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2015年10月28日

一番人気、ワガの国境フラッグ・セレモニー - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (7)

ワガ国境 (4)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

インドとの国境までわずか1時間という距離にあるラホール。この道はムガール帝国時代の「王の道」、そして「アジア・ハイウェイー」、「国道一号線」としてインドのアグラへとつながっています。
ラホール側の国境はワガという小さな町で、インド側はアターリー。

この国境では毎日、インド、パキスタン双方の国の軍人によるフラッグ・セレモニーが行われています。私たちも観覧席に座って見学。「あっちに座れ、立つな、おとなしくしろ」となかなか小うるさい警備兵たちです。両国を仕切る門が開いて、軍人たちが少し滑稽にすら見えるくらい高々と足をあげて、大声でどれだけ長く号令をかけられるか合戦をして、観客も「ジベジベ(永遠に)・パキスタン!」、「パーキスタン・ジンダバー(万歳)!」と歓声をあげていました。※「JEEVE JEEVE PAKISTAN」という歌があります。YOU TUBE など動画サイトにも上がっていますので、よかったら見てください。

ワガ国境 (3)

インドとの国境に立つ警備兵

ワガ国境 (5)

軍人たちが出てきてパフォーマンスの始まりです。

ワガ国境 (7)

2メートル近い背の高い軍人が選ばれています。以前、話す機会があったのでなぜあなたが選ばれたのかと聞いたところ「背が高かったから」という回答が帰ってきたことがありました。その大男かが足を高くあげて足を鳴らして威嚇します。

ワガ国境 (8)

正面から見るとこんな感じ。ちなみにYOU TUBEには足を上げすぎてひっくり返っている様子などの動画もあがっているようです。

インド側は、インド独立の父ガンジーの肖像画を、パキスタン側はパキスタン建国の父ジンナーの肖像画を大きく掲げていました。このフラッグ・セレモニーが行われている限りは、印パの関係はまだ安心できると思っていいと思います。

ワガ国境 (1)

フラッグ・セレモニーを見守るインド側、インド独立の父、ガンジーさん。

ワガ国境 (2)

そしてパキスタン側、建国の父、ジンナーさん。

ワガ国境 (10)

両国の国旗が降ろされ、たたまれ、軍人たちに守られるように建物へと運ばれていき、セレモニーは終了です。

夜は、「アナルカリバザール」というフードストリートへ。このストリートは400年前、ムガール帝国4代皇帝ジャハンギールによって造られたという歴史あるストリート。南アジア最古のバザールと言われています。

ワガ国境 (11)

パキスタンの場合、「食はラホールにあり」と言われるように、ラホールはグルメで有名です。カラヒ鍋で作られた「マトン・カラヒ(カレー)」の他に、マトンの脳みそを使った「ブレインマサラ」やヤギの睾丸をスパイスで炒めた「タカタック」を召し上がっていただきました。「タカタック」とは店の前で客寄せのために鉄板をコテで「タカタカ、タカタカ」叩く音から名前が付けられました。

そして、明日はパキスタンの首都イスラマバードへ。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月27日

ムガール帝国の古都ラホール満喫 - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (6)

ラホール  バドシャヒモスク (1)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

カラチは商業都市、イスラマバードは首都・政治の中心都市、そしてラホールは大学などがたくさんある学研都市で、人口は約1000万人と意外に大きな町です。2015年1月現在パキスタン首相のムハンマド・ナワーズ・シャリフさんの出身もラホールです。

そしてこの町はムガール帝国の栄華を見ることができる町。インドのアグラにも決して負けないほどの文化遺産が残されています。

朝、まずバドシャヒモスクへ、パキスタンで最も美しいモスクです。

ラホール  バドシャヒモスク (2)

オールド・デリーにあるジュマ・マスジッドやアグラの建築物などと同様、ムガール美術の決定版ともいえる建築物です。

バドシャヒモスク
 ラホールの象徴といえる、世界最大規模を誇るモスク。「バードシャーヒー」というのは「皇帝の」という意味で、このモスクを建設したムガール朝第6代皇帝アウラングゼーブを指します。中央の広場は一辺が160mあり、一度に10万人の人が礼拝できるほどの大きさです。そして四隅に立つミナレット
(尖塔)の高さは約50mもあります。礼拝堂は赤砂岩と大理石で造られていますが、この赤砂岩は「ピンク・シティ」と呼ばれるインドのジャイプールから運ばれたもの。このことからも、当時広い領土を支配したムガール帝国の繁栄が伺えます。


そしてそばにあるラホール城。通常、「セット」で訪問します。

ラホール城
 ラホール最古の建築物と言われるラホール城は、歴史的に何度も手が加えられ、現在の壮大なラホール城に仕上がりました。最も初期の築城は11世紀。当時は泥製でした。17世紀、ムガール帝国第3代皇帝アクバルがラホールを都とした際、この泥の城を基盤とし、泥を撤去しながら新たな城の建築を開始。その後、歴代皇帝が建築が重ね、拡張し、今の姿になりました。内部には王族の宮殿、謁見所、女王の宮殿シーシュ・マハル(鏡の間)等、どれもすばらしい装飾に、当時のムガール帝国の栄華を偲ぶことができます。シャリマール庭園とともに世界遺産に登録されました。


ラホール (8)

バドシャヒモスクの対面にあるラホール城

ラホールフォート (1)

アクバルの時に建築がはじまり、第4代皇帝ジャハーンギールの時に完成した「ジャハーンギール庭園」

ラホールフォート (2)

シャー・ジャハーンによって作られたディワニアーム(謁見所)

ラホールフォート (3)

城内で最も美しいとされる「シーシュ・マハル(鏡の間)」。その名の通り、ガラスの破片をアラベスク模様に壁に埋め込んであり、明かり一つで全体を照らせます。第5代皇帝シャー・ジャハーン、第6代皇帝アウラングゼーブの2代に渡って作られました

ラホールには「ムガール帝国」の象徴とも言える、ペルシャの影響が強いムガール庭園も残されています。それが世界遺産にも指定されているシャリマール庭園。

シャリマール庭園
ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンにより王族の保養地として造られた庭園。左右対称の水路はペルシア様式で、運河により運ばれた水を利用した噴水やテラスがあり、当時の技術の高さに驚かされます。全体の構造は3段階になっていて、それぞれの階に王座や、王の家族座る席があります。1981年に世界遺産に登録されました。


ラホール (4)

シャリマール庭園の美しい噴水は、以前は100ルピーほど支払うと、噴水を少し上げてくれましたが、今はデング熱を媒介する蚊が発生するのを防ぐため噴水は禁止になってしまいました。


そして、もうひとつのみどころが「ラホール博物館」。パキスタンで収蔵量No.1の博物館です。目玉は何と言ってもガンダーラ美術の「断食する仏陀」(旧北西辺境州のマルダン近く「シクリ」から出土と言われています)。「ガンダーラ」に関する収蔵品は「ペシャワール博物館」が一番ですが、残念ながら今はツアーでは訪問できないため、この「ラホール博物館」のガンダーラ美術に関する展示は見逃せません。

ラホール博物館 ガンダーラ (2)

ゴータマシッダールタの出城の様子 愛馬カンタカに乗っていますこのような彫刻は片岩に彫られ、当時僧院にその地方の有力者が寄進した「奉献ストゥーパ(仏塔)」の表面に装飾としてつけられていたレリーフの一部です。釈尊が釈尊として誕生する前(前世)のお話「本生譚」や釈尊の一生などがモチーフになっています。

ラホール博物館 ガンダーラ (3)大変有名な仏陀像、「断食仏陀」。もう一体はペシャワール博物館にあります。
断食するゴータマシッダールタ(悟りを開く前) この後、牧女・難陀婆羅(一般的にはスジャータと呼ばれています)から乳粥を施されます。



















ラホール博物館 ガンダーラ (1)ガンダーラ美術の特徴のすべてを押さえたような弥勒菩薩、隆々とした上半身、右側に体重をかけた立ち方、ウェービーヘヤー、切れ長の目、ドレープをたっぷりと取った衣など。




















ガンダーラ
紀元前6世紀から紀元後11世紀まで、アフガニスタン・バーミヤンあたりからパキスタン中部・タキシラあたりまでを範囲として栄えた王国。1~5世紀頃、クシャーン朝で仏教が信奉されました。
この地域には、紀元前320年頃にアレキサンダー大王が訪れており、ヘレニズム(ギリシア)の影響が色濃く残っていました。仏教では、当初偶像の崇拝はされていませんでしたが、紀元前50年から紀元後75年頃にこの地でヘレニズム様式の像が作られ始まました。従って、中高の顔、アーモンド型の目、前に出た顎、波打つ髪型、厚い胸板などヨーロッパ人の身体的特徴が見られます。また、西洋の古典芸術の勃興期から用いられた「コントラポスト」という体重の大部分を片側にかけて立つ人を描く視覚芸術も用いられています(ミケランジェロのダビデ像と同じ)。その他、執金剛神がギリシア神話のヘラクレスのように彫られていたりもします。


でも、本日のヒットはこちら。

ラホール (11)

ラホールの入口すぐのところにある木製の橋げたにいたフクロウ、Barn Owl。
お面をつけているように見えることから和名は「メンフクロウ」です。

みどころたっぷりのラホール。そしてお待ちかね、一番人気の「ワガ国境・フラッグセレモニー」へ。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月26日

「ハラッパは本当に原っぱです」 - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (5)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

ムルタンから北は、冬には濃い霧が出ることで有名なので、余裕をもって早めの7時出発にしました。約3時間走ってハラッパへ到着。世界遺産のモヘンジョダロに比べて、「ハラッパは何も残っていない。まさに文字通り、ハラッパは原っぱです」というのが、現地日本語ガイドさんの定番のダジャレです。今回のガイド、サリームさんが同じダジャレを言わなくてホッとしました。しかしながら、ハラッパには派手な遺稿はなく修復もろくにされていませんが、十分に見応えのある遺跡です。

ハラッパ
ラヴィ川南岸に位置するインダス文明の都市遺跡。1920年にインド考古局のD.R.サハニ氏により発見されました。ハラッパの南西に栄えたモヘンジョダロと同様に、城塞区と市街地から成り、最盛期には2万人の人々が暮らしていたと考えられています。発掘当初はモヘンジョダロと同時代のものと言われていましたが、最近の研究ではそれぞれの場所で発掘された土器の違いや、穀物倉の違いから、ハラッパの方が後期のものだという説もあります。しかし、インダス文明として発見されたのはハラッパの方が先。そのため「ハラッパ文化」や「ハラッパ土器」と呼ばれることもあります。現在も遺跡の発掘作業は続いていますが、全体的な遺跡の復元は難しいといわれています。なぜなら既にこのあたりは様々な理由で遺跡の破壊が進んでいるからです。ラヴィ川の氾濫の影響や、そして英国領時代にここがまだ貴重な遺跡と知らずに、遺跡のレンガがラホール・カラチ間の鉄道建設使われました。なんと、インダス文明のレンガが線路の敷石にするために持っていかれたのです。


霧のハラッパ (1)

城塞区。城塞区はあるものの、モヘンジョダロのように権力者の住んでいた宮殿や王宮が見つかっていないため、この社会が誰に、どのように支配されていたのかは未だ謎に包まれています。

霧のハラッパ (2)

穀物倉庫。作業台より一段低い地に整然と広がっています。床下には通風施設もあり、優れた倉庫であったとされています。またモヘンジョダロ同様、公共の場に設置したと思われるごみ箱も見つかっています。

観光客は私たちだけ、博物館も停電したままでしたが、それでもハラッパはまだまだ研究の余地と価値がある遺跡です。

羊

見学後、ハラッパのすぐ近くの家畜市にたちよりました。ヤギ、ヒツジ、牛などが売買されています。ちなみに、子ヤギは1匹1000ルピー以下で買えるそうです。

そして、旅は北へ。パキスタン第2の都市ラホールを目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月25日

聖者廟の町ムルタン - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (4)

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (4)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

昨夜12時頃から深い霧が出始めました。朝6時でもまだ視界2mくらい。真っ白な朝でした。8時頃、ようやく霧も薄くなり出発しました。一路、ムルタンへと急ぎました。

ムルタン
パンジャーブ地方南部の交易の場として古くから栄えた町。当時はラヴィ川とチェナブ川の合流点に位置しました(現在はその合流地点は40キロ北にあります)。姉妹都市のウチ・シャリフと並び13~14世紀に中央アジアから多くのイスラーム聖者が集まり、イスラーム信仰、文化、政治の中心となった町でもあり、今でも街中に聖者のダルガー(墓廟)が残っています。またこれまでの考古学的な発掘により、モヘンジョ・ダロやハラッパと同時期に興った町という説もあります。町は東の旧市街と西の新市街に分かれ、かつて旧市街は城壁と6つの門で囲まれていました。今でもその一部の城壁と4つの門が残っています。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (8)

ムルタンの町の中心。中央にあるのはイギリス(英国領インド)植民地時代に建てられた時計台。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (2)

シャー・ルクネ・アーラムへ向う歩道、参拝に向う家族の姿。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (1)

途中、こんな光景も見ました。「手相占い」です!


シャー・ルクネ・アーラム
偉大なスーフィー指導者、シャー・ルクヌッディーンの廟。彼はその偉業から、「シャー・ルクネ・アーラム」(世界の柱の意)と呼ばれています。1334年、83歳で亡くなり、初めは別の場所に彼の祖父と葬られました。その後、当時のトゥグルク王朝の皇帝が自分の墓として建設したこの建物をルクネ・アーラムの墓として使うよう遺言に残したので、廟はここに移動されました。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (3)

ムルタンで一番有名な建築物、シャー・ルクネ・アーラム。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (5)

内部はこんな感じです・・・霊廟に寄り添い、祈りをささげる人々の姿(2013年撮影)


バハー・ウル・ハックの廟
シャー・ルクネ・ アーラムの祖父であるバハー・ウル・ハックは1257年モンゴルの略奪団がムルタンにやってきた時、無差別の虐殺を思い留まるよう彼らを説き伏せたそうです。シャー・ルクネ・アーラム廟と同様、2階の八角形建築の上に白いドームが載せられた1262年築の建物で、バハー・ウル・ハック本人が造ったとされています。南アジアにおける初期タイル建築として重要な建物です。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (10)

バハー・ウル・ハックの廟


シャー・シャムズ・タブレーズの廟
アフガンのシーア派のスーフィーであるシャー・シャムズ・タブレーズはイスラームを伝承するため各地を旅しました。イランのタブリーズからこの地にやってきた彼は長旅のため、みすぼらしい格好をしていました。地元の人々はそんな彼に傷みかけた肉を与えました。神は彼の偉業を知っていたため、彼のために太陽を引き下げ、その太陽熱で彼は肉を焼きました。そのため、ムルタンはとても暑い場所になったという伝説があります。


ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (11)

シャー・シャムズ・タブレーズの廟


その後、ムルタンのオールドバザールへ。パキスタンでも昔ながらの情緒あるバザールです。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (6)

日よけで覆われた細い路地には、生地・衣服、雑貨などを売る店が所狭しと軒を連ねます。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (12)

ここでは、パキスタン人が大好きな「ソーハンハルワ」の有名店へ行きました。小麦、砂糖、ミルク、ナッツを混ぜて作った甘いお菓子です。このお店は1930年、神学校の先生ハフィズ・アフメッドさんが生徒の毎日のおやつとして作ったことが始まりだそうです。イスラマバードのスタッフも、「ムルタンに行くなら買ってきて!」と言うほどの人気の高いお菓子。

ムルタン シンド・パンジャーブ紀行 (7)

個人的にムルタンで一番気になるのはこれ、ヘンナで毛を染めてもらったロバや馬。

そして旅は北へ、ラホールを目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月24日

チョリスタン砂漠とイスラム聖者の町、ウチ・シャリフ - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (3)

チョリスタン砂漠 (4)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

サッカルより州境を越えてパンジャーブ州に入り、チョリスタン砂漠を目指します。途中、かつて中央アジアから伝わったイスラム神秘主義が栄えた町、「ウチ・シャリフ」へ立ち寄りました。ここで有名なのは、よく写真にあるビービー・ジャヴィンディの聖者廟(ダルガー)。真正面から見ると、青いタイル、丸いドームが美しい建物ですが、後ろへ回ると見事なほどに崩れています。これはすぐ近くにあったサトレジ川が氾濫した際に流されたためです。

チョリスタン砂漠 (5)

正面から見ると美しい、ビービー・ジャヴィンディの聖者廟(ダルガー)

ウチ・シャリフ
13~14世紀に中央アジアから多くのイスラム聖者が集まったウチ・シャリフは「崇高な聖地」という意味。姉妹都市のムルタンと並び、この時期、イスラム信仰、文化、政治の中心となった町です。
 しかし、この町にはもっと古い歴史があります。前4世紀に活躍した、あのアレキサンダー大王もここに滞在したと言われています。彼は各地に「アレクサンドリア」と名付けた多くの都市を建設しましたが、このウチ・シャリフはその一つだったという説もあります。
 この地にイスラム信仰が根ざしたとき、ここに集まった聖者は神秘主義のうち、スフラワルディー派と呼ばれました。彼らはムルタンとウチ・シャリフを拠点としており、ここに残るダルガー(聖者廟)がそれを象徴しています。この近くを流れるサトレジの流れが変わったことから町が衰退し、さらには19世紀の洪水により破壊されてしまったものもありましたが、今でもいくつかのダルガーが残っており、人々の信仰を集めています。


で、後ろから見ると・・・

チョリスタン砂漠 (6)

周囲の建物もダメージイが・・・

チョリスタン砂漠 (2)

パキスタンに残された、中央アジアからやってきたイスラム神秘主義者たちの記憶です。

そして、日が高いうちに到着するようにとチョリスタンのキャンプへと急ぎました。到着すると、チョリスタン風の鮮やかな色使いのテントが並んでいました。日が沈む時間にあわせてデラワール砦までキャメル・サファリ。

チョリスタン砂漠 (7)

「チョリスタン・カラー」のテントたち。うちのスタッフは「ムガール・テント」と呼びます。

チョリスタン砂漠はパキスタンのシンド州とインドのラジャスラン州の「タール砂漠」につながる砂漠です。1000年前まではチョリスタンはハクラ川(チャガル川)に育まれた肥沃な平野でしたが、この川が枯渇してから砂漠化が進みました。 最近では昔の用水路を再度発達させるなどして水を供給させ、およそ10万人の人々が放牧などをして暮らしをしています。

チョリスタン砂漠 (8)

キャメル・サファリでデラワール砦で。私たちを待つラクダさん。

チョリスタン砂漠 (9)

ラクダに乗って出発です。

チョリスタン砂漠 (3)

美しい、夕方のデラワール砦。

デラワール砦
パキスタンには昔の交易路に沿っていくつかの「砂漠の要塞」が残されています。デラワール・フォートはジャイサルメール(インドのラジャスタン州)まで300キロの位置にあり、よく保存された要塞です。
デラワールには古来より要塞が築かれてきましたが、城壁の高さ40m、直径1.5キロの現在の要塞は、1733年にジャイサルメールの王、ラジャ・ラワル・シンにより占拠され建築されたものです。当時のデラワールはよく灌漑され、18世紀には12000人の人が暮らしましたが1960年以降の国際条約によりサトレジ川からの用水路はインドへ方向を変え、デラワールは衰退しました。現在は再びこの用水路を利用し人々の定住が始まっています。現在の砦はパキスタン軍が使用しており中に入ることはできません。


そしておもてなし尽くしの夕食後、村人たちが集まり、キャンプファイヤーを囲み歌に踊りにと大賑わい。砂漠の夜は更けていきます・・・。

チョリスタン砂漠 (10)


そして旅は北へ、ラホールを目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika


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2015年10月23日

世界遺産の町タッタ  - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (2)

タッタ パキスタンの世界遺産 (6)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

カラチから北上し、1981年世界文化遺産に指定されたタッタへ向いました。タッタは町自体が世界遺産になっています。

タッタ
タッタはシンド州南部、カラチから北東約100km離れたインダス川デルタ地帯にある古都。14~16世紀、サムマ朝、アルグン朝、タルハーン朝の首都として栄えました。16世紀後半にムガール帝国の支配下におかれましたが、オランダ東インド会社がこの港湾都市を交易所としたため、18世紀までその繁栄を維持しました。しかしインダス川が流れを変え、衰退し始めた1739年、ペルシャのアフシャール朝との戦いに負け、領土を割譲されました。ここには1981年に世界遺産に登録されたマックリーヒルやシャー・ジャハーン・モスク等のイスラームの歴史的建造物が多くあります。これらペルシャ式の美しい青いタイルでできた優美な建築や石やレンガを使った精巧な建築が、歴史的に価値ある建造物として評価されました。しかしこの地は2010年のパキスタン大洪水の際、最も大きな被害を受けた地域の1つでもあります。当時は17万人以上の人が被害を受けたと言われています。


タッタでは、マックリーヒルシャー・ジャハーン・モスクを訪れました。シャー・ジャハーンはムガール帝国5代皇帝でムガール時代で最も安定した時代を築きました。また、インド・イスラム建築を大きく発展させた人物で、代表作は知らない人がいない「タージ・マハル」です。また、パキスタンのムガール時代の世界遺産のすべてに携わっています。

マックリーヒル(マックリーの丘)
 リトル・メッカと呼ばれるマックリーヒルは世界最大のネクロポリス(墓地)で、100万にも及ぶ墳墓が残っています。ここにはタッタを都に栄えた3つの王朝(サンマー朝、アルグン朝、タルハーン朝)の時代の王や聖者の廟が残されています。ペルシャによってこの地が侵略された後も、これらの建築はそのまま保存され、現在まで残っています。今なお、シンドの人々はこのマックリーを神聖視し、なにか独特の空気が流れているといいます。


今回、4つの特徴ある建築様式を持つ聖者廟を訪問しました。

タッタ パキスタンの世界遺産 (1)

イサハーン・タルカーン廟

タッタ パキスタンの世界遺産 (2)

バキ・ベグ・ウズベク廟

タッタ パキスタンの世界遺産 (3)

デワン・シュルファ・カーン廟

そして、このタッタで最も美しく壮麗なのが、シャー・ジャハーンによる金曜モスク、ジャマ・マスジッドの装飾です。

シャー・ジャハーン・モスク
 ムガー ル朝第5代皇帝シャー・ジャハーンの命を受け、1647年に完成したモスク。かつてまだ皇子だったシャー・ジャハーンが宮廷内の紛争からこの地に逃れた時、彼を保護してくれた人々にお礼の意を込めてこのモスクを作ったと言われています。現在では特別な行事でしか使われていませんが、当初は金曜日の集団礼拝に使われる「ジャマ・マスジッド」でした。長方形の中庭を囲み、4辺の回廊中心にアーチが向かい合うこの造りは、ペルシャに多い「イーワン様式」。大小のドームは全て合わせて93あり、これらのドームによって、説教師の声がモスクの隅々まで響き渡るような設計になっています。また、このモスクにはミナレット(尖塔)がないのも特徴です。


タッタ パキスタンの世界遺産 (7)

イランに見られる、「イーワーン様式」のモスクの内庭

タッタ パキスタンの世界遺産 (5)

圧巻のドーム天井装飾。

シンド特産の釉薬青タイルで彩られたドームに、パキスタンが「ペルシャ世界」と「インド世界」の間にあることを実感させられます。

そして旅は北へ。パンジャーブ州を目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2015年10月22日

モヘンジョダロ - シンド・パンジャーブ紀行 2014 (1)

Moenjodaro-saiyu (1)

2014年の年末年始はパキスタンへ。カラチからイスラマバードへとシンド州・パンジャーブ州を旅した記録です。

12月29日、いよいよ旅のハイライトのひとつ、モヘンジョダロへ。南から北上する途中、ラルカナ村付近を通りました。ラルカナ村はパキスタンの有名政治家ファミリー「ブットー一族」の出身地。2007年12月27日に暗殺され、のちにイスラマバード空港の名前にもなっているベナジール・ブットーは今でもカリスマ的な人気を持つ政治家です。暗殺の直後、カラチからこの一体は驚きと抗議の人々で騒然となりましたが、今では「田舎の村」。ここからさらに北上したところに「モヘンジョダロ遺跡」があります。

モヘンジョダロ遺跡とは
紀元前2600年~1700年に栄えたインダス文明最大の都市遺跡。モヘンジョ=ダロとは「死者の丘」を意味し、発掘前、人々はこの地に得体のしれない死者が眠ってあるだろうと思い込み、近づくのを恐れていました。一番初めに発見したのはインドの考古学者、R.D.バネルジー。ここで見つかった印象が、ハラッパで見つかったものと同じであったことから、ここがインダス文明の都市であることが分かりました。
遺跡は城塞区と市街地から構成され、高度な水利システムと都市計画のもとに造られたこの街には、最盛期で3万人の人口を抱えたと推定されています。インダス文字が解読されていないため、未だ解明されていないことが多く、遺跡の発掘もまだ3分の1も進んでいないとされ、まだまだ多くの謎が残る遺跡です。
遺跡が属する地域一帯では地下水位の上昇による塩害が進行し、モヘンジョダロはこれを覆い隠していた堆積物が大規模に取り払われた1965年以降、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化していく塩分砕屑現象が止まりません。半乾燥気候で地下水の塩分濃度が高いこの地域は、建物跡の焼成レンガに地下水が入って塩分が結晶化し、内部から破壊が始まっています。90年代に乾燥を防ぐため泥モルタルでレンガの表面を覆いましたが、現在は一部のモルタルははがれてきています。さらに地表面に塩が噴き出て、建造物は根元が崩壊し始めています。 モヘンジョダロの特徴は、発達した排水システムや、タテ・ヨコ・厚みが4対2対1の大きさに規格化されたレンガ等、高度な技術をもって造られた計画都市であることです。よく整備された下水道網は建物の間に張り巡らされ、また排水溝も設置されていたため、ごみで溝が塞がらない構造になっています。
 城塞区の12倍の面積を持つとされる広大な居住区は、発掘者の頭文字をとって区画に名前が付けられています。DK地区は貴族や職人階級の人々が、VS地区には農民が、HR地区には職人が住んでいたとされ、壁の厚さや家の広さに違いがあります。また市街地を貫くように「第一大通り」があり、DK地区、VS地区、HR地区はこの通りに面しています。


では遺跡見学にでかけましょう。

Moenjodaro-saiyu (2)

司祭階級が住む地区 SD区と呼ばれています。

Moenjodaro-saiyu (3)

SD区のシンボルの仏塔(紀元後2~3世紀建) インダス遺跡とガンダーラ遺跡のコラボレーション!

Moenjodaro-saiyu (4)

絵はがきなどで最も有名な角度からのモヘンジョダロですね。インダス文明の特長ともいえる上下水システムを駆使した沐浴地から見る仏塔と司祭階級の居住区。

Moenjodaro-saiyu (5)

二階建て井戸 富裕層暮らしたエリアといわれるDK区にあります。

Moenjodaro-saiyu (6)

塩害の影響は深刻です。モヘンジョダロはこれを覆い隠していた堆積物が大規模に取り払われた1965年以降、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化していく現象が止まりません。90年代に乾燥を防ぐため泥モルタルでレンガの表面を覆いましたがその後、パキスタンの治安のせいか、政府のせいか、発掘や遺跡の保護はなされず放置されたままです。現在は公園を管理する職員が掃除をしたり崩れたところを簡単に補修するのみで外国からの専門家の指導や支援はありません。

Moenjodaro-saiyu (7)

レンガの間に時折見つかる人骨

Moenjodaro-saiyu (8)約3時間、休憩なしにノンストップで見学をしました。その後、お昼ご飯を食べ博物館へ。
これは博物館にあったモヘンジョダロの復元想像図(以前、写真撮影可能だった時のもの)。
もちろん「想像図」ですが、その文明と高レベルな都市計画には驚かされます。モヘンジョダロ、考古学ファンにはたまらない遺跡です。





そして旅は北へ。パンジャーブ州を目指します。

文・写真 by 村田知香 Murata Chika

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2014年07月09日

K2はどこから見える?

K2
コンコルディアからのK2大展望 コンコルディアまでは、1週間ほど氷河上をトレッキングしてたどり着きます。

パキスタンについてのお問い合わせの中で、よく伺うトピックのひとつに
「トレッキングしないでK2が見える場所はありますか?」
というものがあります。

残念ながら、世界第2の高峰K2(8,611m)は歩かずに見える場所はありません。ネパールのエベレストのように高台からならわずかでも見えるといったこともありません。

では、「イスラマバードへのフライトからならどうですか?K2が見たいから窓側の席を希望します」などとのリクエストをいただくこともあります。

これも残念ながら、日本からイスラマバードへのパキスタン航空の現行のスケジュールでは離発着ともに夜なので見ることはできません。余談ですが、大幅に遅延した際、夜明けのカラコルム山脈上空を飛んだことがありました。これは筆舌に尽くしがたい景色でした。

健脚な人以外は、K2展望を諦めないといけないのでしょうか…
いえ、唯一チャンスがあります。それは、「ウルムチ(中国・新疆)-イスラマバード」間のフライトからです。パキスタン国内線で、イスラマバードからスカルドゥへのフライトが着陸する寸前に少し見えることがたまにあるのですが、もっと可能性高く、落ち着いてみようと思うと、このフライトが可能性大です。

ウルムチから天山山脈を越えて・・・・
天山山脈


あらわれるタクラマカン砂漠越しに見える崑崙山脈・・・・
タクラマカン沙漠


いよいよあらわれたカラコルム山脈・・・・
7,000m以上の名峰が乱立します
カラコルム山脈・上部フンザDSC_0461


そして、主役のK2(8,611m)の登場です!
■K2 DSC_8421


カラコルム山脈を過ぎると、ヒマラヤ山脈が始まって、世界第9位の高峰ナンガパルバット(8,125m)!
ナンガパルバットDSC_0481



この後、20分くらいで飛行機はイスラマバードに到着します。ウルムチからイスラマバードまでの約3時間の大スペクタルショ―。見え具合は天候次第ではありますが、晴れたその時、それはそれは感動的な景色が眼下に広がります。

ウルムチ-イスラマバード間のフライトを利用するコースはこちら   
クンジュラブ峠越え パミール大横断9日間
9月、10月は一般的に晴天率がいいといわれるシーズンです。期待“大”です。
ちなみにこのブログで使用している写真は、9月末から10月に撮影したものです。


chika murata

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2013年02月27日

2013年パキスタン講演会&説明会 終了いたしました

2013年2月23日、広尾のパキスタン大使館にて「講演会&説明会」を行いました。
100名を超えるお客様にご来場いただきました。誠にありがとうございます。

朝は、上部フンザのゴジャール地域の農村開発を研究され、フィールドワークとして足繁くこの地に通われている日本大学教授の水嶋先生をお招きし、カラコルムハイウェイの現状、中・パ国境のクンジュラブ峠の役割、ワヒ族の暮らし、農村開発の流れなどお話していただきました。DSC_0908


午後からの旅行説明会の間には、パキスタン大使館お抱えコックさんが腕を振るったランチタイム。
ここのパキスタン料理は絶品で、毎年我々スタッフも楽しみにしています。100名分のお食事の支度ということで朝からキッチンは大騒ぎでした。ダル(豆)、チキン、マトンコールマー、チキンビリヤニ、ナンなど、しっかりとした味の美味しいランチに舌鼓を打ちました。DSC_0911


午後からの旅行説明会では、山チームからは夏がベストシーズンのパキスタントレッキング、観光チームからは映画「草原の椅子」の舞台になっているフンザやバルティスタンのコースをご紹介しました。DSCN5152


そして、毎年恒例のパキスタン航空無料航空券の抽選会も行われました。パキスタンから日本語ガイド・サリームさんが来日し、緊張の抽選会。来年ももちろんこの抽選会は予定していますので、是非振るってご参加ください。
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今年も1年、パキスタンの豊かな魅力を伝えるべくチームパキスタンx 現地法人SAIYAH ともに
力を合わせて頑張っていきます。是非みなさま、パキスタンに遊びに来てください。

**日本語ガイド・サリームさんから皆さまへのご挨拶の一部
「日本には百聞は一見にしかずということわざがあります。パキスタンの素晴らしさもパネルの写真や
言葉からだけでは伝わりません。是非来て見てください」



chika murata  



murata_saiyu at 20:41|Permalink

2012年12月22日

2月23日 パキスタン説明会開催

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毎年恒例となりましたパキスタン大使館で行う説明会を2013年も行います。

パキスタン旅行の最新事情、今シーズンの特別企画、パキスタンの山旅など、
担当から詳しくご案内いたします。

東京会場では水嶋一雄先生(日本大学教授)による講演会行います。
水嶋先生はパキスタン北部地域ゴジャール地区や、シムシャール渓谷に暮らすワヒ族の農牧業と生活基盤の変化、灌漑システム、地域開発による生活の変化などについて研究されていらっしゃいます。
長年のフィールドワークで収集された貴重な写真とともに、昔ながらの暮らしを続ける人々の生活文化や風習についてお話していただきます。

また、大使館お抱えコックさんが作る好評のパキスタン料理のランチを今年もご用意しています。

更に、フンザ出身の控えめな性格と穏やかな笑顔が人気の日本語ガイド・サリーム氏が来日。
なんと彼は、2月23日公開の映画「草原の椅子」に出演しています!

チームパキスタン一同、皆さまのご来場をお待ちしています。
まだパキスタンへ行かれたことのない方は、パキスタンへのイメージが一変されること
請け合いです。


説明会詳細は→こちら

chika murata


チームパキスタンがご案内 春のパキスタンツアー続々催行決定

3/22発 花の桃源郷フンザとバルティスタン 11日間 (東京発着)  催行決定

3/22発  春の大パキスタン紀行  18日間 (東京発着)       催行決定

3/23発 花の桃源郷フンザとバルティスタン 13日間 (大阪発着)  間もなく催行決定

3/27発 シムシャール村・タガムの祭りと杏の里めぐり 15日間 (東京・大阪発着)  満席

3/29発 花の桃源郷フンザとバルティスタン 11日間 (東京発着)  催行決定

3/29発 花の桃源郷フンザを歩く 11日間 (東京発着)  催行決定

3/30発 花の桃源郷フンザとバルティスタン 13日間 (大阪発着)  間もなく催行決定

4/5発  花の桃源郷フンザとバルティスタン 11日間 (東京発着)  催行決定

4/5発 花の桃源郷フンザを歩く 11日間 (東京発着)  催行決定

※上記催行状況は1/10現在のものです。最新の状況はチームパキスタンまでお尋ねください。


murata_saiyu at 17:10|Permalink

2012年12月16日

続々出発確定  最後の桃源郷フンザへの旅

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私たちチームパキスタンにとって、とっても大切な季節がまたやってきます。
3月のフンザへの旅は、私たちにとっては新年の仕事初めのような気分です。
毎年、今ごろになると誰が春のフンザへ行くかと話が持ちきりになります。

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あの景色を見るといつも、優しい気持ちにさせられます。
来る人を優しく歓待する、人を「戻ってきた」気持ちにさせる桃源郷フンザ。

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毎年のように春のフンザへ添乗員としてご一緒させていただいていますが、
ほとんどのお客さまは「パキスタンに持っていたイメージと全然違うところだった」と
いう感想を持って帰られます。

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白銀の高峰、薄ピンクに染まった渓谷、穏やかな人の笑顔・・・。
凝った体も心も癒してくれるところです。


chika murata

<日本初!フンザを舞台にした映画「草原の椅子」 2月23日公開>
http://www.sougennoisu.jp/



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2012年07月20日

2012年ラマダンはじまりました

2012年のラマダンが7月20日より始まりました。
ラマダン明けは8月19日予定。その後、イードのお祭りです。

ラマダンとは、日の出後から日没までの間、断食をするイスラムの
五行六信の一つというのは皆さまご存知の通りです。
ラマダンに関する記事はこちら→http://blog.livedoor.jp/saiyutravel-pakistan/archives/51753762.html

日の出前の食事してから日没後までの断食。
日照時間の長い夏のラマダンは非常に厳しいものがあります。

パキスタン(ラホール)では、今年は朝3時半~4時頃までに食事を済ませ、
夜は19時前後にイフタールという断食明けの食事が始まります。
その間、原則としては水も飲めない。
この時期、カラチやラホールは日中40度を超える暑さ。
熱中症予防に水を飲むようにと盛んに叫ばれている日本では考えられないことです。

ただし、もちろん私たちツーリストにこれが課されることは有りませんので
ご安心下さい。

2013年のラマダンは7月9日からの予定。
夏至に近づきますます日の出が早くなり、日の入りが遅くなります。


chika murata



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2012年02月05日

2012年 西遊旅行恒例 パキスタン説明会のご案内

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東京説明会 2月25日(土) 10:30~15:15 (10:00開場) 場所:パキスタン大使館
大阪説明会 3月 3 日(土) 13:00~16:30 (12:30開場) 場所:大阪支社

→日時、説明会会場など詳細はコチラ


毎年恒例の「パキスタン旅行説明会」のシーズンがやってきました。
東京ではパキスタン大使館の協力を得て、普段では入ることのできない大使館の中のホールにて
スライドを交え説明会を行います。更には、昼食として大使館お抱えのコックさんによるパキスタン料理の試食会もいたします。

気候や食べ物、治安状況などの基本情報から、パキスタンへの思い入れが計り知れないほど強い
西遊旅行だからこその企画「K2展望ゴンドゴロ・ラ越え」や秘境の中の秘境「シムシャル・パミール」など
滅多に見られないスライドを交えた旅のご案内もさせていただきます。

〈ご来場の方にビッグなプレゼント!〉
成田からイスラマバードに週2便就航しているパキスタン航空の協力を得て、東京・大阪会場それぞれ
1名様に「無料航空券」をプレゼント!
昨年は東京会場に約70名様、大阪会場に約30名様お越しいただきました。
ということは、70分の1、又は30分の1の確率で無料航空券が当たる!
かなりの高確率です。是非ふるってご参加ください。お待ち申し上げております。

chika murata






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2012年02月04日

夏山の準備を着々とすすめています

SAIYAHから最近のオフィスの様子が届きました。

こんにちは!
先日、パキスタン事務所サイヤーでは昨年ツアーの反省とサービスの品質を今一度見直す
ミーティングを行いました。その会議の中で議論に上がったもののひとつがトレッキングツアーの
新しい食事メニューの導入でした。
現在トレッキングツアーに同行するコック達がイスラマバードのオフィスに来ており、毎日新しい料理の
開発にトライしています。その内容はパキスタンの郷土料理やインターナショナルなメニューまで様々。
私達のオフィスでは毎日が食の祭りの様な雰囲気で、スタッフがどの料理がおいしいかの投票をしています。
選ばれた料理のいくつかは、今年のトレッキングツアーで皆様の食事のテーブルに並ぶことになると思います。是非、どんな食事がでるのか楽しみにして下さい。

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【左】きつねうどん トレッキングで疲れた体に和風だしが染み渡ります
【中】限られた調理器具で見事に仕上げるコックさんたち
【右】パキスタン料理と西洋料理MIXで体力を養う

murata_saiyu at 20:31|Permalink

2011年06月22日

2011カラーシャの夏祭「ウチャオ」

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歌い踊り春の到来を祝うカラーシャの人々

パキスタンとアフガニスタンの国境沿いに暮らすカラーシャの人々。既にこのブログでも度々ご紹介しています。
「カラーシャ」についてのこれまでの記事はこちら>>

彼らはムスリムではないので、イスラムカレンダーに左右されず、ラマダンも
イードもムハッラムも何も関係ありません。自分たちの暦で生活をしています。

カラーシャの世界では独自の暦に基づき1年にたくさんのお祭りが行われます。
代表的なものは冬の「チョウモス」、春の「ジョシ」、夏の「ウチャオ」、3つのお祭りです。
そのうちの1つ、「ジョシ」に先月行ってきました。

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カラーシャの谷版「Abbey Road (THE BEATLES)」
カラーシャの生活で何よりも大切なものは「ヤギ」。お祭りの朝には家々を回ってヤギのミルクを集める。

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集めたミルクを持ち寄り木陰で一休み。


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「ハレの日」や葬式、家族に不幸事があったとき、頭に「クッパーズ」というビーズや子安貝をあしらった頭飾りを乗せる。普段から被っているビーズの頭飾り「シュシュット」に重ねて乗せるので、重さは2kgを超える。全て女性の手仕事。15歳くらいを過ぎると女の子は自分で作り始める。



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3つの谷から人々が集まり、老若男女が歌い踊り、最大の盛り上げを見せるジョシ最終日

次は8月に夏祭り「ウチャオ」に参加するコースが出発します。
谷では「ウチャオ」が終ると秋が来ると言われます。そして、この日を境に果実、豆類の収穫が解禁されます。今頃、彼女たちは「ウチャオ」を待ちわび、収穫のシーズンを待ちわびているはずです。


chika murata

夏祭り「ウチャオ」を訪問するコースはこちら>>

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2011年06月19日

2011年ラマダン 今年は夏真っ盛り

イスラムの根幹となる六信五行の一つ、ラマダン(断食)。
約1ヶ月続くこのラマダンはヒジュラ暦(イスラム暦)に基づいて行われるため、
毎年、時期はずれていきます。

ラマダンとは、もちろん1ヶ月の間、飲まず食わずといったわけではありません。
日没から日の出までは、飲み食いが許され、家族、親族が集まり食事会も
度々行われます。日中の欲求を満たすため、ラマダン月の方がエンゲル係数が
上がる家庭も多いとか。

ただ、日中に関しては当然、食事は規制されますが、ジュースなどの飲み物も我慢。
中には「唾液」を飲み込むこともダメという人もいるらしいです。
となると、2011年ラマダンは「8月」。暑い暑い8月の日中。飲み物も我慢となると
冬のラマダンに比べて非常に厳しくなります。
更に、夏は日照時間が長い。
遅い日の出、早い日の入りの冬。
早起きして暗いうちに朝ごはんを食べ、今か今かと日の入りを待つ夏。
今年のラマダンは厳しくなること請け合いです。

ただ、夏のパキスタン旅行のメインになりますフンザをはじめとする北部山岳地帯に
暮らす多くの人は、「穏健派」ともいわれるイスマイリ派に属する人がほとんどで、
イスマイリ派の人々の教義には断食の義務はありません。
旅行中、私たちも断食をしているスタッフを尻目に気を使いながらランチを食べる
必要もありません。

向こうではそろそろマンゴーのシーズンが始まっています。
8月はマンゴーが絶品。夜のエフタール(断食明けの食事)でマンゴーに舌鼓を打つ
彼らの様子が、今から目に浮かびます。

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chika murata


絶品マンゴーが堪能できるコースはこちら
クンジェラブ峠越え パミール大横断9日間 8月6日(土)発
クンジェラブ峠越え パミール大横断11日間 8月5日(金)発 






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2011年05月08日

明日出発 カラーシャの谷・ジョシ祭

明日(5/9)、待ちに待った「秘境・カラーシャの谷とシャンドール峠越え 春祭り「ジョシ」見学」に出発します。

カラーシャ族の人々との初めての出会いはカラコルムハイウェイ上にある土産物屋にあった1枚の絵葉書でした。

黒い生地に明るい色の刺繍をした衣装、髪は5本の長い三つ編み、頭にはビーズや子安貝をふんだんに使ったヘッドギア、そして青い目の少女の姿がそこにありました。
「こんな格好をしている人々が山のずっと奥に住んでいるんだよ」と言われたとき、『観光客用に着ているでしょう?それともお祭りとかのときだけ?』と聞き返したことをよく覚えています。

2007年6月、初めてこの谷を訪れるました。ヒンドゥークシュ山脈の谷間を走る未舗装の細い道を埃まみれになりながら進むと、麦畑が点在し始め、そこで作業するおばあさんやお姉さん、棒っきれを持って走り回る子供たちが現れ、学校に行くのも、洗濯も、アンズの収穫もみんなその姿でした。ました。そこには絵葉書で見たままの世界が広がっていました。

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麦畑で作業する女性

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外国人珍しさに追いかけてくる少女

イスラム国家パキスタンの非イスラム世界。独自のカレンダーに基づいて行われるたくさんの年中行事。その中で、今回は長い冬が終わり、暖かい春の訪れを祝う「ジョシ」に参加してきます。


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2011年04月21日

チームパキスタンの春 無事終了

3月末から4月上旬にかけ、お蔭様で6グループと、数組様の個人手配旅行を桃源郷へご案内しました。
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花咲くフンザをのんびりお散歩

今年の春は3月19日から21日にかけて、スカルドゥでは雪が降り、一旦ほころびかけた花の蕾が硬くなるといったサプライズがありましたが、その後、アンズやアーモンドの木に花が咲き、お花見を満喫することが出来ました。
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満開のアルチット村の果樹園

2大杏の里のひとつ、バルティスタンの中心地スカルドゥにオープンした「サイヤサライ」。
インダス川沿いに建ち、カラコルムの高峰の展望が楽しめる最高の立地条件です。サイヤサライは、ゲストルーム3部屋、レストラン、事務所を兼ねた西遊旅行現地法人サイヤの新しい試み。
夏はK2展望に挑むお客様のおもてなしで、大賑わいになる予定です。
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サイヤサライ裏庭からの景色

毎回、ツアーにご一緒していて驚くのは、「パキスタンリピーター」の多さです。1度パキスタンを訪問された方は、間違いなくこの国に魅入られているようです。景色の雄大さはもちろんですが、パキスタン人の人柄の良さが「売り」の一つ。
皆さんからの感想は異口同音、「来るまでは、こんなに穏やかで落ち着く国とは思わなかった」
これが私たちチームパキスタンには最高の褒め言葉です。

GWから始まる私たちの夏。
現地スタッフを含め、私たちパキスタンセールスマン、ますます張り切っています!

chika murata



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2011年02月27日

<大阪支社>パキスタンを知ろう!パキスタン説明会&パキスタン料理試食会

2月26日(土)、大阪支社にてパキスタン現地法人サイヤのヨーセフ氏とワジット氏を招いてパキスタンの説明会を行いました。
ご参加いただきました皆様、誠にありがとうございました。
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第一部として、トレッキングのご案内。東京での説明会と同様、難易度が高い「ゴンドゴロ・ラ」や標高5,000mを超える「ヤクサファリ・シムシャルパミール」のご案内、そして、山の装備や高山病対策などのご案内をいたしました。
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第二部として、パキスタンの治安や2010年に誕生したアッタバード湖のご案内、アフガニスタン国境近くに暮らす「カラーシャの人々」の文化などについて聞いていただきました。

その後、山岳コック・ワジット氏作のパキスタンスナックと甘いパキスタニチャイ(ミルクティ)でパキスタン風ティータイムをお楽しみいただきました。
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Menu:アルー(ジャガイモ)カバブ、サモサ、サブジ(野菜)ロール、チャイ


このワジット氏は、料理をしながら、そして食材やキッチン用品を背負いながら、ゴンドゴロ・ラを越えるスーパーコックさんです。
彼の今回の来日目的は、調理のブラッシュアップです。既に日本米の炊き方や定番肉じゃが、日本風のカレーにてんぷら、うどんなどの腕前はツアー中に披露していますが、今回の来日でメニューのバリエーションを増やすことはもちろん、日本人好みのサービスの仕方、盛り付け方、スパゲティのベストコンディションのゆで方、タレから自家製の焼肉、ふんわりオムレツの作り方などたくさんのことを学んでいきました。
日本ではレストランに行っても、スーパーに行ってもいつもカメラを持ち歩き、全ての食材やお膳の写真を撮り、非常に精力的に勉強をしていました。今夏のトレッキングツアーでどれだけの学習効果を皆様にご披露できるか乞うご期待です。



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西遊旅行大阪支社 チームパキスタン一同


chika murata



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2011年02月21日

パキスタンを知ろう!旅行説明会&パキスタン料理の試食会 @パキスタン大使館

2月19日(土)、広尾のパキスタン大使館にて「パキスタンを知ろう!旅行説明会」を行いました。
寒空の下、多くのお客様にご参加をいただき誠にありがとうございました。

パキスタン公使のご挨拶をいただき、午前中はトレッキングコースのご案内、その後、大使館専属のパキスタン人コックさんが腕をふるったランチを召し上がっていただきました。
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メニュー一例
1.シャミカバブ(メンチカツのようなカバブ)
2.チキンカレー
3.マトンカレー
4.チキンビリヤニ(パキスタン風ピラフ)
5.ひよこ豆のカレー
6.ナン
7.キール(パキスタン風ミルクデザート)
など

午後は「パキスタン無料航空券」をかけて大抽選会をした後、観光旅行のご案内させていただきました。
大阪では今週末に説明会が開催されます。大阪でも1名様に無料航空券が当たりますので、是非ご来場下さい。現在のところ、約20分の1という非常に高い当選確率です。

トレッキングコースでは、昨年からの数度の視察を経て、今年からいよいよ始動する「ゴンドゴロ・ラ」や、まさに秘境中の秘境「シムシャル・パミール」のコースをたっぷりとご紹介いたしました。

観光コースでは、ここ数年大人気を誇っています、西遊旅行の大自信作「北部パキスタン冒険行」や今年から始めました「秘境・カラーシャの谷」などの魅力をお伝えしたつもりですが、いかがでしたでしょうか。北部パキスタン冒険行の魅力はまたこの場をお借りし改めて熱く語らせていただきます。
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もうすぐフンザは花の季節が始まります。私たちチームパキスタンの1年はこの花の季節から始まります。来月は私たちが桃源郷にご案内いたします。



murata chika





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