ギリシャ・ローマ遺跡

2016年11月02日

内戦後に奇跡の復活!ベイルートの国立博物館の所蔵品の数々

ベイルート国立博物館は1942年開館のレバノン最大の考古学博物館です。10万点の遺物を所蔵する。75年から91年までのレバノン内戦ののち、博物館関係者の尽力により、復活を果たしました。

奇跡の宝物の数々を、時代毎に、遺跡毎にご紹介します。

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【写真上:外観、下:大型の展示物が多く見所の多い1階部分】

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【写真上:コンクリートで周りを固めて保護した当時の映像。ビデオ上映ではグリーンライン上にあった博物館の所蔵品を、内戦の際にどのように保護したかを見せてくれます】

―ブロンス時代 (紀元前3200~1200年)―

〈ビブロス出土〉
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【写真上と下:王家の墓で発見された、紀元前10世紀のアヒラム王の石棺の一部。ここに最古のフェニキア文字が残ります。フェニキア人は当初はヒエログリフを使用しましたが、不便なため、フェニキア文字を発明した。これは、アフファベットの元となり、地中海世界全体に広がりました。文字は右から左に読みます】

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【オベリスク神殿から発見されたオベリスク。紀元前19世紀のビブロス王が寄進したもの。「ラー神に愛される王」との記載があります】

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【窓のある手斧で、オベリスク神殿で他の短剣や弓矢とともに出土しました。女神アナトもしくはリシェフ神にささげられました】

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【オベリスク神殿の下から出土のブロンズ製の兵士像。ヘルメットやエジプトの王冠に似た円錐形の髪飾りを身に着けている男性】

―鉄器時代 (紀元前1200~333年)―
〈エシュムーン出土〉
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【神殿の至聖所から発見された祭壇。写真は後側に彫られたアポロ神を中心とするオリンポス12神(上段)と踊り子と音楽演奏家の姿。大理石製】

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【フェニキア碑文のある子供の像。子供の治癒に感謝した両親が健やかな子供の像をエシュムン神に奉納しました】

〈シドン出土〉
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【豚の頭を象ったテラコッタ製のリュトン。アッティカとして知られたアテネ周辺からのもたらされた黒釉の彩色が特徴的な陶器。当時地中海交易が行われていたことを示す】

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【大理石製の双頭の雄牛の柱頭。鉄器時代の後期、紀元前5世紀。シドンが当時のペルセポリスとスーサから強い影響を受けていたのがわかります】

―ヘレニズム期 (紀元前333~64年)―
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【エシュムーンの神殿から出土した紀元前350年の祭壇。フェニキアの都市で製作された「トリビューン(護民官)」と名づけられた祭壇はギリシャ彫刻の典型的な例で、レリーフの上段には竪琴をもつアポロとギリシャの神々が並び、下部には踊り子や楽隊が並びます】

―ローマ時代 (紀元前64~紀元後395年)―
〈ティール出土〉
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【大理石製の石棺。レリーフはトロイ戦争のエピソードで、パトロクロスを殺され復讐を遂げたアキレスがヘクトールを引きずっているのがわかります】

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【石棺(紀元後2世紀)。被葬者の夫婦像の下には、酔っぱらったキューピットが描かれます】

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【ラムセス2I世の石碑。軍神ラーハラクティの前で、敵を束ねて打ち砕くラムセス2世】

〈ビブロス出土〉
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【エウロペ神話のモザイク。紀元後3世紀。雄牛の姿をしたゼウス神にさらわれるビブロスの王女エウロペ(ヨーロッパの語源となる)。エウロペを探しにギリシャに渡った兄カドモスが、古代ギリシャ人にアルファベットを伝えたといいます】

〈バールベック出土〉
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【紀元後2世紀の七賢人のモザイク】


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2013年08月23日

ヨルダン ウンム・カイスUmm Qais、ゴラン高原を望む都市遺跡

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玄武岩と石灰岩の列柱を湛えるバシリカ・テラス 眼下にヤルムーク渓谷、背後にゴラン高原を望む

ウンム・カイスは首都アンマンから140㌔、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。

新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。
「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。
ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

遺跡の入り口付近はオスマントルコ時代の建物が続きます。

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住居の建設にギリシャ・ローマ時代の遺跡から石材が運び出されました。

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西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく(シリアのボスラ遺跡にもあります)、この劇場は3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

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商店街の跡

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バシリカ・テラス 6世紀の教会跡。石灰岩の柱廊に囲まれた中庭の奥に玄武岩の柱に囲まれた八角形の聖所を持つ珍しい建築スタイルが見られます。

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ニンフェウム ローマ遺跡に必ずある「噴水」、泉の神ニンフの名を取っています。

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彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

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ローマン・ロードから見るかすんだティベリア湖とゴラン高原。谷の向こうはイスラエル、そしてその奥はシリア。

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ローマン・ロード デクマヌスDecumanus Maximus。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー、Caldo Maximus 」、東西を貫くメインロード「デクマヌス Decumanus Maximus」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

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ローマン・ロードの敷石に残された馬車のわだちの跡

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遺跡を東西に貫くローマン・ロード、デクマヌス Decumanus Maximus。東の道は現シリアのボスラへ、西の道はヨルダン渓谷を通って現イスラエル、ベテシャンのスキュトポリスへとつながっていました。

多くのローマ遺跡のでは「ローマン・ロード」はすでに現在の町に埋没して終わるのですが、ウンム・カイスのローマン・ロードはどこまでも続くように感じます。「国境」というロケーションのせいなのでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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