダス文明のレンガが線路の敷石にするために持っていかれたのです。


霧のハラッパ (1)

城塞区。城塞区はあるものの、モヘンジョダロのように権力者の住んでいた宮殿や王宮が見つかっていないため、この社会が誰に、どのように支配されていたのかは未だ謎に包まれています。

霧のハラッパ (2)

穀物倉庫。作業台より一段低い地に整然と広がっています。床下には通風施設もあり、優れた倉庫であったとされています。またモヘンジョダロ同様、公共の場に設置したと思われるごみ箱も見つかっています。

観光客は私たちだけ、博物館も停電したままでしたが、それでもハラッパはまだまだ研究の余地と価値がある遺跡です。

羊

見学後、ハラッパのすぐ近くの家畜市にたちよりました。ヤギ、ヒツジ、牛などが売買されています。ちなみに、子ヤギは1匹1000ルピー以下で買えるそうです。

そして、旅は北へ。パキスタン第2の都市ラホールを目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

西遊旅行の冬のパキスタンの旅、「シンド・パンジャーブ紀行」はこちら!


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2015年10月25日

聖者廟の町ムルタン - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (4)

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (4)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

昨夜12時頃から深い霧が出始めました。朝6時でもまだ視界2mくらい。真っ白な朝でした。8時頃、ようやく霧も薄くなり出発しました。一路、ムルタンへと急ぎました。

ムルタン
パンジャーブ地方南部の交易の場として古くから栄えた町。当時はラヴィ川とチェナブ川の合流点に位置しました(現在はその合流地点は40キロ北にあります)。姉妹都市のウチ・シャリフと並び13~14世紀に中央アジアから多くのイスラーム聖者が集まり、イスラーム信仰、文化、政治の中心となった町でもあり、今でも街中に聖者のダルガー(墓廟)が残っています。またこれまでの考古学的な発掘により、モヘンジョ・ダロやハラッパと同時期に興った町という説もあります。町は東の旧市街と西の新市街に分かれ、かつて旧市街は城壁と6つの門で囲まれていました。今でもその一部の城壁と4つの門が残っています。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (8)

ムルタンの町の中心。中央にあるのはイギリス(英国領インド)植民地時代に建てられた時計台。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (2)

シャー・ルクネ・アーラムへ向う歩道、参拝に向う家族の姿。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (1)

途中、こんな光景も見ました。「手相占い」です!


シャー・ルクネ・アーラム
偉大なスーフィー指導者、シャー・ルクヌッディーンの廟。彼はその偉業から、「シャー・ルクネ・アーラム」(世界の柱の意)と呼ばれています。1334年、83歳で亡くなり、初めは別の場所に彼の祖父と葬られました。その後、当時のトゥグルク王朝の皇帝が自分の墓として建設したこの建物をルクネ・アーラムの墓として使うよう遺言に残したので、廟はここに移動されました。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (3)

ムルタンで一番有名な建築物、シャー・ルクネ・アーラム。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (5)

内部はこんな感じです・・・霊廟に寄り添い、祈りをささげる人々の姿(2013年撮影)


バハー・ウル・ハックの廟
シャー・ルクネ・ アーラムの祖父であるバハー・ウル・ハックは1257年モンゴルの略奪団がムルタンにやってきた時、無差別の虐殺を思い留まるよう彼らを説き伏せたそうです。シャー・ルクネ・アーラム廟と同様、2階の八角形建築の上に白いドームが載せられた1262年築の建物で、バハー・ウル・ハック本人が造ったとされています。南アジアにおける初期タイル建築として重要な建物です。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (10)

バハー・ウル・ハックの廟


シャー・シャムズ・タブレーズの廟
アフガンのシーア派のスーフィーであるシャー・シャムズ・タブレーズはイスラームを伝承するため各地を旅しました。イランのタブリーズからこの地にやってきた彼は長旅のため、みすぼらしい格好をしていました。地元の人々はそんな彼に傷みかけた肉を与えました。神は彼の偉業を知っていたため、彼のために太陽を引き下げ、その太陽熱で彼は肉を焼きました。そのため、ムルタンはとても暑い場所になったという伝説があります。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (11)

シャー・シャムズ・タブレーズの廟


その後、ムルタンのオールドバザールへ。パキスタンでも昔ながらの情緒あるバザールです。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (6)

日よけで覆われた細い路地には、生地・衣服、雑貨などを売る店が所狭しと軒を連ねます。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (12)

ここでは、パキスタン人が大好きな「ソーハンハルワ」の有名店へ行きました。小麦、砂糖、ミルク、ナッツを混ぜて作った甘いお菓子です。このお店は1930年、神学校の先生ハフィズ・アフメッドさんが生徒の毎日のおやつとして作ったことが始まりだそうです。イスラマバードのスタッフも、「ムルタンに行くなら買ってきて!」と言うほどの人気の高いお菓子。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (7)

個人的にムルタンで一番気になるのはこれ、ヘンナで毛を染めてもらったロバや馬。

そして旅は北へ、ラホールを目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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