ヨルダン

2013年11月27日

ペトラ シク「砂岩の回廊」を歩く

ペトラ シク (1)
朝陽を浴びるエル・ハズネ

ペトラ遺跡の内部へと導く砂岩の狭い岩の裂け目の通路をシクSiqといいます。砂岩の岩山が長い年月の間に雨で浸食され、また近く変動を受け作り出されたできた天然の回廊です。古代ナバタイの人々はこのシクに壁面に神殿や祠、水路を設けました。古代ナバタイの人々にとってシクは聖域へと通じる、神聖な道であったと考えられてます。

遺跡のゲートから歩くこと800m、およそ1.2キロに及ぶシクは、ペトラで最もドラマチックな光景、映画「インディ・ジョーンズ・最期の聖戦」の舞台ともなったエル・ハズネへと至ります。シクを歩くこと自体がペトラ遺跡訪問のハイライトです。

シクの入り口からエル・ハズネまでのみどころをご紹介します。

ペトラ シク (2)
シクの入口へ向かう道  右手の方形建物はジン・ブロックDjin Block。アラビア語でジンは「霊」を指し、何のために建てられたのか不明のままですが、初期の塔墓やペトラの入り口を守護する信仰の対象であったなど、想像されています。

ペトラ シク (3)
オベリスクの墓 Obelisk Tomb  上部に4つのオベリスクと風化した人物像が掘り出された墳墓。オベリスクはナバタイ人の葬儀のシンボルであり、1つが1つの魂を象徴すると考えられ、5人の人の墓であると考えられます。また、下の建物はさらに古い時代に建てられたTricliniumトリクリニウムと呼ばれるホールで、死者を追悼して行われた儀式や宴が行われた場所です。このようなホールはペトラで数カ所確認されており、「リトル・ペトラ(ワディ・アル・バリッド)」のホールにはフレスコ画が残されています。

ペトラ シク (4)
ペトラの墳墓は基本的に上から掘り削って作られています。これは彫り始めて建設が中断された墳墓の跡。デザインはアッシリアのクロウ・ステップ。

ペトラ シク (5)
1963年、ワディ・ムーサの洪水がシクに流れ込むのを防ぐため、AD50頃のナバタイのダムの上にダムがつくられました。

ペトラ シク (6)
いよいよシクの入り口です。頭上に張り出した岩山は、60~100mの高さ。入り口にはナバタイの記念アーチがありましたが19世紀末に崩壊して一部を残すだけとなりました。

ペトラ シク (7)
シクを行きかう馬車。ベドウィンの子供、若者、そして大人がペトラで働いています。彼らは1980年代までこのペトラに暮らしていましたが退去させられ郊外の新しい村に住んでいます。今はペトラ内でのツーリストのための仕事に従事し、馬車、ロバのあっせん、おみやげ物の販売をしています。

ペトラ シク (8)
ナバタイの神ドシャラ神を祀った祠。上部の穴は生贄をつるしたと考えられています。

ペトラ シク (9)
こんなところに子猫!

ペトラ シク (10)
ペトラには野良犬、野良猫がたくさん。子猫のために母猫がシクに食料を探しに来ていました。観光客にもおねだり。

ペトラ シク (11)
ローマ時代の石畳の下にはナバタイ時代の石畳が。道に沿って水路が築かれています。

ペトラ シク (12)
古代ナバタイの人々が作った2000年前のテラコッタの水道管が一部残されているところもあります。

ペトラ シク (13)
水路の水を濾すためのフィルターとなる沈澱池。シクを通るキャラバンの水飲み場にもなっていたと考えられています。

ペトラ シク (14)
シクの通路はほぼ天然の岩ですが、場所によってはキャラバンの通行の妨げにならないように削って幅をひろくした跡があります。

ペトラ シク (15)
文字通り、薔薇色の回廊。

ペトラ シク (16)
ナバタイの神、ドシャラの祭壇。右手の洞穴は司祭暮らしたと言われています。

ペトラ シク (17)
サビノス・アレキサンドロス・ステーション Sabinos Alexendros Sration  アドラ(現シリアのダラ)から来たサビノスという司祭が作ったドシャラ神を祀る祠。

ペトラ シク (18)
ラクダを連れたキャラバンのレリーフ。残念ながら浸食風化により足元しか残っていません。アラビア半島南部からきた遊牧民であるナバタイの人々。エジプト、アッシリア、ギリシャ、ローマと交易をし、その文化を吸収してこのペトラに「聖なる都」を築きました。

ペトラ シク (19)
シクの前方がが明るくなりエル・ハズネが見えてきます。エル・ハズネ、「失われた都」ペトラで最も美しい建築物が目の前に現れます。

ペトラ シク (20)
午後の光を浴びたエル・ハズネ。

文・写真 Mariko SAWADA  澤田真理子

西遊旅行のおすすめサイト
西遊旅行のヨルダンツアー特集 ヨルダン再発見
みどころガイド ヨルダン
西遊旅行の添乗員同行ツアー 「王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン」 
個人旅行で行くヨルダン 5日間、6日間、7日間、8日間










sawada_saiyu at 19:23|Permalink

2013年09月11日

ヨルダンの死海リゾート 

■小プール(死海側) (9)

地球上で最も低い海抜マイナス420mの死海。アンマンやケラック方面から死海へ向かうと、車はぐんぐんと高度を下げていきます。東アフリカから紅海、そしてアカバ、この死海とヨルダン渓谷を貫く「大地溝帯」の深部へ下って行くことを実感せずにはいられません。
かつては海の底だったこの付近は海底隆起が生じ、パレスチナの高原や東岸の丘陵地帯ができたと同時にプレートの裂け目であったためヨルダン渓谷に断層が生じました。断層の西側(イスラエル側)はアフリカ・プレート、東側(ヨルダン側)はアラビア・プレートです。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (28)
高原地帯から高度を下げて死海へ。マイナス420m地点の死海が見えてきました。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (29)

命の住まない海、として文字通り「死海」と呼ばれ、海水塩分濃度3%に対し30%以上の塩分濃度になっています。唯一の水源はヨルダン川。近年のミネラル分の過剰採掘のため水位が下がり続け、アカバから海水を採取して真水を取り出した塩水を死海にそそぐプロジェクトが進められているといいます。

一度は経験したい、死海での浮遊体験。塩分濃度の高さから体が沈まずに浮き上がります。無理に泳ごうとするとひっくり返って目に水がはいったりしますので、ゆっくりと体を動かすようにしましょう。また、キズ口があると塩が沁みて痛みます。20分以内が遊泳に最適な時間といわれています。

WS000016
一度は体験してみたい死海での浮遊体験。湖岸には死海の塩分を含む泥があることがあります。体に塗ってしばらく乾かしてから洗い落とします。

塩分濃度が高いので、水の中でも作動する時計やカメラなども死海にはつけず、水着もしっかり洗うようにしましょう。


死海リゾート モーベンピック・デッド・シー Movenpick Hotel & Resort Dead Sea
ヨルダンでは2000年以降、死海沿いのリゾートが発達し、隣のイスラエルにも負けない設備のリゾートホテルができています。そのうちのひとつ、モーベンピック・ホテルのデッド・シー・リゾート・アンド・スパをご紹介します。金曜日を含む週末にはアンマンや近隣のアラブ諸国からの観光客でにぎわいます。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (24)
死海を望むサマー・プール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (22)
死海のプライベート・ビーチ

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (15)
マイナス420m地点の看板
 
ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (14)
客室(シャレー)の一例。ホテルには複数のルーム・カテゴリーがあります。ツアーでの申込みの場合、メイン・ビルディングかシャレーに、空き具合に応じて部屋が決められるようです。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (17)
食事も豪華なブッフェレストランから個性的なアラカルトレストランまで。アラブ料理の前菜メッゼをどうぞ。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (2)
ヨルダン渓谷の葡萄からつくられるヨルダン・ワインはいかがでしょうか。


死海スパ&エステ Zara Spa
モーベンピックホテル内のスパ、ザラ・スパはそのレベルと設備で知られる人気のスパ。このスパは有料の施設のためツアーでご参加の方も実費をお支払いいただく必要がありますが、トップクラスの死海スパとエステを体験したい方には是非お勧めです。
(西遊旅行のツアーや個人旅行にお申し込みの方は弊社にて代行ご予約いたします。)

下記は2013年7月現在のメニューと料金例です。
■スパ施設(プールやサウナなど)のみの使用 08:30~20:30まで25JD
(泥エステなどのトリートメントを合計100JD以上利用した人は施設使用無料です。)
■主なスパ・メニュー
Natural dead Sea Salt Scrub 死海の塩スクラブ 25分 46JD
Relaxing Mud Wrap 全身泥パック 50分 60JD
Mini Mud Facial 顔泥パック 40分 52JD
その他、Dead Sea Spa Journey(3時間 210JD)、マッサージなど様々なメニューがあります。

ホテル到着後のの予約は難しく、ハイシーズンは1か月前の予約が望ましいと言われています。ご希望の方は早めにお申込みください。

では、施設をご紹介・・・

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (13)
着替え用の部屋。トイレ、シャワー、ロッカーなど完備。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (12)
バスローブ、タオル、紙パンツ(泥パック用)、サンダルなどの基本アメニティーはすべて用意されています。鍵はマグネット式。

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (10)
サウナ

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (11)
トリートメントの施術室
 
ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (1)
ザラ・スパ・ハイドロ・プール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (7)
ザラ・スパ・ハイドロ・プール 死海の景色のなかのジャグジー癒しプール

ヨルダン 死海 モーベンピック・デッド・シーjpg (9)
ザラ・スパ・インフィニティ・プール スパ内のプールはスパ利用者のみのため人が多くないのもメリットです。

死海の滞在が一大リゾートに変身。浮遊体験だけならず、対岸にイスラエル、そしてエルサレムの明かりを望むホテルでの優雅なひとときはいかがでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子
(レポートは2013年7月現在のものです)

西遊旅行のおすすめサイト
西遊旅行のヨルダンツアー特集 ヨルダン再発見
みどころガイド ヨルダン
西遊旅行の添乗員同行ツアー 「王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン」 
個人旅行で行くヨルダン 5日間、6日間、7日間、8日間

sawada_saiyu at 13:04|Permalink

2013年08月23日

ヨルダン アラビアのロレンスの砂漠 ワディ・ラムWadi Rum

ワディ・ラム (4)

ヨルダンの南の砂漠、ワディ・ラム。

ワディ・ラムが有名になったのは「アラビアのロレンス」として知られるT.E.Lawrenceが1917年、オスマントルコの支配からアラブ同盟の独立を目指してファイサル国王とともに行った「アラブの反乱」の舞台の一つとなったことでした。ラクダと馬に乗った騎馬隊がワディ・ラムの砂漠を走り出撃しアカバを攻略、そして北上しダマスカスを目指しました。

一見荒涼とした大地に見えるワディ・ラムの砂漠は現在もベドウィンの人々により使用される薬草が育ち、雨の後には200種を越える草や花が芽吹きます。砂岩の岩山には鳥や爬虫類、ハイラックスなどの小動物が暮らしています。井戸や泉が点在し、先史時代より人が住み、ギリシャ・ローマ時代には葡萄やオリーブ、松の木があったという記録も残されている砂漠。砂岩の岩肌にはアラビア半島南部からやってきた部族やナバタイ人の文字が刻まれてきました。

ツーリストが訪れるワディ・ラムの砂漠は、砂岩の岩山の大地を四輪駆動車で走り、砂岩のアーチ、岩刻画などを巡るちょっとしたアドベンチャー。

ワディ・ラム (9)
砂岩のアーチのひとつ

ワディ・ラム (3)
アラビア半島から北上しこの砂漠を行きかった人々による岩刻画が残されています。

ワディ・ラム (5)
雨と風による浸食を受けた砂岩の岩山

ワディ・ラム (2)
規模は小さいですが砂丘も。砂の上にはラクダの足跡発見。

ワディ・ラム (6)
ツーリストを載せて歩くラクダたちとベドウィンのおじさん。シーズンになるとラクダも足りないほど賑わうことも。私が訪問した7月はオフ・シーズン、ラクダものんびりしたものでした。

ワディ・ラム (7)
岩山の麓にはベドウィンのテントが建てられツーリストを待っていました。

ワディ・ラム (8)
暑い砂漠で暑いミントティーをいただき!(西遊インディアで勤務中の川口佳代さん)

ワディ・ラム
ワディ・ラムを巡るには四輪駆動車のジープ・ツアーに参加するのが一般的です。2時間位のものから一日子コースまで様々。ほとんどの四輪駆動車がピックアップの荷台に座席をつけたタイプのアドベンチャーなものです。

日よけになる帽子、ほこりよけのスカーフやマスク、日焼け止め、サングラスもご用意ください。

ワディ・ラム (1)
ワディ・ラム 浸食された砂岩の岩山が連なる砂漠。この南は紅海、そしてサウジ・アラビア。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

西遊旅行のヨルダンの旅 添乗員同行ツアー
「王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン」
西遊旅行のヨルダンみどころMAP 

sawada_saiyu at 10:40|Permalink

ヨルダン ウンム・カイスUmm Qais、ゴラン高原を望む都市遺跡

ウンムカイス パネル
玄武岩と石灰岩の列柱を湛えるバシリカ・テラス 眼下にヤルムーク渓谷、背後にゴラン高原を望む

ウンム・カイスは首都アンマンから140㌔、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。

新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。
「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。
ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

遺跡の入り口付近はオスマントルコ時代の建物が続きます。

ウンム・カイス (12)
住居の建設にギリシャ・ローマ時代の遺跡から石材が運び出されました。

ウンム・カイス (11)
西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく(シリアのボスラ遺跡にもあります)、この劇場は3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

ウンム・カイス (4)
商店街の跡

ウンム・カイス (10)
バシリカ・テラス 6世紀の教会跡。石灰岩の柱廊に囲まれた中庭の奥に玄武岩の柱に囲まれた八角形の聖所を持つ珍しい建築スタイルが見られます。

ウンム・カイス (8)
ニンフェウム ローマ遺跡に必ずある「噴水」、泉の神ニンフの名を取っています。

ウンム・カイス (7)
彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

ウンム・カイス (2)
ローマン・ロードから見るかすんだティベリア湖とゴラン高原。谷の向こうはイスラエル、そしてその奥はシリア。

ウンム・カイス (6)
ローマン・ロード デクマヌスDecumanus Maximus。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー、Caldo Maximus 」、東西を貫くメインロード「デクマヌス Decumanus Maximus」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

ウンム・カイス (5)
ローマン・ロードの敷石に残された馬車のわだちの跡

ウンム・カイス (3)
遺跡を東西に貫くローマン・ロード、デクマヌス Decumanus Maximus。東の道は現シリアのボスラへ、西の道はヨルダン渓谷を通って現イスラエル、ベテシャンのスキュトポリスへとつながっていました。

多くのローマ遺跡のでは「ローマン・ロード」はすでに現在の町に埋没して終わるのですが、ウンム・カイスのローマン・ロードはどこまでも続くように感じます。「国境」というロケーションのせいなのでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


西遊旅行のヨルダンの旅 添乗員同行ツアー
「王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン」
西遊旅行のヨルダンみどころMAP 

sawada_saiyu at 09:19|Permalink

2013年08月17日

ペトラ・バイ・ナイト PETRA BY NIGHT

ペトラ・バイ・ナイト (1)

ヨルダン、ペトラの夜。

神秘的なまでのペトラ遺跡で夜を過ごしたい・・・という人も多いはず。ユネスコの世界遺産でもあり管理のしっかりしたペトラ遺跡は日没までに遺跡から出なくてはなりません(夏は19時、冬は17時)。

夜のペトラ遺跡を楽しむ方法がペトラ・バイ・ナイト。毎週月・水・木曜日の夜に行われています。シクを歩いてエル・ハズネまで往復するためおよそ2時間かかりますが、昼間とは違う幻想的な光景に時間を忘れるほどです。

ペトラ・バイ・ナイト (6)
夜20:30頃ペトラ遺跡のメインゲートに集合。ここから歩き始めます。遺跡のメインゲートからシク、そしてシクの内部もろうそくのあかりでライトアップされます。

ペトラ・バイ・ナイト (8)
岩の回廊となっているシクへ入ります。紙に包まれたろうそくの明かりが優しくシクと照らし、エル・ハズネ宝物殿へと導きます。

ペトラ・バイ・ナイト (2)
いよいよ、エル・ハズネへ到着。昼間に訪れた時の美しさにも息をのみましたが、ろうそくの明かりで照らし出されたエル・ハズネの出現はもうひとつのペトラの幻想。美しいです。

ペトラ・バイ・ナイト (5)
エル・ハズネに集まったツーリストにベドウィンのミントティーが振る舞われ、静寂の中ベドウィンの音楽が岩山に響き渡ります。

ペトラ・バイ・ナイト (3)
そして最後にはしっかり記念撮影の時間も。ショータイムが終わると、それぞれ記念撮影をして来た道を戻っていきます。人がいなくなってからの記念撮影をしようとして待っていると、ろうそくの片付けが始まってしまいました。

朝からのペトラ遺跡見学、午後のエッディール僧院登り、そして夜のペトラ・バイ・ナイト。
充実という言葉を通り越したペトラ満喫の一日です!

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子

※情報は2013年8月現在のものであり、訪問の際には最新の現地事情をご確認ください。

西遊旅行で行くヨルダンの旅(添乗員同行ツアー) ホテルも訪問地も厳選・ヨルダンを満喫する旅
王の道が貫く砂漠の国 ヨルダン8日間

sawada_saiyu at 17:39|Permalink