2011年03月

2011年03月29日

不死の軍団:アケメネス朝ペルシャ

西アジア史の中に君臨する大帝国・アケメネス朝ペルシャ。
36の属州を支配し、西はエチオピア、ギリシャ、東はパキスタンまで支配した空前の帝国でした。

下の写真は、ペルセポリスと、ペルセポリスのアパダナにある衛兵のレリーフです。
ペルセポリス (51)

【ペルセポリス遠景】

PA150456

【衛兵のレリーフ】

今回は、強大な国力を持ったこのアケメネス朝が擁した1万人の先鋭部隊・不死の軍団のお話です。

彼らは今にたとえると、アメリカのデルタ・フォースやグリーン・ベレーと言ったところでしょうか。広大な領土から、選りすぐりの兵士を集め、戦闘中に一人が倒れてもすぐに代わりの兵士を補充し戦えたと言われています。

彼らは歴史上はアタナトイ、不死隊と言われますが、ハリウッド映画の「300(スリーハンドレッド)」では、「不死の軍団」として登場します。

紀元前480年のテルモピュライの戦いで、アケメネス朝を相手に戦った300人のスパルタの兵士を描いたこの映画、今のアメリカ対イランの世界情勢を暗に表しているようで、アケメネス朝は徹底的に悪者として描かれています。
いろいろな土地からの兵士からなる多国籍部隊のため、不死の軍団の兵士はいろいろな格好で戦ったと言われています。例えば、エチオピア出身の兵士は、動物の毛皮をまとっていました。ペルシャ出身の兵士は、黒い布を顔にまとっていたと言われており、映画ではまるで忍者のような姿で、化け物のように描かれています。

映画の話はさておき、やはりアケメネス朝は強大で、後世に優れたものを残しました。

例えば、軍隊や情報が素早く移動できるように「王の道」を建造し、この道は現在のアジア・ハイウェーの基礎となっています。アケメネス朝の都スーサから、現在のトルコにあるサルディスまでの2700km弱を、7日間で早馬が交代しながら駆け抜けたと言われます。

不死の軍団を擁しながら、紀元前331年、写真のペルセポリスはアレキサンダー大王によって火を放たれます。
いろいろな説がありますが、大王の軍にアテネ出身の遊女が同行しており、かつて自分の故郷に火を放ったアケメネス朝に復讐を願ったためと言われています。そして翌年の紀元前330年、220年続いた大帝国は、その終止符を打つのでした。

次回は、前述のテルモピュライに添乗で行った時の思い出のお話です。



yamada_saiyu at 20:00|Permalink シルクロード英雄列伝 | イラン

2011年03月22日

カディーシャ渓谷と神の杉の森(レバノン)

こんにちは。大阪支社の米谷です。

今日はかつて中東の交易センターとして栄えたレバノンについてご紹介したい思います。

現在のレバノンを拠点に活躍したフェニキア人は紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始め、紀元前12世紀頃からは地中海全域を支配し、海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出していきました。また、フェニキア人は現在のアルファベットの基となるフェニキア文字を発明するなど古代オリエント世界に優れた文明を残したことでも知られています。

そのフェニキア人達の重要な輸出品のひとつにレバノン杉がありました。レバノン杉は生長が非常に遅く、そのため組織が緻密で芳香があり虫害や腐食に強いので古代から高級木材として重宝されたと言います。良質の木材は建築材料に適しており、レバノンに住んでいたフェニキア人はこの木を伐ってガレー船を造り、全地中海へと進出したのです。エジプトではギザのクフ王の墓に収められていた太陽の船もこのレバノン杉で出来ているし、世界最古と言われているサッカラの階段ピラミッドでは、崩れかけたピラミッドの中からこの木が見つかっていることがこの事実を証明しています。
レバノン杉の森レバノン杉の森2






≪写真左上:レバノン杉の保護区、右上:国旗に描かれているレバノン杉のモデルとなった木≫

レバノン杉は実際はマツ科ヒマラヤスギ属の針葉樹で、名前に「スギ」が付いていますがスギ科スギ目の近縁ではありません。そんなレバノン杉は古代から近代まで、レバノン杉は地中海世界のみならず、世界中で重宝され、伐採が進み、現在では国内に2000本程しか確認されていません。今、レバノン杉の森は保護区に指定され、レバノン各地で保護されています。特に有名なのがレバノン山脈のコルネ・エル・サウダ山(標高3,087m)の山域にあるカディーシャ渓谷です。レバノンで一番の景観とも言われ、レバノン杉が現在も自生しています。世界遺産にも指定され「カディーシャ渓谷と神の杉の森」と称されています。


レバノン杉のお土産冬の間はスキーリゾートとなるこの辺り一体は、レバノン杉を一目見ようとたくさんの観光客もやってきます。そのため、レバノン杉の枯れ木を利用した、お土産もたくさん売っていて、旅の思い出に最適の品といえるでしょう。今、レバノン杉は国民にもその貴重さは広まり、レバノンの国旗および国章のデザインにも用いられています。
≪写真右:レバノン杉のお土産≫

≪写真下:レバノンの国旗 真ん中にレバノン杉が描かれている≫
レバノン国旗いつの日かレバノン杉の森が再びレバノンの山一体を覆う日が来ることを祈るばかりです。

関連ツアー:レバノン一周

yonetani_saiyu at 20:05|Permalink レバノン | 世界遺産

2011年03月17日

Beautiful Name:セレウコス

今回のお話しは、セレウコスです。
彼は、アレキサンダー大王の家臣の将軍の一人でした。
紀元前323年、大王がバビロンで没した後、その広大な領土は三人の将軍達が分割して統治します。
故郷のマケドニアを含むギリシャはアンティゴノス、エジプトはプトレマイス、そして広大な西アジアを引き継いだのが、セレウコスでした。

大王も各地に自分の名をつけた町「アレキサンドリア」を沢山建てました。下の写真は、「最果てのアレキサンドリア」と呼ばれた、タジキスタンのホジェンドの町です。
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【最果てのアレキサンドリアの城砦】

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【ホジェンドの町を流れるシル・ダリヤ】

このセレウコスも名前にこだわり、各地に色々な町を建てています。
まずは本人の名前から、セレウキア。
彼はセレウキアだけで9つの町を建てました。ひとつはイラク、チグリス川の畔にあり、初期のセレウコス朝の首都でした。
トルコに作られた別のセレウキアは、発音が訛って、現在はシリフケの町となっています。

次はお父さんの名前アンティオコスから、アンティオケア。
ここもトルコにあり、後世に使途パウロも訪れています。

では、お母さんのラオディケは?
シリアにラオデキアを建てました。発音が訛って、ここは現在のラタキアという町です。
トルコにも同じラオデキアを建て、ラオデキアの遺跡が残っています。

一家揃って町の名前になったのですが、最後に彼の奥さんの登場です。

セレウコスは大王に仕えていた紀元前324年、破ったアケメネス朝ペルシャの女性達と、大王、その軍隊と共に集団結婚をしました。
その時にめとった中央アジアのソグディアナ出身の妻がアパマでした。
各地を転戦した人生にも関わらず、彼は生涯アパマと連れ添いました。

そして妻の名を冠した町、アパメアを建てたのでした。
ここは、現在のシリアにあり、セレウコスの象部隊がいたと言われています。
社にはカラーの写真もありますが、ここは趣のある白黒写真を使ってみました。
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【アパメアの遺跡】

大王と共に戦いながら、熾烈な人生を送ったセレウコスでしたが、タフな中にも優しさ溢れる、家族想いの男だったのですね。

次回は、アケメネス朝ペルシャの1万人の男達の登場です。


yamada_saiyu at 15:14|Permalink シルクロード英雄列伝 | シリア

2011年03月04日

「戦場の捨てぜりふ」アルサケス③:トルクメニスタン

パルティア最終回です。

パルティアは西アジアに、三つの都を建てました。
一つ目の都はニサ。トルクメニスタンの首都アシハバード近郊にあり、王だったミトラダテスの名を取って、ミトラダトケルテとも呼ばれています。
二つ目の都は、パルティア終焉の地、クテシフォン。今のイラクにあります。
三つ目の都は、今だ所在が解らず、発掘されていません。

謎に包まれたその都の名は、ヘカトンピュロス。
イランのカスピ海沿岸に眠っていると言われます。発掘されたら、日本の旅行会社で始めてツアーに組み込むのは、西遊旅行です。

さて、ササン朝ペルシャに滅ぼされたパルティアですが、何とその後、ローマ軍の兵士として働くことになるのです。なぜ?
八回も戦った、憎きローマの軍門に降った理由は、クテシフォンで敗れたササン朝ペルシャにあるのではないでしょうか。

紀元260年、ローマはシャープール一世率いるササン朝ペルシャに破れます。そして皇帝ヴァレリアヌスが捕虜になるという屈辱を味わさせられます。下の写真は、イランのナクシェ・ロスタムに残る記念碑で、皇帝ヴァレリアヌスが、シャープール一世にひざまずく姿の石碑です。

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【皇帝、ひざまずく。ナクシェ・ロスタム、イラン】

片や国を滅ぼされ、片や皇帝を捕えられた共通の敵、打倒ササンという名の元、パルティアはローマの兵士として戦ったのではないか?
敵の敵は味方です。

さて、パルティアの故郷の西アジアから数千キロ離れたアルジェリアに、ローマ遺跡ティムガッドがあります。
ここは、パルティア兵をはじめ、退役した軍人が沢山住んだ植民都市でした。
パルティアンショットを得意とした「つわもの」達も、25年の兵役を務めるとローマの市民権が与えられ、優雅な老後を送ったのです。

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【ティムガッドの円形劇場】

ティムガッドのフォーラムには今も、「狩りをし、風呂に入り、ゲームをし、そして笑う。これが人生だ」というラテン語の落書きが残っています。
修羅場をくぐり抜けたパルティア兵達の、これが本音でしょう。

リビア、イスラエル、シリア、どのローマ遺跡でも、その壮麗な建築群に驚嘆します。私は遺跡に立つといつも驚嘆と同時に、滅んだローマ帝国に対する一種の虚しさを感じます。

しかし同じローマ遺跡のティムガッドに行った時は違いました。
故郷から遠く離れた安息の地で、豪快に酒を酌み交すかつての「つわもの」達の笑い声が、聴こえてくる様な気がしたのです。

次回は、セレウコスです。


yamada_saiyu at 21:55|Permalink シルクロード英雄列伝 | トルクメニスタン