at 20:13│タキスタン パミール高原とワハーン渓谷 | タジキスタン

2015年08月06日

パミール高原に咲く高山植物(タジキスタン)

7月は「パミール・ハイウェイとワハーン渓谷」のツアーに同行させていただきました。
玄奘三蔵やマルコポーロも通ったというワハーン回廊。アフガニスタンとの国境のパンジ川沿いを走り、
ヒンドゥークシュ山脈を眺めながらドライブを楽しみました。
ユルタ訪問では、夏の間放牧生活をしながら暮らす遊牧民との触れ合いも。

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今回は、キルギスのタルディック峠を越えたユルタにお邪魔させてもらいました。

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オシュの公立大学に通う娘さん。夏休みの間に帰ってきているそうです。

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突然の訪問でしたが、たくさんのナンやクルト(チーズのお菓子)でおもてなしをしてくれました。

また、この時期は高山植物の花咲く季節。ツアー中に見つけた、美しい花々をご紹介させていただきます。

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■ランガールからマルガブへ向かう道中で見たキンポウゲの群生。
 対岸には、アフガニスタンが見えます。

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■不思議なお花

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■ラベンダーか、シソ科の一種でしょうか。キルギスのチュルチック峠で
 フラワーウォッチングをお楽しみいただきました。

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■サクラソウ。

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■ウメバチソウ。

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■赤いケシ。タジキスタンの国花です。

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■ムラサキ科 ムラサキシベシベ

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■アザミの仲間

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■高山湖(ブルン・クル)湖畔

可愛らしい高山植物の観察も楽しめるコースです。
秋の紅葉か、来年のお花の時期に、是非お出かけしてみませんか?

■関連ツアー
・9/9発 「パミール・ハイウェイとワハーン渓谷
 9月はポプラ・田端が黄金に色づく季節です。

at 09:19

2015年07月30日

聖なるブハラとその見所(ウズベキスタン)

こんにちは。
大阪支社の植田です。

今回はイスラム世界では、聖なるブハラとも呼ばれ、シルクロードの大切な十字路として繁栄を誇った町、ブハラの見所を少し紹介したいと思います。ブハラは1993年に世界遺産へも登録されたウズベキスタンの古代オアシス都市の一つでもあります。
青の都の異名を持つサマルカンドと比較すると、ブハラの町は青の屋根も少なく土の色が目立つといった印象です。

見所一つ目は「チャール・ミナル」。
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チャル・ミナールとは、タジク語で「4本のミナレット」という意味。
1807年、トルクメニスタンの商人カリフ・ニヤズクルによって建てられた珍しいメドレセです。かつては神学校もモスクもありましたが、今はこの入口のみが残っています。
彼が4人の娘のことを思い立てた4本のミナレットには、それぞれ異なる模様が施されています。それぞれの模様は4人の娘の性格を表しているのだとか。
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旧市街の外れにある小さな建物ですが、4つの青い帽子を被った何とも愛らしい外観です。

見所二つ目は「イスマイル・サマーニ廟」。
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892年から943年にかけて建てられた中央アジア最古のイスラム建築であります。ブハラを占領して都としたサマン朝のイスマイル・サマーニが父親の為に建てた霊廟でしたが、後に彼や彼の息子も葬られ、サマン朝の王族の霊廟となりました。キジルクム砂漠の砂にラクダのミルク、卵黄や使用して作られた日干しレンガを積み上げた構造です。
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モンゴル軍が来襲した際には、その殆どが土の中に埋れていた為、破壊されることもありませんでした。

反時計回りにここを3週すると願いが叶う!…とも言われています。
ぜひ訪れた際には、願いを込めながら、3週してみて下さい!

見所三つ目は「カリヤン・ミナレット
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「カリヤン」とは、「大きい」という意味で、その名の通り、中央アジアで最も大きいミナレットであり、現在はブハラの町のシンボルとなっています。
この46メートル(地下10m)のミナレットもイスマイル・サマニ廟と同じく、焼きレンガの装飾が特徴的です。
ミナレットとは通常はアザーンをとなえる場ですが、灯台・見張り台の役目も果たし、ここは死刑台(上から死刑囚を袋に入れて突き落とす)としても使われたようです。

見所ではないですが、最後に「コウノトリのはさみ」。
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こちらは建築物ではございませんが、ブハラの有名な工芸品の一つです。幸福と豊穣をもたらすと信じられているコウノトリはウズベキスタンで大切にされている鳥です。そしてブハラのシンボルでもあります。
路上で売られているものもたくさんありますが、ぜひ工房を訪れてみて下さい。その場で英語で名前を入れてくれる工房もございます。

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今回ご紹介させていただいたのは、ブハラの見所のごく一部です。
シルクロードの中継地点、オアシス都市として栄華を誇ったブハラ、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

ウズベキスタン、ブハラを訪れるコースはこちら↓
文明の十字路 ウズベキスタン
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEUZ11/index.html

at 09:30│シルクロード 

2015年07月10日

シルクロードの食(キルギス)

今日はシルクロードの食というテーマで、記事を書きました。先日訪れた中央アジアの国キルギス。古くからシルクロードの中継点として栄えたため、食文化も様々です。ソビエト連邦の一部であった時代が長かったためロシア料理もたくさんありますが、やはり中国・新疆ウイグル自治区と似た食文化が残っています。そして何よりシルクロードを通じて日本とのつながりを感じることができるのです。

まず、中央アジアの食事と言えばたくさんの前菜です。最初からテーブルにはたくさんのお皿が並びます。サラダやナン(日本でいうパン)、さらにはクッキーやデザートの果物が最初から出てくるのも特徴です。
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サラダやお菓子や果物が並ぶ前菜

そしてキルギスをはじめ中央アジアで食卓にかかせないのがナン。ナンといってもインド料理のナンとは少し異なり、日本でいうパンです。バザールに行くと毎日新鮮なナンが手に入ります。
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そしてこちらはラグマン。日本でいう「うどん」ですね。日本にも多種多様なうどんがあるように、現地にもいろいろな種類のラグマンがあります。一般的なイメージとしては暖かいスープに、具としてお肉や野菜が沢山のったものかもしれませんが、スパゲッティの様にゆがいた麺の上から、ソースをかけて食べるものもあります。

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一般的なスープと一緒に食べるラグマン
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スパゲッティの様なラグマン

こちらはマントウ。日本でいう「肉まん」です。ひき肉、玉ねぎなどを小麦粉でできた生地の中に詰め、蒸し上げます。
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続いてはコルダックという料理。羊肉を炒め、玉ねぎやジャガイモなどの野菜を添えた料理で、こちらは伝統的なキルギス遊牧民の料理です。キルギスではやはり羊肉が一般的です。
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ベシュバルマクは、キルギスの伝統料理の中で最も重要な料理で、結婚式など親戚が集まる席の時に必ず出されます。ベシュバルマクは羊や牛・馬の煮物と手作りの麺から作られます。ベシュバルマクはキルギス語で“5本の指”と言う意味です。昔のキルギス人はこの料理をスプーンを使わずで、手で食べていました。今でも、ベシュバルマクをスプーンより、5本の指で食べたほうが美味しいと言う人もいます。

お米を使った料理もあります。こちらは「プロフ」と呼ばれる料理で、「ピラフ」の事。日本でいう焼き飯です。少し油が多いので食べ過ぎには注意が必要です。
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キルギス料理には、パンの種類がいくつかありますが、中でも一番人気が高いものがボルソック。小麦粉で作った小さな揚げパンで、ついつい手がとまらなくなってしまいます。
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シシャリクという肉の串焼き。シシカバブと同じです。日本人は独特のにおいからラムが苦手な方が多いですが、新鮮な羊が沢山手に入るキルギスでは、それほど臭みもなく、ラムのシシカバブは最高です。また、イスラムの国ですが戒律がそれほど厳しくないためポークのシシカバブがでることもあります。
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夏のシーズン真っ盛りのキルギス。キルギスだけでなく、中央アジアではどこも良く似た食文化を持っています。まだ10月までシーズンが続く中央アジアへ。是非、お出かけ下さい。

■西遊旅行で行くキルギスの旅
キルギスとカザフスタン天山自然紀行
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー
キルギス天山山脈ヘリフライトとゆったりフラワーハイキング


写真・文 西遊旅行 米谷健吾














at 19:07│シルクロード英雄列伝 | イラン

2015年07月03日

パルティア 失われた都・ヘカトンピュロス

 シルクロード英雄列伝に度々登場しましたパルティア。彼らが残した謎の都のお話しです。

 紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの領土を引き継いだセレウコス朝を倒し、現在のイランを中心にメソポタミアからインダス川までを領土としたアルサケス朝パルティアが興りました。
 最盛期にはローマ帝国とも対峙したパルティアは、その都を各地に3つ建てます。
 
 一番最初の都はトルクメニスタンのアシガバートに残るニサで、かつてのミトラダトケルタと言われています。
 西遊旅行のトルクメニスタンのツアーでは必ず訪れ、神殿跡や宝物殿を見学します。また、アシガバートの歴史博物館では、彼らが使った象牙のリュトンも見ることができます。

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                  【かつてのミトラダトケルタと言われるニサ】

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                        【ニサに残る神殿の柱】


 このニサには、興味深い逸話が残っています。1948年、ソビエトの調査隊がニサを調査し、彼らの宝物殿を発掘しました。その翌日、アシガバートをマグニチュード7.3の地震が襲い、甚大な被害を被りました。宝物殿を暴かれたパルティアの怨念ではないかという噂が立ちました。

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                        【宝物殿から出土したリュトン】


 話はそれますが、トルクメニスタンの初代大統領だったニヤゾフ大統領は、この震災で両親を亡くし
孤児院で育った孤児でした。独立後、豊富な天然ガスで豊かな国になった際、大統領は沢山の孤児院をトルクメニスタンに建てたのでした。
                    
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                  【アシガバートに立つ初代大統領ニヤゾフの像】

 パルティアが次に建てた都が、ギリシャ語で「百の柱」と呼ばれるヘカトンピュロスでした。
 
 カスピ海沿岸に建てられたと言われるこの都は、3つ目の都クテシフォンがユーフラテス(現在のイラク)に建てられるまで、パルティアの首都として機能しました。

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                 【広大な面積を誇ったヘカトンピュロス全景】


 クテシフォンに遷都した際、ヘカトンピュロスにあった建物は地中に埋められたため、永らくこの都の跡の場所は謎に包まれたままでした。
 近年の調査で、陶片に書かれた文書も発掘されていますが、荒れ果てたままの広大な遺跡だけが、失われた都のように残っています。

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                        【遺跡の残る建造物の跡】



 その後、メソポタミアのクテシフォンを首都として最盛期を迎えたパルティアでしたが、紀元224年に、ササン朝のシャープール1世によって滅ぼされ、歴史から姿を消したのでした。

 
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           【イランのナクシェ・ラジャブに残るシャープール1世の騎馬叙任式図】
 

 さて、今月中旬にお手元に届く138号パンフレットで、いよいよこのヘカトンピュロスを訪れるツアーを発表します。ツアー名は、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」。
パルティアの失われた都を訪れるこのツアーの詳細を、乞うご期待。

【関連ツアーはこちら】
ペルシャ歴史紀行
カラカルパクスタンとトルクメニスタン
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間

※「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアー詳細は、7月17日頃にホームページにアップされます。

at 08:00│イラン | 世界遺産

2015年06月17日

暗殺教団 アラムート城へ!

11世紀、イランの山岳地帯に暗殺を旨とする教団が存在したのをご存知でしょうか。
彼らが拠点としたアラムート城へ、この5月にいってきました。その時の様子を、写真を載せてご紹介します。

アラムート城までの基点となるガズウィーンの町はテヘランから160kmほど。そこからどんどん標高を上げて2,330mの峠を越えていきます。舗装道路が続いてはいますが、ヘアピンカーブの多い山道が続いて、羊を放牧している光景が見えました。峠から少し下った小さな町でタクシーを頼み、チェスで暇つぶししていたドライバー達を集めて4台に分乗して進むことにしました。

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【きれいな舗装道路が続いています】

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【100頭以上いるでしょうか。羊も放牧されています】

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【カーブの続く山道は遠くまで見渡せました】

ガズウィーンからおよそ2時間前後、くねくねのこの道を進んだ先にアラムートの砦が見えてきます。周辺のエルブルース山脈から独立した岩峰の頂上にその城は見えます。

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【写真のちょうど真ん中にある岩山の上に小さく見えるのがアラムート城です】

アラムートの城砦は天然の岩山の上にあり、まずは麓にある食堂で食事した後、歩き始めました。ちなみにここのチキンケバブは柔らかくてとても美味でした。

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頂上までは通常30分ほどで到達できるようです。その途中15分ほど歩いた場所に休憩箇所がありますので、そこで小休止。麓からここまではロバを片道3ドル程で手配する事ができるようです。この休憩箇所からは500段ほどの石段が続きます。砂利が多い坂で滑りやすくなっています。

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DSCF3158【写真左と次の写真:直立した岩山を回りこむように石段が続いています】











































【写真左:遠目ですがロバで登ってくる人もいるようです】





















城は現在修復用の足場やトタン屋根が掛けられていて近づくと見栄えが悪いのは残念でした。しかし眼下の景色は素晴らしく、エルブルース山脈の雪山も遠くに見えます。山脈からの小川がいくつも流れ、そこからの灌漑用水によって作物を多く育てている様子が見て取れます。かつて暗殺教団を創始したハサンが、穀倉地帯といえるこの地を選んだ理由に納得がいきます。遺跡としては世界遺産の暫定リストに入っているらしく、英語の看板もサイト毎に掲示されていました。アーチの残るモスク跡、小部屋、また特にこの山の頂上に掘られた井戸も3つほど残り、掘った当初は水が出なかったのですが運良く1年後に起こった地震で湧き出してきたといいます。カナダからの体の大きなインド人グループも大変そうにしながら登ってきていました。同じ道を下山、麓ガズウィーンまで戻りました。

DSCF3137 【このような井戸の跡が3つも残ります】
















DSCF3131【頂上に残る住居跡、周りの景色もすばらしいです】















DSCF3140【かつてのモスク跡】



















アラムート城と暗殺教団
ペルシャ全域に支配を広げていたスンニ派のセルジューク朝と同じスンニ派で、バグダッドに都を置くアッバース朝の圧政に不満を持ち、宗教家を目指していたハサン・サバーフはカイロに渡ります。当時シーア派でイスマイリー派(古代ギリシャの哲学者の著作から議論の方法を学び、異端とされていました)を国教としていたファーティマ朝で勉強しました。イスマイリー派の秘儀を伝授したハサンはペルシャに戻り、布教を始めます。啓蒙された信者を異端とみなしたスンニ派のカリフや宰相等は、教団信者に迫害を強めていきます。これに少数の僧兵や領民の蜂起で対抗するのですが、戦力にはやはり限界があり、いつも多勢に無勢なハサンはピンポイントで敵対勢力の要人を狙う、暗殺というテロを国家的なスケールで組織化して対抗しました。これが暗殺教団の始まりです。1090年にハサンはエルブルース山脈の支脈ハウデガーン山の麓の単独峰アラムート山に、上で写真に載せたような強固な山城を築き、地下には貯水池や穀物、ワイン、蜂蜜などの膨大な貯蔵庫、さらに寺院、図書館などを構築して、セルジューク朝の強敵を相手に数ヶ月に亘る篭城で耐え忍んで生き延びることが出来たほどの自治領国家を誕生させました。1256年モンゴル帝国の西方司令官フラグによって落城させられるまでの160年間に現在のイラン、シリア領内に実に300余りのこの教団の砦が存在したといいます。


アラムート城へ、ケバブを食べて登ってみませんか!?
西遊旅行新企画 ペルシャからアナトリア 悠久の歴史遺産を訪ねて

at 08:00

2015年06月09日

地獄の門とヤンギカラでのキャンプ泊

2013年にからツアーを設定し、おかげさまでご好評をいただいている「地獄の門と奇跡の大地」。
トルクメニスタンの2大絶景をメインとしたコースです。

トルクメニスタンの国土85%をも占めるカラクム砂漠のダルワザにある「地獄の門」。
そして、古代に存在したテチス海が干上がったあと風雨に浸食されて見事な奇観が生み出されたヤンギカラ。

この2つのみどころを満喫するために、宿泊はそれぞれ1泊ずつのキャンプ泊となります。
キャンプ泊は初めての方やどんな所でキャンプをするのか想像がつかない方などもいらっしゃると思います。今回はこのコースのキャンプ泊の様子を少しご紹介させていただきます。


まずはダルワザの地獄の門でのキャンプ泊。
四輪駆動車でカラクム砂漠へ入り、地獄の門に到着すると、皆様にはさっそくクレーター見学をお楽しみいだきます。
地獄の門


その間にドライバーやガイドはテント張りや夕食準備にとりかかってくれます。

テントはお1人様ひとつご用意しています。
基本的にはドーム型のテントで、1人が寝るのに十分なスペースがあり、リュックなどの荷物も十分置くことが可能です。

ダルワザ キャンプ


このテントの中で寝袋でお休みいただきます。
寝袋は三季用(春・夏・秋)がおすすめ。お持ちでない方には、西遊旅行の清潔な寝袋とシーツの有料貸出サービスも行っています。

そして、夕食の準備の様子。

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ドライバーやガイドさんたちが手際よく野菜を切ったり、肉を串にさしたり、お湯を沸かしたり。

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その辺りで集めてきた薪などを燃やして火を焚きます。
地面に穴を掘って空間を作り、野菜や肉の串を焼くという何とも原始的な方法での調理。

食事はシンプルですが美味しいです。
普段なかなか食べる機会がないであろうナスやトマトの丸焼きもとてもジューシーです。

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夜こそ迫力満天のクレーターをお楽しみいただくには、このキャンプ泊がかかせません。
地獄の門



続いてヤンギカラでのキャンプ泊です。
キャンプをはる場所は台地の上。四輪駆動車で景色を楽しみながら15分ほど登ります。

ヤンギカラ



到着してからの流れはダルワザの時と同じ。
皆様にはまずヤンギカラの絶景を堪能していただき、その間にスタッフがテントをはって、夕食の準備。

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早々と宴会が始まることも。

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ヤンギカラは風が非常に強いところです。
風が強すぎない適当な場所を選び、テントをはります。
テントの周りを囲むように四輪駆動車を停めて風よけにすることも。

テント泊のおかげで、夕日が沈むころのヤンギカラ、早朝明るくなるころのヤンギカラなど
色々な表情を見ることができます。
雲がなければもちろん満天の星空です。辺りには何の明かりもありません。

ヤンギカラ



また、トイレはどうするのか…と気になる方もいらっしゃるかもしれません。
もちろんダルワザもヤンギカラもトイレの設備はありませんので青空トイレとなります。
比較的平坦な地ですので、隠れる場所はそんなに多くないのですが、少し散歩がてら歩いていただき、
なだらかな丘を越えた辺りで用を足していただいたりします。
暗くなってしまえば誰にも見えませんので、テントから少し離れるだけでOKです!
開放的なトイレは意外に快適です!


シャワーを浴びることはできませんが、十分な量の水を車に積んでいますので、歯磨きは問題ありません。顔は少し水をもらって軽く洗うこともできます。

それぞれ1泊だけですので、不便はほとんど感じません。

大自然と一体となるような感覚すら覚えるキャンプ泊も、この旅の楽しみとなると思います。

9月、10月のコース、まだ間に合います。
トルクメニスタンの絶景と、キャンプ泊を楽しみに行ってみませんか。

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ご興味ある方は下記コース名をクリックしてツアー詳細をご覧ください。

地獄の門と奇跡の大地 9日間

地獄の門と奇跡の大地 10日間

at 08:00│カザフスタン | マンギスタウ ウスチュルト台地&トゥズバイル塩湖

2015年05月30日

奇跡の湖 トゥズバエル塩湖

昨年より多くのお客様に大好評をいただいております「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル
塩湖とウスチュルト台地」のツアー。
今回は、ハイライトの一つでもあるトゥズバエル塩湖についてご紹介させていただきます。

大陸の活発な地殻変動により、姿を消したテチス海。トゥズバイル塩湖は、そのテチス海の
名残です。⼲上がった海⽔の塩分が地中に残り、塩湖を形成しています。塩湖は⻑さ20km、
幅は7km。ここでは塩はまだ産業になっておらず、採掘はされていません。マンギスタウ州には
いくつもの塩湖が残っています。

トゥズバイル塩湖に水が張っているかは、その時の気象条件次第です。
突き抜けるような青空と、幸運の象徴ムフロンの角に、鏡張りの塩湖を願いながら、出発します。

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塩湖の入り口と中心で深さが異なるため、四輪駆動車を降りると、まずは塩の結晶の上を進みます。
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徐々に水かさが増していき、そこには白亜の大地を映しこんだ奇跡の絶景があります。

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水かさが深く、ボリビアのウユニ塩湖の様に鏡文字を楽しむということは出来ませんが、
青い空と白い大地に囲まれた景色に、時間を忘れて見とれてしまいます。

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昨年から大好評をいただいております当ツアー、僅かですが、残席のある出発日のものもあります。
猛暑の8月を避け、次は9月のベストシーズンに設定しています。

鏡張りの塩湖は必ず見れるものではありません。
奇跡の景色に、皆様も挑戦してみませんか?

■関連ツアー
・「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル塩湖とウスチュルト台地