Mariko SAWADA 

2015年02月08日

キルギスの鷹匠 Eagle Hunting Show

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (11)

キルギスで一度は減った鷹匠ですが、昨今はツーリズムの発展によりリバイバルし、50人ほどに増えているとのこと。旅の途中、その”Eagle Hunting Show” を見る機会がありました。

私たちが合った鷹匠はタルガル・ベクさん39歳。タルガル・ベクさんは8歳のころから鷹を扱い始めたベテランです。この時も10歳の子供も一緒に来ており、この子も鷹匠になるべく教育を受けていました。

今回鷹狩りを見せてくれたのはイヌワシ Golden Eagle1 0歳のメスで名前はトゥマラ。繁殖させているのではなく野生のヒナを巣からつれてくるのだそうです。話によると、巣には通常オスとメスが一匹づついるので体の大きなメスのヒナを家につれて帰り育て訓練するとのこと。Go;den Eagleは50年ほど生き、20歳まで鷹狩りに使い、その後は自然に帰り、繁殖する事ができるのだそうです。夏のツーリストシーズンの間は一日に1~2回、観光客向けのショーをし、冬は本当の鷹狩りで狐を捕まえるのだと。
タルガル・ベクさんは、鷹狩りで捕まえる狐は1週間に1匹、銃で一度に何匹も殺す狐狩りをすることに反対をしていました。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (1)

鷹匠と道中で待ち合わせをして、車でEagle Hunting Showのできる場所へと案内されます。そして、トマラの登場。後部座席にいました。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (2)

トマラはこの鷹匠にしかなつかないのだそうです。打ち合わせ中。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (5)

トマラをつれて見晴らしのいいところへ。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (6)

トマラが飛びます。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (4)

「ショータイム」といってウサギを連れてきたオヤジ。「え???」

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (7)

ウサギ、ピンチ。本物のウサギを捕まえるショーとは知りませんでした。ウサギ、逃げて!

ツーリスト・シーズンの夏、トマラは本日2回目のショーであまり乗り気でなく、ウサギを仕留めることなく終わりました。私はほっとしたのですが・・・

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (8)

ウサギは捕まえなかったけど、トマラ、ご褒美のお肉をもらいます。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (9)

仕上げにくちばしを研ぎます。

キルギスの鷹匠 西遊旅行 (3)

なかなかのラブラブぶり、トマラと鷹匠でした!

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子


西遊旅行 キルギスの旅<アドベンチャー企画>
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2015年02月05日

キルギスの名峰レーニンピークのベースキャンプへ!

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (1)

キルギス第2の高峰であり、トランス・アライ山脈の最高峰となるレーニン峰、7,134m。
その麓、およそ3,500mの草原にあるベースキャンプを訪問しました。
キルギス族の夏の放牧地でもある草原は、7~8月の登山ピーク期に登山客のためのテント村が出現します。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (6)

目の前にトランス・アライ山脈、そしてレーニン・ピークを望むベース・キャンプ。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (7)

ベースキャンプにある池のほとりからの景色。
周囲には家畜の放牧に来るキルギス族のユルトもありますが、ここに集まる登山の仕事をしている人がほとんどです。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (8)

周辺の草原にはキルギス族のユルトも。このベースキャンプで宿泊者の世話をしたり荷物を運んだりして働くキルギス族のユルトです。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (9)

お母ちゃんがそばで織物をしていました。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (10)

8月も半ばになると、もう村に帰る準備をするユルトも。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (11)

歩いているとなにやら穴の中から動物が・・・マーモットです!ひなたぼっこをしながら、同時にこちらを警戒しています。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (14)

マーモットはパミールで見られる体調60~80センチほどのかわいらしい動物です。昔は毛皮目的に大量に捕獲されましたが、今は「珍味」として、そして薬として油が重宝され捕獲されています。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (15)

草むらにまたかわいい動物が。番犬でした。キルギス族の飼っている犬のかわいらしいシーン。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (18)

お天気もいいので山の方へと歩いていきました。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (13)

氷河が見えてきました。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (17)

野花も。8月半ばでもまだお花が見られます。フラワーハイキングを楽しむことができました。

そして夕方のベースキャンプ。この日は山が夕陽に染まりました。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (2)

「染まった」と、宿泊客がカメラを持ってテントから出てきます。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (3)

夕陽を浴びたレーニン・ピーク、頂上部です。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (16)

ベースキャンプのダイニングテントはとてもインターナショナル。各国の登山隊、これから登る人、降りてきた人で賑わいます。
この日は昼過ぎに、ドイツ隊が降りてきました。ダイニングテントの入り口でまず「祝杯」。目の前でどんどんビールが開けられていきました。そして夕食時、ダイニングテントへ行くとドイツ隊はまだ飲み続けていました。そして私たちの夕食が終わるころには、一人・・・また一人と意識を失い、下山後の「レスキュー」を受け各自のテントへと運ばれていきました。
キャンプのスタッフに「これって普通?」と聞くと、「みんな、こうです」と。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (19)

ベースキャンプではビール、ウォッカが手に入りますが、標高3,500m、節度をもって飲みましょう。

レーニンピーク・ベースキャンプ 西遊旅行 澤田真理子 (4)

登頂を果たし、あまりにHappyな「ドイツ隊」の歌声が深夜まで響き渡りました。おめでとうございます!

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行で行くレーニンピーク・ベースキャンプを訪れるコース
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7,000m峰に挑む「レーニンピーク登頂エクスペディション2015」 >>お問合せください。 



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2015年02月02日

キルギスのサリタシュ キルギス族の暮らし

キルギス サリタシュ 西遊旅行 (1)

トランス・アライ山脈の麓「パミール・アライ」の村サリタシュ
キルギスは中央アジア5カ国の中で最も面積がせまい国ですが、私たちにとっては広大な山岳地帯と草原を持つ大自然の豊かな国。7つの州があり、このサリタシュ村はオシュ県の最南部・タジキスタン国境にあります。通常のキルギス観光ルートから離れるため訪れる人は少なく観光地としては発達していないため、宿泊も「民家ゲストハウス」。キルギス族の家族が出迎えてくれるのです。

標高3,000mほどの草原には豊かな放牧地が広がり、そこに住居とユルト(移動式住居、キルギス語でボズ・ウィ)をたて馬やヤク、ウシを飼い暮らしてます。この「パミール・アライ」に暮らす自分たちこそ「キルギスの中のキルギス」と自称するほど、今でも馬などの家畜とともに暮らす生活が保たれています。

本来、キルギス族は一年中ユルトでの生活を行ってきましたが、ソビエト時代に行われたコルホーズ・ソフホーズ主導の牧畜の管理の結果、村に定住するようになり伝統的なユルトは夏の間だけ利用される放牧用の住居になってしまいました。 サリタシュ付近では6月半ばから9月初めの短い夏の間、草原に放牧用のユルトが建てられます。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (1)

サリタシュの町 トランス・アライ山脈の麓でキルギス族の定住村。郊外の草原に放牧のためのユルトが立ち並びます。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (8)

サリタシュからはトランス・アライ山脈の最高峰でありキルギス第2の高峰レーニン・ピーク7,134mを望むことができます!

キルギス サリタシュ 遊牧民 (9)

本来遊牧民であるキルギス族にとって家畜は大切なもの。パミール・アライではヤク(高地)、馬が放牧されています。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (10)

サリタシュにあるキルギス族の墓。葬式の日に殺されたヤクや馬のしっぽが神聖な印としてつけられます。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (15)

オシュへむけて移動を始めると道の両サイドの山の斜面に夏の放牧用に立てられたキルギス族のユルトを見かけます。

キルギスのユルト(ボズ・ウィ)は「灰色の家」という意味で、この「灰色」はフェルトのことを指します。フェルトは羊毛を毛羽立たせて均等な厚さになるようにおき、お湯をかけながら巻き上げ、固めていく手作業で作られたフェルトは丈夫で、ユルトの表面の覆いとして5~10年は使用されます。 一部ではキャンパスやテント地の導入がはじまっていますが、ここでは手作りのフェルトのユルトを見ることができました。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (3)

ユルトの入り口に立つ子供たち、日本の昔の子供のようです!

フェルトのアップリケのほどこされた入り口から入ると、入り口に近い中央右手にストーブがあり、そのストーブの煙が、天窓をかねる天井の穴から出されるようになっています。伝統的にはユルトの屋根は天と同一視され、その中心にある炉(現在はストーブ)も神聖な場所とされていたそうです。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (12)

ユルトの中へ・・・私たち日本人がユルトを見つけて訪問すると、暖かく迎えてくれるキルギスの人々。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (2)

手作りのヨーグルトを食べてみなさい、とお母さん。

馬乳酒・クミス、ヨーグルト・クルト、生クリーム・カイマークとナン。次々と手作りの乳製品でもてなしてくれ、さらには外国人の訪問を聞いた「ご近所さん」もやってきます。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (11)

乾燥チーズ、クルト。日本人のお口にはあまり合いませんが・・・
こういった乳製品をキルギス人に販売もしているのですが、外国人の訪問は彼らにとってはちょっとしたイベントのようです。
「来年の夏もまたきてくれる?写真持ってきてくれる?私たちは毎年この場所にユルトをはるのよ」
この気持ちを裏切らないように、一年後、この場所を訪問する添乗員・ガイドさんにしっかり託さねば・・・という責任感を感じます。

さらに南下すると、ユルトのそばで料理をしていました。キルギス族の大好きな「ベシュバルマク」と「パラオ」。
「パラオ」は炊き込みご飯で、にんじんなどの野菜と肉の旨みがたっぷりのご飯です。そして「ベシュ・バルマク」は“遊牧民料理”の代表格で、羊やヤギ、馬の煮込み料理です。「ベシュ・バルマク」=「5本の指」の文字通り、手で食べることからついた名前です。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (13)

パラオづくり

キルギス サリタシュ 遊牧民 (5)

ベシュバルマク・・・羊の「すべて」が入っていました。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (7)

そして、おもてなし。揚げパンとクリーム、馬乳酒を持ってきてくれました。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (6)

家族で見送ってくれました。

さらに道を進めると、ブズカシを楽しむ人々と出会いました。ブズカシは本来、頭を落としたヤギを2つの騎馬グループが奪い合うものですが、最近は代替のものを使ってゲームもしているようです。

キルギス サリタシュ 遊牧民 (14)

そして、キルギスの「おもてなし」に感謝しながらオシュをめざします。

キルギス サリタシュ 西遊旅行 (2)

来年もまた来てね!

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2015年01月30日

キルギス 天山山脈ヘリフライト 南イニルチェク氷河ベースキャンプへ

南イニルチェク氷河BC 西遊旅行

カルカラ谷から中国との国境、天山山脈に走る南イニルチェク氷河ベースキャンプをヘリフライトで訪問。
標高4,000m以上の氷河上のキャンプ、その圧巻の山岳風景。

このベースキャンプはキルギス最高峰のポベーダ峰7,439mとカザフスタン最高峰のハンテングリ7,010mの両方を望む、360度を山に囲まれたベースキャンプです。ここへ行くには時間をかけてトレッキングするか、カルカラ谷からのヘリコプターに乗るか、です。

このヘリフライト、悪天候時には飛びませんし、登山客などのレスキュー活動があるとそちらが優先されますので終わるまで待たなくてはならないなど、フライトの予備日を持つことは必須です。私たちの訪問時もレスキューが重なったため、目の前に青空があるのにまる2日も待たなくてはならない、ということがありました。

そしていよいよ、ヘリフライトの日。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (12)

カルカラ谷のキャンプを荷物用のピックアップ車が周ります。登山隊の大きな荷物が出てきます。そして搭乗者は歩いて野原のヘリポートへ。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (13)

荷物の積み込み開始です。荷物は重心を保つため中心にまとめます。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (14)

機内はこんな感じ。もちろんフリーシート。ベンチシートや荷物の上に座るような感じです。4箇所窓が開きますので写真撮影は譲り合いです。標高4,000m以上の高度のフライトで風も入り大変寒いので、しっかりとした防寒が必要です。そして標高が急に上がりますのでしっかり呼吸を。高山病の注意も大切です。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (1)

いよいよ離陸です。空から眺めるカルカラ谷。約30分のフライトです。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (15)

コックピット!

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (2)

まもなくすると天山の雪山が見えてきました。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (3)

途中、氷河が溶けて湖を作り出している場所を通過。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (4)

いよいよ着陸です。氷河が流れる様子を見ていたら、カザフスタン最高峰のハンテングリが見えてきました、もう着陸です。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (17)

着陸時にはヘリのローターの風で周囲の小石や埃を巻き上げます。乗り降り時には注意が必要です。


キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (18)

降りてきた人、これから乗る人。この日は3日ぶりのヘリフライト運行でたくさんの人が待っていました。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (19)

待っていたのはお客さんだけでなく、ベースキャンプの食料チ-ムもです。スイカがリレーでダイニングテントへと運ばれていきました。(スイカはこの日のデザートでした、なんて贅沢!)

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (7)

そしてキャンプへ。この日はあいにくのお天気。完全に曇ってしまう前にと、せっせと山の写真撮影です。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (5)

カザフスタン最高峰ハンテングリ7,010m

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (9)

キルギス最高峰ポベーダ7,439m。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (10)

ベースキャンプから登山家の慰霊碑のある高台まで歩いてみました。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (11)

ポベーダで亡くなった登山家の慰霊碑です。

そしてテントに戻るとお待ちかねの夕食の時間。ここでは朝8時、昼13時、夜19時に全員一緒に食事です。

キルギス天山ヘリフライト 西遊旅行 (20)

ダイニングテントの中は「ここはどこ?」と思わせる活気とおいしいロシア料理。「まる2日ヘリが来なかったため食料がつかないか心配だったけど今日はもう大丈夫」と。

そして、自分の寒いテントへ戻り、星を眺めた後に就寝。尚、このキャンプ地、標高4,000mの氷河上に無理やり作ったような常設キャンプです、十分な防寒対策を。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2015年01月26日

キルギス カルカラ谷滞在 フラワー・ウォッチングとキルギス族のユルト

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (6)

キルギスとカザフスタンとの国境、カルカラ谷。ここは天山ヘリフライトのベースキャンプでもあり、天山の裾野に暮らすキルギスの遊牧ユルトの訪問やフラワー・ウォッチングが楽しめる谷です。

宿泊するカルカラ・ベースキャンプの周辺はキルギス族の定住の家が点在していますが、少し奥へ行くと、キルギス族の放牧地です。
キルギス族といえば「遊牧の民」。しかしながらキルギスではソ連時代の定住化政策、国家主導の牧畜の管理の結果、本当の遊牧の暮らしをする人たちはもういません。現在は、夏の間に伝統的な移動式住居ユルトを建て、放牧地を移動しています。

カルカラ谷のキャンプから郊外の放牧地を訪問しました。以前は山の奥まで移動して放牧が行われていましたが、今はユルトを車で運んで組み立てるため、車でいけるギリギリの場所にユルトを建て放牧しています。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (1)

谷間に放牧される、ヤギ・羊たち、のどかな景色です。


キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (2)

お日様のもと、ごろごろする馬たち。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (5)

まさにキルギスの子供!さっそうと馬を乗りこなす少女。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (4)

この家畜達のオーナー夫人が私たちをユルトへ招待してくれました。キルギスの「おもてなし」です。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (11)

中は何やら小宴会の様子。久しぶりに集まった親戚の集いでした。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (12)

私たちにももれなくクミス(馬乳酒)のおもてなし。実は苦手です。これ以上中にいるともっと飲まなくてはならないので御礼を伝えて外へ。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (3)

最後はみんな出てきて見送ってくれました。キルギスの人たちのおもてなしに、感謝です。

このユルトの放牧地からカルカラ・ベースキャンプにかけ渓谷沿いに歩いてみました。もう8月に入っていましたが、まだ野花が小川のふちを彩っていました。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (17)

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (18)


ここからはカルカラ谷ベースキャンプの紹介です。
ここは基本的にはヘリフライトで南イニルチェク氷河ベースキャンプへと向う登山者のために作られたキャンプです。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (9)

夕方のキャンプ。電気があり、夜は明かりがつくし、充電もできます。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (19)
テントの中には簡易ベッドが。この上に寝袋で寝ます。そして共同トイレ。比較的きれいにメンテナンスされていました。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (7)

ヘリポート(野原)はキャンプの横。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (10)

ダイニングの様子です。ここでは宿泊客はいっせいに、朝の8時、昼の13時、夜の19時に食事をします。時々在庫が切れますが、ビール、ウォッカもあります。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (16)

宿泊客のほとんどがヨーロッパの登山客のため、西欧・ロシア料理が基本です。ハンバーグとポテト・ピューレ。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (8)

野菜たっぷりのパスタも。昼食がたっぷり量で、夕食は少なめのロシア・スタイルです。今回の滞在はヘリフライトの待ち時間が多かったため、食事が楽しみのひとつでした。

キルギス カルカラ谷 西遊旅行 (15)

たっぷりの昼食後は、木陰でお昼寝・・・。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2015年01月23日

キルギス・パミール トランス・アライ山脈の麓 夏のキルギス族

キルギス・パミール 西遊旅行

大好きな、キルギス・パミールの夏の景色です。

キルギスの南部、タジキスタンとの国境を成すトランス・アライ山脈の麓、標高3,200~3,500mの草原の夏は、放牧をしながら夏の「遊牧の暮らし」を楽しむキルギスの人たちの暮らしがあります。

キルギス族は本来は「遊牧の民」ですが、ソ連時代の定住化政策、コルホーズ・ソフホーズといった国家主導の牧畜管理の下で、伝統的な暮らしは失われてしまいました。さらには1991年のソ連崩壊、中央アジアの国々の独立という突然の政策変更による混乱も。現在は村での定住、そして季節ごとに家畜を連れて放牧地を移動する暮らしをしているといいます。

キルギスの南部、タジキスタンとの国境に近い町サリタシュから南へ、トランス・アライ山脈の麓に広がる草原、アライ渓谷には夏の間、アライ・キルギスの人々の夏のユルトが見られます。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (1)

背後の山がトランス・アライ山脈、麓の草原で放牧が行われています。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (2)

幹線道路に近い村のそばでは家畜の餌となる草を集めていました。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (4)

定住の村から夏の放牧地のユルトへ向う少女。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (15)

たどり着いた放牧地にはユルトが2軒。最近はキャンパス生地を利用したユルトもありますが、伝統的なフェルトで作った立派なユルトです。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (7)

私たちをみつけてさっそく子供たちがやってきました。夏休みを利用して草原で遊ぶ子供たち。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (5)

そばでは馬の乳絞り。キルギス族と馬は切っても切れない深い縁。乗馬にも荷役にも使いますし、その乳も肉もいただきます。基本的にキルギス族、カザフ族は馬肉は大好物、「馬肉ないと冬が越せない」と。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (9)

「これは何??」乳を発酵させて作った乾燥チーズのクルット。乳を醗酵させて丸めて乾燥させて作ります。これまでのお客様のコメントを聞いている限り日本人のお口には合わないようです。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (11)

お嬢さんたちがナン、手作りのクリーム、そして馬乳酒をもってやってきました。キルギスの「おもてなし」です。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (10)

たじろぐ日本人に見本をみせるドライバーさん。このユルトはドライバーさんの知り合いの家族のものでした。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (8)

ユルトの中にいれてもらうとお母さんたちがナンを作っていました。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (13)

赤ちゃん! 伝統的なゆりかごの中で寝かされていました。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (14)

そしてここにも赤ちゃんが。お嫁に行きビシュケクで暮らすお嬢さんが子供をつれて帰省していました。

キルギス・パミール トランス・アライ 澤田真理子  (12)

気がつくと宴会に招かれていました。40年ぶりに出会う「同窓会」だとか。

夏の「キルギス・パミール」のヒトコマでした。

Photo & Text by Mariko SAWADA 澤田真理子

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2014年01月20日

【記事紹介】今、こんな旅がしてみたい!2014 トルクメニスタン

今、こんな旅がしてみたい2014 (1)

西遊旅行中央アジア担当の記事が載った雑誌のご紹介です。

「地球の歩き方」編集部が選んだ、「今、こんな旅がしてみたい!2014年に行くべき旅先」の秘境紹介ページでトルクメニスタン(地獄の門)と、ウズベキスタンのサマルカンドを紹介しました。

今、こんな旅がしてみたい2014 (2)

西遊旅行の中央アジアチームの2014年のお勧めは昨年から好評のトルクメニスタン「地獄の門」訪問を含む自然を満喫するコース、そして根強い人気のウズベキスタン周遊コース、2014年からリニューアル再開するカザフスタンのマンギスタウとウスチュルト台地、そして西遊旅ならではの山岳中央アジア、タジキスタン・ワハーン渓谷とパミール・ハイウェイのコースでしょうか。2014年の4~10月のコースは1月下旬に発表いたします。

今、こんな旅がしてみたい2014 (5)

各地の書店で発売中です!

西遊旅行 中東・中央アジアチーム


西遊旅行のマンギスタウへの旅
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間


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2014年01月08日

トルクメニスタン 地獄の門の夜

トルクメニスタン 地獄の門 (4)

地獄の門 Darvazaへ
アシガバードの北260キロ。ダルワザ付近の地下には豊富な天然ガスが眠っています。1971年、地質学者によるボーリング調査を行い天然ガスが満ちた洞窟を発見。その調査の過程で採掘作業中の落盤事故が起こり、装置もろとも、直径50m~100mにもなる穴が開いてしまいました。有毒ガスの放出を食い止めるために火をつけ、数日で消えると想定されていたものの天然ガスは終わることなく現在に至るまで燃え続けています。地元住民からその地獄のような光景ゆえに「地獄の門」と呼ばれ、ペルシャ語の「門」=ダルワザと呼ばれています。現在に至るまでこの火を消すことはできず、そのガスの埋蔵量も不明なままです。
2013年現在、トルクメニスタンの天然ガスは世界第4位の埋蔵量を持ち、今後20年でロシア、中国、イラン、インド、西ヨーロッパへの輸出を三倍にする計画をたてているといいます。

トルクメニスタン 地獄の門 (1)
日暮れ前のクレーター まずは夜のための下見です。落ちたら助かりませんので、そばによりすぎず、もろそうな場所は歩かないように。

トルクメニスタン 地獄の門 (2)
水や泥のクレーターに比べると迫力満点。自分の方向に風がふくと熱風に包まれます。

トルクメニスタン 地獄の門 (7)
暗くなってきました。「地獄の門」の炎の明かりと、私たちのキャンプの明かり。

トルクメニスタン 地獄の門 (5)
この日は風があり、また雨模様。鳥が飛来し、地獄の門のクレーターの上を舞う、不思議な景色を見ることができました。

トルクメニスタン 地獄の門 (3)
そして、クレーターのふちで記念撮影に興じます。撮影には高感度設定のカメラ、一脚か三脚をお持ちになる方がきれいに撮れるでしょう。

トルクメニスタン 地獄の門 (6)
すこし離れた丘から見た地獄の門。

トルクメニスタン 地獄の門 (9)地獄の門を望みながらのキャンプ地での夕食。

写真で見るよりも、実際のクレ-ターは小規模におもわれるかもしれません。また、よくエルタ・アレ火山の火口と比べられることがありますが、火山の火口と事故でできたガスのクレーターは別のものです。

「地獄の炎」を楽しみ、撮影に興じてみる、是非、楽しい夜をお過ごしください。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子



西遊旅行のマンギスタウへの旅
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間


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2014年01月04日

トルクメニスタン ダムラ村へ!カラ・クム砂漠の暮らし

ダムラ村 カラクム砂漠 (1)

天然ガスなど豊富な資源をもとに急速に発展、かわりつつある国トルクメニスタン。
カラ・クム砂漠にある小さな村、ダムラを訪問した2013年9月の記録です。
アシガバードや、マリ、トルクメナバードなどの都会では見られない、砂漠の村の暮らし。
中央アジアらしい、景色が残っていました。

ダムラ村、カラ・クム砂漠に暮らす人々 
ダムラとはWATER DROP、水滴を指す言葉で、村のそばには夏場は水がたまるくぼ地があり、たくさんの井土もあります。朝、キャンプ地からダムラ村へ到着すると、ちょうど家畜の水やりと放牧の出発の時間でした。

ダムラ村 カラクム砂漠 (3)
近くの草地へ移動するヤギの群れ。

ダムラ村 カラクム砂漠 (2)
井戸を使い終わると厳重に鍵をかけます。水は、貴重。

村には学校もありました。タシャウズから夫婦で派遣されているという先生が指導をしていました。
ダムラ村 カラクム砂漠 (12)
先生の質問に答える少年。

ダムラ村 カラクム砂漠 (11)
この緑の衣装と白いエプロン、おさげはトルクメニスタンの女学生の制服です。

村へ入っていくと、女性たちが家の中で集まって作業をしていました。「ケチェ」と呼ばれるフェルト作り。

ダムラ村 カラクム砂漠 (4)
動物の毛はたたいたりするとキューテクルがからみつきひっつきます。白や黒、灰色、茶色は羊の元の毛の色を利用し、赤や緑などは町で買ってきた科学染料で染めます。9~10月は特にさかんにフェルト作りが行われるそうです。 

ダムラ村 カラクム砂漠 (5)
作業よりも写真撮影に夢中になってしまったお嬢さんたち。

ダムラ村 カラクム砂漠 (6)
完成したフェルトは家の床に敷かれています。

ダムラ村 カラクム砂漠 (7)
お嬢さんたちのお父さんも登場し、ドゥタールと言う二弦楽器を披露。まごをそばに、語りかけるような演奏でした。     

ダムラ村 カラクム砂漠 (8)
メインの住居はコンクリート製のものですが、その横には真新しい、新築のユルトが。中は伝統的な飾りで装飾されていました。孫を抱いて満面の笑みのヤズグルさん。

タムディール
家の外ではタムディール(タンドール)でのチョーレック(ナン)焼いていました。お嫁さんのとお母さんの作業。

ダムラ村 カラクム砂漠 (9)
きれいに模様をつけて・・・

ダムラ村 カラクム砂漠 (10)
焼きたてのナンはたまりません。

ダムラ村 カラクム砂漠 (13)
そしてかまどで作った煮込み料理。

気が付いたら2時間以上歩きっぱなしで気温も30度を超えていました。ユルトに入れてもらい、ナンと煮込み料理をいただきました。

急激な近代化を進めているトルクメニスタンで、カラ・クム砂漠の暮らしを見ることができる貴重な場所です。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子


西遊旅行のマンギスタウへの旅
地獄の門と奇跡の大地 9日間
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カラカルパクスタンとトルクメニスタン


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2014年01月01日

トルクメニスタンのカラ・クム砂漠でキャンプ

1

カラ・クム砂漠 Kara Kum Desertはテュルク系の言葉で「黒い砂」を意味する砂漠。35万平方キロメートルにおよび、トルクメニスタンの国土の70%を占めます。砂漠と言っても砂の部分は少なく、根を地下に深く伸ばした植物が生える牧畜地帯。ソ連時代にカラ・クム運河が作られたことから用水路をはって農業も発達しています。

首都アシガバードからダムラ村へ移動中、村の手間でキャンプしました。

トルクメニスタン カラクム砂漠 (2)
途中の景色はほどんどが土漠や牧草地ですが、ところどころ砂丘をみかけます。

トルクメニスタン カラクム砂漠 (3)
よく見るとカラ・クム砂漠に暮らす動物たちの姿も。

トルクメニスタン カラクム砂漠 (5)
雨季には水がたまる平らなくぼ地にてテント。ダムラ村まですぐの距離です。

トルクメニスタン カラクム砂漠 (4)
夜、夕食までの時間に周辺の草陰を観察すると、夜行性のかわいいトカゲの姿! 

トルクメニスタン カラクム砂漠 (6)
夕食はスタッフの手作りのトルクメニスタンのパラオ。

トルクメニスタン カラクム砂漠 (7)
そしてあったかいお茶。ウォッカも身体をあたためてくれる、カラ・クム砂漠の夜です。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子



西遊旅行のマンギスタウへの旅
地獄の門と奇跡の大地 9日間
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カラカルパクスタンとトルクメニスタン

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2013年12月31日

トルクメニスタンのマルグッシュ遺跡(テペ・ゴヌール)

マルグッシュ テペ・ゴヌール (12)

現在も発掘が続く、トルクメニスタンのマルグッシュ遺跡(テペ・ゴヌール)。
新しい発見が続き、まだ資料なども十分に出版されておらず、現場で考古学者の説明を聞きながら遺跡をめぐります。遺跡では、トルクメニスタン考古学の権威ヴィクトール・サリアディニ先生とそのチームが発掘を続けています。

考古学者ヴィクトール・サリアディニ
ロシアの考古学者でトルクメニスタンの考古学の権威。1972年よりマルグッシュ遺跡を発掘を指揮しています。遺跡に到着して先生がいらっしゃると、ごあいさつ。「私はこの紀元前3,000年にもさかのぼる遺跡を40年発掘してきていますが、何にもわかっていません」、という謙虚な言葉は印象的でした。「今言えるのは、四大文明に匹敵する高度な文明を持ち、ゾロアスター教の前身となる、火・水・空・大地を崇拝した宗教を持った人々、独特の埋葬方法を発達させた人々が暮らしていた、ということです」と。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (1)
先生と記念撮影していただきました。

マルグッシュ遺跡 テペ・ゴヌール
発掘途中のこの遺跡はまだまだ謎に包まれています。名前も地元の人がこう呼んでいるからテペ(丘)・ゴヌール(灰色)とついたとか。紀元前25世紀~紀元前17世紀の遺跡で100ヘクタールにわたって25の区画エリアが見つかっています。最も古いのが一般観光客が訪問する「神殿や王宮」と呼ばれる建物があるエリア。建物の外壁は天井のある二重壁で覆われていたといい、きれいに見える再建部分は忠実に泥でカバーしているといいます。
案内書には「謁見の間」とか「神殿」とか書かれているのですが、実際にはなんの意味のある部屋かはまったくわかっていないとのことでした。建物の周りにはマルガブ川の水を引いた貯水池、そして地下宮殿(死後のすまい)に埋葬。埋葬は特徴的でロバ、羊と青銅製の副葬品などを見ることができました(一部レプリカです)。
考古学者の説明によるとマルグッシュには世界四大文明に匹敵する高度な文明があったと想定されているそうです。

遺跡見学はロシアの考古学者のサタイフさんに案内してもらいました。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (2)
テペ・ゴヌール復元想像図
アシガバードの博物館に展示されていたテペ・ゴヌールの最盛期の神殿・王宮エリアを復元した想像図。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (3)
遺跡へ。三角の窓は明かりとりと考えられています。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (4)
未修復の回廊部(屋根あった)と三角の窓。日干し煉瓦と焼煉瓦を利用。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (5)
水道管の跡。まるでインダス文明のようです。    

マルグッシュ テペ・ゴヌール (7)
宮殿と飛ばれるエリア 

マルグッシュ テペ・ゴヌール (6)
修復した壁龕。もとの建築物に忠実に泥をにぬったそうです。

マルグッシュ テペ・ゴヌール (8)
地下宮殿、死者のための住居が見つかっています。            

マルグッシュ テペ・ゴヌール (9)
ロバ、青銅製の瓶、車輪、王杓などが発券された墳墓(人7人、 犬7匹、ロバ2頭、ラクダ2頭の埋葬)
 
マルグッシュ テペ・ゴヌール (10)
埋葬されていたロバ                               

マルグッシュ テペ・ゴヌール (11)
羊とたくさんの器の副葬品

これまでに発掘が進んでいる王宮と呼ばれるエリアと墓地を見学することができるマルグッシュ。
新たな発見も期待される、トルクメニスタン考古学のホットな遺跡です。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子



【関連ツアー情報】
地獄の門と奇跡の大地 9日間
地獄の門と奇跡の大地 10日間
カラカルパクスタンとトルクメニスタン

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2013年12月27日

マンギスタウ トゥズバイル塩湖へ

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (8)

カザフスタンの知られざる「絶景」をご紹介します。
トゥズバイル塩湖。
季節によって水があったりなかったりするので必ずしも鏡のような水のはった景色が見られるわけではありません。周囲の白亜の断崖だけれも十分、素晴らしい景色です。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (1)
到着した日はお天気が悪く、それでも白亜の断崖と塩湖の縁を走るドライブは圧巻。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (2)
白亜の断崖のふもとにキャンプを設営。トゥズバイル塩湖に水があるかどうかはその年の冬季の積雪、夏の間の雨量などさまざまな要因があるため、予想することは簡単ではありません。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (3)
白亜の岩山を登り、上から見たキャンプ地。この時は水が少なく、周辺は乾燥して塩がふき固まっていました。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (4)
翌日、晴れました!水のある場所まで四輪駆動車で移動。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (5)
途中、塩がふいている場所を歩きました。風紋のような模様ができていてとてもきれい。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (6)
「あ、水」と思わず駆け出す。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (7)
連れて来てくれたスタッフ。よく、ウユニ塩湖と比較されますが、全然違います。ウユニ塩湖のほうがスケールは大きいですし鏡のような映り込み方も違います。ここは周辺の白亜の断崖や景色がこの塩湖を特別なものにしているのです。

トゥズバイル塩湖 カザフスタン マンギスタウ (9)
トゥズバイル塩湖の水があるかどうかはその時次第ですが、この奇跡の光景はチャレンジする価値ありです!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のマンギスタウへの旅
神秘の大地マンギスタウ 白亜の断崖ウスチュルト台地とトゥズバイル塩湖



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2013年12月22日

白亜のロストワールド、ウスチュルト台地の絶景!マンギスタウ

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (6)

カザフスタン西部、マンギスタウへ旅、発表しました

マンギスタウという言葉はトュルク系の言葉で「メン・ギストゥ」=「千の村」という意味を持ちます。カザフスタンは大ジュズ、中ジュズ、小ジュズと3つの部族連合に別れますが、マンギスタウに住む部族はほとんどが、小ジュズに属するアダイ族。
「地下に石油、地にアダイ、天に神」という言葉があるほど誇りの高い民族で、そのマンギスタウには、現地の人々が巡礼に訪れる聖地が点在しています。

実際に訪れると、まさに神秘の大地。
マンギスタウの旅のハイライトが聖地ベケット・アタ廟の巡礼(訪問)とがウスチュルト台地の白亜の絶景。
絶景ポイントはいくつかありますが、恒常的に風がきつい場所。何処を訪れるか、何処でキャンプをするかなど、当日の天候などを見て決めることになります。風が強いと、絶壁に立つときは注意が必要です。
「白亜」についてはこちらのブログを参照

ツアーで訪れた絶景ポイントの写真をご紹介します。
マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (7)
ウスチュルト台地の上は真っ平ら。四輪駆動車で走っていくと断崖絶壁が現れます。

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (2)
白亜の断崖の浸食が美しい奇観が見られるのがボスジラ。ボスジラは表面を石灰の層で覆われ守られていた部分と浸食された部分に分かれ、独特の景観を作り出しています。

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (1)
ボスジラ付近の景色

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (3)
白亜の上を野生羊ムフロンが走っていきました。このあたりは聖地ベケット・アタに近いため猟が禁じられており、あちこちで見かけることができます。そしてムフロンをみたら幸運が訪れるとか・・・。

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (4)
まるで白い海に浮かぶ船か、古城のような白亜の岩山。

台地を降りて今度は下から岩山を眺めます。
ウスチュルト台地 白亜の絶景 (7)
付近にはアンモナイトや貝の化石を見ることもできました。

マンギスタウ ウスチュルト台地 白亜 (8)
天候が変わりやすく、急に雲に覆われたかと思うと、白亜の断崖に光があたります。

ボクティ
アクタウに戻る最後の訪問地がボクティ。ここで手作りのボルシチをいただき、ウスチュルト台地を堪能。

四輪駆動車とキャンプ泊でご案内するマンギスタウの旅。
ツアーでは天候も考慮した日程で絶景ポイントへご案内いたします。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のマンギスタウへの旅
神秘の大地マンギスタウ 白亜の断崖ウスチュルト台地とトゥズバイル塩湖


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テチス海とカスピ海とマンギスタウ

マンギスタウ ウスチュルト台地 (2)

カザフスタン西部、マンギスタウへ旅、発表しました

マンギスタウへ
あまりにも知られていない地名「マンギスタウ」は、カザフスタン西部、カスピ海東岸の地域です。
旅はマンギスタウ州の州都でカスピ海に望む港をもつ町、アクタウから始まります。
アクタウとはカザフ語で「白い山」を指し、これは周囲の山の景色に由来し、街は石油産業の従業員キャンプからスタートし、現在も拡大を続け、カザフスタンの中でも成長いちじるしい都市となっています。訪問した2013年にはカスピ海の魚資源が激減したことから禁漁政策が取られていましたが、石油関係の企業誘致がと開発が進み、カザフスタンでもホットな町のひとつになっていました。

アクタウが面するカスピ海(Caspian Sea)は中央アジアと東ヨーロッパの間にある世界最大の塩湖。カスピの名前は古代湖岸に暮らしていたカス(カスピ)族に由来するといいます。流入河川130本、面積は374,000平方ロメートル(日本の面積は377,835平方キロメートルとほぼ同じ)で世界の湖の水量の40~44%を占めます。そしてカスピ海は、このマンギスタウの旅の大きなテーマ「白亜」を作り出した、古代テチス海の名残です。

マンギスタウ ウスチュルト台地 (3)
アクタウの海岸

古代テチス海って?
地球の大陸がラウラシア大陸とゴンドワナ大陸にわかれていたときにその間に存在した海がテチス海。ラウラシア大陸の活発な地殻変動の結果、テチス海は内陸に取り残され現在のカスピ海を作りました。その後も気候の変動などによりカスピ海の大きさは変化し海進海退を繰り返し現在にいたっています。その時代、一緒に内陸に取り残されたのがチョウザメ。チョウザメはシーラカンスの時代からの残存種で古代チテス海と一緒に内陸に取り残され、サメにもその他の魚にも進化しなかった古代魚の残存種と言われています(そのチョウザメも1991年のソ連崩壊後、各国が勝手にチョウザメを取り続けた結果、1991年とくらべ40分の1にまで減ってしまったといわれ、ようやく保護政策が取られました。2013年現在禁漁中です。)

ツアー中に見つけた、テチス海の跡、化石。二枚貝、巻貝、そしてアンモナイト。
マンギスタウ ウスチュルト台地 (4)

マンギスタウ ウスチュルト台地 (5)

そしてうれしいことにガイドを務めてくれたアンドレイ先生が白亜の中から見つけたサメの歯をもらいました!
マンギスタウ ウスチュルト台地 (7)


ウスチュルト台地・白亜の大地ができるまで
カザフスタン南西部とトルクメニスタン北西部に広がるウスチュルト台地。白亜と呼ばれる白い岩の層が広がる奇観を呈している台地です。この白い岩の層は、テチス海で作られたもの。ある時期のテチス海は遠浅の海で太陽光を浴びて大量の円石藻(えんせきそう)と呼ばれる植物プランクトンが発生し、長い年月をかけて大量に海底に蓄積していきました。その海底が5000万年前ごろに隆起し、その後のカスピ海の海進海退や隆起、雨・風の浸食を受け現在の光景を作り出したといいます。

マンギスタウ ウスチュルト台地 (1)

四輪駆動車とキャンプ泊でご案内する絶景への旅。
ツアーでは天候も考慮した日程で絶景ポイントへご案内いたします。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のマンギスタウへの旅
神秘の大地マンギスタウ 白亜の断崖ウスチュルト台地とトゥズバイル塩湖



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2013年11月27日

ペトラ シク「砂岩の回廊」を歩く

ペトラ シク (1)
朝陽を浴びるエル・ハズネ

ペトラ遺跡の内部へと導く砂岩の狭い岩の裂け目の通路をシクSiqといいます。砂岩の岩山が長い年月の間に雨で浸食され、また近く変動を受け作り出されたできた天然の回廊です。古代ナバタイの人々はこのシクに壁面に神殿や祠、水路を設けました。古代ナバタイの人々にとってシクは聖域へと通じる、神聖な道であったと考えられてます。

遺跡のゲートから歩くこと800m、およそ1.2キロに及ぶシクは、ペトラで最もドラマチックな光景、映画「インディ・ジョーンズ・最期の聖戦」の舞台ともなったエル・ハズネへと至ります。シクを歩くこと自体がペトラ遺跡訪問のハイライトです。

シクの入り口からエル・ハズネまでのみどころをご紹介します。

ペトラ シク (2)
シクの入口へ向かう道  右手の方形建物はジン・ブロックDjin Block。アラビア語でジンは「霊」を指し、何のために建てられたのか不明のままですが、初期の塔墓やペトラの入り口を守護する信仰の対象であったなど、想像されています。

ペトラ シク (3)
オベリスクの墓 Obelisk Tomb  上部に4つのオベリスクと風化した人物像が掘り出された墳墓。オベリスクはナバタイ人の葬儀のシンボルであり、1つが1つの魂を象徴すると考えられ、5人の人の墓であると考えられます。また、下の建物はさらに古い時代に建てられたTricliniumトリクリニウムと呼ばれるホールで、死者を追悼して行われた儀式や宴が行われた場所です。このようなホールはペトラで数カ所確認されており、「リトル・ペトラ(ワディ・アル・バリッド)」のホールにはフレスコ画が残されています。

ペトラ シク (4)
ペトラの墳墓は基本的に上から掘り削って作られています。これは彫り始めて建設が中断された墳墓の跡。デザインはアッシリアのクロウ・ステップ。

ペトラ シク (5)
1963年、ワディ・ムーサの洪水がシクに流れ込むのを防ぐため、AD50頃のナバタイのダムの上にダムがつくられました。

ペトラ シク (6)
いよいよシクの入り口です。頭上に張り出した岩山は、60~100mの高さ。入り口にはナバタイの記念アーチがありましたが19世紀末に崩壊して一部を残すだけとなりました。

ペトラ シク (7)
シクを行きかう馬車。ベドウィンの子供、若者、そして大人がペトラで働いています。彼らは1980年代までこのペトラに暮らしていましたが退去させられ郊外の新しい村に住んでいます。今はペトラ内でのツーリストのための仕事に従事し、馬車、ロバのあっせん、おみやげ物の販売をしています。

ペトラ シク (8)
ナバタイの神ドシャラ神を祀った祠。上部の穴は生贄をつるしたと考えられています。

ペトラ シク (9)
こんなところに子猫!

ペトラ シク (10)
ペトラには野良犬、野良猫がたくさん。子猫のために母猫がシクに食料を探しに来ていました。観光客にもおねだり。

ペトラ シク (11)
ローマ時代の石畳の下にはナバタイ時代の石畳が。道に沿って水路が築かれています。

ペトラ シク (12)
古代ナバタイの人々が作った2000年前のテラコッタの水道管が一部残されているところもあります。

ペトラ シク (13)
水路の水を濾すためのフィルターとなる沈澱池。シクを通るキャラバンの水飲み場にもなっていたと考えられています。

ペトラ シク (14)
シクの通路はほぼ天然の岩ですが、場所によってはキャラバンの通行の妨げにならないように削って幅をひろくした跡があります。

ペトラ シク (15)
文字通り、薔薇色の回廊。

ペトラ シク (16)
ナバタイの神、ドシャラの祭壇。右手の洞穴は司祭暮らしたと言われています。

ペトラ シク (17)
サビノス・アレキサンドロス・ステーション Sabinos Alexendros Sration  アドラ(現シリアのダラ)から来たサビノスという司祭が作ったドシャラ神を祀る祠。

ペトラ シク (18)
ラクダを連れたキャラバンのレリーフ。残念ながら浸食風化により足元しか残っていません。アラビア半島南部からきた遊牧民であるナバタイの人々。エジプト、アッシリア、ギリシャ、ローマと交易をし、その文化を吸収してこのペトラに「聖なる都」を築きました。

ペトラ シク (19)
シクの前方がが明るくなりエル・ハズネが見えてきます。エル・ハズネ、「失われた都」ペトラで最も美しい建築物が目の前に現れます。

ペトラ シク (20)
午後の光を浴びたエル・ハズネ。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子

西遊旅行のおすすめサイト
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2013年09月11日

ヨルダンの死海リゾート 

■小プール(死海側) (9)

地球上で最も低い海抜マイナス420mの死海。アンマンやケラック方面から死海へ向かうと、車はぐんぐんと高度を下げていきます。東アフリカから紅海、そしてアカバ、この死海とヨルダン渓谷を貫く「大地溝帯」の深部へ下って行くことを実感せずにはいられません。
かつては海の底だったこの付近は海底隆起が生じ、パレスチナの高原や東岸の丘陵地帯ができたと同時にプレートの裂け目であったためヨルダン渓谷に断層が生じました。断層の西側(イスラエル側)はアフリカ・プレート、東側(ヨルダン側)はアラビア・プレートです。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (28)
高原地帯から高度を下げて死海へ。マイナス420m地点の死海が見えてきました。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (29)

命の住まない海、として文字通り「死海」と呼ばれ、海水塩分濃度3%に対し30%以上の塩分濃度になっています。唯一の水源はヨルダン川。近年のミネラル分の過剰採掘のため水位が下がり続け、アカバから海水を採取して真水を取り出した塩水を死海にそそぐプロジェクトが進められているといいます。

一度は経験したい、死海での浮遊体験。塩分濃度の高さから体が沈まずに浮き上がります。無理に泳ごうとするとひっくり返って目に水がはいったりしますので、ゆっくりと体を動かすようにしましょう。また、キズ口があると塩が沁みて痛みます。20分以内が遊泳に最適な時間といわれています。

WS000016
一度は体験してみたい死海での浮遊体験。湖岸には死海の塩分を含む泥があることがあります。体に塗ってしばらく乾かしてから洗い落とします。

塩分濃度が高いので、水の中でも作動する時計やカメラなども死海にはつけず、水着もしっかり洗うようにしましょう。


死海リゾート モーベンピック・デッド・シー Movenpick Hotel & Resort Dead Sea
ヨルダンでは2000年以降、死海沿いのリゾートが発達し、隣のイスラエルにも負けない設備のリゾートホテルができています。そのうちのひとつ、モーベンピック・ホテルのデッド・シー・リゾート・アンド・スパをご紹介します。金曜日を含む週末にはアンマンや近隣のアラブ諸国からの観光客でにぎわいます。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (24)
死海を望むサマー・プール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (22)
死海のプライベート・ビーチ

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (15)
マイナス420m地点の看板
 
ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (14)
客室(シャレー)の一例。ホテルには複数のルーム・カテゴリーがあります。ツアーでの申込みの場合、メイン・ビルディングかシャレーに、空き具合に応じて部屋が決められるようです。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (17)
食事も豪華なブッフェレストランから個性的なアラカルトレストランまで。アラブ料理の前菜メッゼをどうぞ。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (2)
ヨルダン渓谷の葡萄からつくられるヨルダン・ワインはいかがでしょうか。


死海スパ&エステ Zara Spa
モーベンピックホテル内のスパ、ザラ・スパはそのレベルと設備で知られる人気のスパ。このスパは有料の施設のためツアーでご参加の方も実費をお支払いいただく必要がありますが、トップクラスの死海スパとエステを体験したい方には是非お勧めです。
(西遊旅行のツアーや個人旅行にお申し込みの方は弊社にて代行ご予約いたします。)

下記は2013年7月現在のメニューと料金例です。
■スパ施設(プールやサウナなど)のみの使用 08:30~20:30まで25JD
(泥エステなどのトリートメントを合計100JD以上利用した人は施設使用無料です。)
■主なスパ・メニュー
Natural dead Sea Salt Scrub 死海の塩スクラブ 25分 46JD
Relaxing Mud Wrap 全身泥パック 50分 60JD
Mini Mud Facial 顔泥パック 40分 52JD
その他、Dead Sea Spa Journey(3時間 210JD)、マッサージなど様々なメニューがあります。

ホテル到着後のの予約は難しく、ハイシーズンは1か月前の予約が望ましいと言われています。ご希望の方は早めにお申込みください。

では、施設をご紹介・・・

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (13)
着替え用の部屋。トイレ、シャワー、ロッカーなど完備。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (12)
バスローブ、タオル、紙パンツ(泥パック用)、サンダルなどの基本アメニティーはすべて用意されています。鍵はマグネット式。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (10)
サウナ

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (11)
トリートメントの施術室
 
ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (1)
ザラ・スパ・ハイドロ・プール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (7)
ザラ・スパ・ハイドロ・プール 死海の景色のなかのジャグジー癒しプール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (9)
ザラ・スパ・インフィニティ・プール スパ内のプールはスパ利用者のみのため人が多くないのもメリットです。

死海の滞在が一大リゾートに変身。浮遊体験だけならず、対岸にイスラエル、そしてエルサレムの明かりを望むホテルでの優雅なひとときはいかがでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子
(レポートは2013年7月現在のものです)

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2013年08月23日

ヨルダン アラビアのロレンスの砂漠 ワディ・ラムWadi Rum

ワディ・ラム (4)

ヨルダンの南の砂漠、ワディ・ラム。

ワディ・ラムが有名になったのは「アラビアのロレンス」として知られるT.E.Lawrenceが1917年、オスマントルコの支配からアラブ同盟の独立を目指してファイサル国王とともに行った「アラブの反乱」の舞台の一つとなったことでした。ラクダと馬に乗った騎馬隊がワディ・ラムの砂漠を走り出撃しアカバを攻略、そして北上しダマスカスを目指しました。

一見荒涼とした大地に見えるワディ・ラムの砂漠は現在もベドウィンの人々により使用される薬草が育ち、雨の後には200種を越える草や花が芽吹きます。砂岩の岩山には鳥や爬虫類、ハイラックスなどの小動物が暮らしています。井戸や泉が点在し、先史時代より人が住み、ギリシャ・ローマ時代には葡萄やオリーブ、松の木があったという記録も残されている砂漠。砂岩の岩肌にはアラビア半島南部からやってきた部族やナバタイ人の文字が刻まれてきました。

ツーリストが訪れるワディ・ラムの砂漠は、砂岩の岩山の大地を四輪駆動車で走り、砂岩のアーチ、岩刻画などを巡るちょっとしたアドベンチャー。

ワディ・ラム (9)
砂岩のアーチのひとつ

ワディ・ラム (3)
アラビア半島から北上しこの砂漠を行きかった人々による岩刻画が残されています。

ワディ・ラム (5)
雨と風による浸食を受けた砂岩の岩山

ワディ・ラム (2)
規模は小さいですが砂丘も。砂の上にはラクダの足跡発見。

ワディ・ラム (6)
ツーリストを載せて歩くラクダたちとベドウィンのおじさん。シーズンになるとラクダも足りないほど賑わうことも。私が訪問した7月はオフ・シーズン、ラクダものんびりしたものでした。

ワディ・ラム (7)
岩山の麓にはベドウィンのテントが建てられツーリストを待っていました。

ワディ・ラム (8)
暑い砂漠で暑いミントティーをいただき!(西遊インディアで勤務中の川口佳代さん)

ワディ・ラム
ワディ・ラムを巡るには四輪駆動車のジープ・ツアーに参加するのが一般的です。2時間位のものから一日子コースまで様々。ほとんどの四輪駆動車がピックアップの荷台に座席をつけたタイプのアドベンチャーなものです。

日よけになる帽子、ほこりよけのスカーフやマスク、日焼け止め、サングラスもご用意ください。

ワディ・ラム (1)
ワディ・ラム 浸食された砂岩の岩山が連なる砂漠。この南は紅海、そしてサウジ・アラビア。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

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ヨルダン ウンム・カイスUmm Qais、ゴラン高原を望む都市遺跡

ウンムカイス パネル
玄武岩と石灰岩の列柱を湛えるバシリカ・テラス 眼下にヤルムーク渓谷、背後にゴラン高原を望む

ウンム・カイスは首都アンマンから140㌔、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。

新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。
「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。
ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

遺跡の入り口付近はオスマントルコ時代の建物が続きます。

ウンム・カイス (12)
住居の建設にギリシャ・ローマ時代の遺跡から石材が運び出されました。

ウンム・カイス (11)
西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく(シリアのボスラ遺跡にもあります)、この劇場は3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

ウンム・カイス (4)
商店街の跡

ウンム・カイス (10)
バシリカ・テラス 6世紀の教会跡。石灰岩の柱廊に囲まれた中庭の奥に玄武岩の柱に囲まれた八角形の聖所を持つ珍しい建築スタイルが見られます。

ウンム・カイス (8)
ニンフェウム ローマ遺跡に必ずある「噴水」、泉の神ニンフの名を取っています。

ウンム・カイス (7)
彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

ウンム・カイス (2)
ローマン・ロードから見るかすんだティベリア湖とゴラン高原。谷の向こうはイスラエル、そしてその奥はシリア。

ウンム・カイス (6)
ローマン・ロード デクマヌスDecumanus Maximus。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー、Caldo Maximus 」、東西を貫くメインロード「デクマヌス Decumanus Maximus」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

ウンム・カイス (5)
ローマン・ロードの敷石に残された馬車のわだちの跡

ウンム・カイス (3)
遺跡を東西に貫くローマン・ロード、デクマヌス Decumanus Maximus。東の道は現シリアのボスラへ、西の道はヨルダン渓谷を通って現イスラエル、ベテシャンのスキュトポリスへとつながっていました。

多くのローマ遺跡のでは「ローマン・ロード」はすでに現在の町に埋没して終わるのですが、ウンム・カイスのローマン・ロードはどこまでも続くように感じます。「国境」というロケーションのせいなのでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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2013年08月17日

ペトラ・バイ・ナイト PETRA BY NIGHT

ペトラ・バイ・ナイト (1)

ヨルダン、ペトラの夜。

神秘的なまでのペトラ遺跡で夜を過ごしたい・・・という人も多いはず。ユネスコの世界遺産でもあり管理のしっかりしたペトラ遺跡は日没までに遺跡から出なくてはなりません(夏は19時、冬は17時)。

夜のペトラ遺跡を楽しむ方法がペトラ・バイ・ナイト。毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シクを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。

ペトラ・バイ・ナイト (6)
夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。遺跡のメインゲートからシク、そしてシクの内部もろうそくのあかりでライトアップされます。

ペトラ・バイ・ナイト (8)
岩の回廊となっているシクへ入ります。紙に包まれたろうそくの明かりが優しくシクと照らし、エル・ハズネ宝物殿へと導きます。

ペトラ・バイ・ナイト (2)
いよいよ、エル・ハズネへ到着。昼間に訪れた時の美しさにも息をのみましたが、ろうそくの明かりで照らし出されたエル・ハズネの出現はもうひとつのペトラの幻想。美しいです。

ペトラ・バイ・ナイト (5)
エル・ハズネに集まったツーリストにベドウィンのミントティーが振る舞われ、静寂の中ベドウィンの音楽が岩山に響き渡ります。

ペトラ・バイ・ナイト (3)
そして最後にはしっかり記念撮影の時間も。ショータイムが終わると、それぞれ記念撮影をして来た道を戻っていきます。人がいなくなってからの記念撮影をしようとして待っていると、ろうそくの片付けが始まってしまいました。

朝からのペトラ遺跡見学、午後のエッディール僧院登り、そして夜のペトラ・バイ・ナイト。
充実という言葉を通り越したペトラ満喫の一日です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

※情報は2013年8月現在のものであり、訪問の際には最新の現地事情をご確認ください。

西遊旅行で行くヨルダンの旅(添乗員同行ツアー) ホテルも訪問地も厳選・ヨルダンを満喫する旅
王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン8日間

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