at 19:07│シルクロード英雄列伝 | イラン

2015年07月03日

パルティア 失われた都・ヘカトンピュロス

 シルクロード英雄列伝に度々登場しましたパルティア。彼らが残した謎の都のお話しです。

 紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの領土を引き継いだセレウコス朝を倒し、現在のイランを中心にメソポタミアからインダス川までを領土としたアルサケス朝パルティアが興りました。
 最盛期にはローマ帝国とも対峙したパルティアは、その都を各地に3つ建てます。
 
 一番最初の都はトルクメニスタンのアシガバートに残るニサで、かつてのミトラダトケルタと言われています。
 西遊旅行のトルクメニスタンのツアーでは必ず訪れ、神殿跡や宝物殿を見学します。また、アシガバートの歴史博物館では、彼らが使った象牙のリュトンも見ることができます。

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                  【かつてのミトラダトケルタと言われるニサ】

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                        【ニサに残る神殿の柱】


 このニサには、興味深い逸話が残っています。1948年、ソビエトの調査隊がニサを調査し、彼らの宝物殿を発掘しました。その翌日、アシガバートをマグニチュード7.3の地震が襲い、甚大な被害を被りました。宝物殿を暴かれたパルティアの怨念ではないかという噂が立ちました。

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                        【宝物殿から出土したリュトン】


 話はそれますが、トルクメニスタンの初代大統領だったニヤゾフ大統領は、この震災で両親を亡くし
孤児院で育った孤児でした。独立後、豊富な天然ガスで豊かな国になった際、大統領は沢山の孤児院をトルクメニスタンに建てたのでした。
                    
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                  【アシガバートに立つ初代大統領ニヤゾフの像】

 パルティアが次に建てた都が、ギリシャ語で「百の柱」と呼ばれるヘカトンピュロスでした。
 
 カスピ海沿岸に建てられたと言われるこの都は、3つ目の都クテシフォンがユーフラテス(現在のイラク)に建てられるまで、パルティアの首都として機能しました。

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                 【広大な面積を誇ったヘカトンピュロス全景】


 クテシフォンに遷都した際、ヘカトンピュロスにあった建物は地中に埋められたため、永らくこの都の跡の場所は謎に包まれたままでした。
 近年の調査で、陶片に書かれた文書も発掘されていますが、荒れ果てたままの広大な遺跡だけが、失われた都のように残っています。

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                        【遺跡の残る建造物の跡】



 その後、メソポタミアのクテシフォンを首都として最盛期を迎えたパルティアでしたが、紀元224年に、ササン朝のシャープール1世によって滅ぼされ、歴史から姿を消したのでした。

 
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           【イランのナクシェ・ラジャブに残るシャープール1世の騎馬叙任式図】
 

 さて、今月中旬にお手元に届く138号パンフレットで、いよいよこのヘカトンピュロスを訪れるツアーを発表します。ツアー名は、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」。
パルティアの失われた都を訪れるこのツアーの詳細を、乞うご期待。

【関連ツアーはこちら】
ペルシャ歴史紀行
カラカルパクスタンとトルクメニスタン
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間

※「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアー詳細は、7月17日頃にホームページにアップされます。

at 08:00│イラン | 世界遺産

2015年06月17日

暗殺教団 アラムート城へ!

11世紀、イランの山岳地帯に暗殺を旨とする教団が存在したのをご存知でしょうか。
彼らが拠点としたアラムート城へ、この5月にいってきました。その時の様子を、写真を載せてご紹介します。

アラムート城までの基点となるガズウィーンの町はテヘランから160kmほど。そこからどんどん標高を上げて2,330mの峠を越えていきます。舗装道路が続いてはいますが、ヘアピンカーブの多い山道が続いて、羊を放牧している光景が見えました。峠から少し下った小さな町でタクシーを頼み、チェスで暇つぶししていたドライバー達を集めて4台に分乗して進むことにしました。

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【きれいな舗装道路が続いています】

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【100頭以上いるでしょうか。羊も放牧されています】

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【カーブの続く山道は遠くまで見渡せました】

ガズウィーンからおよそ2時間前後、くねくねのこの道を進んだ先にアラムートの砦が見えてきます。周辺のエルブルース山脈から独立した岩峰の頂上にその城は見えます。

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【写真のちょうど真ん中にある岩山の上に小さく見えるのがアラムート城です】

アラムートの城砦は天然の岩山の上にあり、まずは麓にある食堂で食事した後、歩き始めました。ちなみにここのチキンケバブは柔らかくてとても美味でした。

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頂上までは通常30分ほどで到達できるようです。その途中15分ほど歩いた場所に休憩箇所がありますので、そこで小休止。麓からここまではロバを片道3ドル程で手配する事ができるようです。この休憩箇所からは500段ほどの石段が続きます。砂利が多い坂で滑りやすくなっています。

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DSCF3158【写真左と次の写真:直立した岩山を回りこむように石段が続いています】











































【写真左:遠目ですがロバで登ってくる人もいるようです】





















城は現在修復用の足場やトタン屋根が掛けられていて近づくと見栄えが悪いのは残念でした。しかし眼下の景色は素晴らしく、エルブルース山脈の雪山も遠くに見えます。山脈からの小川がいくつも流れ、そこからの灌漑用水によって作物を多く育てている様子が見て取れます。かつて暗殺教団を創始したハサンが、穀倉地帯といえるこの地を選んだ理由に納得がいきます。遺跡としては世界遺産の暫定リストに入っているらしく、英語の看板もサイト毎に掲示されていました。アーチの残るモスク跡、小部屋、また特にこの山の頂上に掘られた井戸も3つほど残り、掘った当初は水が出なかったのですが運良く1年後に起こった地震で湧き出してきたといいます。カナダからの体の大きなインド人グループも大変そうにしながら登ってきていました。同じ道を下山、麓ガズウィーンまで戻りました。

DSCF3137 【このような井戸の跡が3つも残ります】
















DSCF3131【頂上に残る住居跡、周りの景色もすばらしいです】















DSCF3140【かつてのモスク跡】



















アラムート城と暗殺教団
ペルシャ全域に支配を広げていたスンニ派のセルジューク朝と同じスンニ派で、バグダッドに都を置くアッバース朝の圧政に不満を持ち、宗教家を目指していたハサン・サバーフはカイロに渡ります。当時シーア派でイスマイリー派(古代ギリシャの哲学者の著作から議論の方法を学び、異端とされていました)を国教としていたファーティマ朝で勉強しました。イスマイリー派の秘儀を伝授したハサンはペルシャに戻り、布教を始めます。啓蒙された信者を異端とみなしたスンニ派のカリフや宰相等は、教団信者に迫害を強めていきます。これに少数の僧兵や領民の蜂起で対抗するのですが、戦力にはやはり限界があり、いつも多勢に無勢なハサンはピンポイントで敵対勢力の要人を狙う、暗殺というテロを国家的なスケールで組織化して対抗しました。これが暗殺教団の始まりです。1090年にハサンはエルブルース山脈の支脈ハウデガーン山の麓の単独峰アラムート山に、上で写真に載せたような強固な山城を築き、地下には貯水池や穀物、ワイン、蜂蜜などの膨大な貯蔵庫、さらに寺院、図書館などを構築して、セルジューク朝の強敵を相手に数ヶ月に亘る篭城で耐え忍んで生き延びることが出来たほどの自治領国家を誕生させました。1256年モンゴル帝国の西方司令官フラグによって落城させられるまでの160年間に現在のイラン、シリア領内に実に300余りのこの教団の砦が存在したといいます。


アラムート城へ、ケバブを食べて登ってみませんか!?
西遊旅行新企画 ペルシャからアナトリア 悠久の歴史遺産を訪ねて

at 08:00

2015年06月09日

地獄の門とヤンギカラでのキャンプ泊

2013年にからツアーを設定し、おかげさまでご好評をいただいている「地獄の門と奇跡の大地」。
トルクメニスタンの2大絶景をメインとしたコースです。

トルクメニスタンの国土85%をも占めるカラクム砂漠のダルワザにある「地獄の門」。
そして、古代に存在したテチス海が干上がったあと風雨に浸食されて見事な奇観が生み出されたヤンギカラ。

この2つのみどころを満喫するために、宿泊はそれぞれ1泊ずつのキャンプ泊となります。
キャンプ泊は初めての方やどんな所でキャンプをするのか想像がつかない方などもいらっしゃると思います。今回はこのコースのキャンプ泊の様子を少しご紹介させていただきます。


まずはダルワザの地獄の門でのキャンプ泊。
四輪駆動車でカラクム砂漠へ入り、地獄の門に到着すると、皆様にはさっそくクレーター見学をお楽しみいだきます。
地獄の門


その間にドライバーやガイドはテント張りや夕食準備にとりかかってくれます。

テントはお1人様ひとつご用意しています。
基本的にはドーム型のテントで、1人が寝るのに十分なスペースがあり、リュックなどの荷物も十分置くことが可能です。

ダルワザ キャンプ


このテントの中で寝袋でお休みいただきます。
寝袋は三季用(春・夏・秋)がおすすめ。お持ちでない方には、西遊旅行の清潔な寝袋とシーツの有料貸出サービスも行っています。

そして、夕食の準備の様子。

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ドライバーやガイドさんたちが手際よく野菜を切ったり、肉を串にさしたり、お湯を沸かしたり。

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その辺りで集めてきた薪などを燃やして火を焚きます。
地面に穴を掘って空間を作り、野菜や肉の串を焼くという何とも原始的な方法での調理。

食事はシンプルですが美味しいです。
普段なかなか食べる機会がないであろうナスやトマトの丸焼きもとてもジューシーです。

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夜こそ迫力満天のクレーターをお楽しみいただくには、このキャンプ泊がかかせません。
地獄の門



続いてヤンギカラでのキャンプ泊です。
キャンプをはる場所は台地の上。四輪駆動車で景色を楽しみながら15分ほど登ります。

ヤンギカラ



到着してからの流れはダルワザの時と同じ。
皆様にはまずヤンギカラの絶景を堪能していただき、その間にスタッフがテントをはって、夕食の準備。

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早々と宴会が始まることも。

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ヤンギカラは風が非常に強いところです。
風が強すぎない適当な場所を選び、テントをはります。
テントの周りを囲むように四輪駆動車を停めて風よけにすることも。

テント泊のおかげで、夕日が沈むころのヤンギカラ、早朝明るくなるころのヤンギカラなど
色々な表情を見ることができます。
雲がなければもちろん満天の星空です。辺りには何の明かりもありません。

ヤンギカラ



また、トイレはどうするのか…と気になる方もいらっしゃるかもしれません。
もちろんダルワザもヤンギカラもトイレの設備はありませんので青空トイレとなります。
比較的平坦な地ですので、隠れる場所はそんなに多くないのですが、少し散歩がてら歩いていただき、
なだらかな丘を越えた辺りで用を足していただいたりします。
暗くなってしまえば誰にも見えませんので、テントから少し離れるだけでOKです!
開放的なトイレは意外に快適です!


シャワーを浴びることはできませんが、十分な量の水を車に積んでいますので、歯磨きは問題ありません。顔は少し水をもらって軽く洗うこともできます。

それぞれ1泊だけですので、不便はほとんど感じません。

大自然と一体となるような感覚すら覚えるキャンプ泊も、この旅の楽しみとなると思います。

9月、10月のコース、まだ間に合います。
トルクメニスタンの絶景と、キャンプ泊を楽しみに行ってみませんか。

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ご興味ある方は下記コース名をクリックしてツアー詳細をご覧ください。

地獄の門と奇跡の大地 9日間

地獄の門と奇跡の大地 10日間

at 08:00│カザフスタン | マンギスタウ ウスチュルト台地&トゥズバイル塩湖

2015年05月30日

奇跡の湖 トゥズバエル塩湖

昨年より多くのお客様に大好評をいただいております「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル
塩湖とウスチュルト台地」のツアー。
今回は、ハイライトの一つでもあるトゥズバエル塩湖についてご紹介させていただきます。

大陸の活発な地殻変動により、姿を消したテチス海。トゥズバイル塩湖は、そのテチス海の
名残です。⼲上がった海⽔の塩分が地中に残り、塩湖を形成しています。塩湖は⻑さ20km、
幅は7km。ここでは塩はまだ産業になっておらず、採掘はされていません。マンギスタウ州には
いくつもの塩湖が残っています。

トゥズバイル塩湖に水が張っているかは、その時の気象条件次第です。
突き抜けるような青空と、幸運の象徴ムフロンの角に、鏡張りの塩湖を願いながら、出発します。

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塩湖の入り口と中心で深さが異なるため、四輪駆動車を降りると、まずは塩の結晶の上を進みます。
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徐々に水かさが増していき、そこには白亜の大地を映しこんだ奇跡の絶景があります。

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水かさが深く、ボリビアのウユニ塩湖の様に鏡文字を楽しむということは出来ませんが、
青い空と白い大地に囲まれた景色に、時間を忘れて見とれてしまいます。

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昨年から大好評をいただいております当ツアー、僅かですが、残席のある出発日のものもあります。
猛暑の8月を避け、次は9月のベストシーズンに設定しています。

鏡張りの塩湖は必ず見れるものではありません。
奇跡の景色に、皆様も挑戦してみませんか?

■関連ツアー
・「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル塩湖とウスチュルト台地

at 08:00│シルクロード英雄列伝 | キルギス

2015年05月21日

騎馬民族・サカ

 今回は、シルクロード史を駆け抜けた騎馬民族、サカ族についてのお話しです。
 サカ族は、紀元前6世紀から中央アジアで活躍した騎馬民族で、ギリシャ人からはスキタイと呼ばれ、中国語では塞と呼ばれていました。

 紀元前6世紀に、アケメネス朝が中央アジアに進出した際、サカ族はアケメネス朝と接触し、サカイという名でアケメネス朝の属州の一つに組み込まれます。その後、アケメネス朝軍の先鋭部隊、特に騎馬兵として対ギリシャ戦争にも出征しました。

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                     【ペルセポリスのクセルクセス門】

 先日、イランに行った際、アケメネス朝の大本営・ペルセポリスを訪れました。ここに残る謁見の間(アパダナ)の壁に描かれた帝国内の属州の使者達のレリーフに、サカ族も描かれていました。尖り帽子を被り、帝国に献上する衣類等を持った使者達です。

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                       【馬を連れたサカ族の使者達】

 アキナケス剣を腰にまとい、馬に乗った際に剣が大きく揺れないように紐で結んでいた様子がわかります。

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【ペルシャ人とサカ族。右足に、剣を繋いだ紐が見えます】 【アキナケス剣 タシケント歴史博物館蔵】 
 

 アキナケス剣はサカ族が使った両刃の剣で、包丁のように片面ではなく、左右両面がエッジになっているのが特徴の剣です。

 また、ビストゥーンに残るダリウス2世の戦勝記念碑の一番最後列にも、尖り帽子を被ったサカ族が描かれています。

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              【ダリウスの戦勝記念碑。ここでも帽子が目立ちます】
 
 中国の文献では、彼らはもともと、キルギスのイシク・クル(湖)周辺に暮らし塞という名で呼ばれていました。しかし、大月氏という別の民族の侵入を受け、中央アジアからガンダーラ地方に移住したと言われています。

 
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                          【天山の真珠・イシククル】

 現在のキルギスのガイドさんから聞いた話では、キルギスの人達は自分の祖先について大きく二つのグループに分かれると考えているそうです。一つは、シベリアを流れるエニセイ川の河畔で生まれ、南下して中央アジアに移ったグループです。南に下ったのがキルギス族で、東の日本に向かったグループもあるそうで、日本人とキルギス人は兄弟なのだそうです。確かに日本人と間違う程、キルギスの人達は我々と良く似た顔立ちをしています。話をしてくれた下の写真のガイドさんは、日本語を話しますが、純粋なキルギス人です。

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 もう一つのグループは、サカ族をルーツとする人達です。その説を強く思わされるのが、キルギスの人々が被る伝統帽子・カルパックです。白いフェルトで作られ、尖った形をしています。サカ族もキュルバシアと呼ばれた尖り帽子を被っていました。サカ族の名残が、帽子に残っているとのことでした。

【キルギス人のルーツを話してくれたガイドさん】



 









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   【キュルバシアを被ったサカ族】               【カルパックを被ったキルギス人】


 また、キルギス族の伝統紋様の中にも、サカ族の名残があります。写真は、キルギスの人々が使うフェルト製の敷物ですが、下にある敷物は四方の角に頭を向けた4人の人間の姿を現した紋様です。そして、やはり尖った帽子を被った姿です。

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                 【手を腰にあてたような格好の4人の人間の紋様】

 パミール高原には、サカ族の古代の墓が多く残っています。写真は、パミール高原のタジキスタンとキルギス国境近くにある湖カラコルに残るサカ族の墓です。写真では分かりづらいのですが、石を並べたその形が、日本の前方後円墳と全く同じ形をしているのが興味深いです。日本の古墳は、ユーラシア大陸の巨大墳墓文化の影響を受けているとも言われています。

 
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                 【前方後円墳のような形が二つ並んでいます】

 中央アジアにもイランにも日本にもその名残を残すサカ族。その名残を探ると、ますます興味が湧いてくる民族です。


関連ツアー
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天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー
パミール・ハイウェイとワハーン渓谷
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ペルシャ歴史紀行


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2015年05月16日

光と氷の世界グリーンランドへ ①イヌイットの生活技術

アイスランドのレイキャビクから東グリーンランドの沿岸に近づくと、窓の外には流氷を浮かべた海が現れます。

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【写真上:エアグリーンランドの窓から流氷の海が見える】

アンマサリック地方の玄関口であるクルスクの空港に到着し、機外に出ると高緯度のせいか晴天なのに太陽の光も弱いようにも感じられます。せいぜい教室2つ分ほどの大きさしかない空港ターミナルへ。ここでグリーンランドの入国スタンプを記念に押してくれました。

空港出口ではグリーンランドの手配会社のガイドがやってきました。アンマサリック地方ではあまり車での移動は一般的でなく、砂利道の坂道を20分ほど下っていくとクルスクの港に着きます。周りに家などはほとんどなく、雪山と流氷の海ばかりが広がります。ついに極地に近づいたという感じがしてきました。

港ではすでにボートがきていて、乗り込む前に防寒着にここで着替えてもらいました。しかしまだ干潮の時間帯で、荷物と人が乗るには30分は必要というのでこの辺りで待ちました。その間海岸に転がるムール貝を見つけては、開いて生のまま食べて見たりしました。新鮮でクリーミーで、とても美味しかったです。結局1時間ほど待った後乗ることができました。流氷が海面にひしめくぐらい多いときだと、移動にもかなり時間がかかったり、出航できないこともあるのですが、幸いこの時流氷の量は少なく、ボートもすぐ高速で進み始めました。ボートに乗る前、防寒着を着込んでいると暑いぐらいでしたが、風を切って進んで行くととても寒いです。

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【写真左:海岸に転がるムール貝をそのまま試食。美味です。】

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【写真上2枚:流氷の間を縫うようにしてボートで進む】

45分ほどでタシーラックの港へ。上陸後荷物のケアはガイドさんに任せて歩いてホテルへ。坂道を20分ほど景色を見ながら登って行きます。海からすぐせり上がる地形に、斜面にカラフルな家々が並び、遠くには雪をいただく山並みも見えます。この港にも巨大な氷塊が漂い、ホテルから見下ろしたこの景観はおもちゃ箱の中を覗いているような、そんなときめくような気分にもなってしまいます。

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【写真左:アンマサリックホテルから見下ろすタシーラックのカラフルな町と、氷塊浮かぶ港】

タシーラックの町を歩いて、小さな博物館へ。古くから沿岸のこの地で暮らすイヌイットの人々はアザラシ猟を生業としていて、彼らの使う狩猟や生活道具が展示されています。ひとり乗り用のカヤック、捕鯨用で大きめのウミヤックを使っての伝統的なアザラシ漁の仕方を案内してくれました。銛の先にアザラシ皮に空気を入れて膨らませた浮き袋をつなぎます。刺した後アザラシは海にもぐろうとしますが、浮き袋のせいで逃げることはできないという仕掛けです。また木は育たない地形ですので仮面や、部屋の中に飾る魔除けの人形も流木でります。当時のイヌイットの写真、伝統衣装(赤ちゃんをおぶったまますっぽり着るコート)なども展示されていました。

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【写真左:カヤックとアザラシ皮の浮き袋】

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【写真上2枚:赤ん坊を背負ったまま着る事ができる服(当時の写真と現物)】

博物館の外には、復元されたイヌイットの住居がありこちらの内部も見ることができました。グリーンランドでは7ヶ月続く長い冬の間は、4家族25人にもなる大所帯で共同生活します。マイナス40度にもなるため外には出られず、また生活水も不足するため、人目もはばからず住居の中で排泄した小便は、洗い物に使用するようです。奥さんを他の男性と共有するという文化もあります。しかしここ100年ほどの間でながく続いてきた犬ぞりやカヤックの作り方、アザラシ漁の仕方など覚えている人間は少なく、若い人は忘れてしまったとのことです。もともとなかったアルコールの文化が入ってきたせいで人々は働かなくなってしまったことも大きな問題です。寒冷地のためアルコール発酵ができず、お酒の文化のなかったグリーンランドですが、西洋文化が入ってきてから飲酒の習慣も生まれました。デンマーク政府は、イヌイットへのアルコール類の販売量を厳しく制限していますが、月に1度アルコール類を購入できる日は、人びとがほとんど例外なく泥酔するといいます。

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【写真上2枚:猟で獲ったアザラシを持ち帰る人】

村の若いイヌイットの女の子からイヌイット語をいくつか教わりました。
  こんにちは グッダァ
  ありがとう コヤナ
  ご機嫌いかがですか カリピー
  元気です アイギダガ
  さようなら デギウー
※カナダに住むイヌイットを区別してカラーリット語といい、このグリーンランド東部で話されている言語と西部で話されている言葉は少し違うようです。



7月限定企画、西遊旅行で行くグリーンランド12日間のツアーはこちらからご参照ください。
グリーンランド 光と氷とイヌイットの大地



次回はいよいよフィヨルドの海を渡り、キャンプやハイキングの様子をご紹介します。

at 09:30│キルギス天山山脈 | シルクロード

2015年05月07日

天山の真珠 イシククル(キルギス)

今日はキルギスを代表する湖・イシククル湖をご紹介します。
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紺碧の湖と背後には雪をいただくテルスケイ山脈

イシククル湖は東西の長さが172km、南北の幅が60kmで、総面積は6,200km²。日本最大の湖である琵琶湖の9倍の大きさを持つ湖です。水深は最も深い所で約700mに達します。南側のテルスケイ山脈と北側のクンゲイ山脈が地殻の動きによって、どんどん近づいており、その影響でイシククル湖の水深は少しずつ今でも深くなっているのです。イシククルの名前はキルギス語のイシク(熱い)・クル(湖)から由来し、塩分濃度が約6%あることからマイナス20℃を超える冬でも湖は凍ることがないのです。透明度の高さはロシアのバイカル湖についで2番目。湖岸からではわからないことも多いですが、クルーズにでると透明度の高さが良く分かります。

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クルーズのスタートとなる港。人数に応じて船の大きさも異なります。船によってはクルーズしながら船上でのディナーもアレンジが可能です。

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クルーズをスタートして間もなくの風景、湖の水深によって色がグラデーションの様になっているのがとても綺麗でした。

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船上からみるイシククル湖とテルスケイ山脈。3,500mから4,500m級の山々が中心です。

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湖の北側に広がるのはクンゲイ山脈。山に残る雪は6月頃には全て溶けてしまいます。

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透明度の高さが良く分かります。水深がそれほど深くない所では湖底の砂の模様までが良く分かりました。

イシククル湖北岸の中心地チョルパン・アタ近郊には、太古の時代に描かれた刻画(ペトログリフ)が残る場所があり、野外岩絵博物館と呼ばれています。今から100万年前、山の中にある湖が地震などで崩壊し、水と共に大量の石が流された。その石が集まっている場所がこの刻画のある場所とされており、描かれている刻画はBC8世紀~AD4世紀頃にサカ族によって描かれたものと考えられています。

この場所で最も有名な刻画がこちら。
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主なモチーフはマウンテンゴート、ユキヒョウ、狩人が描かれ、中央アジア最大の刻画とされています。古い時代のものは人間は小さく、動物が大きく描かれたそうですが、これは動物にたいする尊敬の表れとされています。後々の壁画では次第に人間が大きく描かれるようになっていったそうです。

こちらは少し分かりにくいですが、トナカイだそうです。
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マウンテンゴートの刻画
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こちらは羊飼いと羊の刻画、時代が新しくなり、人間が大きく描かれています。
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この野外岩絵博物館は少し高台にあるため、天気の良い日にはイシククル湖の展望もとても素晴らしいです。
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夏場はロシアや地元のリゾート客で大変な賑わいをみせるイシククル湖。キルギスを訪れた際には是非とも見ておきたい場所のひとつと言えます。

■イシククル湖を訪れるツアーはこちら↓
キルギス・カザフスタン 天山自然紀行 
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー 
天山山脈フラワーハイキングと大氷河ベースキャンプ滞在