ヨルダン・ツアー

2013年08月23日

ヨルダン ウンム・カイスUmm Qais、ゴラン高原を望む都市遺跡

ウンムカイス パネル
玄武岩と石灰岩の列柱を湛えるバシリカ・テラス 眼下にヤルムーク渓谷、背後にゴラン高原を望む

ウンム・カイスは首都アンマンから140㌔、ヤルムーク渓谷(ヨルダン渓谷)の奥にゴラン高原(イスラエル、シリア)、ゴリラヤ湖(イスラエル)を望むロケーションにある遺跡。2世紀にデカポリスのリーダーとして最盛期を迎えた都市遺跡で、石灰岩と玄武岩の都市が周囲の景色のに溶け込んだ美しい遺跡です。

新約聖書の「ガダラの豚の奇跡」の舞台であるガダラ(現ウンム・カイス)は古来から文化の中心として栄え、ローマの修辞学校の創設者であるテオドロスを初めに、何人かの古典詩人や哲学者を輩出しました。
「ガダラ」の町はプトレマイオス朝、セレウコス朝時代を経て紀元前63年、ローマ支配下に入りデカポリスのひとつとして繁栄しました。7世紀ごろに衰退しイスラム勢力の支配下に入りました。オスマン帝国時代には遺跡の石を用いて村が作られ1987年まで人が暮らしていました。
※デカポリス(Decapolis)は新約聖書の福音書に登場するガリラヤ湖南方のヨルダン川両岸地域に繁栄したギリシアの10の植民地の町の総称で、文字通り「10の町」という意味。
ヨルダンではフィラデルフィア(現アンマン)、ガラダ(現ウンム・カイス)、ゲラサ(現ジェラシュ)、ペラ(現タカバット・フィルが知られています。

遺跡の入り口付近はオスマントルコ時代の建物が続きます。

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住居の建設にギリシャ・ローマ時代の遺跡から石材が運び出されました。

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西の劇場 玄武岩で作られた劇場としては珍しく(シリアのボスラ遺跡にもあります)、この劇場は3000人の観客を収容しました。ウンム・カイスには2つの劇場がありますが、北の劇場は玄武岩のブロックがその後のオスマントルコの村の住居の材料として持ち出され破壊されています。

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商店街の跡

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バシリカ・テラス 6世紀の教会跡。石灰岩の柱廊に囲まれた中庭の奥に玄武岩の柱に囲まれた八角形の聖所を持つ珍しい建築スタイルが見られます。

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ニンフェウム ローマ遺跡に必ずある「噴水」、泉の神ニンフの名を取っています。

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彫りこんだ跡まで残る繊細な石灰岩のレリーフ。アカンサスや葡萄の葉などギリシャ・ローマのモチーフがしっかり刻まれています。

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ローマン・ロードから見るかすんだティベリア湖とゴラン高原。谷の向こうはイスラエル、そしてその奥はシリア。

ウンム・カイス (6)
ローマン・ロード デクマヌスDecumanus Maximus。ローマ古代都市は南北を貫くメインロード「カルドー、Caldo Maximus 」、東西を貫くメインロード「デクマヌス Decumanus Maximus」で構成されました。石畳が斜めに配置され、馬車の通行をスムーズにし、ノイズを下げたといいます。

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ローマン・ロードの敷石に残された馬車のわだちの跡

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遺跡を東西に貫くローマン・ロード、デクマヌス Decumanus Maximus。東の道は現シリアのボスラへ、西の道はヨルダン渓谷を通って現イスラエル、ベテシャンのスキュトポリスへとつながっていました。

多くのローマ遺跡のでは「ローマン・ロード」はすでに現在の町に埋没して終わるのですが、ウンム・カイスのローマン・ロードはどこまでも続くように感じます。「国境」というロケーションのせいなのでしょうか。

文・写真 Mariko SAWADA 澤田真理子


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