2014年08月

2014年08月29日

悲劇の伝説が残るガラホナイ国立公園(カナリア諸島/ラ・ゴメラ島)

前回に続き、カナリア諸島についてのご案内です。
今日はカナリア諸島で2番目に小さい島であるラ・ゴメラ島をご紹介します。
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ラ・ゴメラ島のアグロ村から海の向こうに見えるテイデ山

島は火山でできた当時からほぼ円形で、直径が約22キロ、島の最高所はアルト•デ•ガラホナイで標高1487メートル。その形状はみかんを半分にカットした後、細かく分けられたような形をしています。それぞれ間には深い渓谷があり、また島の最上部は照葉樹林で覆われています。この樹木が密集して茂る地域の上部は、ほぼ永久的に雲と霧に包まれており、結果として緑豊かで多様な植生に覆われています。そしてこの照葉樹林帯を中心とするエリアは1986年、UNESCO世界遺産に登録され、「ガラホナイ国立公園」と呼ばれるようになりました。

ラ・ゴメラ島の中央山脈は、太陽のあまり当らない深いジャングルが広がっており、海岸部の太陽に照らされた、暖かい気候とは対照的です。これらの両極端な気候は、何世紀にもわたり、魅惑的な微気候をこの島に生み出してきたのです。ラ•ゴメラの住民は標高の低い場所で灌漑用水路を利用し、ブドウ畑、果樹園、バナナ畑などの農業を行ってくらしてきました。

ラ•ゴメラの住民はシルボゴメロ(SilboGomero)呼ばれる口笛言語による伝達方法によって、深い峡谷の間で互いに通信する手段を古代から持っていました。この口笛言語はこの島独特のもので、その存在はローマ時代に遡るとされています。この方法は島の最初の原住民グアンチェ族によって発明され、後々、16世紀にスペインの入植者によっても使用されるようになったそうです。グアンチェ族がスペイン人に同化してしまった今も、その伝統的な方法は生き残っているといいます。

“ガラホナイ国立公園”は、1981年に国立公園となり、1986年にユネスコによって世界遺産に登録されました。国立公園は40平方キロメートルを有し、公園名ガラホナイは標高1487メートルの最高所にある岩の名前にちなんでいます。

ガラホナイ公園はカナリア諸島における照葉樹林の最良の例といえます。照葉樹林は第三紀の頃、ほぼすべての南ヨーロッパを覆っていた湿度の高い亜熱帯林のことです。ヨーロッパのほとんどで氷河期に照葉樹林はなくなってしまいましたが、マデイラ諸島、アゾーレス諸島、そしてここカナリア諸島には今でも豊かで複雑な森林が残っています。

ガラホナイ国立公園ではまず最初にビジターセンターを訪問しました。ここではカナリア諸島固有の植物から、そうでないものまで、様々な植物を観察することができます。
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青色のエキウム

マーガレット
マーガレット

プロテア
南アフリカの国家 プロテア

国立公園内には無数のトレイルがありますが、今回我々が歩いたトレイルは全て下りの約2時間の道。月桂樹をはじめとする深い森へと足を進めていきました。
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月桂樹の森を歩く

月桂樹(ローリエ)の見分け方をガイドさんから教わりました。葉っぱを見たときに、中心の線に所々、ぶつぶつがあるものが月桂樹の葉だそうです。
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良く見ると、葉にぶつぶつが見えます。

どんどん森が深くなり、緑が本当に美しい、苔むした世界へと入っていきます。谷深くに位置するエル・セドロのレストランまで歩きました。
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途中、森の中では月桂樹をはじめ、鳥が食べる赤い実をつけるブロードリーブホリー、可愛らしいアイオニウムなど様々な植物を観察。

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珍しい多肉植物アイオニウム

アイオニウム (3)
森の中では多くのアイオニウムを見ることができました。

後半、森を抜けると視界が開け、黄色いカタバミや紫色のツルギキョウ、サイネリア、ライオンティースなどカラフルな花々が咲き、まるで春の日本の里山の様な景色が広がっていたことに驚かされました。
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森を抜けると里山の様な風景

シネラリア(サイネリア) (2)
サイネリア

カタバミの仲間
カタバミの一種

ツルギキョウ (1)
ツルギキョウの仲間

ライオンティース
ライオンティースと呼ばれる黄色い花

2時間のハイキングを終え、エル・セドロのレストランに到着。ここで少し遅めの昼食です。
この日の昼食はウサギの煮込み料理をいただきました。

ちなみにここ“ガラ・ホナイ国立公園”にはロミオとジュリエットさながらの悲劇の伝説が残されています。

「ガラとホナイの伝説」
ホナイは、テネリフェ島のアデヘ王の息子で、ゴメラ島での祭りを祝うために島に到着しました。お祭りの中のゲームで、活躍したホナイはガラという女性の視線を集め、そして二人は恋に落ちました。不運にも、二人の婚約が発表された時、テネリフェ島のテイデ火山が噴火を始めました。この事は不吉な予兆として、2人の両親は婚約を解消することにしたのです。ホナイはテネリフェに戻ることとなりました。ある夜、彼は2つの島を隔てる海を泳いで渡り、ガラと駆け落ちしました。親たちはすぐに2人を探し出すように命じ、山の中で見つってしまったのです。しかし、彼らは月桂樹で作られた槍の両端の鋭化し、自分たちの胸に刺し、お互いを抱擁しながら、死ぬことを選んだのです。


前日に訪れたテネリフェ島のテイデ国立公園とは全く異なる、緑豊かな〝ガラホナイ国立公園”。同じカナリア諸島と言っても島によって大きく異なった生態系を保ち続けている事に驚かされるばかりです。

SAIYU TRAVEL 西遊旅行 米谷健吾

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火山が造りだした、大西洋に浮かぶ固有種の宝庫カナリア諸島を歩く






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2014年08月19日

カナリア諸島に聳えるテイデ山

■ロケデグラシア全容DSC_4091
ロケ・デ・ガルシアから望むテイデ山

アフリカ大陸の北西沿岸に近い大西洋上にあるカナリア諸島は、7つの島からなるスペイン領の群島です。島の名前はグラン・カナリア島のラテン語名「Insula Canaria(「犬の島」の意)」に由来します。カナリア州の紋章には、7つの島々をはさんで一対の犬が描かれています。この犬の島という名前には諸説あり、現在は次の2つの説が有力とされています。

1.かつて生息していたアザラシ(ラテン語で「海の犬」と呼ばれる)に由来するとする説。

2.カナリア諸島はローマ時代から存在が知られており、"カナリア"という名の由来は、ローマ人が初めてこの地に上陸した時、犬が多く生息しているのを見て、"INSULA CANUM"(ラテン語で「犬の島」の意)と呼んだことに因むと言われている説。

です。

カナリア諸島はアフリカ北西部・モロッコ西岸の沖に位置します。スペインの自治州の一つで、総面積は約7447k㎡。日本でいうと宮城県と同程度の面積を持っています。また、諸島には豊かな自然が残り、ハワイとガラパゴス諸島に並ぶ自生種が生息、 4つの国立公園が残っています。

カナリア諸島には7つの島があり、それぞれ異なる特徴を持っています。
◆カナリア諸島の7つの島々
・テネリフェ島
•グラン・カナリア島
•ランサローテ島
•ラ・パルマ島
•ラ・ゴメラ島
•エル・イエロ島
•フエルテベントゥーラ島

中でも最大の島がテネリフェ島。カナリア諸島の7つの島の中で最も観光客に人気があり、また、スペインで最も居住人口の多い島。人口は898680人。カナリア諸島全体の人口の43%がこの島に住んでおり、マカロネシア全体でも最も人口が多い島です。2000万~5000万年前頃からの火山活動によって徐々に隆起してできたと考えられています。

テネリフェ島を有名にしているのがテイデ山。標高3,718mの火山でスペインの最高峰となっています。テイデ山とその周辺は、「テイデ国立公園」(Parque Nacional del Teide)という面積18900 ha あまりを持つ国立公園になっており、2007年にはユネスコの世界遺産に登録されています。
海抜の標高は3718 m ですが、近海の海底からの高さはおよそ7500 m あり、スペイン領内最高峰であるとともに、大西洋の島にある山としても最高峰。テネリフェ島自体が地球で第三位の規模を持つ火山になっていることから、テネリフェ島は世界第三位の火山島でもあるのです。

テイデという名前は、グアンチェ族の言葉で「地獄」を意味する「エチェイデ」(Echeide)に由来します。実際、現地民にとっては、テイデ山周辺は禁忌の場所と見なされてきた歴史があり、神話に搭乗するグアヨタ悪魔が住む場所と恐れられたそうです。

沿岸部のからバスでテイデ山国立公園へと移動。標高が変わるにつれて、植生も変化してゆき、島の固有種でありカナリア松の森へとはいっていきます。眼下には大西洋と対岸のグラン・カナリア島を望む事ができました。
カナリア松の森と大西洋
カナリア松の森と大西洋の眺め

■ピコ・ビエホ(3,134m)とピコ・テイデ(3,718m)
国立公園へ入って最初の展望ポイント。3718mの山頂とともに、3,134mのピコ・ビエホ峰が見える。ここは20万年前頃から活動を続けてきた火口で、最近では1798年に最後の噴火をおこしている。
■ピコビエホとテイデ山頂
左がピコ・ビエホ、右はテイデ山山頂

■ロケ・デ・ガルシア
続いて訪れたのは“ロケ・デ・ガルシア”。奇岩連なる不思議な景色とその背後にテイデ山の絶景が広がっています。ここからの景色はユーロ導入前のスペインの紙幣1000ペセタに描かれていた景色なのです。
■ロケデグラシアとテイデ山
ロケ・デ・ガルシアから眺めるテイデ山

春にあたる4月は様々な野花も花を咲かせています。
■アレリの花 (6)
紫色の花アレリ

Spanish Broomの一種(和名:レダマ) (2)
スパニッシュブルーム(和名:レダマ)

Little hearts の花 (1)
リトルハーツと呼ばれる小さな黄色い花

■エキウム・ウィルドプレッティ(Echium wildpretii)
中でも有名なのが、エキウム・ウィルドプレッティ(Echium wildpretii)です。
カナリア諸島原産の植物で、高さ3メートルを超えて育ち、その外見から、“宝石の塔”とも呼ばれます。エキウムがテイデ国立公園でみどころを迎えるのは5月中旬~6月中旬頃。真っ赤な花を咲かせるエキウムとテイデ山の景色がお楽しみいただけます。

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真っ赤な花を咲かせるエキウム・ウィルドプレッティとテイデ山

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エキウム・ウィルドプレッティは5月中旬から6月中旬に見ごろを迎えます。

■ラス・カニャダス
およそ15万年前には、大規模な噴火が起こったとされ、このときに標高2000 m 地点の巨大なカルデラ「ラス・カニャダス」が形成されました。このカルデラは、東西15km、南北10km に及ぶ巨大なもので、ロケ・デ・ガルシアもこのカルデラの中に位置しています。
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ラス・カニャダスの巨大なカルデラを望む

■テイデ山山頂直下へ。
テイデ山山頂直下まではロープウェイが運行しています。麓のロープウェイ乗り場から5分程で、一気に標高3,550mへ。降りたところからは大西洋とカナリア諸島の島々の大パノラマが広がっていました。テイデ山山頂もより間近に迫り、迫力をまします。ここからは往復1時間ほどのハイキングで、島の反対側を望むことができるヴューポイントまで往復。溶岩台地の上を歩ます。4月中旬でもまだまだ雪が残っているところも多々ありました。
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ロープウェイで一気に山頂直下へ。

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山頂直下の溶岩台地を歩く

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より間近にテイデ山の展望が迫ります。

ヴューポイントからの眺め。島の北側にあたる地域南側よりも雨が多く、緑豊かなオロタバ渓谷が広がっています。
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テネリフェ島北側を望む

所々、地中から蒸気が噴き出している場所も見かけられます。火山がまだ生きていることの証と言えるでしょう。
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岩の間から蒸気が噴き出す。

歴史上何度も噴火を繰り返してきたテイデ山ですが、最も最近の噴火は、西斜面から噴火した1909年のもの。
それ以後、現在は活動を休止しています。しかし、火山活動によって造りだされた雄大な自然、不思議な景色、固有の植物とたくさんの楽しみを観光客に与えてくれています。日本人にとってなじみの薄いカナリア諸島ですが、自然の魅力に溢れたとても興味深い島でした。

次回はラ・ゴメラ島の“ガラホナイ国立公園”をご紹介します。

SAIYU TRAVEL 西遊旅行 米谷健吾

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火山が造りだした、大西洋に浮かぶ固有種の宝庫カナリア諸島を歩く



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2014年08月01日

シルクロード古仏巡礼③:シリデーワ クワ出土

 ウズベキスタン、フェルガナ地方。かつて大苑国と呼ばれたこの地は、汗血馬の産地として名高い地であった。汗血馬は、トルクメニスタン原産のアハルテケで、豊かな土地であったフェルガナで多く飼育されていた。
 この馬は、血の汗を流し、一日に千里を駆けたという。前漢の武帝は、この馬を手に入れるために大軍を大苑国に遠征させた。

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【左:フェルガナのアサカの町に残る汗血馬の像】
【下:トルクメニスタンの名馬アハルテケ】
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 そのフェルガナに、クワという遺跡が残る。紀元前1世紀から7世紀にかけて栄え、インドと中国を結ぶ途上にあった。クワには、フェルガナで唯一の仏教寺院があり、この遺跡から出土したシリデーワという女神の顔が、タシケント歴史博物館に保存されている。

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                       【シリデーワ像:タシケント歴史博物館蔵】

 美と知恵を表すこの女神は、頭に髑髏を巻いた姿をしている。この姿は、忿怒形吉祥天のペンデン・ラモに代表されるチベット仏教の護法尊と共通している。また、シリデーワもペンデン・ラモも、同じ女神であることが興味深い。

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【ペンデン・ラモが描かれた仏教壁画】
 

 髑髏を巻くというおどろおどろしい姿は、インドが起源であろうか。チベット仏教にその影響が現れるのが年代として一番遅いことを考えると、インドから中国の途上のクワでシリデーワが出土したことがうなずける。
 中国とローマという東西の道というイメージが強いシルクロードは、南北にもいくつもの道があった。東西南北のシルクロードが交差した中央アジアには、イスラムが流入するまで多くの仏教寺院が存在していたが、現在のクワの遺跡は、ほとんど建物は残っていない。
 しかし、中央アジアを貫いたシルクロードの先にあるチベットの繊細な仏教画の中に、そして日本の仏像の中に、この地を通った神々の面影が残っている。

【関連ツアー】

文明の十字路 ウズベキスタン

yamada_saiyu at 22:01|Permalink