聖地巡礼

2016年09月28日

イエス誕生の地・ベツレヘムの聖誕教会

東京本社の荻原です。
今回は「聖地エルサレム滞在」のツアーで訪れるイエス誕生の地、ベツレヘムの「聖誕教会」をご紹介いたします。

ベツレヘムはエルサレムから南に10km、小高い丘の上にある町で、イエス・キリスト誕生の地とされています。町には聖誕教会をはじめ、キリスト教各派の教会が建ち並んでおり、クリスマスには世界中から巡礼の人々が集まってきます。
現在はパレスチナ自治区にあり、イスラエルとパレスチナの間には検問所が設けられています。

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 ▲ベツレヘムの街並み

「聖誕教会」はコンスタンティヌス1世の時代に、イエス・キリストが生まれたとされていた洞穴の上に聖堂の建設が始められ、339年に完成しました。この聖堂は6世紀の火災で失われ、モザイクの床がわずかに現存するのみです。

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 ▲ベツレヘムの聖誕教会外観

内部へ入ると、薄暗い空間に金属製のランプが数多く吊るされた祭壇があり、その脇から地下へ下ると洞窟があります。ここが、イエス・キリストが生まれた場所であるとされています。

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 ▲イエスが生まれたとされる場所

小さな洞窟の中には、銀で星の形がはめ込まれた祭壇があります。これは東方三博士が新しいユダヤの王をひとめ拝もうと、星に導かれてベツレヘムにやってきたというその星をかたどったもので、「ここにてイエス・キリストは生まれたまえり」とラテン語で刻まれています。

聖誕教会に隣接している聖カテリーナ教会では、毎年12月24日クリスマスイブのミサのテレビ中継が行われます。教会前の中庭には聖書学者ヒエロニムスの像が立っています。
ヒエロニムスは生涯をラテン語の翻訳に投じた人物で、ヘブライ語の聖書をラテン語に翻訳するためにこの教会の洞窟にこもっていました。彼はローマの婦人パウラの協力で翻訳を成し遂げました。パウラの死後、彼は彼女の骨をそばに置き作業を続けたといいます。中庭のヒエロニムスの像の足元には、パウラのしゃれこうべが置かれています。

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 ▲ヒエロニムス像とマリア像

ツアーでは3つの宗教の聖地であるエルサレムの旧市街に5連泊し、じっくりとイスラエルの歴史やイエス・キリストゆかりの地を巡っていきます。
ぜひとも、異なる宗教が同時に存在する聖地エルサレムの独特な雰囲気を体感して下さい。

◆エルサレム旧市街に5連泊し、イスラエルの歴史と魅力にふれる
聖地エルサレム滞在

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2014年03月20日

修道院文化の中心・クロンマクノイズ(アイルランド)

前回に続き、アイルランドの見所をご紹介します。

今日ご紹介するのは初期キリスト教の遺跡クロンマクノイズです。シャノン川が流れるアスローン近郊に位置し、アラン諸島でも布教活動をした、聖キアランが545年に教会を建てたことに歴史は遡ります。7世紀~12世紀に最盛期を迎え、この頃のアイルランドでは修道院文化が栄え、ここクロンマクノイズはその中心的な役割を果たしたと言われています。

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修道院遺跡クロンマクノイズ

DSC_0912最初につくられた教会は木製の小さな教会でした。当時の王ディアルマイトの援助を得て建設されましたが、聖キアランはその1年後に疫病によってなくなり、クロンマクノイズの繁栄を見ることはありませんでした。彼の遺体はその教会の地下に埋葬され、現在も多くの巡礼者がこの地を訪れます。

写真左:クロンマクノイズの入り口にある聖キアランの像












アイルランドにおける初期キリスト教会の建造物では、いくつか興味深いものがみられます。

■ラウンドタワー(円塔)
DSC_093610世紀半ばから12世紀後半にかけて、重要な教会の敷地内に建設されました。このタイプの塔はアイルランド独特のもので、国全体で約80の円塔が残っています。高さは約30メートル、内部には貴重な経典の保存などに使われたと言われています。一部の説によると、外部からの襲撃の際には避難所としても利用されたという話もありますが、近年の調査によるとこれは正しくないようです。その他、鐘楼の役目も果たし、周辺の集落に祈祷の時間を知らせたとも考えられています。










■ケルト十字架

ケルトの十字架はアイルランドのキリスト教の最大の象徴で、8世紀から12世紀の間に作られました。十字架には経典の教えや聖書の様々な場面が彫り込まれています。また、12世紀にはマーケット・クロスと呼ばれ、主要集落地の外側にあり、市場の場所を示したとも言われています。

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写真左:遺跡内に立つケルトの十字架はレプリカ  
写真右:オリジナルの十字架はビジターセンター内にあります。

■大聖堂(カテドラル)
クロンマクノイズで最大の建造物。10世紀頃にタラの王フラン・シナによって建設されました。シンプルな長方形の教会で、周辺には多くのお墓が残っています。12世紀、13世紀に増築されています。
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大聖堂の窓から眺めるラウンドタワー
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大聖堂の北の入り口には3人の聖人を現すレリーフが残り、それぞれ聖ドミニク、聖パトリック、聖フランシスと考えられています。
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アイルランドにおけるキリスト教の歴史を知るうえで、非常に重要な遺跡クロンマクノイズ。是非、その神秘的な雰囲気を感じていただきたい場所と言えます。

西遊旅行で行く アイルランドの旅
ケルト文化と緑の大地 アイルランド周遊
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2013年06月21日

ユダヤ教の成人儀礼【バル・ミツバ】

東京本社の荒井です。

新緑の美しい季節、イスラエルの添乗に行ってきました。

イスラエルの首都エルサレムは皆様ご存知の通り
イスラム教、キリスト教、ユダヤ教の三つの聖地が混在する街。
今回はユダヤ教の聖地といわれている『嘆きの壁』について書きたいと思います。

嘆きの壁とはヘロデ大王時代に建築されたエルサレム神殿の外壁のうち
現在も残る壁のことでユダヤ教の聖地とされている場所。

ユダヤ教徒はこの壁の前で個人的なお願い事もするし
過去に起こった悲劇を嘆いたり、神殿の回復を願う人もいます。

壁に直接、手や顔をつけながら お祈りをする為、人の背の高さで壁の色が違うのが分かります。

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写真【左】壁の前で嘆く正統派ユダヤ教徒
写真【右】嘆きの壁(色の違いが分かる)

今回の旅では運良く【バル・ミツバ】に立ち会う事が出来ました。
バル・ミツバとはユダヤ式成人儀礼の事で、ユダヤ教では
男子13歳、女子は12歳(バット・ミツバ)になると戒律を守ることが出来る成人だとされます。
ミツバとは《ユダヤ教の戒律》のことで【神の前に戒律を守るという事】
すなわち、自分の行動に責任を持てる年齢に達したと見なされるわけです。
つまり会衆の前に一人前の信者として初めて登場する晴の舞台であり
ユダヤ教徒として数に加えられる大切な日なんです。

 

バル・ミツバはユダヤ教の聖地といわれる嘆きの壁の前で披露されるのが主流であり
壁の前で披露された後も街中を練り歩き、丸一日掛け盛大に行われます。

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写真【左】バル・ミツバを迎えて祝福されるユダヤ人男性。
写真【右】女性側の壁から祝福する親族の女性達

記載の写真をご覧いただいても分かる通り、正統派ユダヤ教徒の服装は
全身黒のスーツ、黒のコート、黒のハットというのが特徴的ですがこのスタイルはもちろん夏も変わりません。

「ユダヤ教徒は服装についての細かい規定まであって大変だな。」

なんて思っていましたが、ガイドさん曰く実際には服装についての規定は一切なく
彼らは好き好んでその洋服を選び 着用しているそうです。
全身黒尽くめは彼らのファッション。…驚きですね。

イスラエルには他にもキリスト教の聖地【聖墳墓教会】や
イスラム教の聖地【岩のドーム】など宗教的な見所が沢山あります。
日本ではあまり馴染みのない《宗教》というものを肌で感じてみる旅はいかがでしょうか。


エルサレムに5連泊する滞在型のツアーはこちら
聖地エルサレム滞在

さらにエジプトまで足を延ばしモーセの足跡をたどるツアーはこちら
シナイ半島とイスラエル周遊の旅

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2012年11月25日

ガリラヤ湖・イエス巡礼の舞台を巡る

こんにちは。大阪支社の中田です。
今回はイエスの伝道の舞台として知られる、ガリラヤ湖周辺をご紹介します。

日本では「ガリラヤ湖」として知られていますが、その丸い形から、イスラエルではヘブライ語で竪琴という意味の「キネレット」と呼ばれています。
南北20キロ、東西12キロにも及ぶガリラヤ湖は、イスラエル最大の淡水湖です。

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ガリラヤ湖周辺はイエス巡教の中心地で、新約聖書にはイエスの起こした様々な奇跡が書かれています。

「心の貧しい人は、幸いある。」
この一説から始まる有名な説教を記念して建てられた山上の垂訓教会は、小高い丘の上にあります。

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とても大きな外観ですが、内部はとてもシンプルです。

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ここから見たガリラヤ湖は、海(”SEA OF GALILEE”)とも表されるその広大さを見せてくれました。

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次は、5つのパンと2匹の魚の教会です。

イエスは5つのパンと2匹の魚で、5000人もの飢えた人々を満足させたそうです。
その軌跡を称えて建てられたこの教会内のモザイクの床には、パンや魚、ガリラヤ湖に生息していた動植物の姿が、とても見事に描かれています。

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現在は、残念ながら少し遠くから見ることしかできませんが、その精密さにはとても感動しました。



またガリラヤ湖から少し移動する道にも、イエスゆかりの地が広がっています。
聖母マリアがイエスの受胎告知を受け、約30年の時を過ごした町ナザレには、受胎告知教会があります。
坂道を上った場所にある教会は、まずその大きさにとても驚きます。

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これまでとは少し雰囲気の異なる屋根が印象的でした。
これは、アベ・マリアの「A」を表しているそうです。

また、内部のステンドグラスの美しさも目を引きました。
世界中から贈られた、聖母子の絵が飾られる礼拝堂には、日本から贈られたものもありました。

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大きな湖の周りには、とても多くの深い歴史がありました。
まだまだ見どころもたくさんあるイスラエルを、たっぷり味わっていただく、「シナイ半島とイスラエル周遊の旅」。
2月出発のコースは間もなく催行が決定、3月は催行が決定しており、まだお申込みを承れる状況です。
この機会に是非、イスラエルへ行ってみませんか。


関連ツアー
「シナイ半島とイスラエル周遊の旅」

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2012年10月12日

ヴィア・ドロローサ

皆様こんにちは。大阪支社の中田です。
先日、「聖地エルサレム滞在」へ同行させていただきました。

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≪オリーブ山から旧市街を眺めて≫

エルサレム旧市街に滞在することで、聖地の雰囲気を肌で感じ取っていただいた、こちらのツアー。
今回は、イエスが十字架を背負って歩いた「ヴィア・ドロローサ(悲しみの道)」をご紹介したいと思います。


1キロ近くにもわたるその道は、イエスがローマ総督ピラトに死刑の宣告を受けてから、十字架に処刑され墓に納められるまでをたどったものです。現在のエルサレム旧市街ではこちらの道が、様々な場面ごとに14ステーションに指定されています。
ラテン語で「悲しみの道」を表すこの道の名の由来は、「イエスの苦しみを偲んで名づけたもの」や、「イエスの姿を見て悲しむ人々を表したもの」など、諸説あります。

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≪第4ステーション 母・マリアがイエスを見つめた様子≫ 

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≪写真左:第3ステーション 十字架の重さに耐えかねて最初につまずいた場所≫ 
≪写真右:第5ステーション クレネ人・シモンがイエスに代って十字架を背負った場所≫

また、第10ステーションからは、聖墳墓教会の内部に存在します。
聖墳墓教会は、ビザンチン時代や十字軍時代、19世紀の各時代に造られた教会の集まりで出来ている、大建造物です。イエスの昇天後はローマの異教の神々が祀られていましたが、326年にコンスタンティヌス帝の母・ヘレナの聖地巡礼をきっかけにキリスト教会の聖域が定められ始めました。破壊と修復を繰り返し、現在の建物がゴルゴダの丘に建てられたのは1099年でした。

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そしてここは、ヴィア・ドロローサを歩いてきたイエスが処刑され、息を引き取った場所。
教会内部は熱心に祈りをささげる信者の神聖な空気で包まれていました。

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≪写真左:イエスが十字架から降ろされ香油を塗られた台≫ 
≪写真右:第12ステーション イエスが十字架に磔にされ、息を引き取った場所≫

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イエスが埋葬されたとされる第14ステーションには、今日でも大勢の信者長蛇の列を作っています。その中には涙しながら墓から出てくる人の姿も見受けられました。

「祈り」について考えさせられることが多い、エルサレムでの滞在。
中でもここヴィア・ドロローサは、祈る人々の涙に、心揺さぶられるものを強く感じた場所でした。


西遊旅行で行くイスラエルの旅
関連ツアー:「シナイ半島とイスラエル周遊の旅

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2011年06月20日

聖地エルサレムの西の壁

聖書の世界を旅することができる国・イスラエル。

その中でもユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの宗教の聖地となっているエルサレムは誰しもが一度は訪れてみたいと思う町ではないでしょうか。エルサレムという名前の由来は、平和の町を意味する「イール・シャローム」という言葉に由来するという説が主流ですが、確かな事は判明していません。

嘆きの壁 (18)
≪岩のドームと嘆きの壁≫

エルサレムの歴史は古く、紀元前30世紀頃、カナンと呼ばれていた土地に古代セム系の民族が住み始めたことが起源とされています。紀元前1000年頃にヘブライ王国が成立し、2代目の王・ダビデによって都と定められました。3代目のソロモン王の死後に王国は南北に分裂、エルサレムはユダ王国の都となったのです。

紀元前10世紀、ソロモン王によって建設されたのがエルサレム神殿です。バビロン捕囚からの解放後の紀元前515年にはゼルバベルの指揮でほぼ同じ場所に第二神殿が再建されました。

その当時の西の壁を見学できるツアーが「西の壁トンネルウォーク」ツアーです。ツアーは予約制となっており、決められた時間内しか見学できませんが、2500年も前の時代へタイムスリップする貴重な体験ができます。西の壁は地下の部分を含めると壁の高さは全長32mもあり、現在はそのうちの19mのみが地上になっています。地上からははかりしれない世界が地下13mに続いていることにも驚かされます。長い歴史の中で、 幾度となく支配者が変わり、その度に町は壊され、新しく再建されてきました。その繰返しによって町はどんどん高くなり、古い町は地下に埋もれてしまったのです。

トンネルウォーク







ギャラリーで説明
≪西の壁 トンネルウォーク≫

西暦70年、ユダヤ人による反乱が起こり、ティトゥス率いるローマ軍により鎮圧されました。この時、エルサレムは炎に包まれ、神殿は破壊され西壁のみが残ったのです。その後、ユダヤ教徒のエルサレム立ち入りは禁止されましたが、ミラノ勅令により4世紀以降、1年に1日の立ち入りが許可されるようになったと言われています。

1967年の第三次中東戦争以降、ユダヤ教徒は再びエルサレムへの立ち入りが許されるようになりました。現在、「嘆きの壁」と呼ばれるかつての西の壁の一部には毎日お祈りを捧げる人々が絶えず、非常に神聖な場所となっています。

嘆きの壁

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≪エルサレムの嘆きの壁≫

エルサレムには古く、複雑な歴史があります。その中でも旧約聖書の時代から今に続く西の壁は歴史をカンジさせてくれる素晴らしい場所だと思います。

関連ツアー:2011年 イスラエルへの旅
        イスラエル・聖書の世界を巡る旅



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