2015年07月

2015年07月30日

聖なるブハラとその見所(ウズベキスタン)

こんにちは。
大阪支社の植田です。

今回はイスラム世界では、聖なるブハラとも呼ばれ、シルクロードの大切な十字路として繁栄を誇った町、ブハラの見所を少し紹介したいと思います。ブハラは1993年に世界遺産へも登録されたウズベキスタンの古代オアシス都市の一つでもあります。
青の都の異名を持つサマルカンドと比較すると、ブハラの町は青の屋根も少なく土の色が目立つといった印象です。

見所一つ目は「チャール・ミナル」。
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チャル・ミナールとは、タジク語で「4本のミナレット」という意味。
1807年、トルクメニスタンの商人カリフ・ニヤズクルによって建てられた珍しいメドレセです。かつては神学校もモスクもありましたが、今はこの入口のみが残っています。
彼が4人の娘のことを思い立てた4本のミナレットには、それぞれ異なる模様が施されています。それぞれの模様は4人の娘の性格を表しているのだとか。
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旧市街の外れにある小さな建物ですが、4つの青い帽子を被った何とも愛らしい外観です。

見所二つ目は「イスマイル・サマーニ廟」。
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892年から943年にかけて建てられた中央アジア最古のイスラム建築であります。ブハラを占領して都としたサマン朝のイスマイル・サマーニが父親の為に建てた霊廟でしたが、後に彼や彼の息子も葬られ、サマン朝の王族の霊廟となりました。キジルクム砂漠の砂にラクダのミルク、卵黄や使用して作られた日干しレンガを積み上げた構造です。
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モンゴル軍が来襲した際には、その殆どが土の中に埋れていた為、破壊されることもありませんでした。

反時計回りにここを3週すると願いが叶う!…とも言われています。
ぜひ訪れた際には、願いを込めながら、3週してみて下さい!

見所三つ目は「カリヤン・ミナレット
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「カリヤン」とは、「大きい」という意味で、その名の通り、中央アジアで最も大きいミナレットであり、現在はブハラの町のシンボルとなっています。
この46メートル(地下10m)のミナレットもイスマイル・サマニ廟と同じく、焼きレンガの装飾が特徴的です。
ミナレットとは通常はアザーンをとなえる場ですが、灯台・見張り台の役目も果たし、ここは死刑台(上から死刑囚を袋に入れて突き落とす)としても使われたようです。

見所ではないですが、最後に「コウノトリのはさみ」。
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こちらは建築物ではございませんが、ブハラの有名な工芸品の一つです。幸福と豊穣をもたらすと信じられているコウノトリはウズベキスタンで大切にされている鳥です。そしてブハラのシンボルでもあります。
路上で売られているものもたくさんありますが、ぜひ工房を訪れてみて下さい。その場で英語で名前を入れてくれる工房もございます。

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今回ご紹介させていただいたのは、ブハラの見所のごく一部です。
シルクロードの中継地点、オアシス都市として栄華を誇ったブハラ、ぜひ一度足を運んでみて下さい。

ウズベキスタン、ブハラを訪れるコースはこちら↓
文明の十字路 ウズベキスタン
http://www.saiyu.co.jp/itinerary/new/GEUZ11/index.html

staff_saiyu at 09:19|Permalink

2015年07月10日

シルクロードの食(キルギス)

今日はシルクロードの食というテーマで、記事を書きました。先日訪れた中央アジアの国キルギス。古くからシルクロードの中継点として栄えたため、食文化も様々です。ソビエト連邦の一部であった時代が長かったためロシア料理もたくさんありますが、やはり中国・新疆ウイグル自治区と似た食文化が残っています。そして何よりシルクロードを通じて日本とのつながりを感じることができるのです。

まず、中央アジアの食事と言えばたくさんの前菜です。最初からテーブルにはたくさんのお皿が並びます。サラダやナン(日本でいうパン)、さらにはクッキーやデザートの果物が最初から出てくるのも特徴です。
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サラダやお菓子や果物が並ぶ前菜

そしてキルギスをはじめ中央アジアで食卓にかかせないのがナン。ナンといってもインド料理のナンとは少し異なり、日本でいうパンです。バザールに行くと毎日新鮮なナンが手に入ります。
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そしてこちらはラグマン。日本でいう「うどん」ですね。日本にも多種多様なうどんがあるように、現地にもいろいろな種類のラグマンがあります。一般的なイメージとしては暖かいスープに、具としてお肉や野菜が沢山のったものかもしれませんが、スパゲッティの様にゆがいた麺の上から、ソースをかけて食べるものもあります。

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一般的なスープと一緒に食べるラグマン
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スパゲッティの様なラグマン

こちらはマントウ。日本でいう「肉まん」です。ひき肉、玉ねぎなどを小麦粉でできた生地の中に詰め、蒸し上げます。
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続いてはコルダックという料理。羊肉を炒め、玉ねぎやジャガイモなどの野菜を添えた料理で、こちらは伝統的なキルギス遊牧民の料理です。キルギスではやはり羊肉が一般的です。
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ベシュバルマクは、キルギスの伝統料理の中で最も重要な料理で、結婚式など親戚が集まる席の時に必ず出されます。ベシュバルマクは羊や牛・馬の煮物と手作りの麺から作られます。ベシュバルマクはキルギス語で“5本の指”と言う意味です。昔のキルギス人はこの料理をスプーンを使わずで、手で食べていました。今でも、ベシュバルマクをスプーンより、5本の指で食べたほうが美味しいと言う人もいます。

お米を使った料理もあります。こちらは「プロフ」と呼ばれる料理で、「ピラフ」の事。日本でいう焼き飯です。少し油が多いので食べ過ぎには注意が必要です。
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キルギス料理には、パンの種類がいくつかありますが、中でも一番人気が高いものがボルソック。小麦粉で作った小さな揚げパンで、ついつい手がとまらなくなってしまいます。
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シシャリクという肉の串焼き。シシカバブと同じです。日本人は独特のにおいからラムが苦手な方が多いですが、新鮮な羊が沢山手に入るキルギスでは、それほど臭みもなく、ラムのシシカバブは最高です。また、イスラムの国ですが戒律がそれほど厳しくないためポークのシシカバブがでることもあります。
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夏のシーズン真っ盛りのキルギス。キルギスだけでなく、中央アジアではどこも良く似た食文化を持っています。まだ10月までシーズンが続く中央アジアへ。是非、お出かけ下さい。

■西遊旅行で行くキルギスの旅
キルギスとカザフスタン天山自然紀行
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー
キルギス天山山脈ヘリフライトとゆったりフラワーハイキング


写真・文 西遊旅行 米谷健吾














yonetani_saiyu at 09:30|Permalink シルクロード 

2015年07月03日

パルティア 失われた都・ヘカトンピュロス

 シルクロード英雄列伝に度々登場しましたパルティア。彼らが残した謎の都のお話しです。

 紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの領土を引き継いだセレウコス朝を倒し、現在のイランを中心にメソポタミアからインダス川までを領土としたアルサケス朝パルティアが興りました。
 最盛期にはローマ帝国とも対峙したパルティアは、その都を各地に3つ建てます。
 
 一番最初の都はトルクメニスタンのアシガバートに残るニサで、かつてのミトラダトケルタと言われています。
 西遊旅行のトルクメニスタンのツアーでは必ず訪れ、神殿跡や宝物殿を見学します。また、アシガバートの歴史博物館では、彼らが使った象牙のリュトンも見ることができます。

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                  【かつてのミトラダトケルタと言われるニサ】

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                        【ニサに残る神殿の柱】


 このニサには、興味深い逸話が残っています。1948年、ソビエトの調査隊がニサを調査し、彼らの宝物殿を発掘しました。その翌日、アシガバートをマグニチュード7.3の地震が襲い、甚大な被害を被りました。宝物殿を暴かれたパルティアの怨念ではないかという噂が立ちました。

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                        【宝物殿から出土したリュトン】


 話はそれますが、トルクメニスタンの初代大統領だったニヤゾフ大統領は、この震災で両親を亡くし
孤児院で育った孤児でした。独立後、豊富な天然ガスで豊かな国になった際、大統領は沢山の孤児院をトルクメニスタンに建てたのでした。
                    
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                  【アシガバートに立つ初代大統領ニヤゾフの像】

 パルティアが次に建てた都が、ギリシャ語で「百の柱」と呼ばれるヘカトンピュロスでした。
 
 カスピ海沿岸に建てられたと言われるこの都は、3つ目の都クテシフォンがユーフラテス(現在のイラク)に建てられるまで、パルティアの首都として機能しました。

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                 【広大な面積を誇ったヘカトンピュロス全景】


 クテシフォンに遷都した際、ヘカトンピュロスにあった建物は地中に埋められたため、永らくこの都の跡の場所は謎に包まれたままでした。
 近年の調査で、陶片に書かれた文書も発掘されていますが、荒れ果てたままの広大な遺跡だけが、失われた都のように残っています。

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                        【遺跡の残る建造物の跡】



 その後、メソポタミアのクテシフォンを首都として最盛期を迎えたパルティアでしたが、紀元224年に、ササン朝のシャープール1世によって滅ぼされ、歴史から姿を消したのでした。

 
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           【イランのナクシェ・ラジャブに残るシャープール1世の騎馬叙任式図】
 

 さて、今月中旬にお手元に届く138号パンフレットで、いよいよこのヘカトンピュロスを訪れるツアーを発表します。ツアー名は、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」。
パルティアの失われた都を訪れるこのツアーの詳細を、乞うご期待。

【関連ツアーはこちら】
ペルシャ歴史紀行
カラカルパクスタンとトルクメニスタン
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間

※「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアー詳細は、7月17日頃にホームページにアップされます。

yamada_saiyu at 19:07|Permalink シルクロード英雄列伝 | イラン