2015年02月03日



1982-9-18 松任

以前の記事で松任の日通機について書いたことがあった。
KATOブランドの魅力に負けて、帰路予定していた新井、二本木などの信越線筋にいた入換機を
あきらめてまで粘ったという、どこにでもあるようなクダリ。
でもこの駅には、他にも2両の移動機が配置されていたことは少しだけ触れただけだ。

EF70の牽く旧客から降りた松任駅の最初の印象は、どこにでもある地方の駅に、無理やり松任工場を
くっつけた、そんなどこか違和感のある落ち着かないものだった。
前夜に当たりを付けておいた駅の米原方、少し離れたところにセメントサイロがホームからも見える。
早速駅を出て、歩みを進めていくことにした。

記憶は薄れてきているのだが、確か会社は2つ隣同士で並んでいて、側線を分けあっていたと思う。
今回紹介するのは住友セメントの日立15トン(1969年製 C/N13072)である。
京浜工業地帯で見られた、どちらかと言えばゴツイ感じの前期型とは異なり、やや丸みを帯びて
デザイン的に洗練された印象を持つ後期型は、住セのストックポイントに多かった。
そんなわけで、移動機を撮り進める内にすっかり食傷気味になってしまい、車庫にしまわれているのを
見ても、係の人に頼んでまで出してもらうような努力をしなくなってしまった。

ところがネガを見なおしてみると後期型の記録はわずか5両。もっとまじめに取り組めば
良かったと思わずにはいられない。ただ、RUが撮影を進めていた頃、住セのストックポイントは
鉄道貨物による輸送から撤退していたところが多く、車庫にしまわれていた移動機が多かったのも
事実だ。焼島、笹木野など、残念な記憶が今でも蘇ってくる。

さてこの機体だが、やや黒っぽく写っているのは逆光のためで、実際は住友オレンジに塗られていた。
無骨なスノープロウの取り付けられた雪国仕様の姿は、下回りが締まって見えて好印象である。
その他にも、フタのされたホーンや、ランボード前後のハシゴに巻かれた
滑り止めと思われる布状のもの。これらもひょっとしたら雪国仕様なのではないだろうか。

今回の写真を見て、機関車の前の障害物くらいどけてから撮ればいいのに、と思う方もおられるだろう。
RUのクセで、その辺の配慮は正直あまり得意ではない。
だが、このときは雑草だけではなく周囲にたくさんの木の枝が置いてあって、さすがに撮影には苦心した。
思わず係の人に尋ねると、「数日前に襲来した台風の名残」とのことであった。

機関車表によれば、この後西富山の萩布倉庫(住友セメント)へ移動し、さらに日本高周波鋼業富山製造所を
経由して下松の日立物流(日石)に転じたとある。事実だとすれば強運長寿の機関車だろう。

RU

(23:47)

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