2011年04月

2011年04月15日

トルクメニスタン史跡案内:メルブ

4回に渡り、トルクメニスタンに残る歴史遺産をご紹介します。第一回はメルブです。

西アジアの都市遺跡の多くは、テパ、テペと呼ばれる大きな丘のようなものがほとんどです。これは、前代の人々が住んだ町の上に、後代の人が暮らし、さらに次の代の人がその上に暮らしていったため、だんだんと高くなっていったためです。
しかしこのメルブは違い、縦ではなく、横に拡張していった珍しい都市遺跡です。そのため70平方キロに渡る広範囲に渡って、様々な年代の史跡が残る中央アジア最大の遺跡になったのです。
メルブに残る史跡を、年代別にご紹介させていただきます。

【エルク・カラ(紀元前6~5世紀・アケメネス朝)】

メルブ最古の場所で、小高い丘です。丘の上には邸宅跡があったと言われています。
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(左:エルク・カラ全景)
(右:エルク・カラの頂上)

ガイドはいつも「王の邸宅」と説明しますが、正確にはアケメネス朝の総督(サトラップ)の邸宅と思われます。この丘の上からは、メルブ全体が見渡せます。

【グヤウル・カラ(紀元前4世紀から紀元16世紀・(アレキサンダーの時代からティムールの時代】

前述のエルク・カラの横に広がる広大な面積を持つ都跡。メルブの歴史を物語る箇所と言ってもいいと思います。まず、下の写真を見て下さい。これはエルク・カラを囲む城壁の断面です。いろいろな時代に拡張されていったため、沢山の層に分かれているのがわかります。そして中央に見える方形に窪んだ場所は、都を守る衛兵が立った場所といわれています。

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(左:城壁の断面)
(右:兵士が立った窪み)

流れ行く時間の中で、様々な民族、宗教がメルブに流れ込みました。
このグヤウル・カラの敷地内には、ネストリウス派のキリスト教会、仏教寺院、イスラム教のモスクなど、様々な宗教施設があったと言われています。ガイドの説明によると、「グヤウル」とは「狂った」という意味で、沢山の宗教が入り乱れていたことに由来すると言っていました。
このグヤウル・カラの仏教寺院からは、下のガンダーラ産の黒い石でできた仏像、白樺の木に書いたサンスクリット語の経典などが出土しました。
実は、仏教寺院は、このメルブから西では発見されていないため、メルブは仏教伝来の最西端という説があります。そのため、ここで出土した仏像は、「最果ての仏像」と呼ばれています。また、下の写真の経典の入っていた壷はメソポタミアの様式で、周りにはある男性の一生が描かれています。

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(左:最果ての仏像・アシハバード国立博物館)
(右:経典の入っていた壷:・アシハバード国立博物館)

最後にこのグヤウル・カラにやって来たのは、ティムールでした。イスラム教徒の彼は、このグヤウル・カラのど真ん中に、大きなモスクを建てました。建物は残っておりませんが、下の写真は礼拝の前に身を清めるための水場の跡です。
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                   (ティムールのモスク跡)


【スルタン・サンジャール廟(紀元11~12世紀・セルジューク朝)】

中央アジアからメソポタミア、アナトリア、中東の地中海岸まで支配したトルコ系の王朝。このセルジューク朝もメルブを都としました。最後の王、スルタン・サンジャールはここに眠っています。近年修復が終わりましたが、この修復の援助をしたのが現在のトルコ共和国です。自分達の偉大なる祖先の、偉大なる王の廟と言うこともあり、大々的に修復をしました。
スルタンサンジャール廟







(スルタン・サンジャール廟)





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(トルコ政府が立てた記念碑)

また、このスルタン・サンジャールには、「日本の鶴の恩返し」と全く同じ内容の伝説があります。后から見てはいけないと言われていた時間に后を見てしまったため、后は鳥になって飛んで行ってしまったという内容です。この伝説に由来するのか、スルタン・サンジャール廟の天井には、后が飛んで出て行ったという窓が空いています。





【キズカラ(紀元6世紀・ササン朝)】

メルブに残る代表的な建造物で、ササン朝時代の裕福な人の邸宅と言われています。キズ=乙女 カラ=城という意味です。名前にはいろいろな説があり、この裕福な人物が毎晩乙女を呼んで宴会を開いていたためとも、後世のモンゴル襲来の時に、乙女がここに立て篭もり、モンゴルの手に落ちる前に身を投げたためとも言われています。
キズカラは大小二つあり、昔は大キズカラにいる男性が、小キズカラにいる女性に林檎を投げて、うまく到達したら二人は結ばれたというお話も残っています。
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(左:大キズカラ)
(右:小キズカラ)

このように、中央アジアの2000年近い歴史がそのまま史跡として一箇所に残っている場所は、他にはありません。まさに中央アジアの年表のような遺跡と言えるでしょう。
どの時代でも、西はメソポタミアから、東はインド、中国からのキャラバンが、途中メルブに泊まったことでしょう。様々な民族、文化が集まる当時の一大国際都市であったとも言えます。
中央アジアの魅力が詰まった、浪漫溢れる場所です。

メルブを訪れるツアーはこちら
中央アジア世界遺産紀行

シルクロードⅠ 中国・西域から中央アジア、イラン高原へ


次回はメルブの時代以前、高度な文明を持っていたマルグッシュをご紹介します。



yamada_saiyu at 17:53|Permalinkトルクメニスタン | 世界遺産

2011年04月13日

タジキスタン冒険行 パミールハイウェイとワハーン渓谷 その2

大阪支社の米谷です。
前回の続きとなりますが、ワハーン回廊からパミール高原へと入っていく所からスタートします。

旅の後半はワハーン回廊からパミール高原へと進んでいきます。
ランガールからパンジ川沿いの道に別れを告げ、北へと進路をとるとパミールハイウェイに合流します。標高4,000mを越える峠を越えると、がらっと景色が変わり、そこは草原にユルタが点在する遊牧民の世界が広がっています。

遊牧民のユルタ≪遊牧民のテント・ユルタ≫







マルガブ川と放牧≪マルガブ川と放牧の風景≫
馬に乗り、羊やヤギ、ヤクなどを放牧するのはキルギス族。夏の間、家畜の放牧のために草原にやってきます。道中、そんな遊牧民のユルタを訪ねるチャンスがあるとお茶や自家製のヨーグルトなどでもてなしてくれます。今でも訪問者をとても丁寧にもてなしてくれる人々に心打たれる瞬間です。




マルガブに近づくと遠くにムスターグアタ峰が小さく姿を見せてくれます。新疆ウイグル自治区のカラクリ湖に行かれた事がある方は、間近でご覧になられた方も多いでしょう。

マルガブを遠望マルガブから望むムスターグアタ峰






≪写真左:マルガブ川とマルガブを遠望≫
≪写真右:マルガブから眺めるムスアターグ・アタ峰≫

マルガブの町は本当に素朴な田舎町。町には小さなバザールとモスク位しか見るような所もありませんが、近郊には夏の間、雄大な景色の放牧の様子がお楽しみいただけます。朝、マルガブのバザールへ行ってみると、ユニークな帽子を被ったキルギス族の男性がたくさん買い物にやってきていました。普段観光客と触れ合う機会も少ないため、皆さんとても親切です。

マルガブのバザール≪マルガブのバザール≫







キルギス族の男性≪写真右:バザールで見かけたキルギス族の男性≫










マルガブからはいよいよタジキスタンとキルギスの国境を目指します。途中、今回のツアーで最高所4655m のアクバイタル峠を越えます。夏の時期でさえ、天気が悪いと気温が0度近くにまで冷え込む事もあります。また、この辺りは中国との国境も近く、緩衝地帯を示す柵が道路のすぐ近くにずっと続いていました。

峠を越えると今度はカラ・クル湖(3,923m)が近づいてきます。パミール高原の紺碧の湖。背後にパミールの高峰群が連なる絶景が広がっています。近くには古代の遊牧民サカ族のお墓とされるカラアート遺跡も残っています。

カラクル湖


カラ・クル湖を後にするといよいよキルギスとの国境です。標高4,282mののキジルアート峠を越えるとタジキスタンの出国審査場。
ここからはしばらく緩衝地帯が続きますが、この間もアライ山脈の雪山が展望できる絶景のドライブルート。雪山の展望を眺めながら、タジキスタンの滞在に名残を惜しみ、キルギスへ向かいます。
これから6月~8月の間、短い観光シーズンがスタートします。

関連ツアー:西遊旅行で行く タジキスタン 2011
タジキスタン冒険行 パミールハイウェイとワハーン渓谷
中央アジア特集ページはこちらへ
旅の見所をご紹介:企画者の声:パミールハイウェイとワハーン渓谷

yonetani_saiyu at 15:43|Permalinkタジキスタン | タキスタン パミール高原とワハーン渓谷

2011年04月05日

タジキスタン・パミールハイウェイとワハーン渓谷 その1

こんにちは。

今日は中央アジアの中でも国土の8割近くを山岳地帯がしめるタジキスタンをご紹介します。

タジキスタンはペンジケントに代表される、古代から残るソグド人の遺跡やアジナ・テパの仏教遺跡から出土した中央アジア最大規模の涅槃物などが有名ですが、パミール高原とアフガニスタン・中国との国境を形成するワハーン回廊・ヒンドゥークシュ山脈に接する雄大な自然も大きな見所となっています。

タジキスタン自体、中央アジアの国々の中ではまだまだ観光客も少なく、これから観光開発が期待されているところです。そんなタジキスタンの中でも一番の秘境であり、魅力的な地域がアフガニスタンとの国境沿いからパミール高原にいたるゴルノ・バダフシャン自治州です。首都ドゥシャンベからパンジ川沿いのカライクムへと走り、そこからいよいよゴルノ・バダフシャン自治州へと入ります。

ダジキスタンとアフガニスタンの国境を成すパンジ川は中央アジアを代表する大河アムダリア川の源流。カライクムからしばらくするとパンジ川の向こうにはアフガニスタンの村々が目に入ってきます。時々行き交うロバやアフガニスタンの人々を目にすることもあるのです。川を挟んだだけで、向こうアフガニスタン側は今にも崩れそうな細い道しかない状況には驚かされるばかりです。タジキスタン側は電気も通っていますが、アフガニスタン側にはその様な気配はありません。
行き交うアフガニスタンの人々対岸のアフガニスタンの村

≪写真上左:対岸のアフガニスタンに暮らす人々≫
≪写真上右:パンジ川を挟んだアフガニスタンの村≫

ワハーン渓谷の眺め

≪写真上:ワハーン渓谷とヒンドゥークシュの山並み≫

イシュカシムを越えると対岸にはワハーン渓谷の絶景が飛び込んできます。パンジ川、ヒンドゥークシュの山並み、氷河が削りだした扇状地など次々と絶景が姿を現します。ワハーン渓谷を眺めながらの絶景ドライブはこのツアーのハイライトと言えるでしょう。その昔、玄奘も通ったと伝えられるワハーン回廊。途中に残るヴァンの仏教遺跡にも立ち寄ったかもしれません。

絶景の中のドライブワハーン渓谷ヒンドゥークシュ山脈の眺め

≪写真上左:ワハーン渓谷を眺めながらのドライブ≫
≪写真上右:ワハーン渓谷とヒンドゥークシュ山脈≫

ヴァン遺跡から眺めるワハーン渓谷

≪ヴァン遺跡とワハーン渓谷≫

この地域に暮らす人々はパミール諸民族と呼ばれ、シュグナン族、ワヒ族など様々な民族が暮らしています。彼らは民族ごとに異なる言語を持ち、この厳しい自然環境と地形状の特殊性により、長年近隣諸国からの影響を受けることなく独特の文化を培ってきました。今でも本当に素朴な生活を送っており、観光客がやってきても快く受け入れてくれるのです。
パミール諸民族の親子
タジク族の子供達

≪写真上左右:旅の道中に出合った人々≫

ガルム・チャシマ温泉また、日本人にとってうれしいのはツアー中、3回も楽しめる温泉浴です。海外の温泉と言えばプールに温泉を入れただけの風情のないものが多いですが、タジキスタンの温泉は趣があります。トルコのパムッカレの様な石灰棚の温泉ガルム・チャシマ、岩風呂が楽しめるビビ・ファティマ、秘湯っぽい雰囲気のエリスー温泉の3ヶ所で旅の疲れを癒すことができます。ただし、標高の高いところですので、長湯にはお気をつけ下さい。
≪写真上:ガルム・チャシマ温泉≫

次回は旅の後半 パミール高原をご紹介したいと思います。

関連ツアー:タジキスタン冒険行 パミールハイウェイとワハーン渓谷


yonetani_saiyu at 12:21|Permalinkタジキスタン | タキスタン パミール高原とワハーン渓谷