“summer_tour_2013” 二日目 妻籠宿の朝

2013年8月6日火曜日
昨日は、さんざん雨に降られた。服は洗濯をして部屋干しをしたから、一応は乾いたが、シューズはダメだ。朝一番にいきなりジュクっとなり興が冷める。
朝一にシューズがジュクっとして気勢をそがれた図
イメージ通りの旅籠
5時過ぎに起きて、宿を出たのは6時、雨は止んでいたが雲が低い。
マリア、ゴンザ共に元気な様だが、今日も雨に降られる公算が強い。「この3人の中に“妖怪雨女”が居る」女と書いたが男かもしれない。ツヨシひとりの時は降られた事が無いので、あとのどちらかに違いない。注意して監視する事にする。宿を出て坂を少し下り、表通りを逸れて妻籠宿の中を抜けて行くと、雨でシットリ濡れた建物群は往時をしのばせる趣があった。
妻籠宿
人の気配はない
早朝の通りには誰もおらず、時代感が際立っていた。
宿場を抜けると、再び木曽川沿いの国道筋に出た。ここから先、国道19号線は木曽川と並行して北へと伸びている。川は昨日の雨で増水していて荒々しい流れとなっていた。
荒ぶる木曽川
湿度高し
湿度が高く雨を覚悟した。案の定、木曾福島を待たず本降りの雨に見舞われる事となった。昨日の雨と違って、今日の雨は、気温が低く冷たく寒い。
上松、寝覚ノ床
早くも雨が降ってきた
マリアは用意周到にウインドブレーカを持参していた。ゴンザは、100均?と思しき、どうしようもなく安物のレインコートを羽織ったが、走り出した瞬間にズタボロになる様な代物で、ただ空気抵抗を増やしているだけに見えた。ツヨシは不用意だったので道の駅で大きなゴミ袋をもらって頭からかぶる形で装着したが、これが一番性能が良くて暖かかったかもしれない。
安物のレインコート
ゴミ袋
3人は、朝から早くもずぶ濡れになりながら北を目指す。とどめは木祖村の外れ、中央分水嶺の鳥居トンネルだった。トンネル内では狭い道路の大型車を嫌い、歩道を行ったのが間違いだった。狭く暗い歩道はハンドル幅ギリギリイッパイで、しかも暗く車幅の感覚がよく分からない。転倒の恐怖におののきながら奥へと進むと、いよいよ前が見えなくなってきた。あのふたりは「きゃー」とか「ひぃー」とか大声でわめき散らしながら、結構な速度で突っ走って行く。「あほか!危ないな!」と思ったが「どーにでもなれ」と開き直って追走していると、前走者の後輪が真っ黒なドロを巻き上げて来る。トンネル内は堆積した煤の厚い層に出水が混ざって泥沼の様になっていたのだった。這う這うの体でトンネルを出ると、体の前半分はドロでベットリ濡れそぼっていた、、。塩尻までの下り道を雨に打たれながら走るとそのドロも大半は流れてしまったので、濡れたり、汚れたり、洗われたりとめまぐるしかった。ボロ雑巾のようになりながら、お昼前に塩尻市街まで降りて来た。
ゴンザに荷物を持たす
雨が止んでご機嫌なマリア
荷物を持ちつかれたゴンザ
少し早いがコンビニで食べ物を買って貪り食う。雨は止んだので、例の雨衣装は脱ぎ捨てた。
塩尻峠
遠くに八ヶ岳を望む(ハズ)
晴れた
塩尻峠を登り切る頃には、青空も見え、道路も乾いて真夏の雰囲気が戻って来ていた。暑さも戻り、ついに雨から開放されたと思われた。

諏訪で会議
さて、なんだかんだと言いながらも、ついに3人で諏訪まで来てしまった。いよいよマリアが最終決断の時だ。実は、企画当初は「遠くまで行けたとしても三蔵法師ごっこはここ諏訪まで」と踏んでいた。マリアも途中離脱をほのめかしていて、その機会を伺っていた筈だ。離脱のタイミングとしては、最初は中津川、木曽福島、塩尻そしてこの諏訪だった。出発時のマリアのメンタルと体力では、「諏訪まで行って電車で帰る」が限界だろうと思っていた。なぜなら、この先数十キロは鉄道の並走は無く、逆にやめようにも止められなくなる。だが、しかし、逆境に耐えながらここまで来た実績が、この女を強くしたのだろうか、諏訪で昼食をとった折に分かれの決断を促した所、驚いた事に、この先も同道すると言い出した。
和田峠を登る
困ったのは我々男組だ。正直言ってマリアはお荷物だったから、マリアを諏訪で捨てたら、後はふたりで一気に遅れを取り戻す魂胆だった。今日はこのあと高崎まで行く予定だ。朝から、雨の中をちょうど100km走り、もう既にヘトヘトで、予定ではあと120km残っている。さらに1級山岳並みの難所である和田峠、3級山岳並の笠取峠、軽井沢越えと山岳が目白押しだ。さらにさらに、マリア連れのペースでは、途中での日没が予想される為、碓氷峠では「あのクネクネ道を夜にショボイライトを頼りに下るのか」と思うと暗澹たる気持ちになった。マリアはこの意味を知らない。「マジで?」「付いて、来んのか、、こんな所でもう1時30分やで、ペース遅過ぎやろ」と諭すが、しかしマリアの意志は固いようで「行く、行く、行く」の一点張りだ。子供の様に駄々をこねるマリアに負けた。「行くんやな、、しょうがない、ゴンザまた持ってやれ。」とゴンザに告げた。いったい、なにが入っているのかマリアのリュックはやたら重たい。「ったく、オンナはこれだから始末に負えんな、、」マリアは、これまでも上り坂で力尽きては「助けてぐれー」と悪態をついては荷物をゴンザに持たせていたし、この先の和田峠はこれまでとは段違いにハードな事は分かっている。最初から荷物を持ってやらないと、とてもじゃないが今日中の高崎到着は無理だと判断した。ゴンザは見かけによらず繊細な男が露呈していたが、パワーだけは人一倍強いのだった。
暑い
暑さが堪える
中仙道をここからさらに先へ進む事は覚悟の要る事だ。これまでは、常に鉄道の沿線を通ってきたのだが、諏訪から峠道に入ってしまうと、向こう60kmに渡っては鉄道の沿線から遠のいてしまう。佐久平まで行けば長野新幹線の駅があるが、もうそれは、関東圏を意味するのだった。そこまで行けば“どこで引き返す”のではなく“どこまで進む”決断を求められる事になる。退路を断って先へ進む事を余儀なくされた。それでもマリアの決意は固いようだった。「うへぇ、、姐さんマジすか、、途中でへばっても知りまへんでぇ、、」3人は和田峠を登り出した。
ゴンザは比較的元気か
峠のTOPまでは14km近くあるはずだ。道幅もあり路面は比較的きれいだが、一直線に登る道は休む所が無い。雨は完全に上がって夏の太陽が戻って来ていた。気温が高くなり、荷物を持たずとも
キツイはずだ。エッチラオッチラ、ノロノロと11km進み、トンネルまで来た。時間は相当おしているし、マリアもペースが上がらない。標高差約200mを残した所で、旧道のトンネルによるショートカットをする事もいたしかたなしと判断した。
旧道はトンネルでパスする
和田峠攻略の疲れが顔に浮く
いつもは旧道を行っている。マリアの顔には疲労と後悔の色が濃く浮き上がっていた。無理も無い、和田峠と言えば、中仙道屈指の難所で、峠越えを巡っては幾多のエピソードがあるくらいだから、TOPをカットしても、今日のルート全体で見れば3000m近い標高を獲得する事になる。
チョットお疲れ気味
しかもこの先はまだまだ長いのだった。雨が止んだのが救いだが、暑くなって、辛さは差し引きはトントンって所だった。登れば降り、そして又登る。軽めの笠取峠を越えると、佐久平と呼ばれる丘陵地帯に出る。雲が多目だが、遠くに浅間山を望み眺望が良い、その山の名前からついに関東圏が近づいてきた事を知る。「あの浅間山の麓が軽井沢で、碓氷峠を越えていく」と教えるが、マリアは反応が薄く、ゴンザも少し疲れているように見えた。

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浅間山は雲の上
佐久平手前
千曲川を渡る
「言わんこっちゃない」と言いたいが、ここまで来たら、もう引き返すことも出来ない。新幹線を横目に見ながら千曲川を渡り、佐久の丘をよじ登り佐久平の街を抜けようとする頃、にわかに空が真っ黒な雲に覆われたかと思うと、底が割れた。あっという間だった。疲れていたし、完全に油断していて、判断が鈍った。道端の歩道橋の下に逃げ込むのが精一杯だった。
佐久でまたしても土砂降りに遭う
これまた、絵に描いたような土砂降りで、夕立には違いないが、待てど暮らせど一向に止む気配が無い。無常にも時間は過ぎて行き、時刻は19時をまわって完全に日が落ちてしまった。こうなると新幹線に乗って逃げ帰る事すらままならない。我々は、完全に運命共同体になってしまったのだった。もはや進むしか窮地を脱する方法が無い。高崎まで行けば何とかなるのだったが、ここから高崎までは5、60km以上はあるだろうか、気がはやる。こんな大事な時に、マリアはトイレを借りに雨の中を先に見えるマックに走って行ってしまう。マリアがウ○コをしている間に「雨に関係なくマリアが帰って来たら出発する」で話がまとまった。マリアのメンタルを不安視していたが、トイレから帰ったマリアは、むしろご機嫌麗しく、かえって不気味だった。カラ元気か、もしかするとすでに壊れているのかも知れなかった。ものすごい土砂降りの中を先に進む。非情なようだが、付いて来る事を選んだのはマリアだし、責任は取ってもらおう。ずぶ濡れになりながら軽井沢へと坂を登り出した。不思議と寒くは無い。もうこうなったらヤケクソでもある。3人は大声で喚きながら、軽井沢まで登った、、。
碓氷峠
登っている間に雨は止んだが、またしても全身ずぶ濡れで疲労はピークに近い。でも終わらないのだ。宵の軽井沢の街は、瀟洒な雰囲気の店に人と車が行き交って、ドブネズミの様に濡れそぼった我々とは隔世の感があった。でも、見た目は惨めだが、中仙道の最後の登りを征した事は喜ばしい事であり、心持ちはすがすがしい。後は、碓氷峠を下れば関東平野に到達するのである。しかし、これが大問題なのだった。“闇の碓氷峠旧道をロクな装備無しで雨上がりに降りる”のだ。その大変さは、通った経験のある方はお分かりになると思うから割愛するが、カーブが184ヵ所ある。
ここから下り、カーブだらけの暗闇を降りる
当時は道路照明はほとんど無く、真っ暗で、距離にすれば、たったの10数キロが、無限とも感じられるほどプレッシャーを感じる下り道だ。ツヨシは、過去を含め今回が3回目で、過去2回は、いずれも暗闇をひとりで降りた。もう、ひとりでは通りたくないと思っていたほどだったが、連れ合いがいる分、幾分マシかと思っていた。マリアはと言うと、ついに壊れたのか、大声で「ワーワー、キャーキャー」うるさい。下ネタを連発している。ゴンザも調子に乗って「ヒィーヒィー」叫んでいる。ふたりは呼応し合いながら恐怖と戦っているのだろうか、、いや、楽しんでいるようにも見える、、。暗闇の静寂の中にマリアとゴンザの大声が吸い込まれて行く。おかげで魔物に取り込まれなかったのかもしれない、、。旧国鉄のめがね橋まで降りてくると、雨は完全に上がっていて夜空には星が見えていた。坂を下りながら浴びる風は、生暖かく、自転車の衣装はすぐに乾いて行く。昨日から、濡れたり乾いたりと忙しい。真夏でなかったら確実に風邪を引いた事だろう。横川で国道筋に出ると、高崎までは、あと30km足らずの下り基調の道が続いて行く。関東平野だ。ついに中仙道の山岳路をクリアしたのだった。
安中にて
下ネタ連発
高崎にて
高崎到着は23時をまわっていた、しかし、なんとか今日中の到着だ。朝6時に妻籠の宿を発って、高崎に着いたのが23時過ぎ。17時間かかった、、、。およそ220kmを走り、2900m分の標高を登ると言うハードコースを、サポート付きとは言え、長距離シロウトのマリアが泣きを入れることなく完走した事は驚嘆に値する。根性があるのだった。まあ、後半は壊れたのか、やたらハイで下ネタ連発に次ぐ連発で、全国のマリアファン(居るならばであるが)には、とても見せられない醜態を曝していたのだが、“おセンチ”になられるよりは扱いやすいので放置していた。今頃は思い出して赤面している事だろう。高崎での宿は、ツヨシの義兄のマンションだったので、風呂に洗濯機と手厚いサポートが受けられて助かった。
本日の冒険の興奮覚めやらぬふたり
3人は今日のアドベンチャーの興奮がなかなか覚めず、日が変わっても声高に話し続けたが、出されたビールに口をつけるとすぐに静かになった。「グッドナイト」今度は男女別々の部屋で寝た。普段マリアは素っ裸で寝ると言うが、その夜ひとりになった彼女はどうしたのだろうか。
グチュグチュの靴も翌朝にはパリパリ
話は終わらない。そう、予定の事だ。
マリアの思いがけない健闘のおかげで、当初の企画に狂いが生じていたのだった。
マリアは、明日の朝おとなしく新幹線では帰郷してはくれないらしい。
「ここまで来たら、東京日本橋まで行って旅を完成させる」のだそうだ。
ゴンザは、「それならオレは新潟に行く」と言い出した。
「ハイハイ、仰せの通りにいたします。」
ツヨシは、「しようがないから東北は諦めて、マリアのお供をしてやるか」と思った。
雨とスローペースで、疲れも溜まっていたし、一日で福島まで走るのはつらいだろうなと怯んでいたから、東北はつぎの機会の楽しみにしておく事にした。
・“summer_tour_2013”三日目、2013年8月7日水曜日 
一昨日、そして昨日と、この旅は、ずっと雨に降られ続けている。それでも何とか、心折れずに険しい山岳地帯を越えて関東平野の入り口までたどり着いた。朝6時30分、起きて外を見ると、一転して真夏の青空が広がっている。朝っぱらから恨めしいほど「暑い」。
高崎の朝は快晴
昨晩洗ってマンションのベランダに干した洗濯物は、パリパリに乾燥していて、昨日までの雨の気配を微塵も感じさせない。
パリパリに乾燥した
やっと平野部に入ったと思ったら、いきなり関東平野の洗礼だ。特に群馬、埼玉は猛暑で悪名が高い。これまでは、雨との戦い、ここからは暑さとの戦いになるようだ。
3人は、出発の準備をし、ツヨシの義兄に礼を述べると、マンションを出て駅前でミーティングをした。
お世話になりました
ここ高崎で解散
ミーティングとは三蔵法師一行を解散する儀式だ。高崎には新幹線の駅があるが、結局マリアはおとなしく帰ってくれない。滋賀を出発する時、「何処まで行って引き返そうか」と考えていた初心者は、いつしか、遥か彼方のゴールを当然のように見据えるまでに成長していた。
高崎市内
新潟へ北を目指すゴンザ
ゴンザは、ここで分かれて、ひとりで北を目指して新潟へ向かう。マリアとツヨシは、ふたりで南へ下り日本橋を目指す事になった。9時ちょうど、街から大通りの国道17号線まで出て、3人は「じゃぁなー」と南北二手に分かれた。一昨日は、軽々しく集合し、昨日まで軽口を言いながら走り、今朝は軽々しく分かれた。東京方面へは、国道17号線を辿って行けば一本道で、いずれは日本橋に通じている。国道17号線は利根川流域の平野部を走って行く。とにもかくにも暑い道程だ。景色は単調で、田んぼと高圧電線しか見えない。
関東平野
日本橋までの距離は、およそ100kmと、距離だけを見れば軽めのライドだが、実際のライドは重々しいものとなった。暑さで体力を奪われてペースは上がらない。バイパスの道は休憩が出来る様なコンビにも少なく、挙句の果ては自転車の通行は出来ない事が判明する始末だった。
バイパスは自転車通行不可やて!!
バイパスと旧道を行ったり来たりジグザグに彷徨いながら進むと、マリアは疲れが相当溜まっているのか、目も虚ろで表情も固く、冗談も通じ無くなった。後日聞いた所によると、“オモシロイ”ゴンザが去って“ツマラナイ”ツヨシとふたりなのがイヤでご機嫌を損ねていたという事らしい。「マジか、ヒトの苦労も知らんと、、」それでも、とにかく前進するしかない“ふたり”なのだった。埼玉の印象は、ほぼ最悪だ。
バテとる
さいたま市で、バイパスを嫌って市街を抜けた事がそれにとどめをさす。市街地は信号渋滞地獄だった。「もー、どんなけ信号で止まんねん!!」と、マリアでなくとも悪態をつきたくなった。田舎モノには信号ほど精神と肉体にダメージを与えるものは無い。マリアのなじる様な視線が突き刺さる。黙殺したが、心の中では「オレのせいと違うぞ!」と逆切れしておいた。文字通り“這う這うの体”で荒川にたどり着き、戸田橋を渡る。
元気無い
「東京に入ったで」と、相好を崩して言ってみたが、マリアのご機嫌回復に効果はあまり無かった。このコンディションでは無理も無い。マリアは「私は、東京に何の興味も無い」と、思春期の子供みたいな事を平気で言い放つ。「もう手に負えんな」と言う状態なのだったが、「あと少し、あと少しで日本橋」と自分に言い聞かせた。
反応が薄い
秋葉原を通過、渋るマリアを促して「後々の証拠に」と、せめて一枚の写真を撮る。自分も疲れていたし、記録写真はそれが精一杯だった。そして、「無理矢理にでも沢山撮れば良かった」といつも後悔をするのだ。
やっとの事で日本橋が近づいて来た。
先に見える高架の下が日本橋
滋賀から中仙道を通って日本橋まで534kmあった。日本橋の上、キリン像の下でも辛うじて記念写真を撮った。
やったー
後半、チョット意地悪になったマリアは相当疲れていたのだと思う。昨日とは違って、今日は“おセンチ”な壊れ方だった。時間もかかっていた。去年、ひとりで同じコースを同じ時間に出発した時は、12時には日本橋に着いていたのに、今は17時が近い、本当に「お疲れ様でした」の気分だ。そして、その僅か10分後には、我々は改修工事後間もない東京駅に居た。
新東京駅
お疲れ様でした
マリアは、感傷に浸る間もなくパタパタと自転車を畳むと、「ふんじゃねー」と軽く言うと、改札に消えて行った。ツアー3日目、死闘とも言える一日はバタバタと慌しく終わりを告げた。「そう言えば、ゴンザは無事に新潟に着いただろうか、きっと、帰りは電車に乗るのだろうな」その後ツヨシは、ひとり東海道を行く帰路に着いた。彼奴らに再会したのは、それから3日後の事であった。
おしまい
あとがき
もう、何度も走りましたが、自転車で東京へ行く事は、5回目(2015年)の今でも最初はプレッシャーがあります。ましてや、当時まったくの自転車シロウトであったマリアが、それに挑戦すると言う事の大変さと言うのは、肉体的にも精神的にも想像を絶する話だった事でしょう。それを、ゴンザとツヨシのふたりで、なだめてすかして、“半ば脅迫的に無理矢理東京まで足を伸ばさせた”と言うのが今回のツアーの本質であります。やはり、後半は相当厳しかったようで、案の定と言うか、マリアは壊れてしまいました。それでも、絶望的にならない辺りが、マリアの“只者では無い”と言う所以と分析しています。「ゴンザのヤツ、毒食わば皿までやろう」と言ってやりたいです。今は、「お互い、老け込む前に、もう一度やろうぜ」と思っている所です。
ツヨシ



ツヨシへ

約束通り あの夏の思い出を完結してくれてありがとう。
思い返すと 若かったな 2013。 いっぱい走ったな 2013。
大人になってからの一番の「夏休み」やったな。
ただ自転車に跨って距離と標高をかせいで移動する それだけのことが
なんで こんなに楽しいのやろうと 心躍った夏でした。

帰りの東京駅で渡された ”巻物”。
あんなもんを538kmも背負いながら アホやなぁ。
、にしても、諏訪から先は誤算やったのー。
コイツは東京まで行くに決まってるやん。

新幹線で巻物ひろげて泣きじゃくるオバハンなんて かなり珍しかったと思うで。
ほんまにもう やってくれよったわ。

ま、もう3回泣いた(?)し、 え?2.5回かな?  いや2回やな。
二度あることは三度あるのやろか くわばらくわばら。