イラン

2016年10月21日

「早春のペルシャ」パンフレット発表!

こんにちは。大阪支社の中田です。
今回は、先日発表したばかりの「早春のペルシャ」パンフレットの中からご紹介させていただきます。
10D_IRAN_000


春は、イラン旅行のベストシーズン。過ごしやすい気候の中、花や緑の美しい景色もお楽しみいただけます。
IMG_1090_NakamuraEtsuko

C2 NAKAMURA

このパンフレットでは、「ペルシャ歴史紀行」に加え、季節限定の「イラン北西部周遊」と、「大ペルシャ周遊」を発表させていただきました。今回は、「イラン北西部周遊」についてご案内したいと思います。

C1 SEGAWA
■「黒の教会」とも呼ばれる世界遺産の聖タデウス教会(マクー)

ザクロス山脈からカスピ海へ。イランの豊かな自然をご満喫いただけるこのコースは、イラン再訪の方にもお勧めです。
今年から当コースは、現地国内線でテヘランからケルマンシャーへ移動する、10日間のツアーとして発表させていただいております。短い期間で5つの世界遺産を効率よくご覧いただきます。

C4 YOSHIDA
■アルダビルの聖者廟

タブリーズのアゼルバイジャン博物館では、6世紀、ササン朝ペルシャで制作されたと考えられるカット・グラスが語らに他抱けます。これと同じ起源を持つカット・グラスは日本の正倉院にも残っており、シルクロードを越え、伝わったことが分かります。
C11 YAMADA

自然に、世界遺産、歴史的建造物。通常のコースではなかなかじっくりと見ることのできない、広いイランの北西部の魅力が詰まったコースです。是非、来年の春にご検討下さい。

IMG_1120_NakamuraEtsuko

■イランツアー
・「ペルシャ歴史紀行
・「イラン北西部周遊
・「大ペルシャ周遊
・「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス

個人旅行でも訪問可能です。お日にち、日程などご相談ください。


nakata_saiyu at 18:19|Permalink

2016年07月19日

イランの文化・その一

今回はイランの娯楽に関してご紹介いたします。

イランではイスラームの教えに忠実に、日本でいうカラオケ、ボーリング場、バーなどの娯楽が禁止されています。その代り、首都テヘランを中心に大都市には映画館が多くあります。家族みんなで、友達と、時には恋人と、話題の映画が出る度に映画館はお客さんでいっぱいになります。日本と同様、売店もしっかりあり、ポテトチップスからアイスまでメニューは所によってさまざまです。

イランの映画というと、想像がつきにくいかもしれませんが、近年あるイラン人映画監督が先手を切り、イラン映画は世界の注目を集めています。その監督というのが、アスカル・ファルハーディー氏(Mr. Asghar Farhadi)です。彼は、1972年にイランのエスファハン州にあるホメイニーシャフルという町で生まれました。現在はイランやフランスを中心に脚本家・映画監督として活躍しています。

彼の代表作に、「別離」があります。英語では「Separation」、ペルシア語では「Jodai-ye Nader az Simin」の名で呼ばれています。イランで非常に有名な俳優ペイマーン・モアーディー氏と女優レイラー・ハータミー氏が夫婦役で主役を演じました。イランが抱える社会的・宗教的な問題をメインテーマとし、現代イランで日常的に起こるトラブル・事象をいくつも取り扱っていることで、“イランを識る”には打ってつけの作品です。これは2011年の作品ですが、第61回ベルリン国際映画祭でいくつもの賞を受賞し、更には第84回アカデミー賞で外国語映画賞を受賞しました。上述のように日本でも「別離」の名で日本語訳バージョンが発売されたため、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。

別離


彼の2009年のヒット作に「彼女が消えた浜辺」があります。英語では「About Elly」、ペルシア語では「Darbare-ye Ellyの名で発表されています。若者の友人グループで海へ遊びに行った先で、主人公エリーが行方不明になるところからストーリーが始まっていきます。エリーを演じたのは、タラーネ・アリードゥースティー氏。彼女もまた数々の映画やドラマ作品に出演する人気の演技派女優です。また、近年ではフランスで活躍中の女優ゴルシーフテ・ファラーハーニー氏と、「別離」にも出演した俳優ペイマーン・モアーディー氏、そしてイランで最も人気のあると言っても過言ではない俳優シャハーブ・ホセイニー氏が出演するある種のミステリー作品です。

彼女が消えた浜辺


そして、アスカル・ファルハーディー氏が初めて本格的にフランスで、フランス語の映画を作ったのが2013年に発表された「ある過去の行方」(英語では「The Past」、ペルシア語では「Gozashte」)です。あるイラン人男性が妻であるフランス人女性と離婚をするために、そして娘に一目会うために、飛行機に乗りフランスへ向かうところから始まります。夫婦と、夫婦を取り巻く家族との人間関係がテーマの作品です。第66回カンヌ国際映画祭でフランス人妻を演じたベレニス・ベジョ氏が女優賞を受賞しました。

ある過去の行方


彼の最新作に「The Salesman」(ペルシア語で「Forushande」)があります。主演を務めたのは、イランで一番人気、俳優シャハーブ・ホセイニー氏と女優タラーネ・アリードゥースティー氏です。つい先月の2016年5月に第69回カンヌ国際映画祭が開催されました。アスカル・ファルハーディー氏は見事この作品で脚本賞を受賞し、シャハーブ・ホセイニー氏は男優賞を受賞しました。イラン国内でもこの知らせはトップ・ニュースとして大きな注目を集めました。

SALESMAN



脚本家・映画監督アスカル・ファルハーディー氏の作品はイラン国内のみならず、世界でも刻々とその意義や価値を認められ始めています。日本では考えられないような社会的・宗教的な問題から、日本人にも通じる人間関係を取り巻くトラブルまで、さまざまな観点から非常に興味深い作品ばかりです。

彼のいくつかの脚本は書籍となり購入することができます。写真はテヘランで手に入れた、映画脚本7本が1冊になったもの。
映画脚本



皆さんもぜひイラン文化に触れるべく、イラン映画をご覧になってみてはいかがでしょうか。


arima_saiyu at 09:55|Permalink

2016年02月23日

「詩の都」 シーラーズ

 毎年変わらずのご好評をいただいておりますイランのツアーは、今年もベスト・シーズンを迎えようとしています。春のイランは花に囲まれ、気候も良く、非常に過ごしやすい季節です。

 今回はイラン南西部に在るイラン第2の都市・シーラーズでおすすめの観光地をご紹介いたします。

 日本で「イラン」・「ペルシャ」といえば、絨毯や猫、時に青いモスクや羊のお料理を思い浮かべる方が多いかと思いますが、イラン文化の重要なものの一つに「詩」があります。シーラーズはイラン随一の「詩の都」として有名であり、文学を愛するイラン人学生のみならず世界中からもペルシャ語の詩に触れるべく人々が集まる地です。

 イランで最も名を馳せた詩人のひとりに、ハーフェズがいます。14世紀にイランで活躍したハーフェズは、本名をハージェ・シャムスッディン・ムハンマド・ハーフェゼ・スィーラーズィーといいます。イランの人々の名前には生まれた土地の名などが入り込み長くなることがありますが、彼の名前にもまた生まれ故郷のシーラーズの名が入っています。彼の詩集は日本語にも訳されており、世界中に愛読する方がいらっしゃいますが、彼の詩はその成り立ちやことばの意味の深さ等から非常に難解な詩とされています。同時に、彼が詩に込める「神の意義や女性の美しさ」の表現は、読む者を圧倒させ感動させる力で溢れています。
 シーラーズにある彼の廟には世界中から観光客が訪れ、また現地イラン人の憩いの場となっています。夜には廟とその周辺がライトアップされ、時には伝統音楽の生演奏もされます。

ハーフェズ廟ハーフェズ廟ライトアップ


 ハーフェズと共に有名な詩人に、サアディーがいます。彼もまた13世紀にイランで活躍し、多くの愛読ファンを持つ偉大な詩人です。特に、詩集「ブースターン(果樹園)」と「ゴレスターン(薔薇園)」は彼の代表作として、「愛」をテーマに巧みな詩が並んでいます。彼の廟もまたシーラーズに在り、美しい庭園としても今もなお人々が集まります。

サアディー廟庭園サアディー廟



 弊社「早春のペルシャ」のパンフレットでご紹介させて頂いておりますツアーでは、シーラーズに訪れるツアーを2つご用意させて頂いております。皆様も「詩の都」シーラーズへ訪れ、絨毯やモスク以外の文化にも触れてみませんか。


arima_saiyu at 09:00|Permalink

2015年11月11日

ヘカトンピュロス見聞記

 先日、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアーの添乗に行って参りました。長年の憧れでしたパルティアの都・ヘカトンピュロスの遺跡に立ち、日本ではほとんど知られていないヘカトンピュロスをこの目で見てきました。今回は、謎に満ちたヘカトンピュロスの様子をご紹介いたします。


  紀元前247年、アレキサンダー大王の家臣セレウコスが KOJI3066_yamada
興したセレウコス朝を破り、トルクメニスタンからイラン、メソ
ポタミアまで支配したパルティアは、3つの都を建てました。
最初の都は、トルクメニスタンの首都アシガバート近郊に残
るニサ。ミトラダテス王の名から、ミトラダトケルタとも呼ばれ
ていました。

     


        【パルティア兵士の像:テヘラン考古学博物館蔵】


  その次の都がギリシャ語で「百の柱」という意のヘカトンピュロスです。ダームガーンから国道A83号線を西へ走ったクーシェの村にヘカトンピュロスはあります。このA83号線は、かつて中央アジアからレイ、タブリーズを経てアナトリアへ向かうシルクロードの幹線でした。今でも、沢山のキャラバンサライの跡が残っています。

KOJI4167KOJI4165

      




         

        【ヘカトンピュロスの遺跡近くに残るサファビー朝時代のキャラバンサライと内部】


  そして、ヘカトンピュロスからこのシルクロードを南に下るとイスファハンに繋がります。
ヘカトンピュロスは貴重な考古遺跡のため、ダームガーンの町から警察が同行しました。遺跡に降り立つと、イスラム以降の時代の土器のかけらが沢山落ちていました。92年前と89年前の発掘からほとんど調査されておりませんが、56平方キロの広大な面積の遺跡内には、いくつかの丘のような建物跡が残っていました。ヘカトンピュロスは、正確にはパルティアが建てた都ではなく、紀元前5,000年紀から人が住んでいた場所です。かつての発掘では、この頃の土器も出土したそうです。そしてパルティアが去った後も街として機能していたため、前述のイスラム時代の土器も残っているのです。

KOJI4113

                 【遺跡一面に落ちていたイスラム時代の土器】


 我々が最初に訪れたのは、おそらく宮殿として使われたであろう一番大きな建物跡でした。調査は全く行われていないため、地図も看板も何もありません。広大な敷地内を歩き、いくつかの建物跡を見学。どの建物が何に使えわれたのかは謎のままでしたが、地下へ通じるトンネルがある建物や、部屋がはっきりとわかる建物もありました。

KOJI4099KOJI4100


      



  
    【宮殿跡と思われる巨大な建物】                  【宮殿の上から見た遺跡】

  パルティアは、セレウコス朝シリアが勢力を拡大し、東に進出した際にヘカトンピュロスの街を捨て、イラクに残るクテシフォンに都を移しました。遷都の際、ヘカトンピュロスにあった物はほとんどが地中に埋められたといわれています。ツアー中、どうしてパルティアは地中に埋めて街を捨てたのか?という談義になりました。全くの仮説ですが、パルティアはセレウコス朝シリアが去った後に、またヘカトンピュロスに戻って来るつもりでいたのではないかという話しも出ました。そのため、ヘカトンピュロスには主要な建物だけは残っているのではないかという話が出ました。

KOJI4121KOJI4128







 【メルブに残るキズカラと似た建造物】               【広大な敷地内を歩いて見学しました】


KOJI4141KOJI4138








【建造物が点々と連なって残っています】                【壁で仕切られた部屋の内部】


 クテシフォンに遷都した後、パルティアは最盛期を迎えます。そして当時の西の超大国はローマと、「パルティアン・ショット」の戦法を駆使して、8回にわたる泥沼の戦争を繰り広げました。しかし紀元224年、パルティアはクテシフォンで、長年の宿敵ローマではなく、ササン朝ペルシャに滅ぼされます。そして、かつての都、ヘカトンピュロスに戻ることはなかったのです。

KOJI4143KOJI4133







    【邸宅と思われる建物内の広間】                    【ヘカトンピュロスを歩く】

  かつてヒルカニアと呼ばれたこの地のシルクロードの要衝にあったヘカトンピュロス。西アジア史に歴史を刻んだパルティアの面影を、遺跡に吹く歴史の風の中に見た気がしました。


【4月、5月のツアーの紹介はこちら】
キャビール砂漠と 失われた都・ヘカトンピュロス


yamada_saiyu at 11:40|Permalink

2015年10月05日

おいしいイラン

今日はイランの食べ物についてご紹介いたします。
まず主食として食べられているのが「ベレンジ」というお米で、「チェロー」、「ポロー」とも呼ばれます。
日本のもちもちしたお米とは異なり、パサパサしているので油を入れて炊いたりバターをかけて食べることもあります。下写真のようにサフランをかけて、色味を出すことも多いです。

イランごはん2


もう一つの主食が「ナーン」。厚いものから薄いもの、ゴマが付いているものなど種類は様々です。

お米やナンと一緒に食べるのが、日本ではケバブと言われる「キャバーブ」というお肉料理。
羊肉でできた「クービーデ」や鶏肉の「ジュージェ」など、こちらも種類が豊富です。
イランではお肉料理が多いので、お口直しの為にライムやミント、生の玉ねぎなどがお皿に添えてあることもあります。

日本人の口に合うのがこちら、鶏肉のトマト煮込み。

イランごはん3


また、シチューのような「ホレシュト」というお料理もご飯とナンとの相性は抜群です。

イランごはん4-1

上)野菜と羊肉、お豆のホレシュト、「ゴルメサブズィー」

イランごはん5-1

上)トマト、羊肉、お豆のシチュー、「ゲイメ」。

また、お魚料理やスパゲッティもイラン人の大好物です。
お魚を生で食べることはありませんが、下の写真のようにこんがり焼いて、お米と一緒に食べます。

イランごはん6


下)イランのスパゲッティは「マーカーローニー」と呼ばれます。
多少薄味なので、ヨーグルトをかけて食べたり、サラダと混ぜたり、食べ方は人それぞれ。
イランごはん7


メインディッシュの他に、サラダやスープもよく食卓に並びます。
日本人に好まれるのが、ジョーという穀物が入ったスープ、「スーペ・ジョー」。
さっぱりといただく為にライムを絞って食べるのがおすすめです。

イランごはん10


果物も豊富です。桃やスイカ、メロン、ぶどう、いちご・・・日本で食べられる果物はもちろん。
イランは物価が安いので、一番高級な果物と言われるスイカもまるまる一つで400円ほど。
また、なんといってもザクロがおいしいのです。これからの時期は美しい赤色をしたザクロが
たくさん出てきます。

皆様も「おいしいイラン」を食べに出かけませんか。



arima_saiyu at 13:24|Permalink

2015年07月03日

パルティア 失われた都・ヘカトンピュロス

 シルクロード英雄列伝に度々登場しましたパルティア。彼らが残した謎の都のお話しです。

 紀元前3世紀、アレキサンダー大王亡き後に西アジアの領土を引き継いだセレウコス朝を倒し、現在のイランを中心にメソポタミアからインダス川までを領土としたアルサケス朝パルティアが興りました。
 最盛期にはローマ帝国とも対峙したパルティアは、その都を各地に3つ建てます。
 
 一番最初の都はトルクメニスタンのアシガバートに残るニサで、かつてのミトラダトケルタと言われています。
 西遊旅行のトルクメニスタンのツアーでは必ず訪れ、神殿跡や宝物殿を見学します。また、アシガバートの歴史博物館では、彼らが使った象牙のリュトンも見ることができます。

307_yamada_yamada

                  【かつてのミトラダトケルタと言われるニサ】

310_yamada_yamada

                        【ニサに残る神殿の柱】


 このニサには、興味深い逸話が残っています。1948年、ソビエトの調査隊がニサを調査し、彼らの宝物殿を発掘しました。その翌日、アシガバートをマグニチュード7.3の地震が襲い、甚大な被害を被りました。宝物殿を暴かれたパルティアの怨念ではないかという噂が立ちました。

319_yamada_yamada

                        【宝物殿から出土したリュトン】


 話はそれますが、トルクメニスタンの初代大統領だったニヤゾフ大統領は、この震災で両親を亡くし
孤児院で育った孤児でした。独立後、豊富な天然ガスで豊かな国になった際、大統領は沢山の孤児院をトルクメニスタンに建てたのでした。
                    
329_yamada_yamada

                  【アシガバートに立つ初代大統領ニヤゾフの像】

 パルティアが次に建てた都が、ギリシャ語で「百の柱」と呼ばれるヘカトンピュロスでした。
 
 カスピ海沿岸に建てられたと言われるこの都は、3つ目の都クテシフォンがユーフラテス(現在のイラク)に建てられるまで、パルティアの首都として機能しました。

0408ヘカトンピュロス3

                 【広大な面積を誇ったヘカトンピュロス全景】


 クテシフォンに遷都した際、ヘカトンピュロスにあった建物は地中に埋められたため、永らくこの都の跡の場所は謎に包まれたままでした。
 近年の調査で、陶片に書かれた文書も発掘されていますが、荒れ果てたままの広大な遺跡だけが、失われた都のように残っています。

0408ヘカトンピュロス5

                        【遺跡の残る建造物の跡】



 その後、メソポタミアのクテシフォンを首都として最盛期を迎えたパルティアでしたが、紀元224年に、ササン朝のシャープール1世によって滅ぼされ、歴史から姿を消したのでした。

 
KOJI3149

           【イランのナクシェ・ラジャブに残るシャープール1世の騎馬叙任式図】
 

 さて、今月中旬にお手元に届く138号パンフレットで、いよいよこのヘカトンピュロスを訪れるツアーを発表します。ツアー名は、「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」。
パルティアの失われた都を訪れるこのツアーの詳細を、乞うご期待。

【関連ツアーはこちら】
ペルシャ歴史紀行
カラカルパクスタンとトルクメニスタン
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間

※「キャビール砂漠と失われた都・ヘカトンピュロス」のツアー詳細は、7月17日頃にホームページにアップされます。

yamada_saiyu at 19:07|Permalink

2015年06月17日

暗殺教団 アラムート城へ!

11世紀、イランの山岳地帯に暗殺を旨とする教団が存在したのをご存知でしょうか。
彼らが拠点としたアラムート城へ、この5月にいってきました。その時の様子を、写真を載せてご紹介します。

アラムート城までの基点となるガズウィーンの町はテヘランから160kmほど。そこからどんどん標高を上げて2,330mの峠を越えていきます。舗装道路が続いてはいますが、ヘアピンカーブの多い山道が続いて、羊を放牧している光景が見えました。峠から少し下った小さな町でタクシーを頼み、チェスで暇つぶししていたドライバー達を集めて4台に分乗して進むことにしました。

DSCF3076

















【きれいな舗装道路が続いています】

DSCF3075

















【100頭以上いるでしょうか。羊も放牧されています】

DSCF3079

















【カーブの続く山道は遠くまで見渡せました】

ガズウィーンからおよそ2時間前後、くねくねのこの道を進んだ先にアラムートの砦が見えてきます。周辺のエルブルース山脈から独立した岩峰の頂上にその城は見えます。

DSCF3090






















【写真のちょうど真ん中にある岩山の上に小さく見えるのがアラムート城です】

アラムートの城砦は天然の岩山の上にあり、まずは麓にある食堂で食事した後、歩き始めました。ちなみにここのチキンケバブは柔らかくてとても美味でした。

IMG_5422

















頂上までは通常30分ほどで到達できるようです。その途中15分ほど歩いた場所に休憩箇所がありますので、そこで小休止。麓からここまではロバを片道3ドル程で手配する事ができるようです。この休憩箇所からは500段ほどの石段が続きます。砂利が多い坂で滑りやすくなっています。

DSCF3159
DSCF3155
DSCF3158【写真左と次の写真:直立した岩山を回りこむように石段が続いています】











































【写真左:遠目ですがロバで登ってくる人もいるようです】





















城は現在修復用の足場やトタン屋根が掛けられていて近づくと見栄えが悪いのは残念でした。しかし眼下の景色は素晴らしく、エルブルース山脈の雪山も遠くに見えます。山脈からの小川がいくつも流れ、そこからの灌漑用水によって作物を多く育てている様子が見て取れます。かつて暗殺教団を創始したハサンが、穀倉地帯といえるこの地を選んだ理由に納得がいきます。遺跡としては世界遺産の暫定リストに入っているらしく、英語の看板もサイト毎に掲示されていました。アーチの残るモスク跡、小部屋、また特にこの山の頂上に掘られた井戸も3つほど残り、掘った当初は水が出なかったのですが運良く1年後に起こった地震で湧き出してきたといいます。カナダからの体の大きなインド人グループも大変そうにしながら登ってきていました。同じ道を下山、麓ガズウィーンまで戻りました。

DSCF3137 【このような井戸の跡が3つも残ります】
















DSCF3131【頂上に残る住居跡、周りの景色もすばらしいです】















DSCF3140【かつてのモスク跡】



















アラムート城と暗殺教団
ペルシャ全域に支配を広げていたスンニ派のセルジューク朝と同じスンニ派で、バグダッドに都を置くアッバース朝の圧政に不満を持ち、宗教家を目指していたハサン・サバーフはカイロに渡ります。当時シーア派でイスマイリー派(古代ギリシャの哲学者の著作から議論の方法を学び、異端とされていました)を国教としていたファーティマ朝で勉強しました。イスマイリー派の秘儀を伝授したハサンはペルシャに戻り、布教を始めます。啓蒙された信者を異端とみなしたスンニ派のカリフや宰相等は、教団信者に迫害を強めていきます。これに少数の僧兵や領民の蜂起で対抗するのですが、戦力にはやはり限界があり、いつも多勢に無勢なハサンはピンポイントで敵対勢力の要人を狙う、暗殺というテロを国家的なスケールで組織化して対抗しました。これが暗殺教団の始まりです。1090年にハサンはエルブルース山脈の支脈ハウデガーン山の麓の単独峰アラムート山に、上で写真に載せたような強固な山城を築き、地下には貯水池や穀物、ワイン、蜂蜜などの膨大な貯蔵庫、さらに寺院、図書館などを構築して、セルジューク朝の強敵を相手に数ヶ月に亘る篭城で耐え忍んで生き延びることが出来たほどの自治領国家を誕生させました。1256年モンゴル帝国の西方司令官フラグによって落城させられるまでの160年間に現在のイラン、シリア領内に実に300余りのこの教団の砦が存在したといいます。


アラムート城へ、ケバブを食べて登ってみませんか!?
西遊旅行新企画 ペルシャからアナトリア 悠久の歴史遺産を訪ねて

otomo_saiyu at 08:00|Permalink

2015年04月09日

ヤズドの旧市街と沈黙の塔

今日はイランのほぼ中央に位置する砂漠都市、ヤズドとその見所について紹介いたします。
P3100953_kato
ヤズドの古い町並み

ヤズドの人口は約50万人。乾燥気候の為、日干し煉瓦で塗り固めた家が多く、天然のクーラーの役割を果たす「バード・ギル」と呼ばれる空調調節の為の建物が付随している家が多いのが特徴的です。
IMG_7349
町で見かけるバードギル

ここヤズドではセラミックやタイルが産業として栄えています。また、イランの国教であるシーア派12イマームの3代目ホセイン氏のゆかりの地としても知られ、ホセイン氏の殉教を追悼するアーシュラーの日には、巨大な神輿がヤズドの街を練り歩きます。
IMG_7345
巨大な神輿

ここヤズドの一番の見所は「沈黙の塔」です。
375
夕日に照らされた沈黙の塔

古代ペルシャの宗教・ゾロアスター教では、人が亡くなった際に鳥葬(風葬)を行っていました。

■ゾロアスター教とは・・・
経典は「アヴェスタ」、開祖は「ザラス・シュトラ」です。ゾロアスター教の名前自体も開祖であるザラス・シュトラの名前に由来していると言われています。ゾロアスター教の全寺院には、火が絶えることなく燃えており、寺院内には偶像はなく火に向かって礼拝しますが、決して火を崇拝しているのではありません。光と善の最高神“アフラ・マズダ”を唯一神とし、火は彼にしか作れないと信じている為、ゾロアスター教の信者達は火を大切にすると言われています。

沈黙の塔は、不毛の山頂に設けられた高さ3~4mの壁で囲まれた直径十数mの円形構造物です。
天井はなく、床には同心円が描いてあり、真ん中に深い穴があります。鳥に食べられた後の白骨は、後に遺族によって衣類(布)に包まれ、その真ん中の穴に投げ込まれたようです。
377
沈黙の塔:骨を投げ込む穴

ちなみに沈黙の塔は男女別にそれぞれ建物が分かれており、男性用の建物が高い位置に造られます。
1930年代に王がその習慣を禁止とするまで、この地では鳥葬が実際に行われていました。
362
沈黙の塔に続く道

ここで小話ですが、自動車メーカーの「マツダ」という名はゾロアスター教の光と善の最高神アフラ・マズダに由来すると言われています。「叡智・理性・調和の神アフラ・マズダを、東西文明の源泉的シンボルかつ自動車文明の始原的シンボルとして捉え、また世界平和を希求し自動車産業の光明となることを願って」つけたようです。

西遊旅行 大阪支社 植田

西遊旅行で行く ペルシャの旅
ペルシャ歴史紀行 のツアーの詳細はこちらをクリック!

ueda_saiyu at 09:00|Permalink

2014年10月27日

「早春のペルシャ」発表!

こんにちは。大阪支社の中田です。

今回は、メソポタミアの聖なる都市「チョガザンビル」をご紹介させていただきます。

IMG_2736


紀元前13世紀の中ごろ、エラム王国の黄金時代に国王ウンタシュ・ガルの命令により
建設が開始されました。
この都市は、当時のエラム語で「ドゥール・ウンタシュ(ウンタシュ王の城塞)」と呼ばれ、
首都スーサを守る聖なる場所としての役割がありました。

IMG_2734


紀元前640年頃にスーサがアッシリアにより陥落し、このジグラットも破壊されます。
遺跡の中央には保存状態の良い世界最大級のジグラット(階段状ピラミッド)が
残っており、当時の壮大な姿を想像することができます。
遺跡に刻まれたエラム語の楔形文字や、世界最古と言われるアーチは今でも
はっきりと確認することが出来ます。

IMG_2753


IMG_2751



1951年から1962年に実施された考古学調査によって遺跡の全貌が明らかになり、
ジッグラトが世界中のどこよりも保存のいい状態であると考えられるようになると、
1979年、イスファハンのイマーム広場やペルセポリスと共にイランで最初の世界
遺産に登録されたました。


また、この度、ベストシーズンを迎える春のイランツアーを掲載した「早春のペルシャ」
パンフレットを発表させていただきました。

ペルシャ表紙



ご紹介しましたチョガンザビルは、パンフレット掲載の全てのコースで訪問いたします。
この機会に是非、イラン旅行をご検討下さい。



西遊旅行で訪れるイランのツアーはこちら

●初めてのイランにおすすめ 「ペルシャ歴史紀行 11日間」
●イラン再訪の方におすすめ 「イラン北西部周遊」
●一度でイランの全てを訪問! 「大ペルシャ周遊」

nakata_saiyu at 09:46|Permalink

2014年04月27日

ゾロアスター教の聖地・ヤズド

こんにちは。大阪支社の中田です。
今回はイランのほぼ中央に位置する都市・ヤズドをご紹介させていただきます。

ヤズドはイランにおいて古い歴史をもつ都市の一つで、ゾロアスター教文化の中心地です。
年間降水量が大変少なく、このため土漠岩漠が多く、農耕には不向きな環境でした。
そこでヤズド州ではカナート(地下水路)が発達し、このカナートによって灌漑されてきました。
夏の著しい暑さのため、ヤズドの旧建築の多くは大きなバードギールと地下室を設けています。
また近傍の山地にある氷を蓄えるヤフチャール(氷室)を備えるものもあります。
ほぼ全体が日干し煉瓦で建築された都市としても世界最大規模です。

迷路のように入り組んだ旧市街には、日干し煉瓦の上から土で塗り固められた家々が並び、
強い日差しのもとで歩く茶色い街並みは、まさに砂漠都市の名がふさわしい場所です。

IMG_2295


そして、ここヤズドにはアケメネス朝、ササン朝時代に国教だったゾロアスター教の信徒が
今もなお住んでいます。
その象徴として残されているのが沈黙の塔です。

IMG_2355


小高い丘の上たたずむ岩山は、「ゾロアスター教徒の墓場」を意味する「ダフメイェ・
ザルトシュティヤーン」と名づけられており、ゾロアスター教との遺体を葬る鳥葬の場
として実際に使用されていました。

IMG_2370


ゾロアスター教徒は火や水、土を神聖なものとしており、これらを汚すことになる火葬や土葬を嫌いました。
そのため、遺体を鳥が食べることで自然に還すという方法を選びました。
現在はゾロアスター教徒のイスラム教徒同様に土葬になりましたが、かつての鳥葬が執り行われていた
この塔には実際に登ることも出来ます。
内部には骨を入れていた穴が残るのみですが、そこからは麓の集落や、遠方にはヤズドの町が望めます。

IMG_2373


また、ゾロアスター教寺院のなかでも最も重要とされるヤズドの拝火神殿は、異教徒でも
入場が可能です。

IMG_2322


善の象徴として火を尊ぶため、拝火教とも呼ばれるゾロアスター教。
拝火神殿の内部には、ゾロアスター教の開祖であるザラスシュトラが点火したといわれる
火が1500年以上絶えることなく燃え続けています。
そして、信者はこの炎に向かって礼拝をします。

IMG_2326


鮮やかなタイル装飾や美しいレリーフもイランの見どころの一つですが、ゾロアスター教徒の
需要な聖地として息づく土地、ヤズドもイランならではの魅力ではないでしょうか。
是非、土色の異国文化をご自身で歩いてみて下さい。

ヤズドへ訪れるコース
・「ペルシャ歴史紀行

イランへのご旅行
・「イラン北西部周遊
・「イラン最高峰ダマバンド山(5,671m)登頂とペルシャ世界遺産

nakata_saiyu at 10:00|Permalink

2014年02月14日

イラン北西部周遊 一部コース1万円値下げしました!

大阪支社の米谷です。
今日は春、ベストシーズンを迎えるイラン北西部の旅をご紹介します。
まず最初に、4/10発、5/8発の2つの出発日の旅行費用を308,000円から
298,000円へ1万円値下げいたしました!

4/10(木)~4/21(月)12日間 308,000円→298,000円!
5/8 (木)~5/19(月)12日間 308,000円→298,000円!

イランというと、まず最初に思い浮かぶのは古都イスファハンやペルセポリス遺跡かもしれません。しかしながら、イランの北西部には7つもの世界遺産が残り、イランを知る上で非常に重要な場所なのです。また、ザグロス山脈の自然、そこで生活を営む人々の暮らしも垣間見ることができ、遺跡と自然と暮らしを楽しむことができる魅力あるツアーでもあります。

イラン北西部周遊で訪れる世界遺産をいくつかご紹介していきましょう。

■チョガザンビル遺跡(1979年世界遺産登録)
エラム王国時代の宗教の中心地。1935年油田を調査している途中に偶然発見されました。エラム王国の遺跡の中では一番保存状態の良いジグラット(階段状ピラミッド)は当時の3分の1ほどまではっきりと残っていて当時の壮大な姿を想像することが出来ます。ジグラットは宗教儀式に使われており、当時50メートルの高さを誇っていたとされている頂上部分には寺院がありエラム人の最高神を祀っていたそうです。
チョガザンビル


■シューシュタルの水利施設(2009年世界遺産登録)
サーサーン朝時代、近くを流れる川がシューシュタル周辺の農業の発展に貢献し、サトウキビなどの農産物が生産されるようになりました。サーサーン朝のシャーであるシャープール1世は、ローマ帝国皇帝ウァレリアヌスを打ち破った際に、ローマ人捕虜を用いて、カエサルの橋と呼ばれる 550 m の長さに及ぶ巨大な橋梁・ダムを建設させました。また、周辺に張り巡らされた水利網を ガナット と呼び、河川とため池や建物とを結び、シューシュタルの町に水を供給するシステムを構築したのです。
シューシュタル 


■タフテ・スレイマン遺跡(2003年世界遺産登録)
遺構は直径約100メートル、水深約100メートルの火口湖を中心に建てられている。ソロモン王の玉座という意味で、ササン朝時代に造られたゾロアスター教(拝火教)の神殿などが残っています。サーサーン朝はゾロアスター教を国教と定めていました。アッバース朝時代の歴史家タバリーが『諸使徒と諸王の歴史』で述べる宗教都市シーズ、後代のゾロアスター教文書に言及されるサーサーン朝の国家的最重要拝火壇のひとつ「アードゥル・グシュナスプ聖火」が、このタフテ・スレイマン遺跡であった可能性が高いと考えられています。
タフテスレイマン

タフテスレイマン遺跡


■聖タデウス教会(黒の教会) (2008年世界遺産登録)
十二使徒の一人である聖タデウスは、福音を広めている途中で殉教しました。タデウスはアルメニア使徒教会によって崇敬され、伝説によると聖タデウス修道院の創建は68年に遡るとされています。1319年の大地震により建物に大きな被害があり、1329年に再建されました。現在残る建物の多くはガージャール朝時代の王子アッバース・ミールザーが19世紀初頭に修復を行ったものとされています。黒の教会という名前の由来は、最初期の建築に用いられた石の色が黒色だったこと来ているという説が有力である。
聖タデウス教会


■タブリーズのバザール(2010年世界遺産登録)
古くから隊商の交易路としての役割を果たしてきてたタブリーズ。バザールは、そのタブリーズの中心街に残っています。金や宝石を取り扱うアミール・バザール、ペルシャ絨毯を扱うモッザファリーエ・バザールなどさまざまな物品を取り扱う複数のバザールが連なっている。現在でも、イラン北西部の経済の中心地として機能しており、2010年に世界遺産に登録されました。
タブリーズのバザールタブリーズのバザール


これから春を迎えるイラン北西部。野花が咲く美しい季節を向かえます。
天気が良ければアルメニアとの国境に近いマクーより、大小のアララット山を展望するチャンスも!

野花咲く春の北西部
春、野花咲くイラン北西部の風景

ケシの花畑
一面に咲くケシの花畑

放牧の風景
のどかな山岳部ならではの放牧風景

歴史だけでなく、豊かなイランの自然、放牧しながら生活を営む人々の暮らしと、魅力溢れるイラン北西部へ、是非お出かけ下さい。

西遊旅行で行くイラン北西部の旅 2014年
「イラン北西部周遊」 詳細はこちらをクリック 

yonetani_saiyu at 11:16|Permalink

2013年10月25日

「早春のペルシャ」発表!

今年も「早春のペルシャ」のパンフレットで、イランの3ツアーを発表しました。
長い冬が明け、春の訪れとともに歴史と自然の見どころに溢れたイランが皆様をお待ちしています。発表した3つのツアーを、それぞれご案内いたします。

〈ペルシャ歴史紀行〉
アケメネス朝の都ペルセポリス、世界の半分イスファハン、二つの見どころに加え、ゾロアスター教の拝火寺院の残るヤズドや、巨大なジグラットの基礎が残るチョガザンビルなど、一歩踏み込んだ観光内容です。
イランと言えば、ハイライトはペルセポリス。アケメネス朝の祭事、宗教儀式を司る都市として建造されたと言われています。アケメネス朝は、広大な地域を支配したため、王の謁見には象に乗った人々もやって来ました。
20120403大ペルシャ周遊 356
【大本殿へと続く象が歩いた階段】


写真の階段は、象も登れるように段差が低く、幅の広い様式で造られています。この階段を上った使者達は、クセルクセス門をくぐって内部に入ります。アケメネス朝が支配した万国からの使者がくぐったため、別名を「万国の門」と呼ばれています。この門の名前だけでも、アケメネス朝の強大さがお分かりになると思います。

20120403大ペルシャ周遊 381




インド人、スキタイ人、エチオピア人など、広大な領土から様々な民族がこのペルセポリスを訪れました。新年にあたるノールーズや、王の即位などに、各地からの貢物を携えた使者がこの門を通ったのですが、どんな気持ちでアケメネス朝の大本営に入ったのでしょうか。





【各国の使者が通った万国の門】


〈イラン北西部周遊〉
ザグロス山脈に沿って、イラン西部を北上するツアーです。一度イランに行った方でも、違ったイランの一面をお楽しみいただける内容です。イランというと、ペルシャ人の国というイメージがありますが、本当は多民族国家です。ツアーの前半で訪れるアフワズは、ペルシャ湾に近く、アラブ人が多数暮しています。また、ザグロス山脈には、イラクやトルコにも暮すクルド人が住んでいます。ツアー後半のカスピ海沿岸には、隣国のアゼルバイジャン人も暮し、その他アルメニア人もイランには暮しています。
このコースの最大のお薦めは、春のザグロス山脈の風景を楽しめること。写真のポピーや、林檎の花など、この時期でないと見ることができない風景を見ながら北上して行きます。
P1010206








【赤いポピーが咲く道中の様子】


P1010162









【放牧をするクルド人】

道中は、ザグロスに暮すクルド人の生活風景を垣間見ることができます。だぶだぶの伝統式なズボンを履いたクルド男性に出会うことでしょう。

〈大ペルシャ周遊〉
一度でイランのすべてをご覧になりたい方にお勧めのツアーがこちらです。20日間で、主要なイランの見どころの他、ザグロス山脈沿いの自然もお楽しみいただけ、一回でイランのすべてをご覧いただけます。このツアーでは、イスファハンに三連泊。「世界の半分」と言われたイスファハンを、ゆっくりと見学することができます。

IMG_1002

【イスファハンのイマーム広場】


サファビー朝の首都として栄えたこの街は、かつてサファビー朝が支配した国々から集めた職人によって、美しい建築が沢山建造されました。シェイク・ルトフォラー・モスクは、青いタイルで囲まれた美しい外観も圧倒されますが、内部の装飾も細かい装飾が施されています。

P4110717


20120403大ペルシャ周遊 199
イマーム広場周辺には、バザールが広がり沢山のお店が軒を並べています。ペルシャ絨毯は値が張るので、手ごろなお土産がペルシャ更紗です。この更紗、染料を付けた木版を押して柄を付けるのですが、この木版を作る職人さんが少なくなっているとのこと。今後、貴重な文化遺産になるかもしれません。


【左:イスファハンの金曜モスク】

【下:シェイク・ルトフォラー・モスクの入口のタイル装飾】














最後に、食のお話しです。イランはお茶の文化圏で、お茶は西アジア共通のチャイと呼ばれています。ストレートのお茶を口に含み、その後に口の中に小さな砂糖の固まりを入れて、口中で混ぜて飲むのがイラン式の飲み方。
110323大ペルシャ周遊後半TC吉田 026










【口に入れる砂糖を置いたチャイ・セット】

イランの代表的な食事に一つに、チェロ・ケバブがあります。ハンバーグ状にしたお肉を串に巻いて焼き、同じく串で焼いたトマトとお米と一緒にいただきます。お米は油を使わずに水で炊いてありますので、焼いて柔らかくなったトマトを潰して混ぜていただくのが現地の食べ方です。
CIMG0774










【焼トマトを添えたチェロ・ケバブ】

イスラム教国なので、アルコールはご法度ですが、ノン・アルコールビールが普及しています。苺味など、いろいろな味のノン・アルコールビールが出回っていますので、ぜひその味を体験してみて下さい。

110323大ペルシャ周遊後半TC吉田 072









【これはビール味のノン・アルコールビール。アルコール0.0%】

歴史、自然、食文化、まだまだご紹介し切れない見どころが満載のイラン。春のベストシーズンに、皆様のお越しをお待ちしております。

関連リンクはこちら

ペルシャ歴史紀行
イラン北西部周遊
大ペルシャ周遊

yamada_saiyu at 20:22|Permalink

2013年02月21日

古都イスファハン

こんにちは。大阪支社の中田です。

年末年始にかけて訪れたイランのなかで、最も印象的な都市の一つ、イスファハンをご紹介させていただきます。

「イランの真珠」と例えられるイスファハンは、サファヴィー朝時代に首都として定められ、
発展してきました。
シルクロードでも重要な位置を占め、経済・文化の中心として繁栄してきました。

中でもイマーム広場は、イランと聞いてイメージする景色ではないでしょうか。
ここは、その広さと美しさから「世界の半分」と称えられたほどでした。


IMG_2156


実際に訪れても、まずはその広さに驚きます。
大きな噴水を囲むように、宮殿、モスク、スークが立ち並んでいます。

アリカプ宮殿では、内部の階段を登り、テラスから広場が一望できます。


IMG_2147


また、宮殿内部の最上階は、かつて音楽鑑賞室として使われており、
ミニアチュールで飾られている天井は、音の吸収を効果的にする為に計算して
造られました。


IMG_2152


完成まで17年かかった、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーは、
ドーム全てのモザイク画の美しさが印象的です。

IMG_2161


光の差し込み加減で、天井には孔雀が羽ばたいている様子が伺えます。

IMG_2178

IMG_2175



スークはお土産物から、生活雑貨まで、幅広い品ぞろえの店が立ち並び、現地の人も多く
訪れています。


IMG_2141IMG_2227








「ペルシャ歴史紀行」では、広場の見学をお楽しみいただき、夜景も鑑賞いたしました。

IMG_2248IMG_2236







アザーンの鳴り響く中、夜空に浮かぶ青いタイルは、お昼に見る景色とは異なる幻想的なものでした。


総合ツアーパンフレット133号では、4月以降のコースも発表させていただきました。
既に4月コースも催行が決まり、5月出発も催行間近となっています。
4,5月は春のベストシーズンとなるイラン。是非、ご検討ください。

西遊旅行でゆくイランのツアーはこちら
●ペルシャ歴史紀行 11日間

nakata_saiyu at 09:00|Permalink

2012年11月18日

春の新コース発表しました!

こんにちは。大阪支社の米谷です。
先日、「早春のウズベキスタン」「早春のペルシャ」2つのパンフレットを発表しました。
既にホームページにもコース内容を更新しておりますので、是非ご覧下さい。

早春のウズベキスタン
10D_000-999_UZBEKISTAN_2-1東京・大阪からの発着で、9日間のコンパクトな日程です。
サマルカンド、ヒヴァ、ブハラ、シャフリサブスとウズベキスタンの4つの世界遺産を全て訪問する充実のツアー内容です。早春の季節を迎える3月~4月上旬。特別価格198,000円でのお届け。大変リーズナブルなツアーとなっております。

また、サマルカンド、ブハラ、ヒヴァではそれぞれ2連泊とゆとりある行程。世界遺産の町並みをゆっくりとお楽しみいただけます。ヒヴァではイチャン・カラより徒歩圏内のホテルに宿泊しますので、時間を気にせずに散策することができます。




◆早春のペルシャ
10D_PERUSHA_000_1こちらのパンフレットでは下記の3つのコースを掲載しております。

・ペルシャ歴史紀行 11日間
・イラン北西部周遊 12日間
・大ペルシャ周遊   20日間

イランが初めての方には「ペルシャ歴史紀行 11日間」がお勧め。
イランを代表する観光地のイスファハン、ペルセポリスはもちろんのこと、エラム王国の都市遺跡チョガザンビルも訪問。メソポタミア文明で最も保存状態が良いと言われる巨大ジグラットの基礎が残り、太古の昔に栄えた高度な文明をご覧いただきます。その他、世界遺産のフィン庭園や、ササン朝時代のビシャプール遺跡など、ペルシャの地で栄華を極めた数々の帝国の史跡も訪問する充実の内容です。

イラン再訪の方へのお勧めは「イラン北西部周遊12日間」
エラム王国の史跡が眠るフーゼスタンを出発し、イラン北西部のザグロス山脈を越えて高原地帯のクルディスタン地方をめぐります。ビストゥーンやタフテ・スレイマン、マクーに残る黒の教会、新たに世界遺産に登録されたシューシュタルの歴史的水利施設やタブリーズのバザール、アルダビル聖者廟も加え、7つの世界遺産を訪れる充実の内容です。 歴史遺産だけでなく、険しい岩山に肥沃な大地、荒々しく変化に富んだ雄大な自然もたっぷり満喫いただくことができます。

どちらも一度に巡ってみたいという方には「大ペルシャ周遊20日間」がお勧めです。
イランの見所を一度に巡る大紀行。これ1回の旅でイランの主要な見所を巡ります。ペルシャの歴代帝国の歴史を刻む遺跡、多様な民族の暮らし、そして広大な国土に残る自然。イランのすべてを凝縮したコース内容です。

どれも例年大好評をいただいているコースばかりです。
是非、今年の春のご旅行の候補にご検討下さい。

yonetani_saiyu at 09:21|Permalink

2011年03月29日

不死の軍団:アケメネス朝ペルシャ

西アジア史の中に君臨する大帝国・アケメネス朝ペルシャ。
36の属州を支配し、西はエチオピア、ギリシャ、東はパキスタンまで支配した空前の帝国でした。

下の写真は、ペルセポリスと、ペルセポリスのアパダナにある衛兵のレリーフです。
ペルセポリス (51)

【ペルセポリス遠景】

PA150456

【衛兵のレリーフ】

今回は、強大な国力を持ったこのアケメネス朝が擁した1万人の先鋭部隊・不死の軍団のお話です。

彼らは今にたとえると、アメリカのデルタ・フォースやグリーン・ベレーと言ったところでしょうか。広大な領土から、選りすぐりの兵士を集め、戦闘中に一人が倒れてもすぐに代わりの兵士を補充し戦えたと言われています。

彼らは歴史上はアタナトイ、不死隊と言われますが、ハリウッド映画の「300(スリーハンドレッド)」では、「不死の軍団」として登場します。

紀元前480年のテルモピュライの戦いで、アケメネス朝を相手に戦った300人のスパルタの兵士を描いたこの映画、今のアメリカ対イランの世界情勢を暗に表しているようで、アケメネス朝は徹底的に悪者として描かれています。
いろいろな土地からの兵士からなる多国籍部隊のため、不死の軍団の兵士はいろいろな格好で戦ったと言われています。例えば、エチオピア出身の兵士は、動物の毛皮をまとっていました。ペルシャ出身の兵士は、黒い布を顔にまとっていたと言われており、映画ではまるで忍者のような姿で、化け物のように描かれています。

映画の話はさておき、やはりアケメネス朝は強大で、後世に優れたものを残しました。

例えば、軍隊や情報が素早く移動できるように「王の道」を建造し、この道は現在のアジア・ハイウェーの基礎となっています。アケメネス朝の都スーサから、現在のトルコにあるサルディスまでの2700km弱を、7日間で早馬が交代しながら駆け抜けたと言われます。

不死の軍団を擁しながら、紀元前331年、写真のペルセポリスはアレキサンダー大王によって火を放たれます。
いろいろな説がありますが、大王の軍にアテネ出身の遊女が同行しており、かつて自分の故郷に火を放ったアケメネス朝に復讐を願ったためと言われています。そして翌年の紀元前330年、220年続いた大帝国は、その終止符を打つのでした。

次回は、前述のテルモピュライに添乗で行った時の思い出のお話です。



yamada_saiyu at 20:00|Permalink