ヴィア・ドロローサ死海で浮遊体験

2012年10月16日

中央アジアへの扉・タシケント

こんにちは、東京本社の近藤です。


9月に「文明の十字路 ウズベキスタン」へ同行させていただきました。
今回は、このツアーで訪れる町の風景を2回にわたり紹介させていただきます。
まずは、ウズベキスタンの玄関口タシケントです。

【タシケント】
町の歴史は古くチルチク川の流域に位置するオアシス都市として栄えました。立地も良く古代よりシルクロードの交易路の要所として栄えました。三蔵法師もここを訪れています。有名な交易地として中国でもその名は知れ渡り、唐の時代には「石国」と呼ばれていました。

その後、唐がタシケントに侵攻した際にイスラム帝国であるアッバース朝に支援を求め、起こった戦いがタラス河畔の戦いです(戦は現在のキルギスのタラス地方で繰り広げられました)。アッバース朝の勝利をきっかけに、タシケントのみならず中央アジア全体でイスラムが進みました。イスラム文化は現代まで根強く続いています。

19世紀、タシケントは帝政ロシアの植民地となり、ロシア人が移住しロシア文化が入り込んできました。
この頃から20世紀初頭にかけて、タシケントは英国と帝政ロシアの間で繰り広げられた領土の争奪戦「The Great Game(グレート・ゲーム)」の舞台になり、スパイ合戦が繰り広げられ別名「スパイの街」とも呼ばれていました。


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《写真左:チョルスー・バザール内はウズベキスタンで一番大きく、実際に訪れるとまるで迷路》
《写真右:とあるスーパーにて。様々な民族がウズベキスタンを行き交っている過程で混血化が進んだ》

以前はブハラなどと変わらないような入り組んだ路地が多い日干し煉瓦の建物が並ぶ街でしたが、1966年の大地震で建物のほとんどが倒壊されました。




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《写真左:広々と拡張された道路が続くタシケント市内》    
《写真右:1966年の地震で多くの建物が倒壊したが、日本人が建てたナヴォイ劇場はまったく無傷だったといわれる》

その後、ソ連の政権の下、支援を得て震災から立ち直りました。その際、当時はソ連内の一共和国ということもあり、街並みも統一され道路も広く整然とした街並みになりました。

数々の歴史を経て街の拡大・崩壊を繰り返し現在のタシケントはウズベク人を始め多くの民族が混住する街となりました。街の多彩さは中央アジア一です。いまや人口200万人以上を要しする中央アジアの首都といえます。







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《歴史を語るうえで外せないのが歴史博物館。タシケントでは各地の出土品が展示されています。
写真はファヤズ・テパで発掘された三尊仏像》


次回はティムール帝国の中心サマルカンドを紹介します。



▼文明の十字路ウズベキスタン

kondo_saiyu at 20:59│ ウズベキスタン | シルクロード
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