2012年02月

2012年02月16日

栗特(ソグド)の軌跡

ウズベキスタン、ザラフシャン川のほとりが彼らの故郷です。

大きな帝国ではなく、ペンジケント、サマルカンド、ブハラなどの小さな都市国家しか形成しなかったにも関わらず、シルクロードの歴史に深くかかわり、中国やアラビアの史書にも登場する民族です。
シルクロードの各地に足跡を残しながら、彼らは忽然と歴史の彼方に消えて行きます。

その民族の名はソグド人。

ソグディアナと呼ばれた故郷から隊商を組み、はるばる中国、アラビアまで足を伸ばす商人として活躍した彼らの足跡は、シルクロードの歴史に深く刻まれています。
今日から彼らソグド人がシルクロードに残した軌跡をたどってみたいと思います。
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【ソグド人の都跡:ペンジケント】

彼らはまず商才に長けた商人でした。
文字通りのシルクはもとより、香辛料、香木などの商品の他、駱駝や馬、そして奴隷まで商っていたと言われています。

ソグド人は子供が生まれると、口に密を含ませ、手には膠(にかわ)を塗ったとの記述が中国の史書に記されています。これは、大人になったら密のように甘い言葉で商いをし、つかんだお金は離さないようになるとの願いが込められていました。

隊商を組んで広いシルクロードで安全に商いをするには、その国の政治状況、治安状況、文化の流れなど、様々な「情報」が必要になりました。政変の起こりそうな気配がある国はどこか、その国ではどんな商品が好まれるのか等、様々な情報をもとに商いをしていたのです。

情報収集能力に長けていたのは、各地に張り巡らされたソグド人のネットワークでした。彼らの一部は商いで赴いた国に定住し、コミュニティーを作っていたのです。

下の写真は、中国風の帽子を被った、中国に定住したソグド人の像です。ペルシャ系の民族のため、彫りの深い、青い目をしていた彼らですが、中国風な顔立ちで描かれています。
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【胡人の像:甘粛省歴史博物館】

中国では「胡人」と呼ばれ、中国姓を名乗っていました。姓は彼らの出身地ごとに分かれており、サマルカンド出身のソグド人は「康」、ブハラ出身は「安」、タシケント出身は「石」というように、出身地ごとに違う漢字の姓を使っていました。

また彼らがもたらした西域の文化は、当時の中国で大流行しました。下の写真は舞を踊る胡人の像です。新体操のようなリボンを両手に持ち、小さな円形の敷物の上で回転する踊りが大流行しました。
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【踊る胡人:甘粛省歴史博物館】

また彼らは「薩宝(さっぽう)」という肩書も持っていました。近年、中国で発見されているソグド人のお墓には、「薩宝」という文字が刻まれています。この言葉は、ソグド人の言葉で「キャラバンのリーダー」を表す「サルト・ポウ」から来ています。

次の写真は、彼らの故郷ペンジケントから出土した彼ら自身の壁画の写真です。面長で、まるで日本の聖徳太子にそっくりな顔立ちです。
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【ソグド人の壁画:ドゥシャンベ国立博物館】

同じソグド人でも、描かれた場所でこれだけ顔が違うのがとても興味深いです。
そして、聖徳太子に似ていることも、覚えておいてください。

赴いた地に同化した彼らは、ネットワークを広げ、商業のみならずその国の政治、文化にも大きな影響力を持つ民族へと変貌していきます。

次回は、唐の時代に起きた中国史上最大の反乱、安史の乱に関わったソグド人と、その後のソグドの歴史を辿ります。

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yamada_saiyu at 21:47|Permalinkシルクロード英雄列伝 | タジキスタン