シルクロード

2016年10月21日

「早春のペルシャ」パンフレット発表!

こんにちは。大阪支社の中田です。
今回は、先日発表したばかりの「早春のペルシャ」パンフレットの中からご紹介させていただきます。
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春は、イラン旅行のベストシーズン。過ごしやすい気候の中、花や緑の美しい景色もお楽しみいただけます。
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このパンフレットでは、「ペルシャ歴史紀行」に加え、季節限定の「イラン北西部周遊」と、「大ペルシャ周遊」を発表させていただきました。今回は、「イラン北西部周遊」についてご案内したいと思います。

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■「黒の教会」とも呼ばれる世界遺産の聖タデウス教会(マクー)

ザクロス山脈からカスピ海へ。イランの豊かな自然をご満喫いただけるこのコースは、イラン再訪の方にもお勧めです。
今年から当コースは、現地国内線でテヘランからケルマンシャーへ移動する、10日間のツアーとして発表させていただいております。短い期間で5つの世界遺産を効率よくご覧いただきます。

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■アルダビルの聖者廟

タブリーズのアゼルバイジャン博物館では、6世紀、ササン朝ペルシャで制作されたと考えられるカット・グラスが語らに他抱けます。これと同じ起源を持つカット・グラスは日本の正倉院にも残っており、シルクロードを越え、伝わったことが分かります。
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自然に、世界遺産、歴史的建造物。通常のコースではなかなかじっくりと見ることのできない、広いイランの北西部の魅力が詰まったコースです。是非、来年の春にご検討下さい。

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■イランツアー
・「ペルシャ歴史紀行
・「イラン北西部周遊
・「大ペルシャ周遊
・「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス

個人旅行でも訪問可能です。お日にち、日程などご相談ください。


nakata_saiyu at 18:19|Permalink

2016年01月22日

夏のキルギスへ ~①パミール・アライ山脈「レーニン峰ベースキャンプ」

 
 大阪支社 高橋です。

 少し遅くなりましたが、皆さま新年あけましておめでとうございます。
 2016年となり、まもなく1ヶ月が過ぎようとしておりますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。

 昨年12月に弊社も新しいパンフレットを、既存のコースから新企画のコースまで、たくさんのコースを発表させていただきましたが、ご興味あるコースはございましたでしょうか。

 ここ数年、中央アジアへのお問い合わせが非常に多くなってきております。
 そんな中央アジア「シルクロードの旅」の中から、キルギス共和国への旅の1つ、キルギス共和国の夏の魅力を網羅したアドベンチャー企画「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」を数回に分けてご紹介させていただきます。

 キルギス共和国は、中央アジアに位置する旧ソビエト連邦の共和制国家であり、かつてはキルギスタンと呼ばれていました。改称以降も別称として公式に認められています。
 ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体(CIS)加盟国であります。

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 キルギス共和国は、中央アジア5ヶ国の中で最も面積がせまい国ですが、国土全体の40%が標高3000mを超える山岳国家で、広大な山岳地帯と草原を持つ大自然の豊かな国であります。
 国土は東西に長く広がっており、中国との国境には天山山脈、南との国境に接するタジキスタンに向かってパミール高原が広がっております。

 標高3,000mほどの地域に広がる大草原には豊かな放牧地が広がり、そこに住居とユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)を建て、馬やヤク、牛とともに暮らしています。
 「パミール・アライ」に暮らす自分たちこそ「キルギスの中のキルギス」と自称するほど、今でも馬などの家畜とともに暮らす生活が保たれています。
 
 本来、キルギス族は一年中ユルトでの生活を行ってきましたが、ソビエト時代に行われたコルホーズ・ソフホーズ主導の牧畜の管理の結果、村に定住するようになり伝統的なユルトは夏の間だけ利用される放牧用の住居になってしまいました。

①KW2A1835(①キルギス族)
【パミール・アライにクラスキルギス族の家族】


 そんなキルギス共和国の雄大な自然と遊牧民の暮らしや文化にふれる旅である「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」では、天山山脈のベースキャンプへのヘリフライト南イニルチェク氷河上の常設キャンプでのキャンプ泊フラワー・ハイキングキルギス族の移動式住居ユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)での宿泊など夏のキルギスを満喫する、山岳風景や高山植物、民族の写真撮影・絵を描かれる方にもお勧めのコースです。

 第1回目の今回は「パミール・アライ山脈・レーニン峰ベースキャンプ」をご紹介します。

 日本を出発し、キルギス共和国の第2の都市であり、南の首都と称されるオシュに到着します。
 到着後はホテルで少しお休みいただいた後、キルギス族の放牧風景を眺めながら、サリタシュを経て、ツアーのハイライトの1つでありますレーニン峰(7,134m)のベースキャンプを目指します。
 サリタッシュを通過後、ベースキャンプへと続く道は未舗装道路となってしまいますが徐々に迫りくるパミール・アライ山脈の景観に心奪われ、揺れる車窓から山岳風景を楽しまれていました。
(ご安心下さい、きちんと写真タイムをお取りすることをお約束いたします。)

②KW2A1660(②パミール・アライ)

②KW2A1663(②パミール・アライ)
【パミール・アライ山脈の景観が広がり始める】


 キルギス共和国の南部には,東西方向にのびる2つの山脈があります。

 北側にはアライ山脈南側にはザ・アライ山脈(トランス・アライ山脈)があり,これらをまとめて「パミール・アライ山脈」と呼ばれており、新彊ウイグル自治区からウズベキスタンのサマルカンドまでおよそ500kmにわたって伸びる山脈です。
 
 そのパミール・アライ山脈の中で最も有名なのが、トランス・アライ山脈の中央に聳える「レーニン峰(7,134m)」で、パミール・アライ山脈の最高峰であり、パミール高原の最高峰でもあります。
 
 パミール・アライ山脈の風景に心を奪われながら進むと、徐々にそのレーニン峰の姿が目の前に現れます。山頂付近は激しい氷食をうけ,多くの谷氷河が流れているその山容は、圧巻の一言です。

③KW2A1965(③BC着前のレーニン峰)
【ベースキャンプ到着間際のレーニン峰】


 「早く写真タイムを取って欲しい」と、お客様の心の声が聞こえてきそうな景観ですが・・・
 慌てずともこのツアーでは、その迫力あるレーニン峰の麓に設置された「アチクタシュ・ベースキャンプ」に宿泊、しかも2連泊するのです。

※ここがツアーのポイント!!
 ただ、レーニン峰の景色を堪能するために宿泊するのではなく、アチクタシュ・ベースキャンプで2連泊をし、迫力のレーニン峰の景観と合わせて、周辺に咲き乱れる高山植物の観察など、レーニン峰の周辺の探索もお楽しみいただきます。


 レーニン峰のベースキャンプ滞在の中日を利用して「レーニン峰をはじめとするパミール・アライ山脈を眺めながらのハイキング」をお楽しみいただきます。
 
 朝、ベースキャンプを出発して起伏の少ないルートをのんびりと歩き、徐々にレーニン峰へと近づいていきます。

④KW2A1733(ハイキング)

④KW2A1754(ハイキング)
【周辺の山々を望むハイキングへご案内】


 皆さんの「一歩でもレーニン峰へと近づきたい」という逸る気持ちにストップをかけるのが、周囲に咲き乱れる高山植物の花々です。

 キルギス共和国は半乾燥の草原が広がり、周囲の山々からの水を受け、7月には高山植物が咲き乱れます。
 そうです、キルギス共和国は中央アジア屈指の高山植物の宝庫なのです。

 ここキルギス共和国で咲く高山植物は、後日改めて詳しくご紹介させていただきますので、お楽しみを。
 ひとまず、レーニン峰のベースキャンプ周辺に咲く花々の写真を掲載しておきます。

⑤KW2A1734

⑤KW2A1740

⑤KW2A1745

⑤KW2A1760
【レーニン峰ベースキャンプ周辺に咲く花々】


 午前中、涼しい時間帯のハイキングはレーニン峰をより迫力ある場所から望むポイントまでご案内します。
 特に決まった展望台というポイントはなく、行くところすべてが展望台と言っても過言ではありません。
 
 滞在の中日ということで時間的な余裕は十分にあるため、皆さんの体調や様子を伺いながらゆっくりとしたハイキングが楽しめるのも、このツアーならではであります。

⑥KW2A1771
【徐々に迫りくるレーニン峰(7,134m)】

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【激しい氷食を受けたレーニン峰の山頂部】

⑥KW2A1775
【振り返るとパミール・アライ山脈を遠望】

⑥KW2A1794
【高山植物が咲き乱れるレーニン峰の麓】


 午前中、レーニン峰の景観と高山植物の花々を思う存分楽しんだ後、午後も周囲の探索へとご案内します。

 ベースキャンプ周辺にはキルギス族の方の移動型住居ユルトが点在し、馬などの家畜とともに暮らすキルギス族の方々とのふれあいもお楽しみいただけます。

 ベースキャンプで滞在できる事で、時間の経過により刻一刻と変化するレーニン峰の姿も堪能していただけます。

 テントが並ぶベースキャンプのすぐ脇にある池には、正面に聳えるレーニン峰が鏡のように映り込み、絶好の写真ポイントとなります。
 ここでは「夕焼けに染まるレーニン峰」の景観をお楽しみください。

 これだけ間近でご覧いただけるのは、当ツアーへご参加いただいた方々だけの特典です。

⑦KW2A1889(夕焼けのレーニン峰)

⑦KW2A1890(夕焼けのレーニン峰)
【夕焼けに染まるレーニン峰】


 そして、見逃してはいけないのが「夜のレーニン峰」です。
 月夜の下に聳えるレーニン峰の姿は非常に幻想的で、見逃さずにご覧いただきたい景観です。
 ※撮影好きの方は三脚をお忘れなくお持ちください。

 ダイニングテントの近くの小高い丘の上が夜の撮影ポイントとしては絶好のポイントです。

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⑧KW2A1922

⑧KW2A1926
【夜のレーニン峰】


 トランス・アライ山脈の中央に聳えるパミール・アライ山脈の最高峰であり、パミール高原の最高峰の「レーニン峰(7,134m)」を心行くまで堪能できる「アチクタシュ・ベースキャンプ」での滞在。
 そこでご覧いただけるパミール・アライ山脈の景観、レーニン峰の雄姿は、当ツアーでしか味わう事のできない景観です。


 是非今年の夏は、キルギス共和国へ訪れてみませんか。

 次回は「パミール・アライ山脈に住むキルギス族の方々の生活について」をご紹介したいと思います。

・・・続く。

■夏のキルギスへ訪れるツアーのご紹介
「天山とパミールの懐へ 夏のキルギスアドベンチャー」

■春のキルギスもお勧め!!
春のキルギスへ ワイルドチューリップを求めて
※野生のチューリップを求めてキルギスへ訪れてみませんか。

takahashi_saiyu at 09:30|Permalink

2015年12月25日

2016年シルクロードパンフレット発表!

 皆様、お待たせいたしました。今年も「シルクロードの旅」のパンフレットが完成しました。中国の新疆からコーカサスまで、新コースを含んだ多彩なラインアップです。
 今年の新コースを、少し紹介いたします。

               「春のキルギスへ ワイルドチューリップを求めて」

4月下旬から5月上旬だけに咲くキルギスの野生のチューリップ。専属のフラワーガイドが同行し、春のキルギスの花々について詳しくご案内いたします。この季節だけ限定の特別企画です。

               
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               【4月下旬から5月上旬だけに咲くチューリップ】


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近年カザフスタンのツアーが増えましたが、なかなかツアーでは訪れない首都アスタナを訪問。そして、アルマトイ北東イリ川沿いに砂漠と岩山の絶景が広がるアルティン・エメル国立公園を訪ねます。人気の「神秘の大地マンギスタウ トゥズバイル塩湖とウスチュルト大地」のツアーに連続参加が可能です。

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                         【近未来都市アスタナ】

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                  【絶景が広がるアルティン・エメル国立公園】

            「ペルシャから東トルコ縦断 知られざるアジャリア自治共和国へ」

テヘランからスタートし、イラン北西部を通って東トルコへ。ここからジョージアに入り、アジャリア自治共和国に抜けます。黒海沿岸のアジャリア自治共和国は、ギリシャ神話の「アルゴナウタイ物語」に登場するアルゴ―号と王女メディアの舞台であったコルキス王国のあった地です。

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                 【イラン北西部に残るゴンバデ・スルタニエ】

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                   【アジャリア自治共和国の首都・バトゥミ】

                「山岳シルクロード 世界の屋根パミールへの道」

パキスタンのイスラマバードからスタートし、途中7つの峠を越えて中国、キルギス、タジキスタンを訪れるコースです。「新シルクロード構想」によって近年外国人にも開放された国境を越え、ヒマラヤ、カラコルム、ヒンドゥークシュ、天山山脈の圧巻の山岳風景を楽しみながら、かつてのシルクロードを往く新コースです。

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                    【サリタシュから望むレーニン峰】

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                     【ムスターグ・アタとカラクリ湖】

 このブログでも、随時新コースの紹介ページを作成して参ります。
 
 すでに、ゴールデンウィークのマンギスタウのツアーは催行決定、その他のコースも沢山のお申込みをいただいています。お早目に「シルクロードの旅」のパンフレットを開いていただき、皆様のお申込みをお待ち申し上げます

yamada_saiyu at 18:00|Permalink

2015年12月16日

青の都・サマルカンド

 シルクロード最古の都市と呼ばれるサマルカンド。その名前だけでもシルクロードの郷愁がただよう古都です。今日は、サマルカンドの歴史と魅力をご紹介します。

 多くのシルクロードのオアシス都市は、水を得やすい河の近くに発展していきましたが、サマルカンドはアム・ダリヤの支流、ザラフシャン川のほとりで発展しました。紀元前10世紀から人々が住み始めた歴史があります。
 アレキサンダー大王も東方遠征の際にサマルカンドを攻略しました。当時の名前はマラカンダと呼ばれ、大王はソグド人の長期に渡る徹底抗戦に会いました。
紀元7世紀から8世紀にかけては、ソグディアナに生きたソグド人の都市として繁栄を極めます。サマルカンドで音楽や踊りを教え込まれた奴隷達が、シルクロードを伝って唐へ向かい、唐では西域の文化が大流行しました。

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           【アフラシアブの丘にあったソグド人の邸宅内にあったフレスコ画】

 1220年には、東からの侵略者、モンゴルの襲来を受けます。水利システムも含め、サマルカンドの街は徹底的に破壊されました。2,000年以上栄えたサマルカンドの歴史は、この時に一度終わったと言っても過言ではないでしょう。
 サマルカンドに残るアフラシアブの丘。ここはモンゴル襲来までサマルカンドの街があった場所です。発掘により、この丘は11もの時代の層に分かれていることが判明しています。

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                 【かつてのサマルカンドの街が眠るアフラシアブの丘】

 一度死の街を化したサマルカンドに、現在まで残る壮麗な建築物を建て、再びシルクロードの一大都市に変えたのが、中央アジアの覇者・ティムールです。彼はサマルカンドを自分の帝国の首都と定め、帝国各地からの建築家や職人をサマルカンドに送り、各地の技術を駆使した建築物を建造しました。現在サマルカンドで目にする建物のほとんどが、ティムールの時代の後のものになります。

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                    【サマルカンドにある玉座に座るティムール像】

 彼は死後、自分の生まれ故郷のシャフリサブスに埋葬するように命令を出していましたが、没地オトラルからシャフリサブスへ遺体を運ぶ際に大雪に遭い、シャフリサブスまで到達できずに、首都のサマルカンドに葬られることになりました。墓地はグル・エミル廟と名付けられ、中央アジアの覇者にふさわしい荘厳な建物が現在もサマルカンドに残っています。

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                      【ティムールの眠るグル・エミル廟】


 ティムールの死後、彼の建築を引き継いだのが孫のウルグ・ベクです。支配者の顔の他、天文学者でもあった彼は、天体観測のためにサマルカンドの高台に天文台を建設しました。
 またレギスタン広場にメドレッセ(神学校)を建設し、17世紀に建設された2つのメドレッセと合わせてサマルカンドの3つのメドレッセとともに、サマルカンドを代表する建築群となっています。

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                   【3つのメドレッセが並ぶレギスタン広場】

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                【ライオンの装飾が施されたシルダール・メドレッセ】


 また、サマルカンドの聖地がシャーヒ・ジンダ廟です。この地で殉教した、預言者ムハンマドの従兄のクサム・イブン・アッバースの廟には、現在も沢山の巡礼者が訪れています。また古来から聖地であったため、ティムールは自分の親族や側近をこの地に葬り、壮麗な廟を建設しました。

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   【シャーヒ・ジンダ廟のタイル装飾】               【廟が連なるシャーヒ・ジンダ廟】


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           【シャーヒ・ジンダ廟最奥にあるクサム・イブン・アッバースの廟】

 ソビエト時代に荒れ果てたままだったサマルカンドの建築群は、当時の技法を引き継いだ現在の職人の手によって、完全に修復されました。
そして、現在も中央アジアを代表する街として、世界各国の人々をひきつけてやみません。


                     ↓↓↓【まもなく催行する関連ツアーはこちら】↓↓↓

早春のウズベキスタン

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2015年07月10日

シルクロードの食(キルギス)

今日はシルクロードの食というテーマで、記事を書きました。先日訪れた中央アジアの国キルギス。古くからシルクロードの中継点として栄えたため、食文化も様々です。ソビエト連邦の一部であった時代が長かったためロシア料理もたくさんありますが、やはり中国・新疆ウイグル自治区と似た食文化が残っています。そして何よりシルクロードを通じて日本とのつながりを感じることができるのです。

まず、中央アジアの食事と言えばたくさんの前菜です。最初からテーブルにはたくさんのお皿が並びます。サラダやナン(日本でいうパン)、さらにはクッキーやデザートの果物が最初から出てくるのも特徴です。
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サラダやお菓子や果物が並ぶ前菜

そしてキルギスをはじめ中央アジアで食卓にかかせないのがナン。ナンといってもインド料理のナンとは少し異なり、日本でいうパンです。バザールに行くと毎日新鮮なナンが手に入ります。
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そしてこちらはラグマン。日本でいう「うどん」ですね。日本にも多種多様なうどんがあるように、現地にもいろいろな種類のラグマンがあります。一般的なイメージとしては暖かいスープに、具としてお肉や野菜が沢山のったものかもしれませんが、スパゲッティの様にゆがいた麺の上から、ソースをかけて食べるものもあります。

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一般的なスープと一緒に食べるラグマン
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スパゲッティの様なラグマン

こちらはマントウ。日本でいう「肉まん」です。ひき肉、玉ねぎなどを小麦粉でできた生地の中に詰め、蒸し上げます。
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続いてはコルダックという料理。羊肉を炒め、玉ねぎやジャガイモなどの野菜を添えた料理で、こちらは伝統的なキルギス遊牧民の料理です。キルギスではやはり羊肉が一般的です。
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ベシュバルマクは、キルギスの伝統料理の中で最も重要な料理で、結婚式など親戚が集まる席の時に必ず出されます。ベシュバルマクは羊や牛・馬の煮物と手作りの麺から作られます。ベシュバルマクはキルギス語で“5本の指”と言う意味です。昔のキルギス人はこの料理をスプーンを使わずで、手で食べていました。今でも、ベシュバルマクをスプーンより、5本の指で食べたほうが美味しいと言う人もいます。

お米を使った料理もあります。こちらは「プロフ」と呼ばれる料理で、「ピラフ」の事。日本でいう焼き飯です。少し油が多いので食べ過ぎには注意が必要です。
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キルギス料理には、パンの種類がいくつかありますが、中でも一番人気が高いものがボルソック。小麦粉で作った小さな揚げパンで、ついつい手がとまらなくなってしまいます。
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シシャリクという肉の串焼き。シシカバブと同じです。日本人は独特のにおいからラムが苦手な方が多いですが、新鮮な羊が沢山手に入るキルギスでは、それほど臭みもなく、ラムのシシカバブは最高です。また、イスラムの国ですが戒律がそれほど厳しくないためポークのシシカバブがでることもあります。
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夏のシーズン真っ盛りのキルギス。キルギスだけでなく、中央アジアではどこも良く似た食文化を持っています。まだ10月までシーズンが続く中央アジアへ。是非、お出かけ下さい。

■西遊旅行で行くキルギスの旅
キルギスとカザフスタン天山自然紀行
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー
キルギス天山山脈ヘリフライトとゆったりフラワーハイキング


写真・文 西遊旅行 米谷健吾














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2015年05月07日

天山の真珠 イシククル(キルギス)

今日はキルギスを代表する湖・イシククル湖をご紹介します。
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紺碧の湖と背後には雪をいただくテルスケイ山脈

イシククル湖は東西の長さが172km、南北の幅が60kmで、総面積は6,200km²。日本最大の湖である琵琶湖の9倍の大きさを持つ湖です。水深は最も深い所で約700mに達します。南側のテルスケイ山脈と北側のクンゲイ山脈が地殻の動きによって、どんどん近づいており、その影響でイシククル湖の水深は少しずつ今でも深くなっているのです。イシククルの名前はキルギス語のイシク(熱い)・クル(湖)から由来し、塩分濃度が約6%あることからマイナス20℃を超える冬でも湖は凍ることがないのです。透明度の高さはロシアのバイカル湖についで2番目。湖岸からではわからないことも多いですが、クルーズにでると透明度の高さが良く分かります。

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クルーズのスタートとなる港。人数に応じて船の大きさも異なります。船によってはクルーズしながら船上でのディナーもアレンジが可能です。

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クルーズをスタートして間もなくの風景、湖の水深によって色がグラデーションの様になっているのがとても綺麗でした。

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船上からみるイシククル湖とテルスケイ山脈。3,500mから4,500m級の山々が中心です。

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湖の北側に広がるのはクンゲイ山脈。山に残る雪は6月頃には全て溶けてしまいます。

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透明度の高さが良く分かります。水深がそれほど深くない所では湖底の砂の模様までが良く分かりました。

イシククル湖北岸の中心地チョルパン・アタ近郊には、太古の時代に描かれた刻画(ペトログリフ)が残る場所があり、野外岩絵博物館と呼ばれています。今から100万年前、山の中にある湖が地震などで崩壊し、水と共に大量の石が流された。その石が集まっている場所がこの刻画のある場所とされており、描かれている刻画はBC8世紀~AD4世紀頃にサカ族によって描かれたものと考えられています。

この場所で最も有名な刻画がこちら。
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主なモチーフはマウンテンゴート、ユキヒョウ、狩人が描かれ、中央アジア最大の刻画とされています。古い時代のものは人間は小さく、動物が大きく描かれたそうですが、これは動物にたいする尊敬の表れとされています。後々の壁画では次第に人間が大きく描かれるようになっていったそうです。

こちらは少し分かりにくいですが、トナカイだそうです。
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マウンテンゴートの刻画
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こちらは羊飼いと羊の刻画、時代が新しくなり、人間が大きく描かれています。
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この野外岩絵博物館は少し高台にあるため、天気の良い日にはイシククル湖の展望もとても素晴らしいです。
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夏場はロシアや地元のリゾート客で大変な賑わいをみせるイシククル湖。キルギスを訪れた際には是非とも見ておきたい場所のひとつと言えます。

■イシククル湖を訪れるツアーはこちら↓
キルギス・カザフスタン 天山自然紀行 
天山とパミールの懐へ 夏のキルギス・アドベンチャー 
天山山脈フラワーハイキングと大氷河ベースキャンプ滞在



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2015年04月17日

タジキスタン第二の都市・ホジャンド

暖かい日が続き、春らしい気候になりました。
いよいよシルクロードのベストシーズンを迎えます。

今回は、タジキスタン第二の都市のホジャンドについてご紹介させていただきます。
「タジキスタンとテルメズの遺産」では、ウズベキスタンから陸路で国境を越え、
シルクロードの光栄都市として栄えたホジャンドに入ります。
ホジャンドではまず、活気あふれるパンジシャンベ・バザールを訪れます。
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ここは「週の5日目=木曜日(イスラム教の数え方のため日曜日から数えます)」という
意味のバザールです。活気あふれるバザール内には、様々な食材が売られています。
肉、乾燥ヨーグルト(丸い形のスルト)、ナッツ、スパイスなど所狭しと並べられている
風景に圧倒されながら、見学をお楽しみいただきます。お肉屋さんでは冷蔵庫も使わず
販売している風景が目に入りました。売られているお肉は、そのまま外に出されています。
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「冷蔵庫に入れていると新鮮な肉ではない」と思われるため、このような販売方法を取っています。
日本では腐ってしまうからと避けてしまう方法でしょうが、国が変われば、風習が変わり、考え方も
販売方法も変わるのですね。

バザールの前にはシャイフ・ムスリヒディン・モスクがあります。
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長い名前ですが、「シャイフ」とは宗教上の集団の長を意味するタイトル、「ムスリ」は
助言という意味です。彼は7歳の時に中国の進行からホジャンドの町をすくいました。
「宗教の助言を与えた人」という名のモスクは、2000年に建てられたそうです。のんびりとした
バザールの見学後、シルダリア川の展望ポイントにて写真タイムを取りました。展望所には。
中央アジアで活躍した人々の像が並んでいました。

また、2006年にオープンした博物館にも向かいます。
この博物館のすぐ裏手には、アレキサンダー大王の最果ての都"アレキサンドリア・エスハータ"の
地に建てられた砦跡もあります。
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紀元前329年、アレキサンドロス3世がギリシャ人の入植地を建設し、「アレキサンドリア・エスハータ
(最果てのアレキサンドリア)」と呼び、シルダリア川北方のスキタイへの砦としたと言われています。
「エスハータ」とは「東」という意味で、1950年代から調査が行われ、30年後にようやく紀元前4世紀の
城砦跡が発見されました。
博物館内部はタジキスタンの歴史が石器時代から現代に至るまで、年代ごとに展示されていました。
そんな展示物の中で、やはり一番印象に残ったのが地下階に展示されていた「アレキサンドリア
大王の生涯の大理石画」でした。彼はスピタメネス率いるソグド人たちの抵抗に非常に苦戦します。
若干20歳で、父フィリッポス2世の跡を継ぎ、ギリシャの王として、そしてペルシャの王として大帝国を
築きます。インド遠征を部下の式の低下により諦め、帰路、バビロンで亡くなったと言われています。
若き大王はまだ32歳でした。

見学を終えると、町に流れるシルダリア川を眺めながらホテルに向かいます。
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天山山脈の2箇所(キルギスと東部ウズベキスタン)に源を発し、キルギス、ウズベキスタン、
カザフスタン、タジキスタンを通過して北西へ向かって流れ、北アラル海に注ぐ川であり、
全長は2,212km、そのうちタジキスタン国内は197kmが流れているそうです。
紀元前3世紀のギリシャ人は「ヤクサルテス(穏やかな水)」、8世紀のアラブ人は「サイフン
(美しい平和な水)」、13世紀のモンゴル人によって「シルダリア」と呼ばれ、「シル」は穏やか、
「ダリア」は川を意味します。時代ごとに呼び名は変わっていきましたが、どの時代を通じても
同じ意味の言葉で呼ばれていました。

ホジャンドは古い歴史と、現代に生きる地元の人の活気を感じられる町の一つです。
また、今回からはタジキスタンの世界遺産である「サラズムの遺跡」へも足を延ばす
日程となっております。

是非、タジキスタンを皆様のご旅行の選択肢に加えて下さい。


■関連コース
・「タジキスタンとテルメズの遺産
・「パミール・ハイウェイとワハーン渓谷

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2013年10月18日

「早春のウズベキスタン」発表!

 毎年ご好評いただいております「早春のウズベキスタン」のツアーを発表しました。
夏の強い日差しの下のウズベキスタンも、秋風吹くウズベキスタンも素敵ですが、早春ならではのウズベキスタンの魅力をご紹介いたします。
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                【サマルカンドの華・レギスタン広場】

  この季節は、菜の花が咲き始める時期で、古代サマルカンドが眠るアフラシアブの丘は緑で覆われ始めます。夏の時期は、強い日差しで草が枯れてしまい土色の風景ですが、緑多い風景が見られるのは春ならではです。この丘の下には、アレキサンダー大王がこの地を訪れる前の頃から、チンギス・ハーンの襲来までの時代のサマルカンドが眠っています。大王の時代はマラカンダと呼ばれ、中国の史書では康国と呼ばれた中央アジア最古の都は、シルクロードの主要なオアシス都市として栄えましたが、チンギス・ハーンの襲来によって町は塵と化しました。かつては、ソグド人を中心とした国際都市で、家の中に下の写真の壁画を描くほど裕福な人が住んだ町でした。

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【12層もの時代の地層が残るアフラシアブの丘】

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【アフラシアブの丘から出土したソグド人の使節団を描いた壁画】
 
 
 

 その後、サマルカンドを首都として広大な帝国を支配したティムールによって、中世の一大文化都市に変貌し、現在の私達が見学するモスクやミナレットがこの時代に建てられました。今も見る者を圧倒する壮麗な建築群が、春の季節に皆様をお待ちしています。

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                 【タシケントのアムール・ティムール像】

  次に料理のご紹介です。暑い時期ですとどうしても食欲が落ち、折角のスープも夏ですと少々ありがたみがないかもしれません。気候の和やかな春の時期、食事の最初に出てくるスープの味も格別です。
 ソビエト時代の名残で、赤いビーツ(甘藷)を用いたボルシチの他、肉団子や、日本のそうめんに近い麺の入ったものまで様々なスープがあります。

【ボルシチ】IMG_6308










【サワークリームが浮いたボルシチ】


【ヌードルスープ・マンチザ】【マンチザ】IMG_6008

 どのスープにも、細かく刻んだイノンド(ディル)という香草が浮かんでいます。中央アジアが原産のイノンドは、バザールでも束になって売られています。食事でもバザールでもこの香を嗅ぐと、シルクロードに来たと実感されるのではないでしょうか。


 

 最後はザラフシャン山脈のお話しです。ティムールの故郷・シャフリサブスに残る彼の宮殿アク・サライの上からは、遠くザラフシャン山脈が見えます。その向こうはタジキスタン。春の時期は、山の上に真っ白な雪が被り、緑多き田園風景が見渡せます。この光景も春ならでは。自然の景観が楽しめるのもこの時期です。

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                       【雪を頂くザラフシャン山脈】

 現地手配会社と、利用航空会社のアシアナ航空のご協力によって、今年も謝恩価格で発表しました。サマルカンド、ブハラ、ヒヴァ、世界中から多くの旅行者を引き付けて止まないウズベキスタンはこれから厳しい冬を迎えますが、冬が開けた頃、皆様をお待ちしています。

↓本日アップのツアー紹介はこちら
早春のウズベキスタン

yamada_saiyu at 20:32|Permalink

2013年05月09日

タジキスタン、その歴史とひとびと

今回は中央アジアの小国・タジキスタンを紹介します。タジキスタンは中央アジア南東部の内陸国で周りをウズベキスタン、キルギス、アフガニスタン、中国に囲まれています。中央アジアで唯一、91年の独立後に内戦を経験しています。現在の国境はロシア革命後にスターリンによって確定されたもので、この時イラン系言語であるタジク語を話す定住民国家として歴史上初めて成立しました。ほかの中央アジア諸国がトゥルク系民族の国家なのに対して、このタジキスタンのみイラン系民族です。

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【左:ドゥシャンベ郊外の農村で見かけた人々】
【右:ペンジケント郊外のひまわり畑】


タジク人が多く居住するブハラやサマルカンドは国境画定の際にウズベキスタン領となり、かつて文化的・歴史的に同じルーツを持つ重要な都市を失ったことに対して残念に思う国民が多いそうです。かつてブハラを都としたサーマーン朝もイラン系民族の国家で、中央アジアで初めてアラブのカリフから独立したイスラム国家です。イスマイル・サマーニーの王の時代にトゥルク系民族の侵入を抑えるなどして、勢力的にも、文化的にも最盛期を向かえました。世界遺産ブハラ旧市街に残るサーマーニーの霊廟は当時の建築水準の高さを知る上でよい例です。
現在の首都ドゥシャンベ独立広場に堂々と立つ彼の像は、タジク人の誇りをあらわしているようです。

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【94年に建てられたタジキスタンの英雄、イスマイル・サーマーニーの像。右手には7つの代表的な渓谷をモチーフ】


ツアーでは北部のホジャンドからドゥシャンベへ向かう時、二つの峠を越え、急峻なパミールの山々を仰ぎ見ながら深い渓谷を抜けていきます。かつてペンジケントに住んでいたソグド人が王ドゥワシティチとともにアラブの軍隊に追われこのパミールの懐に落ち延びたように、タジク人も現在の山岳地帯に国土を与えられました。しかし、各地で出会う人々と話すと、明るい笑顔の中にここを安住の地として生活しているように感じられました。荒々しい山並みと、そこに暮らす素朴な人々を訪れてみませんか。

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【左:ファン渓谷】
【右:アンゾーブ峠での景色】



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【途中出会うタジク人たち】


パミールの山々を越えてウズベキスタン南部のテルメズへ、仏教伝来のルーツを訪ねるコースはこちら。
タジキスタンとテルメズの遺産 9日間

さらにパミール山地の最奥へ、タジキスタンを完全周遊してキルギスへ抜けるコースはこちらです。
パミール・ハイウェイとワハーン渓谷 16日間

otomo_saiyu at 14:31|Permalink

2012年10月16日

中央アジアへの扉・タシケント

こんにちは、東京本社の近藤です。


9月に「文明の十字路 ウズベキスタン」へ同行させていただきました。
今回は、このツアーで訪れる町の風景を2回にわたり紹介させていただきます。
まずは、ウズベキスタンの玄関口タシケントです。

【タシケント】
町の歴史は古くチルチク川の流域に位置するオアシス都市として栄えました。立地も良く古代よりシルクロードの交易路の要所として栄えました。三蔵法師もここを訪れています。有名な交易地として中国でもその名は知れ渡り、唐の時代には「石国」と呼ばれていました。

その後、唐がタシケントに侵攻した際にイスラム帝国であるアッバース朝に支援を求め、起こった戦いがタラス河畔の戦いです(戦は現在のキルギスのタラス地方で繰り広げられました)。アッバース朝の勝利をきっかけに、タシケントのみならず中央アジア全体でイスラムが進みました。イスラム文化は現代まで根強く続いています。

19世紀、タシケントは帝政ロシアの植民地となり、ロシア人が移住しロシア文化が入り込んできました。
この頃から20世紀初頭にかけて、タシケントは英国と帝政ロシアの間で繰り広げられた領土の争奪戦「The Great Game(グレート・ゲーム)」の舞台になり、スパイ合戦が繰り広げられ別名「スパイの街」とも呼ばれていました。


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《写真左:チョルスー・バザール内はウズベキスタンで一番大きく、実際に訪れるとまるで迷路》
《写真右:とあるスーパーにて。様々な民族がウズベキスタンを行き交っている過程で混血化が進んだ》

以前はブハラなどと変わらないような入り組んだ路地が多い日干し煉瓦の建物が並ぶ街でしたが、1966年の大地震で建物のほとんどが倒壊されました。




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《写真左:広々と拡張された道路が続くタシケント市内》    
《写真右:1966年の地震で多くの建物が倒壊したが、日本人が建てたナヴォイ劇場はまったく無傷だったといわれる》

その後、ソ連の政権の下、支援を得て震災から立ち直りました。その際、当時はソ連内の一共和国ということもあり、街並みも統一され道路も広く整然とした街並みになりました。

数々の歴史を経て街の拡大・崩壊を繰り返し現在のタシケントはウズベク人を始め多くの民族が混住する街となりました。街の多彩さは中央アジア一です。いまや人口200万人以上を要しする中央アジアの首都といえます。







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《歴史を語るうえで外せないのが歴史博物館。タシケントでは各地の出土品が展示されています。
写真はファヤズ・テパで発掘された三尊仏像》


次回はティムール帝国の中心サマルカンドを紹介します。



▼文明の十字路ウズベキスタン

kondo_saiyu at 20:59|Permalink