中央アジア

2017年06月23日

【ウズベキスタン】城壁の町・ヒヴァ

東京本社の荻原です。
本日はツアーで訪れるヒヴァの町をご紹介いたします。

砂漠気候で年間300日は快晴であるヒヴァは、二重の城壁に囲まれており、内城のイチャン・カラは450メートル×600メートルの小さな城壁内全体が1990年に世界文化遺産に登録されています。
17世紀、ヒヴァ・ハン国の首都となり、政治・経済・宗教の中心としてモスクやミナレット、メドレセが続々と建設されました。

西門を抜けるとまず目に飛び込んでくるカリタ・ミナルは高さは26m、直径は14.2mの巨大なミナレットで、1852年に建設が着工されました。その後ムハンマド・アミン・ハンがペルシャとの戦いで死亡したため工事は中断され、未完のまま残っています。

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▲未完の塔カリタ・ミナル


ジュマ・モスクは213本の木の柱が建てられた多柱式建築で、中央アジアで最も古いモスクといわれています。

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▲ジュマ・モスク内部


ヒヴァで一番高く新しいイスラム・ホジャ・ミナレットは1910年に建てられました。118段の階段があり、ご希望の方はフリータイムに登って頂くことができます。階段はとても急で、翌日筋肉痛になるほどですが、頂上からの景色は格別です。

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▲イスラム・ホジャ・ミナレット外観


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▲イスラム・ホジャ・ミナレット頂上からイチャン・カラを一望


ヒヴァはサマルカンドやブハラと比較すると小規模ではありますが、こじんまりとした良さがあり歩いていて非常に落ち着く街並みとなっています。

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3回に渡ってサマルカンド、ブハラ、ヒヴァとウズベキスタンの代表的な3都市をそれぞれご紹介してまいりました。

2017年のウズベキスタンツアー、次回は8月に2つの出発日をご用意しており、いずれも催行が決定しております。
団体旅行では10月までの限定ツアーとなるウズベキスタン。ぜひこの機会に、ブルーの建造物が織り成す世界に足を踏み入れ、文明交差路の歴史を感じてみませんか。

世界遺産のヒヴァ、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンド四都周遊
文明の十字路ウズベキスタン


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2017年06月15日

【ウズベキスタン】中世隊商都市・ブハラ

東京本社の荻原です。
本日はツアーで訪れるブハラの町をご紹介いたします。

紀元前5世紀には都市が造られたとされるブハラは、9世紀のサマン朝の時代に黄金期を迎え手工業、商業が盛んになり、交易の十字路となりました。
サマン朝最後の王がイスマイル・サマニが父親のために建てた、中央アジア最古のイスラム建築「イスマイル・サマニ廟」は、レンガだけで様々な組み方がされ、陰影があるため日差しの強弱などで凹凸の見え方が変わるといわれています。

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▲イスマイル・サマニ廟

大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザール「タキ」は、かつて専門店的要素が強く何でも見つけることができるといわれ、多くの民族が集まりました。丸屋根は高く大きく、外の光が入りやすいようたくさんの窓があります。現在のタキはスパイス、スザニ(布製品)、その他お土産物などの多くの店があります。

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▲丸屋根市場「タキ」の外観

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▲「タキ」の内部

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▲スパイス屋

ブハラは13世紀にはモンゴル軍に破壊されましたが、16世紀、ウズべク人のシャイバニ朝時代に再びよみがえり、多くのモスク、メドレセが建築され宗教的に充実した都市となりました。

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▲ブハラ・ハンの居城「アルク城」

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▲ブハラ・ハン専用のモスク「ボロハウズ・モスク」

ツアーでは、民族舞踊のディナーショーにもご案内いたします。

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▲民族舞踊ディナーショーの様子

先日ご紹介したサマルカンドの全盛期以前に賑わっていたブハラの町。
ツアーでは2連泊し、建造物や町を見学しその雰囲気を堪能していただくことができます。
ぜひ中世隊商都市の趣きを感じてみませんか。

次回は城壁の町・ヒヴァをご紹介いたします。

世界遺産のヒヴァ、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンド四都周遊
文明の十字路ウズベキスタン

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2017年06月13日

【ウズベキスタン】青の都・サマルカンド

東京本社の荻原です。

先日「文明の十字路 ウズベキスタン」のツアーに同行させていただきました。
本日はツアーで訪れるサマルカンドの町をご紹介いたします。

サマルカンドは中央アジアで最も古くから繁栄した都市で、「青の都」とも呼ばれています。
かつて13世紀にはチンギス・ハン率いるモンゴル軍により徹底的に破壊されましたが、
その後14~15世紀にはティムール朝の首都となった際に多くの青い建造物が建てられました。

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▲英雄ティムールとその息子たちが眠る「グル・エミル廟」

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▲ティムールが愛妃のために建造した「ビビ・ハニムモスク」

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▲かつてサマルカンドの都が築かれ、その後モンゴル軍に破壊された「アフラシアブの丘」

何本ものシルクロードが交わり、様々な文明の交差路となっていたサマルカンド。
その中心地となっていたレギスタン広場には3つのメドレッセ(神学校)が配置されています。

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▲3つの神学校があるレギスタン広場

メドレッセの1つ「シェルドル・メドレッセ」の入り口に動物と人間が描かれた面白い絵柄があります。これは偶像崇拝が禁止されているイスラム教で、建築家が自分の権力を誇示しようとしたためだといわれています。しかし信者たちから強い批判があり、建築家は責任をとって自殺したという伝説が残されています。

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▲200スム札にも描かれているシェルドル・メドレッセ入口アーチの絵

ツアーでは、ティムールの孫で天文学者であるウルグベクが建造した「ウルグベク天文台」にも訪れます。ウルグベクは聡明な学者肌の人物で、詩や音楽の鑑賞も好んだといわれています。

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▲ウルグベク天文台

ウルグベクは恒星時1年間を365日6時間10分8秒と計算しましたが、これは現在の精密機器で計算した時間とわずか1分の誤差で、当時の技術でどう割り出したのか詳細には判明していません。

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▲ウルグベク像

ティムールやその孫・ウルグベクの人物像や、彼らの建てたブルーの建造物が織り成す世界に魅了されながら、文化・文明・歴史の交差路であったことを肌で実感できるサマルカンド。

ツアーではサマルカンドに2連泊し、じっくりと建造物や町をじっくり見学いたします。
ぜひ青い世界に足を踏み入れてみませんか。
次回は中世隊商都市・ブハラをご紹介いたします。

世界遺産のヒヴァ、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンド四都周遊
文明の十字路ウズベキスタン


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2014年06月06日

未完成のミナレット (ウズベキスタン・ヒヴァ)

こんにちは。大阪支社の中田です。

今回はウズベキスタン、ホラズム州の州都ウルゲンチの南西に位置するヒヴァを
ご紹介いたします。
ヒヴァは16世紀初頭から20世紀初頭まで存在したヒヴァ・ハン国の首都で、
ブハラと並ぶ中央アジアの宗教都市であり、「聖都」の名前で呼ばれています。

ヒヴァの町はデチャン・カラと呼ばれる城壁の外側と、イチャン・カラと呼ばれる
内側に分かれます。
見どころは何と言っても、世界遺産にも登録されているイチャン・カラ地区でしょう。
10世紀には建設されたといわれている煉瓦の城壁に守られており、現在の城壁は
17世紀にさかのぼることができ、その高さは10メートルに及びます。

また、城壁の外側からはヒヴァの象徴とも呼べる青の彩紬タイル模様で覆われた
カリタ・ミナルが見られます。
「カリタ」とは、「短い」という意味で、直訳すると「短い塔」になります。
その名前の通り、他で見かけるミナレットよりも短く、太いのが特徴です。

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実はこちらのミナレット、残念なことに未完成の状態です。
1852年、ムハンマド・アミン・ハーンが中央アジアで最も高い109mのミナレットを
建てようとに着工されました。
400kmも離れたブハラの町を見張ろうとしたそうです。

完成しなかった理由には諸説あると言われていますが、正確な理由は分かっていません。
基礎部分の直径が14.2mもあるので、完成していたら70〜80mにもなっただろうと
言われていますが、結局26mで終わってしまいました。

茶色い街並みの中で美しく輝く水色のミナレットは、未完成ながらもヒヴァのシンボルと
なっています。

他にもイチャン・カラの内部にはハーレム・モスク・マドラサ・廟などがたくさん建てられ、
イチャン・カラ全体が1991年にウズベキスタン国内で初めてユネスコの世界遺産に登録
されました。

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小さな城壁内は、ゆっくりと歩いて町並みをお楽しみいただけます。
土色の古都を、是非肌で感じてみてください。

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ヒヴァ、ブハラ、シャフリサブス、サマルカンド四都周遊
文明の十字路ウズベキスタン

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2013年05月09日

タジキスタン、その歴史とひとびと

今回は中央アジアの小国・タジキスタンを紹介します。タジキスタンは中央アジア南東部の内陸国で周りをウズベキスタン、キルギス、アフガニスタン、中国に囲まれています。中央アジアで唯一、91年の独立後に内戦を経験しています。現在の国境はロシア革命後にスターリンによって確定されたもので、この時イラン系言語であるタジク語を話す定住民国家として歴史上初めて成立しました。ほかの中央アジア諸国がトゥルク系民族の国家なのに対して、このタジキスタンのみイラン系民族です。

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【左:ドゥシャンベ郊外の農村で見かけた人々】
【右:ペンジケント郊外のひまわり畑】


タジク人が多く居住するブハラやサマルカンドは国境画定の際にウズベキスタン領となり、かつて文化的・歴史的に同じルーツを持つ重要な都市を失ったことに対して残念に思う国民が多いそうです。かつてブハラを都としたサーマーン朝もイラン系民族の国家で、中央アジアで初めてアラブのカリフから独立したイスラム国家です。イスマイル・サマーニーの王の時代にトゥルク系民族の侵入を抑えるなどして、勢力的にも、文化的にも最盛期を向かえました。世界遺産ブハラ旧市街に残るサーマーニーの霊廟は当時の建築水準の高さを知る上でよい例です。
現在の首都ドゥシャンベ独立広場に堂々と立つ彼の像は、タジク人の誇りをあらわしているようです。

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【94年に建てられたタジキスタンの英雄、イスマイル・サーマーニーの像。右手には7つの代表的な渓谷をモチーフ】


ツアーでは北部のホジャンドからドゥシャンベへ向かう時、二つの峠を越え、急峻なパミールの山々を仰ぎ見ながら深い渓谷を抜けていきます。かつてペンジケントに住んでいたソグド人が王ドゥワシティチとともにアラブの軍隊に追われこのパミールの懐に落ち延びたように、タジク人も現在の山岳地帯に国土を与えられました。しかし、各地で出会う人々と話すと、明るい笑顔の中にここを安住の地として生活しているように感じられました。荒々しい山並みと、そこに暮らす素朴な人々を訪れてみませんか。

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【左:ファン渓谷】
【右:アンゾーブ峠での景色】



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【途中出会うタジク人たち】


パミールの山々を越えてウズベキスタン南部のテルメズへ、仏教伝来のルーツを訪ねるコースはこちら。
タジキスタンとテルメズの遺産 9日間

さらにパミール山地の最奥へ、タジキスタンを完全周遊してキルギスへ抜けるコースはこちらです。
パミール・ハイウェイとワハーン渓谷 16日間

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2013年03月15日

「緑の街」シャフリサブスで結婚式に遭遇しました!

今年も好評いただいてます、西遊旅行のウズベキスタンツアーは、これからシーズンを迎えます。

ウズベキスタンはホラズム王国の都ヒヴァや「青の都」サマルカンド、隊商都市ブハラなど、中央アジア5カ国の中でも屈指の見所満載の国です。今回はサマルカンドからブハラまでの移動の途中に見学いたします、シャフリサブスの街をご紹介します。

サマルカンドがその壮麗な建築物の色から「青の都」と呼ばれているなら、シャフリサブスは名前が「緑の街」という意味です。この地域もほかのウズベキスタンの地域同様乾燥していて、土漠に囲まれていますが街に近づくとポプラ並木や牧童が羊やヤギなどをつれている緑のまばらな牧草地も広がります。ティムールが活躍した700年ほど前はもっと緑が広がっていたのでしょうか。

ツアーではサマルカンドを朝出発して、5時間ほどでティムールの故郷であるこのシャフリサブスへ入ります。ティムールはシャフリサブス近郊の小さな村で生まれました。アクサライ宮殿はティムールの夏の宮殿で、彼が残した最も壮大な建築物ですが、現在は宮殿入り口のアーチのみが残ります。ホラズムの職人たちを移住させて1380年にはじめ1404年になって完成したという巨大な建築であった。現在はその門にだけその壮大さがみてとれる。中央部のアーチ部分は破壊で落ちてしまい左右にその巨大なフレーム分かれた形でありますが、高さは現在38m。それでも十分すぎるほど大きいのですが、中央のアーチ部分があった当初は65mとも言われています。残された門には青のアラビア語のカリグラフィーと幾何学文様がきれいにみてとれました。


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宮殿の中心だった所には現在ティムールの立像があり、ちょうど訪れたとき、隣の結婚式場から出てきた数組のカップルがこの立像の前で記念写真を取っていました。炎天下の中、大音量を響かせながらお祝いしてくれる親戚に囲まれながら、恥ずかしそうに歩いていく花嫁の姿が印象的でした。

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西遊旅行で行く「文明の十字路ウズベキスタン」はこちら!

ひとりで自由気ままに、シルクロードへ。個人旅行で行くウズベキスタンはこちら!


otomo_saiyu at 19:29|Permalink