「つれづれなるままに」 茶丈 藤村 sajo-towson

床の間に生けた花や道端で見つけた季節の風物
そして時季の和菓子や甘味えとせとら。。。
茶丈藤村をかたちづくるフィーリング。
ここが入り口です。←クリックしてお入りください。    

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お店とびわこぐまの企画 「地図の読めないオンナのためのオリエンテーリング」 をなんとか実現するために、 自分が まず地図とコンパスで ちゃんとナビゲーション出来るのか? ということを検証しとかなあかん! 

ということで 晴天の今日 ”皇子山パーマネントコース” にチャレンジしてきました。

前回の”石山寺パーマネントコース”は土地勘もあるため余裕でしたが、この皇子山は 地図で見る限り どうやら山道をいくらしいことと、このコースマップが昭和63年のものであること、大津市内だけれどもやや土地勘が薄めの地域であることから ちょっとの不安をかかえての久々のプチ冒険なのでした。

9つあるコントロールポイント(以下CP)のうち 2カ所は既知のものだったのでそれ以外の7つを探しながらウォーク&ジョグで行こうと考えました。

京阪電車 近江神宮駅から住宅街を抜けてバイパス入り口付近に一つ目があるらしく、地図にはおおよそ半径100メートルの範囲内にCPが有る という情報しかないので 「だいたいこの辺」をキョロキョロしてくまなく見渡します。意外と見つけにくいもんです。が、「あっ」と見つけた時のあのうれしさって 何でしょう。どう表現するのがふさわしいのでしょう。 アハ体験とも違うし…小さな驚嘆 という具合でしょうか。

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9番CP 記号E 

ここから皇子山公園を南下していきますが、地図が古くて そのうえコピーでモノクロで 線が消えている所もあります。なんとか周りのロケーションと地図の建造物を照らしあわせて進みます。

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公園遊具の廃棄場所を過ぎ大津市役所裏を通った時に なんや なんや?!
大人数の野太い掛け声がします。 高校球児? ん? なんやろ? おそるおそる 近づいてみると 黒いヘルメットがいっぱい光を反射して、ダースベイダーの集団みたいでなんだかこわい。よく見ると POLICE と書いたベストを着た黒い集団が盾を持ってゆっくり歩調を合わせて走っています。

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ごくろうさまです。いざ 有事の際にはよろしくお願いいたします。

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訓練フィールドの山手に 1番CPを発見。記号はU。

ここから先は三井寺の境内付近を長良公園まで。
なんとなく土地勘はある部分だけれども 情報収集力が足りず長良公園からの行き先をちょっと迷っていると オジサン二人から 次々と声をかけられてしまった。

散歩中ぽいオジサン:「どこへ行かれるんですか?」
マ:「地図に従って歩いてるので大丈夫です。(邪魔しんといてください!)」と さささっと逃げた。

公園の主っぽいオジサン:「あんたキレイな顔しとるねー。どこ行くんやー。」
なんなん!? 馴れ馴れしいし ついてきたりしたら イヤァ〜〜〜! とおもったので
マ: 「中身は男やで。しかも41歳やし。」と 太めの声で言うたった。(嘘×2)
オジサン:「なんや 男かいなー!」(納得するんか〜〜〜い!)

ま、別に危険でもないのだけれど、独りで行く以上、煩わしい関わりは一切歳お断り。
地図と道行に集中したいねん!

方角と勾配から コレやな。という道を見つけてオジサン領域から無事脱出。

2番CPを見つけた時にはほっとした。記号はK
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此処から先は 自転車でもランニングでも何度か通った小関越。
この峠のピークにも オジサンが詩吟?の練習をしてた。そこから細いひと気ない山道へはいって行くのでソコを見られたくない。なにくわぬ顔で通りすぎてから オジサンがあっち向いてる間に さささっと 小走りで脇道に入る。 詩吟の声はまだ続いてるので ヨシ。 

でも その山道にはいってすぐ 女物のショッキングピンクの水着?か下着?が捨てられていて しかもブラが木に着せてあったので ぞぞっと げんなり いややわーこの山! 
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はやく このトレール抜け出したい!と思った。 
ブラの写真を撮ったその先に すぐ次の3番CPを発見。
記号はN。

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CPを発見すると。やはりそれは ちいさな驚嘆で、嬉しくて さっきのヤな感じを少し忘れた。

ここから先は 完全に山道なので等高線と方角が頼り。
思ってた所に脇道が無かったりすると 間違ってたのかな?と引き返す。
困ってたところに 助かったのが送電線の地図記号。

上を見ると太い送電線。道は間違ってなかった。
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4番CPは記号R
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4番5番の間も情報が少なく何度か道をロストしかけた。
標高もちょっと高くなってきたし寒い。走ると情報見落とすので歩くことにしたので体が冷えてきた。
ちょっと気分がLOWになりかけた。

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この道でいいのか?
いや おかしい。 引き返そう。 これを何度か繰り返した。

何度か迷い路を繰り返したあとに にゅるっとぬかるむ急登でずるずるっと 前のめりにコケた。
膝打った。痛い。「コケたよぉ〜 いたい〜 いたい〜」とシクシク泣く45歳のオバサン。
おい オマエ、 オマエはさっき「中身は男やで。しかも41歳やし。」って言っとったやないかーー!
泣くな! 立て! 

と なんとか鼓舞し? あと残りひとつのCPへ向かう。 

「あった!」
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やったー。コンプリート! 


それにしても 今日のこの ちいさな驚嘆×7個 あわせるとかなりの 「喜び」になるもんです。
初心者の私にはちょっと難しいコースだったけれど、石山寺のコースから是非みなさんに挑戦してもらいたいものです。


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此処から先は いつも通る比叡平への道。

今日は15日だから 毎月15日の百万遍の手作り市へ行こうと思ってたけど、すでにここで15:30。
もう間に合わないので残念。あきらめましょう。 
それよりお腹が空いたので コケて凹んだココロを癒しに 比叡平のosanpo cafe へ 。
美味しいパンとカフェオレをよばれてちょっと 立ち直る。

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比叡平からは 山中町を経由して京都側へダウンヒル。


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御所の近くで用事を済ませた二女と丸太町通りで合流。
もちろん LINEと Google mapでやりとりしながらの 待ち合わせでしたけどねー。
あー 便利だわスマホ(´∀`○)!

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ついついスマホに頼りがちな毎日だけど、五感をとぎすませて アナログなアイテムで自然のフィールドへでかけてみるのも大事やなぁ。と思います。 勘は鈍るからねぇ。 時々砥ぎにいきたいね。





“summer_tour_2013” 二日目 妻籠宿の朝

2013年8月6日火曜日
昨日は、さんざん雨に降られた。服は洗濯をして部屋干しをしたから、一応は乾いたが、シューズはダメだ。朝一番にいきなりジュクっとなり興が冷める。
朝一にシューズがジュクっとして気勢をそがれた図
イメージ通りの旅籠
5時過ぎに起きて、宿を出たのは6時、雨は止んでいたが雲が低い。
マリア、ゴンザ共に元気な様だが、今日も雨に降られる公算が強い。「この3人の中に“妖怪雨女”が居る」女と書いたが男かもしれない。ツヨシひとりの時は降られた事が無いので、あとのどちらかに違いない。注意して監視する事にする。宿を出て坂を少し下り、表通りを逸れて妻籠宿の中を抜けて行くと、雨でシットリ濡れた建物群は往時をしのばせる趣があった。
妻籠宿
人の気配はない
早朝の通りには誰もおらず、時代感が際立っていた。
宿場を抜けると、再び木曽川沿いの国道筋に出た。ここから先、国道19号線は木曽川と並行して北へと伸びている。川は昨日の雨で増水していて荒々しい流れとなっていた。
荒ぶる木曽川
湿度高し
湿度が高く雨を覚悟した。案の定、木曾福島を待たず本降りの雨に見舞われる事となった。昨日の雨と違って、今日の雨は、気温が低く冷たく寒い。
上松、寝覚ノ床
早くも雨が降ってきた
マリアは用意周到にウインドブレーカを持参していた。ゴンザは、100均?と思しき、どうしようもなく安物のレインコートを羽織ったが、走り出した瞬間にズタボロになる様な代物で、ただ空気抵抗を増やしているだけに見えた。ツヨシは不用意だったので道の駅で大きなゴミ袋をもらって頭からかぶる形で装着したが、これが一番性能が良くて暖かかったかもしれない。
安物のレインコート
ゴミ袋
3人は、朝から早くもずぶ濡れになりながら北を目指す。とどめは木祖村の外れ、中央分水嶺の鳥居トンネルだった。トンネル内では狭い道路の大型車を嫌い、歩道を行ったのが間違いだった。狭く暗い歩道はハンドル幅ギリギリイッパイで、しかも暗く車幅の感覚がよく分からない。転倒の恐怖におののきながら奥へと進むと、いよいよ前が見えなくなってきた。あのふたりは「きゃー」とか「ひぃー」とか大声でわめき散らしながら、結構な速度で突っ走って行く。「あほか!危ないな!」と思ったが「どーにでもなれ」と開き直って追走していると、前走者の後輪が真っ黒なドロを巻き上げて来る。トンネル内は堆積した煤の厚い層に出水が混ざって泥沼の様になっていたのだった。這う這うの体でトンネルを出ると、体の前半分はドロでベットリ濡れそぼっていた、、。塩尻までの下り道を雨に打たれながら走るとそのドロも大半は流れてしまったので、濡れたり、汚れたり、洗われたりとめまぐるしかった。ボロ雑巾のようになりながら、お昼前に塩尻市街まで降りて来た。
ゴンザに荷物を持たす
雨が止んでご機嫌なマリア
荷物を持ちつかれたゴンザ
少し早いがコンビニで食べ物を買って貪り食う。雨は止んだので、例の雨衣装は脱ぎ捨てた。
塩尻峠
遠くに八ヶ岳を望む(ハズ)
晴れた
塩尻峠を登り切る頃には、青空も見え、道路も乾いて真夏の雰囲気が戻って来ていた。暑さも戻り、ついに雨から開放されたと思われた。

諏訪で会議
さて、なんだかんだと言いながらも、ついに3人で諏訪まで来てしまった。いよいよマリアが最終決断の時だ。実は、企画当初は「遠くまで行けたとしても三蔵法師ごっこはここ諏訪まで」と踏んでいた。マリアも途中離脱をほのめかしていて、その機会を伺っていた筈だ。離脱のタイミングとしては、最初は中津川、木曽福島、塩尻そしてこの諏訪だった。出発時のマリアのメンタルと体力では、「諏訪まで行って電車で帰る」が限界だろうと思っていた。なぜなら、この先数十キロは鉄道の並走は無く、逆にやめようにも止められなくなる。だが、しかし、逆境に耐えながらここまで来た実績が、この女を強くしたのだろうか、諏訪で昼食をとった折に分かれの決断を促した所、驚いた事に、この先も同道すると言い出した。
和田峠を登る
困ったのは我々男組だ。正直言ってマリアはお荷物だったから、マリアを諏訪で捨てたら、後はふたりで一気に遅れを取り戻す魂胆だった。今日はこのあと高崎まで行く予定だ。朝から、雨の中をちょうど100km走り、もう既にヘトヘトで、予定ではあと120km残っている。さらに1級山岳並みの難所である和田峠、3級山岳並の笠取峠、軽井沢越えと山岳が目白押しだ。さらにさらに、マリア連れのペースでは、途中での日没が予想される為、碓氷峠では「あのクネクネ道を夜にショボイライトを頼りに下るのか」と思うと暗澹たる気持ちになった。マリアはこの意味を知らない。「マジで?」「付いて、来んのか、、こんな所でもう1時30分やで、ペース遅過ぎやろ」と諭すが、しかしマリアの意志は固いようで「行く、行く、行く」の一点張りだ。子供の様に駄々をこねるマリアに負けた。「行くんやな、、しょうがない、ゴンザまた持ってやれ。」とゴンザに告げた。いったい、なにが入っているのかマリアのリュックはやたら重たい。「ったく、オンナはこれだから始末に負えんな、、」マリアは、これまでも上り坂で力尽きては「助けてぐれー」と悪態をついては荷物をゴンザに持たせていたし、この先の和田峠はこれまでとは段違いにハードな事は分かっている。最初から荷物を持ってやらないと、とてもじゃないが今日中の高崎到着は無理だと判断した。ゴンザは見かけによらず繊細な男が露呈していたが、パワーだけは人一倍強いのだった。
暑い
暑さが堪える
中仙道をここからさらに先へ進む事は覚悟の要る事だ。これまでは、常に鉄道の沿線を通ってきたのだが、諏訪から峠道に入ってしまうと、向こう60kmに渡っては鉄道の沿線から遠のいてしまう。佐久平まで行けば長野新幹線の駅があるが、もうそれは、関東圏を意味するのだった。そこまで行けば“どこで引き返す”のではなく“どこまで進む”決断を求められる事になる。退路を断って先へ進む事を余儀なくされた。それでもマリアの決意は固いようだった。「うへぇ、、姐さんマジすか、、途中でへばっても知りまへんでぇ、、」3人は和田峠を登り出した。
ゴンザは比較的元気か
峠のTOPまでは14km近くあるはずだ。道幅もあり路面は比較的きれいだが、一直線に登る道は休む所が無い。雨は完全に上がって夏の太陽が戻って来ていた。気温が高くなり、荷物を持たずとも
キツイはずだ。エッチラオッチラ、ノロノロと11km進み、トンネルまで来た。時間は相当おしているし、マリアもペースが上がらない。標高差約200mを残した所で、旧道のトンネルによるショートカットをする事もいたしかたなしと判断した。
旧道はトンネルでパスする
和田峠攻略の疲れが顔に浮く
いつもは旧道を行っている。マリアの顔には疲労と後悔の色が濃く浮き上がっていた。無理も無い、和田峠と言えば、中仙道屈指の難所で、峠越えを巡っては幾多のエピソードがあるくらいだから、TOPをカットしても、今日のルート全体で見れば3000m近い標高を獲得する事になる。
チョットお疲れ気味
しかもこの先はまだまだ長いのだった。雨が止んだのが救いだが、暑くなって、辛さは差し引きはトントンって所だった。登れば降り、そして又登る。軽めの笠取峠を越えると、佐久平と呼ばれる丘陵地帯に出る。雲が多目だが、遠くに浅間山を望み眺望が良い、その山の名前からついに関東圏が近づいてきた事を知る。「あの浅間山の麓が軽井沢で、碓氷峠を越えていく」と教えるが、マリアは反応が薄く、ゴンザも少し疲れているように見えた。

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浅間山は雲の上
佐久平手前
千曲川を渡る
「言わんこっちゃない」と言いたいが、ここまで来たら、もう引き返すことも出来ない。新幹線を横目に見ながら千曲川を渡り、佐久の丘をよじ登り佐久平の街を抜けようとする頃、にわかに空が真っ黒な雲に覆われたかと思うと、底が割れた。あっという間だった。疲れていたし、完全に油断していて、判断が鈍った。道端の歩道橋の下に逃げ込むのが精一杯だった。
佐久でまたしても土砂降りに遭う
これまた、絵に描いたような土砂降りで、夕立には違いないが、待てど暮らせど一向に止む気配が無い。無常にも時間は過ぎて行き、時刻は19時をまわって完全に日が落ちてしまった。こうなると新幹線に乗って逃げ帰る事すらままならない。我々は、完全に運命共同体になってしまったのだった。もはや進むしか窮地を脱する方法が無い。高崎まで行けば何とかなるのだったが、ここから高崎までは5、60km以上はあるだろうか、気がはやる。こんな大事な時に、マリアはトイレを借りに雨の中を先に見えるマックに走って行ってしまう。マリアがウ○コをしている間に「雨に関係なくマリアが帰って来たら出発する」で話がまとまった。マリアのメンタルを不安視していたが、トイレから帰ったマリアは、むしろご機嫌麗しく、かえって不気味だった。カラ元気か、もしかするとすでに壊れているのかも知れなかった。ものすごい土砂降りの中を先に進む。非情なようだが、付いて来る事を選んだのはマリアだし、責任は取ってもらおう。ずぶ濡れになりながら軽井沢へと坂を登り出した。不思議と寒くは無い。もうこうなったらヤケクソでもある。3人は大声で喚きながら、軽井沢まで登った、、。
碓氷峠
登っている間に雨は止んだが、またしても全身ずぶ濡れで疲労はピークに近い。でも終わらないのだ。宵の軽井沢の街は、瀟洒な雰囲気の店に人と車が行き交って、ドブネズミの様に濡れそぼった我々とは隔世の感があった。でも、見た目は惨めだが、中仙道の最後の登りを征した事は喜ばしい事であり、心持ちはすがすがしい。後は、碓氷峠を下れば関東平野に到達するのである。しかし、これが大問題なのだった。“闇の碓氷峠旧道をロクな装備無しで雨上がりに降りる”のだ。その大変さは、通った経験のある方はお分かりになると思うから割愛するが、カーブが184ヵ所ある。
ここから下り、カーブだらけの暗闇を降りる
当時は道路照明はほとんど無く、真っ暗で、距離にすれば、たったの10数キロが、無限とも感じられるほどプレッシャーを感じる下り道だ。ツヨシは、過去を含め今回が3回目で、過去2回は、いずれも暗闇をひとりで降りた。もう、ひとりでは通りたくないと思っていたほどだったが、連れ合いがいる分、幾分マシかと思っていた。マリアはと言うと、ついに壊れたのか、大声で「ワーワー、キャーキャー」うるさい。下ネタを連発している。ゴンザも調子に乗って「ヒィーヒィー」叫んでいる。ふたりは呼応し合いながら恐怖と戦っているのだろうか、、いや、楽しんでいるようにも見える、、。暗闇の静寂の中にマリアとゴンザの大声が吸い込まれて行く。おかげで魔物に取り込まれなかったのかもしれない、、。旧国鉄のめがね橋まで降りてくると、雨は完全に上がっていて夜空には星が見えていた。坂を下りながら浴びる風は、生暖かく、自転車の衣装はすぐに乾いて行く。昨日から、濡れたり乾いたりと忙しい。真夏でなかったら確実に風邪を引いた事だろう。横川で国道筋に出ると、高崎までは、あと30km足らずの下り基調の道が続いて行く。関東平野だ。ついに中仙道の山岳路をクリアしたのだった。
安中にて
下ネタ連発
高崎にて
高崎到着は23時をまわっていた、しかし、なんとか今日中の到着だ。朝6時に妻籠の宿を発って、高崎に着いたのが23時過ぎ。17時間かかった、、、。およそ220kmを走り、2900m分の標高を登ると言うハードコースを、サポート付きとは言え、長距離シロウトのマリアが泣きを入れることなく完走した事は驚嘆に値する。根性があるのだった。まあ、後半は壊れたのか、やたらハイで下ネタ連発に次ぐ連発で、全国のマリアファン(居るならばであるが)には、とても見せられない醜態を曝していたのだが、“おセンチ”になられるよりは扱いやすいので放置していた。今頃は思い出して赤面している事だろう。高崎での宿は、ツヨシの義兄のマンションだったので、風呂に洗濯機と手厚いサポートが受けられて助かった。
本日の冒険の興奮覚めやらぬふたり
3人は今日のアドベンチャーの興奮がなかなか覚めず、日が変わっても声高に話し続けたが、出されたビールに口をつけるとすぐに静かになった。「グッドナイト」今度は男女別々の部屋で寝た。普段マリアは素っ裸で寝ると言うが、その夜ひとりになった彼女はどうしたのだろうか。
グチュグチュの靴も翌朝にはパリパリ
話は終わらない。そう、予定の事だ。
マリアの思いがけない健闘のおかげで、当初の企画に狂いが生じていたのだった。
マリアは、明日の朝おとなしく新幹線では帰郷してはくれないらしい。
「ここまで来たら、東京日本橋まで行って旅を完成させる」のだそうだ。
ゴンザは、「それならオレは新潟に行く」と言い出した。
「ハイハイ、仰せの通りにいたします。」
ツヨシは、「しようがないから東北は諦めて、マリアのお供をしてやるか」と思った。
雨とスローペースで、疲れも溜まっていたし、一日で福島まで走るのはつらいだろうなと怯んでいたから、東北はつぎの機会の楽しみにしておく事にした。
・“summer_tour_2013”三日目、2013年8月7日水曜日 
一昨日、そして昨日と、この旅は、ずっと雨に降られ続けている。それでも何とか、心折れずに険しい山岳地帯を越えて関東平野の入り口までたどり着いた。朝6時30分、起きて外を見ると、一転して真夏の青空が広がっている。朝っぱらから恨めしいほど「暑い」。
高崎の朝は快晴
昨晩洗ってマンションのベランダに干した洗濯物は、パリパリに乾燥していて、昨日までの雨の気配を微塵も感じさせない。
パリパリに乾燥した
やっと平野部に入ったと思ったら、いきなり関東平野の洗礼だ。特に群馬、埼玉は猛暑で悪名が高い。これまでは、雨との戦い、ここからは暑さとの戦いになるようだ。
3人は、出発の準備をし、ツヨシの義兄に礼を述べると、マンションを出て駅前でミーティングをした。
お世話になりました
ここ高崎で解散
ミーティングとは三蔵法師一行を解散する儀式だ。高崎には新幹線の駅があるが、結局マリアはおとなしく帰ってくれない。滋賀を出発する時、「何処まで行って引き返そうか」と考えていた初心者は、いつしか、遥か彼方のゴールを当然のように見据えるまでに成長していた。
高崎市内
新潟へ北を目指すゴンザ
ゴンザは、ここで分かれて、ひとりで北を目指して新潟へ向かう。マリアとツヨシは、ふたりで南へ下り日本橋を目指す事になった。9時ちょうど、街から大通りの国道17号線まで出て、3人は「じゃぁなー」と南北二手に分かれた。一昨日は、軽々しく集合し、昨日まで軽口を言いながら走り、今朝は軽々しく分かれた。東京方面へは、国道17号線を辿って行けば一本道で、いずれは日本橋に通じている。国道17号線は利根川流域の平野部を走って行く。とにもかくにも暑い道程だ。景色は単調で、田んぼと高圧電線しか見えない。
関東平野
日本橋までの距離は、およそ100kmと、距離だけを見れば軽めのライドだが、実際のライドは重々しいものとなった。暑さで体力を奪われてペースは上がらない。バイパスの道は休憩が出来る様なコンビにも少なく、挙句の果ては自転車の通行は出来ない事が判明する始末だった。
バイパスは自転車通行不可やて!!
バイパスと旧道を行ったり来たりジグザグに彷徨いながら進むと、マリアは疲れが相当溜まっているのか、目も虚ろで表情も固く、冗談も通じ無くなった。後日聞いた所によると、“オモシロイ”ゴンザが去って“ツマラナイ”ツヨシとふたりなのがイヤでご機嫌を損ねていたという事らしい。「マジか、ヒトの苦労も知らんと、、」それでも、とにかく前進するしかない“ふたり”なのだった。埼玉の印象は、ほぼ最悪だ。
バテとる
さいたま市で、バイパスを嫌って市街を抜けた事がそれにとどめをさす。市街地は信号渋滞地獄だった。「もー、どんなけ信号で止まんねん!!」と、マリアでなくとも悪態をつきたくなった。田舎モノには信号ほど精神と肉体にダメージを与えるものは無い。マリアのなじる様な視線が突き刺さる。黙殺したが、心の中では「オレのせいと違うぞ!」と逆切れしておいた。文字通り“這う這うの体”で荒川にたどり着き、戸田橋を渡る。
元気無い
「東京に入ったで」と、相好を崩して言ってみたが、マリアのご機嫌回復に効果はあまり無かった。このコンディションでは無理も無い。マリアは「私は、東京に何の興味も無い」と、思春期の子供みたいな事を平気で言い放つ。「もう手に負えんな」と言う状態なのだったが、「あと少し、あと少しで日本橋」と自分に言い聞かせた。
反応が薄い
秋葉原を通過、渋るマリアを促して「後々の証拠に」と、せめて一枚の写真を撮る。自分も疲れていたし、記録写真はそれが精一杯だった。そして、「無理矢理にでも沢山撮れば良かった」といつも後悔をするのだ。
やっとの事で日本橋が近づいて来た。
先に見える高架の下が日本橋
滋賀から中仙道を通って日本橋まで534kmあった。日本橋の上、キリン像の下でも辛うじて記念写真を撮った。
やったー
後半、チョット意地悪になったマリアは相当疲れていたのだと思う。昨日とは違って、今日は“おセンチ”な壊れ方だった。時間もかかっていた。去年、ひとりで同じコースを同じ時間に出発した時は、12時には日本橋に着いていたのに、今は17時が近い、本当に「お疲れ様でした」の気分だ。そして、その僅か10分後には、我々は改修工事後間もない東京駅に居た。
新東京駅
お疲れ様でした
マリアは、感傷に浸る間もなくパタパタと自転車を畳むと、「ふんじゃねー」と軽く言うと、改札に消えて行った。ツアー3日目、死闘とも言える一日はバタバタと慌しく終わりを告げた。「そう言えば、ゴンザは無事に新潟に着いただろうか、きっと、帰りは電車に乗るのだろうな」その後ツヨシは、ひとり東海道を行く帰路に着いた。彼奴らに再会したのは、それから3日後の事であった。
おしまい
あとがき
もう、何度も走りましたが、自転車で東京へ行く事は、5回目(2015年)の今でも最初はプレッシャーがあります。ましてや、当時まったくの自転車シロウトであったマリアが、それに挑戦すると言う事の大変さと言うのは、肉体的にも精神的にも想像を絶する話だった事でしょう。それを、ゴンザとツヨシのふたりで、なだめてすかして、“半ば脅迫的に無理矢理東京まで足を伸ばさせた”と言うのが今回のツアーの本質であります。やはり、後半は相当厳しかったようで、案の定と言うか、マリアは壊れてしまいました。それでも、絶望的にならない辺りが、マリアの“只者では無い”と言う所以と分析しています。「ゴンザのヤツ、毒食わば皿までやろう」と言ってやりたいです。今は、「お互い、老け込む前に、もう一度やろうぜ」と思っている所です。
ツヨシ



ツヨシへ

約束通り あの夏の思い出を完結してくれてありがとう。
思い返すと 若かったな 2013。 いっぱい走ったな 2013。
大人になってからの一番の「夏休み」やったな。
ただ自転車に跨って距離と標高をかせいで移動する それだけのことが
なんで こんなに楽しいのやろうと 心躍った夏でした。

帰りの東京駅で渡された ”巻物”。
あんなもんを538kmも背負いながら アホやなぁ。
、にしても、諏訪から先は誤算やったのー。
コイツは東京まで行くに決まってるやん。

新幹線で巻物ひろげて泣きじゃくるオバハンなんて かなり珍しかったと思うで。
ほんまにもう やってくれよったわ。

ま、もう3回泣いた(?)し、 え?2.5回かな?  いや2回やな。
二度あることは三度あるのやろか くわばらくわばら。








ちょっと昔の何もかもが輝いて見えた頃のオモローな話。
当事者だけが腹をかかえて笑ってしまう ただの記録。(3部構成)

Written by  チームびわこぐま リーダー石津毅

しかしながら今回 「その2」 には 私の思惑もキッチリ "アカ" 入れさせてもらいますえ。

・“summer_tour_2013” 初日、2013年8月5日月曜日
旅立ちの朝、5時。
ツヨシは、マリアの店である石山寺門前「茶丈藤村」に集合した。
今回の旅の配役である孫悟空色を出そうと思いヘルメットに学芸会ヨロシク緊箍児(きんこじ)
の装飾を施して来た。
ツヨシのコスプレ
緊箍児(きんこじ)とは金色の輪っかの事だが、こういうのはオトナのツヨシにとって、そうとう恥ずかしい。しかし、旅のリーダーとして主導権を争う以上、サプライズネタとしてやらない訳には行かないから仕方ない。早朝ではあるが、コンビニでは人にも遭うので、恥を忍んで耐えてきた。、、つもりだったが甘かった…。上には上がいるものだ。マリアは三蔵法師なのである。被り物だけでなく袈裟まで用意する念の入れようだ。

コスプレのマリア、、、貞子かいな…。
玄奘三蔵
着いた時、思わず「あ、何か居る」と口走ってしまって「負けた…」。旅の主導権はマリアが握った。「茶丈藤村」は、ちゃんとした堅気の和菓子店なのだが、今朝は早朝から西遊記のコスプレをした自転車乗りと、それを見送る人々の熱気にあふれる、と言う異様な光景が繰り広げられたのだった。(しかも、集まった人がみんなリッパなオトナだと言う事実は驚きを禁じ得ない。)…と言う事で、早朝にもかかわらず、見送りに来てくれた人がいたのには感動した。
いいオトナが…。
さあ、出発。手を振り振られ店を発った。さすがにマリアは袈裟を脱いでいる。ふと前を見るとくまジャージが走って来る。NASAだ。「途中までついて行く」だそうだ。
一番後ろはNASA
自転車3台連ね瀬田の唐橋を渡って東を目指す。早朝の国道1号線を少し走って、栗東から国道8号線に入った。ここからが本当の中仙道の旅が始まる。程なく野洲川を渡って御上神社前のコンビニに着いた。ココでゴンザと落ち合う予定なのだ。
猪八戒
ゴンザが居た。「あれ、ブタなんじゃないの?」と水を向けると「やっぱりやんのか…」と言う面持ちでゴソゴソと取り出して鼻を付けた。よくみるとヘルメットに耳が付いている。「なんや、やっぱりやる気やんか…」
ヤル気満々のふたり
ふっとタダならぬ気配を感じて振り向くと三蔵法師がフル装備で立っていた。「いつのまに…」どうやらブタに気をとられている隙に着替えたらしい。
まったく恥ずかしくありません  
はい。まったく恥ずかしくありません!!!
これで、今回の旅のキャストが勢揃いした。NASAは少し恥ずかしそうにしているが、1人と2匹は上機嫌で大騒ぎしているのだった。トラックドライバーの視線が燦々と降り注いで来るが意に介する様子はない。
「お師匠様、そろそろまいりますかの」「うむ」「ぶひーん」孫悟空に促されて一行はこれからの長い道程を東へ向かって旅立ったのだった。NASAとはここで別れた。
ここまでの走行距離わずか15キロ。先はあまりにも遠くて想像を絶するのだった。
三蔵法師と、その一行は、東を目指して走り出した。
快調に走る
中仙道の近江路、すなわち国道8号線を走る。ツヨシがマリアを牽き、ゴンザがマリアのお尻を眺めながら走る布陣で行く。この先このスタイルが定着する事になる。ツヨシはマリアの体力を考えて努めて30キロを超えないようにペースを考えて走っている…つもりで、今の所クレームは無い。
天候は曇り、微妙な感じの空模様が続く。天気予報では一雨来るだろうとの事であるが、朝の内はむしろ晴れ間がのぞくほどだ。風向きが追い風の為、このペースでは漕いでいないのかと思うほど楽だ。暑くないし、真夏にしては上々のコンディションと言えるだろう。
後の二人はご機嫌麗しく、旅の興奮の為か饒舌だ。マリアにしてみれば、遠く未知の領域を旅するプレッシャーが相当あったはずだが、順調な滑り出しで気が楽になったのだろう。ゴンザにしても「ぜんぜん」「へっちゃらですぞ」を連発をする所を見ていると、それなりに長距離に対するストレスがあったようで、ああ見えて可愛らしいものなのだ。この平穏がいつまでも続いて欲しいと願うツヨシなのだった。
滋賀県内の路は取り立てて珍しい物は無い「あれが五個荘、近江商人の発祥の地ですぞ」とか「このトンネルが佐和山城址ですぞ」とか案内しても、ほぼ無反応なのだ。後ろの二人は、それよりもガールズトークの様な世間話しに夢中なのだった。
一行は、かしましく、スルスルと距離を伸ばし、関ヶ原までやって来た。岐阜県に入った。今日の道程の予定は岐阜県を横断し馬籠峠を越えて長野県の入り口であるの妻籠までとなっている。
関が原にて
ここ関が原は、もう1/4程は来ただろうか、あまりに順調すぎて写真も撮っていない事に気づき、桃配山徳川家康の本陣の地で記念撮影を試みるが、二人とも身が入らない様子だ。多分、気が急くのだろう。もう少し滋賀県から離れないと旅情が湧かないとと言った所なのだろうか。
コンビニで休憩をした折も、「こんなもんか」的な楽勝ムードが漂っている。
まあ、今の所“思っていたより楽”ではあるが、ロングライドは後半、距離が増すにつれ、加速がついて辛くなるものなのだから油断はできない。しかも今日のルートは後半アップダウンが増す。さてさて…「今に見てろ、吠え面をかくなよ」とツヨシは思った。
100km地点は長良川
がしかし、旅は順調だ。あっけなく長良川を渡って100キロポイントを突破してしまった。長良川を渡ってしまうと自力走行でのその日のうちの帰還が難しくなるので当然の様に先へ進む。折からの曇り空の為“灼熱の濃尾平野体験”は空振りに終わってしまって、ホッとしたような、残念なような、複雑なツヨシなのだった。
でも、さすがにこのスローペースで100キロを走るとお尻に来る。少しばかり焦れて来ていた。ジリジリと各務ヶ原の辺りまで来て、踏みたい衝動と自制心とでちょっと疲れを感じて来た頃、曇り空が真っ黒になったと思うと低くなって空が割れた。
ポツポツ、ポツポツと大粒の雨が降り出して来た。あわや!という所でずぶ濡れになる寸前に辛うじてスキヤの入口の軒先に滑り込んだ。「直ぐに止みそうにないな」「もうじき昼や」お昼前つい今しがたコンビニで休憩をした所だが観念して昼食をとる事にした。今にして思えば店内で机に向かって食事をしたのは最初で最後なのだった。其々が食べ終わる頃、雨は止んでいたが道は濡れている。先は長いし時間もおしていた。「行かなしゃーない」今日の試練がようやく始まった気がした。この先、雨は、降ったり止んだりを繰り返しながら結局はずぶ濡れになり、這う這うの体で宿に転がり込む事になるのだ。が、この時一行は未だ減らず口を叩く余裕を見せていたのだった。しかし、ツヨシは先の険しさを知っているだけに少し憂鬱な気分なり、それを二人には悟られぬよう平静を装っていた。ツヨシ、ヒトが悪いぜ、…ったく。
雨上がり
出発の朝は曇りだったけど、昼には雨になってしまった…。
「行かな しゃーない」
通り雨は止んだ。意を決するまでもなくツヨシに促されて先を急ぐ一行。
木曽川を渡る
「夜明け前(島崎藤村)」に出てくるあの葉っぱな。ホンマなら頭に載せるのやけど。
時計は午後1時、お尻を濡らしながら、美濃加茂までやって来た。約200キロの行程の2/3程を走った事になる。ここで初めて木曽川を渡る。今日、予定しているルートを俯瞰して見ると、なんとなく木曽川と並行して進むのだが、少し離れていて、今日は、この先木曽川の姿を見る事は無い。川を渡る時、3人で記念撮影をした。先程から空の色は暗く、天気は完全に曇りから雨模様になり、気が滅入る状況なのだが、真夏ゆえか今の所寒くは無い。マリアなどは元気過ぎていささかハイな程なのであった。そして、折に触れ、いろいろとボケては突っ込みの要求をして来る。その都度ツヨシは、ご機嫌を損ねてはならないと、ゴンザを促しては、そのことごとくにリアクションをするように努めなければならないのだった。
これを傍目には“楽しそう”と言うのだろう。ここまでの区間、ほぼ平坦で運動負荷も強くなかったから、とっても“楽しかった”のである。
ただ、この先の残りは、そうはいかないかも知れない。これまでとは違い、じわじわとアップダウンが現れる。ペースは今にも増して遅くなってしまう事が予想されるから気が重い。さらに1時間程、時折強く降られながらずぶ濡れで走り、美佐野と言う所まで来た。
旧中仙道に進路を取る
ここで一旦国道筋を外れて田舎道を山に分け入る。この道は、中仙道の街道のイメージと違って鄙びている。山と言っても小高い丘の様な地形だが、車の通りは殆ど無くなる。人家はパラパラとあるが人気は無い。割と分岐の多い迷いやすい感じの路なのだが、以前人に訊いた通り「悩んだら登れ」を実践し、エッチラオッチラと登る、幸運な事に登り出すと一旦雨が止んだ。
この旅の登りの始まり
体重の割にはよく登るゴンザ
10キロかそれ以上、、15キロ程か、割とヒィーヒィー言いながら登って来た。汗と雨で身も心もグシヨグショだ。登り切ると大湫と言う旧街道の宿場に着く。旧宿場と言っても、もう町とは呼べない雰囲気で、人家がパラパラと点在するのみだ。
登ると疲れます
大湫の宿
通りすがりの婆様とコミュニケーションを試みてみた。曰く「本当の中仙道はさらに山の中を通り恵那に出るが、歩きでないとその自転車では無理だ(意訳)」「若いって良いな、羨ましい(口語訳)」「グッドラック(英訳)」の様な意味の事を言い放って後も見ずに去って行った。「そうか…。」ツヨシは中仙道の道筋を勘違いしていたのだった。でも、自転車で行けないのなら仕方がない。大湫から釜戸に向けあっけなくストンと降りた。この坂は割と急な坂で10%前後あるだろう、美佐野から上って来た分を一気に下る。「勿体ない…。」雨のせいでブレーキパッドが減ってホイールがドロドロになってしまった。3人ともアルミリムのホイールだから問題なかったが、カーボンだったら発熱でトラブッたかもしれないと感じた。坂を降り切ると国道19号線に出て北東を目指す事になる。木曾路だ。この先しばらく中央道と並走する区間の道路は走りにくい。道幅が狭く、路肩には砂利が浮き、道路がかまぼこ型で、蓋の無い側溝があり、大型車両が多く、アップダウンがある、しかも雨降りで視界不良。これ以上は無い悪条件が揃っているのだった。路肩にへばり付いて走っているから振り向いて冗談を言う余裕もない。「死にたくなかったら黙ってろ」なのだった。この辺り、他に道が無いから仕方がない。約10キロ程、無口になって走った。恵那の町に差し掛かり、ようやく地面が開けた所で、吸い込まれるように市街の方にもぐりこんだ。通常、超長距離を走る場合は、ロスを嫌って基本的に市街地を避けるものだが、国道のプレッシャーに耐えきれず折れてしまったのだ。案の定クネクネとわかりにくいし信号も多い。そこへ追い打ちを掛ける様に雨脚が強くなった。たまらずコンビニの軒先に避難した。
土砂降り
「土砂降りやなぁ…」「これ、、止むかー?」「今日のゴールってどの辺なん?」「あの山の向こうやわ、、」「…。」「…。」「今何時?」「午後4時半」「あと何キロ?」「30キロ程違うかなぁ」「藤村記念館間に合わへんかったなぁ…。」「…。」「…。」
止まんでこれは
またしても「行かな しゃーない」なのだった。
「めんどくさい…。」意を決してもう一度国道筋に出る事にした。雨脚は弱くなると見せかけては強くなると言う波状攻撃だ。救いは、道路が片道2車線になり道幅が広がったおかげで自動車が離れて追い越してくれるようになった事だ。ただし、スピードが速いので巻き上げる水煙の攻撃が容赦ない。郊外のバイパスは、結構なアップダウンで疲れた脚に堪える。
怖いわー
だらだらとした丘の登りで、マリアのアシもいよいよダメっぽく蛇行寸前だ。思わず歩道に避難した。歩道は安全かと思いきや、階段があり降りる事を強要される。階段は雨で滑る。階段を降りると今度はトンネルで対岸に渡らなければならない。対岸に渡ると階段を上って地表に出る。地表に出ると、さらに歩道橋の階段が待っていた。階段を上ると歩道橋を対岸に渡り、、とキリが無い。歩道橋を渡り階段を降りて振り返ると、100m程進んでいた。「もう、やってられない」なのである。マリアなどは、さぞかし疲れ果てているだろうなと思い顔を覗くと…ヘラヘラと笑っている。
余裕ある
「うーん、、底知れぬ奴め…」ゴンザにいたっては、「全然、、、まだ疲れは30%。で、どうなん?」と、のたまう始末だ。甘かった「心配して損した…。」
ひょっとして、この二人は楽しんでいるのかも知れない。
「もう意向を聞くのはやめにしよう」
ずぶ濡れ 化粧は全部流れてもた
馬籠は左手の山の上にある
遠かった馬籠の山が近付いて来た。
午前中の曇りが雨になってしまい、その後さらに土砂降りになってしまった、、。
国道19号線を、土砂降りに降られながらもヘラヘラと、そしてネチネチ進んだ結果、ついには、現国道と旧中仙道との分かれ道まで来た。落合と言う交差点がある。国道はこのまま直進して再び木曽川と並走しながら木曽路の谷間へと深く進んで行く。旧街道もいずれは、この道路と合流するのだが、この区間、中仙道は、なぜか馬籠峠と言う結構急峻な峠を越えて行く。木曽川伝いの道が、その昔、島崎藤村が“夜明け前”での書く所の“岨づたいに行く崖の道”で通行困難だったのが理由と想像しているが定かでは無い。川沿いは今では、立派な国道が通っている。今回、我々一行は、妻籠宿の外れに宿を取っているので、マリアの体力を考えると、このまま木曽路を行って山の反対側から回り込むことも可能だが、もともと馬籠宿が目標だったからには、記念館が閉まってしまったからと言って迂回する事は選択肢に無い。とにかく馬籠宿へは「行かなければならない」のだった。ここから馬籠峠は、450mの標高差をおよそ9kmで登り、そして下る。峠の南側斜面の途中2/3ほどの所には“馬籠宿”そして、北側斜面を降りた所に“妻籠宿”が位置している。三人は国道筋から逸れて、峠への道を登り出した。
最後の力を振り絞るイメージ

藤村記念館へは昔にいったことがあるので執着はなかった。というより全身びしょ濡れでどこにも寄ってる場合じゃないって感じだった。
先程に比べると雨は幾分小降りになってきている。辺りには夕方の気配が濃厚に漂いだしていた。すれ違う車両がヘッドライトを点灯しだしていた。遠く先の山に、先程まで並走していた高速道路が吸い込まれて行くのが見える。中央高速道路は、木曽路を行かず、恵那山トンネルで山を潜って一旦飯田へ出てから諏訪方面へと北上して行くのだ。3人は、本日最後となる登板をした。ここまで来たらもう焦ったりはしない。既に早朝から200km近く走り、そして雨に濡れ、本来ならばヘロヘロになっている状況だが、一向に口数が減らない。相変わらず“しょうもない”事を言い合い、「ひゃひゃひゃ」と下品に笑う。ツアー初日の旅の興奮は続いていたが、心身共にタフである事も間違いない。6kmほど行くと道路と宿場のとおりがクロスする場所に着いたので、記念撮影をした。
馬籠宿、藤村記念館は閉館してしまった。
まだまだ余力を残す
島崎藤村記念館訪問は断念をした。3人の顔には悲壮感は無かった。ここでマリアはこの旅の目的を達成した事になる。本日の宿営地はさらに山を越えた妻籠宿に決めてある。今なら折り返して、中津川から電車に乗って帰ると言う選択もあるが、とにかく宿には行く決断をしたようだ。峠まで、残り2.5kmほどの比較的急な坂を、マリアは「ヒィーヒィー」、ゴンザは「ヘラヘラ」、ツヨシは務めて冷静に登り、馬籠峠のトップにたどり着いた。
馬籠峠

コンディションは最悪の一日だった
馬籠峠(標高801m)をはさんで南側が馬籠宿、北側が妻籠宿と言う位置関係になる。馬籠峠は岐阜県と長野県の県境である。木曽路は妻籠宿から先が長野県なのだ。馬籠宿が山の南斜面の稜線に位置し見晴らしが良いのとは対照的に妻籠宿は川沿いの谷あいの宿場街で、もう雨は上がったが、少し冷える。この辺りでは、真夏でも夜になると20℃近くまで気温が下がる。峠で岐阜県を出て長野県に入った。長野県側の下り坂も勾配はキツイ。すっかり暗くなって、雨で濡れた道路のスリップに気を使いながら、クネクネ道を下るとアッと言う間に300mほど標高を下げる。
本日のお宿、庚申塚 宿場らしい雰囲気のいいお宿です。
本日の宿“庚申塚(こうしんづか)”に到着した。
早朝5時過ぎに滋賀、石山寺を出て、妻籠宿到着は19時を少しまわった所、「14時間しゃべってたんか、、」走行時間だけなら10時間45分となっている。走行距離は、ツヨシが221kmだから、マリアはそこから-15kmを引いて206kmと言う事になる。獲得標高は、1735mとまあまあハード。しかし、この様な長時間、長距離、土砂降りの逆境に耐え、その間沈黙をする事なく、終始、ご機嫌、饒舌を維持し続けた事は、「驚愕に値するチームワークだな、、」と思った。長い長い1日が終わろうとしていた。“野獣ゴンザ”はともかくとして、マリアはよくやったと思う。当初は、フラットなビワイチでさえヘロヘロになる彼女が、山岳を含むロングライドを出来るのだろうかと全員が不安視していたが、とうとう勢いでここまで来てしまった形だ。きっとオシャベリがガス抜きになったのだろう。
土砂降りには閉口したけど、この2人と一緒ならなんとかなるという安心感が 自分をポジティブシンキングにさせた。

宿での事
“庚申塚(こおしんづか)”は、ツヨシの東京ライドの定宿と言って良い。所在地は正確には“妻籠”ではなく“大妻籠”と言い、所謂妻籠宿の旅籠街とは違って在所の南の外れにに位置する。岐阜県側から峠を越えて来ると一番最初の民家が“庚申塚(こおしんづか)”だ。文字通り“庚申塚(こおしんづか)”の横にある。通り沿いのその建物は随分と年季が入っていて、The旅籠の趣がある。
時代感あり
玄関は木戸に障子で、一歩入ると土間になっていて、上がり框、そして囲炉裏と続き、襖をあけると即、畳敷きの居間兼寝室と繋がっている。まさに昔ながらの旅籠のつくりだと思わせる。自転車は土間に入れたが施錠の必要は無いと感じた。実際、表の通りには人通りどころか自動車すら通らない辺鄙な所だ。コンビニなどは望むべくも無い。
お疲れ様
和室
這う這うの体で宿にたどり着いた一行は、先ず急ぎ旅装を解き風呂に入った。風呂は普通の家族風呂に毛の生えた程度の風呂だ。3人で一緒に入るのは物理的にも倫理的にも無理があるだろう。一番はマリア、次いでツヨシとゴンザが入った。風呂では洗濯をしなければならない。今日一日の汗をすすぐ程度の洗濯だ。これを部屋に干し翌朝着用するのだが、靴下が乾きにくいので毎度閉口するのだった。
風呂から上がって3人はようやく一息をついた。見回すと囲炉裏の部屋の木材は煙で燻されてピカピカに輝き、もしも、食事を希望していたなら“山菜”に“川魚の塩焼き”などを食していたに違いないと想像した。ただし、今回のオーダーは“素泊まり、おひとり様4000円”である。いつ時に到着するか分からなかったので、旅籠での食事の予約は見送っていた。しかし、なにも食べない訳には行かないので、「“米”くらいはお出しします」の言質は取っておいた。果たして、出された食事はお櫃に入った“白飯”だった。それに味噌汁の大鍋、皿盛りのトマト、キュウリ、塩。質素と言える、しかし、ありがたかった。素泊まりにも関わらず食事が出たのである。まあ、外へ買いに行くと言っても半径5kmにはコンビニは無いし、買出しは勘弁願いたかった。飢えていた。ガツガツ食べた。美味しかった。食事をしながら今後の予定を話し合ったが、マリアも取りあえず先を同道する事に決まった。マリアとしては、当初の目的は達成できたのであとは気の向くままに行って、嫌気が差したらおさらばするつもりなのだろうか。
マリアが持参した部屋割り表
我々一行にあてがわれた部屋は8畳間と6畳間の続きの座敷だった。部屋に鍵は無い。宿の意向では、男子部屋、女子部屋と言う事だったのかも知れないが、襖を開け放ち一間として使用した。3人は、もはや気兼ねなど必要無い関係だと言えるだろう、いまさら“スッピン”とか“性別”と言う概念は無いのだった。しかし、それでもイビキ、歯ぎしり等、個人的性癖の理由で、「離れて寝よう」と言う事になり、奥の端にゴンザ、中央にマリア、手前の端にツヨシが陣取って消灯した。建物の後ろを小川の流れる谷間の宿は、夜になると真夏でも冷えるので布団をかぶって寝た。疲れていたのだろう、消灯して即、寝入った。夜中、ツヨシは暴れて襖を蹴った音で目を覚ましたが、あとの二人は静かなものだった。翌朝聞くと、さすがにマリアは即寝して爆睡で、気がつけば朝、ツヨシはマリアに同じ、ゴンザは“蚊”が居て寝られなかったと“か弱い事”を言った。「ゴンザのヤツ見かけによらず繊細な一面を見せよった、、」なのだった。ツアーにおいては、いかなる状況でも、“食事”と“睡眠”はとらなければならないと言う鉄則を守れないと弱ってしまうが、大丈夫だろうか、、。「いや、コイツなら3日くらいは寝んでも、どーも無いに違いない」と黙殺した。マリアはこの通り気丈なものだが、背伸びしていてモードがネガティブになると一気に壊れてしまうのに違いだろう、そんな気がした。 あーはーはー

つづく



ちょっと昔の 何もかもが輝いて見えた頃のオモローな話。

当事者だけが腹をかかえて笑ってしまう ただの記録。(3部構成) 

Written by  チームびわこぐま リーダー石津毅


2013年、夏の或る日
夏が来た、唐突に。

2013年、7月に入ったばかりだというのに、もう梅雨が明けてしまったのである。
「早い、早すぎる。」そして、いきなりの猛暑なのである。
新聞の紙面には連日“猛暑”とか“39℃!”とか“熱中症”などと言う呪わしい文字が躍っている。
7月上旬でこの“暑さ”と言うのは「観測史上初めて…」なのだそうだ。
「まずい、アイツが怖気づいてしまうではないか…。」ツヨシは焦った。

これは、件のライドに巻き込まれて行く人々の、葛藤する心のヒダを綴った物語なのだ。

・ツヨシの事情
痩せてた絶好調のツヨシ
詳細は省略するが、ツヨシは彼の人生で2度、自転車で東京へ行ったことがある。

1度目は、2011年の夏。“前人未到の彼方を行く”と言う偉業に挑戦する心持ちで。
2度目は、2012年の夏。“1度目で感じた未消化感を埋めて完成したい”と言う気持ちに駆られて。
それで、、2013年の夏、今回が3度目となる。

「どうする、どうする?」
予想外の早い夏の訪れで、ツヨシは、大いに焦ったのである。
心と体の準備が両方とも完全には出来てないのだった。準備と言うより覚悟と言ってもいいだろう。
意外な事かも知れないが、ツヨシは、自転車で東京へ行くと言う行為について、わりと背伸びしている部分があるのだった。決して涼しい顔で往復して来る訳ではない。

世間の人はツヨシを誤解しているのである。

ツヨシを知る人の間では「ツヨシ自転車バカ説」などと諸説、まことしやかに囁かれているようだが、正確ではない。現にツヨシは、寒くなると全く自転車に乗らず、食べたいだけ食べ、怠惰の限りを尽くした挙句、色の白いブヨブヨの醜い中年男に戻ってしまうのだった。真のアスリートなら、戻る辛さも知っているだろから、こんなリスクは冒さないだろうし、性分がそうはさせない事だろう。その点、ツヨシは全くの凡人なのである。

ツヨシは常々「自転車で東京へ行く」と言う事が、毎夏のイベントととして固定化してしまいそうな事に懸念を抱いているのだった。毎年、夏に向け全てのコンディションを整えて行くと言う行為が、至極普通のオッサンのツヨシには結構な負担になっているからだった。

それでも、シーズンともなればツヨシは走り出す。「シンドイ、もう歳やー」と言いながら朝練でタイムを削ったり、ふらりとビワイチしたりして孤独を満喫するのだった。
でも、孤高なのかといえばそうでもない。

ツヨシは「チームびわこぐま」という「ねっとりとした人間関係」のチームを主宰したりもしている。そして、その上での毎度の単独行なのである。

ツヨシは、自転車という遊びを、たとえたれかと一緒に走っても、自転車の上では孤独なものだと思っている。それぞれの抱えている事情は違うから、集団の中でも脚が無くなったりすると孤独の闇を覗くことになるからだ。とにかく自分でなんとかするしかない、全ては自助努力でしか解決できないのが自転車なのだと思っている。その辺りがツヨシの性分に合っているのかもしれない。だから、自転車を乗る事にメンバーとかの条件をクダクダ言う輩は好かないのだった。黙って独りで出かけて行くタイプを愛しているのである。「自主自立、一身独立」が是なのだ。

話が逸れた。
とにかく太ったツヨシは、痩せないとイケない。体力を付けないとイケない。
ところが、今年の春は寒かった。意気地なしのツヨシは、なかなか早朝に練習出来ずにいた。
一応、堅気であるツヨシは、練習をするなら早朝しかないのだった。
そして、3月も半ばを過ぎて、ようやく焦って走り出した矢先に落車してしまったのだ。
左鎖骨複雑骨折、全治3か月。しかも抜釘は1年先とは…
「トホホ…。」だった。
ツヨシの人生において、5回目の骨折で初めて体にメスを入れた。
ケガを言い訳にしたくはないが、出遅れたことは事実。朝練もサボりがちで結果もイマイチ伸びてこない。同時期の去年並みのタイムには程遠いのであった。
脂肪の腹巻がうらめしい毎日が続いた。
しかも、3か月目の検診では骨が半分しか繋がってない事が判明する始末だった。
治りが遅い。「ああ、ひつじ年のツヨシ…オッサン…」なのである。
でも、そうは言っていられない。週末ごとにロングライドをこなして、何とか肌の色だけは去年並みの黒さにすることに成功したのだった。

そうこうするうちに、2013年の夏、7月をむかえた。

この時点でのツヨシの状態は、
体重=重い
体力=普通
色=黒い
ボディーの条件はマアマアと言えるだろう。
しかし、3回目の東京行きの積極的な理由にはならない。
メンタルな部分が欠けている。いわゆるネタが欲しい所だ。
3回目ともなれば、もはやチャレンジの要素は薄い。
「東京まで何しに行くねん?」
世間をあっと言わせたいツヨシは、思案に暮れるのだった。




・マリアの事情
マリア
ある、暑い日曜の昼下がり、ツヨシが店に現れた。
マリアは、とある寺院の門前で和菓子の店を開いているのだった。
日曜ではあるが、さすがにこの時間帯の暑さの中、客足は遠のきがちになっている。
「たまには、ちょっと相手でもしてやるかな…。」
ツヨシのいつものよそよそしさとは、わずかに違う気配を察したのだ。
珍しくマリアは、店先で所在なさ気に立っているツヨシにコップの水を持って行ってやった。
マリアの店では自転車やランでやって来たアスリートの客に水をサービスしているのであるが、度々やって来るこの男は、毎回ろくに注文もせず手間を取らせるので、来ても普段は放置気味にしていたのだった。
おもむろにツヨシが切りだした。あいかわらずぶっきらぼうだ。

「なぁ、あれ、行くで。どうする?」

「ついに来たか!」という感じだった。マリアは、少なからず胸の高鳴りを覚えた。
ツヨシが毎夏に自転車で東京へ足を運んでいる事情は承知していた。去年は出発の朝、皆で見送りもしたのだった。イイ大人が1週間近くすべての事を放り出して遊びに行く様を見て、呆れもしたし、羨ましくも思ったものだ。
なにしろルートが良い。「中仙道」だとか「木曽路」だとか「馬籠宿」などと言うではないか。マリアの店は馬籠に縁の著名人の名を冠しているので、その地方には一度は尋ねてみたいと思い、憧れていた。ツヨシの口から発せられるそれらの情景を旅する自分の姿を想像しては、よくウットリとしたりしたものだ。そして、機会があれば、旅行記の読者ではなく主役として旅情を味わってみたいとも思っていたのだった。
ツヨシも事あるごとに「次は一緒に来たら」などと冗談めかして言うものだから知らず知らずのうちにその気になってしまっている自分がいた。

そうこうするうちにツヨシの落車である。経過が思わしくないようで、練習できないせいか、もう夏になろうかという時期に来ても、体形などはブヨブヨしておよそ自転車乗りのそれとは程遠いものだった。それでもツヨシは週末アチコチに出かけて行っては、ビデオ撮影なんぞにうつつをぬかし、自転車に真剣に乗っている風では無い様に感じていた。他人の気持ちを散々煽っておきながら、いったいどうするのだろうかと思いヤキモキしていた所なのだった。

そこへ来て、今日のツヨシは妙に吹っ切れた様子で「行くから来い」と言う。
半ば諦めかけていた所だったから、完全に虚をつかれた形だ。
「2人が気まずいのなら、たれかほかの伴走を頼め」とも言った。
べつに気まずくはないが、この男と一対一の勝負をしたら打ちのめされるのは必至だと思うし、あえなく沈没させられた例も数知れない。
思わず「たれか他に伴走がいるのなら考える…」と言ってしまったのだ。
それと、やはり店の事も気になるが、その点は「私に日程を合わす」らしい…。
もう、完全に断る機を逸してしまったようだ。ツヨシのやり方らしいとも言える。
まんまとツヨシの罠に掛かってしまったのだろうか、と思うと悔しいが、もう今となってはどうでもよい事になってしまった。やはりマリアは、「行きたかった」のであるから。ただ、ツヨシから聞くその路は果てしなく遠く険しく感じられるのが悩ましい。
ツヨシなどは「あんたなら大丈夫」などとサラッと言ってのけるが、この男の言う事はやはり信用ならない気がするのだ。この暑さの中、炎天下を1日当り200km以上走って東京まで行って帰ってくるなど正気の沙汰ではないような気がする。実際ツヨシなどは「少なからず熱中症の状態にはなる」と公言しているほどだ。熱中症になっても休んでやり過ごせば良いという理屈なのだ。熱中症の予防では無く対症療法など冗談ではない、「ご一緒するのは最初だけ」と全行程は丁重にお断りした。

さあ、たいへんだ。マリアは、「行くと」返事をしてしまった…。
しかし、腹が決まれば女は強いのだった。
「次の休みは独りでビワイチして暑さに耐える練習でもしようか…」などとマゾヒスティックな思いを巡らせてはニヤニヤとし、客に怪訝な顔で見られたりするのである。
まさに、愛すべき「黙って独りで出かけて行くタイプ(しかもマゾ)」なのであった。




・タケシの事情(タケシ=通称ゴンザ、以後ゴンザと呼ぶ)
タケシ=通称ゴンザ
ゴンザはツヨシと同い年のはずだった。いい歳だが独身である。何か問題がある男なのかもしれなかったが、ツヨシにとってはどうでも良い事だった。
電話が鳴った、ツヨシからである。
ゴンザは電話に出た。
この男はいい歳をして「もりもりー」などとふざけた電話の出方をする。それで大抵の相手は引いてしまって、あとはゴンザのペースで事が運ぶだろう。
ところが今日の相手は一味違った。「もりもりー、ゴンザー?」と言うではないか、「オレの専売特許を無断で使っちゃダメでしょー」意表を突かれてたじろいでしまった。
先制口撃を受け、毒を抜かれたゴンザは「はい、なんでしょう?」と殊勝に返答してしまったのである。まともに向き合ってしまえばツヨシのペースだ。おだてられ、すかされ、恫喝され、マリアの伴走の件でその後のオプションを含めガッチリからめ捕られてしまった形になってしまった。その時期の予定にぽっかりと大穴があいていることをゲロって、「一緒に行く」とツヨシに言質をとられてしまったのである。
そう、マリアの伴走者とはこの男なのである。
一般的にオッサンは女に弱い。ゴンザがどれくらい女に弱いかは分からないが、マリアに「伴走して?」と頼まれ承知したから、その程度に弱いのだろう。
それでもゴンザは、途中までついて行って適当にお茶を濁して義理を果たしたら、放り出して帰って来るつもりをしているようだった。
しかし、そうは問屋が卸さない。分業なのである。マリアがついて来ることを承知させ、ツヨシがガッチリ予定に組み込んでしまうと言う構図なのだ。まるで美人局のようだと思ったに違いない。
ゴンザにしてみれば米原辺りでサヨウナラするつもりが、ツヨシは、いきなり長野県のどの辺まで来るのかと聞いてくる。そして、諏訪まで来れるのなら東西どっちに抜けても大して変わらないと言う理屈を振りかざす。「輪行はしないつもりだ」と断ると、「それじゃ、全行程一緒に走るしかないじゃん」と来た。もう無茶苦茶な屁理屈なのであった。ゴンザにして見れば、「輪行しないから適当に折り返して帰ります。」と言いたかったに違いない。
「でも、予定空いてるんでしょ?」
ツヨシは、まったく恐ろしいヤツなのだった。
ゴンザは「詳しくは、今度会った時に相談させてー」と断末魔の様な悲鳴を残し這う這うの体で辛うじて電話を切った。
電話を切ったゴンザ、ツヨシの「それじゃ、全行程一緒に走るしかないじゃん」と言う一言が楔のように胸に突き刺さって疼くのを否定はできないのだった。
ツヨシの見立てでは、ゴンザはわりと常識の人なのだと思っている。普段のややこしい言動はそのフツーさを他人に悟られまいとするカモフラージュなのではないかと疑っているのだ。大入道の様な外見とは裏腹に中の人は繊細なゴンザだとすれば、一度見てみたい。今回ツヨシが打ち込んだ楔がどんな風に作用するか経過を見守りたいと思う。
そしてこの男も愛すべき「黙って独りで出かけて行くタイプ(しかも大マゾ)」なのであった。


これで役者は出揃った。ツヨシ(サド)、マリア(マゾ)、ゴンザ(大マゾ)の3人組である。
我ながら、よくぞこの様な奇跡のキャストが組めたなと感心しているところだ。
そして、役者はそれぞれに抱えている事情がある事もわかった。
これから、この3人によってどの様な物語が展開されるかはものすごく楽しみなのである。

果たして、
ツヨシは、ライドを作品に昇華し完成する事が出来るのだろうか!
マリアは、約束の地にたどりつく事が出来るのだろうか!
ゴンザは、、、、。



・ツヨシの漁
漁中のツヨシ、獲られるマリア

ツヨシは、3度目の東京ライドの「ネタ」を探していた。
前回、前々回は「Tour de Japan」などと仰々しく銘打って、「東京まで行って来たぞー」と言う事を強調していたし「エッヘン!どうだ、すごいだろう」という気持ちも少なからずあった。行った場所の写真を見返して満足もできていた。
しかし、その後の自転車ライフで数々の変態ライダー達に出会い、「遠くに行く事自体はスゴイと思ってくれない」事を、ツヨシは悟った。
現に、完走する事が当たり前になってしまった今では、往って帰るその行為自体はルーチンワークとさえ思えてしまうのだ。チャレンジの要素が薄くなってしまった3回目ともなれば、その度合いも「推して知るべし」なのである。
ようするに、刺激が無くて中弛みなライドが予想されるのだ。
それに変化を付けようと、時間短縮なんかをやりだすと自分も変態暗黒面に堕ちてしまいそうだから、それは避けたい所なのだっだ。
強行軍の、その場面場面での苦しさなんて、もう忘れてしまって久しい。
実際、灼熱のバイパスを体液をタレ流しながら延々走った事など、辛すぎてハキとした記憶すらないのだから。当然、他人にはその体験の生々しさは伝わりにくい。本人があまり覚えていないくらいなのだから伝わらないのも仕方ないだろう。
ツヨシは、後日、行った先々の風景写真を周囲に見せびらかすのだが、イマイチな反応しか得られずもどかしい思いをしたりもした。
それでも、ある程度経験の有る方面からはマニアックな理解を得られたりもするのだが、大体は想像すら困難な様子で「たいへん」「スゴそう」のヒトくくりで終始するのだった。「旅は道連れ世は情け」と言うが、あの辛さと、克服した達成感を皆と共有できたら楽しいだろうなと思うツヨシであった。
そこで、ツヨシは一計を案じ策を巡らしたのである。

名付けて“summer_tour_2013(with_ツヨシ)”計画。ラベルを張り替えたのだった。
これはこのライドが東京へ行く事を目的にしているのでは無く、ツヨシと一緒に走ろうと言う事に主眼を置いている事を表わしているのであった。
全くのトリックではあるが“Tour de Japan”より“サマーツアー”の方が仰々しくなくて、ツヨシは気に入っている。しかも、どこに行っても良いのだし。

問題は、企画をぶちまけたからと言って人が集まるほどツヨシには人望が無い。社会人が何もかも捨てて来られても困るが、冠ツヨシと聞いて尻込みする層は多いのだ。
ツヨシは、ならば、一本釣りをするまでだと思い極めた。
ツヨシはキャストの捕獲に着手した。
普段ツヨシは、ヒトを勧誘する場合は2回までと決めている。
何度も断られると心のダメージが大きいし1度目は真剣には誘わない。それとなく軽くお知らせ程度にとどめておく。そして2度目に勝負するのだ。だから、優柔不断なタイプはツヨシとは縁遠いはずなのだった。即断即決がツヨシとのお付き合いの秘訣なのだから、気風が良くないといけないのだった。
また、話が逸れたので戻す。
漁師になったツヨシ、先ずはエサを獲る事にした。
“エサ”は女と相場が決まっている。
「気風の良い女ねぇ……」「やっぱり、アイツかな。」
この辺りは既定路線と言うか、想像通りの展開なのだが。問題は、ライドの負荷が高い事である。“この連日の猛暑日”“ツヨシとの相性”“等々不安要素が山積状態なのだから。「普通は引いちゃうよね…。」なのだ。
そこでツヨシ「押さない引かない作戦」を展開した。
情報は潤沢に垂れ流し、旅のイメージを醸成するよう仕向けるが、決して誘う訳でもなく、ただただ、プロパガンダに徹して相手の出方を見守るのである。その間ネガな事は言わないように努め、旅の情景を繰り返し繰り返し送り届けるようにした。
そして、夥しい量の情報を浴びせかけ、相手の中に抗しきれない欲求の芽が出るのを見て、おもむろに誘いを切り出したのだった。
そして、獲物が釣れた。いや、串刺しにして狩ったと言えるかもしれない。
しかし、獲物の眼の光はまだ消えてはいない。獲物がバレないよう慎重に手繰り寄せて行くツヨシなのだった。
獲物とは、言わずと知れたマリアである。
果たして獲物はこのままツヨシに獲られてしまうのだろうか、、。


・マリア(マリア)の葛藤
わりとヤル気のマリア
「はぁー」
マリアは深いため息をついた。
えらく“シンドイ”のである。
今朝マリアは、早くに家を出て、びわ湖を回り込んで西岸を南下していた。
もう150kmは走っただろうか遠かった観覧車がだいぶ近づいてきた辺りだ。
マリアは、ふと思い立ち、単身ビワイチに挑戦している途中であった。
「こんなハズではなかった。」
正直の所、甘く見ていたかもしれない。
近頃、マリアの店には変態的な自転車乗りが多くやって来る。
そして、「朝からびわ湖一周して来たよー」とか「いま東京からの帰りでーす」などと言う。その様はまるで先生にお手柄を褒めてもらおうとする子供の様なのだっだ。その行為自体は、苦行だったハズなのだが、マリアの手前、格好をつけて、努めてアッケラカンとして言うものだから、マリアとしてはイマイチその苦行の実感が伴わず、言葉が独り歩きして、いつの間にか感覚がズレていたのだろう。いつしか「自転車は1日200kmが普通なんやな…」などと勝手に思い極めていたようだ。
マリアも、体力には少なからず自信があった。
運動には日常的に取り組んでいるし、自転車で100kmを越える距離を走った事は何度もある。そして、その事を自身のブログで発表して賞賛の言葉を浴びるにつれ、自信は拡大していくのだった。マリアも、自分に送られる賞賛に「女性としては」とか「歳の割には」と言った注釈が省略されている事は承知をしているのだが「ちょっといい気分」だった事は否めない。その心の隙をツヨシにうまく突かれててしまった形だ。
「ああ…。」
引き受けてしまって後には引けない自身の気の強さも恨めしいのだった。
しかし、マリアは分別のあるオトナだ。守るべきモノもあるし、ツヨシの罠にかかり、むざむざ倒されてしまうわけにはいかないのだった。
「何が何でも生きて帰る必要がある」のである。手段は選ばないつもりだが…。
先ずは自身の体力測定から…。セオリーである。己を知らずに戦う事は出来ない。
そこでビワイチに挑戦なのであるが、思いがけずしんどくて出鼻を挫かれてしまった形になった。150kmと200kmでは「全然違った」のである。ツヨシなどに言わせると「似たようなもの」らしいが、マリアにとっては未知にあたる領域だったのだ。暑さのせいもあるだろうが、背伸びしてペース配分を誤った事は自分が良く知っている。周囲をあっと言わせてやろうと言う野心も無くはなかったのである。
マリアは、プチ挫折した。でも、辛うじて完走は果たしたし、失敗の原因も把握は出来ている。少なからず自信はついた。しかも今回は等身大の自信だ。
「やれる」ただ、まだその心の内はツヨシには言わないでおこうと思うのであった。
マリアは、プチ挫折した事をカードにツヨシに揺さぶりを掛ける事にした。
「わたし、電車で行って合流でもいいかな?」現場で合流、現場で解散。
これでは、まったく意味の無い事は分かっている。意地悪だったし、いつも強気のツヨシを少し慌てさせてやろうと思ったのかもしれない。
「ツヨシのヤツなんて言うだろうな、ククク。」
あてが外れた。ツヨシは「ふーん、じゃあそうしたら?」と、意に介さないばかりか、逆に「こんど、一緒に長距離の練習する?」などと言い、意地悪など完全に見透かされてしまったかのようだった。デリカシーの無いヤツめ、少しくらい同情をしたら良さそうなものであるが、コイツはこういうオトコなのだと諦めた。ゴンザなど、野蛮な他のオトコがずいぶんと紳士に感じられるのがオカシク思うマリアなのだった。
マリアは、ツヨシが最近動画にハマっている事を知っていた。ツヨシは、誰彼となく連れ立って出かけては、その様子の一部始終を撮影しては公開するのである。その画はまるでプロフィールビデオのようで見飽きない。被写体は、ツヨシに翻弄され苦悶しているはずなのだが、ヤケに楽しげに見えるのが不思議だった。今回は、ツヨシが自分たちを被写体として狙っている事は承知している。おそらくライドの目玉としてネタにしたいのだろう。「あの場面、わたしならこう演技する…。」
マリアは、自分の中の女優魂に火が付いてしまっている事など、ツヨシは百も承知だろうと思い、あらためて覚悟を決めざるを得ない状況を再認識するのだった。
ああ、泥沼にはまっってしまった マリア。
果たしてゴンザは、マリアの救世主となり得るのだろうかー。



・あぁ、ゴンザよ、、お前はなんちゅう××な…。
得体の知れない男、ゴンザ
「はぁー」
ツヨシも深いため息をついた。
「マジか、1500オバーやぞ…。」
今回のツヨシライドの全行程の距離の事だ。
一般的に滋賀から東京まで往復すると1000kmは下らない距離がある。
確かに、東京ライドも3回目ともなるとマンネリ化してしまうと書いた。
が、しかし、べつに距離の長い短いの問題ではないのだよゴンザ…。
ある日ツヨシは、例の件を絡め捕りにかかろうとゴンザに電話した。
ツ「もりもりー、、ゴンザ?」
ゴ「はーい、もりもりっ!なんすかー?」
ツ「ゴンザ、アレどうすんねん、ホンマに来るんやろなー。」
ゴ「さぁーどうしましょかねー。行きたい所あるんすよねー。」
ツ「どこや、途中で寄ったるから、来るやろな、、。」
ゴ「会津若松に親戚あるんす!!」
ツ「くっ、会津…。」
ゴ「あー、ヤッパリ無理っすよねー。」
ツ「あのな、会津若松ってどこにあんのか知ってんな、、。」
ゴ「ふくしまっす。」
ツ「ゴンザぁーーー、福島は東北やぞぉーーー。と・う・ほ・く。
東京から何キロあるか知ってんのかぁー!」
ゴ「いえ、まぁちかいっしょ!」
ツ「東京に行く途中でチョット寄り道したるって言うてんねんで。
わかってるか、400キロちかいんやぞ。
高崎からでも軽く250キロ以上あるんや、必死に走って往復2日の距離やろ。」
ゴ「ブルぺっすよ、ぶるぺ」
ツ「それを言うならブルベやろ、なんか理屈が違うぞ…。」
ゴンザのヤツ、どうも掴み所が無い。ツヨシはてっきりゴンザが距離に難色を示しているものだとタカをくくっていたが、違った…。
「なにが寄り道や、一気に距離が1.5倍になるで、、マジか、1500オバーやぞ…。」
なのであった。
「ゴンザ、、わかった…。 ツヨシに二言は無い。」
「ただし、、敵前逃亡は死罪やからな…。」
ゴンザと言うオトコ、万事がこの調子である。
だからと言って付き合いにくいのか言えば、そうでも無いと言うのが、近頃のゴンザについてのツヨシの評価だ。
実を言うとツヨシは、ゴンザの個人的な事をあまりよく知らない。
知り合って1年と少しだろうか、今まで実際会って話をする機会は、ほとんど無かったし、本名すらタケシとしか分からない。携帯の番号は知っているが住所は知らない。
知り合いに毛の生えた程度の付き合いなのだった。SNSを始めてからこういう付き合いは多い。ツヨシの性分に合っているのかもしれない。
にもかかわらず、ツヨシの嗅覚はゴンザの人畜無害なニオイを嗅ぎ取っている。
ツヨシはゴンザについて「制御にコツは要るが、お世話は不要」とみているのだ。
コッチが世話になる事はあっても、アッチからもたれてくることは無いと踏んでいる。
極端な話、お互いが、東北の果てで遺棄し合ったとしても恨む事はないだろう。
ツヨシはゴンザの事を「風よけ」
ゴンザはツヨシの事を「道案内」
程度にしか思っていないのだった。
しかし、ツヨシにとっては、自転車の旅の道連れとしてこれ程気楽な相手も珍しい。
道順さえインプットすれば牽いて行ってくれるのである。あとは、どうやってゴンザのやる気を引き出すか、なのだ。
ゴンザ、体力は人一倍あるのだが、他人と競ったりはしないタイプのなのだった。
でも、自分の中では常に「勝った」と言う自負をため込んでいるフシが見え隠れするのをツヨシは見逃さない。
ツヨシによると、ゴンザを制御するコツは「自尊心を使う」なのであった。
しかし、心身共にハードな今回のライド。どこまでこの作戦が通用するかは未知数なのだ。ツヨシの手腕が問われるのである。


「“女優”のマリア。そしてツヨシ、“他人”のゴンザの3人の御一行、、って。
これって、まるで…。」
「三蔵法師と孫悟空・猪八戒やんか、、あれ、沙悟浄はだれ?」なのであった。
差し詰め、灼熱の濃尾平野辺りが火焔山と言った所なのだろうか…。
登場人物は「マリア」「ゴンザ」「ツヨシ」の3人であることが確定した。3人は、それぞれ、アーダコーダと言いながらも覚悟を決め、朝練などして準備に勤しんでいるようなので、今の所殊勝であると言いたい。
そして、さらに踏み込んで、新しく割り振られた役柄を、読者の熱い期待に沿う形で演じ切るべく努力してもらいたいのである。



・登場人物および配役。

この旅は孫悟空の物語みたく進行する事になった。
配役は以下に記す。

徳永 真理亜(マリア) as 「三蔵法師」役
生れながらの女優、キレのある演技には定評があり、熱狂的なファンを率いる。
本作のヒロインではあるが旅の途中で離脱する予定。

本名不詳(ゴンザ) as 「猪八戒」役
いわゆる脇役で演技はへたくそ。ただ、その存在感で起用が決まったようなもの。
スペシャルなボケをカマシテくれるものと期待されている。

石津 毅(ツヨシ) as 「孫悟空」役
本作の原作・脚本・監督にして主演。製作までもしようとしているチャレンジャー。



キャスト
以上だ。
さてさて、、
日程及び行程計画の予定である。
紆余曲折があり、さし当っての目標は、中仙道を行き馬籠。そして、諏訪を抜けて高崎に至る。その後東北を目指し、福島で折り返し東京日本橋、そして東海道を通って滋賀まで帰ってくると言う大規模なツアーになった。
「うーマヂかいな、、。」である。
と言ってもマリアが全行程を行けるとは思わないし、いずれ何処かの段階で分かれる事になるのだろう。今分かっている事は、マリアは少なくとも馬籠宿までは行くと言う事だ。

チームになった3人、ややこしい構成ではあるが…。


つづく。











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