2013年08月

2013年08月23日

ヨルダン アラビアのロレンスの砂漠 ワディ・ラムWadi Rum

ワディ・ラム (4)

ヨルダンの南の砂漠、ワディ・ラム。

ワディ・ラムが有名になったのは「アラビアのロレンス」として知られるT.E.Lawrenceが1917年、オスマントルコの支配からアラブ同盟の独立を目指してファイサル国王とともに行った「アラブの反乱」の舞台の一つとなったことでした。ラクダと馬に乗った騎馬隊がワディ・ラムの砂漠を走り出撃しアカバを攻略、そして北上しダマスカスを目指しました。

一見荒涼とした大地に見えるワディ・ラムの砂漠は現在もベドウィンの人々により使用される薬草が育ち、雨の後には200種を越える草や花が芽吹きます。砂岩の岩山には鳥や爬虫類、ハイラックスなどの小動物が暮らしています。井戸や泉が点在し、先史時代より人が住み、ギリシャ・ローマ時代には葡萄やオリーブ、松の木があったという記録も残されている砂漠。砂岩の岩肌にはアラビア半島南部からやってきた部族やナバタイ人の文字が刻まれてきました。

ツーリストが訪れるワディ・ラムの砂漠は、砂岩の岩山の大地を四輪駆動車で走り、砂岩のアーチ、岩刻画などを巡るちょっとしたアドベンチャー。

ワディ・ラム (9)
砂岩のアーチのひとつ

ワディ・ラム (3)
アラビア半島から北上しこの砂漠を行きかった人々による岩刻画が残されています。

ワディ・ラム (5)
雨と風による浸食を受けた砂岩の岩山

ワディ・ラム (2)
規模は小さいですが砂丘も。砂の上にはラクダの足跡発見。

ワディ・ラム (6)
ツーリストを載せて歩くラクダたちとベドウィンのおじさん。シーズンになるとラクダも足りないほど賑わうことも。私が訪問した7月はオフ・シーズン、ラクダものんびりしたものでした。

ワディ・ラム (7)
岩山の麓にはベドウィンのテントが建てられツーリストを待っていました。

ワディ・ラム (8)
暑い砂漠で暑いミントティーをいただき!(西遊インディアで勤務中の川口佳代さん)

ワディ・ラム
ワディ・ラムを巡るには四輪駆動車のジープ・ツアーに参加するのが一般的です。2時間位のものから一日子コースまで様々。ほとんどの四輪駆動車がピックアップの荷台に座席をつけたタイプのアドベンチャーなものです。

日よけになる帽子、ほこりよけのスカーフやマスク、日焼け止め、サングラスもご用意ください。

ワディ・ラム (1)
ワディ・ラム 浸食された砂岩の岩山が連なる砂漠。この南は紅海、そしてサウジ・アラビア。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

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sawada_saiyu at 10:40|Permalink ヨルダン | 世界遺産

ヨルダン ウンム・カイスUmm Qais、ゴラン高原を望む都市遺跡

ウンムカイス パネル
玄武岩と石灰岩の列柱を湛えるバシリカ・テラス 眼下にヤルムーク渓谷、背後にゴラン高原を望む

ウンム・カイスは首都アンマンから140㌔、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。

新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。
「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。
ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

遺跡の入り口付近はオスマントルコ時代の建物が続きます。

ウンム・カイス (12)
住居の建設にギリシャ・ローマ時代の遺跡から石材が運び出されました。

ウンム・カイス (11)
西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく(シリアのボスラ遺跡にもあります)、この劇場は3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

ウンム・カイス (4)
商店街の跡

ウンム・カイス (10)
バシリカ・テラス 6世紀の教会跡。石灰岩の柱廊に囲まれた中庭の奥に玄武岩の柱に囲まれた八角形の聖所を持つ珍しい建築スタイルが見られます。

ウンム・カイス (8)
ニンフェウム ローマ遺跡に必ずある「噴水」、泉の神ニンフの名を取っています。

ウンム・カイス (7)
彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

ウンム・カイス (2)
ローマン・ロードから見るかすんだティベリア湖とゴラン高原。谷の向こうはイスラエル、そしてその奥はシリア。

ウンム・カイス (6)
ローマン・ロード デクマヌスDecumanus Maximus。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー、Caldo Maximus 」、東西を貫くメインロード「デクマヌス Decumanus Maximus」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

ウンム・カイス (5)
ローマン・ロードの敷石に残された馬車のわだちの跡

ウンム・カイス (3)
遺跡を東西に貫くローマン・ロード、デクマヌス Decumanus Maximus。東の道は現シリアのボスラへ、西の道はヨルダン渓谷を通って現イスラエル、ベテシャンのスキュトポリスへとつながっていました。

多くのローマ遺跡のでは「ローマン・ロード」はすでに現在の町に埋没して終わるのですが、ウンム・カイスのローマン・ロードはどこまでも続くように感じます。「国境」というロケーションのせいなのでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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sawada_saiyu at 09:19|Permalink ヨルダン | ギリシャ・ローマ遺跡

2013年08月17日

ペトラ・バイ・ナイト PETRA BY NIGHT

ペトラ・バイ・ナイト (1)

ヨルダン、ペトラの夜。

神秘的なまでのペトラ遺跡で夜を過ごしたい・・・という人も多いはず。ユネスコの世界遺産でもあり管理のしっかりしたペトラ遺跡は日没までに遺跡から出なくてはなりません(夏は19時、冬は17時)。

夜のペトラ遺跡を楽しむ方法がペトラ・バイ・ナイト。毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シクを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。

ペトラ・バイ・ナイト (6)
夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。遺跡のメインゲートからシク、そしてシクの内部もろうそくのあかりでライトアップされます。

ペトラ・バイ・ナイト (8)
岩の回廊となっているシクへ入ります。紙に包まれたろうそくの明かりが優しくシクと照らし、エル・ハズネ宝物殿へと導きます。

ペトラ・バイ・ナイト (2)
いよいよ、エル・ハズネへ到着。昼間に訪れた時の美しさにも息をのみましたが、ろうそくの明かりで照らし出されたエル・ハズネの出現はもうひとつのペトラの幻想。美しいです。

ペトラ・バイ・ナイト (5)
エル・ハズネに集まったツーリストにベドウィンのミントティーが振る舞われ、静寂の中ベドウィンの音楽が岩山に響き渡ります。

ペトラ・バイ・ナイト (3)
そして最後にはしっかり記念撮影の時間も。ショータイムが終わると、それぞれ記念撮影をして来た道を戻っていきます。人がいなくなってからの記念撮影をしようとして待っていると、ろうそくの片付けが始まってしまいました。

朝からのペトラ遺跡見学、午後のエッディール僧院登り、そして夜のペトラ・バイ・ナイト。
充実という言葉を通り越したペトラ満喫の一日です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

※情報は2013年8月現在のものであり、訪問の際には最新の現地事情をご確認ください。

西遊旅行で行くヨルダンの旅(添乗員同行ツアー) ホテルも訪問地も厳選・ヨルダンを満喫する旅
王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン8日間

sawada_saiyu at 17:39|Permalink ヨルダン ペトラ遺跡 | 世界遺産

2013年08月03日

海のシルクロードを渡った乳香 オマーン

6月にオマーンへ行って来ました。
出迎えてくれたガイドさんの車に乗った途端、香ってきたのが乳香の香りでした。オマーンでは、乳香の木の栽培が行われ、オマーン国内のみならず、海外へと輸出されています。乳香は、世界各地で様々な宗教儀式の際に香として利用されている他、香水の原料としても利用されています。
 古くは古代エジプトのファラオの時代から利用され、現在も宗教儀式や香水の原料として利用されている乳香。今も人々の心を捉える乳香の魅力と、海のシルクロードを通って各地に運ばれた乳香の歴史をご紹介します。
ムトラスークの乳香屋2

ムトラスークの乳香屋

 新約聖書には、キリスト生誕の際、東方からの三人の博士が乳香、没薬、黄金を貢物として持参したと記述されています。占星術により新しく生まれた王の場所を見つけ、ベツレヘムまでやって来た彼らの貢物の中に、黄金と並ぶ最大級の品、乳香がありました。
 また8世紀の中国の史書には、アラビアからの乳香が中国に運ばれたという記録が残っています。そして10世紀には、日本にも伝来した記録があります。
 東方の三博士は、陸のシルクロードを通り、キリストの元へ乳香を運びました。
一方、日本まで伝わった乳香は、海のシルクロードを通り、中国を経由して渡ってきました。

乳香の木乳香の樹液


乳香の木                            (上)乳香の樹液  (下)ニズワのスーク

ニズワのスーク


では、古くから貴重な交易品として扱われた乳香とは、どういうものなのでしょうか。
乳香は、カンラン科の樹木、乳香の木から出る樹液を固めたものです。乳香の木の樹皮に傷を付け、滲み出した樹液が固まるのを待ちます。樹液が乾燥し、樹に固まったものを集めます。白色、もしくは薄い茶褐色をしており、固まった樹脂を炭の上で燻してその香を楽しみます。私の感想としては、その煙は甘く、そして心をリラックスさせるアロマテラピー作用があるような香りです。  

 この乳香の一大産地であるオマーンでは、一般家庭で香として使われており、殺虫作用もあると言われています。オマーン各地のスークでは、乳香専門の店が軒を連ね、店頭で乳香を燻す香が漂っており、多くの人が乳香を買い求める様子を垣間見ることができます。



 オマーンは、東アフリカ、インドなどとともに乳香の産地として有名な地ですが、古代から乳香の産地として名を馳せた地でした。オマーン南部、アラビア海に面したサラーラ近郊に残り、紀元前1世紀に遡るホール・リーリ等の都市遺跡からは、季節風を利用し、海のシルクロードを伝った海洋交易によって乳香が運び出されました。

 アケメネス朝の時代にすでに、アラビア海からインドへの探検が行われていた他、ローマ帝国は海のシルクロードを使ってインドと交易をしていました。7世紀になると、ダウ船を利用したアラビアやペルシャのイスラム商人が海洋交易を広げ、中国にも拠点を持つようになります。
この頃、乳香は中国へと伝わり、反対に中国からは絹や陶器が西へと運ばれました。特に、重量があり壊れやすい陶器は、海のシルクロードを船で運ばれて行ったのです。その後日本へは、東南アジアからの白檀などの香木に加え、香として使われた乳香が伝わります。

 店頭の乳香ニズワ城と金曜モスク


店頭の乳香                            ニズワ城と金曜モスク

 オマーンを訪ね、この地が乳香の海のシルクロードへの出発地であり、また長い歴史の中で日本まで伝わったことに思いを馳せることができました。スークに漂う乳香の香りの中、アラビア海を渡って同じ香りが日本にも漂ったことを思うと、感慨深いものがありました。
 またオマーンには、アラブの雰囲気の漂う古都ニズワや、フィヨルド地形の続くムサンダム半島など、見どころも豊富な国です。
 皆様もオマーンで、乳香と海のシルクロードの歴史に触れてみて下さい。

▼西遊旅行で行くオマーンの旅はこちら
オマーン 乳香の道とホルムズの絶景ムサンダム半島


yamada_saiyu at 19:38|Permalink オマーン