at 19:46│シルクロード | ウズベキスタン

2015年12月16日

青の都・サマルカンド

 シルクロード最古の都市と呼ばれるサマルカンド。その名前だけでもシルクロードの郷愁がただよう古都です。今日は、サマルカンドの歴史と魅力をご紹介します。

 多くのシルクロードのオアシス都市は、水を得やすい河の近くに発展していきましたが、サマルカンドはアム・ダリヤの支流、ザラフシャン川のほとりで発展しました。紀元前10世紀から人々が住み始めた歴史があります。
 アレキサンダー大王も東方遠征の際にサマルカンドを攻略しました。当時の名前はマラカンダと呼ばれ、大王はソグド人の長期に渡る徹底抗戦に会いました。
紀元7世紀から8世紀にかけては、ソグディアナに生きたソグド人の都市として繁栄を極めます。サマルカンドで音楽や踊りを教え込まれた奴隷達が、シルクロードを伝って唐へ向かい、唐では西域の文化が大流行しました。

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           【アフラシアブの丘にあったソグド人の邸宅内にあったフレスコ画】

 1220年には、東からの侵略者、モンゴルの襲来を受けます。水利システムも含め、サマルカンドの街は徹底的に破壊されました。2,000年以上栄えたサマルカンドの歴史は、この時に一度終わったと言っても過言ではないでしょう。
 サマルカンドに残るアフラシアブの丘。ここはモンゴル襲来までサマルカンドの街があった場所です。発掘により、この丘は11もの時代の層に分かれていることが判明しています。

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                 【かつてのサマルカンドの街が眠るアフラシアブの丘】

 一度死の街を化したサマルカンドに、現在まで残る壮麗な建築物を建て、再びシルクロードの一大都市に変えたのが、中央アジアの覇者・ティムールです。彼はサマルカンドを自分の帝国の首都と定め、帝国各地からの建築家や職人をサマルカンドに送り、各地の技術を駆使した建築物を建造しました。現在サマルカンドで目にする建物のほとんどが、ティムールの時代の後のものになります。

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                    【サマルカンドにある玉座に座るティムール像】

 彼は死後、自分の生まれ故郷のシャフリサブスに埋葬するように命令を出していましたが、没地オトラルからシャフリサブスへ遺体を運ぶ際に大雪に遭い、シャフリサブスまで到達できずに、首都のサマルカンドに葬られることになりました。墓地はグル・エミル廟と名付けられ、中央アジアの覇者にふさわしい荘厳な建物が現在もサマルカンドに残っています。

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                      【ティムールの眠るグル・エミル廟】


 ティムールの死後、彼の建築を引き継いだのが孫のウルグ・ベクです。支配者の顔の他、天文学者でもあった彼は、天体観測のためにサマルカンドの高台に天文台を建設しました。
 またレギスタン広場にメドレッセ(神学校)を建設し、17世紀に建設された2つのメドレッセと合わせてサマルカンドの3つのメドレッセとともに、サマルカンドを代表する建築群となっています。

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                   【3つのメドレッセが並ぶレギスタン広場】

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                【ライオンの装飾が施されたシルダール・メドレッセ】


 また、サマルカンドの聖地がシャーヒ・ジンダ廟です。この地で殉教した、預言者ムハンマドの従兄のクサム・イブン・アッバースの廟には、現在も沢山の巡礼者が訪れています。また古来から聖地であったため、ティムールは自分の親族や側近をこの地に葬り、壮麗な廟を建設しました。

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   【シャーヒ・ジンダ廟のタイル装飾】               【廟が連なるシャーヒ・ジンダ廟】


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           【シャーヒ・ジンダ廟最奥にあるクサム・イブン・アッバースの廟】

 ソビエト時代に荒れ果てたままだったサマルカンドの建築群は、当時の技法を引き継いだ現在の職人の手によって、完全に修復されました。
そして、現在も中央アジアを代表する街として、世界各国の人々をひきつけてやみません。


                     ↓↓↓【まもなく催行する関連ツアーはこちら】↓↓↓

早春のウズベキスタン

at 11:40│ツアー紹介 | イラン

2015年11月11日

ヘカトンピュロス見聞記

 先日、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアーの添乗に行って参りました。長年の憧れでしたパルティアの都・ヘカトンピュロスの遺跡に立ち、日本ではほとんど知られていないヘカトンピュロスをこの目で見てきました。今回は、謎に満ちたヘカトンピュロスの様子をご紹介いたします。


  紀元前247年、アレキサンダー大王の家臣セレウコスが KOJI3066_yamada
興したセレウコス朝を破り、トルクメニスタンからイラン、メソ
ポタミアまで支配したパルティアは、3つの都を建てました。
最初の都は、トルクメニスタンの首都アシガバート近郊に残
るニサ。ミトラダテス王の名から、ミトラダトケルタとも呼ばれ
ていました。

     


        【パルティア兵士の像:テヘラン考古学博物館蔵】


  その次の都がギリシャ語で「百の柱」という意のヘカトンピュロスです。ダームガーンから国道A83号線を西へ走ったクーシェの村にヘカトンピュロスはあります。このA83号線は、かつて中央アジアからレイ、タブリーズを経てアナトリアへ向かうシルクロードの幹線でした。今でも、沢山のキャラバンサライの跡が残っています。

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        【ヘカトンピュロスの遺跡近くに残るサファビー朝時代のキャラバンサライと内部】


  そして、ヘカトンピュロスからこのシルクロードを南に下るとイスファハンに繋がります。
ヘカトンピュロスは貴重な考古遺跡のため、ダームガーンの町から警察が同行しました。遺跡に降り立つと、イスラム以降の時代の土器のかけらが沢山落ちていました。92年前と89年前の発掘からほとんど調査されておりませんが、56平方キロの広大な面積の遺跡内には、いくつかの丘のような建物跡が残っていました。ヘカトンピュロスは、正確にはパルティアが建てた都ではなく、紀元前5,000年紀から人が住んでいた場所です。かつての発掘では、この頃の土器も出土したそうです。そしてパルティアが去った後も街として機能していたため、前述のイスラム時代の土器も残っているのです。

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                 【遺跡一面に落ちていたイスラム時代の土器】


 我々が最初に訪れたのは、おそらく宮殿として使われたであろう一番大きな建物跡でした。調査は全く行われていないため、地図も看板も何もありません。広大な敷地内を歩き、いくつかの建物跡を見学。どの建物が何に使えわれたのかは謎のままでしたが、地下へ通じるトンネルがある建物や、部屋がはっきりとわかる建物もありました。

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    【宮殿跡と思われる巨大な建物】                  【宮殿の上から見た遺跡】

  パルティアは、セレウコス朝シリアが勢力を拡大し、東に進出した際にヘカトンピュロスの街を捨て、イラクに残るクテシフォンに都を移しました。遷都の際、ヘカトンピュロスにあった物はほとんどが地中に埋められたといわれています。ツアー中、どうしてパルティアは地中に埋めて街を捨てたのか?という談義になりました。全くの仮説ですが、パルティアはセレウコス朝シリアが去った後に、またヘカトンピュロスに戻って来るつもりでいたのではないかという話しも出ました。そのため、ヘカトンピュロスには主要な建物だけは残っているのではないかという話が出ました。

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 【メルブに残るキズカラと似た建造物】               【広大な敷地内を歩いて見学しました】


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【建造物が点々と連なって残っています】                【壁で仕切られた部屋の内部】


 クテシフォンに遷都した後、パルティアは最盛期を迎えます。そして当時の西の超大国はローマと、「パルティアン・ショット」の戦法を駆使して、8回にわたる泥沼の戦争を繰り広げました。しかし紀元224年、パルティアはクテシフォンで、長年の宿敵ローマではなく、ササン朝ペルシャに滅ぼされます。そして、かつての都、ヘカトンピュロスに戻ることはなかったのです。

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    【邸宅と思われる建物内の広間】                    【ヘカトンピュロスを歩く】

  かつてヒルカニアと呼ばれたこの地のシルクロードの要衝にあったヘカトンピュロス。西アジア史に歴史を刻んだパルティアの面影を、遺跡に吹く歴史の風の中に見た気がしました。


【4月、5月のツアーの紹介はこちら】
キャビール砂漠と 失われた都・ヘカトンピュロス


at 13:24│イラン 

2015年10月05日

おいしいイラン

今日はイランの食べ物についてご紹介いたします。
まず主食として食べられているのが「ベレンジ」というお米で、「チェロー」、「ポロー」とも呼ばれます。
日本のもちもちしたお米とは異なり、パサパサしているので油を入れて炊いたりバターをかけて食べることもあります。下写真のようにサフランをかけて、色味を出すことも多いです。

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もう一つの主食が「ナーン」。厚いものから薄いもの、ゴマが付いているものなど種類は様々です。

お米やナンと一緒に食べるのが、日本ではケバブと言われる「キャバーブ」というお肉料理。
羊肉でできた「クービーデ」や鶏肉の「ジュージェ」など、こちらも種類が豊富です。
イランではお肉料理が多いので、お口直しの為にライムやミント、生の玉ねぎなどがお皿に添えてあることもあります。

日本人の口に合うのがこちら、鶏肉のトマト煮込み。

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また、シチューのような「ホレシュト」というお料理もご飯とナンとの相性は抜群です。

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上)野菜と羊肉、お豆のホレシュト、「ゴルメサブズィー」

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上)トマト、羊肉、お豆のシチュー、「ゲイメ」。

また、お魚料理やスパゲッティもイラン人の大好物です。
お魚を生で食べることはありませんが、下の写真のようにこんがり焼いて、お米と一緒に食べます。

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下)イランのスパゲッティは「マーカーローニー」と呼ばれます。
多少薄味なので、ヨーグルトをかけて食べたり、サラダと混ぜたり、食べ方は人それぞれ。
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メインディッシュの他に、サラダやスープもよく食卓に並びます。
日本人に好まれるのが、ジョーという穀物が入ったスープ、「スーペ・ジョー」。
さっぱりといただく為にライムを絞って食べるのがおすすめです。

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果物も豊富です。桃やスイカ、メロン、ぶどう、いちご・・・日本で食べられる果物はもちろん。
イランは物価が安いので、一番高級な果物と言われるスイカもまるまる一つで400円ほど。
また、なんといってもザクロがおいしいのです。これからの時期は美しい赤色をしたザクロが
たくさん出てきます。

皆様も「おいしいイラン」を食べに出かけませんか。



at 18:30

2015年09月18日

氷河とオーロラの世界 冬のアイスランド

今日は冬のアイスランドの魅力をご紹介します。
アイスランドは国土全体がオーロラベルトに位置し、8月下旬の秋から3月頃までオーロラを鑑賞できるチャンスがあります。オーロラが最も現れやすい場所は、北半球では北緯65度から70度付近にあたり、この周辺は「オーロラベルト」と呼ばれています。ノルウェー北部、スウェーデン北部、フィンランド北部、アラスカ北部、そして、アイスランドはすっぽりオーロラベルトに覆われています。
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冬の夜空に舞うオーロラ

オーロラは空が暗いほど良く見えます。9月頃のオーロラは日没が遅いため、深夜23時以降にならないと見ることができません。しかし冬の間は日照時間が短く、逆に夜が長いためオーロラが観察できるチャンスは大きく増えるのです。しかし、オーロラはいつでるか誰にも分かりません。オーロラ予報もインターネットなどでチェックすることはできますが、これはあくまでも過去のデータをもとにしたもので、予報ではオーロラ出現率が非常に低いのに実際にはものすごいオーロラがでることもあります。
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赤色のオーロラは非常に強いもので、なかなか見ることができません。

また、空が暗い事の条件に、月灯りが少ないことが挙げられます。そのため、西遊旅行の冬のツアーの中で、2月、3月の出発は新月に近い日付で設定しています。

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緑色のオーロラが最も見やすいものです。肉眼で見ると白っぽく見えても、カメラに撮影すると緑色に写る事が良くあります。

アイスランドでオーロラを見るポイントはまだあります。オーロラベルトは北緯65度~70度と緯度が非常に高く、同緯度に位置するカナダ、アラスカ、北欧では冬の間気温が氷点下25度位まで下がり、極寒の中でのオーロラ鑑賞となります。しかしアイスランドでは、暖流であるメキシコ湾流が暖かい空気をもたらすため、真冬でも最低気温が-10度位までしか下がりません。もちろん寒いことは寒いですが、カナダやアラスカと比べると暖かく、オーロラを見る条件としては良いといえます。

もうひとつのポイントはオーロラ以外の観光がたくさんできることです。他のオーロラ観測地では冬の間は雪に閉ざされ、昼間の観光と言えば犬ぞりや氷上釣りなどくらいしかない所がほとんどです。しかしアイスランドは暖流の影響で深く雪が積もることが少ないため、冬の間でも滝や氷河など様々な観光地を訪れることができます。夏とはまた違った凍った大瀑布、氷の世界が広がる大氷河、火山活動によって生み出された間欠泉など昼間はアイスランドの大自然を存分にお楽しみいただけます。

グトルフォスの滝
黄金の滝と呼ばれるグトルフォス。こんな壮大な滝が冬の間は凍ってしまうこともしばしば。

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スヴェンナフェルスヨークトル氷河

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ヨーロッパ最大の氷河ヴァトナヨークトルの舌氷河から流れ出る無数の氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖

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寒い時こそ人口の温泉ブルーラグーンでの温泉浴もたまりません。

また、海に囲まれたアイスランドならではの食事も楽しみのひとつ。
中でも手長エビや岩ガニなどのシーフードは絶品!新鮮な海の幸を是非お楽しみ下さい。

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手長エビ料理の一例、現地ではロブスターと言います。
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岩ガニ料理。この岩ガニはもともとアメリカから来た貨物船にくっついてやってきた外来種で、繁殖力が強いためたくさん食べてほしいそうです。

12月~3月まで、冬のアイスランドのツアーを設定しています。
オーロラツアーをご検討のお客様、是非アイスランドをお勧めします。
ツアーの詳細はこちら → 冬のアイスランド 2015~2016











at 20:13│タキスタン パミール高原とワハーン渓谷 | タジキスタン

2015年08月06日

パミール高原に咲く高山植物(タジキスタン)

7月は「パミール・ハイウェイとワハーン渓谷」のツアーに同行させていただきました。
玄奘三蔵やマルコポーロも通ったというワハーン回廊。アフガニスタンとの国境のパンジ川沿いを走り、
ヒンドゥークシュ山脈を眺めながらドライブを楽しみました。
ユルタ訪問では、夏の間放牧生活をしながら暮らす遊牧民との触れ合いも。

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今回は、キルギスのタルディック峠を越えたユルタにお邪魔させてもらいました。

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オシュの公立大学に通う娘さん。夏休みの間に帰ってきているそうです。

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突然の訪問でしたが、たくさんのナンやクルト(チーズのお菓子)でおもてなしをしてくれました。

また、この時期は高山植物の花咲く季節。ツアー中に見つけた、美しい花々をご紹介させていただきます。

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■ランガールからマルガブへ向かう道中で見たキンポウゲの群生。
 対岸には、アフガニスタンが見えます。

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■不思議なお花

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■ラベンダーか、シソ科の一種でしょうか。キルギスのチュルチック峠で
 フラワーウォッチングをお楽しみいただきました。

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■サクラソウ。

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■ウメバチソウ。

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■赤いケシ。タジキスタンの国花です。

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■ムラサキ科 ムラサキシベシベ

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■アザミの仲間

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■高山湖(ブルン・クル)湖畔

可愛らしい高山植物の観察も楽しめるコースです。
秋の紅葉か、来年のお花の時期に、是非お出かけしてみませんか?

■関連ツアー
・9/9発 「パミール・ハイウェイとワハーン渓谷
 9月はポプラ・田端が黄金に色づく季節です。

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2015年07月30日

聖なるブハラとその見所(ウズベキスタン)

こんにちは。
大阪支社の植田です。

今回はイスラム世界では、聖なるブハラとも呼ばれ、シルクロードの大切な十字路として繁栄を誇った町、ブハラの見所を少し紹介したいと思います。ブハラは1993年に世界遺産へも登録されたウズベキスタンの古代オアシス都市の一つでもあります。
青の都の異名を持つサマルカンドと比較すると、ブハラの町は青の屋根も少なく土の色が目立つといった印象です。

見所一つ目は「チャール・ミナル」。
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チャル・ミナールとは、タジク語で「4本のミナレット」という意味。
1807年、トルクメニスタンの商人カリフ・ニヤズクルによって建てられた珍しいメドレセです。かつては神学校もモスクもありましたが、今はこの入口のみが残っています。
彼が4人の娘のことを思い立てた4本のミナレットには、それぞれ異なる模様が施されています。それぞれの模様は4人の娘の性格を表しているのだとか。
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旧市街の外れにある小さな建物ですが、4つの青い帽子を被った何とも愛らしい外観です。

見所二つ目は「イスマイル・サマーニ廟」。
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892年から943年にかけて建てられた中央アジア最古のイスラム建築であります。ブハラを占領して都としたサマン朝のイスマイル・サマーニが父親の為に建てた霊廟でしたが、後に彼や彼の息子も葬られ、サマン朝の王族の霊廟となりました。キジルクム砂漠の砂にラクダのミルク、卵黄や使用して作られた日干しレンガを積み上げた構造です。
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モンゴル軍が来襲した際には、その殆どが土の中に埋れていた為、破壊されることもありませんでした。

反時計回りにここを3週すると願いが叶う!…とも言われています。
ぜひ訪れた際には、願いを込めながら、3週してみて下さい!

見所三つ目は「カリヤン・ミナレット
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「カリヤン」とは、「大きい」という意味で、その名の通り、中央アジアで最も大きいミナレットであり、現在はブハラの町のシンボルとなっています。
この46メートル(地下10m)のミナレットもイスマイル・サマニ廟と同じく、焼きレンガの装飾が特徴的です。
ミナレットとは通常はアザーンをとなえる場ですが、灯台・見張り台の役目も果たし、ここは死刑台(上から死刑囚を袋に入れて突き落とす)としても使われたようです。

見所ではないですが、最後に「コウノトリのはさみ」。
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こちらは建築物ではございませんが、ブハラの有名な工芸品の一つです。幸福と豊穣をもたらすと信じられているコウノトリはウズベキスタンで大切にされている鳥です。そしてブハラのシンボルでもあります。
路上で売られているものもたくさんありますが、ぜひ工房を訪れてみて下さい。その場で英語で名前を入れてくれる工房もございます。

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今回ご紹介させていただいたのは、ブハラの見所のごく一部です。
シルクロードの中継地点、オアシス都市として栄華を誇ったブハラ、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

ウズベキスタン、ブハラを訪れるコースはこちら↓
文明の十字路 ウズベキスタン
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEUZ11/index.html

at 09:30│シルクロード 

2015年07月10日

シルクロードの食(キルギス)

今日はシルクロードの食というテーマで、記事を書きました。先日訪れた中央アジアの国キルギス。古くからシルクロードの中継点として栄えたため、食文化も様々です。ソビエト連邦の一部であった時代が長かったためロシア料理もたくさんありますが、やはり中国・新疆ウイグル自治区と似た食文化が残っています。そして何よりシルクロードを通じて日本とのつながりを感じることができるのです。

まず、中央アジアの食事と言えばたくさんの前菜です。最初からテーブルにはたくさんのお皿が並びます。サラダやナン(日本でいうパン)、さらにはクッキーやデザートの果物が最初から出てくるのも特徴です。
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サラダやお菓子や果物が並ぶ前菜

そしてキルギスをはじめ中央アジアで食卓にかかせないのがナン。ナンといってもインド料理のナンとは少し異なり、日本でいうパンです。バザールに行くと毎日新鮮なナンが手に入ります。
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そしてこちらはラグマン。日本でいう「うどん」ですね。日本にも多種多様なうどんがあるように、現地にもいろいろな種類のラグマンがあります。一般的なイメージとしては暖かいスープに、具としてお肉や野菜が沢山のったものかもしれませんが、スパゲッティの様にゆがいた麺の上から、ソースをかけて食べるものもあります。

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一般的なスープと一緒に食べるラグマン
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スパゲッティの様なラグマン

こちらはマントウ。日本でいう「肉まん」です。ひき肉、玉ねぎなどを小麦粉でできた生地の中に詰め、蒸し上げます。
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続いてはコルダックという料理。羊肉を炒め、玉ねぎやジャガイモなどの野菜を添えた料理で、こちらは伝統的なキルギス遊牧民の料理です。キルギスではやはり羊肉が一般的です。
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ベシュバルマクは、キルギスの伝統料理の中で最も重要な料理で、結婚式など親戚が集まる席の時に必ず出されます。ベシュバルマクは羊や牛・馬の煮物と手作りの麺から作られます。ベシュバルマクはキルギス語で“5本の指”と言う意味です。昔のキルギス人はこの料理をスプーンを使わずで、手で食べていました。今でも、ベシュバルマクをスプーンより、5本の指で食べたほうが美味しいと言う人もいます。

お米を使った料理もあります。こちらは「プロフ」と呼ばれる料理で、「ピラフ」の事。日本でいう焼き飯です。少し油が多いので食べ過ぎには注意が必要です。
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キルギス料理には、パンの種類がいくつかありますが、中でも一番人気が高いものがボルソック。小麦粉で作った小さな揚げパンで、ついつい手がとまらなくなってしまいます。
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シシャリクという肉の串焼き。シシカバブと同じです。日本人は独特のにおいからラムが苦手な方が多いですが、新鮮な羊が沢山手に入るキルギスでは、それほど臭みもなく、ラムのシシカバブは最高です。また、イスラムの国ですが戒律がそれほど厳しくないためポークのシシカバブがでることもあります。
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夏のシーズン真っ盛りのキルギス。キルギスだけでなく、中央アジアではどこも良く似た食文化を持っています。まだ10月までシーズンが続く中央アジアへ。是非、お出かけ下さい。

■西遊旅行で行くキルギスの旅
キルギスとカザフスタン天山自然紀行
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー
キルギス天山山脈ヘリフライトとゆったりフラワーハイキング


写真・文 西遊旅行 米谷健吾