at 09:30│シルクロード | キルギス

2016年01月22日

夏のキルギスへ ~①パミール・アライ山脈「レーニン峰ベースキャンプ」

 
 大阪支社 高橋です。

 少し遅くなりましたが、皆さま新年あけましておめでとうございます。
 2016年となり、まもなく1ヶ月が過ぎようとしておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 昨年12月に弊社も新しいパンフレットを、既存のコースから新企画のコースまで、たくさんのコースを発表させていただきましたが、ご興味あるコースはございましたでしょうか。

 ここ数年、中央アジアへのお問い合わせが非常に多くなってきております。
 そんな中央アジア「シルクロードの旅」の中から、キルギス共和国への旅の1つ、キルギス共和国の夏の魅力を網羅したアドベンチャー企画「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」を数回に分けてご紹介させていただきます。

 キルギス共和国は、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家であり、かつてはキルギスタンと呼ばれていました。改称以降も別称として公式に認められています。
 ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体(CIS)加盟国であります。

map[1]


 キルギス共和国は、中央アジア5ヶ国の中で最も面積がせまい国ですが、国土全体の40%が標高3000mを超える山岳国家で、広大な山岳地帯と草原を持つ大自然の豊かな国であります。
 国土は東西に長く広がっており、中国との国境には天山山脈、南との国境に接するタジキスタンに向かってパミール高原が広がっております。

 標高3,000mほどの地域に広がる大草原には豊かな放牧地が広がり、そこに住居とユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)を建て、馬やヤク、牛とともに暮らしています。
 「パミール・アライ」に暮らす自分たちこそ「キルギスの中のキルギス」と自称するほど、今でも馬などの家畜とともに暮らす生活が保たれています。
 
 本来、キルギス族は一年中ユルトでの生活を行ってきましたが、ソビエト時代に行われたコルホーズ・ソフホーズ主導の牧畜の管理の結果、村に定住するようになり伝統的なユルトは夏の間だけ利用される放牧用の住居になってしまいました。

①KW2A1835(①キルギス族)
【パミール・アライにクラスキルギス族の家族】


 そんなキルギス共和国の雄大な自然と遊牧民の暮らしや文化にふれる旅である「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」では、天山山脈のベースキャンプへのヘリフライト南イニルチェク氷河上の常設キャンプでのキャンプ泊フラワー・ハイキングキルギス族の移動式住居ユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)での宿泊など夏のキルギスを満喫する、山岳風景や高山植物、民族の写真撮影・絵を描かれる方にもお勧めのコースです。

 第1回目の今回は「パミール・アライ山脈・レーニン峰ベースキャンプ」をご紹介します。

 日本を出発し、キルギス共和国の第2の都市であり、南の首都と称されるオシュに到着します。
 到着後はホテルで少しお休みいただいた後、キルギス族の放牧風景を眺めながら、サリタシュを経て、ツアーのハイライトの1つでありますレーニン峰(7,134m)のベースキャンプを目指します。
 サリタッシュを通過後、ベースキャンプへと続く道は未舗装道路となってしまいますが徐々に迫りくるパミール・アライ山脈の景観に心奪われ、揺れる車窓から山岳風景を楽しまれていました。
(ご安心下さい、きちんと写真タイムをお取りすることをお約束いたします。)

②KW2A1660(②パミール・アライ)

②KW2A1663(②パミール・アライ)
【パミール・アライ山脈の景観が広がり始める】


 キルギス共和国の南部には,東西方向にのびる2つの山脈があります。

 北側にはアライ山脈南側にはザ・アライ山脈(トランス・アライ山脈)があり,これらをまとめて「パミール・アライ山脈」と呼ばれており、新彊ウイグル自治区からウズベキスタンのサマルカンドまでおよそ500kmにわたって伸びる山脈です。
 
 そのパミール・アライ山脈の中で最も有名なのが、トランス・アライ山脈の中央に聳える「レーニン峰(7,134m)」で、パミール・アライ山脈の最高峰であり、パミール高原の最高峰でもあります。
 
 パミール・アライ山脈の風景に心を奪われながら進むと、徐々にそのレーニン峰の姿が目の前に現れます。山頂付近は激しい氷食をうけ,多くの谷氷河が流れているその山容は、圧巻の一言です。

③KW2A1965(③BC着前のレーニン峰)
【ベースキャンプ到着間際のレーニン峰】


 「早く写真タイムを取って欲しい」と、お客様の心の声が聞こえてきそうな景観ですが・・・
 慌てずともこのツアーでは、その迫力あるレーニン峰の麓に設置された「アチクタシュ・ベースキャンプ」に宿泊、しかも2連泊するのです。

※ここがツアーのポイント!!
 ただ、レーニン峰の景色を堪能するために宿泊するのではなく、アチクタシュ・ベースキャンプで2連泊をし、迫力のレーニン峰の景観と合わせて、周辺に咲き乱れる高山植物の観察など、レーニン峰の周辺の探索もお楽しみいただきます。


 レーニン峰のベースキャンプ滞在の中日を利用して「レーニン峰をはじめとするパミール・アライ山脈を眺めながらのハイキング」をお楽しみいただきます。
 
 朝、ベースキャンプを出発して起伏の少ないルートをのんびりと歩き、徐々にレーニン峰へと近づいていきます。

④KW2A1733(ハイキング)

④KW2A1754(ハイキング)
【周辺の山々を望むハイキングへご案内】


 皆さんの「一歩でもレーニン峰へと近づきたい」という逸る気持ちにストップをかけるのが、周囲に咲き乱れる高山植物の花々です。

 キルギス共和国は半乾燥の草原が広がり、周囲の山々からの水を受け、7月には高山植物が咲き乱れます。
 そうです、キルギス共和国は中央アジア屈指の高山植物の宝庫なのです。

 ここキルギス共和国で咲く高山植物は、後日改めて詳しくご紹介させていただきますので、お楽しみを。
 ひとまず、レーニン峰のベースキャンプ周辺に咲く花々の写真を掲載しておきます。

⑤KW2A1734

⑤KW2A1740

⑤KW2A1745

⑤KW2A1760
【レーニン峰ベースキャンプ周辺に咲く花々】


 午前中、涼しい時間帯のハイキングはレーニン峰をより迫力ある場所から望むポイントまでご案内します。
 特に決まった展望台というポイントはなく、行くところすべてが展望台と言っても過言ではありません。
 
 滞在の中日ということで時間的な余裕は十分にあるため、皆さんの体調や様子を伺いながらゆっくりとしたハイキングが楽しめるのも、このツアーならではであります。

⑥KW2A1771
【徐々に迫りくるレーニン峰(7,134m)】

⑥KW2A1774
【激しい氷食を受けたレーニン峰の山頂部】

⑥KW2A1775
【振り返るとパミール・アライ山脈を遠望】

⑥KW2A1794
【高山植物が咲き乱れるレーニン峰の麓】


 午前中、レーニン峰の景観と高山植物の花々を思う存分楽しんだ後、午後も周囲の探索へとご案内します。

 ベースキャンプ周辺にはキルギス族の方の移動型住居ユルトが点在し、馬などの家畜とともに暮らすキルギス族の方々とのふれあいもお楽しみいただけます。

 ベースキャンプで滞在できる事で、時間の経過により刻一刻と変化するレーニン峰の姿も堪能していただけます。

 テントが並ぶベースキャンプのすぐ脇にある池には、正面に聳えるレーニン峰が鏡のように映り込み、絶好の写真ポイントとなります。
 ここでは「夕焼けに染まるレーニン峰」の景観をお楽しみください。

 これだけ間近でご覧いただけるのは、当ツアーへご参加いただいた方々だけの特典です。

⑦KW2A1889(夕焼けのレーニン峰)

⑦KW2A1890(夕焼けのレーニン峰)
【夕焼けに染まるレーニン峰】


 そして、見逃してはいけないのが「夜のレーニン峰」です。
 月夜の下に聳えるレーニン峰の姿は非常に幻想的で、見逃さずにご覧いただきたい景観です。
 ※撮影好きの方は三脚をお忘れなくお持ちください。

 ダイニングテントの近くの小高い丘の上が夜の撮影ポイントとしては絶好のポイントです。

⑧KW2A1712

⑧KW2A1922

⑧KW2A1926
【夜のレーニン峰】


 トランス・アライ山脈の中央に聳えるパミール・アライ山脈の最高峰であり、パミール高原の最高峰の「レーニン峰(7,134m)」を心行くまで堪能できる「アチクタシュ・ベースキャンプ」での滞在。
 そこでご覧いただけるパミール・アライ山脈の景観、レーニン峰の雄姿は、当ツアーでしか味わう事のできない景観です。


 是非今年の夏は、キルギス共和国へ訪れてみませんか。

 次回は「パミール・アライ山脈に住むキルギス族の方々の生活について」をご紹介したいと思います。

・・・続く。

■夏のキルギスへ訪れるツアーのご紹介
「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」

■春のキルギスもお勧め!!
春のキルギスへ ワイルドチューリップを求めて
※野生のチューリップを求めてキルギスへ訪れてみませんか。

at 20:42│カザフスタン 

2016年01月18日

カザフスタンの新名所 アルティン・エメル国立公園

昨年末に発表しました「シルクロードの旅」特集パンフレットで新企画として発表しました、「近未来都市アスタナとアルティン・エメル国立公園」のツアーをご紹介します。

■DSC_8688 シンギングドゥーン
シンギング・ドゥーン
今日はこのツアーの中で、大きな見どころとなるアルティン・エメル国立公園をご紹介します。みどころのひとつは歌う砂丘という意味をもつシンギング・ドゥーン。イリ川の右岸から約2kmの渓谷に位置し、大カルカンと小カルカンと呼ばれる山々に挟まれています。高さ150m、長さ3kmにも及ぶ大きな砂丘。カザフスタン国内でこのような大きな砂丘が見られる場所は非常に少なく、特にこのシンギング・ドゥーンは、乾燥した強い風によって、ジェット機の様な低い音を出すことがあります。世界的にもこのような現象が起こる砂丘は4つしか知られておらず、この砂丘がシンギング・ドゥーンと呼ばれる所以となりました。他の砂丘とは違い、このシンギンドゥーンはその位置や形状を変えず、2つの山の間にずっと位置しています。砂丘に登ると奥にイリ川を望む事ができます。

■DSC_8703
麓に4WDを止めて、砂丘登りにチャレンジ。150mあるので結構しんどいですが、上まで登るとイリ川の展望も広がります。

DSC_8663
夕方になると、ちょうど太陽の光の当たり方も良くなり、風紋もとても綺麗に見えます。周囲にはこの砂丘しかないのも不思議な場所です。

カトゥタウとは“過酷な山”という意味で、火山岩の浸食によってできた山です。火山岩は非常にもろく、外部からの衝撃で容易に壊れてしまいます。長い歳月の間、水や風などによって浸食され、岩は現在みられるような奇妙な形状になったと考えられています。また、古代のテチス海の名残の堆積岩がいくつかの場所に見ることができます。カトゥタウの中央部には狭い渓谷があり、非常に急な斜面を形成しています。

DSC_8806
火山岩が長い歳月の間に浸食され、現在の様な形状となったと言われています。

DSC_8834
自然の芸術品の様な岩。

アルティン・エメル国立公園最大の見所がアクタウ・マウンテン。
最初のストップは様々な色の地層が見ることができる場所です。車を降り、ハイキングをスタート。地質学者も良くこの地を訪れるらしく、ここアクタウは地質学者にとっては宝の宝庫だと言われています。下記は最初のポイントでハイキングしながら眺められる景色です。
DSC_8922アクタウ4


DSC_8998アクタウ13


DSC_9002アクタウ14


2つ目のポイントではアクタウマウンテン台地の上へと登って行きます。下から見ているととても高く、しんどそうに見えますが、足場が滑りにくく、20~30分程で山上まで上がることができます。登っている道中も景色が素晴らしく、上に上がるにつれて少しずつ風景も変わっていきます。
アクタウ17JPG


アクタウ19JPG
一番上まで登った所からの眺め。ここからは360度岩山と砂漠の風景が広がります。

DSC_9140アクタウ20
来た道とは異なる道を歩いて徐々に下山していく。景色はずっと格別です。

DSC_9176
最後のビューポイント。三色の地層が並ぶ不思議な場所。ここから麓まで山を下りていく。

また、10月は道中に胡葉をはじめとして木々が秋色に色づきとても美しい景色が広がる美しい季節です。
DSC_8863
胡葉の黄葉

当ツアーは4月、5月、10月のベストシーズンにのみ設定しております。是非、新たなカザフスタンのツアーをご検討下さい。
※5/17発、10/4発コースは、「マンギスタウ トズバイル塩湖とウスチュルト台地」から続けて本ツアーへの連続参加が可能です(アルマトイ合流)。ご希望の方、詳細な日程・料金はお問い合わせください。


西遊旅行で行く カザフスタンの新ツアー 詳細はこちら
近未来都市アスタナとアルティン・エメル国立公園




at 18:00│シルクロード | ツアー紹介

2015年12月25日

2016年シルクロードパンフレット発表!

 皆様、お待たせいたしました。今年も「シルクロードの旅」のパンフレットが完成しました。中国の新疆からコーカサスまで、新コースを含んだ多彩なラインアップです。
 今年の新コースを、少し紹介いたします。

               「春のキルギスへ ワイルドチューリップを求めて」

4月下旬から5月上旬だけに咲くキルギスの野生のチューリップ。専属のフラワーガイドが同行し、春のキルギスの花々について詳しくご案内いたします。この季節だけ限定の特別企画です。

               
5


11

               【4月下旬から5月上旬だけに咲くチューリップ】


               「近未来都市アスタナとアルティン・エメル国立公園」

近年カザフスタンのツアーが増えましたが、なかなかツアーでは訪れない首都アスタナを訪問。そして、アルマトイ北東イリ川沿いに砂漠と岩山の絶景が広がるアルティン・エメル国立公園を訪ねます。人気の「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル塩湖とウスチュルト大地」のツアーに連続参加が可能です。

10

                         【近未来都市アスタナ】

4

                  【絶景が広がるアルティン・エメル国立公園】

            「ペルシャから東トルコ縦断 知られざるアジャリア自治共和国へ」

テヘランからスタートし、イラン北西部を通って東トルコへ。ここからジョージアに入り、アジャリア自治共和国に抜けます。黒海沿岸のアジャリア自治共和国は、ギリシャ神話の「アルゴナウタイ物語」に登場するアルゴ―号と王女メディアの舞台であったコルキス王国のあった地です。

c2 otomo

                 【イラン北西部に残るゴンバデ・スルタニエ】

c4 123rf

                   【アジャリア自治共和国の首都・バトゥミ】

                「山岳シルクロード 世界の屋根パミールへの道」

パキスタンのイスラマバードからスタートし、途中7つの峠を越えて中国、キルギス、タジキスタンを訪れるコースです。「新シルクロード構想」によって近年外国人にも開放された国境を越え、ヒマラヤ、カラコルム、ヒンドゥークシュ、天山山脈の圧巻の山岳風景を楽しみながら、かつてのシルクロードを往く新コースです。

1

                    【サリタシュから望むレーニン峰】

3

                     【ムスターグ・アタとカラクリ湖】

 このブログでも、随時新コースの紹介ページを作成して参ります。
 
 すでに、ゴールデンウィークのマンギスタウのツアーは催行決定、その他のコースも沢山のお申込みをいただいています。お早目に「シルクロードの旅」のパンフレットを開いていただき、皆様のお申込みをお待ち申し上げます

at 19:46│シルクロード | ウズベキスタン

2015年12月16日

青の都・サマルカンド

 シルクロード最古の都市と呼ばれるサマルカンド。その名前だけでもシルクロードの郷愁がただよう古都です。今日は、サマルカンドの歴史と魅力をご紹介します。

 多くのシルクロードのオアシス都市は、水を得やすい河の近くに発展していきましたが、サマルカンドはアム・ダリヤの支流、ザラフシャン川のほとりで発展しました。紀元前10世紀から人々が住み始めた歴史があります。
 アレキサンダー大王も東方遠征の際にサマルカンドを攻略しました。当時の名前はマラカンダと呼ばれ、大王はソグド人の長期に渡る徹底抗戦に会いました。
紀元7世紀から8世紀にかけては、ソグディアナに生きたソグド人の都市として繁栄を極めます。サマルカンドで音楽や踊りを教え込まれた奴隷達が、シルクロードを伝って唐へ向かい、唐では西域の文化が大流行しました。

174_yamada_yamada

           【アフラシアブの丘にあったソグド人の邸宅内にあったフレスコ画】

 1220年には、東からの侵略者、モンゴルの襲来を受けます。水利システムも含め、サマルカンドの街は徹底的に破壊されました。2,000年以上栄えたサマルカンドの歴史は、この時に一度終わったと言っても過言ではないでしょう。
 サマルカンドに残るアフラシアブの丘。ここはモンゴル襲来までサマルカンドの街があった場所です。発掘により、この丘は11もの時代の層に分かれていることが判明しています。

177_yamada_yamada

                 【かつてのサマルカンドの街が眠るアフラシアブの丘】

 一度死の街を化したサマルカンドに、現在まで残る壮麗な建築物を建て、再びシルクロードの一大都市に変えたのが、中央アジアの覇者・ティムールです。彼はサマルカンドを自分の帝国の首都と定め、帝国各地からの建築家や職人をサマルカンドに送り、各地の技術を駆使した建築物を建造しました。現在サマルカンドで目にする建物のほとんどが、ティムールの時代の後のものになります。

161_yamada_yamada

                    【サマルカンドにある玉座に座るティムール像】

 彼は死後、自分の生まれ故郷のシャフリサブスに埋葬するように命令を出していましたが、没地オトラルからシャフリサブスへ遺体を運ぶ際に大雪に遭い、シャフリサブスまで到達できずに、首都のサマルカンドに葬られることになりました。墓地はグル・エミル廟と名付けられ、中央アジアの覇者にふさわしい荘厳な建物が現在もサマルカンドに残っています。

KOJI2002_yamada

                      【ティムールの眠るグル・エミル廟】


 ティムールの死後、彼の建築を引き継いだのが孫のウルグ・ベクです。支配者の顔の他、天文学者でもあった彼は、天体観測のためにサマルカンドの高台に天文台を建設しました。
 またレギスタン広場にメドレッセ(神学校)を建設し、17世紀に建設された2つのメドレッセと合わせてサマルカンドの3つのメドレッセとともに、サマルカンドを代表する建築群となっています。

KOJI2013_yamada

                   【3つのメドレッセが並ぶレギスタン広場】

KOJI2014_yamada

                【ライオンの装飾が施されたシルダール・メドレッセ】


 また、サマルカンドの聖地がシャーヒ・ジンダ廟です。この地で殉教した、預言者ムハンマドの従兄のクサム・イブン・アッバースの廟には、現在も沢山の巡礼者が訪れています。また古来から聖地であったため、ティムールは自分の親族や側近をこの地に葬り、壮麗な廟を建設しました。

153_yamada_yamadaKOJI2034_yamada
















      

   【シャーヒ・ジンダ廟のタイル装飾】               【廟が連なるシャーヒ・ジンダ廟】


156_yamada_yamada

           【シャーヒ・ジンダ廟最奥にあるクサム・イブン・アッバースの廟】

 ソビエト時代に荒れ果てたままだったサマルカンドの建築群は、当時の技法を引き継いだ現在の職人の手によって、完全に修復されました。
そして、現在も中央アジアを代表する街として、世界各国の人々をひきつけてやみません。


                     ↓↓↓【まもなく催行する関連ツアーはこちら】↓↓↓

早春のウズベキスタン

at 11:40│ツアー紹介 | イラン

2015年11月11日

ヘカトンピュロス見聞記

 先日、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアーの添乗に行って参りました。長年の憧れでしたパルティアの都・ヘカトンピュロスの遺跡に立ち、日本ではほとんど知られていないヘカトンピュロスをこの目で見てきました。今回は、謎に満ちたヘカトンピュロスの様子をご紹介いたします。


  紀元前247年、アレキサンダー大王の家臣セレウコスが KOJI3066_yamada
興したセレウコス朝を破り、トルクメニスタンからイラン、メソ
ポタミアまで支配したパルティアは、3つの都を建てました。
最初の都は、トルクメニスタンの首都アシガバート近郊に残
るニサ。ミトラダテス王の名から、ミトラダトケルタとも呼ばれ
ていました。

     


        【パルティア兵士の像:テヘラン考古学博物館蔵】


  その次の都がギリシャ語で「百の柱」という意のヘカトンピュロスです。ダームガーンから国道A83号線を西へ走ったクーシェの村にヘカトンピュロスはあります。このA83号線は、かつて中央アジアからレイ、タブリーズを経てアナトリアへ向かうシルクロードの幹線でした。今でも、沢山のキャラバンサライの跡が残っています。

KOJI4167KOJI4165

      




         

        【ヘカトンピュロスの遺跡近くに残るサファビー朝時代のキャラバンサライと内部】


  そして、ヘカトンピュロスからこのシルクロードを南に下るとイスファハンに繋がります。
ヘカトンピュロスは貴重な考古遺跡のため、ダームガーンの町から警察が同行しました。遺跡に降り立つと、イスラム以降の時代の土器のかけらが沢山落ちていました。92年前と89年前の発掘からほとんど調査されておりませんが、56平方キロの広大な面積の遺跡内には、いくつかの丘のような建物跡が残っていました。ヘカトンピュロスは、正確にはパルティアが建てた都ではなく、紀元前5,000年紀から人が住んでいた場所です。かつての発掘では、この頃の土器も出土したそうです。そしてパルティアが去った後も街として機能していたため、前述のイスラム時代の土器も残っているのです。

KOJI4113

                 【遺跡一面に落ちていたイスラム時代の土器】


 我々が最初に訪れたのは、おそらく宮殿として使われたであろう一番大きな建物跡でした。調査は全く行われていないため、地図も看板も何もありません。広大な敷地内を歩き、いくつかの建物跡を見学。どの建物が何に使えわれたのかは謎のままでしたが、地下へ通じるトンネルがある建物や、部屋がはっきりとわかる建物もありました。

KOJI4099KOJI4100


      



  
    【宮殿跡と思われる巨大な建物】                  【宮殿の上から見た遺跡】

  パルティアは、セレウコス朝シリアが勢力を拡大し、東に進出した際にヘカトンピュロスの街を捨て、イラクに残るクテシフォンに都を移しました。遷都の際、ヘカトンピュロスにあった物はほとんどが地中に埋められたといわれています。ツアー中、どうしてパルティアは地中に埋めて街を捨てたのか?という談義になりました。全くの仮説ですが、パルティアはセレウコス朝シリアが去った後に、またヘカトンピュロスに戻って来るつもりでいたのではないかという話しも出ました。そのため、ヘカトンピュロスには主要な建物だけは残っているのではないかという話が出ました。

KOJI4121KOJI4128







 【メルブに残るキズカラと似た建造物】               【広大な敷地内を歩いて見学しました】


KOJI4141KOJI4138








【建造物が点々と連なって残っています】                【壁で仕切られた部屋の内部】


 クテシフォンに遷都した後、パルティアは最盛期を迎えます。そして当時の西の超大国はローマと、「パルティアン・ショット」の戦法を駆使して、8回にわたる泥沼の戦争を繰り広げました。しかし紀元224年、パルティアはクテシフォンで、長年の宿敵ローマではなく、ササン朝ペルシャに滅ぼされます。そして、かつての都、ヘカトンピュロスに戻ることはなかったのです。

KOJI4143KOJI4133







    【邸宅と思われる建物内の広間】                    【ヘカトンピュロスを歩く】

  かつてヒルカニアと呼ばれたこの地のシルクロードの要衝にあったヘカトンピュロス。西アジア史に歴史を刻んだパルティアの面影を、遺跡に吹く歴史の風の中に見た気がしました。


【4月、5月のツアーの紹介はこちら】
キャビール砂漠と 失われた都・ヘカトンピュロス


at 13:24│イラン 

2015年10月05日

おいしいイラン

今日はイランの食べ物についてご紹介いたします。
まず主食として食べられているのが「ベレンジ」というお米で、「チェロー」、「ポロー」とも呼ばれます。
日本のもちもちしたお米とは異なり、パサパサしているので油を入れて炊いたりバターをかけて食べることもあります。下写真のようにサフランをかけて、色味を出すことも多いです。

イランごはん2


もう一つの主食が「ナーン」。厚いものから薄いもの、ゴマが付いているものなど種類は様々です。

お米やナンと一緒に食べるのが、日本ではケバブと言われる「キャバーブ」というお肉料理。
羊肉でできた「クービーデ」や鶏肉の「ジュージェ」など、こちらも種類が豊富です。
イランではお肉料理が多いので、お口直しの為にライムやミント、生の玉ねぎなどがお皿に添えてあることもあります。

日本人の口に合うのがこちら、鶏肉のトマト煮込み。

イランごはん3


また、シチューのような「ホレシュト」というお料理もご飯とナンとの相性は抜群です。

イランごはん4-1

上)野菜と羊肉、お豆のホレシュト、「ゴルメサブズィー」

イランごはん5-1

上)トマト、羊肉、お豆のシチュー、「ゲイメ」。

また、お魚料理やスパゲッティもイラン人の大好物です。
お魚を生で食べることはありませんが、下の写真のようにこんがり焼いて、お米と一緒に食べます。

イランごはん6


下)イランのスパゲッティは「マーカーローニー」と呼ばれます。
多少薄味なので、ヨーグルトをかけて食べたり、サラダと混ぜたり、食べ方は人それぞれ。
イランごはん7


メインディッシュの他に、サラダやスープもよく食卓に並びます。
日本人に好まれるのが、ジョーという穀物が入ったスープ、「スーペ・ジョー」。
さっぱりといただく為にライムを絞って食べるのがおすすめです。

イランごはん10


果物も豊富です。桃やスイカ、メロン、ぶどう、いちご・・・日本で食べられる果物はもちろん。
イランは物価が安いので、一番高級な果物と言われるスイカもまるまる一つで400円ほど。
また、なんといってもザクロがおいしいのです。これからの時期は美しい赤色をしたザクロが
たくさん出てきます。

皆様も「おいしいイラン」を食べに出かけませんか。



at 18:30

2015年09月18日

氷河とオーロラの世界 冬のアイスランド

今日は冬のアイスランドの魅力をご紹介します。
アイスランドは国土全体がオーロラベルトに位置し、8月下旬の秋から3月頃までオーロラを鑑賞できるチャンスがあります。オーロラが最も現れやすい場所は、北半球では北緯65度から70度付近にあたり、この周辺は「オーロラベルト」と呼ばれています。ノルウェー北部、スウェーデン北部、フィンランド北部、アラスカ北部、そして、アイスランドはすっぽりオーロラベルトに覆われています。
Northern_Lights_Iceland
冬の夜空に舞うオーロラ

オーロラは空が暗いほど良く見えます。9月頃のオーロラは日没が遅いため、深夜23時以降にならないと見ることができません。しかし冬の間は日照時間が短く、逆に夜が長いためオーロラが観察できるチャンスは大きく増えるのです。しかし、オーロラはいつでるか誰にも分かりません。オーロラ予報もインターネットなどでチェックすることはできますが、これはあくまでも過去のデータをもとにしたもので、予報ではオーロラ出現率が非常に低いのに実際にはものすごいオーロラがでることもあります。
Aurora1
赤色のオーロラは非常に強いもので、なかなか見ることができません。

また、空が暗い事の条件に、月灯りが少ないことが挙げられます。そのため、西遊旅行の冬のツアーの中で、2月、3月の出発は新月に近い日付で設定しています。

Eyjafjordur
緑色のオーロラが最も見やすいものです。肉眼で見ると白っぽく見えても、カメラに撮影すると緑色に写る事が良くあります。

アイスランドでオーロラを見るポイントはまだあります。オーロラベルトは北緯65度~70度と緯度が非常に高く、同緯度に位置するカナダ、アラスカ、北欧では冬の間気温が氷点下25度位まで下がり、極寒の中でのオーロラ鑑賞となります。しかしアイスランドでは、暖流であるメキシコ湾流が暖かい空気をもたらすため、真冬でも最低気温が-10度位までしか下がりません。もちろん寒いことは寒いですが、カナダやアラスカと比べると暖かく、オーロラを見る条件としては良いといえます。

もうひとつのポイントはオーロラ以外の観光がたくさんできることです。他のオーロラ観測地では冬の間は雪に閉ざされ、昼間の観光と言えば犬ぞりや氷上釣りなどくらいしかない所がほとんどです。しかしアイスランドは暖流の影響で深く雪が積もることが少ないため、冬の間でも滝や氷河など様々な観光地を訪れることができます。夏とはまた違った凍った大瀑布、氷の世界が広がる大氷河、火山活動によって生み出された間欠泉など昼間はアイスランドの大自然を存分にお楽しみいただけます。

グトルフォスの滝
黄金の滝と呼ばれるグトルフォス。こんな壮大な滝が冬の間は凍ってしまうこともしばしば。

DSC_1808
スヴェンナフェルスヨークトル氷河

DSC_1829
ヨーロッパ最大の氷河ヴァトナヨークトルの舌氷河から流れ出る無数の氷塊が浮かぶヨークルサルロン氷河湖

IMG_0001
寒い時こそ人口の温泉ブルーラグーンでの温泉浴もたまりません。

また、海に囲まれたアイスランドならではの食事も楽しみのひとつ。
中でも手長エビや岩ガニなどのシーフードは絶品!新鮮な海の幸を是非お楽しみ下さい。

手長エビ2
手長エビ料理の一例、現地ではロブスターと言います。
DSC_2110
岩ガニ料理。この岩ガニはもともとアメリカから来た貨物船にくっついてやってきた外来種で、繁殖力が強いためたくさん食べてほしいそうです。

12月~3月まで、冬のアイスランドのツアーを設定しています。
オーロラツアーをご検討のお客様、是非アイスランドをお勧めします。
ツアーの詳細はこちら → 冬のアイスランド 2015~2016